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March 9-10 『自然の夜の側面』における神殿の居住者をめぐって On "Dweller in the Temple" in Catherine Crowe, The Night Side of Nature――擬似科学をめぐって(28)  On Pseudosciences (28) [擬似科学周辺]

March 09, 2009 (Monday)
March 10, 2009 (Tuesday)

 「March 8 キャサリン・クローの『自然の夜の側面』 Catherine Crowe, The Night Side of Nature――擬似科学をめぐって(27)  On Pseudosciences (27) [擬似科学周辺]」の補足です。

  この、いまでいう超常現象や死後の世界などを扱って当時のベストセラーの、第2章の「神殿の居住者」は、しかし、幽霊ではなくて、人間の構成要素としての霊について語っています。えーと、おさらい的に書くと、クローの訳した『プレフォルストの女見霊者』のなかに、、ドイツのフリードリケ・ハウフェという、メスメリズムによってトランス状態になった女性が、人間が霊と魂と体からなっているという霊の教えを告げるところがあるわけですが、自然哲学の伝統のあるドイツと、メスメルがいたフランスにおいて、神秘主義的なメスメリズムが主張されたとされています(このへんは、アラン・ゴールド Alan Gauld の大著『催眠術の歴史』 A History of Hypnotism (Cambridge UP, 1992) がそれぞれ一章割いて "Mystical Magnetism: Germany" (8章)、"Mystical Magnetism: France" (9章)で論じています)。

It is almost needless to observe, that the Scriptures repeatedly speak of man as a triparite being, consisting of spirit, soul, and body; and that, according to St. Paul, we have two bodies―a natural body, and a spiritual body; the former being designed as our means of communication with the external world―an instrument to be used and controlled by our nobler parts. [. . .]  In this spirit so imparted to us, dwells, says Eschenmayer, the conscience, which keeps watch over the body and soul, saying, "Thus shalt thou do!"  And it is this Christ addresses himself when he bids his disciples become perfect, like their Father in Heaven.
(聖書が繰り返し人間を霊、魂、体から成る三重の存在として語っていることを述べる必要はほとんどないだろう。同様に、聖パウロによれば私たちは二つの体――自然の体と霊の体を持っている。前者は私たちが外的世界と通信する手立てとして設けられている――私たちのより高貴な部分によって使用され制御されるべき道具である。・・・・・・エッシェンマイアーが語るところでは、私たちに与えられたこの霊の内に良心が住んでいて、体と魂を見張り続け、「汝、かく、すべし!」と言う。そして、キリストが弟子たちに、天の父のようになるよう言うときに、話しかけるのこの霊である。)

   のちにブラヴァツキーが『ヴェールを脱いだイシス』(1877) で魂と霊の区分を強調したことは前にふれました〔「January 23 ジョーゼフ・ブキャナンとサイコメトリーとブラヴァツキー・・・・・・メスメリズムとアメリカ (補足の3)――擬似科学をめぐって(21)  On Pseudosciences (21)」参照〕が、ブラヴァツキーの言葉を引けば、「俗人だけでなく神学者も、魂と霊が同じひとつのものだという誤った考えをもっている」という指摘は正しく、9世紀に霊・魂・体の三分説(トリコトミー・・・・・・英語だと trichotomy トライコトミィ)が公式に異端とされてのちのヨーロッパ思想史においては混乱が今日まで続いています。三分説について最もくわしく論じたのは『神秘学序説』をはじめとする著書のある美学者でシュタイナー研究家の高橋巌だと思います。高橋巌は、雑誌『ユリイカ』に連載した部分では、確か「霊(精神)」(か、あるいは「精神(霊)」だったかしら)というような書き方をしていたと思いますが、やがて精神を添えずに「霊」と書くようになります。実はこの決断にはたいへん深いものがあると思うのです。誤解を呼びかねないけれども、誤解を生じさせないための選択だったと思います。Web 上では、つぎの論文 (1986) が三分説を高橋巌にすっかり依拠して解説しているのが見つかります――UT Repository: Item 2261/6591。そこから孫引き的に引いておきます。

  トリコトミー(三分説,あるいは特に人性三分説また霊魂三分説)とは,霊 (spirit),魂 (soul),体 (body),という3つの領域の総体として人間存在を把握しようとする考えである。そして人間は三重の仕方で世界と結びつき,大宇宙もまた,小宇宙たる人間に照応して霊,魂,体から成り立つものとして捉えられる。
  霊とは,人間各自の魂(心)の中に見出だせながら主観を超越している客観的領域のことである。それは目的と愛の根拠である。キリスト教文化の公的な思想は中世以降二分説を主張してきた。信仰によらず,認識によって自分の中に自分の霊を体験することは異端とされた。その結果ヨーロッパの学問体系の中では soul と spirit は常に曖昧のままに残され,しばしば非常な混乱に陥っている(高橋,1975, pp. 48-49)。
  ヨーロッパ思想の諸概念によって規定されてきた日本の思想においても同様である。学問の用語としては霊 (spirit) のかわりに精神を,魂 (soul) のかわりに心,または心理という言葉を使っている。精神という言葉は本来は精霊,精魂と結びつく言葉だが,今日ではむしろ心を含めて非身体的な人間本性一般についていわれている。psychology は心理学と訳されるが psychoanalysis は精神分析と訳されているように,本来主観的なものである「心」と,本来客観的なものではあるが,人間が自己の個人的領域として持っている「精神」とは混同されている。
  一方に身体もしくは肉体があり,その一方に心もしくは精神があるという二分説の立場に立つときには,soul と spirit をそのように曖昧にせざるを得ない。そして,存在を考える際に,物質と心,物質と意識,または肉体と魂というふうに二分して考えるとき,その立場は神秘学に行きつくことがない。
  魂というのは感情と悟性が共働した主観的な働きとされるが,そのような魂は真理を認識する能力をもたない。(エマソンは悟性に対する理性を霊に結びつけた)。教会に属し,忠誠を誓ってはじめて恩寵として,真理,つまり霊界の認識が伝えられるというのがキリスト教文化の肉体と魂という二分説の本質であろう(高橋,1980, p. 39)。
  だが,二分説的な考え方は,キリスト教本来の考え方ではなく,キリスト教が権力と結びついてドグマを作っていく過程でできたものである。そしてまた,宗教にはつねに公教的な側面と秘教的な側面があることを注意したい。
  人間は体と魂と霊とから成り立っているという古代の神秘学に共通のトリコトミーが公式に異端として否定されたのは,894年のコンスタンチノープル第8回公会議においてであったとされている。中世から19世紀に至るまで,霊はもはや個々の人間の属性とは見なされなくなった。そして,人間は肉体と魂の所有者であるという二分説から必然的に派生してくる唯物論によって,19世紀にいたっては魂もまた肉体によって生み出されるものとされ,人間は結局的肉体的存在以外の何者でもなくなってしまった(高橋,1975, pp. 22-23)。〔宮川雅「エマソンと三分説の伝統,または,宗教という名を使わない宗教」39-40〕

    キャサリン・クローがいう、聖書の三分説的な表現というのは、モーリちゃんの父が思いつくところでは、たとえば、やっぱりパウロで「テサロニケ人への手紙」5章23節―― "May God himself, the God of peace, make you holy in every part, and keep you sould in spirit, soul, and body, without fault when our Lord Jesus Christ comes" (平和の神、神御自らがあなたたちをあらゆる部分において聖としたまい、霊と魂と体のすべてにおいて主イエス・キリスト来臨の時あなたたちがとがなく守られるように) 。でも確か、自然の体と霊の体とを言っている「コリント人への手紙」(これもパウロです)は、もともとの三分説が二分説化されている(テキストを改変されている)箇所ではなかったかしら〔ちょっとちゃんと調べていずれ書きます〕。

  引用したクローの一節はあれこれと考えさせるところがたくさんあります。たとえば第一に、良心conscience というものの、人間存在内での位置づけ。リスねーさんの考えでは、これはフロイトの心理学だと、超自我に収斂していくことになります。じゃ、ロマン主義文学やフォークロアから大いにインスピレーションを得たとされるフロイトにおいて、霊的なものはどこへいったのか。ネガティヴな、悪魔的なものは井戸に、いやイドのうちに押し込められたのでしょうか(サダコかよw)。引用で "dwell" している主体は霊のなかの "conscience" なので、なかなかややこしいのです。二番目に、人間存在や、とくに人間の精神やこころを建物として捉えるのは常套的にあって、カトリックなんかでも『霊魂の城』(という題だったと思います)とか、宗教的な寓意的な本があったりするのですが、その後の「心理学」の流れだと、いっぽうで安定的なフロイトやユング(安定と言ったって、ユングの「個体化」とか、たいへんダイナミックなものなのでしょうが)の心理学にはおさまらない多重人格とかが、伝統的な「憑依」とという考えと理論を交わらせつつ19世紀末に出てくるのが思い浮かびます。し、そもそもその前に、スピリチュアリズムがらみで、人体は幽霊の家みたいな考え方も出てくるのが思い出されます。そこで問題になるのは「霊」といってもどうやら区分が必要だろうということで、実際シュタイナーとかは9つとか7つとかに人間の構成を分けて考える(それ自体はギリシアに原型はあるし、ちょっとねじまがったかたちではあるけれどもイギリスのロマン主義者のコールリッジの「心理学」もなんか似ているところがあるなあと個人的には感じてますが)のですが、そこまでいくとふつうの人にはなかなかついてけなくなりますねー。3番目に、引用の終わりのところの、イエスが弟子たちに与えることばとの関係で出てくる霊というのは、ヨハネ福音書の弟子たちへの告別の辞の中に出てくる真理の霊、パラクレートのことだと思われ。そして、そのパラクレートは、高橋巌がキリスト教における最も深い霊の思想として解説しているものなのでした。

