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May 2 長い一日(その3) 酒だ酒だ~ [店・買い物 shopping stores]

May 02, 2008 (Friday)

 今日(この日)は朝のインクリボンの電話のあと、午後2時から、小学校の体育館でカリフォルニアの劇を見たわけだが、芝居のあとモーリちゃんとモーリちゃんの母は、University Villageに住んでいるアーニャたちの家に呼ばれていったのだが、モーリちゃんの父は自転車だったし、体育館を出たところで彼らと別れた。

  そうして、こわい思いをしながら自転車でSan Pablo 通りを北上して、El Cerrito Plaza の大きなモールで買物することにした。 このころはAlbanyに落ち着いてまだ3週間ちょっと、やっと地理がわかってきたころで、店だってよくは知らない。

  モーリちゃんの父はLongs Drugs というドラッグストアでビールを買おうと思っていたのだった。自転車をどこに停めればよいか、San Pablo Avenue からモールのほうへ折れて駐車場をあちこち眺めながら歩いたのだけれど、わからなかったので、店の前のポールみたいな棒に(ってポールは棒だが)チェーンを巻きつけてロックした。

  それから店に入って、24オンスで$1.29という缶ビールを たぶん4缶ぐらい買ったのではないかと思う。それd、レジのところで、なつきまりのアメリカのおばさんのようなおばさんに、IDはもっているか、と言われ、財布を見ると、UCB(JTBではない)のCAL Cardがなぜかなく、日本の勤め先の身分証明書(これでもようやく数年前から写真がついて、かつプラスチックになったので、それまではただの紙だった)しか見当たらなかった。ありゃりゃ。ま、いっか。と、はいよ、と差しだしたのだが、裏表ともに完全日本語バージョンで、なつきまりのおばさん(に思えたおばさん)は、裏表をくりくり見てから、「これしかもってないの。これじゃなんだかわからない、あんたがチャイニーズかどうかもわからない。誕生日は? あのねー、IDがここアメリカでは必要なのよ、ぶちぶち」と説教をはじめた。はい、ごもっともです、と思ったのだが、モーリちゃんの父の後ろにいたおばさんがそれに応えて、このあいだチャイニーズがどうこう、という、モーリちゃんの父にはよく聞き取れない内容をレジのなつきまり(のアメリカのおばさん(に思えたおばさん))に向かってしゃべり、そのあと1分くらいモーリちゃんの父はそっちのけで2人の会話が続いた。勘弁してよ、というか、勘弁してもらったのですけど。〔ちなみにこの後ろのおばさんはLongs Drugs の店員であることが数日後に判明〕

  ソーシャル・セキュリティー・カードを申請すればもらえるのかもしれないのだが、税金とどう連動しているのか不確かなので申請しないままになっていたのだが、これは酒を買うために装備せねばならんなあ、とパスポートのコピー(最初のところとビザのところ)を帰宅後につくって、ついでに母(このひとはLuckyでやはりIDの提示を求められたが、そんなものはなく、年齢を聞かれたので当然正直に答えたら、うしろで品物を袋に入れてくれている男の人がプッとふいた、という笑えるエピソードを残している)の分もつくってあげたモーリちゃんの父であった。


タグ:レジ iD
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June 30 コーディーズ書店の閉店 Cody's Closed for Ever [本・読み物 reading books]

June 30, 2008 (Monday)

  朝モーリちゃんを小学校に送って、El Cerrito Plazaのモールで早朝の買物をした。早朝5時開店のLuckyで 、買いつけている1.5ドルの安いハム、同じく1.99ドルの安いワイン、買ったことがなかったけど通常1.78ドルが1ドルになっていたハンバーガー用の丸パン6個入り、にんじん(ミニキャロット)1ポンド一袋1ドル。

  出がけに、なんとなく "Do you need my ID" を検索して、Judy Gruen というひとの "The Day I Became My Mother" という記事を読んだりして愉快な気分になっていたので、レジで女性店員にこちらから "Do you need my Id?" と訊いてみた。そしたらキョトンとしているのでワインのボトルをコレコレとつっついてみせた。そしたら、なぜかバカ受けだったみたいで、だいじょうぶですよ、わかりますから、くすくす、みたいな。まあ、ふつうは顔見りゃわかると思うのだが、意地悪だか何だかわからんが、訊かれるんですよね。アジア人は年齢がわからんとか。

  で、こっちは会計はつねに必死だから、合計7.5ドルとか計算したが、7.8ドルと言われ(なぜか読み込んだ値段とかが出るぶらさがったモニターの画面がまっくらだったので、合計で確認するしかなかった)、あ、アルコールの税金忘れてた、と思ったのだが、とにかく細かく7.8ドルを渡した。だけど・・・・・・なんだかわからないけど10仙戻された。サンキュー。ユーアーウェルカム。笑いながら。なんなんだろ。ま、いっか。子供扱いでおだちんかよ(笑

   そのあとTrader Joe's に行こうかと思ったけれど、まだ8時45分すぎだったので、Longs Drugs に寄っていくことにした。なつきまり(のアメリカのおばさん(に似ていると勝手に決めたおばさん))だけレジにいたので、こっちからハイ、グッモーニンと声をかけて驚かしておいてから店内をくるくる回ったら、Kahluaの2本セットが13.99ドルで売っていたので、ま、買っちゃおうか、と。それとサクラメントの缶入りトマトジュースが1ドルだったので2缶買うことにして、あとはバドワイザーとブッシュを3缶ずつ買った。で、レジで、たぶんいくらか自分のバッグに入れられると思います、とマリさん(ちがうっちゅうの)に言って、特に感謝されるわけでもなく、しかしわきあいあいと(というほどでもないが)品物を詰めて、やっぱ入りきらないよーとバッグをもらって帰った。

   帰路サン・パブロ通り沿いのPeet's Coffee の前の新聞の自販機(ちうか無料のものも含む無人スタンド)で、ときどきもらうThe Berkely Daily Planet (vol. 10, issue 17: June 26-July2, 2008) を割れた窓からひっぱりだした(でも無料なんだ)。

  そうしたら、一面の左コラムに "Cody's Closes For Good; Black Oak Now Under New Ownership" という記事が目にとまった。それでEl Cerrito Creek 沿いの遊歩道を歩きながら読んだ。

  Daily Planet をWWWで見たことはなかったのだが、紙の新聞の頭のところに "DAILY ONLINE, WEEKLY IN PRINT" と書いてある。 それで帰宅後に検索をかけたら出てきた。Local New and Opinion from The Berkeley Daily Planet。コーディーズ閉店の記事もそのまま載っていた。――

 

Front Page News:

Cody’s Closes For Good, Black Oak Now Under New Ownership

記事によると、Cody's Books のShattuck通り店が開店したのはわずか3か月前のことだった(知らなかった)。そして3代目の(そして最後の、と記事は言っているが)店主はHiroshi Kagawa という日本人だった(知らなかった)。Kagawaは店の創設者であるPat Cody にお詫びの手紙を書いたそうだ。Pat Cody が旦那のFred Codyと5000ドルの借金をしてBerkeley のEuclid Avenue に 18-by-29-footの広さの店を開いたのは1956年のこと。その後Telegraph Avenue に移転した。Kagawaならびに彼の手紙の紹介の一部――
Despite spending millions of dollars on the effort, "I am unable to keep this landmark independent bookstore . . . open," he [Kagawa] said.
As CEO of Yohan, Inc, a Tokyo-based retailer Kagawa purchased Cody's in September 2006 from Andy Ross, who had owned Cody's since 1977 〔つまり2代目です〕and was responsible for its expansion to Stockton Street in San Francisco and Fourth Street in Berkeley. Ross closed the Telegraph Avenue store in July 2006, several months before selling the business to Yohan.
なるほど、そういう経緯だったか。洋販(Yohan ・・・Yaohanではない)がコーディーを買っていたのね。じゃ、こないだ5月にレジにいたアジア系のおっさんはカガワさんだろうか。いや、あれはMoe's 書店のほうだったか。いや、どちらにもいるなあ。Kagawa はgive up していない、 miracle を信じると述べたそうだが、記事の書き手は悲観的だ。マネジャーのMelissa Mytinger さんと店員たちは閉店を金曜日(20日)の朝突然聞かされたそうで、ショックをかくしきれない。
調べてみたら、Wikipedia はすでに閉店の記事を入れて項目をもっていた。――<https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Pat_Cody>
East Bay Express は、20日、たった今メモで届いた悲しいニュースとしてCody's 閉店の記事を載せていた。―― "Cody's Books Closes Permanently" <http://www.eastbayexpress.com/blogs/cody_s_books_closes_permanently/Content?oid=775168> Kagawaさんの言葉が引用されている。25年前のフリーのジャーナリスト時代にCody いやCody's に出会ったそうだ。
"'When I met Cody's 25 years ago, I was a freelance journalist, enraptured by its books and atmosphere. It means so much to me and I apologize to the people who have supported Cody's for not being able to keep this landmark independent bookstore open. Cody's is my treasure and more than that, Cody's is a real friend of Berkeley community and will be missed.'
 
   Berkley Daily Planet の記事に引用されているPat Cody (旦那のFred は1983年に亡くなっている)さんの反応は、インターネット時代における本屋さんの困難さを諦観をもって語りながら、それと対比的な過去の温かみを語って、あらためて時代の変化を感じさせるものです。
Pat Cody told the Planet she was touched by the letter but wasn't surprised at the store closing.
"You have to fit this into the bigger picture of what's been happening all over the country, with the use of the Internet to sell and download books," she said. "It's a big change."
When people order books on line, there's no choice, nowhere to browse and pick up new ideas. "It's a cold transaction," she said.
But it was always a struggle to make ends meet at the bookstore, Cody said. In the '70s, she recalls, they had to take her off the payroll.
But it was an exciting time to be in the book business. Among her fondest memories is the interaction with customers, which helped the Codys decide what books to stock. People would come in and say, "You should get this book," and it would sell 15 copies in a week, she said.
モーリちゃんの父は、4月にテレグラフに行って、閉店していてすごいショックを受けたのですけど、その1週間後ぐらいに大学からの帰りにCody's を見かけて、ありゃりゃ、と思い、入ってみて、でもなんか違うなあ、と思い、やっぱりテレグラフのコーディーズしか自分にはなかったと思ったのですけど、それにしてもWikipediaの記事はぜんぜん愛が感じられないという以前に、この本屋の歴史を語っていないので、そのうちまた書きます。
 
 
 
ClosedCodys_BerkeleyShattuck.jpg
Cody's Books was at 2201 Shattuck Avenue, Downtown Berkeley (April 1, 2008 - June 19, 2008)
 
ClosedCodys_SanFrancisco.jpg
Cody's Books was at 2 Stockton Street, Union Square, San Francisco (September 2, 2005 - July 10, 2007) ここは一度も入らぬまま終わりました。あとBerkeley の 4th Street にあったという店も。
 
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Cody's Books was at 2454 Telegraph Avenue, Berkeley (1967 - July 10, 2006) えーとここは一時はカフェで、写っていない右側の翼にヘンな雑誌がたくさん並んでいた。今右側の建物の前は花屋がいます。花屋はもしかすると前からいた花屋かもしれない。

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Telegraph 通りの店の前の花屋の後ろの閉ざされた入口に貼ってある閉店の挨拶(4月撮影)  歴史と時代の変化を語りながらT. S. Eliot からの引用を入れたりした文学的な別れの辞でした。
 
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"Cody's Books to leave S.F. -- 'It just didn't work': Independent bookstore retreats to Berkeley after tough 18 months battling retail giants " <http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/c/a/2007/04/06/BUGAIP3S0K1.DTL&hw=cody&sn=001&sc=1000> 〔SFGate, SF Chronicle Pia Sarkar, Chronicle Staff Writer Friday, April 6, 2007〕

"Famed bookstore's last chapter -- Cody's on Telegraph to close <http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?file=/c/a/2006/05/10/MNGAQIOVET1.DTL>SFGate, SF Chronicle Steve Rubenstein, Henry K. Lee, Chronicle Staff Writers Wednesday, May 10, 2006 この記事で知ったけど――"The Cody's announcement came a week after another large independent bookstore -- A Clean Well-Lighted Place for Books on Van Ness Avenue in San Francisco -- went up for sale"〕

「ある本屋さんの話」 <http://blog.goo.ne.jp/shokobrown/m/200609> 〔SHOKO's Spicy Life in America 2006.9.8 Telegraph店の閉店と洋販による買収について〕

"Cody's Books of Berkeley, RIP" <http://www.boingboing.net/2008/06/21/codys-books-of-berke.html> 〔boingboingのblog 2008.6.21。長い引用と短い本文って、日本と同じスタイルか。しかし下の "Discussion" 、とくに SECRET LIFE OF PLANTS というひとのふたつの発言は共感するところ多かったです〕

上のblogから導かれてCody's のHPの "The End: Berkeley's Cody's Books Closes after 52 Years" <http://codysbooks.com/> 〔おそらくMidy Galoobさんの文章〕

かつてテレグラフ通りにモダンな建物としてあったころの写真―― <http://www.dbarchitect.com/images/dynamic/projects/pdf//brochure-8316-codyscafe.pdf> 〔関係した建築家のページから。1986年に完成、いくつかの賞を受けた建物でした〕

 

 

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June 29 縦読み acrostics [歌・詩]

June 29, 2008 (Sunday)

モーリちゃんのサマースクールの宿題で、詩を書くというのがあったので、モーリちゃんの父が頭を悩ませることとなった、いちばん。 最初右側のページを見せられて、shark について "Write some words that tell about sharks." ということで、要するに連想ゲームだよ、と形容詞のみにこだわるモーリちゃんの母を納得させて、sea とかjaws とか名詞もちりばめさせた。

AnimalPoems2.jpg

  が、それで終わりでは中田、いやなかった。続いて "Write a poem about a shark (acrostic or any kind you'd like)" と詩を書けという。おいおい、まだ英語がほとんどわからん小学生にかよ。それもアクロスティックで。まあ、好きなかたちで、とは言い添えながらも、どう見てもacrosticで書いて欲しがっている印刷である。

  アクロスティックは、モーリちゃんの父がブログを始めて初めて知った日本語の言い方だと「縦読み」というやつだ。

  特段すぐれた解説とは思わんが、4月に最初に見たので思い出にはてなの説明を貼っておきます。

 

横書きで書かれた文章の各行のn文字目を縦方向に順に読むことで違う意味の文を出す手法・言葉遊び。

ダミー本文と正反対の主張を皮肉を込めてすることがよく見られる。

縦読みの例(谷川俊太郎)

くびがでるわ

やけがさすわ

にたいくらい

んでたいくつ

ぬけなあなた

べってころべ

 

   まあ、それだけならどうということもない(根性が曲がるとも思えない)。まあ、"a shark" となっているので第1行をsharkで始められないという制約もあるが。が、左側のページを見ると、脚韻を踏んで単語にまるがついていた。げげげ。

AnimalPoems1.jpg

まあ、イレギュラーに一部分だけですけど。ということで、たいへんでした、モーリちゃんの父は。単語も易しいものにしなければならない。 結局ababa と行末の韻を踏んで、ついでに5行目で頭韻を3つ重ねてやった。

やりすぎで笑。

しかし、やっぱり文字言語対音声言語というような違いですかね。いっぽうで音に敏感なんだろうな。

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May 24 変身 metamorphoses [断章 fragments]

May 24, 2008 (Saturday) 

夕方、モーリちゃんの母が夕御飯の準備をしている最中に、なぜかモーリちゃんのジェスチャーゲームがいきなり始まった。

「へんしんするときかわいい。泡をだしてるの。泡に守られてるの。勉強好きだから こうしてたの。」
「あー、水野真紀、じゃなくて水野亜美」
「正解」

・・・・・・・・・・

「自分でやっててもすごいおかしい。これがテレビだとするでしょ」
「よくおぼえてるな」
「何度も見させられたから。その中のキャラクターだよ」
「キングボンビーだろ」
「ボンビーの仲間だよ」
「そんなのいたっけ」
「ミニボンビーだよ」

・・・・・・・・・・

「宇宙からやってきたの」
「あー、スペースボンビー」
「正解」

・・・・・・・・・・

「貞子?」
「ちがう。そんなキャラクターいたと思う? イレーザーボンビー」

・・・・・・・・・・

「コブラに見えない?」
「見えねーよ」
 


タグ:断章
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July 1 個人的メモ(3) ブログ  metablog   [メモ personal notes]

July 01, 2008 (Wednesday)

 縦読みについて書いたら、4月から5月にかけて、ブログや著作権や匿名性や炎上やらについてあれこれと調べあれこれと頭を悩ませていたのを思い出しました。一時はseo対策とは炎上対策かと思った(うそです)。

 4月の末ごろになんか書きとめた記憶はあるのだが、いま探してみても見つかりません(ざんねん)。改竄している最中に消してしまったのかもしれない。

 あらためて冷静に考えて雑感をちょぼちょぼ書いてみたい。このブログは日記・雑感ですから。

 日本語のウィキペディアを見ると「ブログ」の項目の最初のところで次のように定義づけています。

ブログ (Blog) とは、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。

モーリちゃんの父はblog web + log というくらいの知識はもっていましたが、log が「記録」という意味だとは知らなんだ。log ちうたら、アメリカ文学でいえば Melville LogPoe LogStephen Crane Log log でしょうが。んがー、その話は置いといてっと。log は英和辞典で確認するとつぎのようにあります。

1. 丸太 〔笑…っちゃいかん〕以下略

2. 《海・空》航海[航空]日誌;《トラックなどの》運行[業務]日誌,運行[業務]記録;旅行日記;《ラジオ・テレビの詳細な》番組進行表;《仕立て屋・日雇い職人の》労働時間表;工程日誌;《電算》ログ《データの変更などコンピューターの使用に関するさまざまな時間推移記録》

3. 4.略  (リーダーズ英和辞典)

1. 丸太,丸木

2. 〔海事〕(船の速度を測る)測定器

3. 航海[航空,(車の)走行]記録(日誌)logbook);旅行日誌;実験記録,(機械の)運転記録;(放送局・アマチュア無線士の)送信[交信]記録.

4. 《豪》(労働組合による)給与と労働条件の改善要求.

