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January 28 アルバニ山下公園のユーカリの木 [アルバニ山 Albany Hill]

January 28, 2009 (Wednesday)

   水曜日は1時過ぎにモーリちゃんの小学校はおわる。1月19日にバスケットをしてから10日近くが経った。モーリちゃんはこのごろ小学校の体育の時間(PE=physical excercise チョビっとしかないみたいだけれど)にバスケットボールをやっているようで、明日は試合があるというので、平日なのにアルバニ山の下の公園に出かけた。Park と呼ばれているけれど、私有地内のパーク。いま手元に辞書がないけれど、park が屋敷のまわりの庭とかなんたらいう意味があるのは辞書に載っているはず(イーディス・ウォートンの短篇小説「万霊節 All Souls'」の田舎の家の描写に出てきたと思う・・・・・・アンブローズ・ビアスの「月光の道 The Moon-lit Road」の田舎の家の描写にも出てきたような・・・・・・どこにでも出てきそうw 万霊節(死者の日)については「October 27 レイの奴を一杯 Full of Spirits [飲み物 drink] 」を参照・・・・・・それが書きたかったんかいw )。

  この日は、バドミントンはもたず、かわりにサッカー用のボール(サッカー用のボールというだけで、サッカーボールではなく、Lucky®で2個4ドルとかで夏前に買った子供用のやわらかボール)と、バトン(といっても日本からわざわざもってきたセーラームーンのスティック(といってもバトン(といってもおもちゃ)))を持ち、モーリちゃんの父はついでに勉強用の本と原稿(ブログのではない)とSUDOKU のプリントアウトしたやつをバッグに入れて背負っていった。

  バスケットは、19日には、はじめドリブルもまりつきみたいにしかできなかったので、モーリちゃんの父が鬼の特訓をしたわけだが、見違えるほど上手くなっていた。それで、少し離れたところで見守りながら数独を解いていた。それから芝生の上でバトンの練習をした。はじめはただ空中に投げて取る練習をし、それから、「今度は音楽をつけてやってみるね」と言ってなにやら歌いながらバトンを回したり放ったりするのを、少し離れたところで見守った。サッカーは、しかたがないからモーリちゃんの父も参加して対戦した。汗をかいた。

AlbanyP.jpg
アルバニ山下公園 2009年1月28日午後4時40分(クリックでかなり拡大)

  ゴールのネットを替えてほしいんすけど。こんどマネージャーにゴネてみようかしら。

  遠く前方(東方)に見える丘の斜面には家が白く建ち並んでいます。ほんとになんで丘の上の家が好きなのだろう。なんかステータスみたいな気分を誘うのかしら。1906年のサンフランシスコ地震のあとに人々がベイのこっち側に引っ越してきたときにも、最初に不動産屋が買い占めて金持ち層に提供したのがヒルズの家だった〔地震については「October 16 1906年のサンフランシスコ大地震 The San Francisco Earthquake of 1906――Magnitude Estimate (2) [San Francisco]」を見ていただけると嬉しいです。それからアルバニ山近辺の風景については「July July 16 アルバニ山彷徨 (1)   Wandering Around Albany Hill [アルバニ山 Albany Hill]」など見ていただければ。ついでに1923年の火事の際の沼田恵範のバークレーヒルズでの行動については「April 14 バークレーのボヘミアン、その他 Berkeley Bohemia, etc. [本・読み物 reading books]」を参照・・・・・・すいません、ほとんど自分の参照のためにクロスレファレンスをつけているような気がします〕

Eucalyptus2.jpg
芝生の端と、芝生とバスケットコートのあいだの砂地と、ユーカリの木の根方(クリックでだいぶ拡大)

  このユーカリの木は1枚目の写真の左側の木です。南側(右側)から撮ったかたち。秋までは、こんなに実が落ちているということはなかったと思います。ここではなくて、画像には写っていませんが、右の鉄柵沿いの地面に落ちていて〔そのときの写真は「July 30 アルバニ山の木の実」。拾ったユーカリの実は大きくて穴があいていた〕、公園内で拾った実も、山のほうから、つまり鉄柵の外側のアルバニ山にたくさん生えているユーカリの木から落ちてくるのだと思っていました。

  まるで砂浜の貝のようなのでした。

  ・・・・・・・・・・・・ 

    それにしても、人は見ながら見ていない、目に入りながら認識していないものなのね。5年生になって、さらに冬になってから、夏ほどには来なくなったとはいえ、秋からも何度も来ていたはずなのに。だから目に入っていたはずなのに。えーと、それとも認識しているが認知していないのかしら。いや、認知も認識もcognition だから、感性的認識と悟性的認識というレヴェルの違いでしょうか(霊的認識のことはいいませんw)。いや、知覚しているが認識にまで至らない、というのが正しいのでしょうか。たぶん。

  ああ、またであるからですますに変わってしまいまし。

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Ambrose Bierce, "The Moonlit Road" E-text <http://gaslight.mtroyal.ca/moonltrd.htm>

Sudoku <http://www.sudoku.name/> 〔アメリカでも数独は大流行りで、たいていの新聞に載っており、数独だけのゲーム機もあったりします。いろいろWEB ページはあるのでしょうが、ここのむつかしい "Hard++" を解くのが好き♪ 〕

以下私的メモ( ..)φ

Wikipedia ― 「感覚」 「知覚」 「認識」 「認知」 〔「この記事の内容の信頼性について検証が求められて」いるそうである・・・・・・「大脳におる知覚のメカニズム」はないなw〕 数珠繋がり= (1) 心理学 - 認知 - 思考 - 経験  (2) 知覚 - 記憶 - 理解 - 学習  (3) 直観 - 感性 - 理性 - 知性


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