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October 31 俺は有能料理人か Am I a Good Cook? / Do I Cook Well? [ニュースから]

http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=mai&aid=20081031-570-OYT1T00670
「我が国は戦争の被害者」空自トップ、問題論文の要旨――『読売新聞』
 
    読売新聞の要旨を読んでみて、どれも聞き覚え、見覚えのあることばだったので、ほんとのところ何が問題なのか、論文の原文(らしきもの)を読んでみた。
 
   「日本は侵略国家であったのか」(pdf.) http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
  

〔アパグループ第一回「真の近現代史観」懸賞論文 受賞者発表 – アパグループHP <http://www.apa.co.jp/book_report/index.html>〕

 
   まず、(新聞)記事の見出しになっている「我が国は戦争の被害者」といういささか抽象的な命題は、原文では「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである」 という、戦争のきっかけについての具体的なものである(要旨でも「我が国は蒋介石により、日中戦争に引きずり込まれた被害者だ。」)。タイトルの「侵略国家」については、「軍を進める」という表現と「軍の配置」ないし「駐留」の範囲が不明確だと思うが、「日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。」の一段落あとに「この日本軍に対し蒋介石国民党は」と続くので、時間的には「駐留」(それは条約に基づいたもので侵略ではないというりくつ)の時期のあとに戦争が起こったという展開でしょう。それは「我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。」という表現から確認できる。
   
   えーと、もともと内容をあれこれ議論しようという気持ちはないのだが、論文というきっちりとしたフォーマルな文章のトーンでないというのがひとつ気になった(皇族関係への言葉遣いも違和感がある。個人的な崇敬は自由であろうけれど、文体が不自然になっている)。あとは、村山談話なる政府見解とのソゴが問題にされるだろうということが別の記事などで書かれていたが、村山談話の一節は、「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の 人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」というもので、日本は侵略国家でした、とは言ってはいない。〔村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話) 外務省HP内 <http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html>〕
   
   「軍を進める」というゆるい表現と、「侵略する」という固い術語と、さらに「侵略国家」という、属性の固定化を伴う熟語。その幅が、意図的なものなのか、そして最後のものをタイトルに入れるという選択は計算的なものなのか、気になった。いや、属性の固定化という表現が妥当かどうかわからないが、She is a bad singer.  は「彼女はうたが下手だ」か「彼女はひどい歌手だ」か、She is a good writer.  は「彼女が文章がうまい」か「彼女はいい作家」か、というようなことです。
 
   ところで、このひとは、2004 (平成16)年7月に「航空自衛隊を元気にする10の提言~パートⅢ~」という文章のなかで、みんな論文を執筆・投稿しよう、と呼びかけておるのですね(cache 「5 月刊誌へ論文を投稿する」参照)。
 
   やっぱり論文は明確な言葉遣いと論理ですね。「もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。」 とか「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。」という情緒的な言葉遣いではだめだ。
 
   そして、読売新聞の見出しもまた、 情緒的なあいまいさを、おそらく意図的にまとっているでしょう。   
 

日本を語るワインの会 第17回(平成16年11月号)pdf. <http://www.apa.co.jp/appletown/pdf/wine/0411_wine.pdf>
   
 
   

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October 31 エリアーデのいう中心のシンボリズム The Symbolism of the Center as Described by Mircea Eliade [メモ personal notes]

October 31, 2008 (Friday)

   メイポールを考える参照用メモ です

    いったい自分はブログで何をやりたいのだろう、という疑問がまたフツフツと沸いてこないわけでもない今日このごろだが、Maypole をぐーぐる検索したら 日本語のページ 約 89,700 件、それを端から見ていったら途中で471件に減っていたので、全部見た。ラッキー♪

  そして、いろいろ学ぶところあったのだが、それは別の記事にとっておいて、ここでは、ファルス(phallusというのは簡単に言うと「象徴」としての男根で、そこがpenisとちがう。だからちんこと言うのとはいくつかの次元で異なる)にばかりくっつけられてしまう傾向の強いポールについて、セクシャルじゃない方向に頭を広げるべく、引用をメモっておきます(むかしのメモ的文章からの孫引きだけど、自分のメモだから孫引き表示はしない)。

  聖なるものの顕現hierophany が起こる場としての「〈中心〉のシンボリズム the symbolism of the "Center"」について、文化人類学者(本人は「比較宗教史家」という肩書を好んだようですが)のミルチャ・エリアーデの典型的な説明の文章。

ヒエロファニーによる地平から地平への突破がもたらされる場所では、上方(神界)あるいは下方(地下界、死者の世界)へ向かう開口が作られている。三つの宇宙平面――地、天、地下界――は交流状態に置かれている。〔・・・・・・〕この交流はしばしば、天地を支え、結びつけ、かつ下の世界(地獄の領域)に基礎を置く、宇宙の柱、axis mundi 世界軸という形象によって表現される。この宇宙の柱はただ世界の中心にのみ存在しうるが、居住可能な世界はすべてその周囲に広がるからである。こうして我々は一連の宗教的観念、宇宙論的形象を扱うことになる。それらは分かちがたく結びついて、伝統社会の「世界システム」と呼ぶことができる一つのシステムを形づくる。すなわち、(a) 聖なる場所は空間の均質性における裂け目を構成する。(b) この裂け目は(天から地へ、およびその逆、あるいは地から下界へというふうに)一つの宇宙領域から別の宇宙領域への移行を可能にする開口によって象徴される。(c) 天との交流は、柱〔・・・・・・〕、梯子(ヤコブの梯子)、山、樹、蔓(つる)などいくつかの形象のどれかによって表現されるが、みな世界軸に関係する。(d) この世界軸の周囲に世界(=我らの世界)が広がる。したがってこの軸は「中央に」、すなわち「地の臍(へそ)」にある。それは〈世界の中心〉である。 〔Mircea Eliade, The Sacred and the Profane: The Nature of Religion, trans. Willard R. Trask (New York: Harcourt, 1959), pp. 36-37.  ミルチャ・エリアーデ 『聖と俗――宗教の性質』〕

 Cf.  Mircea Eliade, Patterns in Comparative Religion, trans. Rosemary Sheed (1958; rpt. New York: New American Library, 1974), p. 375; The Myth of the Eternal Return or, Cosmos and History, trans. Willard R. Trask (Princeton, NJ: Princeton UP, 1954), p. 12.

   いわゆる「生命の木 Tree of Life」 と呼ばれる世界各地にみられる神話的な樹木――天と地をつなぐ木(ジャックと豆の木はなんで木なのかとか)――は中心のシンボリズムにかかわる(「中心のシンボリズム」を検索すると半分以上は、平凡社から1980年代に出た「イメージの博物誌」シリーズのロジャー・クック著 植島啓司訳『生命の樹――中心のシンボリズム』 (1982) ISBN 978-4582284157 が占めるみたい)。もっともRoger Cook の本の原題は Tree of Life: Image for the Cosmos (「生命の木――宇宙のイメージ(宇宙像)」)なのだけれど。確か最後のほうのモノクロ画像だけれど、パウル・クレーの抽象的かつ幾何学的な絵が実は生命の木、というより実際の木からイメージされていることを製作過程のデッサンで示しているところがあって、ヘーと学生のころ思った記憶がある。

   エリアーデのいう中心というのは、聖なる出来事がおこる空間で、もちろん原初的には神による世界の創造、その後の失楽園物語(天と地をつないでいた世界軸としての生命の木が断たれるというかたちで)の場であるけれど、歴史内の人間にとっても、祝祭や儀式が行われる場所はつねに「中心」になる。つまり原初的・神話的ふるまいを再現・再演する空間となる。

  塔も世界軸。なつかしい「そうりん」(「June 16 そうりん」) も。

   思えば、キリスト教の「知恵の木」Tree of Knowledgeをファルスと考えるばちあたりな説もあるわけだけれど、宗教の起源を人間内部に結局のところ求めたのがフロイトであってみれば、あっちんこっちにちんこが見えてしまうのもむべなるかな、ということですかね。というか、それは亜流亜式悪しきフロイト的すぎると思われ。 (脱線してしまいつつあるので、つづく)


参考URL―

"Mircea Eliade: Biography from Answers.com" <http://www.answers.com/topic/mircea-eliade>

「生命の樹」と聖獣 唐草物語 <http://www.karakusamon.com/my.html> 〔杉浦康平の『生命樹・花宇宙 万物照応劇場』(NHK出版2000年7月刊)〕を引いたややかなり細かい分類〕

"Myth and Religion in Mirciea Eliade" - Googleブック検索 〔例〕

"The Myth of the Eternal Return by Mircea Eliade at Questia Online Library" 〔断片〕

神話研究部 <http://www.geocities.co.jp/AnimeComic/8259/sinwa/sinnwa11.htm> 〔下の引用はエリアーデをまとめたものだと思われるが、リンクの「部室へ戻る(⌒▽⌒)」 がこわくて押してないのでどういうサイトか不明〕

樹の話と中心と

■ 樹に係るイメージは中心。中心のシンボリズムである。中心は絶対的な始まりの点であり、聖なるエネルギーの集まる所である。神話の中の言葉では、「世界の へそ」「神の卵」「隠された種子」「根源の根源」という言い方で登場する。樹は宇宙軸・世界軸として考えられ、全宇宙の中心に位置し、天と地と地下を貫いている。

山田維史「卵形の象徴と図像」 山田維史の遊卵画廊 <http://plaza.rakuten.co.jp/plexus/8000> 〔画像のついた美術論文。エリアーデは中心のシンボリズムの命題として、「1、いずれの建築も、すぐれた宇宙開闢のわざ、世界創造を反復すること。2、したがって建立されたものは何でも、その基礎を世界の中心に持つ(われわれも知る如く、天地創造はそれ自体中心から起こったゆえに)」(『永遠回帰の神話』)といっているけれど卵の家のイメージ、地上の建築物としての卵が不在なのはなぜか〕 

 

   カリフォルニア時間 10月31日午後6時追記 すいません、日本語の転換ミス等がありました。あちこち直して、ついでに、翻訳文中を中心に術語に英語版Wikipedia へのリンクをはりました。

 


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October 31 トリック・オア・トリート Trick or Treat [断章 fragments]

October 31, 2008 (Friday)

   今日は朝から雨模様で、午後晴れたものの、ときおり雨が降り、夜7時20分くらいにも雨が降り、7時50分くらいには一瞬だけどドッと振ったりもしたハロウィーンでした。

    ハロウィーンといえばユーミン ・・・・・・ うそラジオ 「松任谷由実 はじめました / ただいま ON AIR中

  仮住まいの拙宅にもカボチャのランタンがあったのですが、写真を撮っている余裕がありません。

  とりあえず収穫のcandy のリスト――

AMERICA'S ORIGINAL® DUBBLE BUBBLE x1

Bee® gummy creeps candy x1

Betty Crocker Halloween Fruit Flavored Snacks x1

BiG BLOW Bubble Gum GREEN APPLE ARTIFICIALLY FLAVORED x2

BiG BLOW Bubble Gum STRAWBERRY ARTIFICIALLY FLAVORED x2

BODY PARTS GUMMY CANDY x1

HEATH MILK CHOCOLATE ENGLISH TOFFEE BAR x1

HERSHEY®'S Milk Chocolate x3

HERSHEY®'S Milk Duds® made with Chocolate & Caramel x2

HERSHEY®'S mr. Goodbar® x1

HERSHEY'S TAKE5 x3

JOLLY RANCHER® APPLE x1

kiss chocolate And Kisses x1

KitKat® Crisp Wafers in Milk Chocolate x1

m&m's® BRAND Funsize® peanut CHOCOLATE CANDIES x3

Mike and Ike Original Fruits Chewy Assorted Fruit Flavored Candies x1

MR. YUMMY (ペロペロキャンディー) x1

Nestle® BabyRuth® BaR x4

Nestle® Bugtterfinger® baR funsize x3

Nestle® CRUNCH x1

Peter Paul® Almondjoy® MILK CHOCOLATE COCONUT & ALMONDS x4

Reese's® PEANUT BUTTER CUP® x2 

Reese's® PEANUT BUTTER CUP® x1 

Skittles® CHOCOLATE MIX Bite Size Candies Artificial and Natural Flavors x1

Skittles® SOUR Bite Size Candies Artificial and Natural Flavors x1

Skittles® Original Fruit Strawberry Orange Grape Lemon Lime

SMARTIES CANDY MADE IN CANADA x5

SNICKERS® BAR Minis x2

SPANGLER CANDY COMPANY DUM-DUMS Artificial BUBBLE GUM x1

SPANGLER CANDY COMPANY DUM-DUMS Artificial COTTON CANDY x1

SPANGLER CANDY COMPANY DUM-DUMS Artificial ROOT BEER x1

Starburst® ORIGINAL Fruit Chews 2個入り x2

Super Bubble® (ガム) x3

3 Musketeers® Bar x1

Tootsie® ARTIFICIALLY FLAVORED Assorted Fruit Flavored Gumdrops DOTS® x2

Tootsie FRUIT ROLLS® Lime Flavored x2

Tootsie POPS® Miniatures ARTIFICIAL Cherry x1

Tootsie POPS® Miniatures ARTIFICIAL Raspberry x1

Tootsie Roll® POP ARTIFICIAL FLAVOR CHERRY x1

Tootsie Roll® POP ARTIFICIAL FLAVOR LEMON LIME x1

Tootsie Roll® POP ARTIFICIAL FLAVOR RASPBERRY x1

Tootsie® Roll x2

Tootsie® Rol x2l

Twix® Bar Minis x2

Twizzlers PULL-n-PEEL® x1

WONKA® Laffy Taffy candy ARTIFICIALLY FLAVORED STRAWBERRY [Jokes on Every Wrapper] x2

WONKA® NeRds StRaWbeRrY (Artificially Flavored Candy) x2

WONKA® RUNTS (Artificially Flavored Candy) x1

WONKA® SweeTARTS® tandy candy x1

Anonymous (ペロペロキャンディー) x1

Anonymous (くるくるキャンディー) x1

 

HolloweenTreat2008.jpg

   やめられまへんな~

  たぶんつづく(つづくんかいw)

 

写真で3時の方向の不気味なふたつはどちらもMade in China でした。モーリちゃんは捨てようとしたのですが、ちょっとまて、と写真にはおさめました。 

 


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November 1 日記 [断章 fragments]

November 01, 2008 (Saturday)

    ブログは本来日記だよな、という考えは変わらないが、日々の記録から出発しても、いろいろと調べ物をするようなことをつい書きつらねていると、本来の日記的部分を欠いてしまう(意識的・無意識的に) ということがままあって、ちょっと反省している。いっぽうで、モーリちゃんの母が最近出会った複数の人から、ご主人のブログを見てます(見ましただろう)とか読んでます(読んだことがありますだろう)とか言われるということがあって、別の意味で緊張関係がブログ内に漂っていなくもない。最も読まれたくない読者は誰なのか、これは、こういうことを書き連ねるたびに恐怖を増すようなたぐいの壮年、いや想念だ。

  しかし、考えてみれば、本来の日記が私的なものであるとして、・・・・・・と、書いて、いやアメリカ植民地時代のあちこちの総督の日記はどうだとか、もっとはっきりしているのは日記に自分で索引を付けていたソローみたいな人もいたなあ、とかあるのだけれど、・・・・・・それにしても、家族ほど読者として想定されない読者はいないのではないだろうか、ふつうは。たとえばモーリちゃんの父も好きな早川義夫(元ジャックス)は「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」にはじまり「言う者は知らず、知る者は言わず」、「恥ずかしい人生を生きてきました」というようなタイトルを自らアルバムや本につけてきたけれど、それは自覚的パフォーマンスであって、ある種の逆説性をはらんでいるのだろう。だけどねえ、家族というのは、なんというか、生活のなかでパフォーマンスはあるけれども、そうじゃない部分を共有している存在だから、恥のうわぬりみたいな感じかなあ(笑)

  あ、日記の部分がまたとんでしまった(続く)。

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「批評家は何を生み出しているのでしょうか 早川義夫」(『言う者は知らず、知る者は言わず』より 〔よく聞き取れないのですがこれは逆説ではないのでしょうか〕

「日記55」 〔公式サイト内〕

好きな歌・・・・・・

「サルビアの花」(『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』 )

「割れた鏡の中から」(『ジャックスの世界』 より) 〔なんか音が割れているのでしょうか〕

 


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November 2 おおスザンナとジャックス [スザンナ周辺]

November 02, 2008 (Sunday)

   早川義夫からジャックスの映像を探していたら、ボニー・ジャックスの「おおスザンナ」の映像にめぐりあった。人生めぐりあいつむいで。思えば「マイ・ボニー」から「おおスザンナ」へピヴォットしたのだった(私的な話ですいません)。



  冒頭の1948年というのは100年まちがいです。1948年というのは津川主一が『アメリカ民謡の父フォスター』を刊行した年ですが。

  あと助詞でちょっと書き間違いがあるみたい。それにしてもボニー・ジャックスはくずさないで歌っていますね。りっぱで参考になります。

 


 

  いちおう津川歌詞については「July 5 "Oh! Susanna" の日本語歌詞をめぐって (1の上篇)」 を参照。もとの歌詞についての話のはじめは「June 22 おおカリフォルニア!(1) おおスザンナ! (1) Oh! California Oh! Susanna」。「June 25 おおカリフォルニア!(5) おおスザンナ! (5) Oh! California Oh! Susanna  2番の歌詞の解釈(暫定版)」も参照。(自分参照用w)


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November 2 ハロウィーン殺人事件 Halloween Homicide [ニュースから]

November 02, 2008 (Sunday)

    日本の新聞だと「ニューヨーク1日共同」をだいたいもとにしている「ハロウィーンでまた悲劇 米南部で12歳少年射殺」という記事が目にとまって、あれこれ読んでみた。日本語のニュースサイトに書かれている記事内容は、サウスキャロライナ州Sumter で31日夜、ハロウィーンの菓子をもらおうと帰り道の家を訪ねた家族3人がドア越しに銃を乱射されて、12歳のT・J・ダリソー君〔ファーストネームをアルファベットで省略して君というのはちょっと違和感がありますが〕が死亡、警察に対して住人クエンティン・パトリック容疑者は、前年に強盗に入られて撃たれた経験があり、泥棒かと思ったと供述している、というものです。

   被害者の少年T.J. の写真を掲載している記事もありました(JapanPressNetwork47News ニュース詳細)。母親と他のきょうだいは車の中で待っていた、と書かれていますが、黒人の一家だったのですね。T. J. はThomas とかTheodore とかなのかもしれませんが、ふだんからT. J. と呼ばれていたのでしょうね。

   "Boy Shot, Killed While Trick Or Treating" (Kreuzer's Korner 11.1)

この英語のブログ記事は、APの記事をリンク・引用しています(日本のウェブログと同じですね)。さらに、自動生成の関連記事が4件リンクされていますが(うち2件は無関係)、"SC boy shot, killed trick-or-treating; 2 injured"とCBSの"Boy Shot Dead Trick-Or-Treating"もAPが元記事です(日本のWEBニュースと同様の提携のしくみ)が、長さに違いがあるみたい。あと、コピーライトマークがついていて、改変を行なうな、と書かれているけれど、タイトルは変えられているみたい。 

