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April 29 アメリカで焼きそばをつくる (2) Chow Mien [料理・食べ物 cooking foods]

April 29, 2008 (Tuesday)

     この日、モーリちゃんの父がドイツから輸入されたビールのSt. Pauli Girl を初めて飲みながらつくった焼きそば。今回もRanch Market で買った、中華系米国産Chow Mien。

StPauliGirl_030.jpg(5: 45 pm)

 

   維欣煎麺(みたいな感じの漢字。煎の下のところがちょとちがうけど) Wyzen MÌ XÀO DÒN PAN FRY NOODLE  (素食亦宜 Có Thê Ãn Chay)〔ほんとはAの上の記号は皿型〕  Net Wt. 1 LB (454g).

   Wyzen Foods, Inc.  1901 Las Plumas Ave., #40 San Jose, CA 95133

    今回は、裏面にちゃんと指示が図入りで書いてあったので、迷うことなく作りました。

COOKING DIRECTION

1.  Put one pound noodle in one gallon boiling water for 2-3 minutes. (1ポンドの麺を1ガロンの沸騰した湯に入れ、2-3分)

2.  Rinse with cold water and drain.  〈冷水で洗い、水を切ります)〔やっぱりかなり色が出ます〕

[For Chowmein] 3.  Heat a frying pan over high heat for 1 minute.  Pour in oil and spread to coat the pan, add noddle.  Stir-fry for 2-3 minutes.(フライパンを約1分熱し、油を引きます。麺を入れ、2-3分 "stir-fry" *炒めます。)

[For Chowmein] 4. Add soy sauce, seasoning, sugar, cooked vegetables, diced cooked meat, shrimp or poultry.  Mix all together and stir-fry for 2-3 minutes.  〔日本風発想だと、最初に野菜炒めだと思うのですが、途中というか最後でいきなりでてくる〕

[For Pan-fry Noodle] 3AB.  Heat 1 inch of oil over high heat in the pan for 2-3 minutes.  Add 1/3 lb. of noodle into deep-fry for 15-25 seconds.  Drain the oil.

[For Pan-fry Noodle] 4AB.  Pan-fry until noodle turns, golden brown.  Put noodle in the dish.  Top with the mixture of gravy, cooked vegetables and meat. 

5.  Serving Time

    *"stir-fry" というのは、中国料理などでフライパンをゆすりながら強火ですばやく炒めるのをいう複合動詞です。

  焼きそばのほかに鶏肉を焼きました。

  021_April29.jpg(5:23 pm)

023_April29.jpg(5:32pm)

肉を焼きながら、焼きそばの具の調理。

024_April29.jpg(5:34 pm)

肉が焼きあがって、一個しかないフライパンが空きました。

025_April29.jpg(5:34 pm)

実は横のコンロで沸かしていた湯にどぼんとつけます。

026_April29.jpg(5:39 pm)

ザルにとります。けっこう色が出ます。色合いはまったく違うけど、蕎麦を茹でたときに似ているかも。

027_April29.jpg(5:42 pm)

冷水で洗って、こんな感じに。

0312008April29.jpg(5:46 pm)

肉の代わりでかつ油不要の腸詰から炒めます。このへんで飲み始めたようです。

0322008April29.jpg(5:47 pm)

キャベツを追加。〔値の変動がありますが 99 Ranch Market でCabbage $0.33/lbが平均的に安い〕

0332008April29.jpg(5:47 pm)

にんじんを追加。〔99 Ranch Market でBaby Carrot 16オンス袋 $1.29。でも最近わかったのだけれど、Trader Joe'sの24オンス入りのほうが割安。あとときどきLucky で16オンス袋が1ドルになることがあります〕

0342008April29.jpg(5:48 pm)

もやしを追加。〔99 RANCH Market で Bean Sprout $0.79〕

0372008April29.jpg(5:55 pm)

麺を投入して混ぜ合わせ、炒めます。ちょっと時間をかけすぎたかも。

042_2008April29.jpg(6:03 pm)

完成。マッシュルームは・・・・・・入れ忘れたのかしら。

「なんか麺に甘味がある」というのがモーリちゃんとモーリちゃんの母の感想だったのですが、砂糖入れろという指示に従ったことはなぜか黙っていたモーリちゃんの父でした。

やはりソースはついておらんので、そこんとこがむつかしいところですが、量的には大量で、値段的には安価で、おいしいと思います。

なお、下に、スキャンして袋の表裏の画像を掲載する予定でございます。

ChowMein_WyzenFoods1.jpg

ChowMein_WyzenFoods2b.jpg


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August 1 チャーメンとチャウメンとチャオメンとチャオミェンとジャーメンとツァーメンとザァメンとザーメン Lo Mein, Chow Mein, and Crisp Chow Mein; Stir-Fried and Deep-Fried Noodles; Chowmein and Pan-fry Noodle [料理・食べ物 cooking foods]

August 01, 2008 (Friday)

    画像が重たくなったので、別の記事にしました。が、同時に、chow mein とchow mien の綴り(これは、モーリちゃんの父の記憶というより、たぶんその(1)を書いたときに手近にあったメニューかチラシかなんかでmien と綴ったと思うのですが)が気になって、また調べる羽目になりました。

  mien と mein については、ネット上で検索して両方出てくるし、英語版Wikipedia の"Chinese noodles" の項には

In Chinese, miàn (traditional Chinese: ; simplified Chinese: ; often transliterated as "mien" or "mein" ) refers to noodles made from wheat[. . . .]

    と書いてあり、両方ありだなと思いました。しかし・・・・・・英和辞典を調べると、手近なところでは以下のようでした――

chow mein /áu méɪn/ チャーメン《五目焼きそば》  ――研究社『リーダーズ英和辞典』〔うまく表記できませんが、éのアクセント記号が太字

chow mein /àu méɪn/ チャーメン《米英式中華焼きそば》  ――大修館『ジーニアス英和辞典』

chow mein   [<Chin.] 焼きそば.  [さらに]  ――goo 辞書

   どうやら、英語的にはmeinのほうがmain らしい。 まあ、mien という言葉があるからconfusing にならないようにmeinを好むという気分はわかります。本の形のふたつとも「チャーメン」と表記していましたが、これはチャーハンと対になる感覚ですね。けれども、ウィキペディアだと、「チャオミェン」という日本語表記なのでした。――

中国には、チャオミエン(炒麺)がある。中華料理屋では醤油味や塩味で作ったものを、「炒麺」・「上海風焼きそば」と言う。麺を油で揚げて具をかけたものは、炸麺と呼ぶ。(q.v. 「焼きそば」

炒麺(チャオミェン)は中華料理の焼きそば。中国、香港、台湾などの中華圏以外にも中華系移民の多い各国で食べる事が出来る。アメリカの中華料理として一般的である。

中国大陸の焼きそばは麺を油でパリパリに揚げ餡をかけた皿うどんのような料理が多い。日本では中華焼きそばの一種として知られているが、これら揚げた麺を使ったものを中国語で炸麺と呼んで炒麺とは区別する。

中華麺を炒め具と混ぜた日本の焼きソバに一番近い料理は福建料理の炒麺で、福建料理の流れを汲む台湾料理には日本人のイメージする焼きソバが多く存在する。中華圏の炒麺は塩や醤とスープで味付けられており、日本のようにウスターソースで味付けする事はない。

インドやネパールにおいてもチョウメン (chowmien) として食べられており、様々な香辛料と食材を一緒に煮込んで作られるいわゆるカレーが常食のインドにおいてとても珍しい麺料理である。都市から田舎まで、インド中のあらゆるレストランで取り扱われている。レストランなどでは vege chowmien, egg chowmien, cheese chowmien などといった呼称が使われており、それぞれ表記どおりの組み合わせである。味は日本で食されている焼そばとほぼ変わらず、現地に住むインド人よりも旅行者に好まれる。そのためか、他の料理に比べ値段設定も若干高い。(q.v. 「炒麺」

   ふーむ。大陸の方の焼きそばは固焼きそばというか揚げ焼きそばというのは知っていたし、台湾・香港あたりで日本に近いやらかい焼きそばがあるというのも聞いていましたけど・・・・・・。またしても言葉をめぐる不可解な世界に入り込んでしまったのですが、まず、「中国語で炸麺と呼んで炒麺とは区別する」のが事実としても、炸麺にあたる英語が見つからない。見つからないわけではないのですが、chow mein が両方カバーしてしまっているみたい。ここで、当初の目的である、カリフォルニアでつくられた焼きそば麺の袋の画像を貼りますわ。

 

  ChowMein_WyzenFoods2b.jpg

  突っ込みの文言はとりあえず置いといて(ほんとはそのために苦労したのですがw)、レシピが二つに分かれて、左側は "For Chowmein" 右側は "For Pan-Fry Noodle" になっています。右側は、日本風に言うと、「炒めた」のではなくて「揚げた」、つまり固焼きそばとか、揚げ麺とか、(ちゃんぽん的には)皿うどんとか、呼ばれるタイプで、左側がソフトな焼きそばタイプです。よく見ると、この商品は、 Wyzen Pan-Fry Noodle なので、stir-fry じゃなくて、揚げるほうがメインなのかもしれません。でも揚げる fry という言葉はあいまいです。右側の指示にはdeep-fry という言葉と pan-fry という言葉の二つが出てきます。――

[For Pan-fry Noodle] 3AB.  Heat 1 inch of oil over high heat in the pan for 2-3 minutes.  Add 1/3 lb. of noodle into deep-fry for 15-25 seconds.  Drain the oil.

[For Pan-fry Noodle] 4AB.  Pan-fry until noodle turns, golden brown.  Put noodle in the dish.  Top with the mixture of gravy, cooked vegetables and meat. 

  辞書の説明によれば、"deep-fry" は"deep fat" つまり、揚げる材料がじゅうぶん沈むだけのたっぷりの油に入れて揚げることで、panfry や saut é とは異なる。後者のふたつは少量の油でcook することです。deep-fry は "to cook food in a lot of hot oil"、 saut é "to cook something quickly in a little hot oil" (Longman)。pan-fry はロングマンの英英辞典に載っておらず、リーダーズ英和辞典だと、ハイフンなしの "panfry" で「フライパンでいためる[揚げる],ソテーにする(sauté)(opp.  deep fry)」と書かれています。

   レシピは、1インチの油で15-25秒deep-fry し、それを黄金色になるまで炒め(pan-fry)、上からアンをかける、と書かれています。一方、左のchowmeinのほうはstir-fry という言葉がもっぱら使われているのでした。

  上に引いたウィキペディアにもあるように、中国語〈漢字)では、やらかい焼きそばと固い焼きそばは、 炒麺炸麺と呼び分けて区別するのだそうですが、Wyzenのレシピを信じれば、はstir-fry 、はpan-fry (deep-fryではなく)に相応するのでしょうか。

  まあ、そういうことにして、さらに調べてみます(笑)

  ところで、 ウィキペディアの二つの記事を読んでいて炸麺ってなんて読むんじゃい、と思ったのですが、検索をかけると5件ヒットします。が、本文中に読み方は示されておらないようです。そして「曖昧さ回避のページ」でザーメンという読みが出ているのでした――「ザーメン(炸麺)は、中国語で揚げた麺料理のこと。固焼きそば」。

  えー、その読み方はないだろー。とひとり突っ込みを入れました。で、調べてみると、ジャーメンとツァーメンとザァメンとか、いろいろ表記が見つかりました(最後のはえらく苦心してわざとらしい感じw)。

  そこでふと思い出したのですが、これまた店によって読み方がまちまちな、ジャージャーメン(盛岡のじゃじゃ麺もこれに由来する)、あれって 炸 じゃん。ウィキペディアで調べます――

炸醤麺ジャージャンめんジャージャーめん、中国語 ジャージアンミエン zhájiàngmiàn)とは、中華人民共和国の北部(主に北京市近辺など)の家庭料理である麺料理の1つ。日本でもジャージャー麺などの名称で知られている。(qv. 「炸醤麺」)

じゃー、ジャーメンでいいじゃんか。なんでザーなんじゃい?

豚のひき肉と細かく切ったタケノコ、シイタケなどを豆味噌や豆豉醤で炒めて作った「炸醤」(中国語 ヅァージアン zhájiàng)と呼ばれる肉味噌を、茹でた麺の上に乗せた料理。好みで千切りのキュウリや細切りのネギなどの他、北京では大豆などを乗せる。日本では茹でたモヤシやチンゲン菜などが乗せられることもある。

日本の中華料理店やコンビニエンスストアなどで販売されている「ジャージャー麺」では、唐辛子や豆板醤などで辛めの味付けがされ、また麺もラーメンなどと同じ、鹹水を使用した細めの中華麺が使用されることが多いが、中国の「炸醤麺」は甜麺醤などを用いて甘めの味付けがされており、また麺もきしめんなどに近い、鹹水の含まれない太くて平たい麺が使用されている。岩手県における盛岡じゃじゃ麺などは、その地域の名物になっている。

大韓民国でもチャジャン麺と呼ばれ、人気のあるメニューで、特に「ブラックデー」とも言われる4月14日には、2月14日のバレンタインデーや3月14日のホワイトデーと無縁だった男女がこれを食べるという風習がある。

  これの場合は、 「炸醤」でひとまとまりなのですね。

  やっぱり今日解決しておこうかと思って 「炸」と「中国語」でググったら、一番に出たのが次のページでした。ぞぞぞ。

軽食 | 検索結果リスト | 中国語辞書 - BitEx中国語

蚕フライ(かいこふらい) [軽食] 画像. 中国語 : 蚕蛹. ピンイン : zhà cán yǒng ... キリギリスフライ(きりぎりすふらい) [軽食] 画像. 中国語 : 蝈蝈儿. ピンイン : zhà guō guō er ... 中国語 : 田鸡. ピンイン : zhà tián jī ...

 

不可解。 つづく~

 


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August 1 Richard Wilbur, The Catbird'sSong ほか2冊 [本・読み物 reading books]

August 01, 2008 (Friday)

    前日の木曜日とこの日の朝に届いていたのだけれど、マネージャーのところに取りに行きそびれていた。夕飯後にモーリちゃんとふたりでテニスコートでバドミントンをやって帰ってきたら、まだマネージャーの部屋が開いていたので、受け取って帰った。

  もう、というか、前からだけれど、読書日記というのは不可能なので、買ったらなるたけとっとと記録するだけにしようと思います。内容についてはあとになって書いたり書かなかったりということで。

(1)  Richard Wilbur, The Catbird's Song: Prose Pieces 1963-1995.  New York: Harcourt, 1997.  242pp.  $25.00.   ISBN-10:  1  ISBN-13: 978-0151002542 015100254

Amazonで購入、古本だけどAmazon prime 適用で送料無料な4.44ドルのを買った。Richard Wilbur(Poetry Foundation のページ)は1921年New York に生まれて戦後に活躍する詩人だけれど、存命です。87歳。70年代にモリエールとかフランスの古典劇を韻文で訳して評判を呼びましたが、モーリちゃんの父的には、ポーを論じたすぐれた批評家としての顔がいちばんにあります。エッセイ集としては Responses: Prose Pieces, 1953-1976に続いて2冊目ということになりますが、こちらの本にはポー論が5,6篇入っていたと記憶していますが、新しいほうには "Poe and the Art of Suggestion" (1981)と "Edgar Allan Poe's Eleonora" (1979)の2篇だけ入っています。結局ウィルバーが編んだDell のPoe詩集の序論は単行本におさめられてないのですね、版権の関係なのかしら(でもこれの日本語訳は冬樹社の論文集に入っていますが)。「ポーの家」というエッセイがたいへん有名ですけれど、このIntroduction のほうが広がりがあってすぐれていると思うのですが。それでも今回のに入っている「エレオノーラ」論はIntroduction でもポーの作品を読む鍵として中心をなす「エレオノーラ」論と重なるところがあります。これは作品本文8ページを掲げて、そこに "Afterword" として批評が6ページちょっと付されている体裁ですが、敢えてこのようなかたちにしたところにウィルバーの思い入れが感じられます。なお、短篇の"Eleonora" がイタリックになっているのは、1979年にFritz Eichenberg という人の木版の挿絵を入れた限定264部のEleonora が出版されたときにintoroduction を書いたのがWilburで、その文章を今度はafterwordとして、 作品の後に付けたのでした。

  Preface; A Word from Cummington; Poe and the Art of Suggestion; Longfellow; The Persistance of Riddles; May Swenson; John Ciardi; Glimpses; Elizabeth Bishop; On "Little Exercise"; On Robert Francis' "Sheep"; Tennyson's Voyage of the Mind; Edgar Allan Poe's Eleonora; Milton's "L'Allegro" and "Il Penseroso"; Some Notes on "Lying"; Regarding "Thyme Flowering among Rocks"; About "Cottage Street, 1953"; Movies and Dreams; Forewords; Opening Remarks; Notes on Translating Classic Verse Plays; A Talk about Translation; Witter Bynner.

Aug1,2008DSC_0163.jpg

(2)   Joscelyn Godwin, Golden Thread: The Ageless Wisdom of the Western Mystery Traditions.  Wheaton, IL: Quest Books,2007.  200pp.  pap. $16.95.  ISBN-10: 0835608603  ISBN-13: 978-0835608602

Paper $12.71で購入。ジョスリン〔男です〕・ゴドウィンは日本でも『星界の音楽』 (Harmonies of Heaven and Earth: Mysticism in Music from Antiquity to the Avant-Garde(1987)、斎藤栄一訳、工作舎(1990))以来、いくつか翻訳が出ているようですが、いつのまにか西洋神秘思想の解説者のようになって、いろんな方面で本を出しているようです。もともと音楽の研究者です。この出版のQuest Books というのはTheosophical Publishing House の中にあるようで、へぇー、ジョスリン・ゴドウィンって神智学関係の人なのかしら、と思いましたが、わかりません。出版社のHPはhttp://www.questbooks.com/ ですが、よくわかりません。あ、200ページで終わって、そのあとの広告にこんなふうに書いてあります。 "Quest Books encourages open-minded inquiry into world religions, philosophy, science, and the arts in order to understand the wisdom of the ages, respect the unity of all life, and help people explore individual spiritual self-transformation.  Its publications are generously supported by The Kern Foundation, a trust committedto Theosophical education.  QuestBooks is the imprint of the Theosophical Publishing House, a division of the Theosophical Society of America.  For information about programs, literature, on-line study, membership benefits, and international centers, see www.theosophical.org or call 800-669-1571 or (outside the U.S.) 630-668-1571."

