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August 18 イタリア語のおおスザンナ Italian Oh! Susanna (Bobby Solo) [スザンナ周辺]

August 18, 2008 (Monday)

   ここ数日、朝方は曇り空で、昼過ぎから晴れる天気ですが、晴れても遠くの空にはどんよりと雲がかかっているようです。 今朝久しぶりに6時前に起きだしたのですが、まだ真っ暗で、明らかにだんだん日の出が遅くなっていますねえ。だんだん昼が短くなっているようです。それでも夜8時になってもいちおう明るいですが。

  イタリアの歌手ボビー・ソロ Bobby Solo (1945 ―) の本名は Roberto Satti といって、ローマの生まれです。1964年のSanremo Music Festival サンレモ音楽祭 (Festival di Sanremo = Festivaldella canzone italiana) に 自作の "Una lacrima sul viso" をひっさげてデビュー、優勝はやはり新人のジリオラ・チンクウェッテティ Gigliola Cinquetti となりますが、彼の曲も世界的な大ヒットとなります。Lacrima はラクリマ・クリスティ (Lacrima or Lachrima Christi) のラクリマと同じで涙、英語に直訳すると "One Tear(drop) on the Face" でしょうか、邦題は「ほほにかかる涙」。日本語ののウィキペディアにボビー・ソロは載っていないので、あれこれ見ると、なぜかeigo21の「なつめろ英語」の【EUROPEAN POPS SERIES】に「ほほにかかる涙 (ボビー・ソロ) 歌詞・訳詞など」がありました。なぜ~。ただ、英語のWikipedia によると "playback" (録音していた歌唱を生の歌にかぶせること)を使用したために規定により失格となったというのが事実のようです。あと、eigo21の長い解説の中には「マカロニ・ウエスタンのカンツォーネ版がボビー・ソロでしょう。彼は自他ともに認める『イタリアのエルビス』でした。ポマードを塗って前髪を垂らしたヘヤースタイルにギター。 格好はもちろん歌もエルビス調でした。いかにも戦後らしく芸名に Bobby などという英語名を使ったボビー・ソロは本名 Roberto Satti, 1945年3月18日ローマ生まれの生粋のイタリア人です。」と書かれています。m'm マカロニ・ウェスタンという言葉をモーリちゃんの父も2つ前の記事で使いましたが、文字通りに第二次大戦後にイタリアで流行した西部劇のことを言ったのですが、ここではアメリカのものをイタリア的に受容するというような意味で使っているのかしら。あ、よく読んだらその前の部分にこう書かれていました(あ、あと、Bobbyは確かにアングロサクソン的だけど、Robert の愛称はBob, Bobby, Rob, etc. ですね)。――

 日本が60年代半ば高度経済成長の波に乗っていたころ, 同じ敗戦国イタリアは音楽・映画などの分野で世界にその存在をアッピールしていました。 世界へ進出する道は違いながら,両国の復興の背景に戦勝国アメリカの影があったと言っていいでしょう。
 イタリアの場合, もともと南部を中心に新大陸に移住して者が多く その末裔にアメリカで成功した芸能人はたくさんいますし(例:フランク・シナトラ,  ディーン・マーティン,ペリー・コモ, ヘンリー・フォンダ,シルベスタ・スタローン, アル・パシーノ, ロバート・デ・ニーロ,ジョン・トラボル タ), アメリカの芸能文化を同化させるのにさほど抵抗ないどころか, アメリカもどきに仕上げて世界に輸出してしまうことさえしました。 たとえばマカロニ・ウエスタン。 ジュリアーノ・ジェンマなんてなつかしい名前が思い浮かびます。