Ex-Convict Claims He Thought Trick-Or-Treater Was a Thief, Cops Say

 
  というのが、記者名も入った元記事のようです。読むと、最初から容疑者は "ex-convict" と言われ、つまり前科者で、覚せい剤の売買で何度か逮捕されたようです。被害者の少年たちは "ghoulish masks" をつけていたこと(これはハロウィーンだからこそ)、容疑者はAK-47を弾が尽きるまで少なくとも29回発射し、ドア、窓、壁に銃痕があったこと、それから、事件のときに家の中にいたEricka Patrice Pee という19歳の女性を、事件後に現金7500ドルをもって逃げようとしている現場に警察が到着した際に執行妨害があったとして逮捕したこと、容疑者の兄弟という男がAPとの電話でか語ったところでは、容疑者は昨年12月以来post-traumatic stress 外傷性ストレス(障害)をわずらっていたこと、など詳しく書かれています。また、近隣の人の話の中で、"I just hate it that that little kid got killed. It used to be the quietest place. I knew everybody and everybody knew me." と語る81歳のおばあさんがいるのですが、実はそのおばあさんは容疑者を知らなかった、と書かれているのが印象的でした。そして、このサイトには"Sumter Police Department / AP" による "Halloween Shooting" という見出しのついた、キャプション付きの9枚の写真がついています。そこには流布している被害者の写真だけでなく、事件のあった家の外観、穴のあいた壁や窓、そして容疑者のポートレトもおさめられています。いや、さらに他にも黒人が・・・・・・警察関係と、容疑者の側(たぶんPee)と、載っているのでした。南部で起こった事件ということに加えて、ちょっとびっくりするアルバムでした。しかし、写真を見ないと、文章だけでは、被害者が黒人であり、容疑者が黒人であることもわからない。そして12歳の被害者T. J. を"a bright young man" と間接話法的に語り、直接話法で "This is by far one of the worst tragedies that I have had to personally experience" [. . .] "It happened basically because kids were out doing what they would normally do on Halloween." と語った(正直なところ英語と内容にちょっと違和感を覚えたのでした)"Police Chief" の Patty Pattersonもまた黒人であることはわからないのでした。
 
  以下は在米の人たちの日本語のブログ記事のいくつか――
 
 

   「ハロウィンで12歳少年撃たれ死ぬ」(『ぼちぼち、いんぐりっしゅ』 11.2)―リンク記事はCNN

    「ハロウィン殺人事件再び: Halloween Shooting in SC」(『Long Tail World』 11.2) ―動画へのリンク付き

 

    Meg Kinnard (AP) による元記事の元タイトルは "Tragic Mistake in Halloween Shooting?" と、疑問符が付いたものです。そしてサブタイトルでは、警察によると "Trick-or-Treater オカシヲクレナイトイタズラスルゾトオドカスヒト" を泥棒と思ったと容疑者は語ったと、書かれており、明らかに、容疑者の mistake を疑問視するものとなっているわけでしょう。だから「悲劇的な勘違い」ではないのではないか、問題が容疑者のほうに別にあった、という主旨でしょう。しかしまた、悲劇であることは確かであり、そこのところが、「個人的に経験するまったく最悪の悲劇だ」と語る黒人の女性警察署長のことばと響きあって複雑な思いにさせます。"bright" という形容を知らない死者にむかって冠するのは不自然だから、このひとはT.J.を個人的に知っていたのではないかとさえ思われます。

  それにしても(1) APの記事って、"Copyright 2008 The Associated Press. The information contained in the AP news report may not be published, broadcast, rewritten or otherwise distributed without the prior written authority of The Associated Press." 云々って書かれておるのですが、APニュースレポートに含まれる情報(information) をpublish することもrewrite することもできないのですか。あー、改変するなということかなw  事件についてのwriting を独占する、ということなのでしょうか。

   それにしても(2)  Pee って名前は初めて聞きました。からかわれそう。彼女の2歳の娘は親戚が引き取っているそうです。

  それにしても(3) "Criminal Searches" という検索エンジンで人の犯罪歴を調べられるのですね。<http://www.criminalsearches.com/> この容疑者は覚醒剤の製造と販売の前科があるということがわかります(下のDigg のコメントの中にありました)。

   それにしても(4) news.aol.com の"Boy Killed While Trick-or-Treating" 自体にも2000近いコメントが付いているのですが、この記事をもとにした別のサイト "Digg - Boy Killed While Trick-or-Treating" でも1000近いコメントやさらに多数のコメントへの"digg" 判断(こういうのも日本のどこぞのニュースサイトとかと同じ)が書かれてあれこれ云々されています。前にオークランドで黒人が射殺される事件があったときにも見たことがあるのですが、銃問題のニュースは必ず銃所持賛否両派のコメントが、個別の事件の議論の上のほうで、戦わされるみたい。

 

 

カリフォルニア時間11月3日午前10時追記 APの写真のキャプションを読みなおし、記事を読みなおしました。容疑者のbrother という男性が"We want to let his family know that this is a total tragic accident." 、そして "He was trying to protect his family."と言っていたのですね。2回出てくる his family の指示が曖昧ですが、最初の「これがまったく悲劇的な偶発事故だということを彼の家族に知ってほしい」という「彼」は被害者の少年で、次の「彼は彼の家族を守ろうとしていたのだ」というときの「彼」は容疑者の青年なのでしょうね。昨年強盗に入られて銃撃され、ストレス障害に苦しんでいた弟が、強盗と思いこんで防衛のために銃を撃った間違いの悲劇だったのだと。記者のタイトルは、そういう理由づけに対する疑問だったのでしょうね。しかしこの親記事が他へ転載されたときにはタイトルが変更されています。いろいろ複雑な判断なり思惑があったりもしたのかな、とあらためて思いました。


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October 31, Nov. 3 メイポールを巡って (2)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづきの2)   About the Maypole (2): Renaissance Fair (5) [America]

October 31, 2008 (Friday)

   なんでハロウィーンに五月祭のことを書いているのだろうか、という疑問がなくはないが、たぶんそれは自分の性質の根っこのところにかかわるか(いわゆる根性ですか)、あるいは巡りあわせのようなものなのだろう、と思って書いています。

  とりあえず日本語の、とりあえずWEBでの、とりあえずMaypole という表記での、とりあえずグーグル検索で、とりあえず目を通してみました。意外に多かったのでした。そして、ここで、もはや新しいことはない、すべて言われている、というような思いは全然もたなかったのは、自分が能天気だからかもしれないし、ブログを通して引用の性質について学んだからかもしれないし、今日の天気が昨日に続いて雨模様だったからかもしれない。

  エリアーデの「中心のシンボリズム」についてメモを書いたので、気が楽です。「October 31 エリアーデのいう中心のシンボリズム The Symbolism of the Center as Described by Mircea Eliade」 [メモ personal notes]

  さて、木になった、いや気になったのは、 ひとつめは、一般論的に、相も変わらずだけれど、ウィキペディアに依拠して、これが正しいというようなトーンで、しかも場合によっては典拠を示さずに書くサイトの存在であり、ふたつめは、個別の問題として、ファルス解釈の横行です。そして、救われるのは、みっつめとして、いい意味でのイノセントなメイポールならびに五月祭についての記述がWEBにはあって(特に海外在住の日本人のブログにはほほえましいものが多い)、それはファルス、ファルスと吠えるpedantic (衒学的)な文章と対照をなしていることでした。

  急いで付け加えておけば、自分はルネサンス・フェア同様、メイデーの祭を自分で目撃・体験していません。しかし、同じことを何度もくりかえして書きますが、体験しないことについて人は書けないということはない。文学は、作家も読者も、オードリ・ヘップバーン的empathicalismかどうかはともかくemphathy で生きています。感情移入なくして文学なし。そして想像力。 (メイ・デーについてのいちばん印象的な文章は、亡くなった小池K先生が退官後にイギリスの田舎に過ごしたときの随筆ですね。世界軸やらましてファルスやらへの言及などかけらもなく、ただ村の祭りの様子を記述しているだけなのですけれど。そのあたたかいまなざしに、読む自分の視点が重なったときに共有される愛情というのはかけがえのないものだと思わざるを得ません。人の残す文章の生きたチカラというのはそういうものなのだと。そういえば、昔自分がロンドンに行くことになったときに、4月はまだまだ寒いというような話を小岩の中華料理屋で話したのが懐かしい思い出です)。そしてまた、文学的というのは、幸か不幸か、その裏側にへばりついたようにときに批評的criticalということなのだ。 さまざまな分野において、道を分け入れば批評的になるのだけれど、文学が特殊なのは、それがもとから言葉・言語表現にかかわる領域だからに他なりません。だけど批評的であるということが文学的であるということでは必ずしもない、というややこしさがある、ような気がする。

  で、えらそうに言うわけじゃないけれど、「ファロスと世界樹を廻る「メイポール」のリボン踊り」というようなタイトルは

November 03, 2008 (Monday)

    ハロウィーンから1日の諸聖人の日(万霊節)、2日の死者の日(万魂節)と、ブログを書けないほど忙しかったのではないのですが、上のまま途絶えていました。こうやって間をおいて自分の書いたものを見ると、もちろん恥ずかしさが一番にありますけれど、最初の読者は自分であるという気分とともに、いや、自分は自分ではなくてもうひとりの自分であるという気持ちとか、なんだかんだいって書くということはジェンダー的だろうがなんだろうがパフォーマンスだという考えがよぎったり、寒い、原稿用紙の手触りは雪のようだとか、ブログでは書けないな、とかアホなことを思ったりもします。

  さて、 「ファロスと世界樹を廻る「メイポール」のリボン踊り(神話・宗教・民族学)/ヒロさん日記」は2006年5月31日の記事です。新聞記者、広告編集、翻訳・通訳などの仕事を経て英国に在住のHiro-san が、五月にイギリス各地のコミュニティーで「May Fair」が行なわれ、出し物や形式はさまざまだが、中心になるのはメイポールだ、という書きだしで、 準備の手順について、それから、子供の学年のちがいやあるいは子供と大人のちがいで、リボンの巻つけ方のパタンの複雑さに差があることなど説明されます。そのあと英語のWikipedia を引いて、メイポールはゲルマン民族の祭りで、ドイツ語では「マイバウム(Maibaum)」と呼んでいることなど書かれます。そのあと、ちょっと唐突に、「このメイポールの柱が象徴するものは、北欧神話に出てくるユグドラシル(Yggdrasil)という「世界樹」である。これを世界中の神話に広げると、ファロス崇拝(Phallus Worship)につながる。」と書かれて、反・ギリシア神話:男根崇拝(Phallus Worship)」という見出しで引用とリンクが行なわれます。「男根原理は、『メイポールmaypole(五月柱)』や『花嫁の杭』のような聖なる杭や柱として、ひそかに崇拝された。」という出だしの文から日本語としてどうなんや(ひとのことは言えませんが)、という引用元 <http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/phallus.html>なのですけれど、ペダンティックな注は、翻訳書の併記以外は皆外国の書物で、どうやら本文自体がなにかの訳のようです。適当にurlを短縮して探ってみると、どうやら『バルバロイ!』という大きなページのなかの『ギリシア神話・伝説ノート――失われた女神たちの復権』というページの一部のようです。冒頭に「バーバラ・ウォーカー『神話・伝承事典』と、その批判のための覚え書き」とあります。え、それってバーバラ・ウォーカー(ウィキペディア)の、翻訳が出ている『神話・伝承辞典――失われた女神たちの復権』 (ISBN978-446901220) すか?  ほとんど使ったことはなかったが、そんなにエロい、いや偏った、いやおもろいものだったのか。この『バルバロイ!』のホームページの目次的な箇所でこのギリシア・神話伝説ノートについては「バーバラ・ウォーカーの『神話・伝承事典』(大修館)はじつに興味深い書物だが、たわごとも多い。そのたわごとを一々検証してゆく。」と書かれている。検証がどこにあるのかわからないが、そのままとりあえず筆写したものなのかしら。テキストの正体がとりあえず不明。あまぞんに引かれた、出版社からの内容紹介――「最後の晩餐のパンとブドウ酒は古代の人肉嗜食と共通の根をもつなど、世界の神話・伝承や未開民族の呪術を、最新の神話学的手法でとらえなおす・・・・・・」 

神の化身である生贄を食べる目的は、そうすることによって神の肉体の肉になって、神の聖なる肉体が再生するときに自分も同じく再生できるようにするためであった。キリスト教の聖餐は、原始時代の共感魔術としてのカニバリズムの儀式にその源を発するものではないと言っても、それは通用しない。初期キリスト教時代の秘教というものは、すべて、カニバリズムまがいの聖餐を行えば、祀る者は祀られる者(神)と一体となれるという信念をその中心に持っていたのである。「宗教の初期の段階には、聖餐という形で神を食べることによって、自分も神の一部になれるという固い信念があった。これは疑いないことである。例えばトラキアのディオニュソスの秘儀においては、そうした食事にあずかった人々は神の聖なる生命を自分たちも分かち持つことができるとされ、そのためにその神の名で自分たちも呼ばれることになるのである」(「人肉嗜食(Cannibalism) 」)

・・・・・・やれやれ。ほんものか。通用しないという人に何を言ってもむりだろうけど、だからといって、聖餐式において人はカニバリズムを行なっているとか、メイポール・ダンスの女の子たちははファルスをまわっているとか言うのは、ひどく誤っていると思う。思うだけだから、反論しないでください(誰に向かって言っているやら)。

   さて、「ファロスと・・・・・・」の記事は、そのあと、ケルトの火祭りべルテンに及び、「スコットランドの伝統行事・Beltane・五月祭」(本文のリンクは「このページは作者の引退に伴い、作者自身のサイトに移転しました云々」ということで、現在のサイト名)を参照します。この面白いページは『世界の文化、伝統行事』というサイトの一部のようです。ただ、ひとのことは言えませんが、まとまりがないです(まあそこがおもしろいのですけどw)。

   「ファロ・・・・・・」の記事もおもしろいといえばおもしろいのですけれど、ひっかかったのはタイトルと、それからべルテンの紹介に続けて「男女の裸踊りのほうは、さすがに現在は行われていない(はず)。どこかでやっていたら、見に行きたいものだが。」と書き(ここまではよい)、「このメイポール祭りは、さすがに日本ではないだろう、と思っていたのだが、2つ発見した。」と日本の学校のメイポールダンスのサイトを紹介して文を閉じているところです。もっとも、コメントはあっけらかんとして、うちでもやってましたとか、さまざまな情報が寄せられるし、いいんだけど。いっか(笑)。

☆☆☆

  福岡女学院の法人本部アーカイブの今年の9月11日の記事として「メイクイーンとメイポールダンス」 <http://www.fukujo.ac.jp/houjin/archive/> と題して歴史が書かれていました。アメリカのメソジスト系の宣教師ジェニー・ギールによって1885(明治18)年に創設された学校ですが、9代校長のアメリカ人エリザベス・リーが1916(大正5) 年の創立記念日に始めたもので、それ以来年に1回創立記念日に中学2年生から芽衣クイーンを選んでメイポールダンスを公開しているのだそうです。『中高MISSION News』3号から「福岡女学院のメイクィーンとメイポールダンス」という写真付きの記事が転載されていて、紋付の着物でふとんに座っている初期のメイクイーンの写真や、最初の、やはり羽織はかまのメイポールダンスの写真と説明の文章がたいへん興味深いです。*

   *カリフォルニア時間4日9時追記 このページには創立記念日がいつか書かれていなかったので、調べました。5月18日です。

  ここがエライのは「この記事で参考にさせていただいたサイト。」としてWikipedia (英語の"May Queen""Maypole dance")以外に「・メーデーの由来」と「・ファロスと世界樹を廻る「メイポール」のリボン踊り 」がちゃんと引証されていることです。感心しました。しかしファロスじゃなくてペニスだったら引かんだろうな(どん引き)。

  つまり、たぶん自分が引っかかっていたことのひとつは、ファロスというような普通の人には聞きなれないカタカナことばによって感度が鈍らされちゃおらんだろうか、という疑問です。

  それから、ヨーロッパの人たちのブログ記事もさわやかでした。

"Midsommardagen" 『海木庸子 つくり手ブログ All About スタイルストア』 〔今年6月20日の「夏至祭」について。メイポールの写真を見ると、十字架の形に見えます 2008.6.21〕

五月祭『ドイツより愛を込めて=お気楽ドイツ生活=』〔5月1日祝日の「5月祭の日(Maitag マイターク)」と「五月柱(ドイツ語でMaibaum 英語でMaypole)」についてshampoo さんのブログ記事 2007.4.30〕 そして同じshampooさんによる今年の記事「マイバウム」 〔「思いを寄せる女性への愛の証として、女性の住む家の前などに男性がリボンの付いた木を立てて行ったりなんて事もするようです」という木なども含むさまざまな五月柱2008.5.1〕

ミッドサマァ~だよ。」 『フーテンのヴェラ』 〔ミッドサマー前日のスカンジナビアのフーテンのヴェラさんの2007.6.23 のブログ〕

五月の木と カスタニア 『ケルンだより その2』 〔「彼女に想いを寄せる男が、愛の証しに白樺の木を窓の下に立てて行ったんだわ。」 ドイツのケルンにお住まいだったtamayaMさんの2007.5.3 のブログ〕

   アメリカの人のブログで興味深かったのは、東部のメリーランド州滞在のMotokoさんの英語ノート "Today's word2" におさめられた "MAYPOLE" の記述です(2006.9.10)――

maypole


maypole [] 5月柱

昨日行った renaissance festival 16世紀のイギリスを再現するお祭りでしたが、そこで Maypole を初めて見ました。Maypoleは、リボンを用いたダンスに用いられ、柱のてっぺんから数十本の色鮮やかなリボンをたらし、そのリボンの端を持ちながら踊ってリボンを柱に巻き付けて素敵な模様を編むための柱です。Wikipedia によると、メイポールはゲルマン民族の祭りで、ドイツ、オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー、フィンランド、スウェーデン、イギリスで盛んだそうです。イギリス在住のヒロさんが書かれたブログ に、イギリスでのメイポール事情が詳しく出ていました。5月祭というお祭りで使われるようで、それが Maypole の名前の由来かと思われます。

興味深かったのは、ぐるりと巡ってファロスに戻ったからではもちろんなく、ルネサンス・フェアでメイポールが登場しているからです。

    さて、毎度断章的な文で恐縮ですけれど、最後に、やはり、新しい神話学解釈とかフェミニズム的神話解釈とかネオペイガニズム的解釈というのがどうであれ――そして、新しいものが目に留まることが、とくにWEBでは多いのかもしれないのですけれど、――やっぱ、ヨーロッパにおける樹木崇拝というからにはフレイザーだろう、ということで、有名な『金枝篇』を引いておきます(簡略本の第10章「近代ヨーロッパにおける樹木崇拝の残存」)――

Chapter 10. Relics of Tree Worship in Modern Europe

FROM THE FOREGOING review of the beneficent qualities commonly ascribed to tree-spirits, it is easy to understand why customs like the May-tree or May-pole have prevailed so widely and figured so prominently in the popular festivals of European peasants.  In spring or early summer or even on Midsummer Day, it was and still is in many parts of Europe the custom to go out to the woods, cut down a tree and bring it into the village, where it is set up amid general rejoicings; or the people cut branches in the woods, and fasten them on every house. The intention of these customs is to bring home to the village, and to each house, the blessings which the tree-spirit has in its power to bestow. Hence the custom in some places of planting a May-tree before every house, or of carrying the village May-tree from door to door, that every household may receive its share of the blessing. Out of the mass of evidence on this subject a few examples may be selected. 〔James George Frazer, The Golden Bough
(以上、木の精霊に共通して帰せられる善性について検討したことで、メイツリーとかメイポールなどの習慣がヨーロッパの農民の民衆的祝祭にきわめて広範に普及し、際立ったあらわれかたをしている理由を理解することが容易となる。春、または初夏、あるいはちょうど夏至の日に、ヨーロッパの多くの地域で、過去においても現在においても、森へ行き、切った木を村へ持ち帰り、皆で祝って立てるという習慣がある。あるいは人々は森の中で木の枝を切り、それを家々に結びとめる。こういう習慣の意図するところは、村に、そしてそれぞれの家に、樹木の精霊が与える祝福をもたらすことにある。だから、場所によってはメイツリーをすべての家に植えるとか、あるいは村のメイツリーをかついで家々をまわるとかして、すべての家が祝福にあずかれるようにする。この主題についての豊富な証拠からいくつかの例を選ぶことにしよう。)〔やっつけ訳です〕

