March 27 2009年3月27日のアルバニ(カリフォルニア)の空と紅焼鰻丼と焼豚、そしてスナッパーのムニエル [天気 weather]
March 27, 2009 (Friday)
この日でモーリちゃんは小学校の通学をやめる。もうひとり先に日本に帰る女の子がいて、一緒にお別れの挨拶をすることにしたのでした。ほんとうはぎりぎりまで通ったら6日か7日までということになるのですが。
それで、午後までは一人だったので、夏ごろに買って、食べないまま放置されていたウナギの缶詰を昼に食べることにした。ちょっと怖かったのだが。99 Ranch Market で若い女の人がいくつも買っているのを見てついフラフラ~と買ってしまい、ずっと隠しておいたのでした。何言われるかわからんし。
なんか骨がついてるようで。でも缶詰だからやらかくなってるみたいな。
ウナギというより干したタラみたいな食感でした。甘草的に甘い。山椒などないので、七味唐辛子をかけたら、けっこう合いました。
そして夕方。スナッパーの残りの2枚を料理することにして、ひとつはパセリガーリックという、なんというか出来合いの調味料コンビ(Lemon Pepper とかトレーダージョーズにも売っています)を99セントショップで買ったものを使って味付けしてみた。
それからたぶんアメリカで最後だろうな、としみじみしつつ焼き豚さんをつくりました。
焼くだけで中まで火を通すのはなかなかたいへんです。
ちょっとフライングでした。われながら無茶な写真だと思います。
結局煮豚にすることにしました。
北のほう。
月の上の白い点は次の写真の飛行物体ではないかと思われ。
夕焼けとシスコムーン。
March 31 ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウド(1) William Sharp and Fiona Macleod (1) [本・読み物 reading books]
March 31, 2009 (Tuesday)
いまの時期に (1) とか記事につけて書いていいんだろうか、という自問の声がなくはないのだが、書いてみます。
去年の秋くらいにバラバラに買った本。いちばん下のはウィリアム・シャープの奥さんのエリザベスによる伝記、まんなかはウィリアム・シャープにフィオナ・マクラウドという女性人格が現われだす直前くらいの時期の著作集、上は戦後のFlavia Alaya の研究書(フィオナはイングランド文壇で成功したウィリアム・シャープが抑圧したスコットランド的なるものの回帰だというような考えのようです)。
Elizabeth A. Sharp. William Sharp (Fiona Macleod): A Memoir. New York: Duffield, 1910. 433pp.
William Sharp. Vistas, The Gypsy Christ and Other Prose Imaginings. New York: Duffield, 1912. 484pp.
Flavia Alaya. William Sharp―"Fiona Macleod," 1855-1905. Cambridge: Harvard University Press, 1970. 261pp.
フィオナ・マクラウドという女性名義の短篇は、戦前には松村みね子の訳があり、戦後は荒俣宏が訳しています。けれども、日本人でウィリアム・シャープととフィオナ・マクラウドの名を知る経路としては、女性作家の尾崎翠を介してである人が多かったのではなかったかと思われます。とくに「こほろぎ嬢」。
かくて、静かな葬列は、いろんな思ひをのせ、着くべきところへ向つて流れたのである。けれど人々は、ふいおな・まくろおどの居場所について皆思ひ誤ってゐた。嬢はいま、人に知られぬ処、ゐりあむ・しやあぷの骸のなかに、肉身を備へない今一人の死者として横はり、人知れぬ葬送を受けてゐたのである。ふいおな・まくろおどは、まつたく幻の女詩人であつた。詩人しやあぷの分心によって作られた肉体のない女詩人。それゆえ嬢は、よき人しやあぷとともに地上から消えた。けれど生世のうち、二人の艶書のやりとりは、それは間ちがひのない事実であつた。分心詩人ゐりあむ・しやあぷの心が男のときはしやあぷのペンを取ってよき人まくろおどへの艶書をかき、詩人の心が一人の女となったとき、まくろおどのペンを取つてよき人しやあぷへ艶書したのである。かかるやりとりについては、今後時を経て、「どつぺるげんげる」など難かしい呼名のもとにしやあぷの魂をあばく心理医者も現はれるであらう。また、ふとして、東洋の屋根部屋に住む一人の儚い女詩人が、彼女の儚い詩境のために、異国、水晶の女詩人を、粗末なペンにかけぬとも言へないのである。心理医者、そして詩人。何といふ冒涜人種であらう。いつの世にも、彼等は、えろすとみゆうずの神の領土に、まいなすのみを加へる者どもである。彼等が動けば動くだけ、ゐりあむ・しやあぷの住んでゐたみすてりの世界は崩されるであらう。
尾崎は二重人格・ダブル、それと両性具有に関心を強くもつわけですが、尾崎翠のことばでいうと「分心」の典型的な、それも作家として、ウィリアム・シャープという人がいたわけです。尾崎の書き方だと「ゐりあむ・しやあぷ氏&ふいおな・まくろおど嬢」。フィオナというのは典型的なゲール語で、white とか fair の意味。Macleod の発音は「マクラウド」が正しく、マックというのはゲール語で誰誰の息子 son みたいな意味ですから、ファーストネームとしては男子名ですけれど、ファミリー・ネームとしてもあります。
はじめてFiona Macleod 名で Pharais を出版した1893年の手紙のなかに見つかる一節――
This rapt sense of oneness with nature, this cosmic ecstasy and elation, this wayfaring along the extreme verges of the common world, all this is so wrought up with the romance of life that I could not bring myself to expression by my outer self, insistent and tyrannical as that need is. . . . My truest self, the self who is below all other selves, and my most intimate life and joys and sufferings, thoughts, emotions and dreams, must find expression, yet I cannot save in this hidden way. (Elizabeth Sharp, 227)
(この自然との歓喜にみちた一体感、この宇宙的なエクスタシーと高揚感、この、日常世界の境涯を歩み行くこと、これらはすべて、私の外的自己によっては表現できない生のロマンスによってつくられています。表現の要求は執拗で強制力があるのですが。……私の最も真実の自己、他のすべての自己の下にある自己は、そして私の最も大切な生と喜びと苦しみ、思い、感情と夢は、ぜひとも表現を求めねばなりません。が、この隠れたやりかたでしかできないのです。 save=except〕)
"Should the secret be found out, Fiona dies." (秘密が見つかったらフィオナは死んでしまう) と何度も言っていたと夫人は回想しています。
その年の暮れにウィリアム・シャープが書き記したことば――
I am tempted to believe I am half a woman, and so far saved as I am by the hazard of chance from what a woman can be made to suffer if one let the light of the common day illuminate the avenues and vistas of her heart. . . .