  それは、イエスが、自分は助け主ではあるが、永遠の助け主ではないと弟子たちに語り、自分が去ることによって真理の霊、パラクレートがやってくるという、つまり、逆に言うと、聖霊パラクレートが個人のうちなる霊として生きるように自分は去らねばならない、というのです(14章~16章)。イエス自身が言うように、父(なる神)のもつものは自分(子なる神)のもの、その「我がものを受けて汝らに示す」のが聖霊です。そうすっと、ここには、いわゆる犠牲の死とは異なるイエスの死の解釈があり、そして、聖父(父なる神)=聖子(子なる神)=聖霊(聖霊なる神)といういわゆる三位一体の位格のひとつである聖霊なる神の、人間存在内への受肉が語られている(ように解釈できる)ようにも見えます。

  で、中世のヨアキムみたいな人は歴史の三分説を唱えて、父の時代、子の時代、そして第三の、これから始まる聖霊の時代、ということを言って、終末論思想なんだけれど、終末前に霊を受けた人たちによる千年王国がおこるという点で、あくまで歴史内のできごととしてつまるところは人間神化思想ととられかねない神秘主義が出てくる(日本語が乱れています、すいません)。ヨアキム主義はおりおりに教会から抑えられることになるのですが、20世紀の頭に「第三の王国」というようなかたちであらわれたのも聖霊思想がもとになっています。

  ただ、やっぱりキリスト教内では、パウロの言葉とかは死後の復活というふうな文脈でとらえられるのだろうなあ、というのは容易に想像されるところです。( ..)φメモメモ的に「朽ちない、輝かしい、霊の体」 http://www.interq.or.jp/pure/hirose/hirose/2007/sekyo0706.htm

 

The night side of nature, or, Ghosts and ghost seers (Volume 1) - Crowe, Catherine, 1800?-1876
The night side of nature, or, Ghosts and ghost seers (Volume 2) - Crowe, Catherine, 1800?-1876

The Night-side of Nature; Or, Ghosts and Ghost-seers (New York: B. B. Mussey, 1850)

高橋巌 (1975) 『神秘学序説』 イザラ書房

高橋巌 (1980) 『神秘学講義』 角川書店


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March 8-10 ユスティヌス・ケルナー Justinus Kerner――擬似科学をめぐって(29)  On Pseudosciences (29) [擬似科学周辺]

March 08, 2009 (Sunday)
March 09, 2009 (Monday)
March 10, 2009 (Tuesday)

   ケルナーの『プレフォルストの女見霊者』のキャサリン・クローによる英訳は、昨年2008年の11月に、例のKessinger ――洋書のリプリント出版物(復刻本)に興味があるかたは記事「June 18 ほしいものの表 want list」を参照いただければ幸いです――からファクシミリのリプリント版が出ていることがわかりました。さらに、このあいだの記事「March 5-6 プレフォルストの女見霊者  メスメリズムからスピリチュアリズムへ(その3)」の引用で訳さなかった箇所 "(A mystical sect was founded to expound those doctrines after her death.) " (彼女の死後、この教理〔古代からの神秘言語にかかわるもの〕を解釈するための神秘教団が創設された)というのにかかわるらしい研究書で The Seeress of Prevorst: Her Secret Language and Prophecies from the Spirit World というのが、やっぱり11月に出版されているのがわかり、両方とも多少のか他生のかわかりませんが縁を感じて注文しちゃいました。

  で、\(・_\)それは(/_・)/しばらくおいといて、ついでながら、ケルナーのドイツ語の原本はE-textがWebにあります。1829年の初版は見つかりませんが、1877年のJ. G. Cotta 版と 1892 年の Steinkopf 版(Die Seherin von Prevorst: Eröffnungen über das innere Leben des Menschen und ... )。古い方のは、flipbook で見る限り、図版が落ちているようです。このあいだ英訳本からの図版を載せた太陽の円環の図は1892年のにも見つかりませんでした。あ、あった。Google ブック検索(<http://books.google.com/books?id=ngsRAAAAYAAJ&oe=UTF-8>)に変えたら出てきました(154ページ)。このページはflipbookだとポッコリあいちゃっているのですが――

WS001032.JPG

   ほんとは次の図が入っています――
WS001033.JPG 

  "Sonnenfreis" と下に書いてあるように読めます。が、それで検索してもこの本にしかヒットしないなあ。ゾンネンはゾンネの複数形で sunsでしょうか。フライはfree ? ううむ。わからんです。

  このあいだ載せた図版は次のようでした。上に "Sunphere" と書かれているようです。――
SeeressOfPrevorst(Kerner-Crowe).jpg

  英訳本の印刷技術もたいしたものです(というか版画屋さんの技術)。が、なんか言葉はだいぶはしょったような。キャサリン・クローの指示なのでしょうか。

   と謎は深まるばかりなのでした。

   ところで、ケルナーの英語のウィキペディアの項目記事――"Justinus Kerner" <http://en.wikipedia.org/wiki/Justinus_Kerner>――は、それがリンクとして挙げている1911年のブリタニカ百科事典第11版の項目記事――Kerner, Justinus Andreas Christian――のほとんど逐語的引きうつしが9割を占めています。そんなことでいいのでしょうか。能がないというか脳がないというか。まあ、ちゃんとというか、 "This article incorporates text from the Encyclopædia Britannica Eleventh Edition, a publication now in the public domain" と "references" のところに、もうひとつのソースに言及する "This article incorporates text from the public domain 1907 edition of The Nuttall Encyclopædia. " と並んで注記されていますけれど。しかしpublic domain だからといって、どこからどこまでが典拠の文かを明示しないのはまずいと思いますけど。そんなの著作権の問題じゃないよ。仁義と倫理の問題だ。

   むしろ、ナクソスの音楽ページのほうが、作詞家ケルナーの仕事がわかって新鮮です。 ――「Justinus Kerner - 作詞者 - NML ナクソス・ミュージック・ライブラリ 」。それから、前にも書いたことのある『翻訳作品集成(SF/Mystery/Horror Translation List)』にはケルナーの短篇小説を入れた日本語アンソロジーが2冊だけあがっていました――「エスティーヌス・ケルナー(Justinus Kerner)」。どっちも同じ訳者による「オルラッハの娘」ですが。

   それで、Internet Archives で調べてみると、ドイツ語のE-text が、作品集の1巻Werke (Volume 1)と4巻Werke (Volume 4) (なんでやねん)、その他20冊近く出てきます。なかで、個人的に興味深いタイトルはつぎのものです。――

The pioneers of the spiritual reformation. Life and works of Dr. Justinus Kerner (adapted from the German.) William Howitt and his work for spiritualism. Biographical sketches - Howitt, Anna Mary, 1824-1884

Magikon: Archiv für Beobachtungen aus dem Gebiete der Geisterkunde und des magnetischen und ...  ・・・・・・マジックか?

Die Somnambülen Tische: Zur Geschichte und Erklärung Lieser Erscheinung ・・・・・・夢遊病か?

Eine Erscheinung aus dem Nachtgebiete der Natur (1836)・・・・・・自然の夜の側か?