  このように10章の冒頭で書いて、フレイザーは16世紀のイギリスのPhilip Stabbs Anatomy of Abuses (1585) 〔『悪習の解剖』と訳されるのかしら。性的な放縦を問題にしつつ、偶像idol とか異教徒heathen などキリスト教的な批判の語を連ねる〕など批判文書など歴史的な典拠も引きながら、詳述していくことになります。May-tree という言い方は、ドイツ語のMaibaum に相当するほうですね(バウムクーヘン Baumkuchen ―"tree cake"―のbaum)。

   問題は、古代にあった男根崇拝が意識的にあるいは無意識的に、五月祭と結び付けられることはあったし、今もあって、それをとりあえずモーリちゃんの父の関心としてはルネサンス・フェアなどの流行とどう関係づけるかづけないかなのですけれど、むつかしいので股、いや、またにします。

  あ、さらに最後にひとつだけ英語版がまだ見つからない自動翻訳と思われるヘンな日本語を断片的に引いておきます。これはWiccans という、魔女狩り以前の古代の魔女を現代によみがえらせようという、現代の魔女のひとりであるらしい女性のメッセージのようなのですが、とりあえず太字にしたところに注目して、他の猥雑ないし性的なところは無視してください(無理かもしれませんが)。――

にBeltaneの儀式-記事--を どのようにしなさいか

Beltaneは世界の連合そしてバランスを象徴するためにWiccansによって祝われる年次イベントである。それは通常5月に保持され、来年の豊饒そして新しい生命の祭典である。 ワード自体は「shining火」を意味する。これは日の時間の間に開かれる祝祭の1つである。

たくさんの年もの間、人々は北欧中そしておそらく異教徒が集まった土地でこの儀式を祝った。ばねの花は集められ、花で家を飾っている人々は村の通りを通って歩く。ホームの人々のほとんどはBeltaneの「トリックまたは御馳走」バージョンのために食糧を外へ残す。

この祭典は種まきのシードおよび新しい生命を作成することについて完全にある。この休日の最も重要な伝統の1つはMaypoleのそれである。 若者はもみ木を選択し、この機会のための棒を作る。 この棒は村の中心に置かれ、祭典の日まで密接に守られた。

1。 収集のための領域を選択し、besomとの清潔にしなさい

2。 不必要、歓迎されない精神ところで「安全なスペース」を作成するために円を入ることができない投げなさい。

3。 力およびエネルギーとの私達を助けるように適切な儀式に歌うことを用いる東、南、西および北を呼び出しなさい。

4。 女神を私達を結合するように誘い、私達の儀式を目撃し、そして私達を賛美しなさい。 女神は表す豊饒の女らしい面、膣(地球)を

5。 (神を)賛美するように誘いなさい。豊饒の男性の面であるシードを作り出すphallusを表す棒を聖別しなさい。

6。 穴は準備され、オイルおよびワインと聖別する。 歌いなさい: 母性的な女性は、かもしれない配偶者、私達の主のこの記号を"受け取るために準備することを提供するこれ

7。 人は歩き、歌い、Maypole、前に進むこと後方およびもの保持し2つのステップうなる騒音を作る。現在の女性は彼ら自身そして未来のための願いを作っている間申し出、棒のオイルを摩擦し。 彼らはまた棒のリボンを結ぶかもしれない。リボンのカラーはまた未来のための夢を示すかもしれない。〔8~11略〕

   これは上の「スコットランドの伝統行事・Beltane・五月祭」の扱うベルタンと魔女術とのつながりを教えるもののようですが、おもしろいのは、ケルトの火祭りが年に4回あって、10月31日から11月1日と4月30日から5月1日なわけですけれども、メイポールというからには、5月のほうの儀式で(も)「トリックまたは御馳走」つまりtrick or treat が出てくることですね。これはハロウィーンと同様のものだということ(解釈)を語っているのでしょう。それと、このわけのわからん日本語に対してあれこれ言ってもしょうがないけれど、こういうのが出てくる歴史的枠組みとしては、メイデーでいうと17世紀のピューリタンによる弾圧後に子供の春の祭りというかたちで見せかけの復活をした五月祭についてですが、一般にキリスト教によって意味を歪曲ないし抹消されてしまった古代から伝わる異教的な儀式の本来の意味を復興させる、ということでしょう。そのときに性的なものと同時に女性的なものの称揚が、こういういわゆるネオペイガニズムにくっついている(バーバラ・ウォーカーという人も、フェミニストともネオペイガンとも称される人です)のが興味深くはあります。

  わけのわからぬ話につきあっていただきありがとうございます。

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November 4 ラッキーのトニックウォーター Lucky Tonic Water [飲み物 drink]

November 04, 2008 (Tuesday)

    ローカルな話です。

  モーリちゃんたちが住んでいるのはカリフォルニアのサンフランシスコ・ベイ・エリアのアルバニーという小さな市です。食料の買物はすぐそばのランチ・マーケットという台湾系の店(これは実はリッチモンド市)を利用するか、サン・パブロ通り沿いの北の方の八百屋さん(Yaoya-san Market)(エルセリート市)か南の方の東京魚市場(と表記はせんな、Tokyo Fish Market)(バークレー市)というふたつの日本食マーケットまで行くこともあります。が、いちばん利用しているのはエルセリート・プラザという、バートの駅の名前になっている、Lucky's、Trader Joe's、おまけにLongs Drugs といった店の入ったモールです。

  Lucky は前はAlbertsons という名前のチェーン店だったのですが、2006年11月に北カリフォルニア(と北ネヴァダ)のAlbertsons の多数の店舗が Save Mart Supermarkets というチェーンに売却されて、Save Mart グループのなかのLucky として再出発しました。ややこしいのはLucky Stores というスーパーは独自の歴史をもっていて、そもそも1935年にわがアラメダ郡Alameda Countyで創業された古い店です(笑)。長い歴史をひもとくひまはないので、短く縮めて書きますと、その後Lucky Stores の親会社だった American Stores Company が1998年にAlbertsons に乗っ取られるということが起きます。American Stores というのはこれもまた古い歴史をもつ、1915年にユタ州で創業された店がもとになったチェーンでした("American Stores Company--Company History" 参照)。これによってLucky は翌年に消滅してしまう。それから数年後の2006年1月、Albertsons が買収され、SuperValueCerberus Capital Management とで分割されます(SuperValue というのもまた1870年創業という、ミネソタ起源の古いグロサリー業者です)。再出発したCerberusのほうのAlbertsons (区別するためにAlbertsons, LLCと書かれるようですが)はその年の11月に、上記のようにカリフォルニア州とネヴァダ州北部の店舗をSave Mart に売ってしまいます。そして、ここがややこしいのですが、このSave Mart のほうのAlbertsons とSuperValue のほうのAlbertsons と両方が、古いLucky のロゴを使ってAlbertsons 店舗の一部をLucky に変えます(ここで1999年に消滅していたLucky の復活が起こる)。しかし、さらにややこしいのは同じ1996年暮れ、Grocery Outlet (HP 最初の音に注意)という現在Berkeleyに本部を置く1946年San Francisco 創業の、でも何度もな名前を変えてきたグロサリー店舗もまた、チェーン店の一部をLucky の名に変えます。Albertsons は1999年にLucky のtrademark の権利も放棄したはずだ、と主張し、やっぱりクラシック・ロゴを使用して。

  まあ、最後の、話をややこしくするために導入したGrocery Outlet は置いといて(笑)――というか実はこれは法廷闘争になり、2007年8月にAlbertsons 側が最終的に勝利したのです。ついでながら、Grocery Outlet は、Save Mart のほうにはLucky ブランドを使う権利はないんじゃないか、とその前の月の7月に意見を表明したりしています)、 SuperValue 系のLucky とSave Mart 系のLucky が、カリフォルニアの南と北に分布しているという状況はなんとなく理解していただけたかと思います。2007年10月1日をもってベイエリアのSave Mart 系のAlbertsons 72店舗は、Lucky にすべて変わりました。こういう込み入った歴史は昨今のビール業界の再編とか、日本だと松下がパナソニックに統一したかと思ったらサンヨーが組み込まれたとかいうような話を思い起こさせるのですが、ブランド名として価値があると判断されたLucky が(Luckyをのっとった)Albertsons にとってかわった、ということで、なんか歴史の皮肉を感じます。ところで、エルセリート・プラザのLucky は、もとはLuckyだったのがAlbertsons になり、またLuckyになったということです。

  それで、なんでこんなことを書いているかというと、Sunny Select というのがSave Mart 系の食品のブランドとしてあって、それはカリフォルニア州のLathrop というところにあるSuper Store Industries という会社がつくっています。で、Save Mart 系であるエルセリート・プラザのLucky にはこのブランドのパンとかポップコーンとかコショウとかバターとか冷凍食品とかさまざまに入っています。当然安い値段設定となるので、うちではけっこう買っています。

  以上前置き。

  Find Sunny Select Soda near you <http://www.sunnyselectsoda.com/find.html>

    炭酸系の飲み物として2リットル入りのペットボトルをいろいろつくっているのですが、そのなかでトニック・ウォーターをよく買っています。いちおう通常価格は1.49ドルくらいだったかしら。だけどだいたいは0.99 か、ときどきは3本で2ドルとか、日本と比べるとバカ安な値段で売られています(「ダイエット」もあり)。

  それで、このトニック・ウォーターの泡立ちがとてもよいのです。4月から5月にかけて、モーリちゃんの母が2回続けて、ついでモーリちゃんの父も1回、ビショーッと、びしょぬれになりました。ぜひ体験してみてください。

  はい、それだけです。じっくりガス抜きしないと危険です。

 TonicWater_sunnyselect.jpg

  あ、ローカルな追記です。サンマテオの有馬歯科の有馬先生によると、炭酸飲料は、ダイエットも、歯に悪い点では同じだそうです。 にほんブログ村 海外生活ブログ サンフランシスコ・ベイエリア情報へ

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"List of soft drinks by country" - Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/List_of_soft_drinks_by_country>

Lucky® のロゴについては、

July 14 税金と飲み物容器のデポジット Tax and Container Deposit

[店・買い物 shopping stores]

を見ていただけるとギザうれしおす。

 

 


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November 5 ラッキー・ペニー Lucky Penny [America]

November5, 2008 (Wednesday)

   エルセリート・プラザのショッピングモールのLucky でトニック・ウォーターやノンアルコールビール(初めて買った、12缶5.99ドルで安い)などを買ってから、Longs Drugs でビールを24缶買ったのだが、支払いのときにきっちり小銭を数えて出しているときに、アレッ、と思って、チェックスタンド(「May 22 チェックスタンド checkstand 」)に置きかけたのを財布に戻した硬貨がありました。家に帰ってからマジマジと見て調べてみたら、やっぱり古い1セント硬貨だった。――

penny (wheat ears).jpg

  右が現在の硬貨(裏面)です。

  「リンカーン・セント」 と呼ばれる、表面にリンカーンの右向きのプロフィールを入れた1セント硬貨は1909年から、それまで使用されていた「インディアン・ヘッド・セント("Indian Head cent" - wikipedia)に代わってつくられるようになったもので、戦争を経て、成分があれこれ試行錯誤されてアルミニウムなどの稀少な(実際は出回らなかっただけに)変種も存在するのですけれど、大きくは、1959年にリンカーン生誕150年のときにアメリカの首都のあるWashington, D. C.にあるリンカーン記念館を裏面に採用して、今日に至っています(写真右)。逆に言うと、1909年というのはリンカーン生誕100年の年でした。モーリちゃんの父がどっからかわからんけど手に入れたのは1953年鋳造の「麦穂 wheat」cent です。表の Victor D. Brennerがデザインしたリンカーンの肖像は同じで(よく見ると、リンカーンの右腕の下のところに、"VDB" (どうやらデザイナーのイニシャル)が今日のものには入っていますが、50年以上前には入っていなかったのではないか、という気がしますが、単にすりへっているだけかもしれませんw)、"Liberty" そして "In God We Trust"というモットーも同じ。裏面も、文字は同じです。すなわち、"One Cent"、 "United States of America"、そして、表の"In God We Trust" とならんでアメリカの建国以来のモットーとなったラテン語の "E pluribus unum" 「"Out of Many, One" 多から一、多様の中の統一」 が刻まれています。

  硬貨について蘊蓄(ウンチク)を傾けようかと思いましたが、日本語のウィキペディアの「リンカーン・セント」「1セント硬貨(アメリカ合衆国)」と、どうやら翻訳元の(でも画像リンクとか情報はちょっと多い)英語のウィキペディアの "Cent (United Statescoin)" など見ていただくと、あれこれ書かれ、また立派な画像もあります。

  だから個人的なことを書きますけれど、長らくなんでアメリカなのにペニーって呼ぶのだろう、と疑問だったのですが(まあ、植民地時代が長く、結果的に英国から独立したものの、逆にいえば、すでに当初から英語が中心となる国の定めで、そのまま引きずっているのかな、とか思っていた)、単純には、モノとしての1セント貨をペニーと呼ぶのですね、10セント硬貨をダイム、5セント硬貨をニッケルと呼ぶように。それで複数になってもペンスじゃなくてペニーズ(案外個人的には近年の知識w)。

  それで、店のレジでときどき店員から、「ペニーを持ってない?」と訊かれたりします。一般に欧米人は計算ができないから(きっちりじゃない場合にお札に添えて)小銭を出すのはタブーみたいに昔はいわれてましたけど、案外複雑な計算もOKみたい(もっともいまや半分以上は機械が計算しているわけでしょうが)。

  あと、9月の朝のニュースで、新しいペニーを造るようなことを言っていました。来年の2009年はちょうどリンカーン・セントが造られて100年、1959年にデザインの変更が行なわれて50年、第16代大統領エイブラハム・リンカーン(1809-65)生誕200年です。日本の1円玉同様に、鋳造の原価のほうが高くつくというのが1セント貨なのですが、どんなものになるのでしょう。たぶんリンカーンが変わることはないと思いますけれど。そして「我々は神を信ず」も「多様の中の統一」のモットーも変わらないと思いますけれど。

 

 


カリフォルニア時間6日午後8時追記―― 

 

☆"lucky penny" 「ラッキー・ペニー」の意味は、ウィキペディアのどこかの項目で書かれているように、一日の最初に手に入ったペニー硬貨をずっともっているとその日もたらされるというラッキー効果のことです。 

☆"Abraham Lincoln" - wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Abraham_Lincoln>

426px-MtRushmore_Abe_close.jpg マウント・ラシュモアのリンカン大顔面

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November 6 ペニーズ・フロム・へヴン Pennies from Heaven [歌・詩]

November 06, 2008 (Thursday)

    昨日ラッキー・ペニーという記事を書いたのは、オバマ大統領誕生ということで実は書いたのだけれど(誰にわかるんだろう 笑)、ペニーで思い出したことで書き忘れたことを思い出しました。

  モーリちゃんの父はミュージカルを観にいったことは、ほとんどなく、たまたまロンドンで誘われていったらミュージカルだったとか、そんなもんですけど、むかしむかしまだ20代の若いころに、銀座の博品館劇場に水森亜土のミュージカルを観にいったことがあります。いや、それもわけがわからんうちに福島のひとびとに誘われるようにして行くことになったのですが。水森亜土は、若い人は彼女のお絵かきパフォーマンスを知らないかもしれないけれど、ひみつのアッコちゃんの「すきすきソング」の歌手といえばわかるかもしれない(そっちもじゅうぶん古いってw)。

    あ、ここにイラストと写真が載ってます―― --Phoenix / 水森亜土 / Ado Mizumori <http://www.character.co.jp/ado/index.html> 〔フェニックス・コーポレーション内〕

    それで、あ、あ、あどちゃんが主演女優の未来劇場(劇団未来劇場 亜土工房HP――あー、今年が創立50周年なんですね)のミュージカル風コメディーを観にいったときに、水森亜土が「ペニーズ、フロム、へヴン、ペニーズ、フロム、へヴン、ペニーズ、フロム、へヴン、空からペニーズが降ってくる」とかなんとか唱えて下ニタ風こんにゃく、いや下ネタ風笑いをとってからジャズ風に「ペニーズ・フロム・へヴン」を歌ったのを鮮明に覚えています(うそです、うろ覚えです)。 (水森亜土は1976年に「南の島のハメハメハ大王」 (カメハメハじゃなくてハメハメハなところが水森亜土らしいw)をNHKのみんなのうたで歌っていますが、桜蔭出身でハワイ留学もしていて、英語がわかる人ですから、penis がピーナスというような、むしろピーナツに似た発音だということは知ったうえでの日本語のシャレです。)

  "pennies from heaven" というフレーズが、思いがけないラッキー、思わぬ幸運、予期せぬもうけもの、タナからボタモチ、いま調べたら"unexpected benefits" (AskOxford: penny 〔Compact Oxford English Dictionary〕というような意味だということは知っておったが、さて、どんな歌だったのだろう、と気になった。・・・・長い、あまりにも長い前振りだ(爆)

   この曲はビング・クロスビー主演の1936年の映画 Pennies from Heaven 〔邦題『黄金の雨』→あらすじ等情報Variety Japan | FILM SEARCH - 黄金の雨〕の主題歌で、Johnny Burke 作詞、Arthur Johnston 作曲。Johnny Burke という人は最初Harold Spina と組み、のちにはJimmy van Heusen と組んで、"Imagination" (1940) みたいなしゃれた曲をつくるのですけど、1936年にSpinaと別れてすぐにArthur Johnston と短期間だけ組んだチームでつくった曲なのですね。ずっとパラマウント映画の仕事をして、とくにビング・クロスビーの映画の仕事をしています(25本)。

  それで、その映像を探して、あったのですけれど、ちょっと画像が粗かったです("Bing Crosby - Pennies From Heaven" - YouTube)。ちょっと音も最初乱れていて聞き取れず。(でも途中で雷がなって、みたいなのは歌詞と映画のシーンがフュージョンしてておもろいです)。

    ビリー・ホリデーを聞いてみたら、ぜんぜん歌詞が耳に入ってきませんでした(なぜだろう)("Pennies From Heaven - Billie Holiday" - YouTube)。あとverseがないし。

    そうしたら、今年のハロウィーンのときにニューヨークのブルックリンのGarfield Placeというところでの恒例のパペット・ショーでクロスビーの歌を使っている映像にであいました。今年の怖いテーマが「お金」だったのだそうです。タナからボタモチというのかどうか知りませんが――

" "Pennies from Heaven" with improved sound quality " (5:16) posted by "fredhatt" on November 2, 2008

[verse]
A long time ago,
A million years BC,
The best things in life
Were absolutely free.
But no one appreciated
A sky that was always blue,
And no one congratulated
A moon that was always new.
So it was planned that they would vanish now and then
And you must pay before you get them back again.
That's what storms were made for
And you shouldn't be afraid for

[refrain]
Every time it rains, it rains
Pennies from heaven.
Don't you know each cloud contains
Pennies from heaven.
You'll find your fortune falling all over town.
Be sure that your umbrella is upside down.
Trade them for a package of
Sunshine and flowers.
If you want the things you love,
You must have showers.
So when you hear it thunder, don't run under a tree.
There'll be pennies from heaven for you and me.