5. 〔コンピュータ〕ログ,(メールなどの)交信記録.  (ジーニアス英和辞典)

 つまり、古い意味では日誌です。メルヴィルは海洋作家だったから航海日誌になぞらえて作家の編年体の生活記録ドキュメントということでMelville Log という名がつけられたのだと思う。が、その話は置いといてと。

 問題は、新しい意味のコンピューターのログみたいなのが最初にまつわりついていたかどうかですが、こういう新語はよくわからんですねー。ウィキペディアの記事の目次最初にある「概要」はブログの歴史と体裁について次のように書いています(でもこれは後述の英語版とは発生についての説明が微妙に違うと思う)。

ブログの始まりは、自分が気になったニュースやサイトなどのURLを、寸評つきで紹介した英語のものとされる。その後、BloggerMovable Typeなどのブログ用のツールが出現した。米英によるイラク侵略においてイラクから更新されるブログが話題となり、その知名度を大きく引き上げる結果となった。

現在、より頻繁に用いられている広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されない話題などのような、時系列で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称する。このようなウェブサイトの作成機能を提供するソフトウェアやサービスなどを指して呼ぶ場合もある。また、ブログの他にもSNS口コミメディアを総称してCGMと呼ぶこともある。

ウェブサイトとしての体裁は主として管理者が記事を投稿する私的ニュースサイト、あるいは日記的なものが多い。ブログを投稿する特定の方法に限定されないが、ブログ向けのソフトウェアがあり、それをレンタルやダウンロードをして使えば、HTMLを知らなくてもウェブブラウザから手軽に情報の発信・更新ができる。レンタルのものにはパソコン以外に携帯電話などモバイル通信端末のインターネット機能を用いて外出先などから手軽に更新できるものも多い。それぞれの項目にはタイトルがつけられ、時間軸やカテゴリで投稿を整理、分類する構造となっている。用途は広く、個人の日記的なものから、手軽な意見表明の場として、時事問題などについて論説するものもある。

  そのあと、「4.日本におけるブログについて」で「ブログという言葉が日本で普及する以前から、日本にはウェブサイトWeb日記個人ニュースサイト いったジャンルのサイト、およびそれに付随するコミュニティが存在した。係る背景から日本ではブログという言葉はサイトのジャンルというよりも、ブログ向 けのツールを使って作られたサイトを指すことが多い。また、ホームページビルダーなどで作成されたニュース・日記系サイトが、ブログ用ツールでの作成へと 移行するケースも多い。」てなことが書かれています。そしてWeb日記の項目を見ると、日記猿人とか日記才人とか聞いたことも見たこともないような歴史的なことが書かれて、いっぽうで「(A)『日記を作品とする場合』と(B)『日記を単なる記録としている場合』の二つに大分され……さらに(Aa)『一般的に非日常的な体験を描く日記』と(Ab)『表現技法により一般的に日常的な体験に面白さを加え、描く日記』、(Ac)『自己満足、又は初心者が試験的に表した面白みのない日記』におおよそ分かれる」みたいなわけのわからない細かい分類の試み(らしきもの)が書かれています(まあ、自分なんかはAcというよりBcの分類で個人的にはけっこうだが)。

 どうやらWeb日記の伝統があった日本ではblog がそれを言葉としては包含しつつむしろそこからはずれる部分にblogの意味を見ようとする人々のいる気配が感じられるのでした。

 でもブログという言葉は和製英語じゃなくてもともと英語だからな。「webをlogする」とかかってに言われても困るし。

 英語のWikipedia は日本語版とみあうかたちで “blog” Online diaryとふたつの項目があります。で、 “Online diary” の冒頭の短い定義は “An online diary is a personal diary or journal that is published on the world wide web on a personal website or a diary hosting website.” (オンライン・ダイアリーとは、個人のウェブサイト上もしくはダイアリーをホストするウェブサイト上にインターネットで公開される個人的日記、日誌のこと)とあります。そして “Overview” blog という言葉を入れて、次のように説明します。

Online diaries began in 1994. As a community formed, these publications came to be almost exclusively known as online journals. Today they are almost exclusively called blogs, though some differentiate by calling them personal blogs. The running updates of online diarists combined with links inspired the term 'web log' which was eventually contracted to form the word blog.

In online diaries, people write their day-to-day experiences, social commentary, complaints, poems, prose, illicit thoughts and any content that might be found in a traditional paper diary or journal. They often allow readers to contribute through comments or community posting.

 "almost exclusively" が2度繰り返されて怪しげな文章ですが、online journals = blogs ですよ。ただやっぱり英語圏でもblogが個人的なものじゃない思惑をはらんでふくらんでいるから、日記的なものは人によると "personal blogs" と読んで区別するということですよね。そのつぎの文が大事そうでよくわからないのですけど、「日記作者たちがリンクを結合させながら引き続き更新を行なうところから"web log" という言葉が触発されて生まれ、それがやがてblogという一語に縮まった」。

  一方 “blog” の項目では “an abridgment of the term web log” としか語源的な説明はなく、log が日記・日誌の意味なのか不明です。でも “Origins” のところには “The modern blog evolved from the online diary, where people would keep a running account of their personal lives. Most such writers called themselves diarists, journalists, or journalers.” と書かれていて、ウェブで日記を書いていた人たちから来ているし、そこの一節で引証されているMallory Jensen という人の Emerging Alternatives: A Brief History of Weblogsを見ても、やっぱり日記の意味合いがあったんじゃなかろうかと思われるのですが。たとえば4段落目――

Blogger.com — which was recently snatched up by Google from the owner, Pyra Labs, for an undisclosed sum — may be the biggest, but it wasn't the first. That honor goes to Andrew Smales, a programmer in Toronto who launched the first do-it-yourself blog tool — Pitas.com — in July 1999. Smales, twenty-nine, sort of blundered into blogging as he was developing software that would allow him to more easily update his personal Web site and also facilitate the "online diary community" he envisioned. Personal sites such as his aren't listed prominently on Internet search engines, and Smales thought it would be "cool if I could just click around to read what other people were saying," rather than surf blindly for their sites. As Smales worked on the software, he posted updates on his site, prompting visitors to offer suggestions. It was a comment from a visitor that clued Smales into the nascent blogging community, and he set to work on a sister project to the diary software — a blogging tool that would become Pitas. Diaryland, Smales's diary site, followed soon thereafter, and both have grown steadily since.

何が言いたいかというと、特になにがいいたいというわけでもないのですが、たとえば次のような、日本人のブログに対するヘンな期待はヘンな感じがするわけです。――「ブログ、大きな影響力」 〔2006.10.11 読売新聞・・・古いかw〕  ・・・・・・自らもブログを持つ○○・□□大学教授(社会倫理学)は「ブログが読むに値する存在になった。ある種の公共空間ができあがっているといえる」と論じる、とか、自らのブログも持つxx・△△大学教授は「いま、ブログは過渡期にある。紙媒体と両方に発言している人の働きかけがかけはしになるのではないか」と語る、とかいうインタヴューも。

  ブログが読むに値する存在になった、って、日記じゃなくなったってことっすか? モーリちゃんの父は、(期間限定だったけど) 哲学者小泉義之(desdel)の"Critical Life" には感銘を受けたし、ちょっと政治的だけど藤永茂さんの「私の闇の奥」にも頭が下がっているが、Watch Me Disappear のような私的なブログが好きだ。

あー、大学教授の稲葉振一郎というのは黒木玄や山形浩生と仲のよさそうなあのひとか・・・・・・山形浩生・・・・・・リリカ。

   「リリカさんについて思い出すこといろいろ」 〔yuco さんの長年日記 2008.5.15〕

yucoさんの文章にブログとweb日記についての記述――「archive.orgによると「私家版」(文 字コードをShift_JISにすると読める)は2003年2月開始と更新履歴にあり、はてなダイアリーは同年10月開始みたい。はてなで書き始める以前 に関心空間のブログサービス(といってもpermalinkやコメントやトラックバックはない、昔ながらのweb日記に近いようなもの)で少なくとも2003年1月から4月の間には日記を書いていて、その後はてなに移行したようだ。」

   リリカさん、2003年4月1日にアマゾンのウィッシュリスト問題について書いていたのね。――

     A★MUSE SQUARE@関心空間:リリカの日記

   Wikipediaの記事でいいなと思ったところ――

 

Personal blogs
The personal blog, an on-going diary or commentary by an individual, is the traditional, most common blog. Personal bloggers usually take pride in their blog posts, even if their blog is never read by anyone but them. Blogs often become more than a way to just communicate; they become a way to reflect on life or works of art. Blogging can have a sentimental quality. Few personal blogs rise to fame and the mainstream, but some personal blogs quickly garner an extensive following. [emphasis added]


 『ユリイカ』の「ブログ作法」(2005年4月)って持ってるのにほとんど開いてもいなかったのだけれど、そこに「メタブログ」という文章を書いた松永英明さんのページはリンクも豊富で勉強になりそう。――「ユリイカ:ブログ作法――メタブログ、そして情報風水試論[絵文録ことのは.]2005/03/29

個人の日記はたいてい公開されないことを前提としているが(「お母さん、勝手に見ないで!」)、ウェブ日記は公開を前提とし、他者とのつながりをも形成す る。いずれも、既存の表現と似たようなものではあるが、しかし、そっくり同じではない。このような「ゆらぎ」があるからこそ、「では今自分がやっているこ の表現形態はどういうものなのだろうか」という思考が生まれてくる。

ま、考え続けているひまはないが。

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June 30 2度目の優雅な朝食というか早いお昼 [料理・食べ物 cooking foods]

June 30, 2008 (Monday)

当日の昼に書いたように、この日はモーリちゃんを小学校に送ってからくるっとまわってLucky とLongs Drugs で買物をして帰ったのだけれど、おなかがなんかすいたので、紙の新聞を置いてネットで同じCody'sの閉店記事を読みながら、2度目の朝ごはんをLuckyで買ってきたものでつくって食べた。

  買いつけている1.5ドルの安いハム: FOSTER FARMS CHICKEN OR TURKEY BOLOGNA 2 for $3 16oz

  買ったことがなかったけど通常1.78ドルが1ドルになっていたハンバーガー用の丸パン6個入り : SUNNYSIDE FARMS HAMBURGER BUNS 10 for $10 8ct

  ついでにドラッグストアで買った缶ビール:  BUDWEISER BEER CAN $1.69 + CRV .10 計$1.79 24Fl.oz (1.5パイント)

ハムでいうと2個3ドル、パンでいうと10個10ドル、そして "Mix or Match" とチラシに書いてありますが、1個でもだいじょぶです。 モーリちゃんの母によると、割り切れないようなとき、たとえば3個で1ドルとか。そうすると33セントで打ってくれるようで逆にまとめ買いより割安ですね。細かい話ですが(笑

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  パンが小さく見えるかもしれませんが、ハムがでかいんです。

  最初、パンがえらく高いなあと思っていたのですが、探すと安いのがあります。 台湾系のパン屋のパンは日本のパンに近いという話もありますけど、安くはないです。好みにもよるでしょうけど、モーリちゃんの父はしっとりふんわり系が食パンと丸パンでは好きなので、LuckyのSUNNYSIDEの(これは極端なレベルがあって、高いのはほんとに高いのですけど)1.28ドル(ときどき1ドル)の食パン(カットしてあって25cmぐらいある)とか好きです(ただし白い方じゃなくて茶色いやつのほうがうまい)。まあ、安くなければ買ってないですけど・・・・・・

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July 2 天使四連桃太郎 Four Angels [断章 fragments]

July 2, 2008 (Wednesday)

モーリちゃんのジェスチャーについて書いて思い出して、ひさしぶりに桃太郎電鉄をやった。福袋カードを使ったらエンジェルカードが2枚とまた福袋カードが出てきたので、次にまた福袋カードを使ったらまたエンジェルカードが2枚出てきて天使が4人になったので記念撮影をした。

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しばらく見ていたかったのだが・・・・・・

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すぐに先頭の天使が大天使になってしまった。

そしてすぐに消えてしまった。

はかない。

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桃太郎電鉄 公式サイト 20周年記念バージョン 「カード説明」 <http://momotetsu.com/card_list.html


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June 24  おおカリフォルニア!(10) おおスザンナ! (10) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(5) Howard 編 Fischer版 (1934) [歌・詩]

(June 24) July 02, 2008 (Wednesday)

 〔まず前回の補足〕 このあいだ歌詞が不分明だったAlbert E. Wier, ed., The Songs of Stephen Foster (New York: Harcourt, 1935) は、4番までありました。――

1.
I came from Alabama wid my banjo on my knee,
I’m gwan to Lousianna, My true love for to see,
It rain’d all night the day I left, The weather it was dry,
The sun so hot I froze to death
Susanna, don’t you cry.
Oh! Susanna Oh! don’t you cry for me
I’ve come from Alabama wid my banjo on my knees.
2.
I jumped aboard de telegraph, and trabbelled down de ribber,
De ’lectric fluid magnified, and killed five hundred nigger.
De bullgine bust, de horse run off, I really thought I’d die,
I shut my eyes to hold my breath
Susanna, don’t you cry.
3.
I had a dream de odder night,
When eb’ry ting was still;
I thought I saw Susanna,
A coming down de hill.
The buckwheat cake war in her mouth,
The tear was in her eye,
Says I, I’m coming from de South,
Susanna, don’t you cry.
4.
I soon will be in New Orleans,
And den I’ll look all round,
And when I find Susanna,
I’ll fall upon the ground.
But if I do not find her,
Dis darkie’ll surely die,
And when I’m dead and buried,
Susanna, don’t you cry.

  ううむ。これは4番以外もPeters版ではなくてHolt 版を元にしていますねー。冒頭の "I came" (comeじゃなくて)とか "bullgine" とかはHolt版です。それも1848年2月の初版ではなくて〈仮にそうだとして、2番以下のSusanaの誤記はSusanna 直っているし" Killed five Hundred Nigger" の大文字も直っている)少しあとの(Doverが採用した)Holt 版にどちらかというと近いように思われます。それでもすっかり同じではなくて両者を折衷し、誤りは直したような印象です(それは特に3番の "Says I, I'm coming" のところに感じる。Dover 版だと "Says I'm coming" で、話者じゃなくて夢の中のスザンナが語っているようにも見え、 初版(Earlier American Music 版=RPO版)だと "Says I, im coming from" と、まあ、19世紀に私をIとiと二つ別々に並べて書くことはないでしょうし、明らかな誤植に見えたところです。

----------------------

  で、やはり同じころ1934年に出版された、John Tasker Howard という音楽家による版――

   John Tasker Howard ed. A Program of Stephen Foster Songs (New York: J. Fischer, 1934), pp. 14-16.

 もうちょっと詳しく本から書き写すと、

 

A Program of Stephen Foster Songs. Collected, Edited & Provided with New Accompaniments by John Tasker Howard, Author of “Our American Music,” and “Stephen Foster, America’s Troubadour” Part-Song Arrangements by N. Clifford Page Price $1.50 J. Fischer & Bro., New York 119 West 40th Street

Copyright, 1934, by J. Fischer & Bro.
International Copyright Secured
Mechanical reproduction and all other rights reserved.
---------------------------------------------
The use of the arrangements in this volume is unrestricted for
public concerts and recitals, and for broadcasting by radio stations li-
censed by the American Society of Composers, Authors and Publishers.
The publishers request, however, in the case of all public perfor-
mances that announcement be made (either on a printed program or
verbally) to the effect that the songs are the work of Stephen Collins
Foster, together with information regarding the arrangement used.

   とcopyright と使用についての注意も書かれています。93pp. + xxiv.

    “Stephen Foster, America’s Troubadour” というのは前年にHowardが出したフォスターの評伝です。John Tasker Howard についてWikipedia はわずか数行しか記述してありません。――"was an early American music historian and writer. His Our American Music was an early general history of music in the United States, published in 1931. He was also the curator of the New York Public Library from 1940 to 1956." けれども、Howard (1890-1964) という人は自分も作曲家であり、ピアニストでもあった研究者でした。ともあれ、フォスターの音楽の造詣が深い人が研究書に続いて著した演奏用の楽譜集です。

   24日には見落としていたのですけど、Introduction の14ページ(XIV)に "Oh! Susanna" についての解説がありました。――

Within three years after February 25, 1848 at least twenty-one different editions of Oh! Susanna were issued by various publishers, of which nineteen were pirated by those who had no right to the song. In his early years as a song-writer, Foster often handed manuscript copies of his new songs to minstrel performers. These singers would promptly turn the manuscripts over to music publishers who would immediately copyright and issue the songs. What appears to be the first edition of Oh! Susanna was issued by C. Holt, Jr. of New York, February 25, 1848, ten months before the edition authorized by Foster appeared, an issue copyrighted by W. C. Peters of Louisville, Kentucky, December 30, 1848.
In spite of the large number of pirated editions Peters is said to have made $10,000 from Oh! Susanna and a few other Foster songs, and it is commonly supposed that Foster virtually made Peters a present of them. According to one account, Peters paid Foster $100 for Oh! Susanna. It became tremendously popular, first among the minstrel performers, and then as the marching song of the “forty-niners” on their way to California during the gold-rush.
There is no reason to believe that Oh! Susanna, like Lou’siana belle and Old uncle Ned, was written for the “Knights of the S. T.” in Allegheny. It is one of the best of Foster’s nonsense songs, infectious in its melody and rhythm, with a joyousness that is spontaneous and buoyant.

   (1848年2月25日以降3年のあいだに、少なくとも21種の異なる「おおスザンナ」の版本がさまざまな出版社から出されたが、そのうちの19はこの歌の権利をもたない者による海賊版だった。フォスターはソングライターとして駆け出しのころに、しばしば新しい曲の原稿の写しをミンストレル・ショーの演者たちに自ら手渡した。 渡された歌手たちは原稿を即座に音楽出版社に引き渡し、音楽出版社はただちにコピーライトをとって曲を出版した。「おおスザンナ」の初版と思われるものはニューヨークのC・ホルトによって1848年2月25日に出版されたもので、フォスターがauthorizeした版、つまりケンタッキー州ルイヴィルW・C・ピーターズがコピーライトをとった版が出版される10ヶ月前のことだった。多数の海賊版があったにもかかわらず、ピーターズは「おおスザンナ」とほかのフォスターの若干の歌曲で10000ドルを稼いだと言われている。また、フォスターは自分の曲を実質的にあげたに等しいと一般に考えられている。ひとつの記述によれば、ピーターズは「おおスザンナ」に対してフォスターに100ドルを支払った。この曲は非常な人気を博した。まずミンストレル・ショーの演者たちのあいだで、それからゴールドラッシュの時期にカリフォルニアへ向かった「フォーティーナイナーズ」たちのマーチ・ソングとして。「おおスザンナ」が「ルイジアナ・ベル」や「アンクル・ネッド」と同じくAllegheny の「S・T・騎士団」のために書かれたと信じる理由はない。これはフォスターのナンセンス・ソングの最善のもののひとつであり、自然にわき起こるうきうきした喜びにあふれ、メロディーとリズムがノリやすく覚えやすい。

   で、ハワードが採用したのは実はPeters版、それもあくまで3番までです。譜面の最初に左右にまたがって以下の記載があります――"Edited, with new accompaniment by JOHN TAKER HOWARD / Words and Music by STEPHEN COLLINS FOSTER/Mixed and Men’s Voice Chorus Arranged by N. CLIFFORD PAGE"

1.
I come from Alabama Wid my banjo on my knee,
I’se gwine to Lou’siana My true lub for to see.
It rain’d all night de day I left, De wedder it aws dry;
The sun so hot I froze to def-- Susanna, don’t you cry.
Oh! Susanna, do not (don’t you) cry for me;
2.
I jump’d aboard de telegraph And trabbled down de ribber,
De ’lectrick fluid magnified And kill’d five hundred nigga.
De buljine bust, and de hoss ran off, I really thought I’d die;
I shut my eyes to hold my bref—Susanna, don’t you cry.
3.
I had a dream de udder night, When eb’ry ting was still;
I thought I saw Susanna, dear, A coming down de hill,
De buckweat cake was in her mouf[,] De tear was in her eye,
I says, I’se coming from de souf—Susanna, don’t you cry.

〔楽譜の下の余白に注〕 N.B. The large notes give the melody as printed in the W. C. Peters edition in 1848. The small notes give the version commonly known.

