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July 19 ウェブスターの『フォー=プールズ・ミステリー』または本の電子化とテキストの正確性について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (続き) [本・読み物 reading books]

July 19, 2008 (Saturday)

     ジーン・ウェブスターが1908年に匿名で発表した推理小説 The Four-Pools Mystery をTutis Digital Publishing Private Limited という出版者(「者」と敢えて書いたが個人名ははっきりわからんのですが)が今年出した本媒体で読んだのですが、終わり近く、330ページから331ページにかけてつぎのような箇所がありました。

 

 DSC_0054_Four-PoolsMystery.jpg

 

   330ページの最後のところで、 "The big man never knew what struck him.  He" (その大物は何が自分を襲ったのかまったくわからなかった。彼は)と、最後がHe で、そのあと  ‘  みたいなのがあって、空白。そして331ページは新たに文が始まっているように見えます。ウェブ同様に段落の頭をindent せず、段落と段落の間にスペースをあけるという体裁(ついでに書くと、コンマの後もピリオドのあとも1スペースのみ)なのではっきりしないのですが。

    He はゴミかな、と気になったのですが、因果応報、大人が小人に倒される例として挙げているエピソードで、そこで終わってもおかしくないと思ってそのまま読み続けました。読み終えてからGutenberg のe-text (classicistranieri.com - The Mirrored Project Gutenberg eBook of The Four-pools Mystery, by Jean Webster) を調べたら、下の赤字のところがぽっこり脱落していました。ああ脱力感。

"Oh, I've seen it a hundred times! It's character that tells. I've seen it happen to a political boss—a man whose business it was to make friends with every voter high and low. I've seen him forget, just once, and turn on a man, humiliate him, wound his pride, crush him under foot and think no more of the matter than if he had stepped on a worm. And I've seen that man, the most insignificant of the politician's followers, work and plot and scheme to overthrow him; and in the end succeed. The big man never knew what struck him. He thought it was luck, chance, a turn of the wheel. He never dreamed that it was his own character hitting back. I've seen it so often, I'm a fatalist. I don't believe in chance. It was Colonel Gaylord who killed himself, and he commenced it fifty years ago."

"It's God's own truth, Terry!" I said solemnly.

The sheriff had listened to Terry's words with an anxiously reminiscent air. I wondered if he were reviewing his own political past, to see if by chance he also had unwittingly crushed a worm. He raised his eyes to Terry's face with a gleam of admiration.

"You've been pretty clever, Mr. Patten, in finding out the truth about this crime," he acknowledged generously. "But you couldn't have expected me to find out," he added, "for I didn't know any of the circumstances. I had never even heard that such a man existed as that chicken thief—and as to there being two ghosts instead of one, there wasn't a suggestion of it brought out at the inquest."

Terry looked at him with his usual slowly broadening smile. He opened his mouth to say something, but he changed his mind and—with a visible effort—shut it again.

   初版でいうとちょうど2ページくらい落ちています。ふざけんな! (と本を投げつけたい気持ち)。

  こんな欠陥本を売り続けないように手紙を書いてやろうと思ったのですが、住所が書いてないのでした。

  それと最後から2ページ目の346ページの上から5行目に "When he lay dying. "という「文」がありました。

DSC_0055_Four-PoolsMystery.jpg

    これはグーテンベルグのe-text を見ると・・・・・・こうなっています。

The poor fellow had lost what few wits he had ever possessed, but the one rational gleam that stayed with him to the end, was his love for his old master. When he lay dying. Radnor tells me, he roused after hours of unconsciousness, to call the Colonel's name. I have always felt that this devotion spoke equally well for both of them.  