ペニーズ・フロム・へヴン (空からペニーズが)

ずっとむかし、
紀元前100万年前、
生きる上で大事なものは
完全にタダだった。
けれども誰も、いつも青い空を
ありがたがらなかったし、
いつも新しい月を
誰も祝わなかった。
それで青空や新月はときどき消えて、
取り戻すにはそれなりの代償を支払うようにされたんだ。
嵐がつくられたのはそのためだった
怖がることはないんだ、なぜって

雨が降るとき、雨は
天からのお恵みなんだ。
どの雲もペニーズ・フロム・へヴンを
はらんでいるんだ。
幸運が町じゅうに落ちてくるのが見えるよ。
雨傘をさかさまにするのを忘れちゃダメだよ。
日の光と花を一緒に束にしたのと交換してもらおう。
愛するものを欲しかったら
雨に降られなければならないんだ。
だから、雷が聞こえたからって、木の下に逃げこんじゃダメだ。
キミとボクのために天からペニーが降ってくるんだから。

   あいかわらず改行に悩んでいます(不勉強で笑)。いや、完全に韻を踏んでくれればいいのですが、そうでないところがあり。ついでに書きますけれど、verse のなかにある "planned" とか "made" とかは受動態で主語が示されていませんけれど、それは神様であり、それはつまりheaven とつながっているわけでしょう(神様がこういうふうにした、と言わないからかえって小文字のheaven がひそやかに活きる)。

   もうひとつ。"Gifts from the sky" というタイトルのフォーラムで、同様の表現の提示が求められてしりすぼみになったページがあるのですが、"Pennies from Heaven" の歌詞を挙げた人に対して、 ちょっとイヤミに反論してきて、別の曲をあげたうえで、次のように書きこんでいる人がいます。

Continuing the threadjack, I will point out that the line "a long time ago, a million years B.C., the best things in life were absolutely free" in the verse to Pennies from Heaven is an allusion to this 1927 song by the same DeSylva with his usual partners 〔こう言っているのはこの人が別の曲としてあげたのがAl Jolsonとの共作とされている曲なのですけれど、アル・ジョルソンは自分が歌う曲を自分でつくったとcreditするのが好きな人だから、とか書いてあり、そのアル・ジョルソンとではなくていつものパートナーの、という含みですが、これもイヤミです〕 Herb Brown and Ray Henderson:

The moon belongs to everyone,
The best things in life are free.
The stars belong to everyone,
They gleam there for you and me.
The flowers in spring, the birdies that sing,
The moonbeams that shine, they're yours, they're mine.
And love can come to everyone,
The best things in life are free.

The prosperous 1920s must indeed have seemed a million years in the past by 1936.

  つまり、1927年の歌に "the best things in life are free" という歌詞があるから、1936年の歌詞は盗用だ、という主旨です( "an allusion" と頭では言っているけれども、最後のイヤミな一文は明らかな非難が見えます)。けれども、この言い方 "The best things in life are free" 「この世で最高のものはタダ」はほとんどコトワザ的な言い回しですね。 ジョニー・バークはこの表現も意味をずらして「引用」していると思うのですが・・・・・・しかし、"for you and me" もあるから、逆に、10年前の曲だからこそむしろ人にわかることを期待した上でのひねった遊びというところですかね。生半可な知識と嫌味には気をつけようと思いました、自戒とともに。


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November 6 エラー・ペニーズ Error Pennies――ペニーズ・フロム・へヴン (2) [小学校と銀行]

November 06, 2008 (Thursday)

    昨日の50年以上前の古いペニー(wheat penny とか wheat leaf penny と呼ばれる)がいくらか調べてみたら、1ドルくらいで売られているようです。まあ、それでも100倍ですから、ギザうれしいような(ギザじゃないっつーの)。

    モーリちゃんの小学校の日々のマスの教科書Everyday Mathematics には、通常の算数の勉強を超えて、つまるところ現実の生活に関わりのある数字や幾何という姿勢で、さまざまな図版やデータが挿入されています。たとえば建築について("The Empire State Building, at 381 meters (1,250 ft), held the height record more than 40 years."; "The Parthenon in Athens, Greece was built around the time of Pythagoras.  The ratio 2:3 and its square, 4:9 can be seen in its construction." etc.)、たとえば航海について("Navigators know that the moon orbits the earth every 29.5 days.  It also rises each night about 48 minutes later at a different point.  By tracking the location of the rising and setting moon, they can use it to steer by." etc.")、たとえば宇宙について("Light travels 186,000 miles every second.  In one year, light can travel nearly 6 trillion miles."; "At about 240,000 miles away, your light beam will take you there [to the moon] in about 1.3 seconds."; "It [the North Star] is 300 light-years from the earth, about 70 times father away than the closest star, Proxima Centauri." etc.)。さらに巻末には "American Tour" と題する、60ページ近い資料のセクションがあって、1600年のネイティヴ・アメリカンの人口密度の地図とか、1790年の人種の割合とか、外国生まれのアメリカ人人口の推移とか、ほとんど社会科のデータが入り込んでいます(実は日々のジオの教科書よりこっちのほうが詳しいんじゃないか、とさえひそかに思ったりもする)。

  それで、287から292ページは "American Currency" という見出しの "Mathematic...Every Day" のコーナーのひとつで、お金の話が、なるたけ数字に関わるようなかたちで、歴史的に記述されています。スペイン金貨を割って使った "Pieces of Eight" 〔つぎのHistory Lives のページの写真と解説を参照 <http://www.historylives.com/everydaylife.htm>〕から"One Third of a Dollar" 紙幣という独立戦争時の仮のお札〔つぎのThe Horse Solder - Currency のカタログを参照 <http://www.horsesoldier.com/catalog/c0017.html>〕とかの話から、現代のお札や硬貨、そしてクレジットカードなどに話はわたっています(1ドル紙幣は約22か月使われる、とか、ヘー、という話があれこれある)。そして、その2ページ目のまんなかに、次の写真が載っていたのを思い出して、さっきスキャンしました――

coin-inspection.jpg

  いちばん上に書かれているように、アメリカ合衆国の造幣局は現在1日に32 million というから3200万個ですか、硬貨を鋳造しておるのだそうです(ちなみに、紙幣は、1日あたり 37 million枚、額にして$696 million 発行しておるそうです)〔照合はしていませんが、日本語のウィキペディアの「アメリカ合衆国造幣局の硬貨発行枚数一覧」も参照〕。で、ついでに入れちゃった、1792年に銀貨がつくられたときにジョージ・ワシントンは家にある銀製品を寄付した(銀が稀少だったから)というエピソードはまあ、つっこむ気はないです。で、右下のおじさんです。この人は、画面ではよくわからないかもしれませんが、ラコステのポロシャツを着ているんですね(それがなにか・・・・・・はい、けっこうです)。そしてルーペを手にして、1セント玉、つまりペニー貨をチェックしています。これは現在国内に・・・・・・ウィキペディアの「アメリカ合衆国造幣局」には「本部は、ペンシルバニア州フィラデルフィアのフィラデルフィア造幣局に置かれている」と書いてあるけれど、US Mint のホームページを見ると、United States Mint Headquarters は Washington, D. C. となっています <http://www.usmint.gov/about_the_mint/index.cfm?action=mint_facilities>、よくわかりませんが、ともかくフィラデルフィアやデンヴァーやサンフランシスコや、いくつかの造幣局で硬貨がつくられておって、これがどこのMint かはわかりません。WEB で同じくペニーズをチェックしている画像は、次の、貨幣鋳造のプロセスを説明するページに見つかります(ここでは女性が、固定式のルーペでチェックしている画像が入っています)。

From "Blank" to "Bank" - How Coins Are Made <http://www.pmgcollections.com/coin-production.shtml>

あと、造幣局自身がスライドショーとビデオの2本立てでヴァーチャル・ツアーと称するページを開いているのですね――

The United States Mint Virtual Tours <http://www.usmint.gov/mint_tours/index.cfm?flash=yes&action=vtShell>

   これの、48枚からなるスライドショーの4枚目の地図を見ると、Denver, Colorado; Philadelphia, Pennsylvania; San Francisco, California; West Point, New York; Fort Knox, Kentucky が、本部のWashington, D.C. を入れてきれいに弧を描くようにアメリカのまんなかを東西に横断しているのがわかりました。あとギザって"reeded" っていうんですね、英語では(38枚目)。そして42枚目から44枚目まで、inspectionについて書かれていて、それは一部そのまま上の"How Coins Are Made" に引かれているようですが、――

"Inspecting a freshly minted penny."  The coins fill a collection box called a trap.  An inspector checks the coins to see if they meet United States Mint quality standards.

Coins are compared to both visual and fill standards.  Next, critical Statistical Process Control (SPC) and capability quality data are entered into the United States Mint's data collection system to track key processes.

"The waffler."  If an error is spotted, coins in the collection box are scrapped and sent to coin destruction machines called wafflers.   These machines use two high-pressure rollers to impress a ridged pattern into the metal.  Distorted and mutilated, the metal loses denomination value.   However, it is recycled for future use.


"Pennies fall from the collection box to a conveyor belt."  If the coins pass inspection, the operator pulls the trap’s lever.  This discharges the coins onto a conveyor belt that transports them to the counting and bagging area.

  ということで、厳しい検査を通って世の中にでてくるペニーたちですけれども、なかなか変わったペニーもあるようで、いったいどのようにして現われたのか、とちょっと、フリークを見るような気持ちになって、びっくりした画像(BGM はやっぱり "Pennies from Heaven") ――

"PENNIES FROM HEAVEN - I mean ERROR Pennies from the MINT" (1:31) posted by "postingmyvids" on May 12, 2007: "These pennies are rarely seen by the public, and even harder to get. Details are given at end of show - ENJOY
Thanks to YouTube for the use of the song "Pennies From Heaven" Sung by Louis Prima"

業者の宣伝をする気はありませんが、現在 "Authentic Off Center Error Coins" をfeature 中で解説もあり― NowFeaturedCom

"ERROR COINS, Coin errors explained Page" <http://www.nowfeatured.com/errorexplain.html>

   なんか精密度に欠けているような気がします。もっとも、上のページの解説を読むと、"[S]ince the detection equipment  is much more sophisticated now, it is becoming more difficult to obtain these coins."とか "Not only is it scarce it is becoming nearly impossible to obtain now that the mints have better detection equipment." とか書いてあって、探知装置(?)(機械?)の性能が向上したので現在は入手困難となっていると書かれていますけれど。内部の人間がもちだしているとかないんでしょうか。

  送料無料で19.99ドルだそうです。日本だと偽造or変形硬貨をもっているだけでマズイのでしょうが、アメリカは硬貨に関しては大らかなのかも(ウィキペディアのどこぞに書いてあるように、硬貨をつぶして記念にするような商売もあるみたいなので)。

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硬貨製造→ アメリカ造幣局 The United States Mint Home <http://www.usmint.gov/>

紙幣製造→ アメリカ印刷局 US Bureau of Engraving and Printing  <http://www.moneyfactory.gov/>


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November 7 スターダスト Stardust [歌・詩]

November 07, 2008 (Friday)

   怒涛のペニーズ三連発を考えていたのですが、朝ふとアイラ・ガーシュウィンを調べていたら、以前見たことのあるページに再びたどりついて、不意に「スターダスト」を訳したい欲望に駆られました(自分の仕事をせいっちゅうの)。

  「スターダスト」と聞いて、小泉今日子ではなくてザ・ピーナッツを思い出す人はモーリちゃんの父と近いor上の世代と思います(なんのはなしか・・・お父っつぁん、おかゆができたわよYouTube)が、このきれいなメロディーは、Hoagy Carmichael (1899 - 1981)という、若い頃の交友関係――Bix BeiderbeckeとかLouis Armstrongとか――からいってもジャズの人ですけれど、でも歌声はちょっと土臭い、そういう意味でカントリーに通じるところのある、おじさんの作曲で、・・・・・・おやおや、日本のウィキペディアは「スターダスト」も「ホーギー・カーマイケル」もなしですか・・・・・・この人です――

Lauren_Bacall_with_Hoagy_Carmichael_in_To_Have_and_Have_Not.jpg

  1944年の映画To Have and Have Not (アーネスト・ヘミングウェイ原作)から、えーと、右がローレン・バコールで、まんなかが、ってわかりにくいですね。The Official Hoagy Carmichael Web Site の"short biography"の画像を借ります――

early_headshot_sm.jpg

via The Official Hoagy Carmichael Web Site <http://www.hoagy.com/index.htm>

   英語版のWikipedia の "Hoagy Carmichael" も(別の)若い頃の写真を掲げています。が、モーリちゃんの父の70年代――思えば彼は存命だったのです――にはじめて聞いていた頃のイメージは、ハンフリー・ボガートと並ぶウマヅラのおっさん(失礼)という感じでした。

  と、また話があさっての方向へ行きそうなので戻します。そのホーギー・カーマイケルの初期の傑作が1927年作曲の "Star Dust"、2年後に詞を添えられて "Stardust" となった曲です。ホーギー自身のピアノの演奏(歌なし)はYouTubeにありました(1933年録音のようです)――

 

  " Hoagy Carmichael - Stardust " (3:28) posted by "kspm01" on July 9, 2007

  制作の経緯等は、典拠は不明ですけれども、つぎのページが参考になります。 <http://d0v0b.info/kyoku/s/stardust.html>  ここには、2種類の訳詞(と原詞)が並んでいます。それから、一番参考になり、刺激を受けたのは、あいらさんのOn Such A Night As This というブログの記事です。 ビング・クロスビーの1931年の歌をまず――


  " Stardust - Bing Crosby 1931 " (2:44) posted by "MickeyClark69" on December 9, 2007

あえてわざと適当に句読点を入れて、詞を書いてみます――

[verse]
And now the purple dusk of twilight time     1
Steals across the meadows of my heart.
High up in the sky the little stars climb,
Always reminding me that we're apart.
You wander down the lane and far away,    5
Leaving me a song that will not die.
Love is now the stardust of yesterday,
The music of the years gone by.

[chorus (refrain)]
Sometimes I wonder why I spend
The lonely nights,                       10
Dreaming of a song.
The melody haunts my reverie,               
And I am once again with you,
When our love was new, and each kiss an inspiration.
But that was long ago, and now my consolation           15
Is in the stardust of a song.
Beside the garden wall, when stars are bright,     
You are in my arms.
The nightingale tells his fairy tale
Of paradise where roses grew.                     20
Though I dream in vain, in my heart it [you] [it always][there always] will remain
My stardust melody,                                 
The memory of love's refrain.

  実は、最後から3行目(第21行)のit がyou になっている歌詞を見て訳したので、以下のようになったとさ。――

そして黄昏時の薄紫の闇が
ぼくの心の草原を静かによぎる
空高くのぼる小さな星たちは
ぼくらが離れていることをいつも思い出させる
君は道をはるか遠くへさまよいゆく
ぼくに歌を残して
歌は決して果てることはない
愛はいまは昨日の星屑、
過ぎた歳月の音楽となる

ときどきぼくは不思議に思う、
なぜ歌を夢に見ながら
孤独な夜を過ごすのだろうと。
メロディーはぼくの夢想に立ち現われ、
ぼくは君とまた一緒にいる。
ぼくたちの愛の始まりのころ、キスするたびに
インスピレーションを与えられたあの頃の君と。
けれども、それは遠い昔のこと、いまぼくの慰めは
星屑のような歌のなかにある。

庭を囲む壁のよこで、星々が輝くあいだ、
君はぼくの腕の中にいる。
夜鶯が、薔薇が咲いていたパラダイスの
おとぎばなしを語る。
むなしい夢。けれど、ぼくの心のなかで君は、
ぼくの星屑の思い出メロディー、
愛のリフレインの記憶として、いつづける。

 フランク・シナトラの歌としての歌詞のページ(のひとつ) <http://www.lyricsfreak.com/f/frank+sinatra/stardust_20055401.html> は "you" としています(この手のページが怪しいのは前から感じているところですけど)> シナトラの映像を探したのですが、1943年という古いもの(chorus [refrain]部だけ)とその後の、オーケストラをバックにverseだけで3分近くもたせているもの(w)しか見つかりませんでした。聞いたものでは "it always will remain" とフランク・シナトラは歌っているみたい。ナット・キング・コール Nat "King" Cole の昔の歌唱(ヴァース付き) (3:04)を聴くと "it will remain" と歌っていました。Willie Nelson ウィリー・ネルソンおじさん(2:09)は、ヴァースは歌っていないのですけれど(2:09)、"there always will remain" と歌っているのでした。仮主語っていうやつですね。となると it も仮主語というかextra position 外置構文という、この場合だと主語が長いので、仮に代名詞を入れておいて、あとから長い主語を補う、という文法的な説明が正解ではないでしょうか。"you" は気持ち的にわかるけど、誰もそう歌ってないなあ(笑)

 ということで、即修正。

むなしい夢。けれども、ぼくの星屑の、あ、思い出じゃなかった!!、メロディー、愛のリフレインの記憶は、ぼくの心の中にいつまでも残る。

 解釈を積み上げる気持ちはいまのところないです。が、ちょっとだけ(笑)。14行目のinspiration は詩人(あるいは音楽家)にとっての創作の霊感といちおう考えます。あと、庭の壁のあとにパラダイスが出てきますけれど、paradiseというのは語源的には「壁に囲まれた」というか「まわり+壁」みたいな意味だったはずで、要するに囲われた庭がパラダイスです。しかし「私」は庭の外にいるし、薔薇は過去にパラダイスに咲いていた(grew) のでした。最後の最後のrefrain というのは歌のタイトルがstardust だし、なにやら自己言及的なにおいがしますけれど(つまり歌っている歌がそのソングというような)、それほど臭くもないので許します。へたすると自己中ロマン主義芸術家の歌になっちゃいそうなのですけれど。

  ああ、疲れた。

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カリフォルニア時間午後3時10分追記 わが美空ひばりもverse から歌っておられました。そしてit will remain でした。 "Misora Hibari - Stardust" posted by "orion2758at"

3時30分追記 上のYouTubeに導かれて違うのを見ていたら、字幕で訳詞がでているのがありました("Stardust 『スターダスト』~ 美空ひばり 【Hibari Misora】" by "KaiserPCS")。――


薄紫色の黄昏が心に忍びよる
夜空にまたたく星にあなたを想う
唄だけを残して去って行ったあなた
恋は過ぎ去りし日々の星屑

あなたを想って眠れぬ幾多の夜
私を追想の世界へ誘うあのメロディ
夢のように過ごした甘い日々
今は星屑に想いを託すだけ
星輝く夜にあなたと歩いたあの庭
バラ香る楽園の唄をさえずる鳥
今も心にあざやかに残る
想い出のスターダスト・メロディ

男の歌を女が歌う、ということにいちおうなると思います。美空ひばりの歌う英語は元のままで、たとえば "You are in my arms" と歌っているのですけど、訳されてないです(他にもはしょっているところは多いのですけど)。

 


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November 8 スターダスト・メモリー The Stardust Memory [断章 fragments]

November 08, 2008 (Saturday)

    まったく個人的なはなし。のつもりが、ひさしぶりに文学作品のはなし。

  昨日「スターダスト」を訳しているときに、stardust melodies とあるところを自分は「星屑の思い出」と訳しておりました。原文は"My stardust melody, / The memory of love's refrain" で、すぐあとに "memory" は出てくるとはいえ。なぜだったのか、つらつら考えると、途中でブログ記事の冒頭に書き足した、「小泉今日子ではなくて(ザ・ピーナッツを思い出す)」という言葉によって、自分の頭の奥で小泉今日子の歌「The Stardust Memory」 (1984)(実はタイトルがローマ字とか知らなかったです)が無意識に流れていたためであったのではないか、と今日子、いや、今日になって思い到りました。はい、それだけです。

