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March 4 メスメリズムからスピリチュアリズムへ(その2)――擬似科学をめぐって(25)  On Pseudosciences (25) [擬似科学周辺]

March 04, 2009 (Wednesday)

   で、スピリチュアリズムなのですが、上段にかまえると疲れそうなので、かといって冗談めかすこともなく、さらりといきます。

  現代のオカルト・ブームの源泉は1848年にアメリカで起こったスピリチュアリズムだと考えるのが通説になっていて、それはWeb で読める日本の心霊研究のサイトの記述でもそうです。たとえば、スピリチュアリズム・サークル「心の道場」というところの「スピリチュアリズム入門」第1部1章「死後の世界へのアプローチ……宗教から近代心霊研究へ」――

十九世紀半ば以降の新しい霊魂の研究

人類全体の精神史という広い視点に立ってみるとき、今から約百六十年前――十九世紀の中頃から際立って大きな流れのあることが明らかになります。それまでの歴史にはなかった全く新しい精神的な動きが急激に興り、当時の欧米先進諸国を巻き込み、巨大なうねりを形成しました。この新しい動きが“スピリチュアリズム”です。

一八四八年、アメリカの小さな村で起きたある事件(*「フォックス家事件」と言います。第二章で詳しく説明)をきっかけに、死後の世界に対する科学的研究が始まるようになりました。それが「近代心霊研究」です。スピリチュアリズムは、こうした近代心霊研究を中心に発展していくことになります。

  あるいは、東京スピリチュアリズム・ラボラトリー(TSL)というところの、「1 導入編」の「(2) スピリチュアリズムとサイキカル・リサーチ」の「死後存続という概念」の見出しの項――

 「人間の個性は死後も存続するのか」という主題を、近代的な文脈で(つまり、単なる宗教教義や伝統的観念というような形ではなく)探究しようとしたのが、19世紀後半に欧米で勃興したスピリチュアリズム(Spiritualism)であり、それを契機として生まれたサイキカル・リサーチ(Psychical Research)でした。
 日本語では、スピリチュアリズムを「心霊主義」、サイキカル・リサーチを「心霊研究」と訳すことが通常ですが、原語では異なる語です。
 「spirit」は、「霊」(「精霊」や「聖霊」を含む)を意味する言葉で、スピリチュアリズムは、まさしく「霊魂」の存在を認めるという思想です。なお、一般的な「精神主義」や、中世キリスト教神秘主義の一派の名称と区別するために、Spiritualism と大文字で書かれるのが普通で、さらに「近代スピリチュアリズム Modern Spiritualism」と表記することもあります。ここでは簡単に「スピリチュアリズム」とします。
 サイキカル・リサーチの psychical は、ギリシャ語で「心」を意味する言葉「psyche」(プシケーないしサイキ)から来ています(「psychology (サイコロジー)」といえば、普通の「心理学」となります)。psyche は、実体を持ち、肉体とは別の(分離しうる)心というニュアンスを持ちます。「psychic」(サイキック)というと「超常的な(物理的な法則を超えた)心の力による」というニュアンスの形容詞になります。超常的な現象そのものを「psy」(サイ)と呼ぶこともあります。
 ですから、「Spiritualism」はむしろ「霊魂主義」、「Psychical Research」は「超常的心力研究」とでも訳す方が正確かもしれません。ここでは原則的に両方ともカタカナで表記します。

 その出発点が、1848年に起こった「ハイズヴィル事件」であることは、多くの人が認めるところです(ただし、懐疑的な傾向の強い研究者は、この事件をいかがわしいスキャンダルとして否定することがあります。なお、この前史として、アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス(1826-1910)というアメリカの霊能者を重視する人もいます。)。
 ハイズヴィル事件とは、アメリカ・ニューヨーク州の寒村ハイズヴィルで、幼いフォックス姉妹が、夜な夜な怪音を立てる〈霊〉と、指を鳴らすことでコミュニケーションを取ることに成功した、というものです(詳しくは用語・事項編を参照ください)。
 これが新聞で報じられると、同様の現象がアメリカのあちこちで起こりました。人々は、何人かが集まって、テーブルの上に手を置き、じっと精神集中することで、テーブルが浮揚し、言葉の代わりに音でイエス・ノーを答え、それによって〈霊〉との交信が可能になることを知ったのでした。
 こうした〈交霊会〉の流行はすぐにヨーロッパに飛び火し、特にイギリスでは、「ロンドンでは、毎晩、何千ものテーブルが傾いているはずだ」と言われるような大流行となりました。