  そして、巻末の資料の中に(p. XXII)、Holt 版の初版、つまり1848年2月25日にcopyright が取られている初版のファクシミリが掲載されています。

 

Fischer (1934) ed JohTaskerHoward_XXII.jpg


ファクシミリの外の下のところには説明として、"The Holt edition of “Oh! Susanna” copyrighted February 25, 1848. Although presumably an unauthorized edition it is, according to present knowledge, the first edition of the song. The edition authorized by Foster (published by W. C. Peters) was not entered for copyright until December 30, 1848.
Foster Hall Collection" と書かれています。ファクシミリの下のところの手書きの字はよく読めませんけど "Deposited in Clerk's Office So.[uthern] Dist.[rict] of N.[ew York] Feb. 25, 1848" じゃないかと思うのですが(ぐぐって見ての推測ですと、正式には"the clerk's office of the district court of southern district of New York" といったのかもしれない)、とにかくこれがcopyrightにかかわる記述のようで(しかし誰が書き込んでいるのでしょ。clerk なのかしら)。

   ハワードは、この1934年版では、Holt版が「unauthorizedなエディションではあるが、今日知られているところでは、この歌の初版である」ことを知りながら、しかし「フォスターのaurhorizeした版は1848年12月30日になってコピーライトをとった」ということで、少しは心揺れながらも(?) 、楽譜ではPeters版にしたがって3番までしか入れていません。そして、楽譜下の注が示すように、一般に知られている "commonly known" なメロディーとPeters 版がズレていることも知っている。自ら作曲家でもあるハワードはauthor, authority, authorizaton というものにこだわったのでしょうか。

    しかし、10年後に彼が "historical notes" の執筆者としてかかわるRandom House 版 A Treasury of Stephen Foster (1946) では、4番を3番にくりあげて、問題の2番をはずすというかたちになるのでした。これはWill Earhart and Edward B. Birge, ed., Songs of Stephe Foster: Prepared for Schools and General Use と同じ取捨選択です。50曲を収録したハードカヴァーのRandom House 版は、UCBに同じのが3冊あるくらいだから、ポピュラーなエディションだったようですけど、つぎかつぎのつぎくらいでとりあげます。

 もうひとつ、Foster Hall が出てきたので、Josiah Kirby Lillyという好事家というかFoster蒐集家について。このFoster Hall Collectionの同じ資料写真のNew York の上の――――のところで切られているのがWier 版のイラストではないかと想像されます。Foster Hall はEarhart & Birge 編のSongs of Stephen Foster の初版(1934年)を出版した Josiah Kirby Lilly が個人で収集したフォスター関係の資料を収蔵した建物です。このEarhart と Birge の本の目次の前のページに、"Foster Hall, Indianapolis, Indiana" のモノクロ写真があって、その下に説明がありました。

    The songs in this book and the greater part of the knowledge we now have of Stephen Foster’s life and work have become available largely through the efforts of Josiah Kirby Lilly, of Indianapolis, Indiana. His fondness for the melodies of Stephen Foster led him to search for first editions of these songs, and then for portraits of Foster, and for information that would throw increasing light on the composer’s life. A small building erected on his estate to house a pipe organ was named Foster Hall, and from 1931 to 1937 it became a fascinating treasure house of all things pertaining to Stephen Foster. In 1937 these things were given by Mr. Lilly to the “people of the United States,” and they are enshrined in the Stephen Collins Foster Memorial, located on the University of Pittsburg campus in the city of the composer’s birth.
  This collection of Foster songs is here presented for the second time. It first appeared in the Foster Hall edition published in 1934 by Mr. Lilly, who has since transferred publication rights to the University of Pittsburg.

Manufactured in U. S. A.
Copyright 1934 by Josiah K. Lilly—Copyright 1938 by University of Pittsburgh
University of Pittsburgh Edition printed 1938—Reprinted 1939, 1940, 1941 and 1942

 

   Josiah Kirby Lilly (1893-1966) という人は自身で1933年にフォスターの本を出していて、どうもその本と、彼の収集した資料の公開が、1934年にかくも出版が集中した背景にあるので はないかと思われますが、rare book で馬鹿高い本で、かつUCBにないので、ちょっと見る前に萎えてしまうかもしれませんが、萎えなかったらそのうちに。インディアナまで飛ぶかな。

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Indiana University の Lilly Library のページ <http://www.indiana.edu/~liblilly/tour/foyer.shtml>

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July 3  おおカリフォルニア!(11) おおスザンナ! (11) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(6) Sulzer 編 Hall & McCreary 版 (1934)  [歌・詩]

July 03, 2008 (Thursday)

6月24日にmusic library で調べたときには、関心の中心は19世紀のsheet music のファクシミリにもっぱらあったので、かならずしも20世紀の諸版をみんな仔細に見ていたわけではなかったのだが、7月2日にまた歩いて大学まで行ったときは、パソコンも持参したので(だってコピーを取っても2度手間ですし、金かかる)、ありったけの楽譜を見まくったモーリちゃんの父であった。

  Elmer Griffith Sulzer, ed. Forty Stephen Foster Songs (Chicago: Hall and McCreary, 1934) 64pp. Tall 8vo ホチキス綴じ.

"Compiled and Arranged by Elmer Griffith Sulzer" と本には書いてあるのですが、Sulzer という人は当時Lexington のKentucky大学の先生でした。その後Indiana大学へ移ります。なにが専門だったのか知りませんが(って音楽だったのでしょうね)、60年代70年代になって永年の趣味であった鉄道関係の本を出して、古典としていまでもリプリントが出ています。ちょっと我が国の小池滋さんをほうふつとさせる感じです。有名なのは "The Ghost Railroads of ~" というシリーズで、ただし、ghost というのは小池さんが好きかもしれない幽霊ではなくて、ghost town の ghost です。abandoned されてしまった廃線をこよなく愛する鉄ちゃんの本。

GhostRailroadsofIndiana_ElmerGriffthSulzer.jpg (1970)

  で、それはどーでもよくってーと。"Preface" で、つづくcopyright の部分もあわせて引くと以下のように語っています。

 

This collection of songs of Stephen Collins Foster represents the realization of a desire on the part of the compiler and publishers to make generally available a Foster song book of maximum utility. Extreme care has been exercised in following Foster’s original melodies and the spirit of his arrangements. Colorful piano accompaniments are provided where their use is desirable.

Every song is complete—all of Foster’s original verses being included. [. . . .]


Copy right 1934

By

Hall & McCreary Company

All special arrangements and harmonizations as well as all original matter herein are covered by the copyright. Therefore they cannot be used without infringement.

 

「オリジナル」の尊重を強調しつつ、アレンジも含めたcopyrightを記しています。

   で、 14-15ページに "Oh! Susanna" が載っています。歌詞を引きます。

1.
I come from Alabama Wid my banjo on my knee,
I’m g’wan to Lou’siana, My true love for to see.
It rained all night de day I left, De weather it was dry,
De sun so hot I froze to death, Susanna, don’t you cry.
Oh! Susanna, don’t you cry for me,
I’ve come from Alabama Wid my banjo on my knee
2.
I jumped aboard de telegraph And traveled down de river,
De ’lectric fluid magnified, And killed five hundred nigger;
De bullgine bust, de horse run off, I really thought I’d die;
I shut my eyes to hold my breath, Susanna, don’t you cry.
3.
I had a dream de odder night, When everything was still;
I thought I saw Susanna, A-coming down de hill;
De buckwheat cake was in her mouth De tear was in her eye,
Says I, I’m coming from de South, Susanna, don’t you cry.
4.
Oh! When I get to New Orleans I’ll look all ’round and ’round,
And when I find Susanna, I’ll fall right on de ground;
But if I do not find her Dis darky’ll surely die.
Ane when I’m dead and buried, Susanna, don’t you cry.

 

   これは、3番までしかないPeters 版を元にしつつどこからか4番を補い(" I’ll look all ’round and ’round" というちょっと字余りなフレーズがどこから来たのでしょう?) 、いっぽう3番までの語の綴りも適宜修正したという印象です。

  4番まであるところは、同年のWier と同じです。

---------------------------------

University of Louisville の Elmer Griffith Sulzer railroad collection <http://special.library.louisville.edu/display-collection.asp?ID=506> 〔"Elmer Griffith Sulzer had a distinguished career as a college professor at the University of Kentucky and Indiana University. Over time his writing more and more reflected his life-long love of trains and their history. Sulzer collected railroad material everywhere he went, both domestically and internationally, and wrote five books and more than fifty articles on rail topics for railroad specialized journals. He was a leading expert on abandoned rail lines. This collection consists of both the reference library on the subject of American and foreign railroads he assembled and work he himself generated [. . .]."〕

コメアマゾンの Ghost Railroads of Tennessee の商品ページ <http://www.amazon.com/Ghost-Railroads-Tennessee-Elmer-Sulzer/dp/0253334853>

alibris の Ghost Railroads of Kentucky の商品ページ <http://www.alibris.com/search/books/isbn/0253334845>

 


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July 3 おおカリフォルニア!(12) おおスザンナ! (12) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(1) "Earlier American Music 14" の補足 [歌・詩]

July 03, 2008 (Thursday)

    June 24 おおカリフォルニア!(6) おおスザンナ! (6) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(1) "Earlier American Music 14"を補います。 

   Stephen Foster, Minstrel-Show Songs (New York: Da Capo Press, 1980). New Introduction by H. Wiley Hitchocok.

Earlier American Music Edited by H. Wiley Hitchcock For the Music Library Association
14
Stephen Foster
Minstrel-Show Songs

New Introduction by H. Wiley Hitchcock
Director, Institute for Studies in American Music

Brooklyn College, CUNY

DaCapo Press, New York, 1980

    編者のH. Wiley Hitchcock (1923-2007) はニューヨーク市立大学のBroooklyn College の音楽の先生で、シャルパンティエとかバロック音楽が専門の学者だったようですが、Music in the United States: A Historical Introduction (Prentice-Hall, 1969) とか New Grove Dictionary of American Music (Macmillan, 1986 共編)とか、アメリカ音楽研究でも仕事を残しました。1972年からDaCap Pressから出されたEarlier American Music Series もHitchcock が出した企画のようです。

  で、読み落としていたIntroductionの関連箇所というか紹介文を補足しておきます。7月4日ですし。――

 


Born near the small but booming town of Pittsburgh on July 4, 1826, fifty years to the day after the singing of the Declaration of Independence, Stephen Foster was to write some two hundred songs (and little else) before his death in New York in 1864.  They were of two types: “household songs” for the parlor and stage songs, mostly in Negro dialect, for the blackface minstrel shows.  The present collection reprints the first editions of twenty-two (out of about thirty) of Foster’s minstrel-show songs.  The melodies, at least, of some are known to everyone.  Others are less familiar, and perhaps few are known in the original versions for voice and piano, with usually a closing “chorus” for one, two, or four voices, in which Foster published them.  (In these closing choruses, by the way, we see the roots of twentieth-century popular-song “refrains” following an initial “verse”—the “refrain” being what most of us know as the song, as opposed to the opening “verse” and its usually less shapely, less memorable music.)

 小さいけれども活気のあるピッツバーグの町に近いところで、独立宣言の唱和から50年後の1826年7月4日に生まれたスティーヴン・フォスターは、1864年にニューヨークで亡くなるまでに約200の歌曲(とそれ以外の若干の作品)を書くことになった。曲は2種類に大別される――うちの居間で歌う"household songs" と、ブラックフェースのミンストレル・ショー向けの、たいがい黒人なまりの英語で書かれたステージ・ソングに。今回のコレクションは、フォスターのミンストレル・ショーの歌(およそ30曲)の中から22を選んで初版をリプリントしたものである。いくつかの曲は、少なくともメロディーは、誰でも知っているものだ。あまり知られていないものも入っていて、また、フォスターが発表したかたちでの一、二、ないし四声の結びの「コーラス」を伴う歌とピアノのオリジナル版ではたぶんほとんど知られていないものもある。(ついでながら、このフォスターの結びのコーラスに、20世紀のポピュラーソングの頭の「ヴァース」に続く「リフレイン」のルーツを見ることができる――私たちの大半がその歌として知っているのは「リフレイン」のほうで、ヴァースの方じゃない。オープニングのヴァースは、たいてリフレインよりもかっこうが悪くてリフレインよりも頭に残らない)。

  その次の段落では、フォスターの、とくにミンストレル・ソングを南部に結びつける傾向があるけれど、フォスター自身は南部も南部の黒人も知らず、スワニー川を見たこともケンタッキーの家を見たこともなかったこと、フォスターは19世紀北部におけるミンストレル・ショーという、北部の白人のコメディアンと楽団からなら劇場での娯楽のための曲だったことが書かれます。Yesterdays: A History of American Popular Songs を書いたCharles Hammという学者によれば、「フォスターに対する黒人音楽の影響はまったく見られない」。とか1ページ半くらいの序文なのですけど、とくに「おおスザンナ」については、 "Old Folks at Home" (「故郷の人々」)がChristy の名で出版された(ただしこれは "piracy" ではない。フォスターはミンストレル・ショーの曲の出すことにとまどいがあってクリスティーが自分のものと主張することを許した」 ("lingering doubts about the propriety of his publishing songs for the slightly disreputable minstrel shows and specifically allowe E. P. Christy to claim Old Folks at Home as his") 話から、しかしこの曲はhousehold songs のほうに見られるノスタルジアとか悲しみとかと共通するものがあるのであって、ミンストレルの曲のほうは概してはしゃいだり、ユーモラスだったり(たとえば「おおスザンナ」の詩の何食わぬ様子のナンセンス(deapan nonesense)のように)する、という一節で言及されるだけです。

  で、こういう序文を書いて(Hitchcock はこのアンソロジーより前に同じシリーズの2でフォスターの"Household Songs" のほうを先に出しているのですが)学識と蘊蓄を開示しつつも、texutual criticism みたいなものはなんもないのでした。ファクシミリをコピーしてペーストしただけじゃんか! どこを探しても、どうしてHolt 版を採用したのかは書いてありませんでした。歴史的な価値ということでしょうか。そうなんでしょうね。1946年のRandom House 版のJohn Tasker Howard の注によると、Holtの初版はこれまでのところ世界で3部しか発見されておらん激レアな本だそうですし。cover の「おおスザンナ」へのチェックのしかたを見ると、このファクシミリの元になったのはFoster Hall Collection のなかのcopyright のdepositが記入されているのとは違うブツですね。

 

OH! SUSANNA.
Sung by G. N. CHRISTY, of the CHRISTY MINSTRELS.  [Holt 初版 1848.2.25 copyrighted]
1.
I came from Alabama
wid my banjo on my knee,
I’m gwan to Lousianna,
My true love for to see,
It rained all night de day I left  
The weather it was dry,
The sun so hot I froze to death  
Susanna, dont you cry.
Oh! Susanna Oh! dont you cry for me
I’ve come from Alabama wid my banjo on my knee.
2.
I jumped aboard de telegraph
And trabbelled down de riber,
De Lectric fluid magnified,
And Killed five Hundred Nigger
De bullgine buste, de horse run off,
I realy thought I’d die;
I shut my eyes to hold my breath,
Susana, dont you cry.
        Oh! Susana &c.
3.
I had a dream de odder night,
When ebery ting was still;
I thought I saw Susana,
A coming down de hill.
The buckwheat cake war in her mouth,
The tear was in her eye,
Says I, im coming from de South,
Susana, dont you cry.
       Oh! Susana &c.
4.
I soon will be in New Orleans,
And den I’ll look all round,
And when I find Susana,
I’ll fall upon the ground.
But if I do not find her,
Dis darkie’l surely die,
Ane when I’m dead and buried,
Susana, dont you cry.
        Oh! Susana &c.

 

 

----------------

"H. Wiley Hitchcock, 1923-2007" <http://www.artsjournal.com/postclassic/2007/12/h_wiley_hitchcock_19232007.html> 〔Kyle GannさんのPostClassic ブログ 2007.12.07 人柄をしのぶobituary〕 

"H. Wiley Hitchcock: Pioneer in American Music Studies" <http://www.independent.co.uk/news/obituaries/h-wiley-hitchcock-pioneer-in-american-music-studies-764841.html> 〔イギリスのThe Independent 紙のobituary 2007.12.13〕 

"H. Wiley Hitchcock, at 84; leading music scholar, writer" <http://www.boston.com/bostonglobe/obituaries/articles/2007/12/10/h_wiley_hitchcock_at_84_leading_music_scholar_writer/> 〔BostonGlobe のobituary 2007.12.10〕 

Society for Earlier American Music <http://www.americanmusicpreservation.com/SEAM.htm> 〔AmericanMusicPreseravation.com のなか〕


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July 3 おおカリフォルニア!(13) おおスザンナ! (13) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(7) District of Columbia Work Projects Administration 版 (1939, 1941) [歌・詩]

July 03, 2008 (Thursday)

昨日あらためてひとつひとつ確認して、前はヘンなの-、とほおったけれど、ひろいなおした拾遺。つうか、7月4日だし、みたいなことで。あらかじめ書いておくと、これは1番しか載っていないので、歌詞的には考察外です。けれど、1939年に最初に出て1941年に2刷り(らしいが、謄写版みたいな手作りのものなので、少なくとも最初の部分は彫りなおしている)がでている、ちょっと愛国的な色彩が感じられる冊子なので、記述しておきたいと思います。

   Stephen Foster Songs (District of Columbia: Adult Education Unit Division of Community Service Programs, 1939)  

12cmx18cmくらいのぺらぺら紙ののガリ版で 20pp.