Franz Anton Mesmer aus Schwaben, Entdecker des thierischen Magnetismus: Erinnerungen an ... (1856) ・・・・・・やっぱりメスメリズム、動物磁気説に深くコミットしたわけですね

Reply to Rev. Dr. Woods' "Lecture on Swedenborgianism ;": Delivered in the Theological Seminary ... - George Bush, William Benjamin Hayden , Nathaniel Francis Cabell, Richard Kenner Crallé, Catherine Crowe , Justinus Andreas Christian Kerner, John Clowes, Massachusetts New-Church Union , Swedenborg Foundation (1847) ・・・・・・ジョージ・ブッシュ・・・・・・アメリカもからんでいるのか。ジョージ・ブッシュはヘブライ学者で、スウェデンボルグ主義者で、ポーの友人だった人です。しかし、この本、デジタル版で見たのですけれど、構成がよくわからず。

  ということで、きわめて消化不足、ほとんど私的メモでした。

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著作集第4巻扉のユスティヌス・ケルナーの肖像


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March 11 ヴェールをとられたイシス Isis Revelata――擬似科学をめぐって(30)  On Pseudosciences (30) [擬似科学周辺]

March 11, 2009 (Wednesday)

    ブラヴァツキーの最初の主著『ヴェールをぬいだイシス Isis Unveiled』 (1877) に何度か言及してきましたが、昔どこかで目にした記憶もあるタイトル Isis Revelata をメスメリズムの関係で目にしたときに、ありゃりゃ、ブラヴァツキーはここからとっていて、思想的にもつながってるのかしら、と思ってしまいました。えーと、なんのことやら自分でもわけがわからないくらいですので、説明いたします。

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 Isis Revelata: An Inquiry Into the Origin, Progress, and Present State of Animal Magnetism - John Campbell Colquhoun (Vol. 1)   扉絵

  記事「January 16-19 メスメリズム(催眠術)とアメリカ (その2)――擬似科学をめぐって(17)  On Pseudosciences (17)」で書いたように、19世紀のメスメリズム復興のきっかけとなる1831年のフランスの王立医学アカデミーの報告書を、1833年に英訳したスコットランドのコフーンの、3年後の自身のメスメリズムに関する著書 Isis Revelata: An Inquiry into the Origin, Progress, and Present State of Animal Magnetism (Edinburgh: Maclachlan and Stewart, 1836[?]) のことです。

  エジプトの女神イシスを覆うヴェールはたとえばなしです。知の象徴である女神イシスを探し求めて、ついにその顔を覆うヴェールをひき あげたときに現われたのは探究者自身の顔だったというおはなしです。

    これがタトエバナシ、parable だとして、その解釈は正統的にはなんなのか、自分は不勉強で知りませんが、勝手に思うに、(a) 「汝自身を知れ」、という、ギリシア的モットーの表明、(b) 大宇宙の探求が小宇宙たる人間に戻ってくるという、このブログに書いたので言うと、スウェデンボルグ的知の探究のプロセスを予告するもの、(c) 青い鳥とか聖杯とか、探求するものは実はすぐ身近にあるというたとえ、など、似たものどうしのような答えが思い浮かびます。

  あと、revelation (啓示)というのはヴェールをかけ直すことだみたいなことを誰だかが書いていたのを学生時代に読んだ記憶もあります。まあ、そういう、もっともらしいレトリックを好むのは文学研究者かもしれません。religion (宗教)はre があるから回帰するんだ、とか。いや、もっともなのかもしれませんが。

  えーと、日本語のウィキペディアの「イシス」には謎めいた説明があります。――

サイスのイシス神殿の銘文「わが面布を掲ぐる者は語るべからざるものを見るべし」は真理の性格をあらわすものとして、ヨーロッパで好んで引用された。ノヴァーリスの『ザイスの弟子たち』はイシス神殿の学生たちを登場人物としたものである。

  自分を見つけるというのはいつのオハナシなのでしょう。英語のWikipedia の "Isis" の相当する箇所は――

Plutarch, a Greek scholar who lived from 46 C.E. to 120 C.E. wrote, Isis and Osiris, [8] which is considered a main source about the very late myths about Isis. In it he writes of Isis: "she is both wise, and a lover of wisdom; as her name appears to denote that, more than any other, knowing and knowledge belong to her." and that the shrine of Isis in Sais carried the inscription "I am all that hath been, and is, and shall be; and my veil no mortal has hitherto raised." [9]

  西暦46-120のプルタークの書いた『イシスとオシリス』がイシス神話の典拠となっていて、「彼女は智慧の存在であり、かつ智慧を愛する〔この英語、よくわかりませんが、自身が叡智そのものあり、かつ叡智を愛する、から自己愛的というような理屈がひそんでいるのかしら〕。その名前が示していると思われるように、なによりも知ること、知識、は彼女に属する」とプルタークは書き、また、サイスのイシス神殿に次の銘文が刻まれていると書いている――「私は、かつてあり、今あり、これからあるもののすべてである。私のヴェールはこれまで人間(死すべき者)によって引き上げられたことはない

  なんか違うんですけど。それに最初に書いた自分を見つける話はどこに? 

    ・・・・・・ついインターネットで検索してしまう自分がいる。つい書きこんでしまう自分がいる。「特別研究期間」 <http://www.waseda.jp/rps/gaku/gaku99/tokubetsuken/kamio.htm> ――

 ニーチェ以降〈真理〉は徹底的に掘り崩されてきた。〈真理〉は〈真理〉への欲望の結果生じる〈効果〉にすぎないということが、ポストモダンの思想的前提だった。その結果、一方においては価値相対主義が支配的になり、他方においては、空位になっている〈真理〉の座を占めようとする衝動が、暴力的な形で充足を求める。二十世紀末のこのような状況で浮き彫りになるのは、〈真理〉を求める主体・〈真理〉があるとおぼしき座・その両者を隔てる遮蔽物から成る構図である。ここで、主体とは認識する人間を指し、〈真理〉は超越論的なシニフィアンとして、たとえば絶対者や神と呼ばれることもあり、遮蔽物はヴェール・壁・緞帳・皮膚・視覚メディアなども含む。本研究は古代エジプトから現代までを射程におさめつつ、この構図が、主体から〈真理〉への座へ向うベクトルの強度に応じて、様々なヴァリエーションを示すことを明らかにする。その際、文学・哲学・絵画・映画・オペラ・医学史などから集めた表象群を、分析の対象とした。

 出発点となるのは、イシスをめぐる神話である(プルターク、フレーザー)。めくり上げることのできないヴェールに包まれたイシスは、始原のシニフィアンとして秘匿されたラーの固有名を、ラーの皮膚の下から摘出し、さらにはオシリスの不在のファロスを偽造した。イシスが、ラカンのいう特権的なシニフィアンとしてのファロスを演出したことで、世界の豊饒が始動する。ここでは、遮蔽物の向こう側に鎮座するものは、文字どおりシミュラクルである。
 オイディプス王はスフィンクスの謎を解き、謎という遮蔽物の向こう側の正解に到達することができた。しかしながら、自らの出自をめぐる〈真理〉を得た瞬間に、没落する。ここでは、認識主体が求める〈真理〉が、認識主体自身に内属するという自己参照的な構図が観察できる。
 ルネサンスの解剖学者ヴェサリウスは、人体の〈真理〉を知るために、皮膚という遮蔽物を引き剥がす。『ファブリカ』に収められた図像は、近代における〈科学的な〉視線の勝利を予告する。
 十八世紀中葉に出版されたフランスの『百科全書』の冒頭を飾る図像は、〈真理〉を剥き出しにしてしまおうとする、科学と哲学の視線がはらむ暴力性を明示する。しかしながら、はやくも十八世紀末にはそのような啓蒙主義の方法への批判が始まる。シラーは〈真理〉への欲望に内在する暴力性を主題化し、ゲーテは遮蔽物としてのヴェールを透明にすることで、〈真理〉への欲望を鎮静させ、カントは物自体の到達不可能性を理由に、遮蔽物の前での禁欲を説く。
 さらに十九世紀初頭には、遮蔽物の向こう側の空間と認識主体との自己参照的な構図が前景化し(ノヴァーリス、クライスト)、その結果、到達されるべき空間の吸引力が低下していく。フローベールやニーチェにとっては、在るかもしれない〈真理〉の前に遮蔽物が位置するという構図が無効になる。彼岸の空間の吸引力が低下したことに対応して、遮蔽物は何かの前に立つものではなくなり、そこにとどまるべき表層に変じ、目的化する。しかし〈真理〉への欲望は消失したわけではなく、抑圧されただけである。それは、推理小説やストリップショーといった大衆文化において、代償的に充足されることになる。
 十九世紀末を彩る女性像の一人であるサロメにとって、深み思わせるものは端的に醜い(ワイルド)。彼女は根源を憎悪する。ヴェールを脱いだあと、サロメが切断するのは、男性のたんなる頭部ではなく、ファロスである。イシスが偽造した根源のファロスを、サロメが断ち切るのだ。〔イカ略〕

  ううむ、またファロスかあ(あ、メイポールからの思いです)。ちなみにこの神尾達之というひとは『ヴェール/ファロス――真理への欲望をめぐる物語』という研究書を、2005年12月に星雲社から出版されています。しかしデリダ以降、みんなロゴファロか。・・・・・・

  ということで、イシス探究の話は宿題になりました。

  ということで、『ヴェールをとられたイシス――アニマル・マグネティズム(動物磁気説)の起源、進化、現状についての研究』の初版2巻本の目次を眺めて地道な写経的営みをしてみます。イカ、読むに及びません。それでもヒマで見たいという奇特な方は、赤字にしたところでも目をとめていただければとも思います。結論的に書いておきますと、内容的に、神秘学ということでブラヴァツキーに直接的につながることはないと思われます。けれども、『ヴェールをぬいだイシス』のころのブラヴァツキーは、西洋の神秘主義のほうに東洋思想よりもコミットするところがあって、動物磁気のような霊的媒体を、予知や啓示などの「科学」的な説明に利用したのではないかと思われ。あと、霊/魂問題が出てくるのは確かなようです。

