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July 3 おおカリフォルニア!(13) おおスザンナ! (13) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(7) District of Columbia Work Projects Administration 版 (1939, 1941) [歌・詩]

July 03, 2008 (Thursday)

昨日あらためてひとつひとつ確認して、前はヘンなの-、とほおったけれど、ひろいなおした拾遺。つうか、7月4日だし、みたいなことで。あらかじめ書いておくと、これは1番しか載っていないので、歌詞的には考察外です。けれど、1939年に最初に出て1941年に2刷り(らしいが、謄写版みたいな手作りのものなので、少なくとも最初の部分は彫りなおしている)がでている、ちょっと愛国的な色彩が感じられる冊子なので、記述しておきたいと思います。

   Stephen Foster Songs (District of Columbia: Adult Education Unit Division of Community Service Programs, 1939)  

12cmx18cmくらいのぺらぺら紙ののガリ版で 20pp.

Stephen Foster Songs
Adult Education Unit Division of Community Service Programs
District of Columbia Work Projects Administration
表紙裏にはアメリカ国歌 “The Star-Spangled Banner” が刷られている。(ちなみに裏表紙の裏には Samuel Francis Smith の “America” が刷られている。  “Oh! Susanna,” “My Old Kentucky Home,” “Massa’s in the Cold Ground,” “Old Black Joe,” “De Camptown Races,” “Old Folks at Home” の6曲を本文に所収。
Songs of Stephen Foster
April, 1939
Reprinted February, 1941
Prepared by Blanche Eberman, Elizabeth Freeman, Ethel Loke
Under the Guidance of William W. Champion and James A. Pawley, Frances O. Thomas, Curriculum Specialists / Edgar H. Elam, Administrative Supervisor/Illustrated by Ellen V. Sobotka, Federal Arts Project, and Alan Morow
DISTRICT OF COLUMBIA
WORK PROJECTS ADMINISTRATION
PAUL EDWARDS, ADMINISTRATOR
DIVISION OF COMMUNITY SERVICE PROGRAMS
AMALIE S. FAIR, DIRECTOR

何人かの人の肩に*がついていて、いまはここにいない(つまり1939年から2年を経て、現職ではなくなった)旨の注記がありました。

 Adult Education Unit というのだから成人教育という部門でしょうか。District of Columbia の Work Projects Administration は、検索するといくつもの冊子を出版していますが、どれもパンフレット的な質素なもののようです。

1ページから4ページはイントロダクションです。ワープロで打ちなおすと、悲しいくらいにちぢまってしまいます。

 

All of us know and love the songs of other lands. We learned them when we were children. Our parents and our grandparents sang them to us, over and over again. They sang to us of love and home. They sang to us of romance and patriotism.
The United States is a young and growing country. We do not have many songs that tell us of the past. And yet one man gave his life to writing songs that tell us a part of the life of America.
No man ever gave so many tender songs to a country as Stephen Foster. In the few, short years that he lived he wrote many melodies that will always live in the hearts of Americans.
Stephen Foster was born on July 4, 1826, in Lawrenceburg, Pennsylvania, a little town that was to become part of the big city of Pittsburg. As a small boy he liked to visit the Negro camp meetings and listen to the soft harmonies of the colored people. He seemed to understand and to love them.
His later life was very unhappy. But the tenderness and simplicity of his songs have brought him lasting fame. Today, his songs are known and loved by every American. He died, poor and alone, in New York City, in 1864, with many songs still unwritten, still unsung.
Today, when we sing “Old Folks At Home,” we find that time has stool still to pay tribute to one of the tenderest melodies ever written.
A few of the best loved songs of Stephen Foster have been collected here. They are for you. We want you to learn them, to sing them and to love them. They are a part of the reward for being an American.
 (私たちのみんなが、他の土地〔国〕の歌を知っているし愛しています。私たちが子供のころにならった歌です。私たちのおとうさん、おかあさんやおじいさん、おばあさんが私たちに歌ってくれた歌、くりかえしくりかえし。愛を歌い、家を歌う歌。私たちにロマンスと愛国心を歌ったのでした。/合衆国は、若くて成長過程にある国です。私たちは過去を語る歌をそうたくさんはもっていません。それでも、ひとりの人がそのいのちをかけて私たちにアメリカのいのちの一部を語る歌を書きました。/ひとつの国に対してスティーヴン・フォスターほどたくさんの優しい歌をささげた人はいません。その短くわずかな生涯にフォスターはアメリカ人の心にいつまでも生き続けるたくさんのメロディーを書きました。/スティーヴン・フォスターは1826年7月4日に、ペンシルヴェニア州ローレンスバーグという、のちにピッツバーグという大きな都市に組み込まれることになる小さな町に生まれました。少年のころ、フォスターは黒人の野外伝道集会(Negro camp meetings) に参加して、黒人たち(the colored people) の優しいハーモニーに耳を傾けるのが好きでした。フォスターは黒人の歌を理解し愛するようでした。/フォスターの晩年はたいへん不幸でした。けれどもフォスターの歌曲のもつやさしさと素朴さにより、永遠の名声を得ました。今日、フォスターの歌曲はすべてのアメリカ人に知られ、愛されています。フォスターは1864年、数多くの曲がまだ書き上げられぬまま、まだ歌われぬ〔2009.6.11訂正〕ままに、ニューヨークで貧しく孤独のうちに亡くなりました。/今日、私たちが「故郷の人々」を歌うときに、私たちは、時がとまって、かつて書かれた最も優しいメロディーのひとつを称えている、といった感慨を抱きます。/スティーヴン・フォスターの最も愛された歌曲から数曲をここに収めました。あなたのために。あなたに、フォスターの歌を覚え、フォスターの歌を歌い、フォスターの歌を愛してほしい。フォスターの歌はアメリカ人であることのごほうびの一部なのです。)

 

  と、自分の訳文に酔って涙ぐみながら訳しましたが、フォスターの誕生日がアメリカ独立記念日と同じ(その50年後)という偶然はおいても、Americanness というものに、政治的であれ無意識的であれ深くかかわってきたか、かかわるものとされてきたか、かかわるものであったらしいことをあらためて思わされるのでした。図式的に見れば、第一次大戦後に国威が発揚したアメリカにおいてヨーロッパ(とくに英国)の文化的属国ではない独自の文化の主張をみたいなところで、20世紀の新しい芸術を主張すると同時に過去の文化に新たな目が向いたのか(文学でいうとフォークナーやヘミングウェーやらのロスト・ジェネレーションの文学がアメリカ独自なものとして称揚されるいっぽうでメルヴィルが再発見されるとか19世紀にもあらためて目が行く、あるいは純粋芸術運動みたいなところとポーの芸術至上主義的な志向をもったcomposition 論がつながるとか)なあ、とか思ったりします。

pp. 5-6 "OH! SUSANNA"
I came From Alabama with my banjo on my knee,
I’m going to Louisiana, My true love for to see.
It rained all night the day I left, the weather it was dry,
The sun so hot I froze to death; Susanna, don’t you cry.
Oh! Susanna, oh, don’t you cry for me,
For I’m going to Lousiana with my banjo on my knee.

 

Stephen Collins Foster 1826年7月4日生まれ、1864年1月13日没、享年37。

scrap_foster.jpg
フォスターが亡くなったときにポケットに入っていたとされる紙切れ


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