  実はバークレーのTelegraphのShakespeare, Inc. 〔まちがえました Shakespere & Co. です〕という古本屋のオカルト書籍コーナーでゴドウィンの本を見て、買おうか迷ったのですが、ネットのほうが安いのであれこれ数冊注文したうちのひとつ。

 

(3)    Henry Ridgely Evans, Hours with the Ghosts; Or, Nineteenth Century Witchcraft: Illustrated Investigations into the Phenomena of Spiritualism and Theosophy.  Chicago: Laird and Lee, 1897.  Rpt.  Kessinger, n.d.(2003) 302pp.  pap. $28.95.   ISBN-10: 0766139301  ISBN-13: 978-0766139305

Kessinger Publishing's Rare Mystical Reprints の一冊〔Download a free catalogue and search titles at: www.kessinger.net〕.  19世紀末の神秘主義や「オカルト・リヴァイヴァル」はヨーロッパや英国・アイルランドが語られることが多いのですが、スピリチュアリズムが起こるのは19世紀中葉のアメリカ東部ですし、ロシア生まれで最初のアメリカ国籍取得のロシア婦人である見霊者マダム・ブラヴァツキーの神智学協会が1875年に起こるのもアメリカ、ニューヨークです。神智学協会の活動そのものが東洋へむかってしまいますけど。

ファクシミリのリプリントで、この本は大版です。厚さは16ミリくらいしかないですけど、元はぶあつかったのだろうと思われます。なぜか$6.69で購入。送料無料。

 

 


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July 30 アルバニ山の木の実 [アルバニ山 Albany Hill]

July 30, 2008 (Wednesday)

    モーリちゃんのサマースクールは終わったが、モーリちゃんの母のアダルトスクールはこの日までだったので、そのあいだの数日間モーリちゃんの父がモーリちゃんと留守番をすることになっていた。前の週末にサンパブロ通りの八百屋さんの隣りのイチバンカン(サンフランシスコのジャパンタウンにも店がある、百円ショップみたいな感じの店) で、一組1.5ドルのバドミントンを2セット買ったので、毎日のようにモーリちゃんとモーリちゃんの父はバドミントンをしていた。

   この日も昼前から山の下の公園(通称山下公園w)で バドミントンをしていたのだけれど、途中で「ちょっと休憩」とモーリちゃんが鉄のベンチに寝っ転がって、「おとうさんも」というのでふたりして空を見上げて寝そべった。

   そのあと公園の芝生のなかのクローバーを探したり、 木の実や落ち葉を観察したりした。モーリちゃんは前からいろいろな色の実が気になっていたようだが、モーリちゃんの父は地面をじっくり見るのは初めてだった。アルバニ山を彷徨したときにさえよくは見ていなかったのです。それから、山にちょっと行ってみようということで、山へ出た、というか山へ入った。虫がはいっていたらいやだなあ、とは思ったが、とにかく持ち帰って、インターネットで調べてみようということで、持ち帰って撮影したのが次の写真です。――

 albanyhill,CA_Summer2008_DSC_0042.jpg

(クリックでちょっぴり拡大)

右下の赤いサヤには黒い豆状の実が入っていて、その木の葉っぱは右下の緑の葉です。左上のオレンジ色の実はこのまま地面に落ちていました。 以上は公園に生えていた木ですけど、公園の中の山のそばに、そして山の中にたくさん落ちていた実の多くは左側に並べたベーゴマ状の実です。大きさはまちまちですが、2cmくらいのものが多く、円錐の部分の色は白から緑、茶色、上の丸い部分は、十字型の切れ目が実際に凹状に穴が開いている場合と、赤やオレンジの手裏剣状の模様になっているのとあり(前者のほうが古い感じで、色も茶色い)。円錐の部分の皮が剥けて、繊維状の木質があらわになっているのもありました。あと、数は少ないけれど、どんぐりの帽子の部分だけ見つかりました。

<!--[if gte mso 9]-->  昼に家に戻って調べてみると、アルバニ山の植生について、市のホームページはつぎのように説明していました。――

 

The park is open space except for the pleasant eucalyptus tree lined rustic trail.  The natural value of Albany Hill lies in the surprising richness of the flora and faunas [sic.] the current tally is 134 native plants reported from hill and creek, including 2 orchids, 3 different roses, and 7 kinds of fern.  Many of these plants were of great importance to the local Ohlone tribes whose grinding holes remain in the bedrock, such as coast live oak (Quercus agrifolia), California hazelnut (Corylus cornuta var. californica), soap plant (Chlorogalum pomeridianum), and yarrow (Achillea millefolium).Albany Hill

   eucalyptus tree って、ユーカリではないすか。調べてみると、ユーカリはコアラの国の木ですけれど、何百種類もあって、そのなかで近年は紙パルプの資源として背が高く伸びるタイプが地球のあちこちに輸出されて植林が進められているようです。そういう最近のこととしては、日本版ウィキペディアの「ユーカリ」にリンクされている「ユーカリ植林と環境問題」というessayがそのへんの事情と問題点(とされたものの問題ではないという反論)をくわしく述べて、興味深かったです。

 

  増大する紙パルプ需要に応え、再生可能な資源として期待されるのが、亜熱帯を中心とする成育の早い樹種による植林木である。中でも最も有望な早生樹種として着目されているのが、ユーカリである。これまで多くの造林技術の知識の蓄積があって、製品の市場が確立しているためである。

  ユーカリは、著しく生長が早く、多岐な種類の中から、あるいは同一種の中でも産地の違いで、植えようとする土地の気温や降雨量、土壌などの条件に合った樹種を 選択することができる。荒廃地等劣悪な土地でも、適応力が強いので、造林適地がきわめて広い。他の早生樹に比べて、樹種の選定や植え方、管理態勢次第では、単純一斉林とした場合でも病虫害の発生が少なく、山火事にも比較的耐える力があり、また種子の採取、保存と挿し木苗の養成が容易で、大量に苗木を生産 できるばかりでなく、根からある程度以上のところで切れば、切り株から芽が出て再成長し、再植の手間が省けるという特性がある。利用材積が大きく、ヘクタールあたりの林分材積は成長量の早いこととあわせ高いものになる。用途は紙パルプ原料のほか、薪炭材、電柱、鉄道枕木、坑木、合板、建築材・家具材など に使える。そのほか油成分等から塗料や香油、化粧品、消毒剤の原料が抽出できるなど、木材資源としての有用性が広い。

  このためユーカリ植林は、アジア、大洋州、中南米、アフリカ、地中海周辺、北米など、世界の多くの地域で広く行われている。熱帯地方の人工林の中では、松、アカシア、チークをはるかに上回る面積が、ユーカリによって占められている。特にブラジルでは、ほとんどの州で植えられ、現在ユーカリの植林面積はおよそ 300万ヘクタール、国土の0.35%に相当し、いまやブラジルは、世界最大のユーカリ植林国である

と ころが、近年ユーカリ植林について、様々な批判がいわれるようになった。その多くは土地所有や利用に関わる住民政策の問題、ユーカリ材の生産・流通・消費構造等に起因する社会・経済的問題であるが、ユーカリ類の生態的特性が有害であると指摘したものがあって、ユーカリ類の造林はいかなる状況下でも好ましく ないとの主張がなされている。例えば、土壌の養分の消費量が大きく、短い期間で伐採を繰り返せば、土壌の劣化を招く、ユーカリは、土壌水分を多く吸収し蒸散させ、水を大量に消費し、水源機能を低下させる、外来樹種の一斉造林は、動植物の生育環境、生態系の多様性に問題を生じる、ある種のユーカリ葉 の出す化学物資が、他の生物に悪影響を与える、といった非難である。

  カリフォルニア、少なくともベイエリアのこの地域に最初にユーカリが植えられたのは、どうやら1850年代のようです。時代背景としてはゴールドラッシュが関わっていて、よその土地からやってきた人たちが焚き木をするにもあんまり木が生えていなかったのが事実らしい。英語版Wikipedia の "Eucalyptus" にリンクされている、カリフォルニア州立大学のRobert L. Santos という人のessay "The Eucalyptus of California: Seedsof Good or Seeds of Evil?" があれこれと蘊蓄を傾けていますが、全部読んでいるひまないよ、というくらいの蘊蓄の傾け方なので、歴史的なところをぱらぱら読むと、オーストラリアから黄金の夢に駆り立てられてやってきた人がその夢のかわりに植林を商売としたという説とかいろいろあるようですが、事実として十数種類のユーカリの記述のあ る1850年代の商品カタログが残っているそうです。諸説の一部も入れて引用します。――

 

   Looking for real hard evidence, H.M. Butterfield did find in1935 an 1858-1859 Golden Gate Nursery Catalog at the Academy of Sciences in Golden Gate Park. It listed eucalyptus species as follows:


      Eucalyptus Resinfera (Aus.)-- Splendid weeping forest tree. 60 feet. $10.00 〔これは俗に"Australian red mahogany" と呼ばれる種類のようです〕
 
    " Argentea " --  Argentea foliage 20 feet.  $10.00
 
    "  Augustifolia "  --  dwarf 5 feet           $  5.00 〔dwarf というのは矮性の、最初から低い種類です〕

    Also noted in the catalog is a list of seeds received from M. Guilfoyle of Sydney, September 15, 1859. These species were robusta, iron bark, blue gum, longifolia, nigra, and globosa (globulus?). 
    Maybe it was Captain Robert H. Waterman who planted the first eucalyptus seeds in California?  In a biography of this clipper ship captain, entitled That Fabulous Captain, one finds that Waterman bought land in Suisun Valley for his retirement and planted eucalyptus in 1853. He apparently commissioned an ex-first mate to bring eucalyptus seed to him from Australia. Waterman not only planted seed on his ranch, he gave some to his neighbors as well. The blue gums currently in the area are felt to be connected with these early plantings.  
    Professor Woodbridge Metcalf, one time Forester for the University of California, Berkeley, and an expert on California eucalyptus, felt from his research that the first eucalyptus in California appeared at Oakland's Shellmound Nurseries and Fruit Gardens in 1856.  Metcalf gives no evidence to support his claim, but H.M. Butterfield, writing in 1939, notes that the nursery did have eucalyptus seedlings listed in its stock in 1856 for $5 each.44 The owner of the nursery was R.W. Washburn, and from the evidence, one can conclude that he was one of the pioneers in the propagation of eucalyptus in California. Still another challenge comes from Abbot Kinney, who wrote in 1895, " The planting of trees of various species of Eucalyptus in California has been carried on since January 1856, when Mr. C.L. Reimer successfully introduced 14 species."  Kinney, an important figure in California eucalyptus history, does not continue the story of this account in his work. Without evidence from Kinney or other writers, it is difficult to support this claim though one would like to because of Kinney's importance to eucalyptology.
 
   Taking into consideration all of these accounts and evidence, one seems to conclude that Behr and Walker were probably the first to propagate eucalyptus in California.  One can state, however, without question, that there were indeed eucalyptus pioneers on both sides of San Francisco Bay in the 1850's.

 

   さて、いろんな種類があるとして、どれか、ということで、Virginia Tech "Tree Fact Sheets" というデータベースがおもしろかったです。 検索の左側の欄が上から "Family" "Genus" "species" "common name"。右側が "State"  "Hardiness Zone"  "Floristic Region (Biome)" 〔砂漠とか熱帯サヴァンナとか〕となっていて、適当に空所に入れると該当する植物が出てきます。"Genus" eucalyptus を入れて、アメリカでは10種、カリフォルニアにしぼると6種ヒットします。1.Eucalyptus camaldulensis - river red gum 2.Eucalyptus cladocalyx - sugar gum  3.Eucalyptus globulus - blue gum  4. Eucalyptus polyanthemos - silver dollar gum  5.Eucalyptus sideroxylon - red ironbark  6.Eucalyptus torelliana - cadagi見比べると、3つ目の "Eucalyptus globulus" つまり"blue gum"と呼ばれるものがアルバニ山に見られるものだとわかりました。

  あらためて検索すると、英語版Wikipediaには "Eucalyptus globulus" が別だてで記事になっており、細部の画像も豊富に付いているのでした。

   Image: Eucalyptus globulus fruit

      Image: Eucalyptus globulus fruit 3-6valves 

   Image:Eucalyptus globulus bud

      Image: Eucalyptus globulus bark

    アルバニー市のページには、土着(native) の植物としていくつかあがっていましたが、どんぐりみたいなのは coast live oak というカシの種類のようです(モノの本によると常緑樹evergreenの場合はカシ、落葉deciduous の 場合はナラだそうで)。これはある程度の塩分のある土地でも生え、カリフォルニア沿岸に昔からある木だそうです。高さ1025メートル。樹齢が200年を超えるものもあるそうです。しかし高さ的にはユーカリに負けていて、アルバニ山の姿はユーカリによるところが大きいように見えます。山の上のほうで倒れ ていたのはもしかしてカシの木じゃないのかしら。

   はじめのころアルバニ山周辺の坂道を歩きながら、むかしむかし、アメリカ人もスペイン人もいなかったころ、人工の道路もなくて、インディアンの先祖が住んでいた頃の原始の森の姿をあちこちに幻視したつもりでいたのですが、イメジが違ったようです。

1988230

アルバニ山の海側のピアス通り沿いの入口(4月24日撮影)

 

1972576

海と反対側の、サンパブロ通りのさらに東側のEvelyn 通りからの眺め(7月18日撮影)

--------------------------------------

参考url――

 "City of Albany, CA: Albany Hill" <http://www.albanyca.org/index.aspx?page=592> Albany 市のHP

ウィキペディア「ユーカリ」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AA>

桜井敏浩「ユーカリ植林と環境問題――ブラジルでの議論を中心として」 <http://www.bizpoint.com.br/jp/reports/sakurai/sk11_00.htm> Bizpoint 内の「桜井ブラジル評論コーナー」〕

EucaLink <http://plantnet.rbgsyd.nsw.gov.au/PlantNet/Euc/> 700, 800種、いや1000種以上あるといわれるユーカリについてのオーストラリアのウェブガイド〕

Wikipedia, "Eucalyptus" <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Eucalyptus>

Robert L. Santos, "The Eucalyptus of California: Seeds of Good or Seeds of Evil?" (1997) <http://www.library.csustan.edu/bsantos/euctoc.htm>

Dendrology at Virginia Tech Home <http://www.cnr.vt.edu/DENDRO/dendrology/main.htm>

EUCALYPTOLOGICS: GIT Forestry Consulting's Eucalyptus Blog <http://git-forestry-blog.blogspot.com/2008/08/eucalyptus-species-identification-iv.html> eucalyptology を学として提唱する、たぶんカリフォルニアの団体のページ〕

UC/JEPS: Jepson Manual treatment for QUERCUS agrifolia var. oxyadenia <http://ucjeps.berkeley.edu/cgi-bin/get_JM_treatment.pl?4316,4326,4328,4330> coast live oak についての記述を含むUCB のページ。James C. Hickman, ed. The Jepson Manual:Higher Plants of California (1993) のネット版〕

 

 


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June 21 断章 家族クイズ family quiz (2) [断章 fragments]

June 21, 2008 (Saturday)

前日に続いて地理クイズが昼過ぎに始まった。

モ「九竜がすりでゆうめいなところは?」
ハ「あ、那覇のどこか」
チ「ナハナハ」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
モ「答え言っていい? 南風原。」


モ「沖縄の独特の文化の古くから伝わるものみっつ。
チ「じゃびせん」
モ「そうじゃなくてものだよ。」
ハ「りゅうきゅうだいこ」
モ「沖縄だよ」
チ「さんしん」
モ「あと沖縄っていったらこれだよ」
チ「えーと。シーサー」
モ「正解。あとひとつ。」
チ「お酒?」
モ「なのかもしんない。絵を見るとよくわかんないんだけど。」
ハ「あわもり」
モ「正解」

モ「海の祭と言えば?」
チ「どこの?」
モ「那覇市」
チ「ハーレー祭り」
ハ「ハーリー」
モ「正解」

モ「復活された那覇市の場所」
チ「復活? シュレイの門」
ハ「シュリノ門」
モ「超惜しい」
ハ「首里城」
モ「正解」

モ「琉球紅型が有名なところと言えば」
モ「まちがえた。ヨミタンザンハナオリって言うのが有名なところと言えば? 読解のドクに、谷って言う字、山、花、フラワー、織物の。」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
モ「答えは ヨミタン」
チ「なにそれ」
モ「ヨミタンって書いてあるんだもん」
モ「ヨミタンザンハナオリ。でね、それが有名なところがヨミタン」
チ「つまんねー」

モ「ちゅうなんあめりかの人種構成」
チ「中南米?」
モ「だから、ブラジルとか、ペルーとか、コロンビアとか。」
チ「人種を言えばいいの?」
モ「ううん。音楽や文化を言ってください。」
モ「メキシコは?」
チ「バンジョー」
ハ「フラメンコ?」
モ「文化かもしれない」
ハ「サンバ」
チ「おどりじゃないでしょ」
チ「こども? なんか、なんにんかでやってんだろ?」
モ「うん。このなかで出てるのは3人。」
ハ「マラカス」
モ「エロべろべろ。あとこれ(とトロンボーンのマネ)。あとこれ(とギターじゃないんだけど)」
チ「それバンジョーだろ。」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
モ「答えは・・・・・・マリアッチ」

モ「じゃあ、つぎは。キューバ」
ハ「サンバ」
モ「ちがいますねー」
チ「ルンバ」
モ「ちがいますねー」
ハ「マリンバ?」
モ「ヒント。最初の文字がト。」
チ「トルネード」
モ「ソから始まる」
ハ「ソ?」
チ「即興ミュージック。へへへへ。」
モ「ちがう」
ハ「ソーラン節」
チ「ソン」
モ「正解」
チ「ソンて歌って言う意味だろきっと。」

モ「ペルーは? ペルー、ペルー、ペルー。」
チ「ペルーは。フォルクローレ」
モ「はっ。正解」
ハ「なんだって」
モ「フォルクローレ」


モ「ブラジルは」
チ「サンバ」

モ「アルゼンチン」
ハ「ルンバ」
チ「タンゴ。カーニバル」
モ「正解。タンゴ」

モ「いま何時?」


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August 5 ロング・ブラックとカフェ・アメリカーノ Long Black and Cafe Americano (アメリカのコーヒー 1) [飲み物 drink]

August 05, 2008 (Tuesday)

    アメリカのコーヒーについて体験的な記事を書こうと思って昨日から写真の整理とかしていたのだけれど、 いまさらのように「アメリカン・コーヒー」というのが気になって、ついでに世界のコーヒーが気になったモーリちゃんの父である(助さん、拡散パタン)。

  あれこれ調べてみて、いわゆる「アメリカン」 についての簡潔な説明が日本版ウィキペディアの「コーヒー」の項目のなかの「ヴァリエーション」として書かれています――「アメリカン・コーヒー 湯で薄めたコーヒーとの認識が一般的であるためにバリエーション・コーヒーと言い難いが、本来は浅煎り豆から薄めに抽出したコーヒーのこと。アメリカで一時期コーヒー豆の高騰により少ない量でもおいしく飲めるように浅煎りを用いていたことが起源。通常は砂糖、ミルクなどを入れずブラックで飲む。」  浅煎り豆のコーヒーだとの説明です。そして、いま気づいたのですが、ウィキペディアは「アメリカン・コーヒー」が項目としてあります。――

アメリカン・コーヒーとは、1966年設立された(株)日本珈琲販売共同機構を本部とする珈琲専門店フランチャイズ『コーヒーハウス・ぽえむ』が日本(世界的にも)で初めてメニューとして登場させたものである。第二次世界大戦後のアメリカにおける一般的な焙煎度合いを日本で再現したもので、正式名称は『アメリカン・ロースト・コーヒー』と呼ぶ。この名称は世界基準となる珈琲鑑定士用語には存在しないものである。一番近い焙煎度合いとして『シナモン・ロースト』となるが、厳密にはシナモン・ローストよりやや煎りが強くなる。 世界的用語ではない為、アジア圏以外では通用しない事が多い。

日本においては、通常のコーヒーをお湯割りにしたものを『アメリカン・コーヒー』と認識している人達が多く、間違いが常識化しているのが事実である。 1970年代に落語家などが『ただの珈琲、お湯で薄めればアメリカン!!!』と茶化し始めたのがきっかけで、日本全国に『お湯割り=アメリカン』のイメージが定着してしまったようである。改めてメディアによる影響の強さを窺う事が出来る。お湯で薄めずに作られる本来のアメリカンコーヒーは、浅煎りのため、苦味よりも酸味が強いのが特色である。しかしながら、現在のアメリカではスターバックスに代表されるシアトル系コーヒーの台頭などにより、昔日のような薄く軽い味わいのコーヒーを供する店は減少しつつある。