(228)
注意しなければならないのは、シャープ自身が語っている見解が真実かどうかはわからない、ということです――もっとも、引用したものだけでもブレているように見えますけれど。
奥さんの見るところでは、フィオナが高次の自己というのでもなかったようです。両者とも啓示を待つ存在であった。ぶっちゃけていうと、両性具有的な存在というのでもなく、むしろ自己の分離、人格の乖離に苦しむ人でした。いまふうにいうと「解離性同一性障害」と呼ばれるだろうもの。それでも、興味深いのは、シャープがかなり以前からトランスに落ちる人間だったことで、その神秘体験の記述はたいへんおもしろい。
I remember from early days how he would speak of the momentary curious "dazzle in the brain" which preceded the falling away of all material things and preluded some inner visions of Great Beauty, or Great Presences, or of some symbolic import―that would pass as rapidly as it came. I have been beside him when he has been in trance and I have felt the room throb with heightened vibration. I regret now that I never wrote down such experiences at the time. They were not infrequent, and formed a definite feature in our life. (425)
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尾崎翠フォーラム <http://www.osaki-midori.gr.jp/index.htm>
The Letters of William Sharp "Fiona Macleod" <http://ies.sas.ac.uk/cmps/Projects/Sharp/contents.htm> 〔The William Sharp "Fiona Macleod" Archive Edited by William F. Halloran, University of Wisconsin, Milwaukee Sponsored by the Institute of English Studies〕
April 1 戻らない時間――カリフォルニア時間の終わりに (1) エイプリル・フール的予行的 [カリフォルニア時間の終わり]
April 01, 2009 (Wednesday)
いまカリフォルニアは2009年4月1日午前6時30分をまわったところです。日本も四月馬鹿の日だし、ウソと真実がまざりあう記念日に別れの挨拶の予行をしておこうかと。それ――あいさつがではなくて、それを何度も演じること――はたいへん下品なことに思えるのですが、下品こそ、日常の上品さを崩してブログで自分が求めた人格の展開ではなかったか(w)。それにいつ消えるかわかりませんし。
In Front of a Shop on San Pablo Avenue, Berkeley, California, February 13, 2009, 8:58am
この写真を撮ったのは2月13日の午前8時58分で、東京魚店が開く前です。Tokyo Fish Market 界隈の、ビンゴ会場のそばのオフィスだか店舗だかわからない間口の狭い建物のウィンドウが、朝日の熱でガラスが少し曇り気味になったところに「時計」は置かれていました。
"WILL RETURN" 「~時に戻ります」
けれども、もはや、戻らない時間を示しているように思われ。
戻らない時間。カリフォルニア時間。
わっ。くっさ~。
去年の4月6日にサンフランシスコに到着して、4月23日に始めたブログでした。夏に「カリフォルニアから2009年4月まで1年間だけ書くブログ」と書いた、その1年の終わりが、どういうふうに勘定しても迫っています。あと1週間でこのアルバニの住まいも出ます。もうすぐカリフォルニア時間は過去のものとならざるを得ない。いや、書き留めている(のが見られている)のは既にすべて過去のコトバなのかもしれないのですけれど。
今までお読みくださったみなさん、そして読んでくださっているあなた、読んでくれるかもしれないずっと未来のかた、ありがとうございますありがとうございました。
みたいな。
April 2 歌詞と記憶についてのメモ [歌・詩]
April 02, 2009 (Thursday)
このあいだ、「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感」という大仰なタイトルの記事で書いたことのつづきで、踏み固めのふたつめです。今回のはかなり俗っぽく、そして個人的なのですけれど。
具体的な例を話します。このあいだ13日の金曜日のフライデーのフライの日に「March 13 2009年3月13日の金曜日のフライとアルバニ(カリフォルニア)の夕方の空」でふれた泰葉の「フライデイ・チャイナタウン」(1981年)。「フライディ・チャイナタウン」とディのィが小さいのが正しいのかもしれませんが、それはともかく、歌詞はタイトルを中にはらんで始まります―― 「It's So FLY-DAY FLY-DAY CHINA TOWN 真夜中の人ごみに It's So FLY-DAY FLY-DAY CHINA TOWN はじけるネオンサイン」。情報としては、「It's So FLY-DAY FLY-DAY CHINA TOWN 」と、歌の現実(時間・空間)ががとっても「フライデー」のチャイナタウンだということと、その繰り返しによってブツ切れにされた「真夜中の人ごみに・・・・・・はじけるネオンサイン」というより細かい描写です。しかしここでL-R問題がでるとはw。よっぽど耳がよくてかつ"Fly-day" というわけわかめの言葉を自然にインプットした人はどれだけいたのでしょうか? あんまり英語ふうに発音しているように聞こえないのですが。もっとも、Friday is the Fly Day. 的なノリは、日本では意外と以前からあったみたいなのですけれど(あからさまに日本人的な語呂合わせだけれど)。特にFMラジオはお好きなようで、「FLY!DAY TRIPPER〜FROM SKY GATE〜」(BayFM)とか「Fly-Day Wonder3」(fmnagasaki)とか「WEEKEND FLY! DAY」(広島エフエム)とか。なるほどね。もはや日本語ですね。
そうなると "So" が不自然だと英語文法を考えてもあまり意味はなくて、いや、"Fly-day" は"China Town" を形容詞的に修飾しているのだから、副詞のso でOKなのでした。
イッツ・ソー・フライ・ディ・フライ・ディ・チャイナ・タウン
しかし・・・・・・耳で聞いてわかるんでしょか。
その次の歌詞は「肩にぶつかるジンガイ ウインクを投げる」です。ジンガイは外人です。まるでわざとあっさり聞き取れないように崩している歌詞です。今回まじで歌詞を眺めたのですが「ジャスミンに接吻を」してなんで「私も異国人ね」というくりかえしが出てくるのかよくわかりませんでした。踊り疲れたディスコの帰り(かなんか知らんが)通りを歩くとジンガイがウィンクをしてくるが、彼は知らない顔をするので戸惑う。けれど、朝まで港を見ながら酒を飲んで遊ぶわ。私もチャイナタウンではストレンジャーよ。というような歌のようなのですが。
いらぬ説明が長くなりました。例の2。チャイナつながりで鹿取洋子の「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」(1980年)。「港の灯りキラキラ夢みたいにきれい」「そっと私をつねって好きになった人」。えーと、「私をつねって(そして)好きになった」のだとずっと思っていたのは私だけ? 私だけ~? いや、そりゃあ、考えてみれば、なんで、つねって好きになるのかはよくわからんのですけれど。「わ~夢みたい! ねえ、わたしをつねって、つねってみて~♪」というような女子をイメージできなかった若いころのインプットを引きずったままだったということなのでしょうか。
例の3。えらくマイナーで古い歌で「雨に咲く花」。「儘(ママ)になるならいま一度 一目だけでも逢いたいの」を「ママになるなら」としばらく思っていた。この歌は1960年にロカビリー歌手の井上ひろしが歌ってヒットしてリバイバル・ブームを生みだすのだが、もとは1935年の関種子の歌でした。