Chapter I. — Definition of Animal Magnetism.  Extraordinary nature of the phenomena.  Difficulty of belief.  Experimental investigation recommended.  Best means of conducting it.  Evidence in favour of the facts.  Objection of marvellousness obviated.  Opinions of Philosophers — La Place — Cuvier — Coleridge — Treviranus, &c. . . .59

Chapter II — Phenomena of Animal Magnetism deserve serious attention.  Tend to increase our physiological and psychological knowledge.  Experiments conducted not by empirics alone, but by professional gentlemen of learning, intelligence, &c. — Curious popular opinions which have prevailed almost univeisaly in the world— Influence ascribed to the touch of the human hand. — Royal touch. — Influence of the human eye, breath, and saliva, &c. . . .73

Chapter III. — Sympathy. — The stomach a principal centre of nervous sympathy. — Effects of moral causes upon the stomach. — Opinions of Dr Cullen, Dr Alison, &c. ..... 97

Chapter IV. — Sympathy between the mind and the body. — Cases of John de Poictiers and Henry IV. of France.  Influence of the mental affections over the bodily secretions. Case reported by Dr Wardrop.  Beneficial effects of mental impressions upon the body. — Opinions of Dr John Gardiner.  Alleged
influence of the imagination. . . .112

Chapter V. — Nature herself cures diseases — Opinions of Hippocrates, Paracelsus, Van Helmont, Dr Nichols, Dr Laurence, Stahl, Hunter and Abemethy, Dr T. Simson, Dr Hoffmann.  Effects of faith and confidence.  Fienus. Galen. Pechlin, &c.  Extract from Le Globe, — Miracles wrought at the tomb of the Abbe Paris.  Explanation of.  Opinion of Douglas, Bishop of Salisbury upon.  Miracles
at the tomb of Saint Jubin.  Cure of the yellow fever by Magnetism.  Faith and confidence necessary to the success of every transaction in life.  Opinion of William Maxwell, &c. . . .125

Chapter VI. — Power of volition over the organism.  Kant.  Passavant.  Brandis.  Boerhaave.  Franklin.  Bemier.  Avicenna.  Cardanus.  St Austin.  Case reported by Dr Cheyne. — Power of the volition of one individual over the organism of another.  Opinions of authors.  Pomponatius, Van Helmont &c.  Case related by Joseph Glanvill, &c. . 144

Chapter VII. — Difficulty of explaining the phenomena of Animal Magnetism.  Difference between material and mental phenomena.  Theory. — Experiments on the nervous system. — Transference of Vital Power. Physical analogies &c. . . 171

Chapter VIII. — Magnetic opinions and practices of the ancients.  Temples of Health. — Verses of Solon.  Plautus.  Martial Practice of Asclepiades.  Magnetism among the Oriental nations.  In the Monasteries.  Witchcraft.  Opinions, of the North American Indians.  Influence of the imagination.  Case of Elizabeth Bryant. Philosophical Medicine.  Opinion of Dr Ziermann, &c. . . . 188

Chapter IX. — Levret, Greatrakes, and Streper.  Method of Greatrakes.  Opinions of his practice by Philosophers, Physicians, and Divines.  Gaassner.  Other natural magnetizers. .... 203

Chapter X. — Mesmer.  His labours in the discovery of Animal Magnetism at Vienna, in Paris, &c.  Perkinism.  Mesmer makes converts.  His theory.  Conduct of the Medical Faculty of Paris.  Progress of Animal Magnetism.  Court de Gebelin, &c. ....213

Chapter XI. — Mesmer's mode of conducting the magnetic treatment.  Whimsical apparatus and mystery.  Opposition.  Mesmer sells his secret Harmonic Societies.  Committee to investigate the
medicinal eflects of the mineral magnet. Committee to investigate Animal Magnetism.  Reports, and remarks upon them.  Report of Jussieu.  Publications on the subject.  Lavater imparts the system of Animal Magnetism to Doctors Bickers, Olbers, and Wienholt.  Boeckmann and Gmelin receive it from Strasburg.  Works on the subject.  Death of Mesmer. His character, &c. . ..232

Chapter XII. — Schools of Animal Magnetism, at Paris, Lyons, and Ostend. Strasburg.  Improved treatment introduced by Puysegur.  Magnetic power and susceptibility.  Physical and psychical qualifications.  Magnetic treatment, simple or compound.  Manipulation— with contact — in distance.  Method of administering Animal Magnetism recommended by Kluge.  Preparatory and effective manipulations, &c. .... 260

Chapter XIII. — Effects of Animal Magnetism upon the organism of the patient. General effects.  Particular effects.  Classification of the phenomena.  First, second, third, fourth, fifth, and sixth degrees.  Theory of the first French Commissioners — imagination, imitation, and attouchement.  Opinions of Doctors Stieglitz, Hufeland, Sprengel, Ziermann, and of Professor Dugald Stewart. ....276

Chapter XIV. — Phenomena of Animal Magnetism.  Sleep.  Somnambulism. Organic insensibility.  Transference of the faculties.  Natural Somnambulism, &c. ..... 293

Chapter XV. — Somnambulism known to the ancients.  Cases reported by Van Helmont — Horstius — Henricus ab Heer— Muratori— Gassendi— Vigneul de Marville — Dr Prichard — Martinet — Professor Upham — Macnish — Gall — Dr Franklin.  Case of Lord Culpepper's brother.  Case of a French gentleman.  Case at the Town-Hall, Southwark. Other examples. ...... 309

Chapter XVI. — Archbishop of Bourdeaux' case.  Case reported by Dr Levade, and M.M. Regnier and Van Berchem.  Case reported by Professor Feder of Goettingen.  Case recorded in the Transactions of the Medical Society of Breslau.  Total organic insensibility.  Case reported by Dr Knoll. . 323

Chapter XVII. — Cases reported by M. Sauvages de la Croix — Lord Monboddo — Dr Schultz of Hamburgh.  Case of John Baptist Negretti. — Cases reported by Ritter — Major Elliot— Dr Dyce of Aberdeen— Dr Abercrombie of Edinburgh. . 336

Chapter XVIII. — General observations.  Case of Catalepsy at the Hospital deUa Vita, Bologna.  Case at the Jervis-Street Hospital, Dublin, reported by Mr Ellis. ...... 36S

Chapter XIX. — Extraordinary case of Jane C. Rider in America, reported by Dr Belden. . 366

Chapter XX. — Case of the devotional ecstasis, in South America, reported by M. de St Hilaire. Westminster Review. ... 385

イカ下巻
Chapter XXI. — General conclusions from the foregoing instances of the natuial Somnambulism.  Phenomena inexplicable upon the received principles of Physiology.  Spallanzani's experiments on bats.  Sixth sense.  Sir Charles Bell's explanation.  Other explanations.  Theories — Mesmer.  Tardy deMontravel. Deleuze.  Attention to the facts recommended. ...1

Chapter XXII — Analogy between the natural and the magnetic Somnambulism. Remarkable phenomena of the latter.  Evidence of the French Academicians. Facts and authorities independently of Magnetism.  Plata Hippocrates. Aretceus.  Galen, &C.  Prophetic faculty, Ammianus Maroellinus.  Adienagoras.  St Justin.  Cicero.  Montanus.  Jamblichus.  Johnston.  Unknown tongues.  Pomponatins.  Lemnius.  Gainerius.  Ficinus.  Forestus[?].  Morhof[?].  La Motte le Vayer.  Charron.  Valesius.  Maupertuis. Sir Henry Halford.  M. G. Lewis, &c. . .14  〔このルイスはゴシック小説『マンク』を書いたルイス〕

Chapter XXIII. — Dr Frederic Hoffmann.  Subtile ethereal fluid.  Greater power and parity of intellect upon the approach of death, and during sleep.  Explanation of the phenomenon.  Prophecy and use of unknown languages in cataleptic and ecstatic affections.  Cases of Chevalier Folard and of Isabella Vincent. — Dr Sprengel.  Instinct of remedies.  Prediction in diseases.  Case in 1760, reported by Dr Descottes. Jung-Stilling.  Wienholt.  Romish ritual. Coleridge.  Dr Brandis.  Dr Georget.  Opponents of Animal Magnetism. ...84