現在のアメリカン・コーヒーの認識

 基準となるコーヒーの量をお湯で更に割ってボリュームを増やして、カップも大きめにした飲み物。かつてアメリカでは浅煎りの豆を用いた薄いコーヒーが好まれたため、薄いコーヒーや薄めたコーヒーの代名詞として用いられるようになった。ボリュームを重視した飲み物といえるが、コーヒーの持つ苦味や香りを抑えたことでコーヒー嫌いな人にも好まれる傾向がある。一般的に砂糖やクリームを加えない、ブラックコーヒーと呼ばれる状態で飲用される。

 さらに気づいたのですが、「アメリカン・コーヒー」には関連項目として、モーリちゃんの父が英語で調べて語ろうとしていた「アメリカーノ」の項目をリンクしていましたーの。どう関連しているのかはどちらでも語られておらないのですが。

アメリカーノ(英語名:Americanoまたはcafé américano)は、エスプレッソ・コーヒーにお湯を注いで作るスタイルのコーヒー

ドリップ・コーヒーとはまた異なった風味を楽しむことができる。この種のコーヒーは、オーストラリアにおいて「ロング・ブラック・コーヒー」として知られている。エスプレッソのように、アメリカーノはレギュラーコーヒーとの風味の違いを楽しむため、甘味料を加えずブラックのまま飲む人々も多い。また、アメリカーノという言葉は、ベルモット(赤)とカンパリ、ソーダを混ぜたカクテルをさす場合にも使用される。

最も一般的なその名前の由来には、もともとエスプレッソを薄めて飲むアメリカ人を侮蔑する意味があったという説がある。名前の由来を知ってか知らずか、アメリカでは1990年代にスターバックスのような喫茶店チェーンが爆発的に広まるまで、アメリカーノは一般的な飲み物ではなかったことが明らかとなっている。現在でもアメリカーノは、アメリカ合衆国内にある喫茶店であまり飲まれていない。

  で、これが参考文献としてあげている、"Espresso drink names and terms : Coffee and Caffeine FAQ"は、確かに "An Americano is a single shot of espresso with 6 to 8 ounces of hot water added. This term was originally devised as a sort of insult to Americans who wanted their espresso diluted." と書いています。だけどー、ウィキペディアの記事に突っ込みを入れるとー、第一にー、カクテルの「アメリカーノ」に言及する意図が不明ですー(たぶんそっちはスペイン語だと思うのですが・・・・・・ま、同じと言えば同じですが)。第二に「最も」は意味不明、第三に「一般的な」も意味不明、第四に「もともと」の修飾が曖昧ですー。そして、第五にー、もしももともとコーヒーを薄めて飲んでいるのだったらー、落語家が「アメリカン」と言ったのと同じ程度の侮蔑だと思うのですが―。第六にー、だとしたらー、カフェ・アメリカーノ(これは明らかにイタリアンな名前で、エスプレッソがらみですが、わざわざイタリアンなところがderogatory な感じはあるのでしょーが)の前から実態としての「アメリカン」はなかったのだろうか、という疑問がフツフツと湧いてくるわけです(フッフッフッツ)。

  とりあえず英語版のWikipedia の"Cafe Americano" の項目は、とくに侮蔑的とかいうような説明はなく、本文は以下のようです。――

Origin

The drink consists of a single or double-shot of espresso combined with up to four or five ounces of hot water in a two-demitasse cup. It is important to note that an Americano is created by adding the water to an already extracted espresso, not by drawing more water through the espresso grounds (i.e. a lungo). An Americano can be produced from lighter roasted coffees and roasts not generally associated with espresso, such as beans of Ethiopian or Sumatran origins.

Variations

  • A variation of the beverage is the iced americano. Instead of hot water, the espresso is combined with cold water.
  • Another variation, found in Canada, is the "Canadiano". This is Café Americano prepared with drip coffee instead of water.

 

   そして、references がないのですけれど、"see also" として "Long black - espresso added to hot water (in that order), famous in Australia"、"Lungo - hot water (passed through the coffee grounds) and added to espresso"、"Red Eye made with drip coffee instead of hot water" の三つが並んでいます。三つめの "red eye"というのはエスプレッソにお湯の代わりにドリップコーヒーを加えるという変種ですが、前の二つは湯にエスプレッソを加えるタイプです。"lungo" というのはイタリア語の"long" ですが、エスプレッソを淹れるのに通常より多く水を入れるタイプで〈反対に水少しは"ristretto")、通常は抽出されない成分がでてくるのでricher だけどmore bitter よ(コモリのおばちゃまかいw)。

   コアラの国のオーストラリアとニュージーランドで一般的とされる "long black" はアメリカーノと同じようなものと言っていいようです。 オーストラリアでラオスからコーヒーを輸入してコーヒー屋さんをやっているCyberCofeeのJohn McBeath and Mary Flint ご夫妻は次のように説明しています。――

LONG BLACK
A longer version of the espresso, and not so strong as the original espresso is more diluted with the extra hot water. A crema, the coffee foam, should be present on the surface, which shows both the freshness of the grind and the presence of suitable beans. This method is a good way to assess the flavour of the coffee.  〔Cofee recipes from Cyber Cofee

   最初に湯で、そこへコーヒーという順番は Wikipediaの上に引いた本文は "adding the water to an already extracted expresso"と逆ないし曖昧に表現していますが、前段の定義の部分では "Café Américano or simply Americano [...] is a style of coffee prepared by adding expresso to hot water, giving a similar strength but different flavor from regular drip coffee" と書かれていて、やっぱり心あるいれ方としては、順番は湯が先で、コーヒーがあとです。「クレマトップ」とかいう商品がありますけど crema とか schiuma とか言われる旨みのある泡成分が損なわれちゃうから。

   ところでこのふつう「長い」をあらわすlong とかlungo の使い方は、カクテルでlong とか short というのと同じですね。いや、ですかね? でも酒のほうはグラスが深いとか浅いとかいうのからきてるのかしら(long drink, short drink)。

   で、アメリカンについてはいまだ調査中です。1970年代くらいからの歴史的経緯についてはある程度下記のいくつかのサイトの話を総合して分かったような気になっていますが。

   焙煎については「アメリカン2」の頭に置かれているtunamuraさんというかたの文章がコーヒーを飲むときに参考になりそうなので、貼り付けておきます。――

焙煎の程度ですが、浅煎りだといわゆる薄味のアメリカン・コーヒーになりますし、深煎りだとコクと苦みが出て逆に酸味が消えます。
 この部分は、私の知識に誤解があったようですので、下記の永田珈琲倶楽部さんからいただいた適切なアドバイスをご覧下さい。
                                            tunamuraさん

 
永田珈琲倶楽部さんからのアドバイス  -自分にあった珈琲を見つけるために-
 1.焙煎度合いによる自分にあった珈琲 → 酸味から苦みの世界へ。
 2.お湯の温度による自分にあった珈琲 → 苦味から柔らかい味へ。
 3.粉の粗い、細かいによる自分にあった珈琲 → 濃くからすっきりへ。

説明 アメリカン 浅煎りのことです。
 ここでちょっとアメリカンのことでお 話しします。
 それはアメリカンタイプとアメリカンローストとが同じものだと 誤解されている様ですから、その違いを説明いたします。
 まずアメリカンローストですがこれは文字どおり焙煎度合いでのアメリカンです。
 シナモンからミディアムくらいでしょうか。  極めて浅煎りの段階で煎り上がった状態の豆を指します。
 乃ちこの段階で抽出された液体は軽いどころか生に近い分、エキスがたくさん含まれていますので、中身は全ローストの段階でいいますと一番濃い(コクあり)のです。
 タンニンも、カフェインも、他の成分も多く含んでいます。
 だからこの<アメリカンロースト>は何杯も何杯もは そうそう飲めない事になります。
 通常言われていますアメリカンは、私の言い方ですとアメリカンタイプとして表現します。それはロースト度合いは考えず、 と言うことは浅い煎りだろうが、中煎りだろうが、深煎りだろうが、極薄めに抽出する事を意味します。
 又は出来上がった液体にお湯を足し薄めて飲むと言 うことです。
 そうです。単なる薄い珈琲を指しているのです。

 

 

   「本場アメリカでは、薄めたコーヒーを「アメリカン」と言わないのに、どこでどうなったのか他の国では、薄めたやつが「アメリカン」ということで、幅をきかせているようですね。」 との発言(?)がありました(「アメリカン3」)が、ほんとうにそうなのかどうか。

 (はなしはつづく)

 coffee007314.gif

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参考url――

★アメリカのコーヒーあれこれ――

「アメリカのコーヒー事情」 <http://www.kimameya.co.jp/mame/jijyou.html> 〔「アメリカン・コーヒーはアメリカ産コーヒー?」「アメリカンは浅煎りで?」 無農薬・有機栽培コーヒー豆の専門店生豆屋のページ内。エスプレッソとの関係とか違うと思うのですが、疑問形なのでなんとも・・・・・・〕

「日本人のコーヒー好きはアメリカ文化の浸透している証拠だ - Yahoo!知恵袋」 <http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310550478?fr=rcmd_chie_detail> 〔2007.1.20-24. 質問も回答も好き放題言っているのがいとおかし〕

「アメリカのコーヒーってそんなにまずいんですか? - Yahoo!知恵袋」 <http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411840904>  〔2007.6.9-16 〕

「アメリカ人とコーヒー - 教えて!goo」 <http://oshiete1.goo.ne.jp/qa534180.html> 〔「アメリカ人のコーヒーに対する考え方(とくに健康志向の人が近年オーガニックコーヒーなどを飲んでいる。コーヒーは嗜好品から健康食品へと変わってきたといういような)の変化がわかるような記事やサイトがないか探しているのですが、どなたかアイデアがあれば教えてください。」という質問。ひとりの回答者によると「カリフォルニア州バークレーでは住民投票により環境にやさしいオーガニック栽培のコーヒーが義務付けられたとか。話はそれますがアメリカのコーヒー消費も量・質ともにスターバックスの功績が大きいようですね。」 リンクがほとんど切れています。2003.4.28-29〕

「アメリカン・コーヒーなるもの。」 <http://blogs.yahoo.co.jp/moscatiello335/17785712.html> 〔mos*a*iel*0335 さんのブログ『アメリカ在住!聞こえはいいけど「箱」住まい(T_T)』の2005.11.29日の記事。「最近つくづく思うのが、アメリカのコーヒー味、質の向上。・・・多分スターバックスコーヒーが大いに影響していると思うが・・・今の若い世代は知らないかもしれないが、(私も年を取ったもんだ・・_(*__*)ノ彡)一昔前までは、アメリカのコーヒーと言えば、「アメリカンコーヒー」しかなかった。そう、コーヒーをお湯で薄めた、味も香りもないコーヒー。(T_T)日本でも、お湯で薄めたコーヒーを「アメリカン」なんて呼ぶよね。でも、日本のそれとは比べ物にならない程、アメリカでは薄めるのだ。まるで、色のついたお湯だ。C<―_-)))))) アメリカに旅行に来て、おいしいコーヒーは、なかなか飲めなかったものだ。本当にアメリカ人って、コーヒーの味を知らないんだなあと最初は思っていた。アメリカ人って、味オンチなんだ!と勝手に解釈していた。けれど、添乗の仕事をしだして、アメリカの歴史を勉強した時、アメリカンコーヒーがちょっと美味しく感じるようになった。」 というところから歴史の話を展開。「コーヒーを飲みだしたのはいいが、コーヒーは濃いすぎて、何杯も飲めない( ̄◇ ̄;・・・何杯も紅茶のように、飲みたい!!で、紅茶に近づけよう!(〃▽〃)と、コーヒーをシャビシャビに薄めた!♪(@∇@;)んだそう。」 豆の煎り方の問題に触れる、とおりすがりの [ うぺ ] さんのコメントも参照〕

「スペシャルティコーヒーの歴史」 <http://specialtycoffee.co.jp/about/post-3.shtml> 〔「アメリカン・コーヒー」の話ではないですが、近年の変化に関連した示唆的な記事として。大阪スペシャルティコーヒー倶楽部のページ内。「1960年代、70年代の東西冷戦下では、コーヒーはアメリカによって中南米諸国の共産化防止策として大量に買い付けられて」おり、「買い叩」き、「品質低下」「味の低下」が起こった。「薄いコーヒーは更に薄くなり、お替り自由が当たり前に」なる。しかし「東西冷戦も終結を迎えるころ、カリフォルニアでピーツ*のような高品質のコーヒー、ダークロースト〈深煎)のコーヒー自家焙煎店が出現」する。そして1982年のアメリカスペシャルティコーヒー協会設立(SCAA)をに象徴的なようにコーヒー消費が高品質を求めるものにかわっていったのだということです(以上概略)。なんでアメリカで歴史が始まるのかはよくわかりません。 (注)ピーツ*: 1966年にBerkeley のAlfred Peet がつくった Peet's Coffee & Tea のこと。Kコさんも最初アルバニーとバークレーを案内してくれたときに、唯一まずくないコーヒーと言ってましたけど、このAlfred Peet は "grandfather of specialty coffee" と呼ばれるそうな。なんで父でなくて爺さんなのかは不明w〕

「さらなる値上げを行った米スターバックスと、変化するアメリカのコーヒー市場」<http://mediasabor.jp/2007/08/post_182.html> 〔同上。在米ジャーナリスト加藤靖子のMediaSabor プロフェッショナルブログ記事 2007.8.14. 関連情報が豊富〕

「ジャワ・コーヒー」<http://members.jcom.home.ne.jp/cafe1/java/jvc_index.htm> 〔Starbuck をあげたのでJava Cofee も〕

「マッカラコーヒー会社概要」 <http://www.mccullagh-j.com/aboutus.html> 〔同じく McCullagh Coffeeも〕

「コーヒーのまめ知識」<http://coffee.apljp.net/> 〔おもしろそうなブログなですけれど(とくに「アメリカのコーヒー会社の始まり」、いかんせんコーヒー色の背景で読みにくくw いずれ参考にさせていただきます〕

「クラーク博士の珈琲300g箱入り」 <http://www.subarucoffee.co.jp/cart_ex/cart_ex/kura-ku-vp.htm> 〔北海道の昴珈琲 SUBARU COFEE のページ内。南北戦争とコーヒーとクラーク博士〕

★★焙煎と「アメリカン」の関係について――

「アメリカン2 」 <http://www2.plala.or.jp/kamkamkam/gimon/no47/amerikan2.htm> 〔『勉強さしてもらいます! 』(のりのりの音楽注意)の47「コーヒー、水で割ったらアメリカン・・・のはずないか!」の次のページ。〕

「(アメリカン3)」 <http://www2.plala.or.jp/kamkamkam/gimon/no47/amerikan3.htm>  〔その次のページ〕

ウィキペディア、「アメリカン・コーヒー

ウィキペディア、「コーヒー

cofee_DSC_0024.jpg

左のふたつはLuckyで、右のみっつはRoss で買ったものです(Lucky 等の食品店で売っている豆がダークすぎて)。コーヒー豆をロスで買う人はあまりおらんと思います(笑)。


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August 6 翻訳著 Translation [メモ]

August 06, 2008 (Wednesday)

   これは個人的メモです。

    日本の、とある学会〔と学会ではない〕から、モーリちゃんの父が前に誤植を沢山指摘したので――-- <!--[endif]-->先回〔千回ではない〕も誤植を随分見つけてくださったので、この段階で、みてくださいませんか、とメールに添付で会報〔解放どころではない〕の原稿が送られてきた。

  あいよー、と、猛烈なチェックを夕方図書館から帰宅後に始めて訂正を入れたファイルと説明の文書を先ほど送り返したところだが、ひとつ気になったことに書誌のなかでの「翻訳著」という分類名称があります。

  実は初めて目にしました、たぶん。で例によってネットで調べてみると、けっこうある。「翻訳著に「アメリカの医療と看護」(保健同人社)など多数。」(「書評」<http://www.jscf.org/jscf/SYOHYOU/okamoto.htm>)とか、「書籍名:国際版・世界の美術館 8 ミュンヘン美術館 著者名:森洋子翻訳著」(日本の古本屋:古本・古書リスト <http://www.kosho.or.jp/list/207/207-16.html>)とか、「原著・翻訳文をご覧になりたい方は、下記をご覧下さい。・原著(English) WHO Terminal report series 916 "DIET, NUTRITION AND THE PREVENTION OF CHRONIC DISEASES"
Report of a joint FAO/WHO Expert Consultation
 ・翻訳著 WHOテクニカルレポート916 「食事、栄養および慢性疾患予防」【国連食糧農業機関/世界保健機関の共同報告書】」(2003年 FAO/WHO 歯科疾患予防の勧告 <http://www.f-take.com/fao-who-2003report.htm>)とか。

  ググルやヤフの検索で上位でヒットするのはウィキペディアですねー。でもウィキペディア内で検索すると五つしか出てきません。そのうち二つは「翻訳著書」という言葉で、「翻訳著」は三つだけですが(Search results for 翻訳著)。五件のいずれも人名で、「翻訳著」の三つのうち二人は大学教授で「単著」「共編著」「翻訳著」もうひとりはさらに、「論文」と並んでいます。残りのひとりは『ちびくろさんぼ』や『ひとまねこざる』の翻訳で有名な光吉夏弥で、「翻訳著」のみ4冊あがっています。ちなみに「翻訳著書」は映画監督のジョン・ウォーターズと哲学者のショーペンハウエルで、つまり日本語に訳された著作の意味で「翻訳著書」という言葉が使われているようでございます。よくわかりませんが、「アカデミズム」の人かなんかがこういう表記をウィキペディアに入れつつあるのかとソンタクされます。十年以上前でしょうか、複数の筆者による論文集に入れた論文を「論文」じゃなくて「共著」と表記し、ただの論文で単行本でなくても「単著」と表記する(単著の単行本は「著書」)ように文部科学省が指導だかなんだかしたようですが、そういう流れのなかで自発的ないし行政的に起こった奇妙な日本語なのでしょうか、どちらも、みんな。

  あと、ちょっと違うパタンだと、「DV・虐待にさらされた子どものトラウマを癒す―お母さんと支援者のためのガイド ランディ バンクロフト (著), Lundy Bancroft (原著), 白川 美也子 (翻訳), 阿部 尚美 (翻訳), 山崎 知克 (翻訳), 白倉 三紀子 (翻訳) (著)」 (ウィメンズカウンセリング徳島 <http://wctokushima.com/books/show_book.php?isbn=1193>)とか、「Web解析Hacks  Eric T. Peterson (著), 株式会社デジタルフォレスト (監修), 木下 哲也 (翻訳), 有限会社 福龍興業 (翻訳) (著)」(活動スケジュール|EO <http://www.eojapan.org/cat3/>)とか。

  こういうのを見ると、著作権の意識がなせるわざか? とも思われます――実のところ「(著)」がどこにかかっているのか定かではないのですが(笑)。「■恐竜はネメシスを見たか リチャード ミュラー/手塚 治虫 (翻訳) (著)■」(<http://cottonbook.ocnk.net/product/176>)みたいなのもよくわからんです。逆じゃろー、という感じ。まあ訳者のほうが名前がでかいというパタンですが、しかも監訳だし。