そして帰国前に書こうと思っている、Reimy の「愛にDESPERATE」 (1984年)のしめくくりの一言。「あなただけしか救えない」。これの主語を「私」だと思っていました。
あー。なんか笑いのない話でした(笑)。
要するに歌詞を吟味などしないで――それももしかするとイイナと思うココロに残るフレーズがあるにもかかわらずです――人は歌謡曲を受容しているのではないかということです。仮にカラオケで歌う歌でもナカミはあんまりわかっていなかったりするのではないか。たとえソラで全曲歌えたとしてもその記憶はポー的にいうと「看取」というのからほど遠いのではないか。
カリフォルニア時間2日9時40分追記
もうちょっと書いておきます。音楽を聴くときに、耳に入ってくる歌詞を熱心に頭は注意していないのではないか、ということです。なんとなくこのあいだから気になっている歌を例に出すと、Kとブルンネン(誰やねん、ってヒデとロザンナみたいなデュオです)が1970年に歌って、その後、南沙織、朝倉理恵(1973年)、その後さらに80年代に柏原芳恵がカバーした「あの場所から」という一見というか一聴しみじみした歌があります。冒頭の、誰が歌っても「遊ぶハートをふたりで見てた」に聞こえるフレーズは別に聞き違いの対象ではないです。内容のほうです。Kとブルンネンだと「若いふぅたりからだとからだ」と男のほうが歌って、続けて「求めぇあってぇ生きたぁ」と二人で歌う、その歌詞です。体と体、求めあって生きた、だぜ。すごい歌詞です。ではないで唱歌。それでも、どれもあっさりと聞き流されてしまう。あるいは若い女性が平気で歌う。というか、だからこそかどうか、あっさりと細い声で歌われる。これはどういうことなのでしょう。a) 歌の内容と歌う主体は無関係、だってパフォーマンスだから、仮に感情移入しても恥ずかしくはない。 b) あんまり歌詞は聴く側にも歌う側にも看取されていない。 c) 70年代はそういう歌詞の時代だった。 d) 歌詞と曲には必然的な結びつきがない場合も多くて(いやもしかしたらなくって)、半分以上は曲のほうで脳に受容される(うわ適当)。コトバは断片的に曲にくっついてイメージ化されて雰囲気をつくればよい。
カリフォルニア時間4月5日朝8時追記
「April 4 主体の惑乱、または愛の絶望 Confusion of the Subject, or Desperate for Love」を読んでいただけるとギザうれしおす。
March 28 2009年3月28日のアルバニ(カリフォルニア)の空 付フライパンの周縁の終焉 [天気 weather]
March 28, 2009 (Saturday)
朝5時45分の気温は22.0度(湿度55%)、外のベランダは13.5℃。8時に22.0度(56%)で13.1度。14時に24.2度(56%)で18.5度、快晴。16時に内26.1度(52%)、外19.8度、窓を開ける。17時に内24.8度(45%)、外19.9度。18時、内23.4度(46%)、外19.2度(窓を閉める)。18時44分、内24.8度(47%)、外19.5度。19時52分に内25.7度(45%)、外18.0度。22時15分、内25.2度(51%)、外15.6度。
3月の下旬から晴れた日が続いている。このままほとんど雨は降らずに夏になっていくのだろう、と思う。
この日のサンフランシスコあたりの日の出は7時0分ごろ、日没は19時29分ごろ。
2009年3月28日(土)19時49分42秒のゴールデンゲートブリッジ
もうすぐ夜8時になっても明るい季節になるのでしょう。
April 4 主体の惑乱、または愛の絶望――麗美の「愛にDESPERATE」 Confusion of the Subject, or Desperate for Love [歌・詩]
April 04, 2009 (Saturday)
If I place love above everything, it is because for me
it is the most desperate,
the most despairing state of affairs imaginable.
―Andre Breton
シュルレアリスムのアンドレ・ブルトンからの引用は、愛が人間関係において、想像しうる最もdesperate で despairing (desperant) な関係だという主旨ですが、 とりあえず英語に引きよせて考えると、desperate は多義的で、「悪い状況にあってその状況を変えるためなら何でもやる、危険は顧みない」、というような意味と、desperate for とかというつながりだと、「あるものをすごく求めている、必要としている」という意味、そして、ふつうに日本語の訳語となっている「絶望的」という意味があります。
以下は、記事「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感」と「April 2 歌詞と記憶についてのメモ」で踏み固めておいて書きたかったものですけれど、実は既にだいたい書いてあったものです(さすがにこの時期にあれこれアホなことをたくさん書いている余裕はないですw)。もう時間がないのでエイッと投げだします。
「愛にDESPERATE」 麗美 歌詞情報 - goo音楽 <http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND83/index.html>
麗美 (1965年生まれ)はユーミンの妹分として1984年1月1日に「愛にDESPERATE」でデビューした沖繩県出身の歌手です。本名は堀川麗美で堀川まゆみの妹。誕生日は1月6日なので、デビューしたときは18歳でした。
季節が変わる風の中 きらめく汗で走りたい
タオルと息はずませ あなたを忘れたいの
冒頭の「季節の変化」はとてもユーミン的なモティーフで、うつろう時と人間の意識の変化を捉えるのがユーミンは得意です。けれど、季節がわかったりかわったりする、その感じる主体はとても主観的・感覚的であり、必ずしも、だからなんだ、ということは明示されません。たとえば、「街角に立ち止まり、風を見送ったとき、季節がわかったの」(「生まれた街で」)という娘は、「もう遠いところへと引かれはしない」、「生まれた街のにおい、やっと気づいた」から、と言っているようだが、因果関係はよくわからない。けれど、風がなにかを告げる。
「タオルと息はずませ」は日本語としてはやや異質な並置です。タオルをはずませ&息をはずませ(て走って)あなたを忘れたい、という意味ですから。けれども、風と息がつながり、汗とタオルがつながる、というクロス関係を前の行に対してもっています。そして、日本語として異質と書いたけれども、日本語で両方の目的語とも「はずませ」られるから成立する、という、「日本語」性を逆説的に強くもっていて、それが、この英語と日本語のちゃんぽんの詩の性格とかかわっています。「きらめく汗で走りたい」の「で」も落ち着きがないです。
たった一枚持って出た コインが電話さがさせる
今すぐ声ききたい 角まで10メートル
この日本硬貨は10円か100円か。というと、100円玉だと思う。「わたし」は「あなたを忘れたい」のでトレーニングウェアに着替えてジョギングに出かけたのである。だから財布はない。だけどのどが渇いたら缶ジュースを飲みたくなるかもしれない。それで100円玉を1枚だけにぎったまま走っています。(わたしが)たった一枚持って出たコイン。そのコインが(わたしに)電話(を)さがさせる。英文法だと無生物主語という、日本語としては不自然な構文です。次行の「声(を)or(が)ききたい」と同様に、助詞の脱落が、話者のたどたどしさを際立たせ、あたかも麗美という個性が(ユーミンに)詞をこしらえさせているかのように錯覚させるところです。
髪を梳くよなやさしさが 急に苦しくて
この唐突な一行はなんでしょう。唐突さは、ふたつのレベルで存在していて、第一に、想定される話者のキャラとのズレ、第二に、詞のストーリー展開上の唐突さです。だいたい、耳で聞いて「カミヲスク」ということばは曖昧です。「紙を漉く」、さらに「神を好く」もありうる(メロディー上のカミのアクセントからすると実は「神」が近い)。ともあれ、「髪を梳く」という古風な日本語が選択されていることがわかり、意外なのでした。イメージの連鎖としては、風→汗、タオル→息から、髪をなびかせながら走っている女の子が既にイメージされてはいます。しかし、この「やさしさ」の主体はなんなのか、だれなのか? 話としては、あと10メートルで角の公衆電話まで着いてしまうので、現在の物語をストップさせる必要があります。それで、以下は話は進まず、もっぱら過去の記憶と、愛についての思いが語られることになるわけでしょうが。だから急なんです。