  そして、このサイトのスピリチュアリズム・心霊研究用語解説のページの「交霊会」は「セアンス」と「テーブル・ターニング」を書いています――

交霊会(sitting, seance) セアンスというフランス語が用いられることが多い。古典的な形態では、真っ暗な部屋で、気心の知れた数人が、テーブルを囲んで両手をその上に置き、しばしば祈りを唱えたり賛美歌を歌ったりして、長時間待つことで、テーブルが動き出し、叩音(ラップ)が響く。会席者は霊との間に「イエスなら1回、ノーなら2回、音で答えよ」といったルールを取り決め、質問を発していく……というものである。部屋は主催者の家の応接室など、よくなじんだ場所であること、メンバーは心が同調している仲間を8人以内ほどで選び、顔ぶれを変えないこと、テーブルは簡単に動かない重い円卓が望ましいこと、低俗な好奇心ではなく真剣な思いを持つこと、など、いろいろな条件がある。スピリチュアリズム全盛時代は、「ロンドンでは毎晩幾千のテーブルが踊っている」と言われるほど、どこでも普通に行なわれた。また、強力な霊媒/霊能者を囲んでの実験会を交霊会と呼ぶこともある。霊言を始め、様々な物理的霊現象が発現する。

  さて、交霊会とか降霊会ともっぱら訳されるフランス語のséance が、メスメリズムの集会(フランス語は「集会」「セッション」の意味です)でも使われていたことは前にポスターで示しましたが、また貼ってみます。――

mesmerism05(1844).jpg

   これは1844年のロンドンでのメスメリズムの講演(興業?)のチラシでした。

  ちなみに英語のWikipedia の"Séance" は、冒頭で、語源的な意味の説明も入れて、次のように書いています。――

A séance (pronounced /ˈsay-ons/) is an attempt to communicate with spirits. The word "séance" comes from the French word for "seat," "session" or "sitting," from the Old French "seoir," "to sit." In French, the word's meaning is quite general: one may, for example, speak of "une séance de cinéma" ("a movie session"). In English, however, the word came to be used specifically for a meeting of people who are gathered to receive messages from spirits or to listen to a spirit medium discourse with or relay messages from spirits; in modern English usage, participants need not be seated while engaged in a séance.

  英語においては、霊からのメッセージを受け取るため、あるいは霊媒の霊との交信を聴くために集まった人々の集会をもっぱら指すようになった、というように書かれています。

  日本語の対応するはずだけれど、短い「交霊会」の記述――

交霊会(こうれいかい、仏: Séance)または降霊会とは、霊媒者を介して、あるいはひとつのテーブルを取り囲むことで死者とのコミュニケーションをはかるセッション(会合)のこと。1840年代にアメリカで出現し、50年代になるとヨーロッパのブルジョワサロンを熱狂させていた。フランスの心霊術研究家アラン・カルデックはその著作『霊の書 (Le livre des Esprits)』(1857年)においてこのセッションに Séance という名を与え、そこに哲学的意味を見て取ることとなる。今日では、ブラジルに多くの支持者がいるという。

  これで記事の本文全部ですw。文意がちょっとあいまいですが(毎度ながら人のことは言えませんが)、あたかもアラン・カルデックが名づけたように書かれています。

  で、くだんのイギリスのメスメリズムのセアンスは、フランスからやってきたアドルフ君が被験者であり、彼は透視能力を発揮するのですけれど、霊との交信みたいなことは、少なくとも、もしそういうものが「売り」だったらポスターに書かれるでしょうし、どうやら、少なくとも前面には出ていない。いないけれどセアンスです。むろん、じゃあ、敢えてフランス語のséanceが、どういう含みで用いられていたかは調べねばならんのですが。

  それから、図版を続けますと、テーブルターニングとかテーブルムーヴィングと呼ばれた実験について――

mesmerism09.jpg

  これは1850年代のものです。中産階級の普通の家庭で親子(やたぶんこの絵だと召使も?)が一緒にテーブルを囲んでテーブル・ターニングを実験している図。

  日本語のウィキペディアだと、「コックリさん」の項目にテーブル・ターニングについての記述があります。――

西洋で流行した「テーブル・ターニング」とは、数人がテーブルを囲み、手を乗せる。やがてテーブルがひとりでに傾いたり、移動したりする。出席者の中の霊能力がある人を霊媒として介し、あの世の霊の意志が表明されると考えられた。また、霊の働きでアルファベットなどを記したウィジャボードと呼ばれる板の文字を指差すことにより、霊との会話を行うという試みがなされた[2]