   また違うパタンでよくわからんのはアマゾンの「愛はさだめ、さだめは死 (ハヤカワ文庫SF) (文庫) ジェイムズ,Jr. ティプトリー (著), ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア (翻訳, 著), 浅倉 久志 (翻訳) 」 みたいなの。

  ううむ。やっぱり研究者のネット上の業績とか見ると「翻訳著」と書いている例がありますねー。

  翻訳は翻訳なんで、著なんかつけたってしょうがないと思うのですが。そんなにこだわるなら、論文も論文著、発表も発表著。作品の場合は作品著、小説著、詩著、 とつい言いたくなるが、やっぱり日本語がおかしいのはおかしいし、おかしいのを世間にまで広めようとするな、と言いたいです。英語だったら、どんなにエライ人の翻訳の仕事だろうがどんなにエライ作品の翻訳だろうが、translationでしかないと思いますが。まあ translation works という言葉はありそうではありますが。

 

 Translation.gif

    メモですので、翻訳著作権関係の文章を貼り付けておきます(読む必要はありません)。「平成19年度特許庁委託事業 韓国産業財産権調査報告書 (第51回)」 <http://www.jetro.go.jp/biz/world/asia/kr/ip/pdf/0706_report.pdf>

翻訳著作物の実質的類似性の判断方法及び独占的翻訳出版権者の著作権者代位のための保全の必要性に関して判断した事例
【書誌事項】
当事者:○○(原告) v. ○○(被告)
判断主体:大法院
事件番号:2005 ダ 44138
言渡し日:2007 年 3 月 29 日
事件の経過:確定
【概要】
(1)翻訳著作物の創作性は、翻訳者の創意と精神的努力が宿った部分にあるものであり、その翻訳著作物に現れた事件の展開、具体的なあらすじ、登場人物の性格と相互関係、背景設定などは翻訳著作物の創作的表現であると言えないため、翻訳著作権の侵害如何を判断するために翻訳著作物と対象著作物間に実質的類似性があるかどうかのを判断においては、翻訳著作物の創作的な表現に該当することだけを持って対比しなければならない。
(2)著作権者との利用許諾契約により取得する独占的翻訳出版権は独占的に原著作物を翻訳し出版することを内容とする債権的権利であるため、第三者が作成した著作物が原著作物の翻訳物であると見られない時は、独占的翻訳出版権者が著作権者を代位しその第三者を相手取って侵害停止などを求める保全の必要性があると言えない。
【事実関係】
原告は、「ロバの耳」という題号のフランス語原作小説の著作権者と原作に忠実且つ正確に翻訳すると約定し、利用許諾契約の一種である独占的翻訳出版契約を締結して韓国語に翻訳した本件小説を出版した。その後、被告が上記のフランス語原作小説と類似の対象童話を出版したところ、これに対して原告は両著作物間に実質的類似性があり本件小説に対する翻訳著作権が侵害されたことを理由に、併せて独占的翻訳出版権に基づいて原作小説の著作権者を代位し、本件著作権侵害停止請求の訴えを提起した。
【判決内容】
(1)翻訳著作物の創作性は、原著作物を言語体系が異なる国の言語に表現するための適切な語彙と構文の選択及び配列、文章の長短及び叙述の順序、原著作物に対する忠実度、文体、語調及び語感の調節など翻訳者の創意と精神的努力が宿った部分にあるものであり、その翻訳著作物に現れた事件の展開、具体的なあらすじ、登場人物の性格と相互関係、背景設定などは場合によって原著作物の創作的表現に該当し得ることはさておいても、翻訳著作物の創作的表現であると言えないため、翻訳著作権の侵害如何を判断するために翻訳著作物と対象著作物間に実質的類似性があるかどうかの判断においては、上記のような翻訳著作物の創作的な表現に該当することだけをもって対比しなければならない。
 また、対象著作物が既存の著作物に基づいて作成されたかどうかと両著作物間に実質的類似性があるかどうかは互いに別個の判断であって、前者の判断には後者の判断と異なり著作権法によって保護される表現だけでなく著作権法によって保護されない表現などが類似しているかどうかも共に参酌され得るため、対象童話が本件小説に基づいて作成されたかどうかの判断において著作権法により保護されない表現などの類似性を参酌できるとして両著作物間の実質的類似性如何の判断においても同一に上記のような部分などの類似性を参酌しなければならないものではない。
 本件小説の個々の翻訳の表現を構成している語彙や構文と部分的に類似に見える語彙や構文が対象童話で時々発見されるが、そのような事情だけで直ちに本件小説と対象童話の間に実質的類似性があったり本件小説に対する翻訳著作権が侵害されたりしたとは断定できず、その実質的類似性を認めるためには対象童話で類似語彙や構文が使われた結果、本件小説が翻訳著作物として持つ創作的特性が対象童話で感知される程に至ったという点が認められなければならない。
 しかし、本件小説と対象童話で一部類似語彙や構文が占める質的あるいは量的比重は僅かであり、本件小説は社会批判小説として青少年層を読者層とする反面、対象童話は乳幼児童として児童などを読者層としており、その結果類似語彙や構文などが配列された順序や位置、その類似語彙や構文が挿入された全体の文章や分段の構成、文体、語調及び語感などで相当な差が見られるため、本件小説が翻訳著作物として持つ創作的特性が対象童話で感知されるとは見難い。従って本件小説と対象童話の間に実質的類似性があるとは言えない。
(2)著作権者と著作物に関して独占的利用許諾契約を締結した者は、自身の権利を保全するために必要な範囲内で著作権者を代位し著作権法第91条に基づいた侵害差止請求権などを行使することができると言えるが、著作権者との利用許諾契約により取得する独占的翻訳出版権は、独占的に原著作物を翻訳し出版することを内容とする債権的権利であるため、第三者が作成した著作物が原著作物の翻訳物であると見られない時は、独占的翻訳出版権者が著作権者を代位しその第三者を相手取って侵害停止などを求める保全の必要性があると言えない。
 ところが、対象童話はフランス原作小説の分量を大幅に縮小し登場人物と逸話の数、具体的なあらすじの細部展開などを減らしたり単純化し、登場人物の職業と細部的な性格及び背景設定などを異ならせその主題と結末を変える等の相当な変更を加えた結果、対象童話がフランス語原作小説の翻案物に該当するかどうかは別論としてその翻訳物であるとは到底見られないため、原告がフランス語原作小説の著作権者を代位し対象童話の複製、配布などの禁止などを求める保全の必要性があるとは言えず、本件債権者代位請求部分の訴えは不適法である。
【専門家からのアドバイス】
著作権法は翻訳物を著作物として例示してはいないが、語文著作物の一つとして著作権法により保護され得るのは当然である。しかし、翻訳物自体の著作権を主張できる部分は上記の判示でのように原著作物に見られない創作的表現に限定される。また、翻訳出版権者が原著作者を代位し権利行使をすることにおいても対象著作物が翻訳の程度を越えた場合、代位権行使のための保全の必要性は認められない。このような点を考慮すると、翻訳出版権者は原著作者と契約を締結する時、翻訳出版権者の権利を侵害する一定の状況が発生した場合、原著作者が翻訳出版権者の利益を保護するために訴訟を提起する義務を賦課する条項を設ける等の方策を予め確保しおく〔ママ〕ことを積極的に考慮してみる必要がある。

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August 4 ポイントポン! [断章 fragments]

August 04, 2008 (Monday)

  日本時間で2008年8月4日23時11分。 カリフォルニア時間で8月3日午前7時11分。

  こういうささやな喜びを記録しておくのも日記としては大切なことなのでしょうか。ということで――

 pointpon_Aug3square.JPG

 

  WinShotで撮っておいたのですが、ブラウザーを閉じないままにしておいたので、そちらをモーリちゃんに見せました。 奇声を発して踊っていました。


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May 9 マネー・オーダー Money Order [モノ goods]

May 09, 2008 (Friday)

  この日、スーパーのLuckyでMoney Orderをつくった。サンフランシスコの日本領事館に教科書の申請をするのに15ドルのマネーオーダーが必要なためです。

 

 日本でアメリカの古本屋に注文するとき、ときどきチェックかマネーオーダーで、と指定してくる(クレジットカードは使えない)本屋がいて、小切手はもってないし、しかたなく何度か郵便局でpostal money orderをつくったことがある。日本でつくるのに500円もかかります。

 調べてみると、アメリカでは郵便局でpostal money orderをつくると、500ドルまでが1.05ドルかかり、それ以上1000ドルまでが1.50ドルかかるようです。Luckyでつくったら手数料は50セントだけでした。

 ふつうのレジで頼むのかと思ったら、入口に近い所に金券類(?)を扱っているカウンターがありました。なんかクジとかも売っていたみたいな。

MoneyOrderatLucky_lined.jpg

 

 

MoneyOrderatLucky_reverse_lined.jpg

 

  これは緑色の字や線なしで原寸大でアップロードしたのですが、法律に触れるかとビビッて撤回しました。その画像を加工したうえであらためて載せるものであります。

  土地柄か、スペイン語が部分的に重ねて書かれているのでした。

 


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August 8 オリンピックの花火 fireworks, pyrotechnics [メモ]

August 08, 2008 (Friday)

    オリンピックが始まった。らしい。テレビ放送はどうなっているのだろう、と遅ればせに公式サイト The Official Website of the Beijing 2008 Olympic Games <http://en.beijing2008.cn/> から 右側の "Olympic Video" の "Select you Country/region" の、最初に日本をクリックしてビデオを見ようとしたら、「あなたの地域では見られません」みたいに出たので、しかたなくUnited States of Americaを選んでクリック。メニューバーの中に "TV & ONLINE LISTINGS" というのがあって、クリックすると、番組表とかと同じで例によって郵便番号を入れろ Enter your zip code と指示があって、どうやらNBC11(このへんのケーブルだと003チャンネル)を中心に放送するということはわかりました(こんなことは常識かもw)。あとCNBC (058)とMSNBC (060)とかで放送。あ、NBC をウィキペディアで調べるとつぎのように「沿革」のなかに書かれていました。――

1995年 2000年から2008年までのオリンピックのアメリカ国内における独占放映権を総額35億ドルで獲得(グループ局のCNBCMSNBCUSAネットワークにおいても放映、2003年には2012年までの独占放映権も獲得)。

あなるほど。で、上記の番組表を見ると、こんな感じ――TV & Online Listings |Viewing Schedule | NBC Olympics 〔NBCオリンピックかよ!〕――ですが、今の段階ではなにやらわかりませんので、ふつうのテレビ番組表を見ると今夜7時半に3ちゃんで入場式が放送されることがわかりました。どうりでニュースでちらっとしか朝はやっていなかったのね。

   夜ということがわかりましたので、前のページに戻って、写真のところを見ると、 "Related" のなかに "Pyrotechnics" という見出しがあった。開会式の "Opening Ceremony: The Pyrotechnics" のフォト・ギャラリーです <http://www.nbcolympics.com/destinationbeijing/photos/galleryid=183811.html>。

    日本(のWEB)では、「ド派手な開会式:花火12万発 ギネス記録に」(同「中国情報局」)とかニュースになっているようですが、英語のニュースでは見当たらず(探し方へたなのかも)、読んでもどういう記録なのかよくわからんのですが(オリンピックとしての最高というのではなくて一度のpyrotechnic show としての最高数ということ??)、まあ、開会式として話題のようで・・・・・・。

   ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

   ここから英語の勉強メモと、あと、洋書とかのことをなるたけ書かんとあかんなあと反省したので、文学作品メモです。

   写真のキャプションは一貫して "Scenes of fireworks in and over the Opening Ceremony of the 2008 Olympics." となっています。『リーダーズ英和辞典』は pyrotechnics を「花火技術;花火の打上げ;《弁舌・演奏などの》はなばなしさ」とし単数形の pyrotechnic は、形容詞として「花火(技術)の;はなばなしい」、名詞として「花火;花火に似た装置,火工品《ロケット点火装置・爆発装置など》;花火用燃焼物」、そして派生語として別の形容詞のpyrotechnical、副詞としてpyrotechnically を挙げています。 『ジーニアス英和辞典』だと、pyrotechnics は「[単数・複数扱い]1  花火製造術 2 《正式》花火の打ち上げ[使用,ショー] 3 《正式》〈弁舌・機智・演奏などの〉華々しさ」としています。pyrotechnic のほうはpyrotechnical と並べて形容詞のみで、「1 花火の 2 華々しい;センセーショナルな」です。『ロングマン現代アメリカ英語辞典』は明快に、というか、こういう長い語にしては珍しく3つ並べて次のように記述しています。――

pyrotechnics
1  [plural] 《FORMAL OR TECHNICAL》 a public show of FIREWORKS
2 [U] 《TECHNICAL》 the skill or business of making FIREWORKS
3 [plural] an impressive show of someone's skill as a public speaker, musician etc.
pyrotechnic adj.

    要するに簡単にいえば「花火」のフォーマルな英語がpyrotechnics です(ロングマンの1番、これはジーニアスの2番)。〈語源的にはpyro は pyramid とかと同じく fire の意味のギリシア語の接頭辞で、それのtechne 術だから花火術とかいう2番の意味がいっぽうであり、また「ハナバナシイ技」みたいな比喩的な3番の意味もあるというわけです。

  この「ピロテク(ほんとはパイロテク)」の比喩的な使い方でモーリちゃんの父の記憶に残っているのは、アメリカの自然主義作家Stephen Crane (1871-1900: BeatlesのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band のアルバムジャケットに登場することで有名か?)がニューヨークで落ちていく娘マギーの生涯をたどった『街の女マギー』 (Maggie: A Girl of the Streets) という中篇小説です。 "A Girl of the Streets" という副題だけでセンセーショナルだったようです。作家の技的にはいかに生の断片ではなくて環境の中で生まれて死んでいく生きざまを長篇小説のような長さじゃなくて捉えるか、というようなことがあったのだろうか、と思いついていまGutenberg のe-text Maggie を見てみたら、生まれるところは書いていませんでした(w)。しかし確か数十ページの長さなのに19章に章立てして、ときに印象主義的といわれるような、感覚的、比喩的な言語で、マギーという花のように開いて花のように散っていった少女の生きざまが語られます。あ、以上駄弁です。

  その11章で、兄のJimmie が、妹のマギーがつきあいはじめた Pete が働いているバーにやってきて喧嘩になるシーンがあり、店にいた静かな客が通りでたぶん腰を抜かしてバタバタしている様子の描写にピロテクが使われます。あんまり意味がないですが長めに引用します。――

  In a small, tossing group, the three men edged for positions like frigates contemplating battle.
  "Well, why deh hell don' yeh try teh t'row us out?" cried Jimmie and his ally with copious sneers.
  The bravery of bull-dogs sat upon the faces of the men.  Their clenched fists moved like eager weapons.
  The allied two jostled the bartender's elbows, glaring at him with feverish eyes and forcing him toward the wall.
  Suddenly Pete swore redly.  The flash of action gleamed from his eyes.  He threw back his arm and aimed a tremendous, lightning-like blow at Jimmie's face. His foot swung a step forward and the weight of his body was behind his fist.  Jimmie ducked his head, Bowery-like, with the quickness of a cat. The fierce, answering blows of him and his ally crushed on Pete's bowed head.
  The quiet stranger vanished.
  The arms of the combatants whirled in the air like flails.  The faces of the men, at first flushed to flame-colored anger, now began to fade to the pallor of warriors in the blood and heat of a battle. Their lips curled back and stretched tightly over the gums in ghoul-like grins.  Through their white, gripped teeth struggled hoarse whisperings of oaths.  Their eyes glittered with murderous fire.
  Each head was huddled between its owner's shoulders, and arms were swinging with marvelous rapidity.  Feet scraped to and fro with a loud scratching sound upon the sanded floor.  Blows left crimson blotches upon pale skin. The curses of the first quarter minute of the fight died away.  The breaths of the fighters came wheezingly from their lips and the three chests were straining and heaving.  Pete at intervals gave vent to low, labored hisses, that sounded like a desire to kill. Jimmie's ally gibbered at times like a wounded maniac.  Jimmie was silent, fighting with the face of a sacrificial priest. The rage of fear shone in all their eyes and their blood-colored fists swirled.
  At a tottering moment a blow from Pete's hand struck the ally and he crashed to the floor.  He wriggled instantly to his feet and grasping the quiet stranger's beer glass from the bar, hurled it at Pete's head.
  High on the wall it burst like a bomb, shivering fragments flying in all directions.  Then missiles came to every man's hand.  The place had heretofore appeared free of things to throw, but suddenly glass and bottles went singing through the air. They were thrown point blank at bobbing heads.  The pyramid of shimmering glasses, that had never been disturbed, changed to cascades as heavy bottles were flung into them.  Mirrors splintered to nothing.
  The three frothing creatures on the floor buried themselves in a frenzy for blood.  There followed in the wake of missiles and fists some unknown prayers, perhaps for death.
  The quiet stranger had sprawled very pyrotechnically out on the sidewalk.  A laugh ran up and down the avenue for the half of a block.
  "Dey've trowed a bloke inteh deh street."
  People heard the sound of breaking glass and shuffling feet within the saloon and came running.  A small group, bending down to look under the bamboo doors, watching the fall of glass, and three pairs of violent legs, changed in a moment to a crowd.
  A policeman came charging down the sidewalk and bounced through the doors into the saloon.  The crowd bended and surged in absorbing anxiety to see. 〔強調付加〕

  戦争や武器の語彙が素手の喧嘩にもちこまれ、同時に動物的・獣的な状態に還るという自然主義的なメッセージが入っている一節です。

  "sprawl" は手足を投げだして寝る、座る、倒れる、というような意味の動詞です。この "quiet stranger" は少し上の青字のところで、(おそらく危険を察して)姿を消した人です。で、なんで店の前にとどまっているのかよくわからないのですが、おそらく店から出る前に喧嘩が始まって、その光景の恐ろしさに腰が抜けたようになって店の前の通りでバタバタしていたのではなかろうかと(推測)。それを見て人は笑います。そして"Dey've trowed a bloke inteh deh street."と誰かが言う。 ニューヨークのバワリー地区の下層のひとたちの言葉ということで、作品内の会話はだいたいくずれた英語になっていますが、They've thrown a bloke into the street."で、bloke は "man" "fellow" の意味です。『リーダーズ・プラス』はアメリカ俗語として「酔っぱらい」を挙げていますが、この作品では他の箇所で(酔っているわけではない)男の意味で使っています。で、「(店から)ひとり男が放り出されたんだ」と言っているわけです。モーリちゃんの父は昔読んだときには、これは事実ではないと思っていたのですが、いま読んでみると、事実なのかもしれません。なかなか店から出るに出られず腰も抜け、放り出された(ほんとかいな?)。まあ、よくわかりませんけれど、いずれにしても、この男のピロテクは、"an impressive show of someone's skill" というような、つまりヒケラカシとかミセビラカシとか自発的なものではないことは確かです。ただ「ハナバナシイ」という感じでよいのでしょうか。あるいは皮肉が入っているということでしょうか。

16章冒頭では形容詞形で出てきます。――

  Pete did not consider that he had ruined Maggie.  If he had thought that her soul could never smile again, he would have believed the mother and brother, who were pyrotechnic over the affair, to be responsible for it.
  Besides, in his world, souls did not insist upon being able to smile. "What deh hell?" 〔強調付加〕

  (ピートは自分がマギーを破滅させたとは考えなかった。マギーの魂が二度とほほ笑むことはない、と仮に考えることがあったとしても、ふたりのつきあいにpyrotechnic だった母親と兄にその責任がある、と考えていただろう。)

   ここでは「うるさかった」 みたいな感じなのでしょうか。上記2例のどちらにしても花火みたいにdisplay が強いということでOKなのでしょうか。

   いまOED (Oxford English Dictionary) を参照することができない環境なので、推断はやめておいて、もしかしたらつづく~♪

 

 

 

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Text:

Stephen Crane, Maggie: A Girl of the Streets.  The Project Gutenberg E-text <http://www.gutenberg.org/files/447/447-h/447-h.htm>

 

 


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August 9 パリのアメリカ娘 An American Girl in Paris [ゲーム games]

August 09, 2008 (Saturday)

??? スペイン語放送で日本とアメリカのサッカー女子の試合を朝から見ていたモーリちゃんの父です。?