さて、ふつうに読めば、このやさしさは彼(あなた)のやさしさです。この歌における彼(あなた)は、イメージとして、声として、シルエットとしてしか出てこない影のような存在なので、そんな存在についてくわしく忖度することは不可能ですし、たぶん禁じられている。主題は愛もしくは絶望的愛なのだから。ただ、それでも、身体性なり肉体性がどれだけ「わたし」の恋愛に関する意識ないし無意識に関与しているのかは気にならなくはないところかもしれません。とりあえず、ふたりの関係は、彼が実際に「髪を梳く」ような行為をするわけではないけれども、身体的接触としては抱擁するとかキスするとかいうようなことはしない、ということはわかります。だから、この「やさしさ」は精神的な「やさしさ」だけれども、同時に「髪を梳くよな」という比喩が修飾としてついていることで、身体的な「やさしさ」でもあります。だとすれば、そういうやさしさとはアンビヴァレントなもの、相手の尊敬と感謝を得ると同時に恋愛の成就の障害となるものでもある。でも、「やさしさが」「苦しくて」という日本語もそもそもヘンなので、あまり深く考えずに、ともかく言葉や論理はどうであれ、クルシ~、という恋心の吐露だととりたいです。そして、「わたし」の感じるところでは、彼(あなた)は恋愛感情をわたしにはもっているようにふるまってはいない。これまでのところ。それが苦しさの原因です。
ついでに書くと、この曲の展開は「真夏の夜の夢」(1993年)に似ているところがあって(たぶん)、この箇所に対応しているのは「私、遠い夢は待てなかった」と「あなたの影、私だけのものよ」というところです。あの歌では骨まで愛してみたいな(ちがうか)「大人」の「女」の露骨な部分がわざと出ているのだけれど、この18歳のReimy の歌う歌としてつくられた歌ではだいぶ女性主体が異なっているようです。
愛にDESPERATE
みんなIt’s too late
知らずにすめばよかったの
タイトルのフレーズが出てきます。そしてタオルやコインやメートルという外来語ではなくて英語がナマで出てくるところです。形式的なことから言うと、ここの "DESPERATE" と "late" 、すぐあとの"LONELYNESS" 〔ママ〕と "Heartless"、そして2番のおわりの "LONELYNESS" と "Emptyness" 〔ママ〕は、それぞれが脚韻を踏むように並べられています。麗美は英語の発音がよいと言われていて、たぶんそうなのでしょうけれど、実際の正しい英語の発音としては "desperate" の語尾は/eit/ というふうに二重母音では発音されません。「ディスパレト」と「ディスパリト」のあいだみたいな音です(適当)。しかし詩人がそういうふうに想定してつくってしまったので仕方なく「デスパレイト」と母音を下手に発音して、「イッツーレイト」と韻を踏ませて歌っているいるように聞こえます。
「知らずにすめばよかったの」の「知る」の目的語は「愛」と考えます。もう少し細かく説明すると、愛にDESPERATE の主語はもちろん「わたし」で、「わたし」は恋愛に desperate になっている、ということです。意味がはっきりしない、ということを言おうと思えば言えますが、愛(あるいは恋)とはdesperate なものだ、と了解すればよいのです。クリシェです。恋愛とはクリシェだからそれでいいのです。「みんなIt's too late」の「みんな」は英語にすれば "all" ですが、副詞で「強め」です。"It's too late" もクリシェです(近いところではキャロル・キング)。恋の始まりも恋の終わりも、It's too late なんです。「知らずにすめばよかった」もクリシェです。「ああ、この悲しさはもう恋なのか」「ああ、この苦しさはもう恋なのか」(にしきのあきら談)。
恋はLONELYNESS
やがてHeartless
がっかりしたら 悲しいわ
恋は loneliness。恋をして人は孤独を知る。クリシェ(常套句)。 やがて Heartless。このheartless はクリシェと言うには異様な感じがしなくはないです。でも「うつろな心」と連想は働くかも。知ったばかりなのになんで恋の性質や恋の行く末を知っているように語れるのかという一見不自然と思える発話についていえば、(a) 作者と話者は違うから、というのが一般的にあるのですけれど、この場合は (b) クリシェだから、ということで了解されるように思えます。恋とはコレコレシカジカノものだ、という常套的了解。これは、恋とはこういうものだという現在的・個的体験としての認識と、過去から文学や音楽やらを通して伝承されてきた知識とのバランスが問題で、下手をするといやらしくなりかねないところです、一般的に。ただし、詰まるところ個的体験は共通体験に回収されるものなのだから、いずれにしてもクリシェなわけで、常套的な内容の物語上での出し方の問題(つまりWhat ではなくて How)ということになります。
がっかりしたら。クリシェ。がっかりするのは「わたし」ではなくて「あなた(彼)」です。悲しいのは「わたし」。これは恋の疑心暗鬼、恋の自信喪失、恋の自虐的傾向のあらわれです。ほんとうの自分を知ったら彼(彼女)はがっかりするかもしれない。あるいは、自分の恋心を知ったときに、恋愛の対象として自分をどう思うか。この「がっかり」に、脱いだらスゴイ/スゴクナイ的な肉体性・身体コンプレックスをイメージするのは大人のいやらしさです。
陽射しにくらむ目の中に飛び込むようなシルエット
あの時ドア開けたらあなたがそこにいたの
逆行して、過去の、出会いのシーンの回想です。逆光のシルエットとして提示された「あなた」は、やっぱり影のような存在なのでしょうか。いえ、そうではなくて、詞の話のなかでの「あなた」の提示のされかたの問題なのでした。
そっと増えてく思い出が、今は重すぎて
思い出がなんたらすぎて、いうのもクリシェです。思い出は美しすぎて(八神純子)、思い出がありすぎて(高木麻早)。ふつうは過去の恋愛について出てくるクリシェかもしれません。そこはユーミンですから、恋愛の途上でもう思い出が重すぎるという早熟ぶりを示すのは不思議ではありません。ともあれ、冒頭の「あなたを忘れたい」と響きあっている箇所です。
愛にDesperate みんな It's too late
会わなかったらよかったの
恋はloneliness わたしemptiness
思ってるような娘じゃないわ
「わたしエンプティネス」の部分を「わたしエッチね」というふうに幻聴した男が100人に3人くらいはいるようです。それは心理分析的には真理を突いているかもしれない(いやいない)。
あなただけしか救えない
この結びは、しばらく、(私には)あなただけしか救えない、という意味だと誤解していた箇所です。もちろん、愛にdesperate になって苦しんでいる私を、あなただけしか救えない、という意味です。
April 4 花粉症みたいな Like Seasonal Allergy [メモ personal notes]
April 04, 2009
最初、アレ、と思ったのは25日にモーリちゃんを迎えに小学校に行ったときだった。帰宅して鼻がむずむずし、夜、くしゃみと鼻水が出た、ちょっとだけだけど。行きも帰りも歩きだったので、いろんな草木のあいだを通った。だからアレルゲンがなんだかわからない。
それから29日のバーベキューのあと、二次会が(8th Street の)ピラミッドであるというので、また小学校の方へ行った。そのあとも調子が悪くなった。目の粘膜もなんかヘンな感じ。まあ、飲み過ぎもありますが。
そして今朝、というか夜中の4時ごろにヘンな夢から目が覚めたら暗闇の中で鼻水が悪夢のように流れていたのでした。
なんか懐かしい感覚。
しかたなく起きだして、朝風呂に入り、全身を洗って、なおれなおれ、と祈った。
昨日(金曜日)は風が強い日で、たぶんいろんなものが舞っていたのだ。
このあいだラジオを聴いていたら "seasonal allergies" という言い方をして薬の宣伝をしていた。こちらのひとと花粉症について会話をしたことがないので、ふつうなんと呼ばれているのかわからないけれど、"hay fever" ということばは少なくともイギリスではよく使われているようです。でも原因はhay (干し草)に限らないし、症状もfever (熱病)に限らないから、ヘンだという感覚はあるみたい(Home Health UK <http://www.homehealth-uk.com/medical/hayfever.htm> 参照)。なんにせよ医学的には"seasonal allergic rhinitis" で、rhinitis は鼻炎ですけれど、鼻が通じている目やのども含まれるということですか。いや、他の部位にもありうるし、総称してseasonal allergies ですかね。
pollen allergy という言葉が「花粉アレルギー」で日本語の感覚には近いのかもしれません。
日本ではKenji Kawakami という人が花粉症対策のグッズを開拓して有名なんですか?