Chapter XXIV. — Admissions of the first French Commissioners.  Of Dr Stieglitz of Hanover.  Article : MAGNETISME ANIMAL in the Dictionaire des Sciences Medicales, by M, Virey.  Answer by M. Deleuze.  Opinions of M. Virey.  He admits all the most essential doctrines of Animal Magnetism.  Sympathetic influence at a distance.  Case recorded by Marguerite de valois, Queen of Navarre.  Transfusion of the sensitive principle between living bodies.  M. Virey's opinion of the philosophy of the present age.  Living forces. Extraordinary development of instinct in certain circumstances.  Intuition. Instinct of remedies.  M. Virey explains the phenomena of the Instinct upon the same principle to which Kluge and others attribute those of Somnambulism generally.  Cerebral and ganglionic systems.  M. Virey admits in man, 1st, an intellectual, 2d, a sensitive principle, and 3d, material elements; and that the soul acts upon the body through the medium of a transmissible nervous fluid. 〔これは人性三分説かと思われ。でもCf. ロバート・バートンみたいな生理学〕 The soul sometimes acquires a supernatural development.  Distinction between the intellectual and the sensitive elements.  The latter secreted in the brain, descends into the nerves, and is subject to exhaustion and renewal.  The presence touch, or words of a magnetic man capable of curing bodily diseases.  State of ordinary life— of dreaming or delirium— of ecstatic meditation.  Habit of directing the nervous energies. Power of volition.  Spontaneous motions of the soul.  It constitutes the Natura Medicatris of physicians, and mechanically aspires to restore health. Presentiment.  Prophecy.  M. Virey probably an Animal Magnetizer. . . .48

Chapter XXV — Phenomena of the magnetic Somnambulism.  M. de Puysegur.  M. Tardy de Montravel.  Case reported by Dr Wienholt, and witnessed by Dr Olbers, the astronomer.  Case of Madame G. by M. de Falieres.  Case of M. Baron, reported by M. Xiamy Senart.  Magnetic consultations.  Two young magnetizers— Anthony Tronchon, and a girl, Virginia.  Analogous method supposed to have been employed in the ancient Greek temples.  Loss and recovery of human knowledge.  Case of a fatuous lady at Landau.  Case reported by a lady to M. Deleuze.  A lady magnetises her physician, who prescribes for her while in a state of Somhambulism, and manifests the faculty of prediction.  Reports of the magnetic treatment of four females, by M. Germon, Curate of Saint-Aubin-le-Cloux.  Case of Agnes Burguet, reported by M. de Puysegur.  Case reported by the Countess de C. Prediction.  Cases reported by Dr Thiriat.  Madame Hugaut's child.  Incredulity removed.  Madame Chevalier.  Mademoiselle S.  Remarkable instance of lucidity.  Petronilla Leclerc. . . 64

Chapter XXVI. — Subject continued.  Cases reported by M. ChardeL Intimate rapport between two sisters.  Case of a Femme de chambre.  Case of the wife of a Colonel of a cavalry regiment.  Additional particulars of the case of Madame P., reported by the late French Coounissioners.  Madame Lagandre points out the seat of her mother's disease.  Her indications verified upon. a post-mortem examination of the body, by M. Cloquet, Dr Chapelain, M. Moreau, Dr Dronsart, &c...  Case reported by Professor.  Schelling.  Case reported by Dr Amdt.  Case of Mademoiselle W., one of the most extraordinary somnambulists and clairvoyantes upon record, reported by Dr Klein.  Prediction of the death of the late King of Wirtembeig by two Sonmambulists.  Evidence in favour of the extraordinary phenomena of Somnambulism by the Doctors Geoiget, Rostan, and Dupotet, &c. ... 84

Chapter XXVII.— Symptoms of clairvoyance in Joan of Arc 〔ジャンヌ・ダルク〕, Swedenborg, and Jacob Behmen.  The father of the German poet, Goethe.  Extraordinary and apparently unaccountable natiue of the facts no sufficient reason for rejecting, them in the face of the evidence.  Somnambulism long observed, but the study of its phenomena neglected — A state totally different from that of ordinary life — Unintentionally described by the poet Wordsworth.  Caimotbe explained by the laws and conditions of ordinary life.  The study of the phenomena highly interesting to the philosophy of man.  Not yet known or appreciated in Great Britain.  Almost universally admitted upon the Continent.  Facts admitted even by the opponents of the practice.  Perversion of the name of Science, and neglect of Mental Philosophy in this country.  Study of Animal Magnetism recommended. . . 101

Chapter XXVIII. — Utility of induction and generalization.  Equally applicable to moral as to physical science.  May be safely applied to the phenomena of Animal Magnetism.  Best method of conducting the investigation.  Transference of vital power incapable of explaining the higher magnetic phenomena.  No satisfactory reason can be assigned why Sleep and Somnambulism should be produced by the processes.  It only remains for ua, therefore, to classify the phenomena, and to ascertain the analogy between them and other constitutional affections.  Philosophy of Sleep and Dreams.  Manifestations of spiritual activity without the co-operation of the corporeal organs.  Sleeps— sound and imsound.  Sleep and Somnambulism.  Coincident observations of Bishop Hall.  Reason of the frequently fantastic and incoherent nature of our
dreams.  Difference between the natural and the magnetic sleep.  Prosecution of the investigation recommended. . . . .115

Chapter XXIX. — M. Andral's Lectures on Animal Magnetism.  M. Andral admits the reality of the spontaneous and of the magnetic Somnambulism.  Recommends the separation of facts from the explanation of facts.  Quotes the first Bologna case, and the case reported by M. Fillassier, of which he acknowledges the authenticity.  Rejects the theory of touching, imitation, and imagination.  Seems disposed to admit the agency of Animal Magnetism.  Enforces serious attention to the subject, and refers to the establishment of a magnetic clinic at Berlin.  M. Andral very ignorant of the evidence.  Never alludes to M. Deleuze, or to any other of the best authorities.  Some of his general observations just and apposite.  Admits, in the magnetic somnambulism, the abolition of all the ordmary sensibility, and the obliteration of all circumstances occuring in the ecstasy; but considers the asserted connexion between the magnetizer and magnetised as not proved.  Admits the reality of certain magical cures, which appear to have been analogous to the magnetic methods.  Admits, that the magnetised person is capahle of maintaining a certain connexion with the external worlds, while otherwise completely insensible.  Denies the instinct of remedies, but without adverting to the evdence.  Expresses his doubts with regacd to the reality of other phenomena of the magnetic Somnambulism.  Misrepresents the experiments of Petetin.  Alludes, with scepticism, to the experiments of Rostan and Fillassier.  More profound and more impartial inquiry recommended to M. Andral.  Magnetic or vital fliud.  Proof of.  Facts incotrovertible.  Difficulty of overcoming the prejudices of medical men.  Physicians dare not avow their conviction.  Facts mentioned by M. Deleuze. . . 127

Chaptbr XXX — Recapitulation.  Theories.  Reil, Autenrieth and Humboldt.  Magnetic treatment operates principally upon the ganglionic system. Plexus Solaris, or cerebrum abdominale.  In catalepsy and somnambulism, the seat of general sensibility frequently transferred to, the epigastric region.  This ganglion probably designated as the Archeus by Paracelsus and Van Hehnont.  Reil assumed two poles of sensibility in the human organism—the pneumatic and somatic.〔これは二分説〕  Remark of Dr Spurzzheim.  Possibility iof withdrawing, the nervous energy from the brain, and concentrating it in the plexus solaris.  Physical analogies.  Simplicity and
uniformity of natural causes.  Other theories.  Animal Magnetism opposed to physiological materialism.  Insufficiency and absurdity of the material hypothesis.  Animal Magnetism distinguishes between matter and spirit.  Is founded upcm an inductive investigation of the phenomena of living nature.  The doctrine calculated to elevate humanity, and to dignify science.  Proves the independent existence of the soul.  Theoiy of an ethereal fluid probable.  Roullier.  Puysegur.  Opinions of Hoffimann, Hunter, Abernethy, Coleridge, Bakewell.  The assumption of an ethereal fluid does not infringe upon the doctrine of the immateriality and indestructibility of the soul.  It may be considered as an intermediate connecting link between mind and matter.  May elucidate many obscure points in physiology.  May be considered as a peculiar fltud sui generis, or as a modification of an universal fluid.  Views of metaphysicians and poets realized by the discoveries of Animal Magnetism.  Religion and Philosophy reconciled.  Misapprehension of the real tendency of the doctrine.  Feelings produced|[?] by the contemplation of the material and of the moral world contrasted.  Views of the author.  Bygone fortunes of Animal Magnetism. Controversy between the Animal Magnetists and their opponents.  Trials and ultimate triumph of Animal Magnetism.  Enlightened physicians ought to take it into their own management.  Suggestions to the Physician, the Philosopher, and the Divine.  Views of the Roman Catholics.  Words of warning. Conclusion. ..... 148


APPENDIX.