??? サッカーとは全然関係ないですが、だいぶ前にもーりちゃんとモーリちゃんの父が渡来いやトライしてほとんど成功しなかったのでやめたゲーム。

  An American Girl in Paris <http://www.americangirl.com/travel/paris/game.html>

「パリのアメリカ娘」。これはSex & the City の最終エピソードのタイトルが An American Girl in Paris だったからじゃなく、むかしから固定的にある憧憬と幻想のイメジのひとつじゃないかとニランデいるのだが、よくはわかりません。ガーシュウィンの『パリのアメリカ人』(1928) にインスパイアーされてつくられた映画『巴里のアメリカ人』(1951)(モーリちゃんの父の好きなフランス娘でアメリカ娘になったレズリー・キャロンの出世作)のエコーは少なくともテレビドラマのほうにはあるのでしょうけど。もっともこのゲームは "American Girl[レジスタードトレードマーク]" という、文房具とか服とか玩具とかトラベルキットとかあれこれトータルでつくっているブランドのページのひとつなので、別の意味合いがあるのかもしれません。

AnAmericanGirlinParisGame.JPG

??? Cross the busy streets of Paris and collect postcards on the way to and from your hotel and Le Cafe Enchante!

  これはCRV のビンカン捨てゲームと同様の横断ゲームに見えます。が、リサイクルゲームよりずっと複雑でむつかしいです。

??? さらにくわしい How to Play 〈図は省略): "Your goal is to cross the streets, parks, and river between your hotel and Le Cafe Enchante as many times as possible before time runs out.? Avoid getting too close to cars and other moving objects, since doing so will send you back to the beginning.(ゴールは、通りと公園と川を渡っていまいるホテルとカフェ・アンシャンテ 〔英語にするとEnchanted Cafe、 魔法のカフェみたいな名前です〕のあいだをできるだけ多く時間内に往復すること。自動車などの動くモノに近づきすぎないように。そうするとスタート地点に戻されてしまいますから。)??Use your keyboard's arrow keys to go up, down, right, and left.? You may also use the "S," "Z," "X," and "C" keys.?(キーボードの矢印キーを使って上・下・右・左へ移動します。"S," "Z," "X,"? "C"?を使うこともできます。) Avoid cars and other moving objects on the streets and in the parks.? Jump onto boats to cross the river.?(通りと公園では自動車などの動くモノを避けます。川を渡るには舟に飛び乗ります。)

  読んだことなかったけどさらに "Next" がありました。―おお、ここを読んでいればちがったかも―― "Collect stopwatches on the way to add more time to your game.? Collect postcards and fill up the stamp symbols above and below the girl's picture on the left.? When you have filled them, you'll get an extra life[.]? You'll also get 25 points multiplied by the level you're on (for example, 25 x 2 for the second level) for each stamp you collect."(途中でストップウォッチをひろうとゲームの時間が延びます。絵葉書をひろい、左側の女の子の絵の上下に切手の絵を貼りましょう〔そこまでやってないので意味不明w あ、訂正です。あとでゲームをやってわかりました。ゲーム画面の左のスコアの上の女の子の上下4つずつの切手のシルシでした〕。切手を2枚とも貼ると〔じゃなくて切手をすべて(8枚)貼ると、エクストラ・ライフをゲットします。さらに、レベルに応じて、集めたスタンプごとの得点で25ポイントにかける数が増えます 〔乗数効果向上w〕(たとえばレベル2だと 25 × 2 点)。あと、"M" キーでサウンドのオン・オフと書いてあります。

  ゲームの音楽はアコーデオン風で、これを聞くだけでもうっきうき♪ (なあほな)

 

  『巴里のアメリカ人』やはり全篇ガーシュウィンというのはすごいですねー。

61YAHNGVV6L._SL500_AA240_.jpg (クリックで曲目リストのあるあまぞんページ)

  Gene Kelly and Georges Guetary, " 'S Wonderful " in An American in Paris <http://www.metacafe.com/watch/yt-_I-_1hyUS8w/swonderful_american_in_paris/> (動画)

??? 「ス・ワンダフル」はジャズのほうが、それもフランク・シナトラとかじゃなく女性ボーカルのほうが好きかも。

??? Diana Krall, " 'S Wonderful " のjuneseventeen さんによるLesbian version (動画)が映像的に対照的・対蹠的かも。video clip は映画 Kissing Jessica Stein (2002: Jennifer Westfeldt and Heather Juergensen)(もしかしてこれでDiana Krallの曲が使われてましたか?)、Saving Face (2005: Michelle Krusiec and Lynn Chen)、Imagine Me & You (2006: Piper Perabo and Lena Headey)。

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An American Girl in Paris <http://www.americangirl.com/travel/paris/game.html>

 


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Aug 10 サンフランシスコ動物園(その4 ニュース) San Francisco Zoo Free Admission Day [San Francisco]

August 10, 2008 (Sunday)

    朝からテレビを見ていると、どうもビーチバレーの放送が多くて、アメリカ人はビーチバレーが好きなのかと思いはじめたモーリちゃんの父です。

   毎月第1水曜日はサンフランシスコ動物園の入場料が無料というのは有名な情報で、貧乏人根性があるなしにかかわらず、大切にされてきた情報でございました。

   古くは、炊飯器がないので鍋で炊くのがむつかしい日本米は避けてメキシコ米を食していたというかのやまじゅんさんも書いておられます――

毎月第一水曜日は、入場料が無料になるので、たまに行きます。っていうか、無料の日しか行ったことない…
タダとあって、めちゃくちゃ混むのでそのリスクは負わなければなりませんが(人気の動物には黒山の人だかり。上野動物園のパンダほどではないが)。
それから、海の近く、サンフランシスコでも特に霧が出やすいエリアに位置しているので、上着は忘れずに。たまに網走刑務所状態になることがあります…(「サンフランシスコ動物園」

  あるいは「薄給のサンフランシスコ」さんも2007年8月19日の「クマとの遭遇」の記事で「ぜひ第1水曜日の無料デーに行ってください。」とおっしゃっている。

  当然モーリちゃんたちも無料デーに行ったサンフランシスコ動物園。

1725008

中央右から3分の1ぐらいのところにある白いものが下の画像のボード。

1725009

  それが、どうやら9月からサンフランシスコ市民に限定されてしまうようです。動物園のHP(その "Visit -Hours & Fees")にはその情報がまだ反映されていないみたいなのですけれど、8月1日に公表されたこととして、2日にニュースになっていました。

"SAN FRANCISCO Zoo to limit free day to residents only"  (SF Gate, Saturday, August 2,2008)

   サンフランシスコ動物園は月に一度の入場料無料プログラムを9月から市民のみとする、と当局は金曜日に発表した。現在、毎月第一水曜日には誰でも無料で入園できる。プログラムは人気で、1日当たり平均入場者数の5倍の入場者がある。

  で、そのあと、理由がこんなふうに書かれています。――

Zoo officials said they were changing the free-day program because there has been a notable increase in visitors taunting, teasing and shouting at animals on those days, particularly since a tiger escaped Christmas Day and fatally mauled a San Jose teenager. 

動物園では、無料デーのプログラムを変更する理由を、無料デーの来園者に、動物をあざけったり、からかったり、 動物にむかって叫んだりする人が著しく増えたためだとした。とりわけ、クリスマスの日に逃げたトラがサンホゼの十代の少年を襲って殺害する件以来そうだと。

  そして、市民は "a valid driver's license, state identification card or a bill with their home address on it" を証明のために持参する必要がある、と書かれています。

   事件は、2007年の暮の、日本でも報道されたニュースで、雌のトラのタティアナが、おそらくトラをさんざんにからかった3人の少年たちに向っていき、17歳の少年を殺してしまった事件です(Tatiana はやってきたポリスにより射殺されてしまいました)。その後、ふたりの兄弟が有名弁護士を雇って裁判を起こしてみたいなことでニュースとして続いているものです。

   わからなくはないが、貧乏生活者にはつらいニュースでした。

1878685

"lemur" というのはマダガスカル産のキツネザルなのですね。あとで勉強しました。「リーマ」というような発音のようで。

 

1912669

こっちがマキちゃん。麻紀に乗るのに、列ができてませんでした。
あ、まちがった、カルーセル。(って完全なやまじゅんのぱくり・・・・・またそれがやりたかったんかいw)

 

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"Has Anyone Visited San Francisco Zoo on a Free Admission Day? 1st Wednesday of Every Month?" <http://answers.yahoo.com/question/index?qid=20080625133919AA3jV8y> 〔日本と同じような質問箱。「サンフランシスコ動物園の入場料無料日に行った人いますか? 毎月第1水曜日の?」みたいなひと月前のユルイ質問(もっとちゃんと聞けよ、みたいな)〕

 

 

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July 14 アメリカで焼き豚をつくる Roast Pork in America [料理・食べ物 cooking foods]

July 14, 2008 (Monday)

    つらつら思いだしてみると、モーリちゃんからは料理ブログにしたらー? みたいなことを言われていたのですが、細川たかし、いや細川ガラシャ、いや、ガラじゃないと、すぐにわかったモーリちゃんの父でしたが、それでも写真はなんとなく撮り続けています。習慣の力が記憶に作用する別の仕方?  ちなみに「習慣の力」というのはプルーストの『スワン家の方』の冒頭に感化されていた二十歳ごろのモーリちゃんの父の得意のフレーズ でごわした。

  7月14日、この日もモーリちゃんを小学校のサマースクールに送ってからエルセリート・プラザで買物をして帰りました。いくらのどういう肉だったのかレシートを探したら見つかりましたが、詳しくは書いてなかったです――

Lucky_receipt.jpg   

MEAT CNTY STYL PK RIB 8      6.55 F

はい、これはCountry Style Pork Rib でした。rib はあばら肉、あ、ばら肉です、漢字だと薔薇肉、いや腹、いや肋肉です。rib は本来肋骨を指すわけでしょうけど、でも骨なしの、5、6センチくらいの角ブロック6本のパックを買いましした。"country style" が具体的にどういう内容なのか、不勉強でわかりません。1ポンドあたり、おそらく1.98か2.48ドルだったと思います。

  買ったのが朝の9時前ですが、帰宅後、頭の中に焼き豚のイメジが浮かんで勉強に身が入らず、昼前から焼き豚を作ることにしました。

  まず、塩、コショウを多めにすりこみます。コショウについてはこの日は白・黒の東洋風の細かいコショウと、マギーの粗い黒コショウと3種すりこみました(えっへん)。

  次にフライパンを熱します。そして多めの油を敷いて温めます。レンジ(コンロ?)の温度は高め。

  油煙があがったら油ハネに気をつけつつ肉をおもむろに投入(でも油がバチバチはねるくらいでOKす)。いわゆる揚げ焼きみたいな感じ(panfry) で、強火でまんべんなく表面を固めて肉のウマ味をcoatします。

yakibuta_DSC_0109.jpg(10:34 am)

  タコ糸(英語でなんて書いてあったか覚えていませんが)もLuckyには売っていますが、そんな贅沢はできませんし、要するに崩れなければいいわけで、肉の大きさがばかでかいとかよほどのことがなければ、焼きをきちんとすればなんの問題もないはずです。

  ここで煮豚に移行するという選択肢もあるのですけれど、今回はひたすら焼くことにしました。焦げないように気をつけながら、火を弱くしてクルクルと焼き続けます。途中、中にまで火が通るようにフタをして蒸したような気もしますが記憶が定かではありません。煮豚じゃないし、タレをつくる余裕もないので、だいぶ焼きがまわったところで、醤油と酒で味をつけて、さらに弱火で焼き続けました。

yakibuta_DSC_0110.jpg(11:02 am)

 前に煮豚をつくったときには、大事にとっておいてラーメンとか買ってきて食べようと思っていたのに、モーリちゃんの母が「なつかしい」とか言いながらバクバク食ってしまったので、モーリちゃんの父はほとんど食べられませんでした。あと、煮豚のときはモモ肉を使ったのですけれど、やっぱりアブラミのある部位のほうがあぶり焼きにはよいかもしれないと思いました。

yakibuta_DSC_0115.jpg(11:22 am)

 ちっちゃいのを一本食ってやる~♪

   アニャのうちからもらった日本のソースを使うことにしました。

 

  

  


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July 14 焼き豚を作っているときに見たもの What I Saw While Roasting Pork [断章 fragments]

July 14, 2008 (Monday)

    途中で、なぜかふと気になって冷凍庫を開けると、そこにモーリちゃんの父がみたものは・・・・・・ぞぞぞ

Ice_DSC_0112.jpg

怪奇氷冷現象。

  冷蔵庫はWhirlpool というメーカーのなのですが、名前のとおり渦を巻くとかいう特殊な冷却法をもっているのでしょうか。

Translated version of http://www.whirlpoolrefrigerators.com/ar/maytag-refrigerators.php には 「グルグル回る冷蔵庫」のリンクが・・・・・・。

なんだかよくわかりませんが壁紙でもどうぞ <http://www.whirlpool.com/custserv/downloads.jsp> 。

 

追記

この(といって見た人は少ないでしょうが)モデルさんはJanine Craigという英国の女優でモデルで歌手のひとで、ハリーポッターの The Goblet of Fireの映画にBeauxbutton の女学生役で出ているそうです。Janine ホームページ・・・・・・ "Professional actress, singer, dancer, model and performer.  Janine has been perfoming for 21yrs in TV, stage, Commercials and films" というのが表題ですけど20年以上活動しているひとなのね。

 

MySpace.com - Janine Craig- -Club/House/Pop -

所属事務所ロンドンのAMCKのcurriculum vitae artist_cv.php

YouTube - Axwell - I Found You  Music video staring Janine Craig,Anthony Trahearn, Doubled by Ryan Doyle

MOT Real - Janine Craig -

height
5'6
bust
32b
waist
26
hips
34
dress
8-10
shoes
5
hair
strawberry blonde
eyes
brown
professional dancer. scuba diving experience. tai chi, yoga, pilates.

 結局年齢不詳w


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April12 いとやさし easy as 1, 2, 3 [メモ]

April 12, 2008 (Saturday)

    4月12日というとSan Francisco からAlbany に引っ越してきて4日目。まだ右も左もわからないころでしたが、1000 San Pablo のアルバニーの市役所からアパートの "Resident" 宛てにはがきが届きました。

   bag-a-bag_Albany.jpg

"Presorted First-Class Mail/U.S. Postage Paid/Albany, CA/Permit No. 467" と切手の位置に印字してあります。 "presort" というのは「郵便物を郵便局に出す前に郵便番号に従って分ける」ことをいうのだそうですが(『リーダーズ』)、同じ内容の郵便物(はがきや封書)を大量に発送する場合に、Zip Code で分類しておいて割引が得られるシステムのようです。

"recycle/It's as easy as 1, 2, 3 to recycle your plastic bags. " (リサイクル/プラスティック・バッグをリサイクルするのはとっても簡単) と横に大きく書かれています。 "(as) easy as 1, 2, 3" あるいは  "(as) easy as 1-2-3" あるいは "(as) easy as one, two, three" あるいは "(as) easy as one-two-three" は "(as) easy as ABC" と同じで「とてもやさしい」「いとも簡単」という意味でしょうが、英和辞典に見つからないかも。でもABCより簡単なのか、流行ってるみたいです(笑)――

"Cremation, as easy as one-two-three" 〔The Jakarta Post

"Racial Equality Is As Easy As One, Two, Three" 〔brotherpeacemaker

"The Glamour of the Grammar: As easy as one, two, three"  〔Jerusalem Post

"Hardware Today: HPC Gets as Easy as 1-2-3" 〔ServerWatch: Serving Trends and Analysis to the Enterprise

"As Easy As 1, 2, 3 (4, 5)" 〔ClickZ: News and expert advice for the digital marketer.  step が5つなのでこういう表現にしているようです〕

   ABC のアルファベットの言語じゃない人にも数字の1,2,3は万国共通で簡単だからでしょうか。・・・・・・

   いや、さっきからしきりに頭の中に鳴り響いていた曲・・・・・・つうと、だいぶ古いでしょうか。

The Jackson 5, "ABC"

A B C, easy as 1 2 3,
Ah, simple as do re mi,
A B C, 1 2 3 ♪ 〔リンク先はJackson5abc.com〕

Oh かOr にも聞こえますが、どうなんでしょ。平井堅物はAh ですねー――「Ken's Bar 專輯歌詞※Mojim.com 魔鏡歌詞網」〔どういうタイトルじゃい〕

 

1970年2月発表の曲のようですWikipedia

  さて、そうして、リサイクル・ボックス recycle container (アルバニーは灰色でした)の写真の下に "Just bag them before putting them in the recycling container." (リサイクル・コンテナ-に入れる前にバッグに入れるだけ。)と書かれ、赤字で "Follow the directions on the other side." (裏側の指示に従ってください)と書かれています。簡単じゃないじゃんか! 

  まあ、そういわず、つづく~♪

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sunny さんのブログsunny的博客_ 新浪博客(2008.6.18)は 「as easy as one,two,three=as easy as ABC 非常容易.」 としています。<http://blog.sina.com.cn/s/blog_520d3a4001009lia.html>

 

 


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April 12 バァガバァグ? BAG-A-BAG [モノ goods]

April 12, 2008 (Saturday)

   つづきです。

  はがきをひっくり返すとタテに変わって、次のような説明が書かれていました。

 Bag-A-Bag.jpg

 

あなるほど1, 2, 3 なのね♪

NEW!

Bag-a-Bag

Recycle plastic bags

within your recycling container

for curbside collection!

Here’s how:

1

Recycle your clean, flexible, strechable [sic.→ stretchable] plastic bags. (Grocery, dry cleaning, sandwich, bread & produce bags, bubble wrap, the thin plastic used to package toilet paper, paper towels, etc.)

2

Gather the loose bags into one bag and self-tie the bag.  Place it in the recycling container.  Do not use rubber bands, twist ties or tape.

3

PLEASE DO NOT: Throw single plastic bags into the recycling container — they can blow away.

