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July 9 DOO~DAH! ほか1冊 [本・読み物 reading books]

July 09, 2008 (Wednesday)

    モーリちゃんを小学校に送って買物をしてから帰ってきたら郵便箱にふたつ冊子小包が入っていた。昨日届いていたのかもしれない。

   Ken Emerson, Doo-dah!: Stephen Foster and the Rise of American Popular Culture (New York: Simon and Schuster, 1997; rpt. Da Capo P, 1998).  400pp. +図版16pp.  pap.  ISBN 0306808528

 Doo-Dah.jpg

     Susan Zannos, The Life and Times of Stephen Foster (Hockessin: Mitchell Lane [Masters of Music Series], 2004).  48pp.   ISBN 1584152133
 SusanZannos_LifeandTimesofStephenFoster.jpg
 
     上のエマソンという人の本は、あれこれフォスター関係で見ているととくに「おおスザンヌ」の人種問題で言及されている本なのと、モーリちゃんの父はフォスターも音楽もぜんぜん専門外だけど「アメリカ大衆文化の興隆」という副題に関連をいちおう見て、買う気になった(図書館で借りてもよかったのだが、借りてもいつ返しに行けるかわからんし、本買うの好きなんです)。もう一冊はそのついでに買った。こんな薄っぺらい本だとは思わなかった(笑)。
   エマソンの本は、「おおスザンナ」について詳しく解説している十数ページしかまだ読んでいない。読み始めてすぐにひさしぶりに文学研究書を読んだ気になったのだが、フォスターからメルヴィルやソローや(それは汽車と電信の文化的イメジ的つながりとかいうレヴェルで)へひらひらと文化的連想というか蘊蓄が広がるいっぽうで、スザンナというと若くして亡くなった妹のスザンナが無意識にであれどうこう、トラウマどうこう、というようなフロイト的精神分析と、さらに、そういうフォスターの喪失感をアメリカ国民に広げたり、あるいは作品が出たときに起こっていなかったゴールドラッシュを予見するかのようにテキストに読んだりして、それを文化的無意識みたいな感じでまとめてみたりとか、要するにディコンストラクションのあとに起こったニューヒストリシズム批評のなんでもありパタンだと思った。歴史的文化的背景をあれこれ調べ、伝記的な事実をあれこれ調べ、伝記を歴史に還元し、個人の「イデオロギー」(まぼろしであれ)を歴史のイデオロギーに還元し、作家への愛があるようでぜんぜんない批評。でもエマソンという人は文学研究者でも学者でもなくてThe New York Times Magazineとかの元編集者だったそうな。出版社、あれDa Capo Press、ほんとうですか~♪ と思ったけど、研究職の人じゃないからかなあ。でも注や文献表や索引で84ページというたいへん学術的な体裁の本です。
    下の本は全体の3分の1は図版です。エマソンも書いてたことだけど、当時は蒸気船の爆発事故がけっこうあったようで、危険なものだったようです(これは汽車もおなじだというのがエマソンの説明ですが)。この本が "Works Consulted"としてあげているのは以下の5冊です。
 
Austin, William W.  Susanna, Jeanie, and the Old Folks at Home: The Songs of Stephen C. Foster from His Time to Ours.  Urbana and Chicago: University of Illinois Press, 1987.
Bean, Annemarie, ed.  Inside the Minstrel Mask: Readings in Nineteenth-Century Blackface Minstrelry.  Wesleyan UP, 1996.
Emerson, Ken.  Doo-Dah! Stephen Foster and the Rise of American Popular Culture.  New York: Da Capo Press, 1998.
Howard, John Tasker.  Stephen Foster: America's Troubadour.  New York: Thomas Y. Crowell, 1953.
Morneweck, Evelyn Foster.  Chronicles of Stephen Foster's Family.  Pittsburgh: U of Pittsburgh P, 1944.
 