  作詞は高見沢俊彦と高橋研(作曲は高見沢俊彦)なのですね(Yahoo! ミュージック- 小泉今日子-歌詞-The Stardust Memory)。

  えーと、注で「歌詞情報の閲覧の制限事項として、Yahoo!ミュージックでは著作権保護の観点より、歌詞の印刷行為を禁止しています。」と書いてあるが、引用はOKなのかしら。JASRAC的には最近は「引用」なら大丈夫になったのでしたっけ。引用――

二人初めて くちづけたユートピア
不思議なときめき 涙に変わってく
樫の木ごしに 星達のシャンデリア
小さなウインクお別れを そっとささやいているわ

  なんか、このへんは元の(といっていいかどうか知らんが)「スターダスト」のエコーというか、「スターダスト」へのオマージュというか、ユートピアとシャンデリアという、明治時代の日本だったら考えられなかった韻を踏みつつ、ユートピアかよ、という大胆な歌詞になっています。なんか、ぜんたいとしては、「少女時代に別れを告げる」、という昔よくあった歌のようなのですけれど、勝手に想像すると、これが主題歌であった映画『生徒諸君!』のモノガタリと合うようなモノガタリが詩の中にあるのかしら? モーリちゃんの父は『生徒諸君!』というと、テレビドラマで内山君(北城尚子=ナッキー)と堀北真希(樹村珠里亜)の出た『生徒諸君!』しか知らんのですけど。ともかくわかりませんが、歌詞の、丘の上で傾いたバイク(オートバイと思われ)の上で、涙が止まらず、相手にむかって、しかたないでしょ、サヨナラは初めてなの、と言っている話者は、あまりに特殊に自分のモノガタリの中にいて、ちょっと理解しないと歌詞もよくわからないような気がするのでした。どうやら別れのシーンであり、これは「少女時代のそうよ今これがピリオドなのね」と告げています。いつか会えたなら、星のテラスで抱きしめて、と言っているのですけれど、もう会えないだろうなあという気持ちもあるようなないようなあるような(どっちなんじゃい)。

  ところで、上に引用したキスのシーンは、過去の回想ではなくて、現在進行形で記述されるという、歌ならではの離れ業のように思われますが、あってるのでしょうか。別の夜だと「星屑が舞い降りてくるこの夜を」忘れないでいて、という歌詞の焦点がブレちゃうから。映画を見にゃあならんかな。

  まことに勝手な妄想的連想で言うと、ここで樹木があらわれており、これはファルスじゃなくて世界樹としてのカシの木のようにも思われます。はじめてのキスが、なにを男女に残すか。それはいろいろだ。アメリカ文学で、こういうシーンとして思い出されるのは、『グレート・ギャツビー』のギャツビーとデイジーのはじめてのキス。そこでは天にのぼる梯子のヴィジョンがギャツビーには現われます(これはエリアーデの中心のシンボリズムの解説文章にもよく出てくる、天と地をつなぐ梯子のイメジ)。

He talked a lot about the past and I gathered that he wanted to recover something, some idea of himself perhaps, that had gone into loving Daisy.  His life had been confused and disordered since then, but if he could once return to a certain starting place and go over it all slowly, he could find out what that thing was. . . .

. . . One autumn night, five years before, they had been walking down the street when the leaves were falling, and they came to a place where there were no trees and the sidewalk was white with moonlight.  They stopped here and turned toward each other.  Now it was a cool night with that mysterious excitement in it which comes at the two changes of the year.  The quiet lights in the houses were humming out into the darkness and there was a stir and bustle among the stars.  Out of the corner of his eye Gatsby saw that the blocks of the sidewalk really formed a ladder and mounted to a secret place above the trees--he could climb to it, if he climbed alone, and once there he could suck on the pap of life, gulp down the incomparable milk of wonder.

His heart beat faster and faster as Daisy's white face came up to his own.  He knew that when he kissed this girl, and forever wed his unutterable visions to her perishable breath, his mind would never romp again like the mind of God.  So he waited, listening for a moment longer to the tuning fork that had been struck upon a star.  Then he kissed her.  At his lips' touch she blossomed for him like a flower and the incarnation was complete.

Through all he said, even through his appalling sentimentality, I was reminded of something--an elusive rhythm, a fragment of lost words, that I had heard somewhere a long time ago.  For a moment a phrase tried to take shape in my mouth and my lips parted like a dumb man's, as though there was more struggling upon them than a wisp of startled air.  But they made no sound and what I had almost remembered was uncommunicable forever.  (emphasis added)

   5年前の秋の夜のことを語ったギャツビーの話を語り手のニックが語るので、男x男のロマンティシズムが多方向に増幅される(つまり、ギャツビー本人は考えていないような観念がニックによって付け加わっている、かもしれない・・・・・・そのへん微妙で、ギャツビーの呆れるほどの感傷appaling sentimentalityをニックは言うわけですけれど、最後の段落はなんだかプラトニズムへの言及のようでもあります)という、コトバなのですけれど。木々の上の秘密の場所へ昇って行く梯子が見えます。それをひとりで上れば、生命の水を飲むことができる。デイジーにキスをして、ヴィジョンを娘の息(これは霊的なものとつながるけれど、perishable、つまりmortal なもの、滅びるものです)と結合させてしまうと、もはや神のココロのように飛翔することはできないことはわかっている。そしてキスによって化肉 (incarnation) が完成する。このへん訳がどうなっていたかはっきり覚えていません。村上春樹の訳は特に思い出せません。野崎孝の訳はあっさりしていたような記憶があります。incarnation というのは ideal なものが地上的・肉体的なものに化身する、という意味に自分は読んできました。

  だけど、ギャツビーみたいな男は最初のキスに特別な意味を与えるかもしれないけれど、そうじゃない男もいるし(あたりまえ)、そうじゃない女もいるということで(あたりまえ)。ただ感傷というのは男にも女にもときどきは、そんなことはない、という人にも、もしかすると夢の中では、訪れるものかもしれません。

  The Stardust Memory (2:48) (YouTube)


Francis Scott Fitzgerald, The Great Gatsby e-text <http://gutenberg.net.au/ebooks02/0200041h.html> 〔オーストラリアのGutenberg。本家とは別個の、独自のテクストがあります〕

 

 

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November 9 リップシンキング・ペニーズ・フロム・へヴン Lipsinching Pennies from Heaven [歌・詩]

November 09, 2008 (Sunday)

   昨日はまた昼過ぎににわか雨が降ったのだけれど、ひさしぶりに朝から明るい青空のカリフォルニアの日曜日の朝です。

  笑いのなかにまじめなものをひそませるシリーズ(笑)

  リップ・シンク というのは、ひとつには、日本語の「口パク」に相当することばでですけれど、もとは lip synchronization という専門用語で、そのときには、たとえば衛星放送とか、テレビ会議などで、音声と映像に時間差が生じてズレてしまう(通常の処理だと音声のほうが先に伝わってしまう)のを補正して同調させる(シンクロさせる)技術のことでした。あるいはアニメで動作と音声をあわせること。で、それがlip-synch とか li-sinc というふうに縮まるとともに、いわゆる歌手の口パク、つまりよく日本にやってきた外国の歌手の出演する歌謡番組で問題になったような、なんらかの事情で生声で歌わないで口をパコパコ、いや、パクパクするだけのパフォーマンスをリップ・シンクといい、さらにプロのパフォーマンスをマネする芸としての口パクというのも、なんだかけっこう流行っているようです(エアギターの流行とシンクロしているのかしら)。

   英語のWikipediaは "Lip synch" は "Lip sync" に redirect されます。けれども項目Lip sync での記述には lip-synch, lip-synching, lip synch, lip synching とlip sinc が混在していて、まだ綴りが定まっていないことを示しているように見えます。類推的には、ハイテクをhigh tech とするか hightec まで縮めるか、というのと似てるような気がしますけどちがいは、lip-sync(h) が動詞であるということで、つづり字と音との関係で、syncing という現在分詞形は、ちょっと抵抗があるのかな、という気もします。いちおう、(これは一般にそうですけれど)2語の分かち書きが、ハイフンでつながれて1語に、それからハイフンも消えて完全な1語になり、という過程を考えると、lipsync がもっともナウい進化形だと思われます。

   で、たまたまこのあいだ"Pennies from Heaven" を探していたときに出会ってしまったリップ・シンク。(ついでながら、なんか、YouTube では、北京オリンピックの開会式のときのlipsynch があれこれ問題になっていたようですが、ぜんぜん知りませんでした。)――

  " lipsyncing pennies from heaven " (2:50) posted by "ptangel93" on December29, 2006: "lipsyncing louis prima's pennies from heaven in my sisters messy room. "

   ということで、歌はまたもやLouis Prima のドゥビドゥビサウンドなのですが、こういうのもクロス・ジェンダー・なんちゃらいうんですかね。

 LouisPrima.jpgLouis Prima (1910-78)

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やはりボーカロイドでも問題となるようであり――

「VSQ lipsync project 初音ミク非公式ファンサイト」<http://8miku.blog121.fc2.com/blog-entry-407.html> 〔Vocaloidファイル(拡張子vsq)から口パク(リップシンク)データを作り出すツールを開発するプロジェクト。「Vocalips: Vocaloid口パク(リップシンク)・小節・拍抽出ツール」など〕

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November 9 不思議な箱の発見 Wonder Box [断章 fragments]

November 09, 2008 (Sunday)

TillyLosch(1935),byJosephCornell.jpg

  Joseph Cornell (1903 - 72), Untitled ["Tilly Losch"] (1935)

  いまカリフォルニア時間は10日月曜日の朝5時過ぎです。 昨日の日曜日の朝10時半ごろ、So-netのホームページで初めて不思議な箱に遭遇しました。へへへ。

fushiginahakotop.JPG

   舌、いや下の真ん中のペロリンの左です鍵のあるバスケットで、鍵穴の上には黄色い花がついていました。あわてず騒がずクリックしたら画面が変わってあわてた。

fushigina_hako.jpg

  よく読んでから、ってよく読みませんでしたがな(w)

fushigina_hako2.jpg

  実はふだんはFirefoxを使っているのだけれど(ついブックマーク(お気に入り) の集積が、そちらにたまりつづけているもので)、このときはInternet Explorerを同時に開いて、なぞなぞの、タコは何番だったか、え、イカも同じじゃねーの? とかつっこみを入れながら回答して戻ってきたらフワフワと。ちなみに5時間ぐらいそのままにしていたら、そのまま漂っていました。はい。

  ということで、海外でもちゃんとゲットできることはわかりました。ただ、Firefox でも出るものかどうか、まだ不安ではあります。

  そのあと、WEB上で、ジョーゼフ・コーネルの不思議な箱を探しました。

  今のところ見つかったのでは、"The Joseph Cornell Box" という、josephcornellbox.com のページ――

josephcornellbox.JPG

<http://www.josephcornellbox.com/>

   でもここのギャラリーにある箱はジョーゼフ・コーネルのつくった箱じゃなくて、子供たちの作った箱だけれど。壁紙とかは楽しい。伝記や紹介もある。全体が箱の中に入っているというデザインのおしゃれなページ。

downloadimages.jpg

   あと、ちょっと目くるめく感じでよくわからない画像連結の――まあ、こういうのをデペイズマンdépaysement というのかもしらんが――

Joseph Cornell: Navigating the Imagination

 

  もうひとつは、ブログで、大きめの画像が、制作年情報等なしだけれど、並んでいた。――

偏愛的収集記-暢気・気儘な箱々

「美術 : Joseph Cornell」 <http://hiroyasu-tangerine.blogspot.com/2008/07/joseph-cornell.html> 〔2008.7.25〕

  箱を見ながらふと、自分にとっての不思議な箱は本ではないか、あれ、book と box って語源重なっていたかしら、と思い、悪い癖で辞書を引いた。重なっていなかったです。ところで『リーダーズ英和辞典』のbox には5番で《箱形の機器》、そしてアメリカの俗語として、「弦楽器,ギター,ピアノ,アコーディオン《など》」と書いてある。アメリカの、というところがひっかかる。デイヴィッド・シュナウファーが、晩年、いわゆるアパラチアン・ダルシマー以上にのめりこんでいた music box というモノの魅力は、つまり、あらためて歴史的に考えると、打弦楽器の「ダルシマー」とは別物で撥弦楽器とされるアメリカの「アパラチアン・ダルシマー」のすぐ前に、同じアパラチアに打弦楽器的ダルシマーが存在していた、という驚きが半分(アメリカのダルシマーはヨーロッパのダルシマーとは違うとされていたから)、あとの半分以上は箱の不思議さというか箱というもののもつ魅力であった、ような気もします(「September 17  ストラムスティックなおおスザンナ Oh! Susanna Played with a StrumstickSeptember 17 アパラチアン・ダルシマーなおおスザンナ Oh! Susanna Played with Appalathian Dulcimer [スザンナ周辺]」「September 18 ローパー、ダルシマー、シュナウファー Lauper, Dulcimer, Schnaufer」参照)。

m_ac97dfbce78637bf3b4d25a3d30ec1fb.jpg

English Valley でmusic box を手にするDavid Schnaufer (1952 - 2003) - Jan Pulsford 撮影 via MySpace.com - David Schnaufer ~ Mmemorial Page Delcimore @ English Valley

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"Joseph Cornell" - Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Joseph_Cornell

 ↓箱

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November 10 登録不要 [断章 fragments]

November 10, 2008 (Monday)

   明日の火曜日はVeterans Day  (なんか日系の案内本についていたカレンダーでは Veterans' Day となっていたけれど、アポストロフィーがないのが正しいみたい)で、これは第一次大戦の休戦記念日 Armistice Day が1954年に改称されて、第一次大戦だけでなくていろんな戦争から復員した(元)軍人に敬意を表する日となりました。1938年のときにアメリカで11月11日がArmistice Dayと定められたときの文言だと、"a day to be dedicated to the cause of world peace and to be thereafter celebrated and known as 'Armistice Day'." (世界平和の大義にささげられる日で、こののち "Armistice Day 休戦記念日" として祝う」とされていました。そのArmistice のところがVeteransに置き換わったのです。で、「復員軍人の日」というような名になり、アメリカの法定休日となっています。

  モーリちゃんの学校は、なんたら理由を付けて、今日の11月10日月曜日をお休みにしました。それで先週の土曜日から火曜日までモーリちゃんは4連休です。やれやれ。

  さて、押し迫るブログの不安に対処すべく、モーリちゃんの父が自立して別のブログをたちあげようか、しかしどうせ来年4月はじめで途絶えるブログなのだから、これはこのままにするか、とか思い悩むこのごろなのですが(笑)、ブログをもう一個つくったらどうなるか、もうソネくじも終わりだけれど、試してみようかな、という気になりました。それで、ついでにカウンターを最初からつけてみよう(このブログには半年も経ってから設置したのでw)と見ているところでしたが、「無料カウンター登録不要」と書いてあるのに登録しないとどうやらダメみたいなページがあって、行き詰まり、この記事を書いています(爆)。まあ、別に登録したっていいんだけれど、不要と書いてあるのはどういうことなのか。隠れているリンクはないかとあちこちクリックしたりしてみたのでした。

  いちおう登録ページにおそるおそる進んでみると、

「ニックネーム(本名は書かないでね)」 ・・・・・・やさしく親切だ。

「メール(フリーメール推奨)」・・・・・・やっぱり親切ぽい。

「カウンタを設置するURL:
(ここに24時間以内に設置していなければ消します)」
  ・・・・・・・ゲッ。どうやって消すんだろう。

   どうやら、利用規約にある、「利用者は、当アクセスカウンタを解約後も、登録されたメールアドレスに対してダイレクトメール、またはメールマガジン(まぐまぐ等)が送信されることに同意し、無料購読するものとします。」 というのがミソなのかなあ。

   思案中。


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November 10 長島☆自演乙☆雄一郎 [メモ personal notes]

November 10, 2008 (Monday)

  私的( ..)φメモメモメモ

  コスプレイヤー系格闘家の長島☆自演乙☆雄一郎が、 初音ミクのコスプレでキックボクシングの試合に臨み、新王者に、というニュースがカリフォルニアまでとんできた。ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)の「Start of New Legend XIII~新しい伝説の始まり~」が9日17時より後楽園ホールで開催され、第10試合のNJKFスーパーウェルター級王座決定戦に古川照明と対戦した「侵略のアニヲタ野郎」長島☆自演乙☆雄一郎は、初音ミクふうのコスチュームで登場。

長島☆自演乙☆雄一郎選手入場(YouTube 2:09) 〔残念ながら切れました〕

  「乙!」「乙!」と歓声を浴びていたが、試合では様相と態度が一変。第1ラウンド開始のゴングと同時に猛然と攻め続けた長島の強烈なアッパーカットが36秒くらいに炸裂、古川は立ち上がるが、62秒くらいでレフェリーストップがかかり、TKOで圧倒的勝利をおさめた。

古川照明 VS 長島☆自演乙☆雄一郎(YouTube 8:15)

〔残念ながら切れました〕

  11戦11勝(7KO)という戦績を誇る長島だったが、この試合後のインタビューでも「いつも通り1ラウンド目から倒すつもりだった」と語った。ファンは応援用の小道具のネギを「乙、最高」の掛け声とともにリング上に投げ込んで祝福した。

  こゆうのもクロス・ジェンダー・なんちゃらいうんですかね、のパートつぅ~。

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長島☆自演乙☆雄一郎オフィシャルブログ ー 長島☆自演乙☆雄一郎オフィシャル自演日記 ー YOUICHIRO☆JIENOTSU☆NAGASHIMA Official Blog <http://ameblo.jp/jienotsu/>

NJKFスーパーウェルター級日本チャンピオンになったお( ^ω^)


人生最高の日だお( ^ω^)

入場は初音ミクですた\(´∀`)/ 

〔「結果」 2008.11.9〕

 

 


タグ:CGP 初音ミク
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November 11 小山川 El Cerrito Creek [アルバニ山 Albany Hill]

November 11, 2008 (Tuesday)

   昨日も書きましたが、今日はVeterans Day です。月曜の夜にテレビを見ていたら、Macy's のコマーシャルで、"Veteran's Day" と書かれていました。

  前に、エルセリートについてなんかあれこれ書きました――July 16 アルバニ山彷徨 (1)   Wandering Around Albany Hill

  10月の末近くから、思いがけずだいぶ雨が降るようになり、エルセリート川も水かさが増し、昼の日射しが続いて水温があがらないときには、水が澄んで見えます。春から夏まで、ずっと川辺の草は乾ききり、川も水量が少なく汚れて濁ったドブ川のようだったので――それでも、うちのあたりはアルバニ山の麓をセリート・クリークは流れていて、白い大きな水鳥がときどき姿を見せるし、まわりではリスがこそこそしているし、ある程度自然の中にあるのですけれど――ちょっと新鮮な気分になります。月の初めには雨だけでなく強い風が吹いて、雷かと思うような音を松の木や、たぶんユーカリの木が、たてていました。それで、そのあと、エルセリート川の川辺を歩いたら、ネギが落ちていました。――

CerritoCreekNov8,2008.jpg

  と、思わず拾いに降りて行こうかと思ったのですが、ネギではなくて、水辺の草がなぎ倒されていたのでした。手前のセリみたいな草も食えそうですけれど、試していません。

  前に書いたように、Cerrito というのはスペイン語で、cerro (山)の縮小形、というか、小さいものを意味するかたちです。だから小山。オヤマガワという川はあるのだろうか、と例によってフツフツと好奇心がわいてきて、調べてみました。