BAG-A-BAG

seed  City of Albany

Sustainability, Environment and Economic Development

 

 

あ、なるほど、seed というのはコンタクトレンズじゃなくて、"Sustainability, Environment and Economic Development" (資源維持、環境、経済の発展)の頭文字をとった略だったのね。

 で、Bag-a-bag です。話は要するに、プラスティックバッグ(日本でちょっと前に有料化ということで話題になった「レジ袋」です。いろんな店のレジで、第一に「バッグはいるか?」、第二に「紙バッグかプラスティックバッグか?」という質問が店員から発せられます)のリサイクルのために、1枚のプラスティックバッグのなかにプラスティックバッグを集めて入れて出してね、ということです。

 もうちょっと、細かく見ると、1では店のレジ袋だけでなくドライクリーニング・バッグとかサンドイッチ・バッグ(ってなんでしょ?)とかbubble wrap (これは梱包用のプチプチ発泡ビニールシートのことです) とかトイペとかペーパータオルの袋とか、きれいな、やらかい、伸びるタイプ(stretchable だと思います)のビニール袋をリサイクル、2では輪ゴムで留めたりしないで縛るかセロハンテープを使ってね、3では「するな」(って1, 2, 3 じゃないやん)で、1枚だけはやめてね――飛んでいってしまうから、ということです。

  さて、Bag-a-bag。文法的には最初のbag が動詞だというくらいしか自信をもって言えませんけれども(いやそれも自信はないですけれども)、 どうやら、モーリちゃんの父が日本で見たことのある、レジ袋入れ袋のことも "bag-a-bag" と呼ぶようです。――

 

BAG a BAG バッグのお店。 ここは"Did U bag ― it?" とか書いてあるし、 "bag" = obtain, get の意味で、違うと思います(違うの出すなよw)。

 

Bag-a-Bag: manufactured by Sigrid A. Klein まだunder construction ですが、布製の袋の画像が載っています(下の動物物〔もの〕に比べるとシンプルなデザイン)。 "A Bag-a-Bag is a place where you can store and recycle all your used plastic bags.  Just stuff them into the elastic opening at the top and pull out any quantity of bags you want to re-use again through the elastic opening at the bottom."  エラスティック・バッグの上の開口部にプラスティック・バッグを詰めるだけで、エラスティック・バッグの下の開口部から好きなだけの量のプラスティック・バッグを引きだして再利用。

 

BAG A BAG ROOSTER BAG HOLDER  Home Trends オンドリ型のレジ袋入れ袋

 

 Bag-A-Bag_RoosterBagHolder_P711011L.jpg

"The Cutest Way To Recycle, Store And Dispense Your Plastic Bags. You won't want to hide this holder in the closet!  Colorful Rooster holds bags until you need them.  Elasticized bottom keeps them from falling out.  Includes canvas loop to hang up easily.  Machine washable. 15 x 14 inches "

 

Bag-a-Bag Cow design: Kitchen & Dining, Amazon.com

THINK GREEN!  The cutest way to recycle, store and dispense plastic bags!  This country cow bag holder is too cute to hide in a closet or cabinet. Stuff recyclable grocery bags in the elasticized top, then remove bags from elasticized bottom.  Keep a Bag-a-Bag in your kitchen, pantry, laundry, nursery, garage, next to the dogs leash, etc! VA010 - Cow Features and Benefits Features Sizes: approx. 15 x 14. Includes canvas loop to hang up easily. Unique French designs Benefits Cute place to store recyclable grocery bags Handy Machine washable cold/gentle cycle. (Product Description)

 

 

    モーリちゃんの父はもう15年も前に巣鴨の友人の画家の家で見た記憶があるのですが、そして、ほしいほしい、と思いながら歳月が過ぎてしまいました。日本ではなんと呼んでいるのでしょう。アメリカで買って帰ろうかしら。

 


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August 14 スザンナ・ポルカ Susanna Polka [スザンナ周辺]

August 14, 2008 (Thursday) 

    1847年夏の発表後まもなく注目された「おおスザンナ」は、ミンストレルショーでの人気の演目になっただけでなくて、おそくとも1848年の楽譜の印刷の翌年にはポルカのかたちで劇場内だけでなく外でも人々の演ずるところとなったわけで、ポルカ版のピアノ譜面も各種印刷されました。1849年から1850年にかけて少なくとも3人の手になるアレンジが出版されています。――

[1]   Susanna Polka for the Piano Forte, As Played with Unbounded Applause, by the Steyermark Musical Company.  Composed by Francis Rziha, Leader of the Company.  Baltimore: F. D. Benteen; New Orleans: W. T. Mayo, 1849.  〔表紙に、"Deposited Copyright secured January 11th 1849/Publication deposited sameday." と書かれています〕

[2]   Second Susanna Polka for the Piano Forte, Composed by F. Rziha, Leader of the Steyermarkishe Company.  Charleston:George Oates; Augusta: George A. Oates; Philadelphia: Edward L. Walker、1849.  〔表紙に、"Dep. May 15 1849[. . . .]" と書かれています〕

[3]   Susanna Polka, Arranged for the Piano Forte, and Dedicated to Miss Julia Westlake, by Henry Chadwick.  New York: John O. Fay, 1850.  〔なんか1850の50のところが修正されてますけど、上部余白の書き入れを見ると1850年10月17[11?]日depositでしょうか〕

[4]   Susanna Polka, Composed for the Piano Forte, by J. E. Muller.  Baltimore: G.Willig, Jr., 1849.

[5]   上のと同じようだけれど手書きで "Copyright Secured 6 Jan[uar]y 1849/Publication deposited Feb[ruar]y 1849" と書き入れられている版

[6]   Six Recreations for Young Pianists, Composed for the Piano Forte and Respectfully Dedicated to Miss Catharine Osborne Sargent, by H. Perabeau.  No. 1 Oh Susanna Polka.  No. 2  Gold Fever Gallop.  No. 3  Rocking Chair Waltz.  No. 4  Irish Polka.  No. 5  Janissiar March.  No. 6  Spring Polka.  Boston: Oliver Ditson, 1850. 〔"Deposited May 17. 1850./Recorded Vol. 25. Page 231." とコピーライトに関して書きこまれています〕

 

最後のものは、6曲組の楽譜のなかで1曲目が"Oh Susanna Polka"、2番が "Gold Fever Gallop" (黄金熱ギャロップ)で、おりからのカリフォルニアのゴールド・ラッシュつながりを感じさせる並びになっています。そして「おおスザンナ」は屋内でピアノ演奏されるだけでなく、実際にポルカとして踊られ、もういっぽうでカリフォルニアに向かう人たち、行った人たちの愛唱歌となり、いくつかの替え歌がつくられたわけでした。

  ポルカは、英語版のWikipediaの "Polka" では「ボヘミアで19世紀中葉におこった」("It originated in the middle of the 19th century in Bohemia") と いう書き方ですが、日本語のウィキペディアの「ポルカ」だと、記事はみじかいですが英語版にはない起源についてのことが書かれています(ほんとかどうかは知りません)。――

  ポルカ(英語・チェコ語など polka)は、1830年頃おこったチェコの民俗舞曲である。速い2拍子のリズムに特徴がある。チェコのほか、タトラ山脈近辺のスロヴァキア、ポーランドなどの山岳地帯にも広がりをみせている。
  ポルカは1830年にボヘミアのエルベタイニッツ (Elbeteinitz) あるいはティーネツ (Týnec nad Labem) で、地元のアンナ・スレザク (Anna Slezak) がはじめたと言われる。

   まあ、どっちにしても、アメリカにおいて比較的新しい流行の音楽、流行の踊りだったことは確かでしょう。

   と長い前振りののちに、 時は流れて21世紀のアメリカ。

     ポルカの「おおスザンナ」、踊ってます。


アメリカ合衆国のThe Polka さん投稿の "The International Polka Queen's Suzannah" (0:51)

"The International Polka Queen loves Oh, Suzannah and so did Abraham Lincoln."  というのがコメントです(わけわかめ)。

  フォークダンスやん。15秒くらいのところで2人の野郎が飛び出して陣地を替えるみたいな動きがありますけど、なんかそういうフォークダンスを日本でも小学校のときに踊ったような踊ってないような踊ってないような(どっちなんじゃい)。

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[1]   Susanna polka / by Rziha, Francis.  Baltimore: F. D. Benteen, 1849.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:1:./temp/~ammem_riwV::> 〔Library of Congress. Music Division. Music for the Nation: American Sheet Music, 1820-1860

[2]   [Second] Susanna polka / by Rziha, Francis.  Philadelphia: Edward L. Walker, 1849. <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:2:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕

[3]   Susanna polka / by Chadwick, Henry.  New York: John O. Fay, 1850.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:3:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕

[4]   Susanna polka / by Müller, J. E.. Baltimore: G. Willig, Jr., 1849.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:4:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕

[6]   Oh Susanna! Polka / by Perabeau, H. Boston: Oliver Ditson, 1850.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:6:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕


Lester S. Levy Collection of Sheet Music at the Johns Hopkins Universityも参照。 <http://levysheetmusic.mse.jhu.edu/otcgi/llscgi60>

YouTube - The International Polka Queen's Suzannah [sic.] <http://uk.youtube.com/watch?v=P28OElc82Nk&NR=1>

『ようつべ民族舞踊研究会』 <http://folkdance.seesaa.net/> 〔ひろみさんの「世界の民族舞踊(フォークダンス)をyoutube等の動画を中心に完全非営利で紹介する民族舞踊研究のためのブログ」

Famous Polka Dancers and Musicians <http://famouspolkadancers.blogspot.com/> 〔Daria さんのブログ。2008年7月10日の "Polka Dance" とかが、曲は違いますけどポルカの楽しさを伝えているかも・・・・・・ま、ようつべですがw〕

 


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August 15 おおスザンナ・ラインダンス Oh! Susanna Line Dance [スザンナ周辺]

August 15, 2008 (Friday)

    だいぶ前のこと、YouTubeで「おおスザンナ」関係の映像を探していたら、 「おおスザンナ」の曲で集団で踊っている画像が多数ありました。聞くとどれも同じ演奏同じ女声ボーカルで、見るとどれも同じ振り付けのようでした。


"Oh Suzannah @ Tamworth 08" と題された、 "footloosetravis" さんの投稿(1:43)。Travis さんはオーストラリアのGunnedah 在住の15歳で趣味がLine dancing と Choreographing などだそうです。最初にクレジットされているChris Watson とBill Larson というのはオーストラリアでは有名な choreographer つまり「振付師」のようなのでした。タムワースというのはオーストラリア南東部の小都市です。

次のは、ちょっと長いですけど(3:28)、冒頭に "OH SUZANNAH / Choreographed by Bill Larson & Chris Watson / 32 counts, 4 walls, easy intermediate level / Music: Oh Suzannah by Rednex" と記されています。

 


"OH SUZANNAH Line Dance"  投稿者のdenisleongさんは SJ LINE DANCER というWebsiteをもっていて、見ると、マレーシアの人のようです。"Description of Steps (Chinese)" というページとかあって、マレーシアの中国系のコミュニティーで教えている人なのかな、と思います。実はこの映像、最初見たときは日本人の集団かと思いましたw。歌詞も「おおスザンナ泣くんじゃない」と聞こえるし。

    同じマレーシアから、職業 "line dance instructor/choreographer" の"Leoboomen"さんも "OH SUZANNAH Line Dance" を投稿しています。

     Rednexというのはスウェーデンのバンドで、eurodance と country music を融合させたカントリーテクノがコンセプトのようです(よくは知りません)―official HP (under construction); "MySpace.com - Rednex - Stockholm, SE - Other / Bluegrass / Pop - www.myspace.com/therednex"。"rednecks" の崩れたかたち、ということなのでしょうが、「赤首」というのはアメリカ南部の田舎の粗野無教養貧乏頑迷固陋な白人を指す言葉です。

  しかし、次の、アメリカ合衆国の、  "We are neither instructors nor professional dancers, just some linedancemaniacs try to document some of the precious memories in our lives" (ダンス教師でもプロのダンサーでもなく、ただのラインダンスファンだけど、私たちの生活の中の貴重な思い出を記録しておきたいの)と書いている "LPVn5678" さんは、"Choreographed by: Bill Larson & Chris Watson (Aug 07)
Music: Oh Suzannah by Southern Culture On The Skids Descriptions: 32 count - 4 wall - Beginner/Intermediate level line dance
" と記述しています。前のマレーシアの映像の最初の "easy intermediate" (簡単な中級)というのはなんかヘンなので、こちらの"Beginner/Intermediate" 〈初級から中級)というのが正確なのだと思われます。Southern Culture on the Skids (SCOTS) というのはテキサスのChapel Hill で1983年に結成されたグループですけど、どうなんですかね――official HP(「SCOTSにとっておそろしいほど大いなる名誉!――スティーヴン・キングが2007年のベスト7アルバムの中に Countrypolitan Favorites を挙げてくれました」とかニュースとして書いてありますね)。


"Oh Suzannah 5/5"  (アメリカの老若男女2名の練習風景)(2:31)

だんだん数が減ってきたので、その流れでたったひとりのさみしい練習風景――

 "oh suzannah line dance"  ひとりでもラインダンス♪  踊っている"rodeocountry" こと Eric さんはフランスのCalaisに住んでいる "vendeur preparateur" (なんでしょう。補助販売員?)の青年だそうですが、 "je pratique la line dance depuis 4 ans c devenu une de mes plus grande passion, et je pratique la natation, shopping, ........" (ぼくは4歳からラインダンスをやっている云々)とか書いています。どうりで流れるような足の運び。・・・・・・しかしドリフの志村けんを思わせる動きがところどころ入っているように思え。

   それと、ゾウの鼻みたいに手を左右に振ってフトモモをパンパンする動きがないのはさみしいところです。

もうひとつ、フランスから、今度は集団の映像――


"Oh suzanna"  フランスのSandraCalais さん投稿。

こう、胸を振りながら前に反りだすジェスチャー、これは上の青年と同じですね。そしてどうやら少なくとも細部はオーストラリアの振り付けとは違っているようです。名前からするとこのひとも「カレーの市民」なのかしら。

  結論。1980年以降の新たなラインダンスの流行のなかで、「おおスザンナ」は、スウェーデンのカントリーテクノグループRednex による演奏の伴奏曲としてラインダンスの初心者・中級者におおいに踊られる曲となった。オーストラリアの振付師クリス・ラーソンとビル・ワトソンによる振り付けは、少なくともオーストラリア、マレーシア、アメリカ合衆国で知られている。Rednex の本拠地スウェーデンに近いヨーロッパでは別の振り付けもあり、とくにフランスのカレーでは上半身の動きに特徴的な振り付けがあるらしい。(そんなまとめでいいんか)。

つづく~

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August 15 テクノ・オースザンナ Techno Oh! Susanna [スザンナ周辺]

August 15, 2008 (Friday)

    前の記事で演奏を担当したRednex はカントリーとテクノポップを融合させたヨーロッパのバンドであったが、あんまりテクノっぽくもなかったような気もします(まあ、一般向けダンスミュージックとしてはメロディアスじゃないとまずいのでしょうが)。

  というわけで(どういうわけだよ)、古いテクノ版の「おおスザンナ」を一曲。

 



"Oh Susannah" (Ted Malave と Rick Jones による "Oh! Susanna")
投稿者の "fromedmond" さんによる説明――"Old school techno using low-tech gear recorded in a one room apartment that was about 15' x 15'. The musicians are Alvaro Ted Malave (Killer Fungo) and Rick Jones (Sheen Dez Coon). Done in about 1987." (ローテク機器を使った昔のテクノ。8畳ひと間くらいのワンルームのアパートで録音された。演奏者はアルヴァロ・テッド・マラーヴ(キラー・ファンゴ)とリック・ジョーンズ(シーン・デズ・クーン)。1987年ごろ。」。

  なんか「おおスザンナ」「マイ・ボニー」が混ざっているような(爆)。"Oh! Susannah, don't you cry for me.  My Bonnie lies over the ocean♪"  最後に h があるのはジェームズ・テイラーのヴァージョン(1970) の影響なんすかね。明るいフォークヴァージョンを陰画的にテクノるみたいな。まあスザンナはいろんな綴り方がされるみたいですが(おそらく編曲したりした場合に意図的にしているのではと思われるフシもあり)。

  サイトウアナのような太った方のひとがテッド・マラーヴで、この人は21世紀になって、

  コンピューター・グラフィックの絵をつくったり―― Ted Malave Painting Collection――、

  ボサノヴァやブラジル・ジャズを演奏して自分でアニメーションをつけたり――"The Girl From Ipanema - Alvaro's Brazilian Jazz - Animation"(有名な曲ですが演奏は自分たちのグループ); "O Pato Rosa Passos Paquito D'Rivera Alvaro Animation"(これはアニメのみ追加のよう)〔以上MySpaceTV Videos〕; SoundClick artist: Alvaro's Brazilian Jazz - Alvaro and Alvaro's Brazilian Jazz are dedicated to providing and maintaining the wonder ful sounds o 〔以下読めず。Q&Aとかあるところを見ると紹介ページ〕――、

   庭木をいじってその形状がけしからんと隣人に市役所に通報されて警察と地元のテレビ局がやってきたり――Malave Net 〔自身のホームページ〕――、

と元気な様子です。どこかのページには47歳と書いてありました。最後の庭木問題についてはこんなふうに書かれています――

In 2001 I started sculpting a bush in my front yard into a dolphin (topiary art). There was a time when I let it grow out a bit to allow the fins to get longer. One of my neighbors decided it was too phallic looking, so they called the City, the Police and local TV station Channel 5. This clip is the news story Channel 5 ran. It is amazing people would make the issue but at the same time it is extremely funny. Enjoy it!  Download and take a look at this movie-clip. (the download could take 20 minutes for dial-up connections).

 (トピアリーtopiary というのは動物とか幾何学形とかにつくる装飾的な刈り込み術のことです。リンクは通じていないような感じですが、20分も待っていられないのでわかりません)。

   "Oklahoma Headlines"をHPに載せているところをみると、オクラホマ在住なのかもしれません。あ、"Family" のページとかある。結婚して大きなお子さんもいるのね。しかし奥さんの銀行がリンクされているのはなんですかねー。"Friends" のオーストラリアのKent Malave さん(って親戚だと思うんですが)もぶっとんでる人のようで。

  なんかー、YouTube の投稿者のfromedmondさんってー、Malaveさんその人のような・・・・・・。

Alvaro's Brazilian Jazz has represented the genre in this part of the world for more than 15 years. Playing, Bossa Novas, Sambas, Boleros, and Ballads, Alvaro and his set of musicians have helped to spread the diversity of music in Oklahoma and surrounding areas.