"Hay Fever Hat" via Ninja vs. Penguin
つーか、これは去年の1月ですか。ナウいのはこのタイプですか?
via Chindogu’s Weblog “Carpe Caseus”
日本にカエルのが楽しみになりました。
つい調子に乗って画像を探していたら、アメリカの花粉症に苦しむ人の絵がありました。
"seasonal-allergy-woman-with-tissue" via "Stop Treating Symptoms of Seasonal Allergies:Treat the SOURCE of the Problem" Easy Immune System Health
ゲッ。菜の花って花粉症のアレルゲンすか? もしやオーシャン・ヴュー小学校の前の菜の花畑が・・・・・・と慌てて調べたら、菜の花はむしろ花粉症対策の食材になるようで、だいじょぶでした。どうやら、春の季節の記号として菜の花が出てきているだけのようです。え、これ菜の花じゃないですか?
英語の勉強を最後にしようかしら。
Seasonal Allergies
Stop suffering from allergies! Allergy shots are able to provide an 80 to 100 percent improvement in your symptoms. So say goodbye to watery, itchy eyes, stuffed up or runny nose and scratchy throat.Do you have bouts of sneezing and itching, or a runny or stuffy nose that do not seem to go away? If so, you may have allergic rhinitis. 〔"Seasonal Allergies - Best Allergy Care" <http://www.bestallergycare.com/seasonal-allergies.html>〕
watery eyes, itchy eyes, stuffed up nose, runny nose, scratchy throat という症状は、あたりまえですが、同じですね。watery eye というのは「涙目」と訳していいのでしょうか。鼻のほうの "runny" と同様「分泌が多い」(もちろんrunny のほうは鼻だから「鼻水を出す」=sneezing)ということだと思いますけど。itchy eye 目のかゆみ。stuffed-up nose 鼻づまり。runny nose 鼻水。scratchy throat のどのイガイガ。
「花粉症の原因は風媒花」 <http://www.doyaku.or.jp/kenkou/kafun/kafun002.htm> 〔ということで虫媒花である菜の花(アブラナ)は原因にならないとされてますけれど、ならないこともないような気もしますが。それに花粉症というから花粉に限定されるのであって、他にも原因はあるよ〕
「歴史」 『これで解決! 花粉症対策の症状と知識『』 <http://www.kafun-taisaku1.com/2006/01/post_35.html> 〔イギリスのhay fever について〕
「KAFUNSHO -Pollen Allergy 花粉症」『Happy life in Japan』 <> 〔日本の薬剤師さんのたいへんりっぱな英語のブログ 2007.3.6〕
SANGUNIHAN 医療対話集(英語・日本語・タガログ語) <http://www.pis.or.jp/medical/iryou/> 〔いろんな症状の表現例〕
via Allergy: the latest information that you want to know 〔情報リンクページで、 "hay fever allergy" と "seasonal allergy" がいちおう別だてであります〕
Josh Clark, "Can you fight allergies with local honey?" Howstuffworks <http://health.howstuffworks.com/local-honey-for-allergies.htm/printable> 〔FDA (Food and Drug Administration) ――食品汚染とかの情報を提供する機関ですけど――の計算では 全米で3600万人が花粉症だそうです〕:
You're hardly alone. The Food and Drug Administration (FDA) estimates around 36 million people in the United States alone suffer from seasonal allergies, known also by the common name of hay fever and the more technical name allergic rhinitis [source: FDA]. It may not improve your mood to know this, but all that pollen is actually harmless. Those months of runny nose, scratchy eyes and headaches you endure each spring is actually the result of a case of mistaken identity. Your body mistakes pollen for damaging invaders like fungal spores and dust mites. This triggers the release of histamine, a natural chemical that's part of an immune system response. Histamine causes inflammation and irritation of soft tissue, which leads to your suffering [source: Bupa].