  同じでした。文法的に従属節だけのsentence fragment を文にしてしまうというのは文学ではありですけど、ここはどう見たって When he lay dying(, Radnor tells me, )he roused after hours of unconsciousness, to call the Colonel's name. (ラドナーが私に言うには、彼は死の床で、長時間の人事不省から目覚めて、大佐〔亡き主人〕の名を呼んだとのことである)でしょう。

   ここで初版1908年Century 版のファクシミリ版(のpdf. 電子版)を見ます。

Four-PoolsMystery_347.jpg

 

  ちゃんと comma になっています。

  第一に、これは Tutis Digital Publishing Private LimitedがやはりGutenberg のe-text を流用して自分のテクストをこしらえたことの傍証のひとつです。仮にそうであったとしても誠意があるエディターなら、エディターがいるなら、それこそ電子化されているのだから文法チェックをかければすぐに訂正できたでしょう(訂正する気になれば)。これはGutenberg のe-text をつくった人も同断です。そしてさきほどの He だってチェックに引っかかったはずです。

   ただ、逆説的な言い方をすれば、Tutis のようなところは、自分で本をスキャンして電子化していたらもっと悲惨なtextを売りだすことになったかもしれないので、Gutenberg のe-text をいわばコピーすることで救われているのかもしれない。(まあ、こんなアコギな商売をやらないのが一番だとは思いますが)。

   第二に、やっぱりtextual criticism の原理は正しいといいますか、text criticism の知識と意識のある編集の手を経ない限りは、テクストは漸次的退行化 (regression) の過程をたどる、というものです、たしか。古い誤りは正されず、新たな誤りが増える。モーリちゃんの父が退行化という言葉を最初に聞いたのは1980年代のテクノポップの流行ったころで、コピーの退行化ということで知りました。つまりコピーのコピー、そのまたコピーをとっていくと、どんどんイメージが退行していくのですね。(補注1)

   ただ、たぶんコンピューター上のコピーは退行しないのでしょうね。そこでまた逆説が起こる。情報の正確な伝達とか、著作の同一性の保持とかなんとか考えたときに、編集や要約などしないで、そのままコピーして貼り付けるのがよいのではないか。これはなかなかむつかしい問題かもしれません。しかし原理的に言えば、いくら資料があったってまとめる作業がなければどうしようもないですから(時間は有限であるから)。

   第三に、やっぱりファクシミリというのはそれなりの信頼性がありますね。本屋さんで言うとDover とか Kessinger というのはそういうのが基本路線です。ただ一般に復刻本の出版社というのはやっぱり阿漕なところもあるようですが。

   しかし、元が間違っていたらどうするか。それが問題だ。初版がすべて最善とは限らない。既に誤りがある可能性はある。 印刷の工程で誤植の可能性はある。編集者の恣意的改変の可能性もある。原稿にすでに誤りがあったかもしれない。著者はのちに重要な修正を施したかもしれない。

   えーと、もしも「おおスザンナ」についてちょっと読んでいていただいているなら、 私が考えているのはフォスターの理想とした歌詞テクスト(とりあえず曲はおいておきますw)はどうだったか、それをいかにして再構築するかということです。

   Peters 版も Holt 版もふつうに見ればどっちも傷があるのは明らかだと思うのですが、そうではないのでしょうか。後生大事にあっちだこっちだというのがおかしい(ありゃりゃ 笑) 。しかし本文校訂というのは作家とその作品について、その時代の言葉と背景について、そして本の世界と出版のプロセスについて深く知らないとむつかしいのですよねー。

   とりあえずそれた話を再度の疑念(というか文句)を提示して〆ておきますが、 Peters 版に4番がないからって4番は「おおスザンナ」にないというのはおかしい。ファクシミリ版を丁寧に書き写してSusanna がSusanaとなっている箇所をそのままにして、それが正しいという感覚はおかしい。

 (補注1)(8月4日記) ゼロックスコピーの退行現象について、住正徳というひとがブログ上で100回コピーの実験をしていました。あ、ブログじゃなくてバクストというんですか。住正徳「月曜日にオジャマシマス」『コピーを100回繰り返す』。つっこんでもしょうがないですが、第一に漫☆画太郎の「コピー技を真似てみる事」にはならない(オリジナルかオリジナル・コピーかオリジナル・コピーに近いものを繰り返し使うのが普通)し、第二に オリジナルがカラーで1回目のコピーの前にカラー情報を破棄するところがあやしげだし、第三に0と1のあいだの最初の設定の仕方、あるいは自動にするかどうか、でだいぶ違うはずなのだし、第四におおまかな結果としての変化と同時にまだごく少ない回数での微妙な変化の軌跡が重要なはずなのでそれを記録してほしかったのですが・・・・・・まあ、ともあれ、こういうことですw 敬意とともに。

ときどき

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