Formation Date: 02 April 1989
Record Label: compu songs
Label Type: Independent
Band Members: Alvaro "Ted" Malave, Phil Mitchell, Brian Gorrell, Chris Hicks, Freddie Bryant, Armando Rivera, Brent Hawkins, and many others throughout the years
Influences: Antonio Carlos Jobim, Joao Gilberto, Miles Davis, Michael Franks, Ivan Lins, Dori Caymmi, Caetano Veloso, Alvaro Carillo, Chico Buarque, Frank Sinatra, Dean Martin, Karryn Allison, Dianne Schuur, Count Basie, John Coltrane.
Country: United States

   fromedmond のEdmond ってオクラホマ州中部Oklahoma市の北にある5万人くらいの市のことなのですね。

  ふふふ。

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August 16 おおスザンナのおフランスなお遊戯ザンス  [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday) 8:00 am

    YouTube 以外の映像はないのか、と探してヨーロッパのあちこちを旅しているうちに、フランス語のサイトでフランスの子供たちがステージで演じる「おおスザンナ」に出会った。TRUVEO という名前だし、フランスだけのサイトかと思ったら、もともとカリフォルニアでつくられた映像サイトだった(Wikipedia, "Truveo")。 つーかTruveo 自身はサーチエンジンの役をしていて、チャンネルという形で中にあれこれの映像サイトを分類しているようです。で、そのDailymotionというサイトというかチャンネル <http://fr.truveo.com/channel/Dailymotion>の、 "Catégorie:Comédie  Vues:9  〔9回だけかよ!〕  Mots clés:oh, suzanna, kids" に入っている、タイトル "OH SUZANNA" のビデオをどうぞ。ほかに説明らしいものとしては、Truveoは責任を持たないというフランス語の免責の文と、タグの類しかないです。(1:51)――

 最初4人の男の子たちがペラペラのバンジョー〈少なくともメガネ君のはネックが折れている)を手に現われます。そして儀礼的な踊り。やがて4人の女の子たちが現われてムフフな展開に・・・・・・。円と中心をめぐる運動が基本で、中心の豊饒性を祝祭的にことほいでいるような気もしますが。まあ、遊戯やダンスは伝統的にそういうのが多いのかも。

  フランスの子供たちはこんな踊りをしているのでしょうか。

   あ、Dailymotion に直接入ればよいのか。適当にdailymotion.comかなー、と入力。ビンゴ! <http://www.dailymotion.com/us>   あら、Dailymotion US という英語のサイトに出ちゃった。検索・・・・・・はい、出ました <http://www.dailymotion.com/relevance/search/OH%2BSUZANNA/video/x5bhsg_oh-suzanna_fun>   jazzbarさんという、やっぱりフランスの人の投稿でした。 jazzbar on Dailymotion というプロフィールページの "Her Featured Video"の "HI AH!" でも「おおスザンナ」が出てきますねー。こちらのサイトで見ると126 views になっていました。

Duration: 01:51  Recorded: 05 May 2008  Location:Mimizan-Plage, Aquitaine, France
 
jazzbarさんが住んでいるSaint germain les corbeil という町とこのlocationはどう関係するのでしょう。深まる謎。
 
つづくかどうか不明。1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif
 
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August 16 アメリカンなおおスザンナ遊戯(爆) An American Oh! Susanna Play Lol [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday)

    アメリカにも儀式的な象徴性をはらんだ「おおスザンナ」 の踊りがあるのかと思って見ていたら、途中からエントロピーが増大してシステムが崩壊していくのでした。ザッツ・アメリカン。


"oh suzanna!!!"  投稿者vivian4o8 performed by Vivian and Rachel -- "us bestbuddy just bein weird lol..."

もうひとり、Nina さんと仲良し3人組のアメリカの20代前半のお嬢さんたち。

"lol" については英語版Wikipedia がくわしいかも(こういうのってどの国でも詳しく書く人がいるのですねw)、いちおうリーダーズ英和には LOL = laughing out loud と書かれてはいますけど。

 


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August 16 クロアチアのおおスザンナとウロボロス Oh! Susanna in Croatia and Ouroboros [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday)

   オリンピックといえばクロアチアである(なんとなく)。 1年前の2007年8月15日から22日には首都ザグレブであ、括弧に入らない

IOI 2007 クロアチア大会

」(lolではない、第19回国際情報オリンピック(IOI) クロアチア大会である)も開かれていた。

  そのクロアチアのそのザグレブでおそらく行なわれた結婚式のビデオが "korgmle" さんによって投稿されている。名前を "band COOL"  として、Website http://www.band-cool.bloger.hr/ がバンドの商業的紹介ページなので、式場内で演奏しているのが COOL という地元のグループであるらしい。メンバー――SINIŠA (ex Plavi kristali, Falset), FISH (ex grupa Gitano), IVICA (ex Boomerang, JackPot), JOSIP (bubanj expert) 。


"OH SUZANNA! - band COOL"  (3:34)

   最初のほうは英語じゃないと思ったのですが、よく聞くと英語でした。2分くらいからRednex 的な掛け声が入り、なんの曲かわからなくなって終わります。

    これは踊りの方向としてはラインだけれど、形状は変形の円環であると思う。自分の尾を食う宇宙蛇ウロボロスのように無限のサイクルを形成しているように思われるが、実際にしっぽを噛んでいるのではなくて、内部と外部がくるくると変転し、胎内めぐりのごとくに食っては食われ、食われては食う、しかし全体はひとつで一体みたいな、まあUFOでいうと円盤型じゃなくて葉巻型かな(笑)。

 ouroboros_image.jpg

有名な宇宙ヘビの絵

     Guide-to-Symbols の Ouroboros <http://www.guide-to-symbols.com/ouroboros/> :

This idea of the life cycle devouring its own tail can seem like a futile process where all that is achieved is ultimately destroyed. But this image of Ouroboros suggests a way to perceive it as an enfolding where the past (the tail) appears to disappear but really moves into an inner domain or reality, vanishing from view but perhaps still existing in some kind of virtual sense. Click here for the source website for this image. 〈自らの尾を食むという生命のサイクルの観念は、成就されたすべては最後には破壊されるという無常の過程に思われる。しかしウロボロスのこのイメジによって示唆されるのは、それを一つの包合として見る見方、つまり、過去(尾)は消失するように見えるが実は内なる領域ないし現実に移るのであり、視界から消え去るけれどもおそらくある種のヴァーチャルな感覚のうちになお存在しているという見方である。このイメジの典拠についてはここをクリック。)

     しかしこのイメジ(クリックするのもたいへんでしょうから小さいのを貼っておきます)を見て大仰に考えなくてもウロボロスは破壊と創造、生々流転を繰り返す宇宙の象徴としてあったわけなのだが・・・・・・なんでそれでいけないのだろう。図式的には、永劫回帰的なニーチェ的ヘレニズム的宇宙観に対して、直線的、一回的、終末論的なヘブライ的歴史観があるわけでしょうけれど・・・・・・宇宙を終わらせたくない思想なのかしら。いや、そうではなくて、死後の霊的な存在を希求する宗教的な姿勢なのかしら。

ouroboros.gif

 

this image  出典(孫引き):Guide-to-Symbols  <http://www.guide-to-symbols.com/ouroboros/>

   知ったことではないのですが、とりあえず単純に考えれば、食ったもの(自分)は外へ出さないと、自分がなくなってしまいます。だから、この映像の遊戯は生命のサイクル、あるいは生と死のサイクルを見事に具現化しているわけですね。

   クロアチアでは「おおスザンナ」にあわせてみんなこんな踊りをしているのでしょうか。つうか、なんで「おおスザンナ」なんでしょう。あるいはひょっとしてもしかすると、天然さんの鏡音レンの「嗚呼スザンナ」の記事で適当に出まかせで書いたように、夢と死と生が回るみたいな感覚を「おおスザンナ」は持っているのでしょうか(、いや持っていない)。そのために、結婚式というもともと通過儀礼における、さらに通過儀礼的な踊りにふさわしい曲とされたのでしょうか(、いやたぶんちがう)。

   "COOL" band のページ "Forum Glazbenog oglasnika :: Pogledaj temu - "COOL" band - 1000 EUR vjenčanja PETKOM!"(なんか料金のことを言っているタイトルのような気がする)には次のような紹介文があります。――

grupa COOL - muzika / glazba

vjenčanja, gaže, krstitke, djevojačke večeri - momačke večeri, promocije i sl.

zabavna, narod Laughing na, turbo, pop-rock, strane, latino, country - sviramo prema želji sa ili bez narodne muzike

zbog velikog interesa - svadbe PETKOM sviramo za 1000 EUR!

091 9344 258; 092 1241 468

band-cool@net.hr

Siniša - klavijature/harmonika, vokal (ex Plavi Kristali, Falset)
Fish - bas, vokal (ex grupa Gitano)
Ivica - gitara, vokal (ex Boomerang, JackPot)
Josip - bubanj expert

poslušajte nas na:

http://www.youtube.com/korgmle


_________________

COOL - your best choice!

 
  メンバーの担当と元いたバンド名以外は意味わかりませんが敬意を表して。Cool!
1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif

 

 

 

 


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August 16 カナダのぼよんぼよんするおおスザンナ Canadian Bouncing Oh! Susanna [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday)

    モーリちゃんたちはふたりでバークレーに遊びに出かけたが、意外に早く帰ってきた。なんか石〈磨いてある貴石風)を袋に詰めて買ってきた。大きいのがひとつ3ドルで小さいのが30セントだが、スウェードの布の袋に詰めると3.25ドルだそうで、当然袋詰めで20個ぐらい買ってきた。まあランチマーケットのセルフの弁当みたいなものだろうか、いやちがう。

   Swedish Canadian family というから、スウェーデン系カナダ人の "sofniu"さんの2007年1月末の投稿。でもスウェーデンのRednex ふうのヴァージョンではないです。 "after skiing a little song and a little dancing " ・・・・・・スキーのあとのささやかな歌とささやかなお遊戯、いやダンス。――


"oh suzanna" (2:01)

ただぼよんぼよんしているだけのようですが、トリオ・ダンス♪
Countryfan1177484593.gif
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August 17 レッド・ネックスの「おおスザンナ」とウェスタン Rednex, "Oh Suzanna" and the Western [スザンナ周辺]

August 17, 2008 (Sunday)

    昨日と同様に、カリフォルニアは曇り空の朝です。 バークレーの気温14度(窓さんとこで見てきました)。カリフォルニアは北緯32°30' - 42°、西経114°8' - 124°24'に入っていて、南北に1240km、東西に402.5kmの長さと幅があるのだそうです(「カリフォルニア州」Wikipedia)が、アラスカとハワイをのぞくと一番西なのだと思います。あれ、オレゴンのほうに西の端があるのかなあ。いやさらに北のワシントン州に西端がありそうですね。でもまあ、プレーリーを突き抜けてまんなかへんの西のはずれというイメジ。

  17世紀の東部への植民以来、西へ西へと進んできた開拓(搾取と人によっては言うのでしょうが)が、1846年から48年の米墨(メキシコ)戦争によるカリフォルニア獲得ととその直後の金発見によるゴールドラッシュで、西の果てへ一気に飛んでしまって、そのあと19世紀後半にホームステッドと鉄道開発による「フロンティア」西漸運動があとから追いかけていってフロンティアがほんとうに消滅するのが19世紀末というのが適当な歴史のおさらいです。ゴールドラッシュのことは前に書きました(「May 2 長い一日(つづき) こどもの劇をみてカリフォルニアの歴史に思いをはせるの巻」参照)。アメリカの「西部」というのはフロンティアの移動とともに拡大していった歴史があります。

 Keaton_GoWest(1925).jpgGo West (1925)

   "Go West, young man, go West and grow up with the country." とHorace Greeleyがハッパをかけたのは1865年のこと。

405px-California_Gold_Rush_relief_map_2.jpg 前に貼った金鉱地図 (via Wikipedia)

  さてと、「おおスザンナ」の最近のラインダンスの、振り付けはさまざまながらもっぱら使用されているように思われるスウェーデンのカントリーテクノバンドのレッドネックスですが、ダンスなしで聞いてみました。いちばんでまわっているのは、つぎの映像がないといってよいヴァージョンです。――


"Rednex - Oh Suzanna" (3:33)  posted by Baarerboy (Switzerland)

 聴いてみると、でだし(と途中)で "I come from Alabama with my banjo on my knee.  I'm looking for sweet cowboys who can sing this song with me." (わたしゃアラバマからバンジョーひざに、この歌一緒に歌ってくれるかっこいいカウボーイたちを探しているのです)と歌っているのですね。"I've come from Alabama with my banjo on my knee" のリフレインはかろうじて原詩(詞)をとどめているように聞こえますが、え、"Oh Susanna, come and dance with me"?  "my cowboy, don't you cry"?  スザンナに会いにルイジアナ行かないの? また歌い手のアイデンティティー並びにジェンダー惑乱が・・・・・・(笑)。いや、話者のアイデンティティーはともかく、カウボーイ・ソングに変貌しておるのね。ウェスタンな。

  おそらくそれだから、最近(8月15日)YouTubeにつけくわわった同曲の別の投稿に、西部開拓とインディアンとカウボーイの画像が使われているのでした。――


"OH SUZANNA" (3:30) posted by aqualevia1 (Italy)

  イタリアの人の投稿です。マカロニウェスタンなノスタルジアか、政治的・思想的な含みがあるのか不明ですが、 モーリちゃんの父の頭の中では南部が西部へ転換し、黒人がインディアンへ変貌するという、惑乱状態が起こっているのでした。

 

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Rapidshare のRednex, "Oh Suzanna" mp3 file download ― <http://rapidshare.com/files/49453065/Rednex_-_Oh_Suzanna.mp3> 〔Free User 用あり

Keresöm Videó というところのRednex のvideo clip 集のページ― Rednex videók

<http://video.keresom.hu/rednex.html> 〔何語かわかりません。Swedish かしら。下の下の方はYouTube ですが、下の上の方に別のビデオがあります〕


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August 17 古本市の告知 Announcement: Used Book Fair [本・読み物 reading books]

August 17, 2008 (Sunday)

    6月くらいからものすごい速さで日が経っている感じです。ちゃんとせねばと思うモーリちゃんの父です。でも今日は月に一度の古本市@八百屋さん。念のため確認すると、主催のひまわり会のページに、前(6月のを以前八百屋さんの記事で載せましたが)とは明らかに違う文体で案内がありました。――

8月の古本市「ビデオフェア」
8月17日(日)11時~3時。
エルセリートの日本食品店「八百屋さん」の前。

今月はビデオがたくさんあります!
なツかしいテレビドラマとか歌の番組に出会える
かもしれません。
掘り出し物を探して見ませんか?

もちろん通常の文庫本、 単行本、雑誌もあります。

もしテープの内容が悪くてもテレビからレコードする
空テープとしても使えます。このごろはテープも売っ
ていませんでしょ?

雨天中止。

10566 San Pablo Avenue El Cerrito, CA 94530
八百屋さん: 510-526-7444
古本市の連絡先:510-845-9159

  テープの内容はその場で確認できないと思うのですが、一種のdisclaimer ですか、これはw

  いやいや、それはともかく、「なツかしい」という書き方と「このごろはテープも売っていませんでしょ」というところが泣かせます。えーん。

  いまカリフォルニア時間午前10時35分です。行ってきまーす。

 

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イーストベイの渡米者団体のひまわり会HP <http://himawarikai.org/topics.cgi>

古本市は毎月第3日曜日に開催 @

Yaoya-San Market 八百屋さん

10566 San Pablo Avenue, El Cerrito, CA 94530 電話 (510) 526-7444

火曜日-金曜日 10:00am-7:00pm
土曜日-9:00am-7:00pm
日曜日-9:00am-6:00pm
(月曜定休)

 


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August 18 イタリア語のおおスザンナ Italian Oh! Susanna (Bobby Solo) [スザンナ周辺]

August 18, 2008 (Monday)

   ここ数日、朝方は曇り空で、昼過ぎから晴れる天気ですが、晴れても遠くの空にはどんよりと雲がかかっているようです。 今朝久しぶりに6時前に起きだしたのですが、まだ真っ暗で、明らかにだんだん日の出が遅くなっていますねえ。だんだん昼が短くなっているようです。それでも夜8時になってもいちおう明るいですが。

  イタリアの歌手ボビー・ソロ Bobby Solo (1945 ―) の本名は Roberto Satti といって、ローマの生まれです。1964年のSanremo Music Festival サンレモ音楽祭 (Festival di Sanremo = Festivaldella canzone italiana) に 自作の "Una lacrima sul viso" をひっさげてデビュー、優勝はやはり新人のジリオラ・チンクウェッテティ Gigliola Cinquetti となりますが、彼の曲も世界的な大ヒットとなります。Lacrima はラクリマ・クリスティ (Lacrima or Lachrima Christi) のラクリマと同じで涙、英語に直訳すると "One Tear(drop) on the Face" でしょうか、邦題は「ほほにかかる涙」。日本語ののウィキペディアにボビー・ソロは載っていないので、あれこれ見ると、なぜかeigo21の「なつめろ英語」の【EUROPEAN POPS SERIES】に「ほほにかかる涙 (ボビー・ソロ) 歌詞・訳詞など」がありました。なぜ~。ただ、英語のWikipedia によると "playback" (録音していた歌唱を生の歌にかぶせること)を使用したために規定により失格となったというのが事実のようです。あと、eigo21の長い解説の中には「マカロニ・ウエスタンのカンツォーネ版がボビー・ソロでしょう。彼は自他ともに認める『イタリアのエルビス』でした。ポマードを塗って前髪を垂らしたヘヤースタイルにギター。 格好はもちろん歌もエルビス調でした。いかにも戦後らしく芸名に Bobby などという英語名を使ったボビー・ソロは本名 Roberto Satti, 1945年3月18日ローマ生まれの生粋のイタリア人です。」と書かれています。m'm マカロニ・ウェスタンという言葉をモーリちゃんの父も2つ前の記事で使いましたが、文字通りに第二次大戦後にイタリアで流行した西部劇のことを言ったのですが、ここではアメリカのものをイタリア的に受容するというような意味で使っているのかしら。あ、よく読んだらその前の部分にこう書かれていました(あ、あと、Bobbyは確かにアングロサクソン的だけど、Robert の愛称はBob, Bobby, Rob, etc. ですね)。――

 日本が60年代半ば高度経済成長の波に乗っていたころ, 同じ敗戦国イタリアは音楽・映画などの分野で世界にその存在をアッピールしていました。 世界へ進出する道は違いながら,両国の復興の背景に戦勝国アメリカの影があったと言っていいでしょう。
 イタリアの場合, もともと南部を中心に新大陸に移住して者が多く その末裔にアメリカで成功した芸能人はたくさんいますし(例:フランク・シナトラ,  ディーン・マーティン,ペリー・コモ, ヘンリー・フォンダ,シルベスタ・スタローン, アル・パシーノ, ロバート・デ・ニーロ,ジョン・トラボル タ), アメリカの芸能文化を同化させるのにさほど抵抗ないどころか, アメリカもどきに仕上げて世界に輸出してしまうことさえしました。 たとえばマカロニ・ウエスタン。 ジュリアーノ・ジェンマなんてなつかしい名前が思い浮かびます。

  なるほど。モーリちゃんの父がむかし習ったところでは、イタリアはアメリカ文学の受容の歴史が長くあり、ウェスタンの源流と考えられるジェイムズ・フェニモア・クーパーのLeather-Stocking Tales とかも日本なんかよりもはるかに読まれていた。そういうアメリカ文化受容の基盤があってマカロニ・ウェスタン――いま適当にまたウィキペディアで見ると、60年代から70年代前半ですか、英語は"spaghetti western" ――が出てくるみたいなことでしたが、第二次大戦を経ていろいろな文化的思惑(なんて言葉あるのだろうか)なり文化的無意識が働いているのでしょうか、いたのでしょうか、いまふうな批評としては。書き手の文章の書き出しは「60年代はじめ,日本では戦後のアメリカ進駐軍の影響を受けた歌手が多く活躍しましたのですが, 彼らの歌った歌はアメリカのものはもちろん, 日本と同 じアメリカ進駐軍の統治の経験のあるかつての同盟国イタリアのカンツォーネ(イタリアン・ポップス)であったのはおもしろいことです。」です。「おもしろいことです」だけで分析しないのはズルイ(ヒトのことは言えませんw)。戦後のロックやフォーク(リバイバル)はアングロサクソンというか英米の音楽シーンがリードして、そのまえのジャズのビート・ジェネレーションにつづくかたちで反体制~オルタナティヴ(とびすぎだが)の流れは世界的な共感を呼んだのだろうから、ただ対アメリカというのではないと思うのだが。むろん音楽的にはエルヴィス・プレスリーだってアル・ジョンソンがいなければ存在してないかもしらんが(言い過ぎかもしらんが)。

  モーリちゃんの父は昭和30年代の生まれですが、戦後20年経たないうちに生まれたとか、ぜんぜん意識しないまま大人になりました。そして、この10年くらいで、いったい日本のアメリカ文学研究者は戦争をどう生きたのだろうか、と気になった(ひとごとだからひとごとのように)。戦前日本とアメリカの文化交流の盛んな時期はあったのですし、明治以来アメリカ文学の受容の歴史もあったし、作家同士の交流もあったりするし、長谷川海太郎みたいな人もいたりする。だから戦後に媚びるようにアメリカへ向かったのではないだろう。・・・・・・

  以上私的メモ・

 


"Italian Music - Bobby Solo - Oh, Susanna!" (1966)  posted by radioitaliano, on 21 July, 2008 (2:35)

   ということで、次の年の1965年のサンレモ音楽祭では優勝して雪辱を果たしたボビー・ソロが1966年に録音した「おおスザンナ」です。

  最初の息の吐き方はもろにプレスリー的だわ♪

  イタリア語の歌詞を探しましたが、見つかっていません。そのかんにカントリーやウェスタンやフォークについてさんざん読むことになり(自分が悪い)、頭が痛いです。ひとことだけ書いておくと、フォーク・リヴァイヴァルの立役者のPete Seeger はスティーヴン・フォスターを否定していないし、自ら「おおスザンナ」も含めて歌っているということです(なにを言っているのかわからなければすいません)。

  Bobby Solo は当然エルヴィスの歌をあれこれイタリア語で歌っていますので一曲――"Te Ne Vai" (Can't Help Falling in Love" 「好きにならずにいられない」 )――

 




もひとつおまけにScott McKenzie (1939 フロリダ生まれ―そのホームページ) の "San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)" (1967) のBobby Solo によるイタリア語版 (英語の歌詞はこちらとか)――

 


Bobby Solo, "San Francisco"

    さて、この歌がアメリカなりサンフランシスコなりに対する幻想を抱かせたかというと、どうなのでしょう。モーリちゃんの父は昔の歌として中学生のころに聞きましたが、別にー、という感じ(まあ歌詞がわかっておらなんだからもしらんが、いま読んでも別にー)。まあvibration とかgeneration とかほんとうの意味を知らなかったしw  同じころ(かどうか不明ですが)マンチェスターとリヴァプールとかいろいろ地名の入った唄がありましたが、「煙だらけの町」なのだという知識を得る程度でした(それはメリー・ホプキンの日本語歌詞によるlol)

 


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August 18 おおスザンナ犬 A Dog Singing "Oh! Susanna" [スザンナ周辺]

August 18, 2008 (Monday)

    フランスでは「おおスザンナ」が犬にまで親しまれているらしい。


"GolDen ReTrievEr sinGinG 'oH sUzAnnA' " (0:26)  posted by holymushroom56 (France) on Sept. 4, 2007.