この書き方だと普通にはやっぱり "hay fever" と呼ばれているんすかね。
March 30 2009年3月30日 [天気 weather]
March 30, 2009 (Monday)
March 05, 2009 (Sunday)
ブログが現在の時間に追いつくつもりがまた時差ができてしまいました。3月30日(月)からの一週間は、まったく雨も降らず、夕焼けも変化に乏しかったのと、忙しさも手伝って空の写真はあんまり撮らなかったというのが事実です。
モーリちゃんの母はこの日あたりからいろんな人たちに送別会に誘われて出かけ、朝からモーリちゃんとモーリちゃんの父が二人で家でゴロゴロしていました。いや、昼までは日本へ送るモノを段ボール箱に詰め込む作業をモーリちゃんはやっていました。「パソコン貸して~」ということでなんかアニメをじっと見ているモーリちゃんを、午後の3時過ぎに誘って、彼女がまだ行ったことのない1ドルショップとYaoya-San 方面にバスで行くことになりました。
モーリちゃんは小学校や大学へ行くのと同じ方向のバスの52L に乗っていくと思っていたみたいで、サンパブロまでセリート・クリーク沿いに歩いて出てバス乗り場で来ないバスを待っているあいだに、もう歩くのがイヤになったみたいで、「エルセリート・プラザで買い物して帰ろう」とか言ったのですけれど、そこはRapid だとひとつだからと説得して行ってきました。晴れているけれど、風が少し強い日でした。
川沿いの散策路から見下ろすと、つがいのカモがセリートクリークの流れの中で固まっていました。
2009年3月30日16時2分 El Cerrito Creek
この川には白い水鳥も姿を現わすのですけれど、大半は別の場所にいるみたい。カモを見るのはほとんど初めてでした。
Olde West Gunsroom の裏手。"END" (行き止まり)の標識の文字の上に "DEAD" がいたずら書きで書き加えられたのは3月になってからだったと思います。
One Dollar Warehouse 内
文房具を見て、キッチン用品を見て、デコレーショングッズを見て、電器類を見て、よくわけのわからないモノの置いてある棚を見ていたのでした。モーリちゃんは貝殻セットを物色していたのでした。
サンパブロ・アヴェニューの南のほうの、ユニヴァーシティー・アヴェニューまで降りて行ったところに去年できた99 Cent Shop は食品類が充実していて、ひとりぐらしの人とかは便利だろうなー、と思います。こちらはエルセリートという場所柄か、ラテン系のノリで(w)、工具類とかえらく充実してます。そしてヘンなものがたくさんあって、そこんところはこっちのほうが気に入っています。ここに初めて来たのは、去年の9月のシカモア・バザーの帰りでした。その後ちょうどAC Transit のバスのパスをもらったので来やすくなったのです。歩くとアルバニ山まで30分くらいかかるかも。
ベティー・ブープのシャープペン5本セットとか、ハイスクールミュージカルの文具セットとか、バカでかい筆箱とか、さまざまな色の付箋紙とか、サニー千葉のストリートファイターのDVD とか、コーヒーのフィルターとか、ベティー・ブープのマグネットセットとか、台所洗剤とか、丸いアルミのピルケースとか、シャーピーのマーカーとか、定規・コンパスセットとか、ベティー・ブープの鉛筆とか、いろいろ、来るたびにいろいろ、買いました。
「すぐそばだから」と、Longs とSafeway の駐車場を突き抜けて、もう一ブロック先のJay Vee Center へ向かいました。
17時13分 Jay Vee Center からアルバニ山をのぞむ
八百屋さんが月曜日で休みだということを忘れていました。で、隣のIchibankan だけ入って、ポッキーとかペンとか(またかよ)買って、「99セントのお菓子とかは?」というので、八百屋の前で中を覗いて指をさしたのですけれど、「ヘンな人と疑われるからやめて」と言われてしまいました。
この写真に写っている空間が月に一度のひまわり会の古本市の会場になるところです。
2009年3月30日19時18分16秒のゴールデンゲートブリッジと入り日
帰りは、エルセリート・プラザの駅までバスで行って、52Lに乗り換えて楽をしました。18時には帰宅していたと思います。
2009年3月30日19時26分52秒
このごろ、残った食材を消費するというのもあって、なんとなく夕食をひとしきり食べた後に追加でつくっていますねーw。片栗粉も使ってやれ、という感じ。このナスはバーベキューの残りもの・・・・・・。フライパンは取ってが取って(取れて)あります。
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"A Dollar Warehouse" <http://www.yelp.com/biz/a-dollar-warehouse-el-cerrito>〔yelp のページ〕
March 31 2009年3月31日のアルバニ(カリフォルニア)の空とYAMACHAN みそらーめんなど [天気 weather]
March 31, 2009 (Tuesday)
日本からの最後の荷物(ゲラが入っている)を待ち始めていた頃。
そしてクロネコヤマトの箱に本をマジで詰め出した頃。
なぜかこの日は気温の記録がない。そんなに忙しかったのかしら。もういいや、と思ったのだろうか。
残っていた食材をリストアップして、カレーライス、スパゲティー、トンカツ&サーモン・フライ、うどん、焼きそば、そしてみそラーメンが見つかった記録は残っている。一日ひとつずつ消費していってもギリギリだぜ。それに夜の食事に誘われちゃったりもしてるし。
ということで、この日はみそラーメンを作ることにした。それはモーリちゃんの母に注文しておいた挽き肉があったからでもある。
これはラーメンとは無関係で、トンカツ用の肉が6枚あったので、6枚を3枚におろして倍にすると12枚で多すぎるので、半分の3枚を先に使うことにしたのです。そして分厚いままで食べてみることにした。
YAMACHAN という、「本場サッポロ仕込み!」を謳(うた)う、北米のメーカーのもの。ここのつくっているチャーシューは、このあいだの99 Ranch Market の日本フェアだかなんだかのときに通常価格より20セントだか安く売っていたので買ってみた。買ってみて食べたなかったので、この日食べることにした。このラーメンは2食入りのものをYaoya-San とかでよく見かけるような気がする。これは3食入りで、やっぱり99 Ranch で2月ごろに2袋5ドルいくらかで安売りしていたので、醤油ラーメンと一緒に買ったもの。
確かカリフォルニアで作っているので、よくある冷凍→解凍という、味が落ちる、日本から送られてくる品物とは違うおいしさが、いちおうあると思う。ただ、防腐用に食品添加物がどの程度使われているのかとても気になります。なかなか痛まない感じはする・・・・・・。あと、何が本場札幌で仕込まれたのか――ミソなのか、ラーメンなのか、やまちゃんなのか、不明。
今日も送別会でお出かけしたモーリちゃんの母も帰宅して、ラーメン作りの開始(つくっているのは父ですが)。
ヤマチャンのパッケージ写真は全く無視して、自分の信じるミソラーメンの具をつくる。もやしはてんこもり。
みそも足して溶かします。
2009年3月31日(火)19時30分26秒のゴールデンゲートブリッジと夕日
この日のサンフランシスコの日没の標準は19時32分だったみたいです。このあと、なんの写真もないのはラーメンを食ったからだと思います。ラーメンの写真もないのですが。
KRON4.com - The Bay Area's News Station <http://www.kron.com/> 〔天気概況ビデオがトップページ右手にありますが、Weather ページ= <http://www.kron.com/Weather/tabid/56/Default.aspx> "About Us" <http://www.kron.com/AboutUs/tabid/83/Default.aspx>〕
7-Day Forecast for Latitude 37.88N and Longitude 122.29W (Elev. 85ft) <http://forecast.weather.gov/MapClick.php?CityName=Albany&state=CA&site=MTR&textField1=37.8869&textField2=-122.297&e=0> 〔カリフォルニア州バークレー(≒アルバニ)の天気 National Weather Service クリックしていただくと、アルバニの位置がわかります〕