No. I. — Report on the Magnetic Experiments made by a Committee of the Royal Academy of Medicine at Paris. .... 193

II. — On the singular phenomenon of the Tiansference of the Faculties from their usual and appropriate organs to the Epigastrium, and other parts of the nervous system, which has been occasionally observed to occur in cases of Catalepsy and Somnambulism. . 295

III. — On the common cause of the phenomena of Lights, Heat, Motion, Life, Elasticity, Sonorousness, Magnetism, Electricity, Galvanism, Eleotro-Magnetism, &c. being the foundation of a new theory of Physics. . 349

IV.— Literature. .... 409

 

  しかし・・・・・・なんで第二巻(下巻)はクソ長い章説明になるのでしょう。ああ疲れた。読んだ気になりました(w)。ふろく(appendix) の4の Literature は参考文献リストで、9ページくらいありますけれど、とても書き写す気力は現在ありません。

Isis Revelata: An Inquiry Into the Origin, Progress, and Present State of Animal Magnetism - John Campbell Colquhoun (Vol. 1)

Isis Revelata: An Inquiry Into the Origin, Progress, and Present State of Animal Magnetism - John Campbell Colquhoun (Vo. 2)

IsisUnveiled.jpg
21世紀の『ヴェールをぬいだイシス』のカバー

  こんな顔をさらしていいのでしょうか。それともこれはワタシ・・・・・・

WS001047.JPG
 Isis Revelata: An Inquiry Into the Origin, Progress, and Present State of Animal Magnetism - John Campbell Colquhoun (Vol. 2)   扉絵・・・・・・1巻と同じか・・・・・・

  


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March 16 百科的 Encyclopaedic [擬似科学周辺]

March 16, 2009 (Monday)

    つい上の空状態に陥っていました(わけわかめ)。

   このあいだの「March 11 ヴェールをとられたイシス Isis Revelata――擬似科学をめぐって(30)  On Pseudosciences (30)」でつい引いてしまった「特別研究期間」にの一節「十八世紀中葉に出版されたフランスの『百科全書』の冒頭を飾る図像は、〈真理〉を剥き出しにしてしまおうとする、科学と哲学の視線がはらむ暴力性を明示する。しかしながら、はやくも十八世紀末にはそのような啓蒙主義の方法への批判が始まる。シラーは〈真理〉への欲望に内在する暴力性を主題化し、ゲーテは遮蔽物としてのヴェールを透明にすることで、〈真理〉への欲望を鎮静させ、カントは物自体の到達不可能性を理由に、遮蔽物の前での禁欲を説く」の百科全書の冒頭の図像ってどんなもんだろ、と無知なモーリちゃんの父は調べてみましたが、最初、つぎのものが扉として出てくるので、え゛、これが真理ムキダシかい、と疑問に思って数日煩悶したのでした。――

Encylopedie.jpg
via 「Wikipedia - 百科全書」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8

  これは日本語のウィキペディアの「百科全書」の項目記事のなかに「百科全書の表紙」として載っているものですけれど、なんか老けて不細工な天使が・・・・・・天使は「無性 sexless」とされているけれど、ここまで成長すると男にしか見えんなあ、というような・・・・・・裸を布で一部覆われて浮遊している。この天使が知の探究にどうからむか知らんけれど、ミューズのように人間と対象とをとりもつ媒体なのだとしたら、なんで媒体が対象化されてしまうのだろう、と頭がこんがらがったのでした。この天使(だかなんだか知らんが)は、イシスのように知を体現しつつ知を探索する存在なのだろうかとかなんとか。

  しかーし。「冒頭を飾る図像」というのはこれではなかったのでした。もっとアカラサマなものでした。――

Encyclopedie_frontispice_full_473px.jpg
via <http://mediadix.u-paris10.fr/du/dusite2005/Picard/frontispice.html>

  中央上でhalo を出している天照大神みたいなのが、真理の女神さまなのでした。これの部分図はWikipedia の英語の "Encyclopédie"フランス語の "Encyclopédie ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers" には載っているのですが、日本語の「百科全書」には載っておらんのでした。ぷんぷん。

  英語版でいうと図2のキャプションから引きますと―― "It was drawn by Charles-Nicolas Cochin and engraved by Bonaventure-Louis Prévost. The work is laden with symbolism: The figure in the centre represents truth — surrounded by bright light (the central symbol of the enlightenment). Two other figures on the right, reason and philosophy, are tearing the veil from truth." (原画はシャルル=ニコラ・コシャン (1688-1754)、版画はボナヴェンチュラ=ルイ・プレヴォー (1747-1804?)。象徴の多い作品――中央の人物は真理をあらわしている。右側の理性と哲学は真理からヴェールを引き剥がそうとしている)

  理性といえば・・・・・・理性が裸を推し進めてよいのでしょうか。まあ、よくわかりませんが、ここで裸がどうとか考えるのは人間に戻しているわけで、神が人間の姿をしていること自体が人間の勝手なイメージ化ですから、人間のしがらみを神に押し付けてはいけないのでしょう。寓意とか象徴のレヴェルでの機能とのズレが生じるわけでしょうね。ドラクロワの有名な「民衆を導く自由の女神」(1830年、ルーヴル美術館所蔵)はおっぱいをモロにはだけておるわけですけれど、アレゴリカルには「乳房は母性すなわち祖国を、・・・・・・比喩(アレゴリー)で表現している」ということになります。だから、この女性と見える存在を女の人と見てはイカン。・・・・・・でも見えるように画家は書いているし、これがマリアンヌさんという女性をモデルにしていたという適当な可能性も含めて、アレゴリーにしてもシンボルにしてもややこしい(このへんはむかしメイポールについて考えていたときに考えていたこととちょっと重なります)。

  というようなそれかたでいろいろ考えさせられた次第です。

  で、本来的なところに戻って、ウィキペディアをいろいろ見ていて、思ったのですけれど、項目「百科全書」は「『百科全書』(ひゃっかぜんしょ、L'Encyclopédie、正式には L'Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers, par une société de gens de lettres)」と書いて、フランス語で示した長いタイトルを日本語に訳していませんが、1745年に出された原型については、「Encyclopédie ou dictionnaire universel des arts et des sciences (技術と科学に関する普遍的な百科全書)として告知文が出され」と書かれています。何が言いたいかというと、"sciences" は「科学」と訳されています。"arts" を「技術」と訳すのも目にとまりますけれど。

  いっぽう、「百科全書序論」という項目もあって、「百科全書序論(ひゃっかぜんしょじょろん)は1751年に初めて発行した『百科全書、または学問、芸術、工芸の合理的辞典』のためにダランベールによって書かれた序論である。この序論は二部からなっている。第一部は学門の系統を対象とし、第二部は学芸復興(ルネサンス)以来の人間精神の進歩の歴史を対象としている。」と書かれています。『百科全書、または学問、芸術、工芸の合理的辞典』のリンク先は先の「百科全書」そのものです。そうすると、この序論の項目では、sciences=学問、arts=芸術、métiers=工芸という対応が想定されているわけです。そして、「引用」のところには次のような訳文があります。――

願わくは、後世の人々が私たちの『辞典』を開いて、「これが当時の学問と芸術の状態であったのだな。」といってくれますように!願わくは、後世の人々が、私たちによって記録された発見に自分たちの発見をつけ加え、人間精神とその産物との歴史が最も遠く隔たった幾世紀までも代々続いてゆきますように!願わくは、「百科全書」というものが人間の知識を時の流れと変革とから保護する神殿となりますように!   

     科学が出てこないのです。つまりscience を「知」とか「学」とかいうものとして考えているわけでしょう。

   もとのタイトルの先のほう――フルタイトルは、"Encyclopédie, ou Dictionnaire raisonné des sciences, des arts et des métiers, par une société de gens de lettres, mis en ordre par M. Diderot de l'Académie des Sciences et Belles-Lettres de Prusse, et quant à la partie mathématique, par M. d'Alembert de l'Académie royale des Sciences de Paris, de celle de Prusse et de la Société royale de Londres" です〔ついでながら "raisonné" は英語の辞典に載っているように "systemetic" (体系的)の意味〕――には、"de Académie Royale de Sciences" という言葉が出てきます。これはフランスの「王立科学アカデミー」なるものです。歴史的には 、ルイ14世によって16世紀に設立された科学アカデミーは、ウィキペディアの「科学アカデミー (フランス)」にあるように「最初にアカデミー会員として任命されたのは、天文学者解剖学者植物学者化学者幾何学者技師医師物理学者」でした。

  ということで、まあ科学史のほうでは常識とかになっているのか知りませんが、このへん、つまり18世紀の啓蒙主義の時代に、「科学」のありようについて、(書いている余裕がありませんが理神論から無神論へとたどるディドロを思えば宗教との関係も含めて)問題になったのだろうな、と思った次第です。

  そして、天使も神も信じないのなら、裸の天使とか女神とか出すなよ、とちょっと文句を言いたくなったのでした。

756px-Eug%C3%A8ne_Delacroix_-_La_libert%C3%A9_guidant_le_peuple.jpg
Eugène Delacroix, La Liberté guidant le peuple (1830) via Wikipedia <http://fr.wikipedia.org/wiki/La_Libert%C3%A9_guidant_le_peuple>

 


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March 16 プレフォルストの女見霊者、2冊 The Seeress of Prevorst [擬似科学周辺]

March 16, 2009 (Monday)

