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October 10, 12 【メモ】 ジャズ、ジェンダー、CGP [メモ personal notes]

October 10, 2008 (Friday); 12 (Sunday)

    『ジャズ詩大全』というタイトルはむかし聞いたことがあったと思ったが、『ジャズ名曲全集』と混同していたような気もする。ともかく9月に、ガーシュウィンについて書いているブログを見ているときに目にはした。なーんだ。みんなこれを参照しているのか。

  つーか自分がむかっていたのはなんだったのだろう。

〇著者のリク村尾のHP・ジャズ詩大全・発音・発声・ジャズボーカルレッスン <http://www.geocities.jp/rikmr/> 

〇新潟県のメロンマスクさんによる『ジャズ詩大全』のリスト (あまぞんのリストマニア) 〔でもリストに載っていない改訂版の第1巻とかも出ているようす〕

〇村尾陸男(ウィキペディアの記事

  ジャズピアニストでボーカリスト養成もしている人だそうで、1942年生まれ、慶応義塾工学部中退、ジャズギタリストに。1966年渡米、 67年帰国後ピアニストに転向。『ジャズ詩大全』シリーズは中央アート出版社から1990年に第1巻刊行。あ、翌年すぐに改訂されているのね。ISBN:4886395619 9784886395610

  全二十数巻は多いなあ。それにアメリカじゃ買おうにも買えないし(ほんとは買えなくはないが、そんな金のかかることはできない)。日本に帰ってから忘れなかったら手にとって見てみよう。

  それまでは、もし詩について書くことがあったら・・・・・・WEB のあやしいコピーを参照させていただこう。

   その村尾陸男のホームページに、 「ジャズ詩大全ご紹介いただいたサイト」というコーナーがあって <http://www.geocities.jp/rikmr/eishi/top/syoukai.html>、そのなかに中河 伸俊のホームページ「●流行歌のクロス=ジェンダード・パフォーマンスを考える」 <http://homepage2.nifty.com/tipitina/CGREP.html> があった。リク村尾さんのページに紹介されているのは以下の(本ページでは注釈の)部分――

『ジャズ詩大全 1-10』(村尾陸男著 中央アート出版社 1990-94)所収のいわゆるジャズ・スタンダードの歌詞400曲を通覧してみたが,内容から「男うた」/「女うた」として同定できるものは少数で,ほとんどは無修正かせいぜい人称代名詞や表現に微調整を施す程度で,両性の歌手によって歌い手と同じジェンダーの主人公の歌として歌われているものだった。英語では一人称・二人称にジェンダーによる差がなく,三人称の her/him がどちらも一音節なため(押韻が問題になることはあるにせよ),人称の手直しは簡単なのである。ただし,ビリー・ホリデイで有名な「My Man」のような歌は,歌詞の内容もさりながら,man/woman の音節数の違いも,歌詞のジェンダー調整を困難にしている。同様な理由で(スタンダードではないが),タミー・ワイネットの「Stand By Your Man」,ペギー・リーの「I'm a Woman」,ボー・ディドリーの「I'm a Man」なども,ジェンダー化された歌だということができよう。こうした歌を別のジェンダーの歌手が歌えばCGPになるわけだが,寡聞にしてそうした例は知らない。
 なお,「Love for Sale」という有名スタンダードは,内容的には娼婦の歌らしいのだが,女性歌手だけでなく,男性歌手(メル・トーメなど)によっても歌われている。それが一種のCGPかどうかは,検討すべき課題だ。
 上記のスタンダード歌詞集には対訳がついていいるが,訳した村尾は,歌詞を日本語にする過程でジェンダーを付与する作業をしたことを明らかにしている(「言語における性」 1巻 p.22ほか)。これは,英文邦訳に携わる多くの人が体験することだろう。それだけ,日本語の話しことばはジェンダー的示差性が高いのである。 

   まあ、なんで日本語の翻訳解説本を対象にするのかよくわからんが――通覧というのは日本語英語と両方ということか――Man だのWoman だのがあらわなものがCGP とやらとの関係で問題になるがなんちゃらというのは、日本語の話しことばはジェンダー的示差性が高いというあたりまえの言葉と一緒に、予定調和的な論説に見えた。

  ジャズのスタンダードがしばしば1920年代30年代のミュージカルで使用されたものであったこと、それゆえにverse の部分(これは、元来共通に繰り返されるrefrain [chorus] に対して、繰り返されない詞、それゆえに演者のセリフ性が高いと考えられる)の扱いが「流行歌」として独立させられたときに問題になる、と自分には思われ る。だから、そんなに簡単にhe/she的代名詞問題で片付かんと思うのだけれど。

 