  なるほど。モーリちゃんの父がむかし習ったところでは、イタリアはアメリカ文学の受容の歴史が長くあり、ウェスタンの源流と考えられるジェイムズ・フェニモア・クーパーのLeather-Stocking Tales とかも日本なんかよりもはるかに読まれていた。そういうアメリカ文化受容の基盤があってマカロニ・ウェスタン――いま適当にまたウィキペディアで見ると、60年代から70年代前半ですか、英語は"spaghetti western" ――が出てくるみたいなことでしたが、第二次大戦を経ていろいろな文化的思惑(なんて言葉あるのだろうか)なり文化的無意識が働いているのでしょうか、いたのでしょうか、いまふうな批評としては。書き手の文章の書き出しは「60年代はじめ,日本では戦後のアメリカ進駐軍の影響を受けた歌手が多く活躍しましたのですが, 彼らの歌った歌はアメリカのものはもちろん, 日本と同 じアメリカ進駐軍の統治の経験のあるかつての同盟国イタリアのカンツォーネ(イタリアン・ポップス)であったのはおもしろいことです。」です。「おもしろいことです」だけで分析しないのはズルイ(ヒトのことは言えませんw)。戦後のロックやフォーク(リバイバル)はアングロサクソンというか英米の音楽シーンがリードして、そのまえのジャズのビート・ジェネレーションにつづくかたちで反体制~オルタナティヴ(とびすぎだが)の流れは世界的な共感を呼んだのだろうから、ただ対アメリカというのではないと思うのだが。むろん音楽的にはエルヴィス・プレスリーだってアル・ジョンソンがいなければ存在してないかもしらんが(言い過ぎかもしらんが)。

  モーリちゃんの父は昭和30年代の生まれですが、戦後20年経たないうちに生まれたとか、ぜんぜん意識しないまま大人になりました。そして、この10年くらいで、いったい日本のアメリカ文学研究者は戦争をどう生きたのだろうか、と気になった(ひとごとだからひとごとのように)。戦前日本とアメリカの文化交流の盛んな時期はあったのですし、明治以来アメリカ文学の受容の歴史もあったし、作家同士の交流もあったりするし、長谷川海太郎みたいな人もいたりする。だから戦後に媚びるようにアメリカへ向かったのではないだろう。・・・・・・

  以上私的メモ・

 


"Italian Music - Bobby Solo - Oh, Susanna!" (1966)  posted by radioitaliano, on 21 July, 2008 (2:35)

   ということで、次の年の1965年のサンレモ音楽祭では優勝して雪辱を果たしたボビー・ソロが1966年に録音した「おおスザンナ」です。

  最初の息の吐き方はもろにプレスリー的だわ♪

  イタリア語の歌詞を探しましたが、見つかっていません。そのかんにカントリーやウェスタンやフォークについてさんざん読むことになり(自分が悪い)、頭が痛いです。ひとことだけ書いておくと、フォーク・リヴァイヴァルの立役者のPete Seeger はスティーヴン・フォスターを否定していないし、自ら「おおスザンナ」も含めて歌っているということです(なにを言っているのかわからなければすいません)。

  Bobby Solo は当然エルヴィスの歌をあれこれイタリア語で歌っていますので一曲――"Te Ne Vai" (Can't Help Falling in Love" 「好きにならずにいられない」 )――

 




もひとつおまけにScott McKenzie (1939 フロリダ生まれ―そのホームページ) の "San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)" (1967) のBobby Solo によるイタリア語版 (英語の歌詞はこちらとか)――

 


Bobby Solo, "San Francisco"

    さて、この歌がアメリカなりサンフランシスコなりに対する幻想を抱かせたかというと、どうなのでしょう。モーリちゃんの父は昔の歌として中学生のころに聞きましたが、別にー、という感じ(まあ歌詞がわかっておらなんだからもしらんが、いま読んでも別にー)。まあvibration とかgeneration とかほんとうの意味を知らなかったしw  同じころ(かどうか不明ですが)マンチェスターとリヴァプールとかいろいろ地名の入った唄がありましたが、「煙だらけの町」なのだという知識を得る程度でした(それはメリー・ホプキンの日本語歌詞によるlol)

 


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