National Maps - NOAA's National Weather Service <http://www.weather.gov/outlook_tab.php> 〔上の全国版〕
National Weather Service - NWS San Francisco/Monterey Bay Area <http://www.weather.gov/climate/index.php?wfo=mtr> 〔過去の天気〕
"Sunrise and Sunset for U.S.A. - California - San Francisco" <http://www.timeanddate.com/worldclock/astronomy.html?n=224> 〔Sunrise and Sunset Calculator〕
「★日の出、日の入、月の出、月の入、惑星の出没南中」 <http://star.gs/cgi-bin/scripts/hinodet.cgi?dy=20090316&lju=l&iv=30&pl=%91%BE%97z&jwi=w&tiikij=%8F@%92J%96%A6%81i%96k%8AC%93%B9%81j&tiikiw=%83T%83%93%83t%83%89%83%93%83V%83X%83R%81i%83A%83%81%83%8A%83J%81j&kdo=&kfun=&ido=&ifun=&tz1=&hk=0>
April 5 カンパ+ニュラ、ヌラ、ヌーラ、ネラ、ネルラ、ネロ [ことば Words]
April 05, 2009 (Sunday)
はい、『風のガーデン』を見ています。カリフォルニアでは、普通の視聴チャンネルだと、遅れて今年の1月からの放送であったと思います。それで、もちろん、このあいだUCB のCampanile ことセイザー・タワーについて書いているときに、風のガーデンの釣り鐘草の類を思い起こしていたわけですけれど。
ちょうど、そのころ、平原綾香の歌 (歌詞字幕付きver.)が「カンパニュラの恋」というタイトルだったと(あらためて)知りました。カンパネラでもカンパニーレでもカンパネルラ(「銀河鉄道の夜」)でもないのね。
今日、4月5日は、アメリカ滞在の日曜日としては最後です。で、そろそろ最終回かなあと思っていたのですけれど、モーリちゃんとモーリちゃんの母がまた送別パーティーに呼ばれ、でもモーリちゃんの父はゲラの校正の最終作業でうちに残って、ひとり見ていたら、9時に始まって、9時半に終わりました。げげげ。なんだよそれ! こちらのなんたらテレビは1時間以上の番組を放送する気力がないのでしょうか。(ちなみに夜のNHKのニュースは週の半分以下に減ったようです。どうも日本の力が弱っているような・・・・・・でなければ、金持ちは月に3000円ぐらい払ってなんたらいう日本語放送を見ているのかしら)。
それはさておき、たぶん今日初めて日本語歌詞を聞きました(よく聞き取れませんでしたが)。鐘塔の歌ではなくて花の歌だったのね。
でも Campanula という植物の属のラテン語の読みは、モーリちゃんの知識では、カンパニュラではなくてカンパ(ー)ヌラというのが適当だと思われますけれど。カンパニュラというのは英語読みという感じ(完全な自信はないですけれど)。-ula は縮小辞。
しかし30分とはね。まだモーリちゃんたちは帰ってきませんが(いまカリフォルニア時間は5日夜10時57分)、母はがっかりするのだろうなあ。あとはモーリちゃんの父が、とにかくキミが好きなドラマを全部とっておいてくれ、と裸のDVDを渡してくどいた女友達(死語)に期待するしかないのですが。
April 1 2009年4月1日アルバニ(カリフォルニア)にて 付 サンフランシスコベイの夕焼け空 [断章 fragments]
April 01, 2009 (Wednesday)
この日もモーリちゃんの母は送別会に呼ばれていって、モーリちゃんとモーリちゃんの父は日本からの荷物を待ちながら留守番をした。
外に出られないのでつまらない、とモーリちゃんは言っていたが、ピンポン玉が見つかって、卓球をしようということになり、卓球台とラケットが即席でつくられた。
夕方電話がかかってきて、晩御飯にも誘われた、というので、行っていいよ、と言って、残っていた即席焼きそばをつくることにした。
薄く引き伸ばすとたくさんに見えます。でも1人前。
左の皿は野菜炒めです。野菜炒めの一部が焼きそばの具になりました。この焼きそばはアメリカで作っているサッポロ一番です。San Pablo のイチバンカンが49セントで一番安かったのだけれど、焼きそばだけ4セントくらい値上がりしたようです。だから、この近辺だと東京魚点のほうが2個99セントで安いです。Lucky とかだと1個が90セント以上するみたい。
サッポロ一番のインスタント焼きそばは自分の昼食用に何度となくつくりました。ラーメンも何回かつくりました。なんの文句もなく、とりわけ日本の粉末ソースのおいしさには感心するばかりです(焼きそばの方)が、ラーメンのほうの、水を500ccと書いてあるのは、多いんでないの?と首をかしげます。
凍ったまま残っていたトリの胸肉を焼いていたのでした。
2009年4月1日19時38分12秒のゴールデンゲートブリッジ
本はWriting on the Body: Female Embodiment and Feminist Theory. 書いている余裕がありませんでした。箱は黒猫大和。
この家を出るまであと1週間となりました。
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カリフォルニア時間4月6日午後4時40分付記
写真が見つかりましたので貼っておきます。――
粉末ソース・・・・・・なぜか"Soup Base" と書いてあり。
April 2 2009年4月2日アルバニ(カリフォルニア)の空とユーカリゴマその他 [天気 weather]
April 02, 2009 (Thursday)
早起きをして、版画家 Fritz Eichenberg の 本の写真を撮った。
上のはクウェーカーのなんたらいう団体が出しているパンフレットシリーズで、これに Eichenberg は何冊か自らイラストを入れて・・・・・・たとえば Art and Faith (『芸術と信仰』) というような・・・・・・出している。下はモダン・ライブらリーのポーの巻の「アッシャー家の崩壊」の挿絵。
朝3時24分のうちのなかの気温が21.9度(湿度51%)、外が12.2度。朝6時50分に21.1℃(52%)と11.2℃、くもり。朝9時27分に21.3度(56%)で12.2度、晴れ。
モーリちゃんの母はこの日もお別れ会みたいな感じで出かけた。昼前に、待ちわびていた日本からの荷物が届き、といって校正の仕事を一日で終わらせる精神的余裕もなく、とりあえずお昼を食べ、そして外に出たくてうずうずしていたモーリちゃんとアルバニ山下公園へ行くことにした。
お昼は最後にナンカの太長うどんを食べることにした。モーリちゃんは冷たいのがいいというの、冷やしうどんにした。
真昼の月
Sealts, Melville's Reading 改訂版
建物を出がけに郵便ボックスをチェックしたら本が2冊届いており、その1冊。これは日本のリスねーさんに頼まれたもの。
そのへんに落ちていたユーカリの実をまわしてみたらコマになって見事にクルクルまわった。
この本は、1920年ぐらいからの40人ぐらいの作詞家の詞を集めたもので、セクションごとに詩人の紹介があり、ほんとうに詩のアンソロジーのようなつくりになっている。ガーシュウィンだと、もちろんジョージではなくてアイラ・ガーシュウィンのほうが、つまり曲ではなくて詞のほうが、優位づけられているわけです。1st verse とか 2nd refrain とか頭についた、どうやら正確な歌詞が掲載されているようで、いい本だと思います。実はこのあいだ久しぶりに行った大学の音楽図書館で見た歌詞ブックの一冊なのだけれど。
風になびくユーカリの木
この日も風が強かったのです。
残りあと6日でアルバニともお別れです。
April 3 2009年4月3日 [料理・食べ物 cooking foods]
April 03, 2009 (Friday)