   あまぞんで注文してこの日受け取った本2冊。19世紀同時代の英訳と現代の研究書。

TheSeeressofPrevorst_DSC_0773.jpg

Justinus C. Kerner.  Trans. Catherine Crowe.  The Seeress of Prevorst, Being Revelations Concerning the Inner-Life of Man, and the Inter-Diffusion of a World of Spirits in the One We Inhabit.  (London: J. C. Moore, 1845)  Rpt.  Kessinger, 2008.  338pp.   [www.kessinger.net]

John DeSalvo.  The Seeress of Prevorst: Her Secret Language and Prophecies from the Spirit World.  Rochester: Destiny Books, 2008.  208pp.  $14.95 を [www.DestinyBooks.com]

   DeSalvo というひとは、本の終わりのところについている「著者について About the Author」によると、もともと biophysics の専門家で、もと大学の先生だそうです。「生物物理学」といういわゆる学際的な分野です。二十年以上にわたって the Shroud of Turin に関わっている科学者のひとりだったと書かれている、その  shroud of Turin というのは、いわゆる「聖骸布」というやつのひとつで、「トリノの聖骸布」と呼ばれるものですね。現在 ASSIST (Association of Scientists and Scholars International for the Shroud of Turin) という国際的な組織の会長さんだそうで。で聖骸布とアンドルー・ジャクソン・デイヴィスとエイブラハム・リンカーンとピラミッド研究が研究の専門みたい。ふーん。彼のWebsite―― www.gizapyramid.com と www.andrewjacksondavis.com  だそうです。

  そのDeSalvo の本には文献表 (Bibliography) と 索引 (Index) もついていて、ケルナーの本についての書誌情報の最初にキャサリン・クローの英訳本が挙がっています――

Kerner, Justinus.  The Seeress of Prevorst: Being Revelations Concerning the Inner-Life of Man, and the Inter-Diffusion of a World of Spirits in the One We Inhabit.  Translated by Catherine Crowe.  London: J. C. Moore, 1845, 1855, 1859.

   1845年初版のあとの1855年と1859年が出版年として挙がっています。ただ、本文を見ても3者に異同があるかは書かれていません。

  なんでこんな細かいことを書くかというと、はい、Kessinger のリプリント本のほう、つまり1845年初版のあんまりきれいじゃないコピー本(実際、コピーを取ったように、本の角が黒い影になっています)に図版がなかったからです。マジかよ~。

   初版にはなくて改訂版から付くということはありうることではありますが・・・・・・。

   そのケルナーの本のクロウによる英訳1845年版の冒頭の "Translator's Preface"(訳者序)を読むと、ドイツ語原著はかなり重複した記述があり、ある箇所はあまりにdry、 ある箇所はあまりにmystical、なんで翻訳にあたっては思い切って編集・意訳したみたいな説明が書かれています。マジかよ~。

  ただ、この長い副題は、ドイツ語版を踏襲しているもので、第一部が "Revelations Concerning the Inner Life of Man" (人間の内なる生に関する諸啓示)、第二部が "Revelations Concerning the Inter-Diffusion of a World of Spirits on the One We Inhabit" (霊たちの世界の我々の住む世界への流入〔相互拡散〕に関する諸啓示)で、そのふたつをあわせたものがタイトルに入っているのでした――The Seeress of Prevorst, Being Revelations Concerning the Inner-Life of Man, and the Inter-Diffusion of a World of Spirits in the One We Inhabit。

  全体を読みとおす時間的余裕はいまのところないのですけれど、どうやらクローの英訳書で "The Spheres Themselves" とそれにつづく "The Life-Sphere Proper" と題された8ページほど、全体がブラケット[ ]に入っているふたつの節――それの前には訳者のコメントが入っていて、"[We here insert a compendious account of the spheres, with which we have been favoured by a scientific friend.―TRANSLATOR.]" (ここにスフィア(球層)についての概略的説明をはさむ。これについては科学者の友人の交誼を得た)と書かれている――を眺めると、ここにSunsphere とかの図版が入っていたのではないかと想像されます(128-135ページ)。

  そうなると、ここらへんはクローのことばなのかもしれませんが、たとえばこんな文章があります。――

In a word, this life-ring is the seat of the soul, (Seele,) and the place of its confluence with the spirit (Geist.)  (By the word soul, is signified the abstract idea of the sum of all the intellectual and moral faculties; and by the word spirit, is indicated the pure reason―the conscience―the intuitive sense of the good, true, and beautiful―the over-soul―in one word, the Holy Ghost; all which are synonymous.)

   ゼーレ(Seele)はドイツ語で魂、ガイスト(Geist) はドイツ語で霊です。後半で "spirit" によって何を意味するかというと、と列挙されているのが「純粋理性 pure reason」、「良心 conscience」、「真善美の直観」、「オーヴァ―ソウル over-soul 〔これはアメリカの超絶主義者エマソンも使うことばですが、エマソンの場合は日本では「大霊」と訳されています。「大魂」だとダイコンみたいでかっこ悪いからという説明を受けたことがあります――誰にじゃい!w〕」、「<聖霊>」で、これらは同義だと締めくくっています。

  だから、やっぱり、三分説なのですね。

   それはそれとしてまたいずれ触れるかもしれませんが、よくわからんのは、たぶんクローも頭が痛くなってよくわからなかった可能性はあるわけですけれど、DeSalvo は英訳本とドイツ語本の図版を異なるヴァージョンとして並べています(*1)さらに知り合いから訳してもらったらしい忠実な英語訳を添えた図版も。

TheSeeressofPrevorst1sm.jpg

  これはクローの英訳本の図版です。このあいだ載せたのと同じです(こちらはなぜか4分割されていますが)。

TheSeeressofPrevorst2small.jpg

  これもクローの英訳本の図版だそうです。初めて見ました。

TheSeeressofPrevorst3sm.jpg

   これがドイツ語版(左上)と、それの忠実な英訳図版

   ・・・・・・・・・・・

   まんなかに挙げた、初めて見たと書いた「サークル」が "Life Circle" あるいは "Life Sphre" と呼ばれるもので、これが内部の円環、魂のスフィア。これは上の英語の引用にある "life ring" と同じだと思われます。そして "Sun Circles" と呼ばれるものが7つあって、それらは霊のスフィア。7年周期で七つのスフィアは転換していくのだそうです(一年にひとつずつ)。

   おそらく太陽を中心とする世界像というか、宇宙像で、日~土の7つのスフィアが世界を構成しており、相互に照応があるというようなハナシらしいことはわかってきましたが、細部は全然わかりません。科学的というのかよくわかりませんが、少なくとも図版はわけわかめです。

   でもたぶんつづく。

(*1)(別のSun-sphere のことかとも思いましたが、ドイツ語版で見つかる図版はやはり同じもので・・・・・・いずれにしても、電子化されたテクストがきちんと図版も載せてくれていないと何がなんだかわからないです。いや、ケッシンガーの復刻本についていえば、版を組み直すことによる誤りが生じない「コピー」が売りなのだから、ちゃんとコピーしてくれよ、ということなのですが、――異なるヴァージョンの愚痴は去年の夏に「July 19 ウェブスターの『フォー=プールズ・ミステリー』または本の電子化とテキストの正確性について――The Four-Pools Mystery by Jean Webster (続き) [本・読み物 reading books]」で書きました。)


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March 13-21 マーガレット・フラーの新しい伝記を読まないなりに考えたこと Margaret Fuller: Wandering Pilgrim (2008) by Meg McGavran Murray [擬似科学周辺]

March 13, 2009 (Friday)

   この日届いた本。

MargaretFuller.jpg

Meg McGavran Murray.  Margaret Fuller: Wandering Pilgrim.  Athens: The University of Georgia Press, 2008.  xx+515pp.  $44.95 を送料と合わせて15ドルくらいで購入 ついでながら、下の箱は引っ越し用の箱です。そろそろ帰国準備なのですが、のほほんとほんはとどき。

  擬似科学のシリーズの最初にフラーの『19世紀の女性』のイラストをもってきたこともあり、なんとなくあらためて気になっているひとです。いちおー、たぶんこの伝記もどうやらそうなのですが、男性的な女性→ジェンダー・クライシス→精神的なクライシス→神秘思想への傾斜(とりわけ両性具有的な思想への関心とか)というような構図でとらえられる人なのだと思われ。

  8部構成で全65章からなる大冊です。もちろん読んでません。読んでなくても買ったらなるたけ書くw。擬似科学との関係だと、動物磁気説(メスメリズム)と骨相学です。索引からメモって今後の読書に役立てよっと――animal magnetism, 63, 105, 118, 210; defined, 106-7, 119, 158-9; in "The Great Lawsuit," 188, 195, 197, 202; MF's belief in, 106-7, 158, 186, 189, 202; in Summer on the Lakes, 208-9, 211-2.  Mesmer, Franz Anton, 189, 195; Fourier as follower of, 448n14; on harmony of spheres, 197; and Society of Harmony, 209.  mesmerism (mesmerists), 105, 106, 109, 202, 209; MF visits mesmerist, 106-7, 119, 158-9, 210.  phrenology, 105, 106, 107; Fowler brothers examine MF's head, 107.  Fowler, Orson, 89-90, 106, 107; examines MF's head, 89, 107; MF attends lectures of, 458n11; MF intrigued by, 107.