  ありました。

  1.   埼玉県の、たぶん深谷市あたり(ネギつながり?)―― <https://www.lib.pref.saitama.jp/licsxp-opac/WOpacTifTilListToTifTilDetailAction.do?returnid=tiles.WTifSchCmpd&gamenid=tiles.WTifTilList&tilcod=1000310056247> 〔オヤマガワかコヤマガワか・・・・・・両方書いてありわからず〕

    2.   中国地方のはオヤマガワですが、御山川でした(ていねいなのね)――<http://www.cgr.mlit.go.jp/chiki/kasenj/code/data/2%E7%B4%9A%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%9C%8C%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E8%A1%A8.pdf>

  とりあえずヤフーの地図&路線検索というのもしてみたのですが、見つかりません。 グーグルは・・・・・・<http://maps.google.co.jp/maps?q=%E3%82%AA%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%83%AF&lr=lang_ja&ie=UTF-8&oe=utf-8&rls=org.mozilla:ja:official&client=firefox-a&um=1&sa=N&tab=wl> おお、呑川住人さんというひとのマップで、埼玉の小山川の様相がよくわかります――<http://maps.google.com/maps/ms?msa=0&msid=115388626160205603476.000449d09186b99af31f3> 「元小山川が小山川に合流」、とか、わけわかめですが。

   この埼玉県の小山川清流ルネサンスというのが、どういうものかよくわかりませんが、たぶん同様の運動を、エルセリート川でもやっています。モーリちゃんの父も加わろうかと思っているのだ、実は。

cerritocreek4.jpg

アルバニ山からの水が流れ込んでいる場所(こんな場所は夏にはなかった、と思う)

cerritocreek2b.jpg

アルバニ山の木の影を落とすエルセリート・クリークの水面

cerritocreek3.jpg

これはゴミではなくて、10月の初旬くらいに、おそらく"Friends of Five Creeks" という自然保護のボランティア団体のひとたち〔ついでに過去記事「July 23 アルバニ山周辺  About Albany Hill」参照〕が、設置していたものです(正体はまだ探っていません)

 

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November 11 カリフォルニアのクモ  Californian Clouds [天気 weather]

November 11, 2008 (Tuesday)

    日曜日に続いてモーリちゃんとモーリちゃんの父は山下公園(アルバニ山の北西端をほとんど切り崩しているような、敷地内の公園は一部住人にこう呼ばれている、ような気がする)でバドミントン、サッカー、バトン(これはモーリちゃんだけ)などをして遊んだ。大きなトリ(タカの仲間と見た)やリスが2度ずつ近くに姿を見せ、高いユーカリを見上げたので、ふたりとも首が痛くなった。

  雨は降らなかったけれど、厚い雲が夕方近くに出てきて、夕焼けを灰色の雲が覆った。

November11,2008.jpg

  つうか、なんで手前のほうがオレンジ色なのでしょう。11月11日18時14分。西の方角。左下に見えるのはゴールデンゲート・ブリッジ。

 

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November 9 カリフォルニアのクモ (その2)  [天気 weather]

November 09, 2008 (Sunday)

    時間は前後し、既にその1(番号なし)に書いたように、4連休の2日目の日曜日、山下公園でモーリちゃんとモーリちゃんの父はひさしぶりにバドミントンやサッカーをして過ごした。モーリちゃんの母は、朝からどっかへクルマ(ひとの)で出かけたのである。

  11月9日午後6時8分。こんなに空が青かったかというと、青くなかったと思います(きっぱりw)。色をいじってみたのですが、記憶のなかの空はどの空やら。雲を主体に考えれば、形が分かっていいかなとか(強引な弁明)。たぶんその場でパソコンで色調整しないとダメなのだろうけれど、ミルミル変わるのが夕方の空だし・・・・・・1枚だけ頭でフレームを切り取って我が目の網膜に焼きつけるのが一番か。ウワノソラ。

CalifornianClouds_November9,2008.jpg

(クリックで横1024ピクセルに拡大)

  真ん中寄りの左下の向こう岸のクイみたいなのは金門橋Golden Gate Bridgeの橋脚です。


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November 12 不思議な箱の発見 パート2 Wonder Box [時間・空間 space]

November 12, 2008 (Wednesday)

    4連休も終わり、モーリちゃんもモーリちゃんの母も学校へ戻っていった水曜日の朝。またIE のほうをいじっていて、スパム対策のソフトの新しいヴァージョンをインストールするか、とか出てきたので、インストールした。まもなく、再起動の必要あり、との表示が出たのだが、あとにした。それからちょっとパソコンから離れてもの思いにフケっていたら(秋ですから)、ピンピロリ~ンと音がして、寄ってみると、勝手に再起動していやがった、くそー。

  ところが、なぜか、IEも勝手に開いて、見ると不思議な箱が漂っていた。

不思議な箱.JPG

  カリフォルニア時間11月12日午前10時38分。「めちゃった婚」の前のところです。

  また応募概要はよく読みませんでした。

  10時半がカギなのか、いやちがう(否定速)。

  しかし、やめちゃった婚ってやめちゃったんだから結婚のカテゴリーに入らんと思うのですが。

  前の発見記事――「November 9 不思議な箱の発見 Wonder Box」 〔誰が参照するやらw〕


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November 12 イーハー、イーホー、イーハウ Yeehaw [ことば Words]

November 12, 2008 (Wednesday)

October 25 イーハー、イーホー、イーフー、ヤーフー、イャッホー、ヒーホー、ヒーハー Yeeha, Yeehaw, Yeehoo, Yahoo, Heehaw, Heehaのつづきの

October 26 イーハーとヒーハー Yeeha and Heehaのつづきです。

  はあーっ。(気合いを入れたのではなくて、最初からため息)。

  以下は、自分でもめんどくさくてしかたないような気持ちで書くので、読むのもめんどくさいと思いますが、必ずしもそうかもしれないかもしれないので、おひまな人は試してみてください。

  さて、めんどくさい、と思う気持ちはどこから来ているかというと、26日の記事でつい引いてしまった、Barry Popik という、テキサス在住の、辞書執筆者のページをいちいち検証するのがめんどくさいのです。まず、めんどくさいから、自己剽窃します。

最初につぎのようなまとめの文があって、下に典拠が並んでいるかたちの記事です。

"Yeehaw” (or “yeeh-ha” pr “yee-haw") is similar to the yell “yahoo!” It indicates excitement, exuberance, and delight. “Yee-haw!” is imitative of the bray of a donkey. ("Yehaw" (あるいは"yee-ha" or "yee-haw) は叫び声"yahoo" に類似。興奮、歓喜を示す。 "Yee-haw!" はロバの鳴き声をなぞっている。)

  典拠のひとつめは例の "Urban Dictionary" です。

  と書きました。そして「コピペで情報を提供しておいて、あとで検証することにします(そんなことでいいのだろーか)。予告的(かつ自分の宿題として)に書いておくと、問題はロバ の鳴き声として伝統的に書かれてきたのが "yeehaw" じゃなくて"heehaw" で、それとどういうふうな関係があるのかないのかということなのですが。」と自分は書きました。

  もともと、この人のページには、「OKWaveコミュニティー」というところの回答に導かれてきたのですが、回答は「こちらに説明がありますが」という、前に書いた言葉をまた繰り返せば、「明快にして簡潔かつリンク付きという、大人の回答でした(まあ、ブログもそういうのがいいのだという気もしますけれど、自分はアレコレ詮索したり検証したりするのが性分なのモノであしからず)。」。

  ちょっと脱線しますけれど、リンクというのはインターネットの本質だと誰でも思っているものだと思います。で、まあ、リンクを意識的に提示するのは、比喩的にいうとシオリをはさんだ本を差し出しているような感じにも思われ、コピペも添えてのリンクは、本を開いて机に並べて置くというような、「ほら、読んでみて」という切迫感が強い、あるいは押しつけがましいところがなくはないかもしれない。けれども、この比喩が必ずしもあたっていないのは、しばしばリンクの先にリンクがある(つまり本の中に本、箱の中に箱みたいな複雑さ)とか、あるいは、1冊の本に相当せず、それ自体が複数の、しかも内容が相矛盾して、どこに筆者の(というよりリンクをまとめた人の)main idea があるのかわからないとか、そういう事態が生じるからです(もちろん、現実の紙の世界でも似たようなことは――寄せ集めのメモみたいな、あるいは複数の辞書の記述の併記みたいな―― あるけれど、WEBでは内容が十分に吟味されずに相互参照のためにリンクがハラレテしまいやすいということがあるのだと思う)。

  それで、自分は、ここに説明がありますよ、とリンクを提示され、はい、ありますねー、これが説明です、はいどうぞ、と次の人に渡すようなウワベの「知識」がときどきイヤになる、というか、まあ、それだけじゃいやだ、というだけのことかもしらんが。・・・・・・ぶつぶつぶつぶつ・・・・・・

  脱線から戻ります。

  バリーさんの「引証」は以下の並びです(実は実にわかりにくい)。

(1) Urban Dictionary  ふたとおり(ふたり)の定義

(2) Cowboy Lyrics  "Cowboy Lyrics" はサイト名で、引かれているのは伝統的なカウボーイの歌ではなくて、最近のバンドの歌詞

〔(3) Internet Movie Databaseから映画『いとしのクレメンタイン』(1946) のあらすじが引かれ、〕

(3') Script-O-Rama というページの"My Darling Clementine Script - Dialogue Transcript" が引かれる(ちなみにscript というのはいわゆる公式のシナリオではないです)。

(4) Oxford English Dictionary の引用

(5) 7 September 1844, Milwaukie (WI) Sentinel, 3ページ第3コラム

(6) 8 May 1875, Dallas (TX) Weekly Herald, 1ページ

(7) Google Books によりLutchmee and Dillio: a [S]tudy of West Indian Life by Edward Jenkins (London: W. Mullan & Son,
1877)  第2巻12ページ

(8)  Google Books によりThe Snake-dance of the Moquis of Arizona by John Gregory Bourke (New York: Scribner, 1884) 161ページ

(9) 1 May 1902, Des Moines (Iowa) Daily Leader, 7ページ第6コラム

(10) 15 July 1906, Washington Post, 8ページ広告

(11) 6 August 1943, Sheboygan (WI) Press, 7ページ第5コラム

   5, 6, 9, (10), 11 はアメリカの州名が示されていて、つまり、地域性、地域差があるのではないか、という意識です。実際、検索をあらためてかけると、このかた(バリーはん)がアメリカ方言協会に同様の情報を送っていることがわかります――"LISTSERV 14.4" (12 March 2007) <http://listserv.linguistlist.org/cgi-bin/wa?A2=ind0703b&L=ads-l&P=9752>

   あーっ! いまあらためてまた検索したら、これに対する返信が添えられているのがありました <http://listserv.linguistlist.org/cgi-bin/wa?A2=ind0703B&L=ads-l&P=10312>  JL はんという人から――"This is great, Barry, esp. since it makes it unnecessary for me to rent _Red River_, which, unbelievably, is scarce around here."と、 グレートなのは本を借りる手間が省けたからかよ、と突っ込みを入れたくなる書き出しで、後半は落下傘部隊についての蘊蓄を披歴しているのですけれど、その2段落目――

I always thought jackasses said "hee-haw," not "yee-haw."  I doubt that the latter-day interjection originated in a conscious imitation of the quadruped.
ロバは "yee-haw" ではなくて "hee-haw" と鳴くとわたしはずっと思っていた。当世の間投詞は四足獣〔ロバのこと〕の意識的な模倣に由来するというのは、わたしは疑問に思う。

  はい、モーリちゃんの父もずっと疑問に思っております。 ただバリーはんの集めた用例は、(11)の落下傘部隊についての "Similar to the bray of a mule is the 'yee haw' yell of Marine parachutists who 'give' when they dive from the plane into space."(落下傘部隊が飛行機から空中へダイブするときに「発する」「イーホー」という叫び声は、ラバ〔mule 雄ロバと雌馬の子〕のいななき〔bray ロバの鳴き声、比喩的には軽蔑・あざけりなどの大きな笑い声〕に似ている)、(9) の "A donkey can put a great deal of pathos into its yeehaw! yeehaw!" 、(10) の広告の "YEE HAW! YEE HAW! YEE HAW! / THE ORIGINAL MAUD, /THE MULE THAT CAN’T BE RIDDEN" という謎めいた文句、など、ロバやラバの鳴き声とかすっているように見えるのは確かです。

  しかし11はsimilar (似ている、同類)としか言っておらんし、(10) の広告は、おそらくmaud というのはスコットランド風のショールか膝かけかなんかで、mule はミュール精紡という織りのことではないかと(つっかけ靴のミュールかと思いましたが、たぶん商品のモード=ミュールで、しかしmule といってもラバじゃないので乗れません、でも素晴らしい商品ですイーハー、ヤッホーということではないかと。それと(9) は、ロバ(donkey というのはass, jackass に対して、とくに家畜化されたロバという意味です)はその「イーホー、イーホー」という声に多大の悲哀をこめられる、という文ですけれど、hee-haw という、通常ロバの鳴き声とされる表記が、バカ笑い、下品なバカ笑い(「ガッハッハ」みたいな)を比喩的に(つまり人間については)意味するので敢えてずらしているのかもしらん。あるいは、ともかく、これだけでロバの鳴き声がyeehaw だとは言えないでしょう(ま、ちょっと自分で書きながら苦しいのもわかっています。可能性は否定せんし関連というか連想の関連はそりゃああるだろう)。

  ま、わからんです。わからんですが、名古屋人がみゃーみゃー言っているのはネコのまねだとか〔参照――『名古屋みゃーみゃー通信』「50 みゃーみゃーなんて言っとらん!」〕、ブーイングというのはぶーぶー言う豚のように不平の声を挙げることだとかいうのと同じような、安易な発想が論理を超えてありゃあせんか、ということです。そして、いろいろと用例を探してくる姿勢にはおおいに敬意を表するものでありますが、いちばん気になったのは、最初にあがっているUrban Dictionary の項目で、それも、無批判にかかげていることに疑問を抱かざるを得なかったのでした。

  ちょっとおもしろくなってきたので続きます(ガハハ)。

    と思ったけど、暫定的にケリを入れて、いやケリを付けておきます。

    "yeeha - wiktionary" <http://en.wiktionary.org/wiki/yeeha>

    リンクかよw  ・・・・・・いや、ウィクショナリーはyeehaw を yeeha の"alternate spelling" 異綴り として、yeeha のほうをメインにしているんですね。

     とりあえず由来は不明。ロバの鳴き声のheehaw との関係は不明。とりあえずyee- と綴った場合に「ヒー」と発音するとは思われません。でもそれは「ヒーハ」heeha, heehaw と発声するヒトがいないということを意味するものではもちろんない。つづく~。

 

ブヒッとな

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November 13 都会的辞典 Urban Dictionary ――イーハー、イーホー、イーハウ Yeeha, Yeehaw のつづき [ことば Words]

November 13, 2008 (Thursday)

   前段的に、都市と都会の違いについて頭がこんがらがるまで悩みたいという人がもしいるなら、『落書き帳アーカイブズ』の「「都市」と「都会」の違いは何か? 」という議論が眠気を誘うにはよいかもしれませんが、お勧めはしません。

October 25 イーハー、イーホー、イーフー、ヤーフー、イャッホー、ヒーホー、ヒーハー Yeeha, Yeehaw, Yeehoo, Yahoo, Heehaw, Heehaのつづきの

October 26 イーハーとヒーハー Yeeha and Heehaのつづきの

November 12 イーハー、イーホー、イーハウ Yeehaw

のつづきです。

 

  さて、Urban Dictionary というのは、


www.urbandictionary.com

   というWEBサイトです。 Aaron Peckham という男性が、Cal Poly と略される California Polytechnic State University (San Luis Obispo 市の郊外にある大学) 在学中にはじまったとされていますが、1999年にサイトとなってのち2008年11月までに350万を超すdefinitions (語彙数や見出し語数ではない)が提出されているスラング辞典です。word を world に換えた、"Define your world" がうたい文句。その自己宣伝ページ <http://www.urbandictionary.com/ads.php>――

Urban Dictionary is more than a dictionary. It's a catalog of human interaction and popular culture created by hundreds of thousands of people, and read by millions. Urban Dictionary grows with hundreds of new definitions every day.

Hundreds of thousands of daily visitors read Urban Dictionary for witty, honest definitions that explain today's culture. MSNBC used Urban Dictionary to investigate the man crush; BBC News found the difference between boo and boom; and the San Francisco Chronicle used Urban Dictionary to explain hollaback girl.

mo' urban dictionary book urbandictionary.com is also available in print, in Urban Dictionary (2005) and Mo' Urban Dictionary (2007). Look for the 2009 Urban Dictionary Calendar, coming soon.