この日午前11時過ぎに、モーリちゃんたちも手伝ってくれるというので、最後にリサイクルセンターへ行くことにした。それからLucky の店のなかで別れて、モーリちゃんの父はほとんど発作的にちょっとは高めのワインを2本買った。
左はこのあいだUC ヴィレッジの帰りに拾った街路樹の乾いた実。右は去年の秋にひろったユーカリの枝。・・・・・・ちがうくて、左はFetzerという、10ドル前後で売っていけれどうまいと定評のワイン。右はRavenswood という、名前で買ったカリフォルニアワイン。
鴉の森。3羽のカラスが脚をつかみ合っていくつもの円環を閉じている図。
カレーとトン汁をつくることにした。
三種コショウ。うち左右の日本の二つは、3月に日本に帰った人からのもらいものです。
トウフは日本の名前のメーカーのより、山水というののほうが絶対にうまいです。これはfirm だけれど、soft がおいしい。なんとなく中国を敬遠して買っていなかったのだけれど、年が明けてから買うようになりました。
こっちはカレー
こっちは豚汁
大根の切れっぱとかも入れたのでした。
ちょっと前にモーリちゃんたちが帰ってきたのだけれど、昼飯を食べていなかったことを思い出して、ナンカうどんの昨日袋を開けて半分残っていたそのさらに半分をたぬきうどんにして食べることにしました。天かすの残りもあったし。ヤマヒデ食品。えーとYaoya-San のほうが東京魚店より安いです。
夜の豚汁用もあわせて多めにgreen onion を切っていたのでした。
カレーもルーを入れてほぼ完成。
じゃがいもがまだ10個も残ったので、とりあえず3個をジャーマンポテトモドキに使うことにしました。
JFC の粗塩。たとえば元気寿司は Genki Sushi、白菊はShirakiku で、たぶん意味がなるたけ通じるように、わざと濁らないようにしている日本食ブランドや店舗が多いと思うのですけれど、Arashio ではなくて Arajio なのでした。白菊はシラギクでないと変換しませんけれど、ブランド名(固有名)であるのに対し、粗塩は固有名詞ではないからですかね。
この日の朝6時19分の気温、内20.1℃(湿度49%)外10.1℃、朝8時17分の気温内20.0℃(湿度49%)外10.0℃、午後2時45分の気温、内21.3℃(48%)外17.4℃、真夜中24時2分の気温内22.6℃(50%)外12.6℃。
真夜中過ぎまで皆起きていたのでした、なぜか。たぶん片づけをして。
「モーリ、寝た?」
「・・・・・・」
「静かだから」
「考えごとしていたからね」
「・・・・・・」
「あしたどんな食べ物が出るんだろうって」
「なんじゃそりゃ」
April 4 2009年4月4日アルバニ(カリフォルニア)の空とサーモンフライ [料理・食べ物 cooking foods]
April 04, 2009 (Saturday)
朝少し寒くて昼にどんどん温まって夕方から晩に暑くなるというパタンの日。
2009年4月4日朝7時9分58秒のゴールデンゲートブリッジ
5:07am=indoors 20.0℃(49%), outdoors 10.7℃、6:38am=indoors 19.9℃(52%), outdoors 10.3℃、8:30am=indoors 19.8℃(56%), outdoors 10.0℃、9:00pm=indoors 25.1℃(43%), outdoors 16.7℃、9:50pm=indoors 24.7℃(49%), outdoors 15.8℃。
モーリちゃんたちがディズニーランドへの小旅行に出かけた日に買って冷凍してあったサーモンのフライをつくることにした。
モーリちゃんとモーリちゃんの母はランチに誘われて出かけた。
ウロコがこんなにあるとは・・・・・・目からウロコ(涙)。
ウロコ取りに時間がかかったため、油が暑くなり過ぎていた。
これはまりあんさんに教えてもらったソースです。
April 6 2009年4月6日アルバニにて [断章 fragments]
April 06, 2009 (Monday)
朝9時過ぎにPeet's Coffee の駐車場の奥(というかサンパブロ通りの表から見ると2軒くらい左)のFedEx Kinko's に、日本に送る初校のゲラをもっていって、FedEx Express のInternational Priority で送った。ここから送るのは初めてだったし、黒人の女の人がひとりいるだけで、他にネガのコピーをあれこれと注文をつけている客がいて、モーリちゃんの父があれこれ訊くのに時間がかかっただけでなく、電話番号をあいかわらず覚えていないので適当に書いてしまったけれど、なんとか送れたことは、その後のパソコンでのトラッキングで確認できた。8日の6時に到着予定と出ていた。早いです。でも40ドル90セントもかかってしまった。
前日はモーリちゃんとモーリちゃんの母は台湾の人のうちに呼ばれて夜11時過ぎに帰ってきたのだけれど、モーリちゃんは仕事が終わっていなかったので家でひとりカツ煮とか作っちゃったりして、でもそれは食べないでとにかくビールを飲みながら更生、いや校正に励んだのでした。しかし飲み過ぎた。それで二日酔い状態だったので、FedEx から帰宅後に横になって夢を見た。
そして4時過ぎにアンちゃんたちがやってきてテーブルやイスを引きとっていった。モーリちゃんとモーリちゃんの母は彼女たちとハグしていたけれど、モーリちゃんの父は身体的接触はまったくなかった。さみしいことである。アメリカナイゼーションもときにうらやまし。
そして5時30分過ぎに52Lのバスに乗って大学村の、ベネズエラの研究者夫婦の家に行って、夕御飯をごちそうになった。
9時過ぎに村を出て、この時間だといつ来るかわからない52L のバスを待たずに小学校の前を通って家まで歩いた。星が出ていて、一年前の4月8日に最初にアルバニに来てその日のうちに契約をして8時過ぎにサンフランシスコへ戻ったときに見た空を思い出した。あのときは、駅がどこにあるかもわからず、サンパブロを反対方向へ歩いたのだった。
去年4月6日にアメリカに着いてちょうど丸1年の日だった。
April 7 2009年4月7日 アルバニ(カリフォルニア)の空と雲と引っ越し [天気 weather]
April 07, 2009 (Tuesday)
天気予報では今日から天気がガラッと変わって崩れ、雨が週末まで降るかも、という話だった。朝雨が降り出して、気温が急激に下がった。
朝9時半に黒猫が来るので、最後のパッキング作業を朝早くからした。入れても入れても入りきらず、書類の作成にも手間取って、鬼のようになって作業に励んだ。結果、鍋のガラス蓋を詰めるのを忘れ、ヤカンも詰め忘れ、トーラスブリッジの模型も詰め忘れ、4年生の教材も詰め忘れ、その他もろもろ積み残しが出た。
モーリちゃんの父と大和の人は大汗をかき、モーリちゃんの母は寒い、と言って窓を閉めた。
昼前に雨があがって、それでも雲がたくさん出ていた。こういう天気の方がカリフォルニアの空ウォッチャーとしてはわくわくする。
残っていた片栗粉を大量投入してあんかけにしてみた。ほんとうはこの晩の長い料理の話があるのだが割愛です。
April 8, March 21 戻る時――カリフォルニア時間の終わりに (2) [カリフォルニア時間の終わり]
April 08, 2009 (Wednesday)
いまカリフォルニア時間4月8日午後2時少し前です。あと1時間くらいでこのアルバニのコンドミニアムをあとにしてサンフランシスコへ行きます。どうやって行くかはまだ決まっておらんのですがw。バスだとタダだけれど、スーツケースを持ちこめるのか不安。
ということで、4日に予約したサンフランシスコの Mark Twain Hotel に二泊して、日本に戻ります。ルイスにもシンディーにも(誰やそれ)、また戻ってくるよ、と言いました。
ということで、ひとまずこれで一くぎりです。さようなら。少なくともアルバニの夕焼け空の写真はもう撮れません。最後にサンフランシスコのSutro Baths で太平洋の夕日を見たいなあ、とは思っていますけれど。
March 21, 2009 (Saturday)
モーリちゃんたちはこの日の朝、有名なチャイニーズシアターに行って、有名人の手型・足型などを見ていた。15分という、超短いスケジュールだったそうです。
アストラ・ビスタ♪
余裕があるので、ユーカリゴマの写真とEichenberg のパンフレットArt and Faith の表紙を貼っておきます。最後までぐちゃぐちゃでした。どうも。