   あと、"On the Internet" として4つ――
Selected Poetry of Stephen C. Foster
 
Stephen Collins Foster: America's Famous Folksong Writer, A Pictorial History
 
Stephen Collins Foster: Biographical Sketch
 
American Experience: Stephen Foster
http:www.pbs.org/wgbh/amex/foster
 
   この本は教育者が書いた教育的な本なのかもしれなないのですが、巻末におさめられたフォスターの"Selected Works" (p. 44) のリストの冒頭には次のように書かれています。――
     From the beginning, Stephen Foster's songs have created controversy.  His minstrel songs were first attacked for the dialect they were written in because it was considered unrefined.  Now that use of language is considered racist.  Words like "nigger" and "darkies" are no longer acceptable.  His romantic  ballads have been criticized for being sentimental or morbid--or both.
     But for all the controversy, his songs have continued to be popular for over 150 years.  They have become genuine American folk music.
  (当初からスティーヴン・フォスターの歌曲は議論を引き起こした。フォスターのミンストレル・ソングは最初、それが書かれた方言が、洗練されていないという理由で攻撃された。現在、このような言葉づかいは人種差別的と考えられている。"nigger" とか "darkies" といった語はもはや容認されない。フォスターのロマンティックなバラッドは感傷的であるとか病的であるとか――あるいはその両方であるとか――批判されてきた。
   しかし、こうした論議にもかかわらず、フォスターの歌曲は150年にわたって人口に膾炙し続け、真のアメリカの民謡となっている。 )
 
  モーリちゃんの父はこういうPC的なものいいがおおむね嫌いなのですが、ひとつにはむしろ問題(があるとして)の所在をあいまいにしてしまうからです。英語の "...ist" というのは「~主義者」という訳に必ずしもならないのは有名ですけど、コレコレが racist というときに、それはどういう意味で言われているのか。上の本のエマソンが、「おおスザンナ」の2番の歌詞について、"Of course the second verse of 'Oh! Susanna" is also racist--appallingly so."  というとき、―のあとの "appallingly so" という追加によって、racist たる理由がただ "Nigga" という語の使用によるのではないことを示唆しています。それは "kill'd five hundred Nigga" という "slaughter" 〈という言葉をどこかでエマソンは使ってますが)によるのでしょうか? けれども数百人の死者が出る事故が現実のアメリカで何度も起こっていた事実をエマソンは記述しているのですが。事故であるのならば、ともかく500人もの黒人の死を詩にすることがappalingly racist なのでしょうか。エマソンのことばは前に言及したNPR のウェブサイトでも曖昧なままに反復されています。
 
Today, however, the original version of the song isn't performed, says Ken Emerson, author of Doo-Dah!: Stephen Foster and the Rise of American Popular Culture.  The second verse is violently racist.  Emerson says that artist performing Fosters' songs these days leave out the offensive lyrics.  <http://www.npr.org/programs/atc/features/2004/aug/stevenfoster/>
 
    下の本によれば、そもそも"nigger" や "darkie"じゃなくても、ミンストレルの英語は racist と考えられていると述べています。そうすると、ミンストレルでracist、nigger でracist 、kill でracist、と、いやいやそういう話ではなくて、・・・・・・racistというレッテルを貼ることで吟味されないままに否定されたり等閑視されたり追いやられたりしてしまわんか、ということです。
  よかれあしかれ、愛のある昔(ながら)の批評家たちは、フォスターはミンストレルを改善したのだ、とか、最初の粗野な言語から次第に反省して変化していったのだ、というふうに救おうとした。 それは甘いかもしれない。いや、甘いだろう。けれど当初から問題視されていた、とかあからさまにracistとか言うだけの態度よりは、問題を問題として吟味する姿勢は残している。
   小さいほうの本についていえば、1939年、1941年にガリ版刷りで出された粗末なフォスター歌集の序文のほうが、フォスターのAmericanness をとらえていると思うのです。
 

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