Stephen Foster Songs
Adult Education Unit Division of Community Service Programs
District of Columbia Work Projects Administration
表紙裏にはアメリカ国歌 “The Star-Spangled Banner” が刷られている。(ちなみに裏表紙の裏には Samuel Francis Smith の “America” が刷られている。  “Oh! Susanna,” “My Old Kentucky Home,” “Massa’s in the Cold Ground,” “Old Black Joe,” “De Camptown Races,” “Old Folks at Home” の6曲を本文に所収。
Songs of Stephen Foster
April, 1939
Reprinted February, 1941
Prepared by Blanche Eberman, Elizabeth Freeman, Ethel Loke
Under the Guidance of William W. Champion and James A. Pawley, Frances O. Thomas, Curriculum Specialists / Edgar H. Elam, Administrative Supervisor/Illustrated by Ellen V. Sobotka, Federal Arts Project, and Alan Morow
DISTRICT OF COLUMBIA
WORK PROJECTS ADMINISTRATION
PAUL EDWARDS, ADMINISTRATOR
DIVISION OF COMMUNITY SERVICE PROGRAMS
AMALIE S. FAIR, DIRECTOR

何人かの人の肩に*がついていて、いまはここにいない(つまり1939年から2年を経て、現職ではなくなった)旨の注記がありました。

 Adult Education Unit というのだから成人教育という部門でしょうか。District of Columbia の Work Projects Administration は、検索するといくつもの冊子を出版していますが、どれもパンフレット的な質素なもののようです。

1ページから4ページはイントロダクションです。ワープロで打ちなおすと、悲しいくらいにちぢまってしまいます。

 

All of us know and love the songs of other lands. We learned them when we were children. Our parents and our grandparents sang them to us, over and over again. They sang to us of love and home. They sang to us of romance and patriotism.
The United States is a young and growing country. We do not have many songs that tell us of the past. And yet one man gave his life to writing songs that tell us a part of the life of America.
No man ever gave so many tender songs to a country as Stephen Foster. In the few, short years that he lived he wrote many melodies that will always live in the hearts of Americans.
Stephen Foster was born on July 4, 1826, in Lawrenceburg, Pennsylvania, a little town that was to become part of the big city of Pittsburg. As a small boy he liked to visit the Negro camp meetings and listen to the soft harmonies of the colored people. He seemed to understand and to love them.
His later life was very unhappy. But the tenderness and simplicity of his songs have brought him lasting fame. Today, his songs are known and loved by every American. He died, poor and alone, in New York City, in 1864, with many songs still unwritten, still unsung.
Today, when we sing “Old Folks At Home,” we find that time has stool still to pay tribute to one of the tenderest melodies ever written.
A few of the best loved songs of Stephen Foster have been collected here. They are for you. We want you to learn them, to sing them and to love them. They are a part of the reward for being an American.
 (私たちのみんなが、他の土地〔国〕の歌を知っているし愛しています。私たちが子供のころにならった歌です。私たちのおとうさん、おかあさんやおじいさん、おばあさんが私たちに歌ってくれた歌、くりかえしくりかえし。愛を歌い、家を歌う歌。私たちにロマンスと愛国心を歌ったのでした。/合衆国は、若くて成長過程にある国です。私たちは過去を語る歌をそうたくさんはもっていません。それでも、ひとりの人がそのいのちをかけて私たちにアメリカのいのちの一部を語る歌を書きました。/ひとつの国に対してスティーヴン・フォスターほどたくさんの優しい歌をささげた人はいません。その短くわずかな生涯にフォスターはアメリカ人の心にいつまでも生き続けるたくさんのメロディーを書きました。/スティーヴン・フォスターは1826年7月4日に、ペンシルヴェニア州ローレンスバーグという、のちにピッツバーグという大きな都市に組み込まれることになる小さな町に生まれました。少年のころ、フォスターは黒人の野外伝道集会(Negro camp meetings) に参加して、黒人たち(the colored people) の優しいハーモニーに耳を傾けるのが好きでした。フォスターは黒人の歌を理解し愛するようでした。/フォスターの晩年はたいへん不幸でした。けれどもフォスターの歌曲のもつやさしさと素朴さにより、永遠の名声を得ました。今日、フォスターの歌曲はすべてのアメリカ人に知られ、愛されています。フォスターは1864年、数多くの曲がまだ書き上げられぬまま、まだ歌われぬ〔2009.6.11訂正〕ままに、ニューヨークで貧しく孤独のうちに亡くなりました。/今日、私たちが「故郷の人々」を歌うときに、私たちは、時がとまって、かつて書かれた最も優しいメロディーのひとつを称えている、といった感慨を抱きます。/スティーヴン・フォスターの最も愛された歌曲から数曲をここに収めました。あなたのために。あなたに、フォスターの歌を覚え、フォスターの歌を歌い、フォスターの歌を愛してほしい。フォスターの歌はアメリカ人であることのごほうびの一部なのです。)

 

  と、自分の訳文に酔って涙ぐみながら訳しましたが、フォスターの誕生日がアメリカ独立記念日と同じ(その50年後)という偶然はおいても、Americanness というものに、政治的であれ無意識的であれ深くかかわってきたか、かかわるものとされてきたか、かかわるものであったらしいことをあらためて思わされるのでした。図式的に見れば、第一次大戦後に国威が発揚したアメリカにおいてヨーロッパ(とくに英国)の文化的属国ではない独自の文化の主張をみたいなところで、20世紀の新しい芸術を主張すると同時に過去の文化に新たな目が向いたのか(文学でいうとフォークナーやヘミングウェーやらのロスト・ジェネレーションの文学がアメリカ独自なものとして称揚されるいっぽうでメルヴィルが再発見されるとか19世紀にもあらためて目が行く、あるいは純粋芸術運動みたいなところとポーの芸術至上主義的な志向をもったcomposition 論がつながるとか)なあ、とか思ったりします。

pp. 5-6 "OH! SUSANNA"
I came From Alabama with my banjo on my knee,
I’m going to Louisiana, My true love for to see.
It rained all night the day I left, the weather it was dry,
The sun so hot I froze to death; Susanna, don’t you cry.
Oh! Susanna, oh, don’t you cry for me,
For I’m going to Lousiana with my banjo on my knee.

 

Stephen Collins Foster 1826年7月4日生まれ、1864年1月13日没、享年37。

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フォスターが亡くなったときにポケットに入っていたとされる紙切れ


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July 3 おおカリフォルニア!(14) おおスザンナ! (14) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(8) Random House 版 (1946) [歌・詩]

July 03, 2008 (Thursday)

いま、アメリカ西海岸は7月3日夜9時をまわったところです。明日のアメリカ合衆国独立記念日は図書館が休みなだけでなく、小学校(サマースクール)もアダルト・スクール(英語)も休みで、あとレストランの一部も休みで。

   昨日言及した、John Tasker Howard が関わった、第二次大戦後まもなくの50曲をおさめるハードカヴァーの楽譜本。実は編者が明記されていません。

   A Treasury of Stephen Foster. New York: Random House, 1946. Foreword by Deems Taylor; Historical Notes by John Tasker Howard; Arrangements by Ray Lev and Dorothy Berliner Commins; Illustrated by William Sharp. 222pp.

Deems Taylor の"Foreword" (pp. 7-8) は1ページと3分の2ぐらいの短いもので・・・と書いている最中にぽんぽこぽんぽこおとがするのでベランダに出てみると対岸で花火があがってました。

   と、えーと、「茶髪のジェニー」(ちがうか)のもつ力を語ったあと、フォスターがだまされ搾取されたという一般的な見方に抗して、フォスターを搾取したのはただふたりだけ、「故郷の人々」の作者をかたったクリスティーと、「おおスザンナ」を買ったかもらったかしてそれによって得た収入をフォスターとわけあわなかったピーターズだ、ちうようなちょっと偏った話のあとは、フォスターの作品のもつ力について語り、その秘密は、アメリカの音楽文化につねに存在したギャップを埋めるのに力があったからだと言います。――

It [his secret] was, I think, that he helped to fill a gap that had always existed in our musical culture. Techinically, we have no folksongs. Our ancestors, coming here from all quarters of the globe, brought with them the folksongs of what had been their native lands. These songs went into the melting pot and emerged, warped and often corrupted. They were recognizable, but they were not, and are not, peculiary ours. It is ironic that the only race that developed a folksong literature in this country is the race that was brought here against its will, and was and has been the most brutally exploited of all--the Negro. The Negro spirituals and Stephen Foster's songs are the nearest to completely indigenous folksongs that we possess.

この一節の前半は、ひとつ前にとりあげた1939年のガリ版の序文と似たものを語っていますが、後半は黒人音楽とフォークソングをちょっと同一視しすぎている感じがあります(もちろん20世紀というか19世紀終わりからのジャズ、ブルース、あるいはゴスペル、そして20世紀後半にそれらがfuseしてロックを生んで、みたいなことを考えると黒人音楽の力は大きいのだけれど、フォスターに関してはちょっとずれているように思われます(よくわからんけど)。でも、アメリカンネスということとのつながりで引いておきます。

     John Tasker Howard はこの本では曲ごとに冒頭に "Historical Notes" を書いているのですが、Taylor に続けて、しかしTaylor より長く5ページびっしりで "Stephen Collins Foster" という題の小伝を冒頭に執筆しています(pp. 9-12)。

   [. . .] Stephen was a good bookkeeper; there is no evidence to support the legends that he was an idler and neglected his work.  But he was always primarily interested in writing music and verses, and he spent much of his spare time cultivating the acquaintance of minstrel performers who might sing his songs in public.  Some of these singers were unscrupulous and took the manuscript copies to publishers who promptly issued pirated editions.  When Stephen himself found a publisher to issue Oh! Susanna and Old Uncle Ned, several other firms had already published these songs.

      Oh! Susanna was probably composed before Stephen went to Cincinnati, but it was while he was there that he came in touch with W. C. Peters, a music publisher Stephen's family had known in Pittsburgh.  Stephen gave Peters a number of songs, either for $100, or as an outright present, we do not know which.  Peters made a fortune from them and Foster had no royalty interest.  Instead, he gained from the songs the fame he needed to establish himself as a song-writer.  Oh! Susanna became a folksong almost overnight.  The Forty-niners caught it up and sang it on their way to California, and there was hardly a minnstrel troupe that did not sing it at every performance.

      As a result of thsi success, two publishers, one in New York and the other in Baltimore, offered Stephen royalty contracts and agreed to pay him two cents for every copy of his songs they sold. [. . .] (p. 10)

 

     "Oh! Susanna" は31から33ページに譜面に2番まで、あと3番が歌詞だけ最後に載っています。曲の前に "historical note" がついています。――

 Oh! Susanna was written for the minstrel shows, and like many minstrel songs, it has served other purposes, too.  Within a year after it was first published, it became the marching song of the "forty-ningers" on their way to California, and today it is considered the theme song of the gold-rush and the slogan of pioneers.

    Foster himself never derived much financial profit from the song, even though it established his reputation as a song-writer.  According to tradition, he gave it (together with several other of his early works) to W. C. Peters, a music publisher of Cincinnati adn Louisville.  Some of Foster's friends said that Stephen made Peters an outright present of the songs, and others claim that he received $100 for them.  Whichever version of the story is true, the transaction amounted to a gift, for Peters is said to have made $10,000 from Oh! Susanna.

    Peters copyrighted the song December 30, 1848, but it had been issued by another publisher (C. Holt, Jr., of New York) in a pirated edition ten months earlier, and copyrighted February 25, 1848.  Within three years from that date eighteen further pirated editions were printed by various publishers. In those days copyright laws were lax, and composers who were in the habit of giving manuscript copies of their songs to minstrel performers were apt to find that unscrupulous singers would take the songs to publishers and often represent themselves as the authors.

    Early editions of Oh! Susanna are prized by collectors of historic sheet-music, and the Holt edition is a rare treasure.  Accoriding to present knowledge, only three copies of the first edition are known to be in existence.

   ちょっと眠くて9時過ぎどころか11時すぎてしまったので、訳はいずれ補うことにして、歌詞だけ書き留めておきます。おやすみなさい。

1.
I come from Alabama
with my banjo on my knee;
I’se gwan to Lou'siana 
My true lub for to see.
It rain'd all night de day I left,
De weadder it was dry;
The sun so hot I froze to def,
Susanna, don’t you cry.
Oh! Susanna, do not cry for me;
I come from Alabama, Wid my banjo on my knee.
2.
I had a dream de udder night,
when ebry ting was still;
I thought I saw Susanna dear,
a coming down de hill,
The buckweat cake was in her mouf,
de tear was in her eye,
Say I, I'se coming from de souf,
Susanna don't you cry.
3.
I soon will be in new Orleans,
And den I'll look all 'round,
And when I find Susanna,
I'll fall upon de ground.
But if I do not find her,
Dis darkey'll surely die,
And when I'm dead and buried,
Susanna don't you cry.

 

 

 

 

 

 


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July 3 対岸の花火 fireworks on the other side of the Bay: conncern of ours [Berkeley]

July 03, 2008 (Thursday)

いま7月4日の朝9時過ぎなのですが、昨日3日の夜9時半ごろベランダから撮った遠くの花火の写真を載せます。Sausalito あたりなのかしら。

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ううむ。花火が見えない。

 

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このまんなかのです。

 

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1895859

しょぼい写真(笑)

 

   花火は危険なものなので、アメリカが日本を占領していたときは火薬製造を禁止したためになかなか花火を解禁しなかった(でも在庫の花火で最初1946年の7月4日のアメリカ独立記念日に米軍基地で打ち上げ花火があげられたりした)みたいなことがありましたが〔花火 wikipedia〕、アメリカ本土では州により、また都市により、花火の購入や使用を法律でいろいろ制限しています。カリフォルニアは "California Fire Code" で規定しています。各自治体はいろいろ議論して修正やらを加えるようですが、もっとも花火についてだけ議論しているわけでなく、fire code というのは一方で山とか自然環境内での火気について規定し、もう一方で建築物の安全のために、ガス・電気などで火災を起こさないための安全の確保や消化器・スプリンクラー・煙探知器など防火・消防の設備や、避難口や、いろいろ規定しているもののようです。

   ともかく花火は区域限定というところが多いのですけど、7月4日の独立記念日は例外的に認められるということのようです。えーと、いつもためになることを書いているOrange County のTAEKOさんの文章がわかりやすいです。「夏の風物詩「花火」もアメリカでは、場所によっては違法になっちゃうよ~July 4th~」 

   でもカリフォリニアはここのところ落雷(lightning) による山火事がものすごい数で起こっていて、たしか先週の水曜日に手話知事が手話で、じゃないやシュワちゃんが談話で7月4日の花火の使用・購入は自粛してください、と訴えていました。落雷による山火事のシーズンは例年はもう少し遅いのだそうですが、「山火事にもはやシーズンはないのだー There is no fire season anymore 」とかシュワルツェネッガー知事がテレビで言っているのを見ました。

 さいわいアルバニー・ヒルやバークレー・ヒルはだいじょぶのようです。それでも日によると北のナパあたりから煙っぽい空気が漂ってきているらしいのがわかります。Numata Yehan (沼田恵範)がたちあがったバークレー・ヒルズのwildfire (前に書いたBerkeley Bohemia の記事参照)というのはやっぱり落雷によるものだったのでしょうか。

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(今日のニュース) "Wildfire Chases July 4th Visitors from Big Sur" <http://hosted.ap.org/dynamic/stories/W/WILDFIRES?SITE=NCAGW&SECTION=HOME&TEMPLATE=DEFAULT&CTIME=2008-07-04-11-59-29> 〔WORLD Magazine|Today's News 2008.7.4.11:59 AM EDT 写真アルバム付き〕

"Calif. Wildfire Moving Closer to Big Sur: Gov. Schwarzenegger Warns Against Using Fireworks" <http://www.ktvu.com/weather/16714667/detail.html> 〔KTUV.com 2008.6.26 あと、100マイル競走が空気汚染のために中止になったとも〕

"Governor: Don't Buy, Use Fireworks" <http://www.msnbc.msn.com/id/25377291/> 〔msnbc LocalNews:Sacramento,CA via.KCRAchannel.com 2008.6.25〕

「花火は安全に気をつけて」 <http://applecheese.blog58.fc2.com/tb.php/747-3dbbf87e> 〔「花火は安全に気を付けて正しい方法で楽しみましょう」という話で「消費者製品安全委員会」という団体の人が実演を交えた中継で出演。Applecheese Diary さんのブログ 2008.6.26〕

「夏の風物詩「花火」もアメリカでは、場所によっては違法になっちゃうよ~July 4th~」 <http://www.design-penguin.com/OC/life/fireworks.html> 〔TAEKO のOCへいこう!/ORANGE COUNTY の記事 〕

"The Fourth of July Parade Huntington Beach" <http://www.cooknengr.com/blog2/archives/2005/07/the_fourth_of_j.html> 〔たくさん写真が並んでいるcooknengrさんのブログ 2005.7.4〕

 


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July 4 「読んでいるブログ」 女探偵物語 探偵日記 Favorite or bookmarked blogs Female detective story [ブログ blog]

July 04, 2008 (Friday)

アメリカ独立記念日の今朝、起きてブログのページをあけたら、「読んでいるブログ」にひさしぶりに更新されたブログがふたつあって、うれしくなった。

   ひとつは「女探偵物語 探偵日記」という、いかにもモーリちゃんの父好みのブログです。今日の記事は「女探偵物語 芸能事務所で見つかった盗聴器」という、日常と非日常の裂け目のようなものを感じさせてしみじみする話です。ブログの説明として「女探偵の探偵日記。女探偵物語。・・・・・・」とも書いてあるのですが、これまで130以上書かれた記事のタイトルは「女探偵日記 家出少女」 というのと「女探偵物語 浮気調査ダブルヘッダー」というのと、日記と物語とふたつあり、モーリちゃんの父的には日記が物語になる瞬間の謎を解明するヒントを与えられるのではないかと期待している。いっぽう記事には「浮気現場 御用でござる」というような、タイトルからしてござる調の文章もあるのでござる。

   去年の9月16日に不意に始まっているのですが、今回のは5月の頭からひと月あいだをおいての更新でした。情報提供・情報管理についても学ばせていただきたいので、ぜひ続けていただきたい。ちょっとリンクをクリックするのにビビってしまうデザインなのが難点(?)w

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nancy-drew-2.gif

    "girl detective" Nancy Drew

BrotherOwensStoryofAnneRodway_WilkieCollins.jpg

最初の"female detective" とされる Anne Rodway (Wilkie Collins, "Brother Owen's Story of Anne Rodway" [1856; のちに短篇集The Queen of Hearts (1859) に所収])

 

femaledetectiveMs.Tree.jpg

          "female detective" Ms. Tree

 

OnnaTanteihaMiwa_01.jpg

 

 BannaiTarako.jpg

          Female Detective Bannai Tarako

 


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July 4 SF ベイ花火地図 祝独立記念日 [America]

July 04, 2008 (Friday)

いまアメリカ西海岸は午後6時になるところです。まだまだ日差しが強く、外は明るいです。

   調べてみたら今日のサンフランシスコの花火は9時半ごろに開始予定のようです。それで、サンフランシスコ湾の花火関係地図と、催しの案内へのリンクが載っているページがあったので、貼っておきます(まあ、他にも同種のものはあるのでしょうが)。

   San Francisco Bay Area - Fourth of July Fireworks and Celebrations

〔About.Com.: San Francisco <http://sanfrancisco.about.com/library/sfmaps/bljuly4map.htm>

   This map shows places to publicly celebrate the 4th of July in San Francisco. Fireworks can be viewed from many vantage points around San Francisco Bay (provided you can find some room). These locations are hosting celebrations in addition to the nighttime viewing of the fireworks displays over the Bay.

 

   モーリちゃんたちは自分のルームから見るつもりです。 

ではまた。

  (って誰向けのブログなんでしょうw)

 


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May 5 とびだすアメリカ (1) Pop-up America [本・読み物 reading books]

May 05, 2008 (Monday)

この日、日本の子供の日のプレゼントとして日本人のモーリちゃんに日本人のモーリちゃんの父が与えたアメリカの本。

   Robert Sabuda, America the Beautiful (New York: Little Simon, 2004). 16pp. 10.3 x 8.2 x 1.9 inches.

 

16ページしかないのに無茶苦茶滅茶苦茶分厚い本であります。"paper engineer" で "pop-up book artist" の第一人者と言われているRobert Sabuda ロバート・サブダ(サブーダと発音するのではないかと思う; 1964 年ミシガン州生まれ)の基本的に白紙だけのポップアップ絵本です。赤が最初の金門橋Golden Gate Bridge でだけ使われて、あとちょこちょこっとシルバーが一部で加わっています。あ、ポップアップ部分の色の話です。

  PopUp.jpg

   最後のニューヨークの自由の女神のページの左下に小さなこれもまたポップアップの冊子がくっついていて、ここに詩が書き込まれていますが、それがタイトルの"America the Beautiful" という、1895年に発表された有名な愛国歌で "American hymn" と称される詩です。Sabudaのポップアップ本はこの詩に歌われるアメリカの風景にインスパイア(つうほどでもないでしょうが)されてつくられました。作者のKathalene Lee Bates (1859-1929) は東部マサチューセッツの Wellesley Collegeの英文科の先生だった女性詩人です。1895年の独立記念日、7月4日に、The Congregationalist という週刊新聞に掲載されたもの。世紀が変わって人気が出て、いくつかの曲にあわせて(つまり替え歌みたいなもんです)歌われていますが、1882年につくられていたSamuel Ward という人の賛美歌にあわせて歌われるのが一般的です。Frank Sinatra の歌でお送りします。

 



なんか花火がはじまっているよ、と呼ばれたので続きはまた。

 


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July 4 とびだすアメリカ(2) Pop-up America [歌・詩]

July 04, 2008 (Friday)

つづきです。

   BGM レイ・チャールズのヴァージョン



歌詞を載せます。

 America the Beautiful

O beautiful, for spacious skies,
For amber waves of grain,
For purple mountain majesties
Above the fruited plain!
America! America!  God shed His grace on thee,
And crown thy good with brotherhood, from sea to shining sea.

O beautiful, for pilgrim feet
Whose stern, impassioned stress
A thoroughfare for freedom beat
Across the wilderness!
America! America!  God mend thine ev'ry flaw;
Confirm thy soul in self control, thy liberty in law!