  で、確かに table turning はアメリカでモダン・スピリチュアリズムが起こった1848年のあと、1851年の暮れごろからヨーロッパで大流行するものです。それはそうなのですが、必ずしも霊がらみ、少なくとも「交霊」がらみであったわけではない。――

mesmerism11.jpg

   これは、中央のハゲチャビンのように見えるおじさんが霊能者ということではなくて、動物磁気の流れによってテーブルの運動を起こそうという試みです。

   だから、ウィキペディアの記述でいうと、「現象の解釈」のところに書かれた諸説――もっとも「コックリさん」に重点があるのですけれど、前置きとして「コックリさんの起源である「テーブル・ターニング」については、大流行していた1800年代から著名な科学者たちが、その現象の解明に取り組んだ。1853年にはプロイセン王国(現:ドイツ)の数学者カール・フリードリヒ・ガウスイギリスの科学者、マイケル・ファラデーが実験的検討を試みた」とか書いているので、両者あわせてという記述に読めます――の、「霊が原因説」、「潜在意識説」、「筋肉疲労説」のいずれとも異なるものが、少なくとも当初には想定されていたことが考えられます。実際、1852年の『タイムズ』誌のウィーンからの特派員報告の記事は、電気ないし磁気を想定しているものです。――

Round the table three ladies and five gentlemen placed themselves, and formed a magnetic chain, which is effected by each person laying his hands lightly on the margin of the table and placing the little finger of his right into his neighbor's left.  [Times, 3 March 1852; as quoted in Alison Winter, Mesmerized: Powers of Mind in Victorian Britain (Chicago and London: University of Chicago Press, 1998), p. 263]

   "magnetic chain"* という、ホーソーンの小説とかにも出てきちゃったりするフレーズが出てきますが、上の図に説明は合致していて(男女の人数比はちょっち違いますが)、隣りの人同士が小指と小指をそっと重ねてワッカを作っています。 

   と、ぐだぐだと書いてきましたが、にもかかわらず、1830年代、40年代のメスメリズム(動物磁気説ないし催眠術)の実験において、トランス状態で被験者が霊の言葉を語ることがあったことはまぎれもない事実で、それこそがメスメリズムからスピリチュアリズムに一直線につながるもの、擬似科学とされることになるメスメリズムが「擬似宗教」に近接するところにほかなりません。

   (この項つづく)

"So much for the intellect! But where was the heartThat, indeed, had withered--had contracted--had hardened--had perished! It had ceased to partake of the universal throb. He [Ethan Brand] had lost his hold of the magnetic chain of humanity. He was no longer a brother- man, opening the chambers or the dungeons of our common nature by the key of holy sympathy, which gave him a right to share in all its secrets; he was now a cold observer, looking on mankind as the subject of his experiment, and, at length, converting man and woman to be his puppets, and pulling the wires that moved them to such degrees of crime as were demanded for his study." ("Ethan Brand")

Cf.  "She [Hester Prynne] silently ascended the steps, and stood on the platform, holding little Pearl by the hand. The minister felt for the child’s other hand, and took it. The moment that he did so, there came what seemed a tumultuous rush of new life, other life than his own, pouring like a torrent into his heart, and hurrying through all his veins, as if the mother and the child were communicating their vital warmth to his half-torpid system. The three formed an electric chain." (The Scarlet Letter, ch. 12)

以上のホーソーンからの引用、なんとなくですが、青山義孝「『緋文字』を読む」 <http://pot-8-o.hp.infoseek.co.jp/%81w%94%EA%95%B6%8E%9A%81x%82%F0%93%C7%82%DE.htm> からの孫引きになってしまいました。他意はないです。えーと、Web に頼らずに本を手に取ると、Maria M. Tatar, Spellbound: Studies on Mesmerism and Literature― 

In The Scarlet Letter, Hester, Dimmesdale, and Pearl link hands to forge an "electric chain" (V, 186).  The narrator of The House of the Seven Gables describes the warmth of Phoebe's hand and notes that the act of touching it assures one a place "in the whole sympathetic chain of human nature" (C, II, 141).  Finally, the search for the unpardonable sin causes Ethan Brand to lose his hold on "the magnetic chain of humanity" (III, 495).  Sympathy, like electricity and magnetism, appears as a kind of vital current flowing around all those who submerge themselves in the great mass of humanity.  Communicated by touch or by a clasp of the hand, it links men into one grand chain of brotherhood and connects them with the source of life.  In The House of the Seven Gables the narrator states that "the sympathy or magnetism among human beings is more subtle and universal, than we think; it exists, indeed, among different classes of organized life, and vibrates from one to another" (C, II, 174).  (p. 222)