 

   形態は、sign up & log in によって誰でもが執筆できるところはウィキペディアとかと似ている、と思われます。「誰もが自由に編集に参加でき、専門家による査読を経ない記事が公開されるため、情報の信頼性や公正さなどは保証されておらず」というのは、ウィキペディアによるウィキペディアの説明記事「ウィキペディア」の一部ですが、どれだけ有効かどうかはともかくアーバン・ディクショナリーの場合は独自のシステムがあって、第一に、ボランティアの編集者団が、提出された定義を公開するか否かを審議する(Log in ページの注記を引用すれば "Editors see the newest defs before they hit the streets, and decide what gets published." (<http://www.urbandictionary.com/login.php?after_login=editor>)、第二に、表に上った定義について投票が行なわれ、アップ・ダウンする。だからもっとも「ナイス」をもらった人気のある定義が先頭に立ちます(それからコメントとタグの付与もある)。これは複数の定義が並立することを意味しています。そして、上の広告は "witty, honest definitions" という形容を自ら与えていますけれども、おそらく誰が読んでも、Urban Dictionary の定義は、しばしば皮肉で、諷刺的で、ときに差別的で(こういうものはなるほどウィットと時に呼ばれるものかもしれないが)、さらに記述はときにいい加減で、誤字があったり、誤記があったり、下品であったり、します。

  個人的には、このブログ内でなんどか引証したのですけれど、最初にひっかかったのは、"emo" の定義でした(「September 12 ジェレミー・イーニックの解説文章で英語の勉強をしてみる Jeremy Enigk」参照)。「"emo" はなんや、ということで、見ると、この辞書は執筆者複数の場合は併記なのね。Wikipedia より民主的ということになるのかしら」とそのとき書きましたけれど、いま見ると、"emo" ないし "Emo" の見出しで96ページ、672の定義が並んでおりました。やれやれ。もう探すのもめんどうですが、あのとき目にとまったので、軽蔑的だなと思われる記述がありました。

  さて、勢いを出して、yeehaw です。 アレッ、バリーのだんなが引いている2004年の例がどっちもないぞ、と思ったら、Barry Popik さんは"yeehaw" ではなくて "yee haw" という分かち書きのほうを参照していたのでした。やれやれ。ちなみに "yeehaw" の先頭にある定義は、"If you're southern, got a little redneck in you or you're happy you can say YEEHAW! "(「もしもキミが南部人で、内にいくらかレッドネックをもっているかハッピーだったら、YEEHAW! と言える」)というわけわかめのものです。仔細に検討するヒマはないですが、バリーはんが一番に挙げた定義ぐらいは検討したい。

Urban Dictionary
yee haw
1. What a cowboy or redneck might say; equivalent to the urban “Yeah!” or “Woo!”.
2. A stupid redneck.
1. Yee haw! Boy howdy!
2. Look at that yee haw blowing into his jug and dancing like a monkey.
by SC.Zee Apr 1, 2004

yee haw
A non descript exclamation which usually accompanies alot of hooting and whistling at whatever is causing the excitement. Most likely coined in the southern states of north America (eg Texas). Can also be used to punctuate traditional country and western music.
It might also be exclaimed by the rider of a bull or bucking bronco at a rodeo or their spectators.
Whilst at the rodeo the rider of the bucking bronco yelled;
“YEEEEE HAWWWWWW!”
by Dacarlo Apr 8, 2004 

  まず、上の、SC.Zee という人の定義は、都会の人間の "Yeah" と "Woo" に相当する、カウボーイや南部の田舎者のことばが Yee+haw というのは、冗談にすぎません。まったく。ははは。ダジャレかよ。下のDacarlo という人の英語は、"non descrpit" → "nondescrpit"、"alot" → "a lot"、"north America" → "North America"、主語のインフォーマルな省略、"their spectators" の "their" の指示が不明、"It might also be"というもってまわった言い方、などのおかしなところがあると思われ。だいたい、こんな人が気取って書いている「北米の南部諸州(たとえばテキサス)で造られた言葉というのが最もありうるところである」とかいう記述をどう信じろというんでしょ(事実そうであるとしても、だw)。バリーは何考えてるんだか。テキサス人ということで、カウボーイやテキサス起源というところに惹かれちゃったのかしら。

  普通の辞書に(まだ)載っていない言葉が載っているのは確かだけれど、これだけ遊びがすぎて、膨大になると、辞書としては眉に唾をつけないと使いづらいように思えるのでした。都会の孤独をまぎらすための読み物としてはいいのかしら。わかりません。なんかWEB の情報のありようの縮図みたいな気もする。にほんブログ村 英語ブログへ

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"Urban Dictionary" -Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Urban_dictionary>

HP のいまの見出し→ "Urban Dictionary, November 12: echo effect" <http://www.urbandictionary.com/>


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November 14 人が動物になるとき When a Man Becomes an Animal――イーハー、イーホー、イーハウ Yeeha, Yeehaw のつづきの2 [ことば Words]

November 14, 2008 (Friday)

  まだ、yeeha を引きずっている記事です。

October 25 イーハー、イーホー、イーフー、ヤーフー、イャッホー、ヒーホー、ヒーハー Yeeha, Yeehaw, Yeehoo, Yahoo, Heehaw, Heehaのつづきの

October 26 イーハーとヒーハー Yeeha and Heehaのつづきの

November 12 イーハー、イーホー、イーハウ Yeehawのつづきの

November 13 都会的辞典 Urban Dictionary ――イーハー、イーホー、イーハウ Yeeha, Yeehaw のつづき

のつづき。

    ピッカリ王子の今週の検索なぞなぞは 「キャンプ場にたくさんあるドアってなーんだ?」というもので、それはテントだろ、と検索するとダメで、おいおい、まさかアウトドアじゃないよな、というのがビンゴなのでした。アウトドアのドアってもともとドアじゃんか、シャレでもなんでもないよ、と不満をブーブー言った朝でした。が、昼寝をしながら冷静に考えてみると、「たくさんあるドア」の「ドア」がdoor だと考えることは勝手に意味を推測・限定しているのであって、純粋に音と文字で考えれば、問題ない、というかちゃんとなぞなぞとして問題になっている、ような気もしてきた。もっとも、解答ページでは「アウト扉」と解説(?)が添えられており、それは余分だ。それじゃあだめだ。

  このように(どのようにか)人は文字の並びを意味づけて(既知の意味に分節して)読んでしまう。文字の並びはだいたいは音からきている。だいたいは、どの言語でも音声言語があって、のちに文字が生じたり、よその言語から借りてきた文字を適用したりした。

  イーハー、ヒーハー問題にかかずらわりたくなったなかった最大の理由は、それが擬音語とか擬声語とかいうものだろうから、でした*。第一に、わしにはニワトリの鳴き声がコッカドゥードゥルドゥーとはどうしたって聞こえないし、熱いときにアウチ!と叫ぶこともないし、オーマイガッとかガッデムとは口が裂けても言えない。第二に、いまの最後の例Oh! My God!  Goddam(n)は、間投詞interjecion といっていいのだろうけれど、ここまでくると、既存の意味のある語を含んでいて、そうなると第一の音の感覚のみならず、意味の体系についても知らないとならない。三番目に、第一と第二の境が不分明。

  * ほんとにそうなのかはわからず。つぎの自分の記事でちょっと辞書を検討します。

  ここで勉強です。「擬声語」- Wikipedia ――

擬声語(ぎせいご)は擬音語と擬態語の総称で、英語:onomatopoeiaの訳語である。オノマトペ(仏 onomatopée)ともいう。擬声語を擬音語の一部とする文献もある。

擬声語は、金田一春彦による研究が知られているものの、言語学において長らく研究対象とはされてこなかった分野である。

日本が 模範とした欧米の言語学は実際的な使用面よりも抽象的な理論形成を主眼においたこと、そもそも擬声語は言語体系の中心を離れた周辺的なもの、要するにだらしなく子供っぽいものと見なされたことがその理由である。子供っぽいという点に関しては、擬声語が日常語や子供向けの本に多用されるが、学術論文などにはまず登場しないことから窺える。

音と意味が直結した言葉である擬声語の意味の違い(「おずおず」と「おどおど」の違いなど)を考えることは、日本語の言語感覚を磨くのに役立つとする見解もある。

   音と意味が直結というのはどういうことですかね。意味あるのかなあ。その意味ってなにかなあ。

   onomatopoeia (これって英語じゃなくてギリシア語じゃないのかしら)の日本語の訳語としてはいろいろあって 「擬声語」「物声模倣」「声喩法」「擬声法」「写音法」「声喩」だそうです(あくまで日本語版Wikipediaによる)。ウィキペディアの記事は、擬声語を擬音語と擬態語に二分します。「擬音語は物が発する音を字句で模倣したもの」――

例:

  • メーメー(羊)
  • ブーブー(豚)
  • ドキドキ(心臓の鼓動)
  • ガチャン(ガラスの割れる音)
  • ドカン(爆発音、衝撃音)

なお音声を発する主体が同一の場合であっても、言語が違えば表記も当然違うものになる。

例:犬が吠える声

  • 日本語・・・wan-wan(ワンワン)
  • 英語・・・bow-wow, bark-bark, woof-woof, arf-arf
  • ドイツ語・・・wau-wau
  • フランス語・・・ouaf
  • スペイン語・・・guau-guau
  • オランダ語・・・baruw-baruw
  • イタリア語・・・bau-bau
  • ノルウェー語・・・baggo-baggo
  • スウェーデン語・・・voff
  • フィンランド語・・・hau-hau 〔イカ略〕

  動物は物なのでしょうかw。「言語が違えば表記も当然違う」というのが文字が違うから、という主旨なのか、音そのものが違って捉えられるという意味なのか、よくわかりません。「擬音語が動詞化・一般名詞化する用例も多数存在する」例としてあがっている、「その鳥が発する鳴き声からカッコウ (en:cuckoo)」って、まさに英語も日本語も同じに見えるんすけど――「南アルプスを眺めながらのんびりお茶しませんか」。ちなみに、英語のWikipediaの "anomatopoeia" は、むしろ類似のものを並べているように見えるのが興味深いです――

Balloon bursting

  • In English, pop
  • In Spanish, pop
  • In Tagalog, pop
  • In Macedonian, pau (пау)
  • In Romanian, poc
  • In Turkish, bom

Clock

  • In Chinese, Mandarin dī dā (滴答) (which also means "the drop answers")
  • In Dutch, tik tak
  • In English Tick Tock
  • In French tic tac
  • In Hungarian, tik tak
  • In Indonesian, Tik Tok
  • In Macedonian, tik tak (тик так)
  • In Norwegian tikk takk
  • In Romanian, tic tac
  • In Spanish, tic tac
  • In Swedish, tick tack
  • In Turkish, tik tak
  • In Bulgarian, tik tak
  • In Tamil, tik tik
  • In Tagalog,tic tac tic tac
  • In Polish, tik tak tik tak

  もちろん違うものもたくさん例示しているのですけれど。 

  日本語のほうに戻って、もうひとつの種類が「擬声語」ですが、「状態や感情などの音を発しないものを字句で模倣するのは、日本語の特徴でもある。「たっぷり」「ちょうど」のように擬態語と一般語彙の中間的なものもある。これについては英語版にJapanese sound symbolism(日本語の音象徴)がある。」 と書かれています。

  さて、考えれば考えるほどドンづまる問題なのですが、 「音声を発する主体が同一である場合」、その音声を複数の言語の話者が、たとえば母語ではなくて、国際音声記号(IPA)――「あらゆる言語の音声を文字で表記すべく、国際音声学会が定めた記号」(Wikipedia)――みたいな共通の表記で書きとったら、同じものになるのでしょうか。もちろん音声記号自体は、通常の人の言語の音を弁別するためのものでしかない(1回1回の発音の個別差を必ずしもとらえようとするものではない)ですから、人の言葉から離れた音声を表記せよということに無理があるのは承知しています。けれども、既に辞書に入っている擬音、それはどうなのだろう。

  具体的に考えてみると、誰だって(とはいいきれんが)、カエルがケロケロと鳴いたりお寺の鐘がゴーンと鳴っているとは必ずしも思っていないかもしれません。 でもそれを人(日本人が)がそのまま発したらば、それはIPA で表記されてしまうでしょう、たぶん。では、人々は同じ鐘の音を聞いているのでしょうか。つまり、あこれは鐘の音だと了解する前の純粋な音として、つまり鐘の音だと了解する以前というだけでなく、既知のモノや意味にまったく関連づけないで――そういう、原初的な世界内存在のありようが可能だとして――人が聞いたとき、それは同じ音ではないかしら、と思われ。

  あと、ある種の人の叫び声は実は「意味」をもつといっても情動的なものでしかなくて、そうなると、それは動物の鳴き声に近いもので、だとすれば、それを聞く人の言語の違いによって違って聞こえるものかどうか。動物の鳴き声のようなものだけれども、それぞれの言語でしばしば特有の表記をしているように(ワンワンとバウバウとか)、同じ叫びも違う発声として聞こえてしまうのかどうか。

  イーハーと叫んでいるのにヒーハーと聞こえてしまうのかどうか。ヒーハーと叫んでいるのにイーハーと聞こえてしまうのかどうか。

  それでも、意識的に叫んでいる限りは動物になりきってはおらんのでしょう。だから、さらに悩ましい(笑)。みんな、裸になろうぜ、という気もさらさらないが。

  はい。それでは、動物の鳴き声特集の「シング」をどうぞ。1分間の短いものですが、いろいろと登場します。ロバは29秒から33秒くらいにかけて登場しヒーハー言っています――

 


" Sesame Street - Sing (sand art) " (1:00) posted by "sesamestreet66" on January 19, 2008

  それともこのhee haw 言っているのは人なのかしら。いやそもそも実はヒーハーなんて言っていないのかしら。
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November 14 動物の動作をね Animal Life――イーハー、イーホー、イーハウ Yeeha, Yeehaw のつづきの3 [ことば Words]

November 14, 2008 (Friday)

    今日のSFベイエリアは暑いです。夏の陽気です。モーリちゃんの小学校の母親面談があるので、ウチで待機していたのですが、モーリちゃんはどっかのうちへ呼ばれて遊びに行くと(モーリちゃんの母から)電話がありました。それで、ひとりで昼間からビールを飲んでいます。

  さて、さっきの

November 14 人が動物になるとき When a Man Becomes an Animal――イーハー、イーホー、イーハウ Yeeha, Yeehaw のつづきの2

 

 で、書きながら気になったので、すぐに書き入れたように、いったいyeehaw は擬声語なんだろうか、間投詞じゃないの、という疑問の声が澎湃〔ホウハイ―「水が激しく逆巻くさま」転じて「ものごとが勢いよく起こるさま」〕と身内に起こりました。ホウハイは漢語だから形容動詞で、つがるの「ホーハイ節」は囃子言葉(「一種のヨーデル技法が存在する」、とウィキペディア「ヨーデル」は言っておるが)だから擬声語で、ということになるのかしら。えーと、いちおう自分の典拠としてはオックスフォード英語大辞典 です。OEDは[ ] に入った語源欄のところで Imitative と記しています。よ―知らんけど、imitative は擬音か擬声をしめすのだろうなあと。

  ちなみに、Wiktionary は、English interjections というカテゴリーの中にyeehaとそのヴァリアントyeehaw を入れています。それは承知していました。日本語のウィキペディアの間投詞、と思ったら「感動詞」、の項目は、読んでも他のカテゴリーとの関係が書かれておらず。「感動、応答、呼びかけを表し、活用がなく、単独で文になり得る語」ということだと、yeehaw も Goddamもやっぱ間投詞、もとい感動詞ですかね。

日本語

感動
話し手の感動を表す。「ああ」「まあ」など。
呼びかけ
相手に呼びかける。「もしもし」「ちょっと」など。
応答
相手に応答する。「はい」「いいえ」「うん」など。
あいさつ
「おはよう」「こんにちは」「さようなら」など。
かけ声
「えい」「よいしょ」「それっ」など。

英語

  • ah(ああ)
  • aha(なるほど)
  • eh
  • er
  • gee
  • gosh
  • heh(ひっひっひ)
  • hmm(うーん)
  • huh
  • no(いいえ)
  • oh(おお)
  • uh
  • uh-huh(うん)
  • uh-uh(ううん)
  • well(えーと)
  • yeah
  • yes(はい)

  まじめに考えてみれば、品詞という概念と擬声語・擬音語、オノマトペイアというのはカテゴリーが違うわけでしょうね。そうだそうだ。そのとおり。

  ところで、動物の鳴き声は品詞に分類されるのかしら。やっぱ感動詞か。ウィクショナリーを見ると heehaw, hee-haw は同じく English interjections のなかに分類されていました(正確に言うと、同時に名詞 nouns にも分類されていますが)。感動した。

Interjection

hee-haw

  • IPA: /ˈhiː.hɔ̰̃ː/ (♪: ˉˍ)
  1. The cry of an ass or donkey.

   IPA 国際音声記号のあとの(  ) に入った♪は音の高低を示しているのですね。

  あれ? 何が問題だったのだろう。ハイ、問題は雲散霧消しました。OED もよく見たら、見出し語のあとに ,int. と書かれていました。どあっはっは。

  問題があるとすれば、動物の鳴き声は感動詞であるが(感動・呼びかけ・応答・あいさつ・かけ声のどれに相当するか、抑揚によるものか、あるいはより単純な感動か、あるいは人間と類推的な感動と考えること自体人間の思い上がりであるか、はともかく)、人がそれを記述すればそれはオノマトペとなるということですか。 それとも動物(人間以外の、という意味で)もオノマトペを発していると考えられるのだろうか。ま、定義問題にすぎないのかもしれないが、ちょっと気になる。

  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

  hee-haw は由緒あるロバの鳴き声(の擬声語)です。


 

    と、ここまで書いたところでモーリちゃんの母が帰って来ました(16時過ぎ)。そして、山火事だ、アルバニ山で煙があがっている、というのでした。マド、いや窓から山の方を見ると、確かに煙が(火は見えず)。「なんか鳴ってなかった」「あ、そういえばサイレンが。でも1台だけだった」「小学校のほうから見ると、はっきり・・・・・・」というようなことで、スワ、カメラをもって山へ、と思ったのですが、それでは馬になってしまう(なぞなぞかよ)、と思いなおし、窓からの写真だけ撮りました。たぶん頂上(というものがあるとして)近くではないかと思われ。「誰か通報しているよね」「電話したらお金とかもらえるの」「いや、お金はもらえないが、賞状はもらえるかも」「あなたは誰とかいろいろ聞かれるのがいやだわ」・・・・・・前に(「October 14 サンターナと悪魔の風 Santana and the Devil Wind [天気 weather]」)紹介したWEB情報ページNational Interagency Fire Center <http://www.nifc.gov/fire_info/nfn.htm>には夕方の時点で載っていませんでした。まあ既に鎮火だよな、そうじゃなきゃ避難勧告とか警報とか出るだろうし。ということで、パソコンはモーリちゃんに取られ、モーリちゃんの父は痛む鼻を我慢しながら(唐突ですが、2日前から腫れている)トンカツづくりに精を出し、早々に就寝したのですが、夜の10時のニュースでアルバニ山の火事を報道していたようです(母は見たが父は見ておらず)。朝からカリフォルニアのMontecitoの1マイル北東のTea の山火事のニュースはテレビで見ておったのですが、こんなに間近で起こるとは思いませんでした。Tea Fireとはぜんぜんまったくケタが違いますけれど。

    いま15日土曜日の朝6時ですが、異常に暑いです。

   ということで、まだ続きます。

 

   あ、BGM "Animal Life"

 

 

 

 

 

 


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November 15 アルバニ山火事 Albany Hill Caught Fire [アルバニ山 Albany Hill]

November 15, 2008 (Saturday)

    前の記事を中断してお伝えした(かどうかはわかりませんが)小さな山火事の続報です。

    ヤジ馬になる気はないのですが、あまりに近くのできごとなのと、書く人はあんまり・・・・・・あんまり・・・・・・おらんだろうから、書き留めておきます。

Albany Hill catches fire; no homes damaged



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November 15 注目キーワードとか――お米の国のお米だもの [ウェブ World Wide Web]

November 15, 2008 (Saturday)

  いやおうなしに毎日開いているSo-net のホームページ <http://www.so-net.ne.jp/>である。そのトップのトップに注目キーワードという欄があって、これまでそんなものにつられて人並みの注目に同調し、私という目を疑わない立場に身を置くようなまねはしなかったのだが(ええい、わかりにくい日本語じゃw)、ついわけわかめの言葉の連続に、ふらふらふら~と「ゆめぴかり」をクリックしてしまいました(ノムさんとカンガルーはわかる、海外版お札で折り紙というのは知っている)。

 

 

  ぴっかり王子関連かな、と思ったら違っておりました、おおいに。検索自体「ゆめぴりか + 米」になっています。

  しかし、念のため 「ゆめぴかり」を検索してみると、上育453をもとにしてつくられたコメとして「ゆめぴかり」というのも実際にあるのでしょうか。

  深まる謎。

    ここで米騒動に便乗してお米の国のお米の広告をば――

Kokuho_Rose_esharp.jpg

 

  いやあ、「お米の国のお米だもの」 という、だいぶ昔から繰り返しされているフレーズは、アメリカにいる日本人の頭にはオハチならぬオヒツのお米のようにコビリツイテいると思うのですが、知らない人は知らないだろうし、CM の映像があるかと探したのですが、見つからず。(ついでながら、モーリちゃんの父が15年くらい前の年末にサンフランシスコで見たテレビCMで鮮明に覚えているのは、Look ワールドの「いきたいところへルックワ~ルド、世界を見るのよ、ルックワ~ルド」の別ヴァージョンCMの連続連発です(たぶん4回とか5回とか)。あわせて10ヴァージョンぐらいビデオに撮ってあるのですけれど、それは遠い日本のどこかわからぬ場所。) あ、いえ以前にお米の話を書きながら、カッカソーヨー隔靴掻痒的なコミュニケーションの不安を覚えたもので。・・・・・・いま自分のブログを調べたら、タグが「お米」と「お米の国」と「お米の国のお米」に分割されておったことに気づきました。とりあえず、みんなにタグ/お米の国とつけておきます。お米の国のブログだもの。

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北海道米に新品種仲間入り 「ゆめぴりか」来秋店頭に

2008.10.11 09:23 MSN産経ニュース <http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/081011/sty0810110925002-n1.htm>

 

追記です。


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November 15 マクドナルドじいさんの農場の動物 Old MacDonald Had a Farm 王老先生有塊地 [ことば Words]

November 15, 2008 (Saturday)

    実はまだyeeha をひきずっていますが、昨日、このごろ尊敬しているpecoさんからのコメントを読んで、ヒーホーのほうに俄然関心が湧いたので、迂回します。

  このあいだのセサミ・ストリートの 「シング」の砂絵ヴァージョンのように、動物の鳴き声というのは子供の歌によく利用されるものです。で、昨日中断したところにつなげると、hee-haw というのは由緒あるロバの鳴き声として昔からあります。

  『オックスフォード英語大辞典』(OED) の記述だと、見出しは hee-haw で、 "A conventional representation of the bray of a jackass" が1番、2番目が "A loud unrefined laugh" (大きな、抑えの利かない笑い声)で、用例は19世紀前半からあがっています。発音は「ヒーホー」。つづりはほかに hiu haw, he-haw (また、he-hawn U.S.)。

  いわゆるマザーグースと称される英国童謡の、「マクドナルドじいさんは農場をもっていた Old MacDonald [McDonald] Had a Farm」、邦題は「ゆかいな牧場」というのだそうですが、タイトルにピンと来なくても、誰でも聞いたことがある歌だと思います。

  ひさしぶりに三宅先生に出てもらいますか。――

Old MacDonald Had a Farm, E-I-E-I-O
愉快な牧場

  〔三宅教授とみんなでえいごうた〕

  しかし、残念ながら、ロバまで歌詞が達しておらんのでした。

  三宅教授のとはちがう、そしてちがうタイプの日本語訳もついているサイト――

Old MacDonald had a farm, E I E I O 

〔マザーグースの遊び部屋〕

  クリックがめんどいかもしれませんので、 音と映像をだしましょうか。・・・・・・ううむ、みつからない。ロバまで入っていないヴァージョンでとりあえずかんべんしてください――


" KEMAS: old mcDonald had a farm " (2:47) posted by "COUNSELLOR2007" on November 12, 2007

早口で耳がついて行かないヴァージョン (2:28)

動物が前面にフィーチャーされているヴァージョン (2:42)

   見つかったらまた、ということで。

  ロバのところは、適当に訳すとこんな感じです。

Old MacDonald had a farm, E-I-E-I-O.
And on that farm he had a donkey, E-I-E-I-O.
With a hee-haw here and a hee-haw there.
Here a hee, there a haw, everywhere a hee-haw.