   フランスでは Suzanna と z にするのが一般的なのだろか。それともRednex の影響なのかしらん。

  holymushroom さんの投稿はあとひとつがサイモンとガーファンクルのPaul Simon の"Anji" なのですが、映像的にはこちらのほうが好きです。――


"anji"  (1:07)

    なんだかよくわからなかったので、本家を探しました。――

 


"Simon & Garfunkel - Kraft Music Hall 1968 Part 2 of 3" posted by champipple on May 9, 2008.

最初ぼーっと見ていたら、でてきたアート・ガーファンクルがポール・サイモンにそっくりだったので驚いたのですが、ポール・サイモンの弟のEd でした。くりそつなのでした。

  しかし、ギターの演奏だけに(ギャルでも)耳を傾けられた時代というのがむかしはあったのですかね、ですね(あ、リー・リトナーとかナルシソ・イエペスとかとは違うタイプとして考えています)。 それは音楽としていいことなのでしょうか、いいのでしょうね。たぶん。そこで問題になるのは歌というか声の意味なのでしょうけれど・・・・・・ワグナーか、ニーチェか、犬か、わけわかめか。


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August 18 おおスザンナのスパニッシュなお遊戯  Spanish Oh! Susanna in Play [スザンナ周辺]

August 18, 2008 (Monday)

    細かく見ていたら、・・・・・・――疲れました。 この映像の投降者は40歳代のスペインのceipsantsalvadorという方です。他の映像はだいたいどれも子供たちが教室や体育館で(なかには遠足というか森の動画もありますが―"El meu bosc")パフォーマンスをするものなので、学校の先生なのではないかと思われます。演技としてはこのあいだのフランスのステージ上のパフォーマンス(参照 「August 16 おおスザンナのおフランスなお遊戯ザンス」)におおむねくりそつです。

  

 "Oh, Susanna - 6è"  posted by ceipsantsalvador (Spain) on

   6è というのは6th grade の意味なのでしょうか。で、この「おおスザンナ」は10人、男の子5人と女の子5人、で演じられています。 5という数はゴボウ整形、あ、変換しない、五芒星 (pentagram) とか魔術的な意味をもっているわけだし、10で全体というのもごぼう性、あ変換しない五芒星をシンボルとしたピタゴラス教団が唱えていたと思うからナイスな数だと思うのだけれど、いかんせん、練習不足でメリハリがないですな(失礼w)。ウェスタンな帽子をかぶってがんばってはいるのですが。

  ともかく、わかったのは、同様の踊りの遊戯が伝承されているらしいということなのでした。 それもちょっとフォークダンスとは違うタイプの。


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August 19 昔のサンフランシスコのユダヤ人の少女時代 (1) A Jewish Girlhood in Old San Francisco [本・読み物 reading books]

August 19, 2008 (Tuesday)

    この本は、アメリカに来て最初のころに注文した本で、もしかすると最初に届いた本だったかもしれないのですが、読んだのは8月になってからでした。読書日記は購入日記にすると書いたので4月の日付にするのがよいのですが、不明なので、とりあえず、今日の日付にしておきます。

  Harriet Lane Levy, 920 O'Farrell Street.  Berkeley: Heyday Books, 1996.  196pp.  ISBN 0-930588-91-6  

  ハリエット・レイン・レヴィ 『オファレル通り920番』 (1947;rpt. 1996)

 920O'FarrellStreet.jpg

(表紙上の写真はlate 1880's 頃というから1867年生まれのHarriet Lane Levy がはたちか20歳を過ぎたころのポートレト)

    サンフランシスコのオファレル通りはGeary のひとつ南の通りですが、 モーリちゃんの小学校にと考えていた Rosa Parks Elementary School があるのが1501 O'Farrell でジャパンタウンの南、Van Ness Avenue の西側ですが、920というとヴァンネス大通りの東側、Polk Streetに出る前のあたりです。

 

 


大きな地図で見る

  この本は、1850年にプロシアからサンフランシスコに移民してきたユダヤ人Benjamin Levy が1858年にやはりユダヤ人移民であるHenrietta Michelson と結婚して生まれた三姉妹の末娘のHarriet Levy (1867 - 1950) が80歳になった年に出版した回想録で、 1947年に初版がNew York のDoubleday から大版の挿絵入りで出ています。オファレル通りの近所に住んでいた Sarah Samuels が1895 年に結婚したのが、女性作家でかつパリでの芸術家のパトロン(ペイトロネス patroness ですか)として有名なGertrude Stein (1874 - 1946) の長兄のMichael Stein (San Francisco のOmnibus Cable Company の取締役かなんかだった)であったという縁で、やっぱりオファレルの隣人だったAlice B. Toklas (1877 - 1967) と一緒にハリエットはStein たちのいるパリに1907年から住むことになります。American Girls in Paris と呼ぶには年をとり過ぎていたと思いますが、「パリのアメリカ人」であったことは確かです。

  ガートルード・スタインとすぐ上の兄のLeo Stein は1903年からパリに住んでピカソやマチスやらの現代絵画の蒐集を始めているわけですけれど、その前から英国で美術品の収集をレオはやっていたようです。で、そのレオをならうかたちで、弟妹のいるパリへ、1903年に、ケーブル事業をやめた長兄のマイケル・スタイン夫妻(と子供のAllan Stein) もサンフランシスコからやってきて、現代絵画を買い漁ります。買いあさるというのはなんだけど、しかしやっぱり金持ちのユダヤ人が渉猟したのだよ。

  ハリエットの家も金持ちでしたけれど、両親ともポーランド系ユダヤ人だったので、ドイツ系のユダヤ人より劣るという意識を持っています――"That the Baiern (Bavarian or German Jews) were superior to us, we knew.  We took our position as the denominator takes its stand under the horizontal line.  On the social counter the price tag 'Polack' confessed second-class."  このへんの歴史的背景としては、プロシアによる1772年のポーランド併合によってプロシア支配下にはいったユダヤ人たちが、ドイツ文化に同化しないで東ヨーロッパのポーランド文化に固執したために"Polack" と呼ばれて、それに対して文化的同化が高かったドイツ系ユダヤ人たちは自らを知的にも文化的にもsuperior と考えてきた、という事情があります。そしてハリエットは親の出身を偽ったりもする――"Were I asked in the schoolroom the birthplace of my mother or father, in an agony of fear lest the truth be detected, I quickly answered, 'Germany.'"

  本は 1. The Bay Window  2. Neighbors  3. Bins and Babies  4. Mother  5. Father  6. Education  7.  The Parlor  8.  The Music Room  9. The Dining Room  10. The Front Bedroom  11. The Back Bedroom  12. The Kitchen  13. The Basement  14. Suitors--Baiern  15. Wedding  16. Rosh Hashona [ローシュ・ハッシュナ=ユダヤの新年祭]  17. The Synagogue  18. Saturday Night  19. The Earthquake の19章からなっていて、 多くの章のタイトルは建物にかかわっています。このオファレル920番の家は、著者が最後の「地震」の章で"I identified myself with the old house" と語るように、自己と同一化された存在になっていた。けれども1906年の地震で家は崩壊してしまいます。もっとも、その前に、家族が減り、父親も亡くなり、母と二人になったときにこの家を貸しに出すことにして引っ越してはいるのですけれど。でも少女時代には一心同体であった(ほんとかい)家について、その家にいた人々、近隣の人々、について、ヴィクトリア時代のサンフランシスコについて、ときにユーモアとたぶん皮肉もまじえて描かれています。

   "A Jewish Girlhood in Old San Francisco" という副題みたいに表紙にくっついているフレーズは、調べてみると初版にはなくて、どうやらこのペーパーバックでいわば帯的に付けられたもののようです(アマゾンとかだと副題扱いしているけれど、正式には副題ではない)。18章の「土曜の夜」はいつも父親とふたりで土曜の夜にMarket Street を散策するようすが書かれていますが、ある夜、男の肩に手を置いて引きとめようとする若い女の姿を見て、家に帰ってからもそのイメジが消えない、みたいな思春期の女の子ふうなエピソードが書かれていますけれど、最終章の地震は1906年のことですし、その前に父親は亡くなって(おそらく19世紀の終わりごろに)ますし、少女時代(だけ)が書かれているわけではないです。もっとも、ハリエット・レヴィは、ユダヤ人社会内での結婚という因習的選択を自らやめてひとりで充実した人生を送ることを決意した女性のひとりだったので、ぜんぜん皮肉ではなくてガールだったかもしらんのだが。

   実は本の中では何年のこととか何歳のこととかぜんぜん書かれていないので、時間の経過がよくわからんところがあります。アリス・B・トクラスのことが書かれているのは2章の「隣人たち」で、お隣のLevison 家で、女であること(femininity いまふうには女性性ですかw)を否定されて家政婦としてこきつかわれている女の子として出てくる。――

  Alice Toklas, the granddaughter of Mr. Levison, was a strange note on the Levison canvas.  When her mother died at an early age, her father brought twenty-year-old Alice to the grandfather's home at 922 O'Farrell Street,and dropped her and his responsibility for her among the aggregation of family relatives.

   Among the ever-present, shifting group, Alice remained the only woman there.  In spite of her youth she existed to them only as a housekeeper, provider of food and of general comfort.  Any opinion that she might venture at table was ignored or sponged out by a laugh from the distinguished attorney from the interior.  Each night she sat at the long table, unnoticed among the repetition of relatives.  Her strange, austere beauty passed over them unsuspected.  Alice was odd, they said, and forgot her.  Unnoticed she fled the after-dinner, cigar-laden talk of local politics, and recovered her identity among congenial circles within the pages of Henry James.

   読んだときには生まれ年とか調べてなかったのですが、21歳というと1898年ごろですか。そうするとハリエットは31歳か。人については書きながら時間がずっとあとまで伸びたりするんでしょうね。

   アリス・B・トクラス (この人もユダヤ人女性です)とハリエット・レヴィの関係はどういうものだったのか、よくわからないですけれど、この本の中では "At no time did she invite me to her house.  A knock at my window and a bouquet of flowers passed from her hand into mine and she was gone."(家に私を招くということは一度もなかった。私の部屋の窓を叩く音がして、花束が彼女の手から私の手に渡され、彼女はいなくなっていた) とか唐突に書かれていたりします。あと、アリスは毎年春の2週間、家を抜けだして衣服も変えて派手な格好をしてMonterey に旅行しますが、ある年にはハリエットが同行します。――

One spring we went to Monterey together and lived for a week at Sherman's Rose 〔シャーマン将軍のフィアンセだったという噂のあるSenorita Bonifacio という女性の住む家〕 . The last night of our visit we celebrated with a dinner to each other at Louis's French restaurant. A porterhouse steak, a double order of French-fried potatoes, a bottle of champagne, and we snapped our fingers at grandfathers, uncles, German cousins, and all the impedimenta of life, liberty, and the pursuit of happiness.  I begged for a toast.

  最後の前の "all the impedimenta of life, liberty, and the pursuit of happiness" は「人生や自由や幸福の追求を邪魔するものすべてを(パチンと指を鳴らして消し去った)」というような意味だと思います。

  1906年にサンフランシスコ地震が起こり、そのニュースを聞いてサンフランシスコへフランスからマイケル・スタインたちが戻ってきます。このときにマチスの絵が初めて大西洋を渡ったのだということになっています。で、ハリエットはアリス・B・トクラスとアリスのいとこのAnnette Rosenshine という女性と一緒にマチスの絵を見に行きます(これは本に書かれていることではないです)。そのときにセイラ(マイケル・スタインと1895年に結婚した元隣人の女性です)から、一緒にパリへ行かないか、とハリエットとアリスは誘われることになります。ふたりは議論する。セイラみたいないばりんぼうと一緒というのはふたりともイヤでした。それでも、パリの窓辺に座って生活を眺めているだけでも、サンフランシスコに埋もれるよりいいんじゃないの、とアリスは言います。でもアリスには借金がありました。ハリエットには1000ドルの貯金があったので、それをアリスに貸す。で、ふたりは1907年9月8日にフランスに到着します。

  そして着いたその日にアリスを連れてガートルード・スタインたちを訪問します。

   とこのへんまで書きながら、あれこれ読んでいたのですが(ほんとうは読みながら書き、書きながら読んでいたのですが)、日本語版ウィキペディアの「ガートルード・スタイン」はおおむね英語版の訳でしかないみたいですが、よくわからないところがあり、 別の記事で検討します(笑)。

  日本語のウィキペディアにハリエット・レヴィの項目はないですが、英語のWikipedia のWikimediaにはありました。

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reference URLs:

"Harriet Lane Levy," Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Harriet_Lane_Levy>

"Gertrude Stein," Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Gertrude_Stein>

"Alice B. Toklas," Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Alice_B._Toklas>

"Alice B. Toklas Life Stories, Books, & Links"  <http://www.todayinliterature.com/biography/alice.b.toklas.asp>

「ガートルード・スタイン」 Wikipedia <http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3>

HarrietLevy&AliceToklas,Fiesole,Italy1909.jpg

 Harriet Levy and Alice B. Toklas, Fiesole, Italy, 1909 〔部分。本書100ページと101ページのあいだのアルバムに収録〕

   このハリエットとアリスの写真を撮ったのが、マティスの絵を一緒に見に行ったAnnette Rosenshineなのかどうか、わかりませんが、UC Berkeley のバンクロフト・ライブラリーの"the Annette Rosenshine Papers [graphic], ca. 1895-ca. 1960" に入っています。

"Guide to the Photographs from the Annette Rosenshine Papers [graphic], ca. 1895-ca. 1960" <http://content.cdlib.org/view?docId=tf367nb064&chunk.id=dsc-1.3.4&brand=oac>

"Annette Rosenshine - Artist, Art - Annette (Miss) Rosenshine" <http://www.askart.com/askart/r/annette_miss_rosenshine/annette_miss_rosenshine.aspx> 〔AskART: The Artists' Bluebook 内。生没年を 1880 - 1971 としています。彼女が一番若かったのですね。彫刻家で、やはりパリに渡っているのです。以下の記事が引用されています〕

The sculptress known for her work in miniature, Annette Rosenshine, was born in San Francisco in 1880. She studied at the Mark Hopkins Institute in San Francisco, and most notably, with Henri Matisse in Paris. The Mark Hopkins Institute was established in a mansion on Nob Hill in February 1893, by Mr. Edward F. Searles, who donated the Hopkins Mansion to the University of California in trust for the San Francisco Art Institute. 

 

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なぜか2010年4月20日に追記――

つづきは「August 22 ハリエットとアリスとガートルード――昔のサンフランシスコのユダヤ人の少女時代 (2)、またはパリのアメリカ娘たち Harriet, Alice, and Gertrude: A Jewish Girlhood in Old San Francisco (2); or, American Girls in Paris」です。


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August 20 アメリカンなおおスザンナ遊戯(爆)パート2 An American Oh! Susanna Play Lol Part 2 [スザンナ周辺]

August 20, 2008 (Wednesday)

   どうもアメリカ娘は「おおスザンナ」ではじける傾向があるように思われ。――


"Oh Susanna"  posted by hannahchloe12 on January 4, 2008

  しかし「マイ・ボニー」でも同じようであり。――

 


"Over the Ocean" posted by hannahchloe12 on January 4, 2008

   こちらには "ITS A PIRATE SONG!!!" との注釈あり。そうだるか? 16歳のアメリカン・ギャル3人組。

 

  続きまして、あまりインパクトはないですが、もう少し大人の2人組――


"Oh Susanna" posted by starcrazy1987 on September 10, 2006.

Starcrazy1987 こと Atti さんは20歳で、 "My junior year, Coley and Katrina got bored and Coley put on my high heeled shoes." という言葉を添えています。よく意味がわかりません。junior は大学と高校と両方とも3年生を指します(というか正確には卒業学年つまり最上級がsenior で一年下がjunior ですから、短大だと1年生がjuniorですけど)が、高3のときのビデオということでしょうか。

  あ、なんとなく知識のおさらい的に書いておくと、アメリカの学校制度は(A) 6-2-4 制: 6年間(elementary school 小学校 1-6th grades)・2年間(middle school 中学校 7-8th grades)・4年間(high school 高校 9-12th grades)と (B) 5-3-4 制: 5年間(小学校 1-5)・3年間(中学校 6-8)・4年間(高校 9-12) のふたとおりが、場所による違いはありますが、多いようです。3年間という高校も場所によってはあるみたいですけど。

  4年制の高校だと、1,2年生も大学と同じようにfreshman, sophomore と呼ぶようですね。

  と、とってつけたように書いたついでにとってつけたように・・・・・・たとえば・・・・・・・デデド村の学校情報――「諸学校の学校情報」 (「幼稚園:5歳」とあるのはいわゆる小学校に付属している kindergarten のことですね)。

   ついでにとってつけたようにDededo の地図――


大きな地図で見る

  細部を見ようとすると「恐れ入りますが、この地域の詳細地図は表示できません。ズームアウトして広域表示をご利用ください」とホワイトアウトしてしまうのでした。


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