   ついでに書いておくと、

(1) 作家はヒユとして使っているのか、ヤユとして使っているのか、マジで使っているのか、なかなかややこしいところがあります、一般に。

(2) ホーソーンで思い出したけれど、テーブルターニングの流行は、メスメリズムの流れで言うと、被験者とメスメリストのあいだの主従関係、特に男女の支配関係を免れるものだったので、一般に流行ったみたいにアリソン・ウィンターは書いています。どうも文学研究者と同様に社会学系の人もジェンダーが頭から離れないというか、人種・性差・階級を三種の神器よろしく武器としてそなえるところがあるようで。で、確かにホーソーンみたいな人は、芸術家と芸術家が神のごとく支配ないし心のうちを暴露する作品内登場人物の関係と類推的なものとして(マッド)サイエンティストと女性被験者を書いていて、後者(つまり実際の物語)においては男女に設定しますねえ。だけどそれはホーソーンの選択であって、現実がそうだというわけではない。女メスメリストだっていました。――

mesmerism13btrimmed.jpg

   これはアメリカでもよく読まれた(ポーが別のメスメリズム研究書の書評で言及して称賛している)Townshend のFacts in Mesmerism の挿絵です(206ページの本文への)。

   こういう絵を見てレズビアン幻想をたくましくするのも勝手ですが(タウンシェンドの本文によると姉妹のようです)、これは支配・被支配の図というのではなくて、交感図という趣きです。男と男の挿絵も前後してありますが、省略します。ただ、(これは現実ではないけれど、ポーなんかは、男女という構図をメスメリズムを扱った小説では出しませんね。男と男です(まあ、ホモセクシュアル幻想をたくましくするのも勝手ですが・・・・・・もっとも「催眠術の啓示」と「ヴァルドマール氏の病状の真相」において、術師はPで被験者はいずれも頭文字がVという、まるでトマス・ピンチョンの『V.』を思わせるところがなくもない、とすれば性的なあてこすりがありうるかもしれない設定なのですが)。ホーソーンにしたって、 "magnetic chain" については、比喩のレヴェルで働いている意味からして、そこに階級・主従関係はとりあえずはないのでしょう。それとも鎖だから縛るのでしょうか。そうかなー。しかしそんなこと言ったら親子の絆も婚姻の絆(こういうのをキリスト者としてホーソーンは大事にしていたとされます)否定されるものになってしまうが。そうかなー。

################

E-texts:

Chancey Hare Townshend, Facts in Mesmerism, with Reasons for a Dispassionate Inquiry into It (1840) <http://www.archive.org/details/factsinmesmeris00towngoog> 〔Internet Archive〕

Edgar Allan Poe, "Mesmeric Revelation."  Tales (1846)  <http://www.archive.org/details/talesedg00poeerich> Pp. 47-57.

 

 


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のりまま

お気に入りに入れて頂いている事を、本日初めて知り、伺いました。
何せ、全てにおいて能力不足の故、ページの更新もままならず、半ば放置状態でありました。

そして、こちらの、そのあまりの学術的な記事に、おバカな息子のために、眉間にシワ寄せて調べ物をしている時のような気持ちになり、自分のページの、そのあまりの「お気楽ムード」に・・・

サンフランシスコにも、春の気配は感じられますか?
by のりまま (2009-03-06 06:28) 

morichan

のりままさま。自分もなかば忘れていました(失礼!)ので、どうかお気になさらず、でも更新をとても期待しています。ブログののりが自分ののりにバシバシとあったのでついよくわからない(よくわからないのは機能の話です)なりに記憶にとどめようとお気に入りにさせていただいたのだと思います。

えーと、学術的ということは実はないのですが、つい学問に入ってしまったのでカッコをつけてわけがわからなくなってしまっているだけです。わけがわかるようにわけがわからないことを書くことを目指していたはずだったのですが。

サンフランシスコ・ベイ・エリアは雨が多くて、夏よりもむしろ湿度が高くて、食品が傷みやすいので困っています。言われてみれば、もう春ですか。でも朝はときどき10℃以下になりますし、コートを着ている人ももちろんいます。暖かい日の昼間は半袖の人もいますけれど。

ではお元気で。感謝とともに。
by morichan (2009-03-06 10:52) 

あひるのドナちゃん

こんにちは。
今日は雨のおかげか、鼻で呼吸ができて楽です♪
くじをいただきます。
by あひるのドナちゃん (2009-03-06 17:12) 

morichan

ドナちゃんさん、どうもありがとうございます。お大事に。ナイスもどうもありがとうございます。
by morichan (2009-03-09 22:25) 

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