(マクドナルドじいさん農場もってた、イー・アイ・イー・アイ・オー
そして農場でロバを飼ってた、イー・アイ・イー・アイ・オー
こっちでヒーホー、そっちでヒーホー  ここヒー、そこホー、どこでもヒーホー )

  ところで、三宅教授は次のような注釈を与えています。――

 イギリスの古典童謡のひとつで、起源は18世紀初めまでさかのぼれそうです。当然多くのヴァージョンがあり、動物の種類ではなく、次々に身体の部分が出てくるものもありますし、新しい動物が登場するたびに、すでに出たものを重ねてゆく歌詞もあります。
 日本では「ゆかいな牧場」としてよく知られていますね。特長は何と言ってもいろんな動物の鳴き声でしょう。ここにはヒヨコ、アヒル、七面鳥、ブタ、め 牛、犬、馬の7種類が出ていますが、もちろんこれ以外にも、ヒツジ、ヤギ、猫、などいくらでも増やして行けます。日本語では、ヒヨコはピヨピヨ、アヒルは ガーガー、ブタがブーブー、牛はモーモーとなるところですが、下の訳ではわざと英語音に近い表記にしてみました。私事ですが、初めて英語を習い始めた頃、 英語で犬の鳴き声はbow-wowというんだと聞いて、本当にアメリカの犬は「バウワウ」と鳴くんですか、と尋ねた同級生がいたのを思い出しました。しかし、英米人の中にはbow-wowを 犬の声そっくりに真似る人がいますね。日本で犬といえば「ワンワン」に決まっていますが、本物の犬の鳴き声は決してそうではありません。七面鳥の「ゴブル ゴブル」、ブタの「ホィンクホィンク」にしても、英米人が発音すると、人にもよりますが、本当にその鳴き声によく似ていますよ。オンドリの鳴き声は、cock-a-doodle-doo「コッカ・ドゥー・ドゥル・ドゥー」ですが、本当にそっくりに真似る人に会ったことがありますよ。

  第一に、いまきちんといずれが正しいかを調べる気力がありませんが、日本語のウィキペディアは個別の項目として立てていないようですけれども、他の複数の記事内ではアメリカ民謡としているようです ――「ゆかいな牧場」 <http://ja.wikipedia.org/wiki/Special:Search?search=%E3%82%86%E3%81%8B%E3%81%84%E3%81%AA%E7%89%A7%E5%A0%B4&sourceid=Mozilla-search>

  第二に、 これは(人間が)「コケコッコー」といおうが"cock-a-doodle-do"といおうが、あるいは「ワンワン」だろうが "bow-wow" だろうが、動物そっくりに真似る人はいるということのような気がするのですけれど、どういうことになるのでしょう。

  どうも、あのねのねが頭に浮かんでしょうがないのですが、なぜでしょう。

  大阪ではラップといっしょになって流行っておるのですか? なんか動物以上に理解不能――


" 大阪うまいもんの歌:猫夜叉&だんじり " (3:39) posted by "taieijiro" on October 2, 2008

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"Old McDonald Had a Farm" - Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/Old_mcdonald_had_a_farm>  これには、各国語の訳が一部のっており、、日本語のヴァージョンは、ジェリー藤尾かと思ったら、つぎのような歌詞が引かれていました――

いちろうさんの 牧場で イーアイ イーアイ オー
おや ないてるのは ひよこ イーアイ イーアイ オー
あら チッチッチッ ほら チッチッチッ あっちもこっちも どこでもチッチッ チッチッチッ ほら チッチッチッ あっちもこっちも どこでもチッチッ
いちろうさんの 牧場で イーアイ イーアイ オー

調べてみると小林幹治というひとのむかしの訳詞のようです。

  中国では「王老先生有塊地」だそうですが、いちろうさんというと牧場というより道場という感じ(お笑い漫画道場の富永一郎先生)。

「ゆかいな牧場」歌詞とメロディー⇒

<http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html>

なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・歌謡・寮歌・民謡  〔このページはJASRACの承認を受けており、たいへん便利なサイトだと思います。「おおスザンナ」で出会ったのはここでした。〕

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November 17 〔私的メモ〕ねこにゃん――人間がネコになるとき [メモ personal notes]

November 17, 2008 (Monday)

    以下、まったくの私的メモ。

  マクドナルドのじいさんの農場の歌〔「November 15 マクドナルドじいさんの農場の動物 Old MacDonald Had a Farm 王老先生有塊地」〕でなぜあのねのねが頭に浮かんでいたのかがわかった。

あのねのね 「ネコ・ニャンニャンニャン」(1979.2.25)  作詞:犀泪弾/作曲:鹿王院嵐山/編曲:国伸まこと 〔「あのねのね」- Wikipedia

    ほぼ前後して細川(下の名前が思い出せなかったが、ふみえ)さんが歌っていた歌も頭をめぐったが、それがわかった。

細川ふみえ 「にこにこにゃんにゃん」(1993年2月25日)  作詞・作曲:石野卓球 / 編曲:朝本浩文 〔「細川ふみえ」 - Wikipedia

  これは動画が見つかった。

「にこにこにゃんにゃん 細川ふみえ」 (1:45) 〔歌詞字幕付きだけど短い〕

「細川ふみえ- にこにこにゃんにゃん」 (3:54) 〔なぜか長いpv〕

  それから、ぜんぜん知らなかったのだけれど、2004年にデビューしたハレンチ☆パンチ(のち2007年3月に「80★PAN!」、2008年に4月に「80_pan」と改名)の4枚目のシングルに、次の曲があった。

ハレンチ☆パンチ 「ねこにゃんダンス (アニメ『ちょこっとSister』エンディングテーマ)」 (2006年4月19日)「80_pan」 - Wikipedia: 「ちょこッと」が正しいようですが〕 作詞:井出安軌 作曲:西田マサラ 編曲:鈴木Daichi秀行 〔「ちょこッとSister」 - Wikipedia により補足〕

  これは動画から見つけた。

「Harenchi Punch - Neko Nyan Dance PV - ハレンチ☆パンチ - ねこにゃんダンス PV」 (1:35)

    ウィキペディアの「ちょこッとSister」は、冒頭に「この記事には『独自研究』に基づいた記述が含まれているおそれがあります。
これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だけではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してくださいテンプレート)。」という、ときどき見かける注意が付いている記事だが、「略称はちょこシス(またはちょこSis)。よく『ちょことSister』と誤表記されるが、正しくは『ちょことSister』。」とていねいに記してある。白泉社の『ヤングアニマル』(白泉社って少女マンガのイメジしかなかったけれど、これは青年漫画誌なのね)に2003年から07年まで連載の漫画で、2006年にはテレビアニメになったそうだ。記事内には「ねこにゃんダンス」という項目がある。――

原作

原作4巻より初出したダンスで、朝のニュース番組の1コーナーとして放送されており、子供たちの間では大人気となっているダンスとちょこが説明して いる。5人以上でダンスを踊ったビデオを放送局に送り、当選すれば小田原絵里子〔このキャラ、「オダエリ」は、朝のニュース番組で子供たちと一緒に「ねこにゃんダンス」を踊る新人アイドルだそうだ〕と共に踊ることが出来る。ちょこたちつばき荘の面々は落選したが、オダエリ がちょことプライベートで一緒に踊ってくれた。

アニメ

アニメでは14話より登場。19話にてちょこはオダエリと一緒にダンスをしたが、オダエリの衣装は原作と違い私服だった。またそれとは別に、アニメでは第1話より、ハレンチ☆パンチの「ねこにゃんダンス」がエンディングテーマとして使われている。〔以下略〕

  あなーるほど。 ちょこ というのは女の子の名前。推定練馬近辺のつばき荘というアパートで一人暮らしをしていた大学生の川越はるま(男の子)が、クリスマスの朝に、突然あらわれたサンタのお姉さんからクリスマスプレゼントに大きな袋を渡される。中を開けると女の子がでてくる。はるまが子供のころに、生まれてくるはずだった妹を流産で失なってしまい、そのときにサンタにお願いした妹だった。そして兄が自らちょこと名付けた、という設定らしい(ちょこはねーだろ、と思うが(わからないことがあるとすぐアンチョコを見るのでちょことはるまが名づけたそうな・・・・あんちょくw)。

  あと、ついでに「危険。英語学習者は、聞かない方がいいです。」と投稿者(オーストラリア在)のkoboronokovさんが書いている「恋のマヒアヒ ねこねこ空耳」というのも後学のために見聞してみた。――

 

   英語じゃなくてルーマニア語なのに、という突っ込みのコメントに対して、あれこれ代わりに論駁するほどひまではないが、空耳というと馬の耳に念仏を思い出すのは、幻覚だろうか。恋のマイアヒ。マイアヒーホー言っているように聞こえるのは幻聴だろうか。

  これはネコが人間になっているのか・・・・・・。考えてみれば、結局のところ童話とか寓話では人間が動物になっているのではなくて動物が人間になっているということも言えるのだろうか(考えが飛躍しすぎ)。ま、場合場合だな。諷刺文学とかだと二重性が強そう。


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November 17 マイアへ~ [歌・詩]

November 17, 2008 (Monday)

    なんでいまごろマイアヒなんだ、3年遅い、と言われれば、第一に、アメリカでラッパーのT. I. が女性歌手のRihanna の応援とともに「恋のマイアヒ」を入れた "Live Your Life" (邦題は「マイアヒ・ライフ」というらしい- Wikipedia)という曲を今年2008年に発表し、そのビデオ(T. I. feat. Rihanna, Live Your Life)が出たのは最近の話で、さらにオバマが大統領に決まったら、この曲でパロディーがつくられて("Obama Wins song (T.I. - Live Your Life SPOOF)" (2:50) posted by "asathecomic")、百万hit を超えたり、とアメリカでは空耳ではなくて聞こえている曲であるのが一つ(もちろん、これは後知恵です)、第二に、個人的な関心で、複数の言語をまたがって擬声や擬音はどのように捉えられるか、というyeehaw / heehaw 問題の延長です。

   ところで、この歌についてはウィキペディアの日本語の記事「恋のマイアヒ」英語の記事 "Dragostea din tei" を読むと、ヒットの経緯からその後の各種ヴァージョン、また各国での反応などについていささか錯綜するたくさんの知識をえることができます。モルドバ共和国出身の男性3人のO-Zoneというグループが、ルーマニアでは数十年ぶりのヒットとなった2002年の "Despre Tine"に続いて〔裏を取ろうと後から調べたら、"Despre Tine" という曲はマイアヒにつづく2004年の3枚目のシングルのようで・・・・・・〕 2003年春に発表した。2003年秋にイタリアのダンスミュージック会社の社長がある日ルーマニア人運転手が聞いていた曲を耳にして、自社に所属する元ミス・ブカレストの女性歌手Haiducii (本名Paula Mitrache, 1977生まれ HP)に歌わせてイタリアで大ヒットを記録("Haiducii - Dragostea din tei" (2:29))。日本版ウィキペディアによると、ルーマニア以外でははじめはこのハイドゥッチ版のほうでヨーロッパでは広く知られたが、2004年になるとオゾンのオリジナルが認知されて各国で1位に、そして12月にはアメリカのGary Brolsmaがこの曲にあわせて踊るダンスを公開、Numa Numa Danceとして流行する。日本では2004年10月ごろ、空耳Flashムービーが話題になると同時にヒット、スマスマ『SMAP×SMAP』のコーナーでパラパラのテーマ曲として使われてさらに広く知られた。日本では2005年3月に国内版「恋のマイアヒ 」(AVCD-17626)を発売(ZIP-FMによる邦題は「恋の呪文はマイヤヒ・マイヤフ」だった)。しかし2005年1月に解散を発表。リーダーのDan Bălan は前年、ひとりアメリカに渡り、英語版"Ma Ya Hi" (日本語版ウィキペディア記事 「O-Zone」は "MA-YA-HEE Song" としているが、どうもそれではヒットしない)を制作したことで対立し、口論の末に決裂したらしいが、解散は回避して、7月には来日し、ミュージック・ステーションやスマスマに出演。

  さて、記事「O-Zone」のほうがあれこれ突っ込んで書いているが、 「日本におけるO-Zoneの扱われ方」の項の後半を引用します――

なお、日本版『DiscO-ZONE』[ママ]の曲名のカタカナ表記にはかなり間違いが多い。例えば、3曲目の「De ce Plang Chitarele?」は「デ・セ・プラン・チタレーレ」と表記されているが、実際の発音は「デ・チェ・プレン(グ)・キタレーレ」にずっと近い。

そして、歌詞カードに記されている1曲目の「Dragostea Din Tei」の歌詞は、実はUS盤DiscO-ZONEのボーナストラックであるMa Ya Hee(Dragostea Din TeiのEnglish.ver)の歌詞なのである。このEnglish.verの内容はルーマニア語で歌われているオリジナルの歌詞とはまったく異なるものである上、O-Zone解散の直接的原因と言われる曲のものであるため大きな問題となっている。

エイベックスは、あくまでも「Nu Mă,Nu Mă Iei」に意味がないように思わせたり(実際は「僕を、僕を連れて行ってはくれない」という意味がしっかり存在している)、「恋のマイアヒ」を英語に訳すと"Words of love"になるようにしたいらしい。
このことや日本ではO-Zoneの本来の姿がほとんどマスメディアによって語られていないことから日本で純粋にO-Zoneを愛しているファン達からはこうしたavexの売り出し方に批判的な意見が多数噴出している。

それもあってこれらのファン達はルーマニアの公式サイトなどから情報を集めて立派なファンサイトを作り上げるまでに至った。

なお、2007年6月1日放送の探偵!ナイトスクープでは再び彼らのマイアヒとは別の空耳ソングが取り上げられていた。

 

  最後の1行は何を言っているのか不明(微笑)。 その英語版というのはこれだと思われます――


" Ma Ya Hi (english) " (3:35) posted by "Firekitten21" on July 28, 2007

  いま、アマゾンで確認したら、アメリカ版は確かに12曲目が"Ma Ya Hi" となっているけれど(たぶん、だけれど、レヴューでもそうなっているからまちがいないでしょう、あと "Ma Ya Hi - English Lyrics"というアメリカのGregさんのブログ記事 [Generic Confusion: 2005.3.14] も、"Nu ma Nu ma" の入った英語ヴァージョンを指摘しながらも、このタイトルだし――"Amazon.com: Discozone: The O[-] Zone"。 でも日本のアマゾンのこのアルバムの情報を見ると、なぜか "12. Mai Ai Hee - (bonus track, with Dan Balan, featuring Lucas Prata) " となってる。やれやれ。

   頭が痛くなってきそうです。とりあえず、歌詞の全体を検討する気持ちなどさらさらなく、ただ、アメリカで、少なくとも当初「マイアヒ」 という音以上に訴えた「ヌマヌマ」のほうは、意味がある言葉であるということを確認し、では「マイアヒ」のほうは意味はないということでよろしいのでしょうかね。

  早い時期につくられたと思われる、「Dragonstea Din Tei - Lyric & Listen 日本語訳+読み付き」 <http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/Dragostea_Din_Tei-Lyric.html> という、『不可思議音楽 <Fukashigi Music>』 <http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/> 内のページには、日本語読みと日本語訳、そして原詞、英訳、仏訳、のみならず、スペイン、ポーランド、アラビア語の訳詞、さらに上記の英語版のDan とLucas Prata のかけあいの歌詞も載っていて、参考になりますが、ただ気になるのは原詞も訳詞もいずれも最初の部分は"Ma-I-A Hi, Ma-I-A Hu / Ma-I-A Ho, Ma-I-A Ha-Ha" と同一に記されているところです。

  ちなみに"Romania - Dragostea Din Tei - Miya Hee - Numa Numa - Lyrics in Romanian and English" <http://www.catteacorner.com/dragosteadintei.htm>という、表記だけ見ると怪しげなページは、冒頭で "The Miya Hee Song! The Numa Numa Song!" とうたっているものの、それは英語での通称ということでそう表記しているのであり、本文は明らかにルーマニア語と英語の双方に通じている、たぶんルーマニアの人の、ていねいなものだとわかる内容です。そこでは、冒頭は、

Ma-ia-hii
Ma-ia-huu
Ma-ia-hoo
Ma-ia-haha

となっており、英訳(英語版の歌詞ではなくて翻訳だと注記されている)は

Miya-hee
Miya-hoo
Miya-ho
Miya-haha
[These are just sounds.]

と書かれている。ヌマ・ヌマ・イエイのところはきちんと英語(not take me みたいな)に置きかえられています。

  さて、この冒頭部分の英語は、音声体系が違う言語のあいだで、擬声・擬音的なコトバをどういうふうに近い音として移すか、ということにかかわるわけです、もちろん。そして、結局、並べてみてもモーリちゃんの父の頭からはなんのおもしろいことも出てこないのでした。まあ、1行目と3行目で hee と ho、こっちでhee、そっちでho、くらいしか。しかし、音に過ぎない(just sounds) という記述は、他のページでも見られるにもかかわらず、いや、そうではない、という説があることで、俄然当初の思惑とは別方向へ「調べ」は展開することになるのでした(←しゃれのつもり)。

  疲れたので続きます。

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November 18 リンデンの木から、またはマイアヒー――メイポールを巡って (3) Doragostea din Tea, or Maiahii: About the Maypole (3)

 


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