O beautiful, for heroes proved
In liberating strife,
Who more than self their country loved
And mercy more than life!
America! America!  May God thy gold refine,
'Til all success be nobleness, and ev'ry gain divine!

O beautiful, for patriot dream
That sees beyond the years,
Thine alabaster cities gleam
Undimmed by human tears!
America! America!  God shed His grace on thee,
And crown thy good with brotherhood, from sea to shining sea!

   いま訳している余裕はないので、対訳が付いている「アメリカ・ザ・ビューティフル 世界の国歌 WORLD ANTHEM presented by 世界の民謡・童謡」のページにリンクします。 なんか前置詞for のとらえ方と、トンコ法、あ変換しない、頓呼法、つまり「~よ」という呼びかけの対象がアメリカのはずなのに、あちこちに呼びかけているのがおかしいと思うのですが・・・・・・。あとGod のあとの動詞は3単元、いや3単現のsがないから祈願の仮定法現在なのだが。

  レイ・チャールズは歌詞の順番が違ったので、リリアン・ガルシアの歌をもう一度BGMに〈上の世界の国歌のページのリンクしているyoutubeのKelly Clarksonもレイ・チャールズと同様に3番から歌ってました)――

 




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「米国国歌」 <http://plaza.harmonix.ne.jp/~eino/thema/anthem.html> 〔「 教会の英語教室で国歌の話がでたとき、平和を求める現代に、戦いの歌を国歌にしておくのはどうかという意見もあって、私たちはこの歌を国歌の代わりによく歌うのよ、と教えてくれた。」 キャサリン・リー・ベイツについての地元ファルマスのサイトの紹介と歌詞と曲へのリンクを含む「inoさんの雑記帳」のページ。 2001.9.20〕 

「アメリカ・ザ・ビューティフル ポップアップbyサブダ America the Beautiful / Robert Sabuda」 <http://www5a.biglobe.ne.jp/~ehonnoie/pickuppast140.html>〔内容を順を追って紹介している(でもゴールデンゲート・ブリッジは実物もサブダの本も、オレンジではなくて赤です。販売している。あとハロランふみ子の中公新書の訳の一部を紹介している〕


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July 5 とびだすアメリカ(3) Pop-up America [本・読み物 reading books]

July 05, 2008 (Saturday)

     昨夜の独立記念日の花火ですが・・・・・・9時頃から10時過ぎまで見ていたのですけど・・・・・・音は大きいが花火は遠くにちっちゃく見えるだけでした。でも左手の南はたぶんOakland から、正面の San Francisco 、ちょっと右(北)のSausalito 、もうちょっと北のどこか、さらに北のどこか、さらに北のどこか、さらに北のどこか、と、サンフランシスコ湾を囲んで30度おきぐらいにあっちこっちでフラッシュしていたので、それはいっしゅ壮観でした。またしょぼい写真を並べてもいいのですが、meteor さんの「Love from California・・・」blogの「July 4th 花火」の記事をリンクさせていただきます(動画つきです)。サンフランシスコの南にお住まいです。

   Sabudaという人が1965年生まれということで思ったより若かったので、なんか気になって調べてみたのですけど、日本にも来てるし、昨年うるるんで紹介されていたのですね。2006年12月13日から28日まで池袋西武百貨店で「ロバート・サブダ しかけ絵本の世界展」があり、翌2007年

   大阪 サブダ サイン会 youtube 〔2007年3月〕

   Ururun Robert Sabuda and Matthew Reinhart youtube  〔 世界が注目する飛び出す絵本の世界 (旅人:大東俊介 場所:ニューヨーク)「世界ウルルン滞在記」2007年6月24放送〕 

 

     気さくなおにいさんですか。

   Robert Sabuda & Matthew Reinhart | etapes.com  〔Sabuda とReinhart のふたりで、経歴や作品について、また、質問に答えてアニメーションとポップアップの比較などを気さくに語っています。2007年5月パリ〕 

    モーリちゃんはとても喜んだ。喜んだのだがすぐに工作を始めた。そしてモーリちゃんとモーリちゃんの母の白い人形をこしらえるとアメリカの各地にふたりで旅した。首都に飛んだ――

Book104.jpg

 

  蒸気船にとび乗ってミシシッピ川を下った。テレグラフ号かどうかはわからないが――

Book095.jpg

   足が出るのは悪いくせ。

   〈著作物の同一性保持権に抵触しないことを祈る) 

--------------------------------- 

「きれいのタネ:ロバート・サブダ展」 <http://blog.livedoor.jp/gen96_cat/archives/50526498.html> 〔池袋西武の展覧会についての源九郎さんのblog 記事 2006年12月13日〕

the Official Website of Robert Sabuda <http://www.robertsabuda.com/> 〔Robert Sabuda の公式ホームページ〕 

"A Video Interview with Robert Sabuda" <http://www.readingrockets.org/books/interviews/sabuda/> 〔READINGrockets (Reading Rockets: Reading Comprehension & Language Arts Teaching Strategies for Kids)の作家ビデオインタビューシリーズ〕

 「同一性保持権」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E4%BF%9D%E6%8C%81%E6%A8%A9> 〔著作権者ではなくて著作者のね〕


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July 5 "Oh! Susanna" の日本語歌詞をめぐって (1の上篇) [歌・詩]

 July 05, 2008 (Saturday)

 

   なんとなく、日本語で歌われてきた歌詞も気になってきた(これはつまり英語の問題というのじゃなくです。歌われない翻訳はとりあえずおいておきます)。それで、津川主一 (1896-1971) という、明治生まれのクリスチャンで合唱音楽・コーラスを日本に広めた人が「夢地より」や「おおスザンナ」や「なつかしのケンタッキーの我が家」などフォスターの作品もたくさん訳していて(津川は「線路は続くよどこまでも」や「アロハオエ」とかも訳していますが、YMCA・YWCAの合唱運動とかと関係しているのかと推測します)「おおスザンナ」は津川訳を年配の人(モーリちゃんの父は知らない詞だったので、おそらく団塊の世代から上の人たちではないかと推測)は歌ったようなので、そのへんから整理してみることにしました。と言ってはみても私は日本からカリフォルニアへ根性をもって出かけてきたところですから、資料をネット以外であたれないので、ネット限定推測だらけのものになることをお断りしておきます。

 カワイ出版が出している『混声合唱のためのフォスターアルバム』を見ると、全曲津川主一訳で、かつ日本語も旧かなが入っているようです――「懐しの我がケンタッキーの家」「故郷の人々(スワニー河)」「草競馬」「ネリー・ブライ」「おゝレミュエル」「金髪のジェニー」「おゝスザンナ」「オールド・ブラック・ジョー」「夢地より」<http://www.kawai.co.jp/shopping/detail.asp?code=6463>。むろんこの本とかにあたるべきなのでしょうが無理ですから。

 津川主一の著作を検索して調べてみると、『降誕祭独唱聖歌集』(由木康と共編 1937)、『子供の降誕祭――ピアノ・オルガン独奏組曲』(1937)、クルト・ロンドン『映画音楽の美学と科学』(翻訳1944)『アメリカ民謡の父フォスター』(1948)、ベルリオーズ『管弦楽合唱指揮法』(翻訳1948)、『合唱音楽の理論と実際』(1950)、『讃美歌作家の面影』(1955)、『こどもの歌若人の歌』(大中寅二と共編1956)Hymns in English and German(1957)、『音楽とプロテスタンティズム』(1957)、『ジュビリー・シンガーズ――物語と黒人霊歌集』(1960)、『楽しい民謡コーラス』(1960)、『教会音楽5000年史』(1965)、とキリスト者としての姿勢が感じられる仕事が多い。1948年にフォスターの本を出すわけですが、アメリカで1930年代にフォスターの再評価が盛んに行なわれたのを受けてのことだったのでしょうね(といまのモーリちゃんの父には推測されます)。

 

はっきり津川主一訳と記載されていて漢字もちょっと古い感じのがこれです。

おゝスザンナ


<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 

わたしゃアラバマから ルイジアナへ
 バンジョーを持って 出かけた処です
  降るかと思えば 日照りつづき
   旅はつらいけど 泣く[?]じゃない
    おゝスザンナ 泣くのじゃない
     バンジョーを持って 出かけた処です

船に乗り込んで 河をくだり
 さまざまの事に 出あいました
  ときには死ぬような 思いをして
   息をこらしたり 立ちすくんだり
    おゝスザンナ 泣くのじゃない
     バンジョーを持って 出掛けた処です 

<http://www.jttk.zaq.ne.jp/babpa300/aisyou/oosuzanna.html>

そして前に2番を引用したサイトから――


私ゃアラバマから ルイジアナへ
バンジョウを持って 出掛けたところです
降るかと思えば 日照(ひで)り続き
旅はつらいけど 泣くのじゃない
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

船に乗り込んで 川を下り
さまざまなことに 出会いました
ときには死ぬような 思いをして
息をこらしたり 立ちすくんだり
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

けれど静かな夜 夢の中に
幾度(いくたび)スザンナを 見たことだろう
丘をおりて来る あのスザンナに
南から来たと 私は言う
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

やがてルイジアナへ 着く日が来る
そしたらスザンナに すぐに会える
けれどもしかして 会えなかったら
生きてるつもりは 少しもない
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/oh_susanna.html

 津川主一の訳は、「問題」の2番を、あるしゅ意訳して「暴力性」をやわらげて訳しています。とくに「さまざまの事に出あいました〔さまざまなことに出会いました〕」という訳は原詩の意味がとれなかったか、あやまってとってマズイと思ったかして、ごまかしている感じです。けれども、大意として実はあっていると思う。つらつら考えると、モーリちゃんの父の読みが正しければ、この旅は基本的に船旅です。バンジョー肩にかついで歩いて旅しているのではなく、船に乗り込んでバンジョーを膝に乗せて他の黒人たち(500人?)とたぶんアラバマ川を下ってメキシコ湾に出て西へちょっといったらニューオーリンズの港です。そのへんは津川訳は(ちゅうか、他の訳もですが)伝えていないと思います。第1節の「降るかと思えば日照り続き」も原詩では "It rain'd all night the day I left, The weather it was dry, /The sun so hot I frose to death" で、出立した日の(あるいは次の日の)ことをもっぱら言っているので、旅の途中で毎日の天候がそうであったと言っているようには見えません。なぜなら過去形だからで、いまが旅の途中なのだから、旅の天気はこうであった、と過去形になるのはおかしい。いやおかしくはないが違う言い方になるだろう。まあ要するに降ったり照ったりと訳しているわけで、原文のナンセンスなところは第2節ともども読んでいないか読めていないか訳していないと思われます。

    (つづく)
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July 5 "Oh! Susanna" の日本語歌詞をめぐって (1の中篇) [歌・詩]

(つづきです。ひさしぶりに50000字制限にひっかかって、カットしたらまだだめで、またカットして3分割になってしまいました。らくなコピペはいかんですか)

 

次のは、訳者名がなく、タイトルも「おお!スザンナ」となっていますが、明らかに津川主一の訳の修正版です。

 

わたしゃアラバマからルイジアナへ
バンジョーを持って出かけたところです
降るかと思えば日照りつづき
旅はつらいけど泣くのじゃない
おおスザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出かけたところです

船に乗り込んで河を下り
さまざまの事に出逢いました
時には死ぬような思いをして
息をこらしたり立ちすくんだり
おおスザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出かけたところです

けれど静かな夜夢の中に
いくたびスザンナを見たことだろう
丘をおりて来るあのスザンナに
「南から来た」とわたしは言う
おおスザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出かけたところです

やがてルイジアナへ着く日が来る
そしたらスザンナにすぐ逢える
けれどもしかして逢えなかったら
生きてるつもりは少しもない
おおスザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出かけたところです

http://nocturne.vis.ne.jp/word/cafe/cafe11.html

 

おおスザンナ
一.
  私ゃアラバマからルイジアナへ バンジョーを持って出かけたところです
  降るかと思えば日照りつづき 旅はつらいけど泣くのじゃない
       おおスザンナ泣くのじゃない バンジョーをもって出かけたところです

二.
  船に乗り込んで河を下り さまざまな事に出あいました
  ときには死ぬような思いをして 息をこらしたり立ちすくんだり
       おおスザンナ泣くのじゃない バンジョーをもって出かけたところです

三.
  けれど静かな夜夢の中に いくたびスザンナを見たことだろう
  丘をおりてくるあのスザンナに 南から来たとわたしは言う
       おおスザンナ泣くのじゃない バンジョーをもって出かけたところです

http://homepage1.nifty.com/irino/kennishi/kusabue/oosuzanna.htm

 

わたしゃアラバマからルイジアナへ ワテがケモノ・バンドのリーダーだス^^バンジョーを持って出かけたところです 降るかと思えば日照りつづき 旅はつらいけど泣くのじゃない おおスザンナ泣くのじゃない バンジョーを持って出かけたところです フィドラーだス^^船に乗り込んで河を下り さまざまな事に出逢いました 時には死ぬような思いをして 息をこらしたり立ちすくんだり けれど静かな夜夢の中で メンバー足りないんで、アルバイトだス^^いくたびスザンナを見たことだろう 丘をおりて来るあのスザンナに 「南から来た」とわたしは云う 楽器も足りないんで、洗濯板だス^^やがてルイジアナへ着く日が来る そしたらスザンナにすぐ逢える けれどもしかして逢えなかったら 生きてるつもりは少しもない

http://blogs.yahoo.co.jp/yacup/49012125.html

 

 

「おおスザンナ」

わたしゃアラバマから ルイジアナへ
バンジョーをもって でかけたところです
ふるかとおもえば ひでりつづき
旅はつらいけど 泣くのじゃない
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョーをもって でかけたところです

 

某(ソレガシ)光圀公 水戸藩主
印籠持 全国漫遊中
干天慈雨少々 日照続
一日米四合 味噌屑野菜
嗚呼 助・格 泣言厳禁
三十有余年 無給労働                      

http://www.din.or.jp/~showray/akatuki3.htm

 

次のは圭一となってますが、同じです。

 

日本語歌詞 by津川圭一
1 私ゃアラバマからルイジアナへ
バンジョーを持って出掛けたところです
降るかと思えば日照り続き 旅はつらいけど泣くのじゃない
おお スザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出掛けたところです

2 船に乗り込んで川を下り
さまざまな事に出会いました
時には死ぬような思いをして 息をこらしたり立ちすくんだり
おお スザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出掛けたところです

3 けれど静かな夜夢の中に
幾度(いくたび)スザンナを見たことだろう
丘をおりて来るあのスザンナに 南から来たと私は言う
おお スザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出掛けたところです

4 やがてルイジアナへ着く日が来る
そしたらスザンナにすぐに会える
けれどもしかして会えなかったら 生きてるつもりは少しもない
おお スザンナ泣くのじゃない
バンジョーを持って出掛けたところです

http://www.geocities.jp/machi0822jp/ohsussana.htm

 

 

もうひとつ津川圭一(途中まで)、あと注釈もあり― http://www.hfc-south.com/9boushu/347.html


 (つづく)


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July 5 "Oh! Susanna" の日本語歌詞をめぐって (1の下篇) [歌・詩]

(つづきです。

すいません、予想外に3分割となりましたので上からごらんくださるとありがたいです)

 

次のは津川主一訳と明記されているのですがほんとなんでしょうか? 「バンジョー肩に」というのはモーリちゃんの父の教わったフレーズなのですけど。「おおスザンナ泣かないでね」はないと思うのだが……。

おおスザンナ
http://homepage2.nifty.com/stn/ohsusan.mid
津川主一訳詞
フォスター作曲
わたしはアラバマから バンジョー肩に
はるかなルイジアナまで 行くのです
どしゃぶりかと思えば かんかん照りで
死ぬほど辛い旅を しています
おおスザンナ 泣かないでね
素敵なバンジョーの歌 思い出して

http://homepage2.nifty.com/stn/y03oosuzan.html

ううむ。

 「素敵なバンジョーの歌」というのも「はるかなルイジアナ」というのも日本語がヘンだ。

 

一方、次のは堀内敬三の詞でさらに久保田麻琴補作詞曲となってますけど、明らかに津川主一が元ですねえ。

オー・スザンナ 

詞:堀内敬三
:S.C.Foster
補作詞曲:久保田麻琴
Tuba:
久保修平
Background vocals:King ChamD, Sandi&
麻琴

わたしや アラバマからルイジアナヘ
バンジョー持って出かけたところです
降るかと思えば 日照続き
旅は辛いけれども泣<んじやない
※オー・スザンナ 泣<んじやない
旅は辛いけれども泣くんじやない
※repeat

そして舟に乗り込んで河を渡り
さまざまな事に出会いました
時には死ぬような思いをして
息を殺したり 立ちすくんだり
repeat 4times

わたしや アラバマからルイジアナヘ
バンジョー持って出かけたところです
いつかはきっとたどり着<だろう
あの河の向うに輝くディキシー・ランド
repeat 2 times

http://www.development.ne.jp/~beatle/wiki/index.php?cmd=read&page=Song%2F%CD%BC%BE%C6%A4%B1%B3%DA%C3%C4#v71241f6

 

 

久保田麻琴って、夕焼け楽団の久保田麻琴ですねー。モーリちゃんの父は去年広島の中古レコード屋でで元奥さんのサンディー (& the Sunsetz) Rhythm Chemistryという1987年のアルバムをタイトルとジャケットに引かれて買いました。

 

あ、補作詞の前のヴァージョンはけん――

オー・スザンナ /斉藤哲夫 堀内敬三作詞/フォスター作曲 

      斉藤哲夫編曲

わたしゃ アラバマからルイジアナヘ
バンジョーを持って出かけたところです
降るかと思えば 日照り続き
旅は辛いけど 泣くのじゃない

※オー・スザンナ 泣くのじゃない
 バンジョーを持って出かけたところです

舟に乗りこんで 河を下り
さまざまな事に であいました
時には死ぬような思いをして
息を殺したり 立ちすくんだり

Song/武蔵野フォーク

 

   斎藤哲夫って、今の君はピカピカにてかって~♪、いや光って~♪ の人ですよね。あ、 いや、堀内敬三プラス斎藤哲夫ということですか。つーことは津川主一プラス堀内三プラス斎藤哲夫で、前のは津川主一プラス堀内敬三 +久保田麻琴なのね。

 

   久保田麻琴と斎藤哲夫 はだれの詞に対してであれ「補」といちおう言っているわけだが、堀内敬三はどういうスタンスだったのでしょう。堀内敬三は(も)ウィキペディアに載っています。引きます。――

 

 

堀内 敬三 (ほりうち けいぞう 1897126 - 19831012日) は、日本の作曲家、作詞家、訳詞家、音楽評論家である。

浅田」オーナーの堀内伊太郎の三男として生まれる。大正10年にミシガン大学、次いでマサチューセッツ工科大学大学院を修了した。本来は工学専攻であったが、ミシガン大学併設の音楽学校でも学び、帰国後作曲作詞音楽之友社創立に携わった。NHKラジオの「音楽の泉」でも有名である。外国で入手した楽譜と語学力とを活かして優れた訳詞を行い、日本の翻訳歌曲を芸術の域に高めた(主観的表現に注意)。これらの訳詞は永井郁子の日本語による独唱会(初回は大正14111日、帝国ホテル演芸場。同様の会が3年にわたって開かれた)向けに短期に集中して行われたと思われる。

また自他共に認める鉄道ファンであった。<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%86%85%E6%95%AC%E4%B8%89>

 