A)歌唱というドラマ(劇)における自己(self)の重層構造

 person---performer(singer)---character

 蒲地法子--松田聖子--「あー 私の恋は 南の風に乗って走るわ・・・」という歌の中の「私」

 流行歌は「3分間のドラマ」であり,その多くが主要登場人物=語り手のモノローグによって構成される(またはそうした独白が歌詞の要所に使われる *1)
 一人称がない歌(隠れたナレーターによる語りの歌 *2)もあるし,対話形式の歌もある *3/歌詞の主体(自己)構造に注目したタイポロジー作りが行なわれるべきだろう/ここではとりあえず,流行歌の歌世界を,語り物(義太夫,浪曲,講談など)の入り組んだ構築物の一断片のようなものとして捉えておきたい/語り物は,演者=語り手による「地」の語りと,演者が複数の登場人物に「なって」演ずるセリフの応酬とによって構成されるが,そのうちの後者の,しかもただ一人の登場人物によるモノローグのみを独立させたものが,流行歌の歌世界だといえなくもない 


  ペルソナとパーソナリティー問題。文学的語りの多重性の問題を考えること。

  しかし、CGP か。なんでも約す(アルファベットで略す)くせが日本にも浸透しているのだろうか。

    この中河伸俊のHP は日本で「クロス=ジェンダード・パフォーマンス」(Cross-gendered performance だけど、英語だと cross-gender performance ということのほうが多いみたい、少なくとも今は)をネット上で云々している(いた)人たちが言及する有名なサイトだったみたいです。そういえば一昔前に雑誌『ユリイカ』でなんか特集があったような。

  現在の日本で使われておるのですかね――

女性歌手で日本語一人称「僕」の歌を歌っているのは、日本人女性歌手だけのようで...  

gigawave_14001さん

女性歌手で日本語一人称「僕」の歌を歌っているのは、日本人女性歌手だけのようですが、果たして実際のところはどんな状況でしょうか?

日本ではクロス・ジェンダード・パフォーマンスと称して、男性歌手が女性の心情を歌い、また逆に女性歌手が男性の心情を歌っている事例が見られる中、日本人男性歌手だけでなく、アメリカ人男性歌手のジェロさんでも日本語一人称「私」の歌を歌っている事例が見られる反面、女性歌手で日本語一人称「僕」の歌を歌っているのは、日本人女性歌手だけのようですが、果たして実際のところはどんな状況でしょうか?
皆さんからの様々な回答をお待ちしています。 質問日時:2008/4/15 22:54:19 〔Yahoo知恵袋<http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1015960665>

   「クロス・ ジェンダード・パフォーマンスと称して」歌っていたのか!? 

   同じく知恵袋――

米国出身の男性演歌歌手ジェロさんが日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例と...

gigawave_14001さん

米国出身の男性演歌歌手ジェロさんが日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例とは逆の事例があってもいいのでは・・・?

先日私はユーチューブのサイトを通じて、アメリカ出身の男性演歌歌手、ジェロさんが「釜山港へ帰れ」、「津軽海峡冬景色」及び「海雪」を熱唱しているビデオを閲覧しました。

参考ページアドレス
「釜山港へ帰れ」及び「津軽海峡冬景色」
http://www.youtube.com/watch?v=RqtgJ5TJi8M

「海雪」
http://www.youtube.com/watch?v=YEmeVeQe56U

以前から日本では、クロス・ジェンダード・パフォーマンスと称して、男性歌手が女性の心境を、また逆に女性歌手が男性の心境を歌う事例が見られる中、まさかアメリカ出身のジェロさんが「釜山港へ帰れ」、「津軽海峡冬景色」及び「海雪」のように日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例には、私も驚きました。
アメリカ出身のジェロさんが前述の3曲のように、日本語一人称「私」の歌を熱唱している事例が見られるのであれば、今後はその逆の事例として、在日外国人女性がカラオケあるいはのど自慢大会において、日本語一人称「僕」の歌を熱唱するような事例があってもいいのではないかと私は思うのですが、皆さんならどう考えますか?
皆さんからの様々な回答をお待ちしています。

   以前から「クロス・ジェンダード・パフォーマンスと称して」歌っていたのか?? あ、同じひとだった(爆)。

     これの回答は愉快だ――「ややこしく書いてありか[ママ]すが、要は男性が「女性の」一人称やその逆はあってもいいのか?って言うことですね?
本人の歌ではなく、元の歌手がいて、それでそれをカバーしている訳なので、上手であればそれでいいのでは? あまりこだわりはないと思います。」

   大人である。

 

  自分がおおスザンナやラインダンスやカウボーイで問題にしていたのはCGP というものなのかなあ。なんかそれだけじゃなかったような(ボケているで笑)。

  あと一冊の本――

『鳴り響く性―日本のポピュラー音楽とジェンダー』(あまぞんでーた

北川 純子

  • 単行本: 283ページ
  • 出版社: 勁草書房 (1999/09)
  • ISBN-10: 4326851635
  • ISBN-13: 978-4326851638
  • 発売日: 1999/09

 

  以上、私的( ..)φメモメモ

  ちょっと勉強してみよう。

 追加――

"Cross-Dressing & Gender Performance in Burlesque" <http://library.osu.edu/sites/exhibits/burlesque/gender.html>

Bridget Cauthery, "Cross Gender Performance: Dispelling the Binary" The Dance Current <http://www.thedancecurrent.com/reviews.cfm?review_id=152&view=>

 

 


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