     1897年生まれというと 津川主一 (1896-1971) のひとつ下なのですね。堀内と久保田と斎藤の3人がそれぞれどのようにオリジナリティーなりなんなりを出したのかはっきりしませんけど、はっきりわかるの は、津川主一の訳が堀内敬三より前に存在したのならば、堀内訳というのは津川主一の名前なしには出せないだろうと推断されることです。逆に堀内敬三の訳 が、久保田麻琴、斎藤哲夫による改変部分を戻したときに津川訳に似ており、津川訳より前に存在していたのならば、津川主一の訳というのはなんだったのか、 ということになる。それともネットにでまわっている津川主一訳は堀内敬三訳なのでしょうか。いや、上のふたつのサイトが津川と堀内を取り違えて、誤って堀 内敬三と書いている可能性が高いですかね。いやあインターネットってほんとこわいですね。

  あ、この回の上に載っている津川主一の訳はへんなので、上篇で引いた次のリンクをご参照ください。 < http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/oh_susanna.html >

 

ううむ。しかし堀内敬三はフォスターを訳しているのも事実ですな。『世界の愛唱歌ベストコレクション』の「故郷の人々(スワニー河)」、『大石昌美ハーモニカ選集世界名歌篇』の「夢路より(夢見る君)」。まあ、これも間違っている可能性はあり。

 --------------------

「斉藤哲夫ライブ」 <http://yaplog.jp/marantz/archive/374> 〔今年2008年2月の妙見山某所でのライブをつづるレトロボーイブルーズさんのブログ。続々に登場ですが、最初の弦楽器の臨場感あふれる写真もよいです。ブルーグラス、カントリー、ブルース、みんな民衆のという意味でフォークという感じがする〕

 サンディー「グッドバイ・モーニング」youtube

Sandii, "Aloha 'Oe" youtube

久保田麻琴「遠い願い」youtube

 

 


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June 30 Pg4のミステリー――本の電子化について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (2) [本・読み物 reading books]

(1 からのつづき) 1はあとです(わーかえって混乱かも)

    Jean Webster (née, Alice Jane Chandler Webster, 1876-1916) が『あしながおじさん』を出したのが1912年ですが、Vassar 女子大を出て2年後の1903年にはそれまで書いていた短篇小説を編んでWhen Patty Went to College という小説で実名(というかJean Webster 名で)デビューしているので、この本が名無しで出たのはジャンルの問題なのかもしれません。

  モーリちゃんの父的にはもちろん女探偵か少女探偵か、悪くても女ワトソンを期待するわけですが、残念ながら探偵役のTerry Patten (Terence K. Patten) は男ですし、語り手も男なのでした。 まだ読みかけですけど、最初の導入はつぎのような感じです。ニューヨークの弁護士事務所で働く「私」は過労による神経衰弱で静養が必要となり、子供のころ過ごしたことのある南部ヴァージニアの、Shenandoah川流域にあるFour-Pools Plantation という大きな農場に行くことになります。おじさんのColonel Gaylord と息子(つまり私のいとこ)のRadnor (Rad) が大勢の黒人をかかえてプランテーションを経営しています。おばさんは亡くなり、娘のNannie は父親に結婚を反対されて駆け落ちし、死んでしまった、というしらせを「私」は前に聞いていました。それと長男のJeff というのがいたのが、不良になって行方知れずになっている。Rad は私の8つぐらい年下で、「私」は小さいときのやんちゃなRadの記憶しかないのですが、「私」がよく覚えている兄のJeff に似て美男子に成長しています。少年時代から18年訪ねていないと言っていること、それと12歳の少年だった、と言っていることから、語り手の「私」は30歳ぐらいの青年じゃないかと思われます。ということで、サラシナ・ニッキみたいなキュートな女探偵を期待したモーリちゃんの父はがっくりきて2章で本を取り落としそうになってしまいました。

  気を取り直して・・・・・・農場に到着した晩に幽霊騒ぎが起こります。幽霊が食事を盗んでいったと黒人が騒ぎます。幽霊を見たという黒人もいる。「私」は、ひとりだけ特別扱いされている、ちょっと薄気味悪い黒人のMose を怪しいと思い、さらに真夜中のMoseの行動を疑うのですが、おじさんは、Moseに限ってそんなことはないといい、幽霊騒ぎ自体をバカバカしい、と息子と一緒に否定します。けれども息子のRadが奇妙な行動をするようになる・・・・・・。

  というあたりでやめておきますが、読んでいてニューヨークから南部にすぐに舞台がぶっとんだんで意外でした。 ウェブスターはニューヨーク州南西端のErie湖のそばにあるFredoniaという村の生まれですが、5歳のときにNew York Cityの邸宅に一家で引っ越しています。1897年、21歳になってニューヨーク市近郊のVassar College (当時女子大)に進学して、友人関係も含めて文化的刺激を受けます。処女作と同様に大学生活をモデルにしたといわれる『あしながおじさん』とかはニューヨーク市をひとつの舞台としながらもいくつかの田舎や海や山を描いて田園対都会という伝統的な構図をもっているのでしょうけど、しかし南部が出てくるとは。それも黒人英語がモロ出しに会話で出てきます。スティーヴン・フォスターもまっつぁお・・・・・・でもないか。こんな感じです。

    We were sitting on the portico after supper one night—it was almost dark and the glow from our cigars was the one visible point in the scenery—when Mose came bounding across the lawn with his peculiar loping run and fairly groveled at Radnor's feet, his teeth chattering with fear.
    "I's seen de ha'nt, Marse Rad; de sho nuff ha'nt all dressed in black an' risin' outen de spring-hole."
    "You fool!" Radnor cried. "Get on your feet and behave yourself."
    "It was de debbil," Mose chattered.  "His face was black an' his eyes was fire."
    "You've been drinking, Mose," Radnor said sharply.  "Get off to the quarters where you belong, and don't let me see you again until you are sober," and he shunted the fellow out of the way before he had time to say any more.
    I myself was tolerably certain that Mose had not been drinking; that, at least, was not in the list of his peculiar vices. He appeared to be thoroughly frightened—if not, he was a most consummate actor.  In the light of what I already knew, I was considerably puzzled by this fresh manifestation.  The Colonel fretted and fumed up and down the veranda, muttering something about these fool niggers all being alike.  He had bragged considerably about Mose's immunity in respect to ha'nts, and I think he was rather dashed at his favorite's falling-off.  I held my peace, and Radnor returned in a few minutes. (Ch. 5, "Cat-Eye Mose Creates a Sensation")

    2段落目のMose のセリフ――I's seen=I have seen=I saw.  de=the.  ha'nt=haunt=ghost.  Marse=Master.  sho nuff=sure-enough=real.  outen=out of.

   ウェブスターの母親はMark Twain の姪(ウェブスター自身を姪のように書いている記事がありますがまちがいです)にあたり、ウェブスターの父親は、1888年に仕事に行き詰って精神的におかしくなり1891年に薬の多量の服用により自殺してしまう、そのおかしくなるしばらく前までマーク・トウェインの本を出版したCharles L. Webster Publishing の所有者でした。それで、この作品であてこすりがあるとは思わないけれど、南部的なものとかをマーク・トウェインの作品を通して学んだとかあるのだろうか、と夢想します。少なくとも、話し言葉のスタイル、それもユーモアが底流に強く流れている語りのスタイル、はマーク・トウェインに通じるものだと思います。が、やっぱりもうひとつ意外だったのは、nigger ということばが、たくさんたくさん出てくることでした。マーク・トウェインへのあてこすりだとは思わないけれど。アマゾンの宣伝とか見ると対象年齢をけっこう子供からに設定している出版社があるのだけれど、今日の一部のPC的な感覚からしてだいじょうぶなんですかね。

   * * * * * * * *

   それにしてもどうしてこんなにたくさん去年から今年にかけて同じ本が何種類も出ているのでしょう。ネットで検索してみると、この作品がe-text化されて、一日1章読もうページとか、有名なGutenberg とか、Internet Archive とかで無料で読めるようになっていることがわかりました。次のLibriVox: Acoustical Liberation of Books in the Public Domain というページは、e-text だけでなくmp3 も含めてネット上の情報を各種与えています。

  LibriVox » The Four-Pools Mystery by Jean Webster (Catalogued on May 20, 2008)

  このページを見つける前に、Gutenberg で昨年の4月30日にe-textになったことを知りました。この作品の場合、初版のCentury版に基づき、初版の挿絵もおさめています。そして右の余白に初版のページ番号も示してあります(こういうのはGutenbergの場合テキストによって異なっていると思います)。入口はここ(アメリカではcopyrightはないが、他の国の場合ダウンロード前に確認するよう注意があります)かもしれませんが、挿絵つきのmirror site はここです。

  classicistranieri.com - The Mirrored Project Gutenberg eBook of The Four-pools Mystery, by Jean Webster

   さて、開けていただくと上に書いたように本文の右側に[Pg v]とか[Pg 3]とか初版のページが記してあるのがわかると思います。そして本文を数行にわたってコピーしようとするとこの部分も入ってきます。その場合どこに入るかは画面の幅によって違ってきます。モーリちゃんの父が買った本の1ページ目のまんなかへんにあった [Pg 4] はこれと考えてまちがいないと思います。

 Our firm rarely dealt with criminal cases, but the Patterson family were long standing clients, and they naturally turned to us when the trouble came. Ordinarily, so important a matter would have been put in the hands of one of the older men, but it happened that I was the one who had [Pg 4]drawn up the will for Patterson Senior the night before his suicide, therefore the brunt of the  

  また得意の推断ですけど(笑)。推断を続ければ、昨年の夏からのもろもろの版の多くはe-text を、それも人のつくったe-text をもとにしたもの、あるいはe-textをもとにしたさらなるe-textであるのではないかと思われ。例外として、初版と同じページ数のKessingerは、この出版社らしく初版のファクシミリであるはずです。

  なんだかモーリちゃんの父はさみしくなってしまいました。

  そして今日、記事を書こうとふたたび調べていたら、昨年の5月にこの作品について書いている日本の人がいることを知りました。――

  「2007年5月日記 [e-book diary--電子テキスト、翻訳、批評]」 <http://ebookdiary.hp.infoseek.co.jp/diary_6.html> 〔May 9, 2007 とそれに先立つMay 1 の日記を参照〕

  お名前を表立っては記していないようなのですが、翻訳リンクを見て、ご自身でいろいろ青空文庫とか杉田玄白とかで翻訳作品を出している林清俊さんであることがわかりました。5月1日の日記のなかには次のように書かれています。

  ・・・・・・本日Project Gutenberg から興味をひく本が三冊出た。

  • The Four Pools Mystery by Jean Webster
  • The Black Cross by Olive M. Briggs
  • The Attempted Assassination of ex-President Theodore Roosevelt by Bloodgood

最初の本は「あしながおじさん」の作者のミステリーだ。1908年、彼女のキャリアのごく初期に書かれたものだ。期待して読んでみよう。・・・・・・

  いやあ、日記を拝読して、読書三昧、文学への愛を感じました。そして訳者やのお、という感じでたいへん感銘を受けました。同時に紙の本にこだわって、e-text では通して読むことを考えたことのなかった自分の不明を恥じました。ちょっとだけ。だって目悪くなりそうだしー。

  しかしe-textをただ紙に落としただけのものよりはe-textのほうがはるかによい。検索もできるし。

  あ、あとタイトルが "The Four Pools Mystery" となっているものが多いのですが、"The Four-Pools Mystery" と"Four" と "Pools" をhyphenでつなぐのが正しいです。初版では表紙も扉も本文も一貫して "Four-Pools" です。Virginia州北部を流れるShenandoah 川の流域に農場はあるのですが、その地域では一番広いと書かれる敷地のなかに池というか沼が4つあって、そこから農場の名前が "Four-Pools" なんす。こういうところをおろそかにしたり、出版年を1907としたりするいいかげんな仕事をするのは出版社として落第です。他人のパンツ、いやふんどしで相撲を取るようなのもいやだなあ。

 2007-2008_TheFourPoolsMystery_ABCE_EFGH_.jpg

他人の画像か・・・

 

 Webster_The_Four-Pools_Mystery.jpg

自分の本の自分の画像

 

つづきの記事――「July 19 ウェブスターの『フォー=プールズ・ミステリー』または本の電子化とテキストの正確性について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (続き)

-------------------------------------------------------------------------------------------------- 

林清俊 「2007年5月日記」 <http://ebookdiary.hp.infoseek.co.jp/diary_6.html> 〔e-book diary--電子テキスト、翻訳、批評

Internet Archive (archive.org) ではe-text が作品によると複数種類、複数のフォーマットで入っていますが、Texts ではなくて"Audio" にはLibriVox のものが入っています―<http://www.archive.org/details/four_pools_mystery_lb_librivox> 〔2008.5.20〕

InternetArchive (archive.org) のe-text には DjVu, PDF, TXT, Flip Book, HTTP でおさめられています。<http://www.archive.org/details/fourpoolsmystery00websiala>

LibriVox (librivox.org) <http://librivox.org/> 〔他の情報へリンクしつつふたつ上の自らの作成した音声ブックへもリンク〕

The Project Gutenberg eBook of The Four-pools Mystery, by Jean Webster <http://mirror.pacific.net.au/gutenberg/2/1/2/6/21264/21264-h/21264-h.htm> 〔2007.4.30〕

classicistranieri.com - The Mirrored Project Gutenberg eBook of The Four-pools Mystery, by Jean Webster <http://www.classicistranieri.com/english/2/1/2/6/21264/21264-h/21264-h.htm> 〔Classici Stranieri

DailyLit: Four Pools Mystery, The: Preview:1 <http://www.dailylit.com/books/four-pools-mystery/1> 〔DAILYLIT のページ〕

When Patty Went to College, etext at "A Celebration of Women Writers" <http://digital.library.upenn.edu/women/webster/college/college.html> 〔UPenn の企画〕

"Jean Webster - Vassar College Encyclopedia" <http://vcencyclopedia.vassar.edu/index.php/Jean_Webster>

 

 いちおう

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June 30 Pg4のミステリー――本の電子化について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (1) [本・読み物 reading books]

June 30, 2008 (Monday)

    この日、週明けだったせいかしらんが、たまっていたかのように荷物が4つ届いた。3箱は本で、ひとつはCrystal Gayle のCD (微笑)。

  実は本屋の alibris のクーポンの期限が迫っていたので、この日の1週間くらい前に、なんか高くていい本はないかな、と考えているなかで、『あしながおじさん』を書いたジーン・ウェブスターが匿名で出した推理小説の初版はないかしら、と思い浮かんだ。そうして調べてみたら、検索結果のなかにBurtの初版と称するものはひとつあったのだけれど、他にぼこぼこリプリント版が出てきたことに驚いてしまった。

  Century 初版の表紙はこれです(ダストジャケットなし)――

 The Four-Pools Mystery_cover500.jpg

  [Jean Webster.]  The Four-Pools Mystery.  New York: The Century, Co., 1908.  336pp. [1st US ed.]

    [Jean Webster.]  The Four-Pools Mystery.  New York: A. L. Burt, 1908.  336pp.

    Jean Webster.  The Four-Pools Mystery.  London: Hodder and Stoughton, 1916.  248pp.  [1st UK ed.]

   Burt という出版社はハードカバーだけど廉価なリプリント版を出す出版社だと記憶していますので、Century 版がアメリカの初版です。また、1907年出版とする情報もネットに流れていますが、本本体にはcopyright が1907, 1908 となっているけれど、すぐ下に "Published, March, 1908" と書かれています。

    で、従来は上の古本3冊しかなかったはずなのですけど、昨年から今年にかけて以下のように池袋、いや目白押し状態で並んでいます。(今なぜか日本のアマゾンのほうが多く並んでいるので参照―勧誘ではありません―)――

  A.  The Four-Pools Mystery.  Wildside Pr (2007/5/30).  152pp.TheFour-PoolsMystery_Wildside Pr (May2007)_152pp.jpg

    B.  The Four Pools Mystery.  IndyPublish.com (2007/09).  176pp.TheFourPoolsMystery_IndyPublish.com (Sept2007)176pp.jpg

    C.  The Four Pools Mystery.  Book Jungle (2007/7/20,30,9/30).  228pp.TheFourPoolsMystery _BookJungle(July2007)_ 228pp.jpg

    D.  The Four Pools Mystery.  Stardard Pubns Inc (2007/11/30).  228pp.TheFourPoolsMystery_StandardPub_30Nov2007_228pp.jpg

    E.  The Four-Pools Mystery (1908).  Kessinger Pub Co (2007/11/30).  344pp.TheFour-PoolsMystery(1908)_Kessinger (Nov2007)_344pp.jpg

    F.  The Four-Pools Mystery.  Oak Grove, Kindle Edition (2007/12/23).  539KB.  Print Length: 172pp.TheFourPoolsMystery_KindleEditionPR.jpg(←このKindle Edition のはただの宣伝用の絵です)

    G.  The Four Pools Mystery.  Biblio Bazaar (2008/1/31).  172pp.TheFourPoolsMystery_Biblio Bazaar (Jan2008)_172pp.jpg 

    H.  The Four Pools Mystery.  Tutis Digital Pub, Great Classic Series (2008/2).  352pp.TheFourPoolsMystery_Tutis Digital Pub (Feb2008)_352pp.jpg

   「なか見!検索」というのが DとF以外はついているので、クリックすると皆どれもG にシューレンしてしまうのでした(これじゃ「なか見」じゃなくてよそ見だよー)。モーリちゃんの父が買ったのはHの一番ページのある版です。実はalibris は送料がかかるし、不幸なことにカリフォルニアに会社があるので(笑)、カリフォルニア住民が注文するとtaxがかかってしまうので、送料無料のAmazon prime をフリートライアル後にそのまま継続してしまったAmazon で買った。これはLarge Print ということはわかっていたのですが、目が疲れなくていいかなと。ま、一番安く手に入るのを選んだというのが正直なところです。$13.67でした。

    で、届いたのを見て、どうも違和感がありました。ラージプリントというのは昔からあって、でも印字自体が特殊ということはなかったと思うのですが、まったりしたゴシック体のひげなしフォントでした(サンセリフ sans serif というやつ)。そう、type じゃなくてfontと呼ぶのがあっているようなコンピューター的な字。出版社名が目に留まらなかったのかもしれません。本を開けてみると、正しくは "Tutis Digital Publishing Private Limited" という社名なのでした。

 Webster_The_Four-Pools_Mystery.jpg

   しかし許せんのは1ページのまんなかへんの

       the one who had [Pg 4] drawn up the will

   ですね。

   (つづく)  (あ、前の記事です)

 

 

 


 


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June 30 Pg4のミステリー――本の電子化について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (補足) [本・読み物 reading books]

July 07, 2008 (Monday)

    どうでもいいような話なのですが・・・・・・alibris をあらためて見たら、別の表紙がありました。

 TheFourPoolsMysteryLaregePrint_BiblioBazaar.gif

The Four Pools Mystery (Large Print Edition)($11.41~)

Binding: PAPERBACK

Publisher: BiblioBazaar

Date Published: 2008

ISBN-13: 9781434681911

ISBN: 1434681912

 

しかしBiblioBazaarは中に入れていたはずなのだが・・・・・・

 9781434681904.gif

 もうひとつ。同じだけどへぎ板1枚狭いような表紙のこれ。こっちはこういう記述です($11.31~) ――

Binding: Paperback

Publisher: BiblioBazaar

Date Published: 2007

ISBN-13: 9781434681904

ISBN: 1434681904

え、2007だったの。みたいな。alibris の場合、カバーの画像があっても "Cover may not depict edition offered for sale" と書いてあったりして、ほんとのところどの版なのかわからんときがあります。古本屋はそのへん――出版社、出版年、ハードかソフトか、できれば総ページなど・・・・・・本のサイズまでは求めませんが――をちゃんと記述すべきなのだが、「古本屋」自体も「出版社」同様にプロ意識が希薄なところが多くなったようで。

 BiblioBazaar という「出版社」のやつはあまぞんじゃぱんによれば、こいつが表紙でした。――

G.  The Four Pools Mystery.  Biblio Bazaar (2008/1/31).  172pp.TheFourPoolsMystery_Biblio Bazaar (Jan2008)_172pp.jpg  

 

そして、これはいくつかの他の「出版社」の 「なか見検索」でリンクする表紙でした。まあ、モーリちゃんの父の感覚だと、こういう表紙カバーって昔のスクリブナーとかにあったなあ、という感じはしていたのですが。まあ、BiblioBazaarなるところが実際どういうtextを出してるのか調べる気力も起こらないですが。

と書いてはみたものの、BiblioBazaar自体は調べることはでけますな。

ググルと。――

・はてなダイアリ――「このキーワードはまだ登録されていません。 」     だったら検索の一番にしゃしゃりでてくるんじゃない! といいたいモーリちゃんの父である。

・ 楽天市場――「ご指定の検索条件に該当する商品はありませんでした。 」    だったら検索の2番にしゃしゃりでてくるんじゃない!といいたい気がする。

・「ある何が私の物は私の物である」――「 [本]鉱山の鉱山はである何- G MacDonald - 2006年- books.google.com
… 鉱山の鉱山のページの版権はである3.2. ES SENTIAL BO良いMA RKETのページか。 2006年
鉱山の鉱山JIIL BIBLIOBAZAARのページは…である5.がBiblioBazaarジョージMacDonald」   ・・・・・わ、わけがわからん。

 ・・・・・・ってまあ、ググるが日本語ページの検索がなぜか デフォルトになっているせいなのですが。英語を入れると出ました。

   The Biblio Bazaar [BIBLIO BAZAAR: THE ESSENTIAL BOOK MARKET]

   ホームには"a unique online bookstore offering thousands of classic and hard to find books" 〔"hard to find" な本というのはrare books を言う常套句です(でした)。「古典的な稀少本を数多く提供するユニークなオンライン書店」〕とだけありますが、"about us" を見ると、仕事が次のように説明されています。――

 

Founded by leaders in the publishing industry, BiblioBazaar and its niche bookstore BiblioGrande, support projects for the digital preservation of classic material and make these works available for sale in printed form as a new paperback book. We are working hard to bring back the canon of global out-of-print literature and books.

Our goal at BiblioBazaar is to help readers, educators and researchers by bringing back in print hard-to-find original publications at a reasonable price and, at the same time, preserve the legacy of literary history.

Our catalog is always growing, so if you would like to receive updates as to our newest additions, email us and we'll keep you informed. If you are a book retailer or library and would like to place direct orders with us at a 20% discount please email us at wholesaleAni_060.gifbibliobazaar.com to obtain your login information.

If you're interested in a particular genre or language, please mention that in your email.

requestAni_060.gifbibliobazaar.com.

Stop straining your eyes! All of our books are available in a large print edition in addition to the regular print one.


Contact :
BiblioBazaar, LLC
P.O. Box 21206
Charleston, SC 29413
 [イカ略]
 
  ふーん。 すべてregular と largeの二つの版があるのね。古典的canonをディジタル化して文化遺産として残すとともに、安価なペーパーバックで印刷して読者・教育者・研究者の便宜に供するというのはわかるけどねー。「出版業界のリーダーたちによって創設され」って、誰なのだろう。ちこっとだけ興味がわいてきた(と日記には書いておこう)。

 

 

 

 
  

本のidentityを確保するためにはISBN(: International Standard Book Number) でいくしかないですかね(でもペーパーバックなんかだと表紙が変わっても、あるいはひどい場合だと編者が変わっても、国際標準図書番号は同じだったりするんですよね)。なんか商売くさくていやだったのですけど。

 

 


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July 7 永久切手 Forever Stamps (ニュース) [モノ goods]

July 06, 2008 (Sunday)

    アマゾンへ、どうしょうもないとわかった本(The Four-Pools Mystery ではないです)を返品(返本)しようと、 モーリちゃんの父は日曜日にあれこれと調べていたのですけど(この件はいずれ成功したら書くかもしれません)、返送用の値段を調べようとUSPS (United States Postal Service) のホームページを開いて、Pricesのところを見たら、つぎのような広告が上に載っていました――

usps_pricing_promo_forever.jpg

 

  「永久切手 今買って、永久に使って。 あなたの買って⇒」みたいな。ちがうか。

  モーリちゃんの父は、これは一度買うと永久に使える切手、と、もちろん思いました。はがすのはどーすんだろーなー、とは思いましたが。何十ドルかするのだろうなあとか。あと、これと同じデザインの切手は4月に郵便局で買ってもいましたが、それがむしろ思考をただす方向に作用しないのがアメリカという土地の不思議なところ(w。

   で、クリックして見ると、 "Issue City: Washington, DC 20066 Issue Date: May 12, 2008" として、次の記述がありました。――

On May 12, 2008, in Washington, DC, the Postal Service™ re–issued the non–denominated First–Class Mail definitive Forever Stamp™ (Liberty Bell). The stamp was designed by Carl T. Herrman of Carlsbad, California. The stamp was first issued in 2007.

The Forever stamp will always be valid as First–Class postage on standard envelopes weighing one ounce or less, regardless of any subsequent increases in the First–Class rate. The stamp art depicts the Liberty Bell, which is perhaps the most prominent and recognizable symbol associated with American independence. Over the years, the historic significance of the bell’s message has transcended our national borders, and today the Liberty Bell is an international icon of freedom. Replicas of the Liberty Bell exist in all fifty states and the District of Columbia.

The stamp art features a computer–generated image of the Liberty Bell by nationally acclaimed artist Tom Engeman of Brunswick, Maryland. His previous projects for the Postal Service include stamped cards for Carlsbad Caverns National Park (2002), Ohio University (2003), and Columbia University (2003), as well as the 2003 American Eagle definitive stamp, and the National World War II Memorial stamp issued in 2004.

   2007年に最初に発行された切手が5月12日に増刷されたというのでした。で、1オンス以下の1st クラスの郵便料金として永久に有効な切手だと。今後郵便料金が値上げされてもForever 切手は使えるというのでした。

   なあんだ。そういうことか。

   2007年4月12日に41セントで発売開始を伝えるUSPS 内のニュース (2007.3.26)― "USPS Stamp News: Nation Gets Sneak Peak Peek of the Forever Stamp" <http://www.usps.com/communications/newsroom/2007/sr07_011.htm> 。この記事を見ると2007年5月14日に41セントから42セントになってもみたいに書かれているのですが・・・・・・モーリちゃんたちは去年のことはぜんぜんわかりません。

   さて、「自由の鐘」はSabuda のAmerica the Beautiful の裏カバーにもひびわれた姿でイラストが載っていますが、モーリちゃんの父が最初に行くことを考えていたPhiladelphia に本物はあるはずです。しかし50州全部(とWashington DC)にレプリカがあったのは知りませんでした。 あ、日本版のウィキペディアはていねいな記事のようです(「自由の鐘」)。・・・・・・あー、英語版からの翻訳ですか。

   それで、Wikipediaにも載っている写真を見ても、よく刻印された字が読めないのですけど、切手(の元画)は読めますねー。さすがコンピューター。本物以上のリアリティー。

   上の"Prices"からのリンクページの画像をクリックしてもある程度大きいですけど、USPS内にはいろいろなところからいろいろなヴァージョンの画像(っていったって基本的には同じ切手なのですが)にリンクしています("forever stamp" search results: <http://search.usps.com/search?q=forever+stamp&btnG.x=0&btnG.y=0&btnG=Search&site=(USPS_com)|(News)&entqr=3&entsp=a&output=xml_no_dtd&sort=date%3AD%3AL%3Ad1&client=uspsSearch&srchGo.x=0&ud=1&oe=UTF-8&ie=UTF-8&srchGo.y=0&proxystylesheet=uspsSearch&num=15&numgm=15>)。

     それで、あれこれ見てみると、やっぱり郵便料金があがってました。1st クラスだと41セント→42セントの値上げ―― まず今年2008.4.29のニュース "Stamps to go up a penny; save forever by buying Forever Stamps now: Postage prices — U.S. & International — to go up May 12" <http://www.usps.com/communications/newsroom/localnews/co/co_wy_mt_2008_0429.htm>

   そして、今年5月12日の値上げを前にForever Stamps が買われるというニュース―― "Every Time a Bell Rings…Another Forever Stamp is Sold: Postal Service Customers Prepare for New Prices on May 12" <http://www.usps.com/communications/newsroom/2008/pr08_041.htm>

     去年は値上げしなかったんですかね。

   いちばんでかい自由の鐘切手画像はUSPS内のここのリンクです。USPD Download Center <http://www.usps.com/communications/newsroom/2007stamps/forever/welcome.htm> で、以下のように指示があります。――

For news reporting purposes ONLY, please feel free to reproduce the image under the following guidelines:

1. The Stamp Image must be in full color (if the publication is in color) and must be depicted in its entirety without any additions or deletions.
2. If the Stamp Image is reproduced within 75 - 150% of actual size, a line must be drawn through the word “forever” to indicate cancellation.
3. The following language must be printed underneath or within close proximity of the Stamp Image:
© 2007 USPS. All Rights Reserved.

DOWNLOAD INSTRUCTIONS:
  • PC Users: To download an image, right click on the desired link and choose "Save Target As." Browse to the desired location.
  • Mac Users: Press Control + Click or Click and hold and "Save Link As" or "Download Image to Disk." Browse to the desired location.

  ということで、この記事はニュースです。そして「1..切手の画像はカラー(もしもニュース媒体がカラーなら)で、画像全体をあらわすものとし、追加や削除はダメ。 2. 切手の画像が実際の大きさの75~150パーセント内で再現される場合、"forever"という語に重なるように削除線を引かねばならない。3. 次のコピーライトのことばを切手画像の下か近いところに印字しなければならない。」というガイドラインにしたがいつつはってけさせていただきます。(ねえさんニュースです)。

 LibertyBell_2007forever.jpg

© 2007 USPS. All Rights Reserved.

 

 

 しかし ・・・・・・買っといてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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July 8 おおカリフォルニア!(15) おおスザンナ! (15) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(9) Hal Leonard 版 (1999) [歌・詩]

July 08, 2008 (Tuesday)

     数日前のこと、「スザンナの周辺」という新たな軽いシリーズを構想して、最初に『Oh! スザンヌ』という3月に出た写真集のことを書こうかと思ってスザンヌが写真集のテキストについて語っている動画とかもリンクして下書きを保存しようとしたのだけれど、どこか星の彼方に消えてしまった。あまりフザケすぎないように、という天の声かと反省したが、そうフザケている気持ちもないのですが。せっかくだからやっぱりひとつだけリンクしとこう―「スザンヌからファンの皆様へ」(クリック注意)。

   おいといてー。

   もうひとつだけ現在ポピュラーと思われる楽譜集を見ておきます。

      Songs of Stephen Foster:

Original Editions of 30 Songs,

including:

Beautiful Dreamer, Camptown Races, Hard Times Come Again No More,

Jeanie with the Light Brown Hair, My Old Kentucky Home,

Oh! Susanna, Old Folks at Home, When This Dreadful War Is Ended

 

Milwaukee: Hal Leonard Corporation, [n.d.] (Composer Collection Series)  96pp.  ISBN: 0793591228.

 

    アメリカのWisconsin州Milwaukee の音楽出版社(60年くらい歴史があるようです)が出している ペーパーバックの楽譜シリーズの一冊。

  なぜか出版年が本に記載されていないし、編者の名もないのですが、copyright については記載があります。――

 

 

Unauthorized copying, arranging, adapting, recording or public performance is an infringement of copy right.

Infringers are liable under the law.

Visit Hal Leonard Online at

www.halleonard.com

 

   いまふうの音楽出版社らしくホームページを記載しています。で、調べてみると、<http://www.halleonard.com/item_detail.jsp?itemid=313094&order=9&type=product&keywords=stephen+foster+&catcode=00&refer=search> のページに検索でいきつきます。でも出版年の記載はありません。

  あまぞんとかで調べると April 1, 1999 と書かれています(ほんまかいな)。でもやっぱり編者の名前とかはどこにも見当たらず。

  そして52-53ページに入っている "Oh! Susanna" は歌詞は2番までしか収録していませんでした。――

     OH! SUSANNA

I come from Alabama with my banjo on my knee,

I’se gwin to Lou’siana, my true lub for to see.

It rained all night de day I left, de wedder it was dry,

the sun so hot I froze to def.  Susanna, don’t you cry.

Oh! Susanna, do not cry for me,

I come from Alabama wid my banjo on my knee.

2.

I had a dream de udder night when ebryting was till;

I thought I saw Susanna dear a-coming down de hill.

De buckwheat cake was in her mouf, de tear was in her eye;

I says I’se coming from de Souf.  Susanna, don’t you cry.

 

もとの詞の1番と3番です。そして1行目のwith が他のwid と元からズレているのはPeters 版を踏襲しています〔Cf. "Music for the Nation: American Sheet Music, 1820-1860: Susanna"; "19th & 20th Century Sheet Music of Negro Themes: Susanna"〕。だから、もしも歌詞を載せるスペース的余裕がなかったからとかいうような理由があるのでなければ、3番までしかないPeters版を尊重し、しかし留保として(1) 人種差別にかかわるとされる問題の2番は削除、(2) タイトルは長らく通用している "Oh! Susanna" を採用、した、と考えられます。Peters 版を尊重するならタイトルだって "Susanna" だろうと思うのですけれども、Peters版を尊重する編者もほとんどみんなタイトルだけは "Oh! Susanna" にしていますね。Peters 版に先行するHolt 版にすでにあった4番の歌詞については、一説では「後に付け加えられたとされる」「たまに4番目の歌詞が掲載されているのを見かけるが、誰が作詞したのかは明らかではない」とされ(「おおスザンナ 歌詞と解説」)、少なくとも "unauthorized" なヴァージョンとされてしまった。

  その結果「おおスザンナ」のテキストはボロボロですね。

  Oh! スザンヌ、

  じゃなかった、おお、悲惨な!

 


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July 8 おおカリフォルニア!(16) おおスザンナ! (16) Oh! California Oh! Susanna  4番まであるPeters 版 (1849) [歌・詩]

July 09, 2008 (Tuesday)

   Libarary of Congress のウェブサイトを仔細に見ていたら、前にみたよりもずっと多くの資料があることがわかりました。いくつか新たにわかったことがあるのですが、まず、フォスターの authorize した "original" 版を出版した W. C. Peters の1849年版について。

    たとえば、前に紹介した John Tasker Howard (1934) 〔June 24  おおカリフォルニア!(10) おおスザンナ! (10) Oh! California Oh! Susanna  諸版の検討(5) Howard 編 Fischer版 (1934)〕は、本文の楽譜には1848年12月に出たPeters 版の3番までを入れ、巻末の資料に1848年2月25日に出たHolt 版のファクシミリを載せて、「unauthorizedなエディションではあるが、今日知られているところでは、この歌の初版である。フォスターのaurhorizeした版は1848年12月30日になってコピーライトをとった」と注記しました。で、1848年のHolt 版は4番まであるけど、1848年のPeters版には3番までしかない、というのでPeters版を重視する人たちはしばしば4番を排除してきました。

   念のために前にリンクした1848年12月のPeters版をもう一度示しておきます〈上のHowardの記事にも歌詞を載せましたが)。

     "Music for the Nation: American Sheet Music, 1820-1860: Susanna"

     で、1849年にPeters が出したのが次の楽譜です。Library of Congress の記述の一部を引きます――

Oh Susanna, a popular Ethiopian song / by F. Weiland .

CREATED/PUBLISHED
Baltimore: W. C. Peters, 1849.

NOTES
In bound volumes: Copyright Deposits 1820-1860

 

SUBJECTS
Songs with guitar

RELATED NAMES
Weiland, F. arranger.

 

   By F. Weiland とありますが、そのしたに"songs with guitar" とあるようにWeilandはギターのアレンジとして出しているわけで、作詞者として載っているわけではありません。

   その楽譜のファクシミリはこのページです―― "Music for the Nation: American Sheet Music, 1820-1860  Oh Susanna, a popular Ethiopian song"

    勢いで書き写してみます。

Oh Susanna: A Popular Ethiopian Song, Arranged for the Guitar by F. Weiland.  Published by W. C. Peters.

1.
I came from Alabama,
Wid my banjo on my knee,
I’m gyne to Louisiana,
My true love for to see,
It raind all night the day I left,
The weather it was dry,
The sun so hot I froze to death
Susanna dont you cry.
Oh! Susanna Oh! don’t you cry for me
I’ve come from Alabama Wid my banjo on my knees.
Oh! Susanna Oh! don’t you cry for me
I’ve come from Alabama Wid my banjo on my knees.
2.
I jumped aboard de telegraph,
And trabbled down de ribber,
De lectric fluid magnified,
And killed five hundred nigger;
De bullgine bust, de hos run off,
I really thought I’d die,
I shut my eyes to hold my breath
Susanna, don’t you cry.
 CHO.  Oh! Susanna
3.
I had a dream one stormy night,
When all was calm and still,
I thought I saw Susanna
A coming down de hill!
The buckwheat cake war in her mouth,
A tear was in her eye,
Says I, I’m coming from de south,
Susanna, don’t you cry.
 CHO.  Oh! Susanna
4.
I soon will be in New Orleans,
And den I’ll look all round,
And when I find Susanna,
I will fall upon the ground.
And if I do not find her,
Dis darky’l surely die,
And when I’m dead and buried,
Susanna, don’t you cry.
 CHO.  Oh! Susanna

 

   3番の歌詞がちょっと "one story night" とか、一部変わっていますけど、4番以外も1848年12月のPeters 版よりはHolt に近い感じがむしろします。

    まあ、これはこれ、ギタリストのWeilandがつくった楽譜なんだ、ということですかねえ、フォスターの名前もないし。日本のフォークシンガーたちみたいに補作詞曲をしたかもしれんし。しかし前の年の暮れに作者フォスターの信頼を得るかたちで出版したはずのPetersさんが作者に無断で加除改編したヴァージョンを出していいのでしょうか。

    いま、譜面を拡大してみたのですが(というかダウンロードするとものすごいでかい画像だったのですが)、譜面のすぐ上のところに "Entered according to act of Congress in the Year 1849 by Lee & Walker in the Clerks Office of the District Court of the Eastern District of Penna" と書かれてます。"Penna"はPennsylvania ですね(そのうえのBatimore の横のMdはMaryland)。なんでペンシルヴェニアでなのかはぜんぜんわかりませんが、本のcopyright がはじめから印刷されているスタイルですね。

    copyright をとったという Lee & Walker をLester Collection で検索してみると、Philadelphia の722 [922?] Chestnut St. の出版社のようです。Peters とどういう関係なんだろう。また謎が増えてしまった。Chestnut Street というのは古本屋がけっこうあるフィラデルフィア市のダウンタウンの通りですね(と話をそらす)。

    あ、1849年当時は162 Chestnut Street でした(わかってどうする?)――

 PennSpecialCollectionsKefferScenesLee&Walker_b36n33.jpg

James Queen, illust. for "The New Costume Polka" (1851) 〔Lee & Walkers の店の前に立つbloomers を履いた女性の図〕

 

------------

Music for the Nation: American Sheet Music, ca. 1820-1860 <http://memory.loc.gov/ammem/sm2html/sm2home.html> 〔The Library of Congress のページ〕

Oh Susanna: A Popular Ethiopian Song, Arranged for the Guitar by F. Weiland.  Baltimore; Louisville; Cincinnati: W. C. Peters. [1849] <同上>

"Philadelphia Lithographers: James Queen (1824-ca.1877)" <http://www.library.upenn.edu/collections/rbm/keffer/queen.html> 〔University of Pennsylvania のPenn Library の"Keffer Collection of Sheet Music, ca. 1790-1895" のなか〕


 

 


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July 9 DOO~DAH! ほか1冊 [本・読み物 reading books]

July 09, 2008 (Wednesday)

    モーリちゃんを小学校に送って買物をしてから帰ってきたら郵便箱にふたつ冊子小包が入っていた。昨日届いていたのかもしれない。

   Ken Emerson, Doo-dah!: Stephen Foster and the Rise of American Popular Culture (New York: Simon and Schuster, 1997; rpt. Da Capo P, 1998).  400pp. +図版16pp.  pap.  ISBN 0306808528

 Doo-Dah.jpg

     Susan Zannos, The Life and Times of Stephen Foster (Hockessin: Mitchell Lane [Masters of Music Series], 2004).  48pp.   ISBN 1584152133
 SusanZannos_LifeandTimesofStephenFoster.jpg
 
     上のエマソンという人の本は、あれこれフォスター関係で見ているととくに「おおスザンヌ」の人種問題で言及されている本なのと、モーリちゃんの父はフォスターも音楽もぜんぜん専門外だけど「アメリカ大衆文化の興隆」という副題に関連をいちおう見て、買う気になった(図書館で借りてもよかったのだが、借りてもいつ返しに行けるかわからんし、本買うの好きなんです)。もう一冊はそのついでに買った。こんな薄っぺらい本だとは思わなかった(笑)。
   エマソンの本は、「おおスザンナ」について詳しく解説している十数ページしかまだ読んでいない。読み始めてすぐにひさしぶりに文学研究書を読んだ気になったのだが、フォスターからメルヴィルやソローや(それは汽車と電信の文化的イメジ的つながりとかいうレヴェルで)へひらひらと文化的連想というか蘊蓄が広がるいっぽうで、スザンナというと若くして亡くなった妹のスザンナが無意識にであれどうこう、トラウマどうこう、というようなフロイト的精神分析と、さらに、そういうフォスターの喪失感をアメリカ国民に広げたり、あるいは作品が出たときに起こっていなかったゴールドラッシュを予見するかのようにテキストに読んだりして、それを文化的無意識みたいな感じでまとめてみたりとか、要するにディコンストラクションのあとに起こったニューヒストリシズム批評のなんでもありパタンだと思った。歴史的文化的背景をあれこれ調べ、伝記的な事実をあれこれ調べ、伝記を歴史に還元し、個人の「イデオロギー」(まぼろしであれ)を歴史のイデオロギーに還元し、作家への愛があるようでぜんぜんない批評。でもエマソンという人は文学研究者でも学者でもなくてThe New York Times Magazineとかの元編集者だったそうな。出版社、あれDa Capo Press、ほんとうですか~♪ と思ったけど、研究職の人じゃないからかなあ。でも注や文献表や索引で84ページというたいへん学術的な体裁の本です。
    下の本は全体の3分の1は図版です。エマソンも書いてたことだけど、当時は蒸気船の爆発事故がけっこうあったようで、危険なものだったようです(これは汽車もおなじだというのがエマソンの説明ですが)。この本が "Works Consulted"としてあげているのは以下の5冊です。
 
Austin, William W.  Susanna, Jeanie, and the Old Folks at Home: The Songs of Stephen C. Foster from His Time to Ours.  Urbana and Chicago: University of Illinois Press, 1987.
Bean, Annemarie, ed.  Inside the Minstrel Mask: Readings in Nineteenth-Century Blackface Minstrelry.  Wesleyan UP, 1996.
Emerson, Ken.  Doo-Dah! Stephen Foster and the Rise of American Popular Culture.  New York: Da Capo Press, 1998.
Howard, John Tasker.  Stephen Foster: America's Troubadour.  New York: Thomas Y. Crowell, 1953.
Morneweck, Evelyn Foster.  Chronicles of Stephen Foster's Family.  Pittsburgh: U of Pittsburgh P, 1944.
 
   あと、"On the Internet" として4つ――
Selected Poetry of Stephen C. Foster
 
Stephen Collins Foster: America's Famous Folksong Writer, A Pictorial History
 
Stephen Collins Foster: Biographical Sketch
 
American Experience: Stephen Foster
http:www.pbs.org/wgbh/amex/foster
 
   この本は教育者が書いた教育的な本なのかもしれなないのですが、巻末におさめられたフォスターの"Selected Works" (p. 44) のリストの冒頭には次のように書かれています。――
     From the beginning, Stephen Foster's songs have created controversy.  His minstrel songs were first attacked for the dialect they were written in because it was considered unrefined.  Now that use of language is considered racist.  Words like "nigger" and "darkies" are no longer acceptable.  His romantic  ballads have been criticized for being sentimental or morbid--or both.
     But for all the controversy, his songs have continued to be popular for over 150 years.  They have become genuine American folk music.
  (当初からスティーヴン・フォスターの歌曲は議論を引き起こした。フォスターのミンストレル・ソングは最初、それが書かれた方言が、洗練されていないという理由で攻撃された。現在、このような言葉づかいは人種差別的と考えられている。"nigger" とか "darkies" といった語はもはや容認されない。フォスターのロマンティックなバラッドは感傷的であるとか病的であるとか――あるいはその両方であるとか――批判されてきた。
   しかし、こうした論議にもかかわらず、フォスターの歌曲は150年にわたって人口に膾炙し続け、真のアメリカの民謡となっている。 )
 
  モーリちゃんの父はこういうPC的なものいいがおおむね嫌いなのですが、ひとつにはむしろ問題(があるとして)の所在をあいまいにしてしまうからです。英語の "...ist" というのは「~主義者」という訳に必ずしもならないのは有名ですけど、コレコレが racist というときに、それはどういう意味で言われているのか。上の本のエマソンが、「おおスザンナ」の2番の歌詞について、"Of course the second verse of 'Oh! Susanna" is also racist--appallingly so."  というとき、―のあとの "appallingly so" という追加によって、racist たる理由がただ "Nigga" という語の使用によるのではないことを示唆しています。それは "kill'd five hundred Nigga" という "slaughter" 〈という言葉をどこかでエマソンは使ってますが)によるのでしょうか? けれども数百人の死者が出る事故が現実のアメリカで何度も起こっていた事実をエマソンは記述しているのですが。事故であるのならば、ともかく500人もの黒人の死を詩にすることがappalingly racist なのでしょうか。エマソンのことばは前に言及したNPR のウェブサイトでも曖昧なままに反復されています。
 
Today, however, the original version of the song isn't performed, says Ken Emerson, author of Doo-Dah!: Stephen Foster and the Rise of American Popular Culture.  The second verse is violently racist.  Emerson says that artist performing Fosters' songs these days leave out the offensive lyrics.  <http://www.npr.org/programs/atc/features/2004/aug/stevenfoster/>
 
    下の本によれば、そもそも"nigger" や "darkie"じゃなくても、ミンストレルの英語は racist と考えられていると述べています。そうすると、ミンストレルでracist、nigger でracist 、kill でracist、と、いやいやそういう話ではなくて、・・・・・・racistというレッテルを貼ることで吟味されないままに否定されたり等閑視されたり追いやられたりしてしまわんか、ということです。
  よかれあしかれ、愛のある昔(ながら)の批評家たちは、フォスターはミンストレルを改善したのだ、とか、最初の粗野な言語から次第に反省して変化していったのだ、というふうに救おうとした。 それは甘いかもしれない。いや、甘いだろう。けれど当初から問題視されていた、とかあからさまにracistとか言うだけの態度よりは、問題を問題として吟味する姿勢は残している。
   小さいほうの本についていえば、1939年、1941年にガリ版刷りで出された粗末なフォスター歌集の序文のほうが、フォスターのAmericanness をとらえていると思うのです。
 

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July 2 バークレーまで歩く(第2回-写真&リンク付) [Berkeley]

July 02, 2008 (Wednessday)

    この日もバス代を浮かせようと、往復3時間ほど歩いた。その貴重な記録。今回は記録に残そうとカメラを持って歩いたのでそのぶん時間がかかっています。

1892871

(8:19am) 1072 San Pablo Avenue (東側)ぐらいのタバコ屋。日本と違い、そして英国と同じく、タバコの値段が店によって違います。

 

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(8:20am) 1155 San Pablo あたりの交通取締看板 Cf. <http://www.photoenforced.com/>

 

1892875(

 (8:20am)  1172 San Pablo (西側) 一番下のアンマリ電気というのが気になる。Ammari Electronics: <http://www.manta.com/coms2/dnbcompany_09fm5>  Kiwi Pediatrics :<http://parents.berkeley.edu/recommend/medical/Pedi/winokur.html>

 

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(8:22am)  Tokyo Fish Market のGift Shop が見えてきます。

1892878

 (8:22 Market のほうは少し奥まったところにあります――1220 San Pablo 西側) 参考: 以前の記事

 

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(8:23am)  ふりかえって眺めるTokyo Fish Market

 

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(8:25am)  1317 San Pablo (東側).  Ashkenoz  趣味の店に見えますが、世界音楽とダンスのコミュニティーセンター <http://www.ashkenaz.com/index.htm> 

 

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(8:26)  1407 San Pablo (東側). Wilderness Exchange  キャンプ用品とかの店 <http://wildernessexchange.ypguides.net/>

1892895

 (8:27am)  1418 San Pablo (西側)  Sultana: Book Store & More  なんか変わったものが陳列されている、不思議な本屋。イスラム系のようで。<http://shopinberkeley.com/s/sultanabooks/index.php>

 

1892896

 (8:28am)  1428 San Pablo    Blessed Garden  チャイニーズレストラン  webは <https://webpos.wlinformation.com/theblessedgarden/> に移転

 

1892897

(8:28am) 1442 San Pablo Avenue (西側). Berkeleyに近くなると自転車屋がけっこうあります(ここはもうBerkeleyですけど)。Performance Bicycle <http://www.performancebike.com/inform/store_locations.cfm> はアメリカのチェーン店。

 

1892898

(8:28am)  1443 San Pablo Ave (東側).  Oak Barrel: Wine And Beer Making  酒樽屋つうか・・・・・・酒造り屋 "OakBarrel Winecraft: everything for the makers of wine and beer": <http://www.oakbarrel.com/>  個人で製造できるグッズを密売、いや販売している。

1892903

(8:32)  1605 San Pablo (東側).  Kermit Lynch Wine Merchant   "Good wine is a necessity of life (for me)" と言ったのはThomas Jefferson です。<http://kermitlynch.com/pgdirections.html>

 

1892905

(8:32am)  1610 San Pablo (西側). 振り返って撮る元気があった・・・・・・ Genki: Japanese Restaurant  Cf.「おいしいごはん屋さん@

 

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(8:33am)   1629 San Pablo (東側).  Paper Plus Outlet "incredible balloons" も売っている<http://www.paperplusoutlet.com/>

 

1892908

 (8:37am)  1822 San Pablo (西側).  Albatross <http://www.albatrosspub.com/index.htm> Berkeleyで一番古いということになっているパブ。名前は白つながりでAlbanyにこそふさわしいと思うのだが・・・・・・。

 

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 (8:38am)   話題の99仙ストア。ここからUniversity Avenueはもうすぐ。  参考:前の記事

 

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(8:38am)  (1) 52LのSather Gate行きバスに追い越された (2) おじさんが店の前で腰をおろしているのが見えた (3) と思ったら、店の入口は通りに面した面にはなくて、横にあるのだった(通り側からいうと奥行きが長い建物なのでした)

 

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 だから、これは店の正面ではなくて横ですた

 

 1892923

 (8:41am)  99¢Stores を通過したあとすぐにUniversity Avenue を東側へ横断歩道を渡るかたちで左折して左側(北側)を歩きました。1125 University Avenue (北側).   Berkeley Public Library (の確か西館の分館) 改築かなんかしていたみたいで <http://www.berkeleypubliclibrary.org/>

 

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 West Branch でした。快感いや開館意外と遅いです。

 

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 (8:42am)  つたに覆われた建物が見えてきます

 

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(8:43am)   この樽は酒本・・・・・・ (見返り写真)

 

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 (8:43am)  ちょっと怪しげなSerendipity Books 古書店でした。詩と文学。  1201 University Avenue <http://www.serendipitybooks.com/>

 

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  (9:03am)  この前のあたりで写真も記憶も飛んでいるのですが、ここはMartin Luther King Way との交差点で、振り返って撮っています(北側)。ペット関係の大きな店があったのですが解体工事をここのところしています。

「地図」だとここです(ペットショップはありし日の姿を示しています)――

 

 


大きな地図で見る

 

  結局9時数分後ということは、先日歩いたときよりちょっとだけ遅い時間でShattuck 通りに着くな、と思って気が抜けて、工事写真を撮ろうとバスの待合いのベンチかどこかに座ったような記憶が。それに早く行っても図書館10時からだし。そして、そのあと先日のようにまっすぐに歩いて大学の西門のほうへ行かずに、Shattuck で南へ折れてCody's Books のあとを見ようと思いました。

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 (9:15am)  2201 Shattuck Avenue (東側).

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"The End" の紙は左右に貼られていました

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 入口の張り紙を見ないと閉店したようには見えません。

 

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 (9:31 am) Sather 門そばの学内の The Bear's Lair Pub   残念ながらまだ開いていませんでした(笑)

 

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 キャンパス内の顔なじみのリス

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近寄っても逃げません

 

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全然平気

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やあ元気

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じゃあね

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リスと別れて1分。これがMusic Library の建物です。いつからわたしゃ山の音楽家に。 Jean Gray Hargrove Music Library <http://www.lib.berkeley.edu/MUSI/> Cf. <http://www.jstor.org/pss/939908> 〔昔を語る文章の冒頭〕

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地下の図書室で盗撮したLafcadio Hearn 英訳詞の "The Honorable Chop-Sticks: A Japanese Lullaby"  「名誉ある箸」 どういう歌でしょう。

 

 


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May 7 サンフランシスコ動物園(その3) San Francisco Zoo [San Francisco]

May 07, 2008 (Wednesday)

     その1 <http://occultamerica.blog.so-net.ne.jp/2008-05-10>

   その2 <http://occultamerica.blog.so-net.ne.jp/2008-06-30-3>

      ここまでのあらすじ―BARTからmuni metroへの乗り換え(11:50)―動物園到着(12:35)―よく見えない網ごしのサルたち(12:44-54)―キリンが首を伸ばしている(12:58-13:12 昼食)―(ダチョウ)―南の鳥たち(13:14-19)―ゾウの像(13:32)―(とまどうペンギン)(13:34-37)―見えないサイ(13:37-39)―(見えないライオン)(13:41-42)―(孔雀)(13:50)―(アメリカン・イーグル )(13:55-57)―(見えないグリズリー)(14:00-02)―〈グリズリーの骨)(14:04)―〈シロクマ)(14:07-13)―(電車)―(川辺のトリ)(14:22-25)―かったるそうなカンガルー(14:30-33)―コアラのマーチ(14:37-46)―オウム像(14:52-54)―〈金網のなかのトリたち)(14:55-58)―ピンクフラミンゴ(15:00-03)―〈ロゼッタストーンもどき)(15:04-05)―(カエルたち)(15:05-06)―(カルーセル)(15:07)―(はしっこの、人がいかない建物と木のうろ)(15:08-14)―川の魚(15:17)―昆虫園(15:20-46)。こんなところです。だいたいおおざっぱには反時計回りのコースで動いたような気がします。

     それでは、アルバムにおさめたのでブログへの掲載は楽なので、みつくろって補足的に貼り、あと見られなかったのをネットから参照します

まずペンギンたち。――17278691727872

ペンギン島にはカモメもいます

1727996

ペンギンについての記事――(1) 「サンフランシスコ動物園のペンギンとクラジミア: 『海外動物園サイト探訪』ニュース」〔2005.5.7〕 (2) 「一羽だけ妙にハイテンションで泳ぎまくるペンギン」〔ひろぶろ 2008.5.9〕  (3) "S. F. flock swims round and round in pool" 〔SFGate, 2003.1.16〕

   つづきまして見えないライオンについてですが、Lion House というところに向かったのですが閉ざされておりました。これは無料デーということと関わっておると思っています。ちゃんと写真を撮っておられるかたのページ「San Francisco Zooへ♪」〔Love from Californiaさん 2008.6.2〕

     つづきましてアメリカン・イーグル(だったと思うのですが・・・ハゲワシか?)――1728172

 

   つづきまして、見えないグリズリー(これは時間が決まっていたのでした)。

1728176 水槽を横からのぞくの図

1728233 足跡

1728255

1728261

グリズリーの骨(嗅覚がするどいことを説明するための模型)

  これではあんまりなので、グリズリーの写真を撮っていらっしゃるかたのブログ 「サンフランシスコ動物園」〔「サンフランシスコ生活」2008.2.22〕。それと昔の記事「保護されたクマ姉妹、サンフランシスコ動物園に」〔「海外動物園探訪」ニュース 2004.11.19〕 このクマがいまいるのかしら。

  つづいてシロクマ。グリズリーの左手なのですが、日本の動物園とかと同じようなつくりに見えました。結構人気があるようで。大人のひと(男&女)もひとりでじっと見ていました。この並び、何種類かクマさんがいたと思います。

 1728302

 

    つづいて園内を走っている電車――

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踏切ですな。電車が写っている人のページ― 「shiology:753-061106 流し撮り、回し撮り」 あと、モーリちゃんの父が好きなやまじゅんさんの、「San Francisco Zoo」のページにも。〔いずれも撮影日不詳〕

   そして川辺のトリ。ここは近づこうと思うとかなり近づけるので人気でした。 でも近づいてる人が別の客に注意されていましたけど。

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いちおう網が一部あるんです

1728630

 

  ロゼッタストーンもどきの象形文字みたいな謎碑のコーナー

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はいはい。Zooetta Stone という名称でした

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果敢に解読に挑む図

 

   そのZooetta Stone の道から降りる途中と降りたあたりにいたカエルたち――

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平気でさわる図

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   そして・・・・・・

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麻紀に乗るのに、列ができてませんでした。
あ、まちがった、カルーセル。(って完全なやまじゅんのぱくり・・・・・それがやりたかったんかいw)

 

   ひとが行かないはしっこの建物というのはこれです――

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あれ、人がいるw

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そしてその建物の前の原っぱの手前に一本の木があって誰も後ろにまわってみませんが、人面木、いや動物面木の中にベンチがあります。ここは穴場です(笑)

 

   あと、Insect Zooはなかなかおもしろかったです。小さい建物ですが、暗い照明の下でいろいろなムシたちが蠢(うごめ)いています。子供たちも声をあげながら蠢いています。

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ポーの短篇「スフィンクス」に出てくる蛾ですな

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小さい甲虫

 

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Monarch Butterfly の一生。子供が多いです。入口近くには靴を脱いで座って本を読むようなコーナーもあります。

 1878203

野生のゴキブリだそうで

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大半はinsect じゃないような気がするのだが・・・・・・

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ブッシュ大統領に野生動物保護を求める絵葉書を書こうというコーナー

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熱帯の蝶の標本

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 屍骸を食べてきれいにするので、骨だけ残す標本作りとかに力を貸してくれる虫。RIP 安らかに眠れ

 

 

つ、つかれたー

つづく~♪

 

 

追記です。


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