    ただ、どうも該当する章のタイトル、14 "Providence, Pain, and Escape into Illusion" (pp. 105-16), 21 "Daemonic Desires" (pp. 150-8), 22 "'The Daemon Works His Will'" (pp. 158-163) などがほのめかすように、擬似科学への傾斜をあんまり肯定的にはとらえてないようで(まあフツウそうですがw)。ただ、問題は、どっか本文で demonology 云々って書いてあるいっぽうでソクラテスのダイモーンへのフラーの関心を書いているのだけれど、デモーニッシュなものすなわち悪魔的で邪悪という偏見はフラーにはないと信じたいのですが、自分の内なるdemonとか言うとすぐに悪と結びつけるのは異教的なもので霊的な存在を「解釈」したキリスト教倫理の影響なのでしょうね。

  まったく個人的メモとして書き留めておくと、悪の存在を認めつづけたキリスト教は、しかし、悪を天国(Heaven)・神(God)・天使(angel)と反対側の地獄(Hell)・魔王(Satan)・悪魔(devil)として逆ヒエラルキー的に位置付けたわけで、人間に関与する霊的なものは善悪二元論に分離してしまうわけなのだと思われ。

  だとすると、ハードル(というのもヘンですが)がいくつもあって、まず人間の霊性の体験が教会組織を介さずには異端視された中世以降の正統思想に対して、聖霊を個人として体験するという異端的な流れがあり。けれども既にして、「聖霊」という光の側をもっぱら指向しているがゆえに、倫理的に善性が霊性と重なるところがあり。だからこそ、このあいだ〔「March 16 プレフォルストの女見霊者、2冊 The Seeress of Prevorst」参照〕のような霊=「真善美の直観」=「良心 conscience」=「聖霊」というような等式が成立してしまう。

  でもconscience というのは辞書の定義に従えば right or wrong の知覚ですから。つまり人間社会における倫理コードにあっている・あっていない、という倫理でしかない。コンシャンスって中にscience が入っておるわけですけれど、語源を考えると "privity of knowledge (with another)" (OED) というようなところなのですよね。他者と知識を内々に共有することなわけで、勝手な感じを述べれば、common sense というのも近いな(たぶん)。

  そういう人間の、いってみれば勝手な道徳と同一視されたら、霊もたまったもんじゃないと思うのですが。

  だから、そういう倫理から離れて霊的なものはどのようにあるか、みたいな問題。

  はっ。話がそれすぎ・・・・・・。

MargaretFuller_1845_asPortraitofaDistinguishedAuthoress_caricaturebySamuelE.Brown.jpg
Samuel E. Brown によるカリカチュア (1845). "Portrait of a Distinguished Authoress"

  えーと、実はこれが挿絵になった文章をポーが書いているわけですが、ポーとフラーについてはまたいずれ(またがあるのだろか)。

MargaretFuller_1848-daguerreotype.jpg
Margaret Fuller (1846) ダゲレオタイプ写真

  フラーは頭痛持ちだったのです。それでメスメリストに、というかメスメリズムにかけられる盲目の被験者に診てもらって、磁気流体の流れが阻害されている、というありがちな答えを得ます。でもそこからフラーは動物磁気説に関心を深めていく。

MargaretFuller_inItaly1848-ThomasHicks.jpg
Thomas Hicks によるイタリアのマーガレット・フラーを描く肖像画 (1848)

  他のいくつかの絵を見ると、確かにこういう顔をしていたのだな、と思われます。1810年に生まれ、超絶主義者たちと交流し、雑誌『ダイアル』の編集者になり、それからニューヨークで書評家として令名をはせ、フェミニズムの金字塔的な『19世紀の女性』を1845年に出版し、翌年には女性初の外国特派記者としてヨーロッパに行き、結婚して子供をつくるのですが、1850年、帰国の航海でニューヨークの沖まできて船の難破により一家3人とも命を落とします。遺体は見つかりませんでした。享年40。

 


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March 27 『磁気睡眠と心理療法のルーツ』 From Mesmer to Freud: Magnetic Sleep and the Roots of Psychological Healing_(1993) by Adam Crabtree [擬似科学周辺]

March 27, 2009 (Friday)

   今日はモーリちゃんが小学校へ行く最後の日で、友だちを連れて2時前に戻ってくるのだけれど、部屋を片付けようとして本を片付けながら、やっぱりこれも書いておこう、とまだブログへの執着が断ち切れない自分がいます。

FromMesmertoFreud.jpg

Adam Crabtree.  From Mesmer to Freud: Magnetic Sleep and the Roots of Psychological Healing.  New Haven: Yale University Press, 1993.  x + 413pp. 

   1月の末頃届いた本だったと思われ。この本も図版がないです。禁欲的なほどです。装丁も、表紙のタイトルに見られる波打ったような文字の並びが章のタイトルに出てくるだけで、あとは366ページまでの本文のあとReferences (引用文献)が40ページもあり、びっしり文字で埋まっています。7ページのIndex 付き。

  今日的な意味での心理療法の始まりが1784年のアントン・メスメルによる磁気睡眠の発見だというのは、Henri Ellenberger の大著 Discovery of the Unconscious (1970) が歴史的に指摘し、跡付けたものだと思うのですが、この本はメスメリズムの喚起したさまざまな問題――多重人格や霊界の啓示なども含め――を広範な資料読解をもとにして論考したたいへんな労作だと見受けられます。

  えーと、いくつか例をあげると、前に言及したテーブル・ターニング問題(「March 4 メスメリズムからスピリチュアリズムへ(その2)――擬似科学をめぐって(25)  On Pseudosciences (25)」参照)。これはふつうスピリチュアリズムがらみで捉えられていますが歴史的にはその前に動物磁気との関係があったというようなことは書きました。で、この本の第12章(pp. 236-65) は "Table Turning: Speculations about Unconscious Mental Activity"(テーブル・ターニング――無意識の精神活動についての思索」)で、簡単な歴史的な解説の後に、"Explanations" がルル説明されています。五つあったそうです――

Five explanations of the phenomena predominated: they were the productions of departed sprits 〔死者の霊〕; they were the workings of the devil〔悪魔〕; they were simply due to fraud〔詐欺・イカサマ〕; they arose from delusion, hallucination, and self-deception〔幻覚・妄想・自己暗示〕; or they were produced by the force of a "fluid" such as electricity, the "odyle" of Reichenbach, or animal-magnetic fluid. (p. 239)

5番目のさまざまな流体のなかに電気やオドや動物磁気が並べられているのですが。

  同時代的にはない、他の説明として超能力みたいなのがのちには出てきて、5番目とあわさって、文学の方面で言うとSF的なるものの広がりの一端を担うのでしょうけれど、考えてみれば、ゴシック的な超自然のexplanation あるいは非-explanation とパラレルなところが、歴史的にはあるのかもね。フランケンシュタインあたりからはっきり出て、アメリカだとホーソーンやポーの短篇小説に見られるような科学ゴシック。

  『プレフォルストの女見霊者』を書いたユスティヌス・ケルナーについても詳しい記述があります(198から203ページ)。この人のドイツ語の本のタイトルを見てそうかな、とは思っていたのですが、この本の前からメスメリズムにケルナーは関わっているのですね。ただ体を消耗するからやめたほうがよい、と判断したのを、患者の女性フリードリケ(=女見霊者)の方から懇願されて磁気トランスを使ったのでした。フリードリケその他の被験者を経験することによって、ケルナーは "magnetic spiritism" 「磁気的交霊術/磁気的スピリティスム〔? スピリティスムと日本語で普通呼ばれるのはスピリチュアリズムがフランスで発展してアラン・カルデックみたいな人が『霊の書』とか書き、それが南米に伝播してたぶんブードゥーとかとも習合する、そういうフランス語のspiritisme の写しですし、英語の読みとしてはスピリティズムですけどあんまり聞かないですね。もっともドイツ語の訳なんだろうけど〕」 の理論を展開することになったそうです。善霊と悪霊が不断に闘争している霊界に、トランス状態の人間は参与するのだけれど、善霊のほうの影響を受けると "agato-magnetic"、悪霊のほうだと "demonic-magnetic" というのだとか。

  この悪霊の影響というのは昔風にいうと「憑依 possession」ですね。えーと、だから、ケルナーは歴史的な流れで言うと、憑依によって起こる病であるとか、悪魔祓いによる治療であるという、メスメルがキリスト教のガスナー神父を否定して「科学」のほうへ進んだ際に抹消ないし抑圧しようとしたらしいもの、それをあらためて出してきたということになります。

   ここんところは、「December 30-31 擬似科学と科学についての覚え書――擬似科学をめぐって(4)  On Pseudosciences (4) [短期集中 擬似科学 Pseudoscience]」でウィキペディアから引いた一節がかかわるところです。あらためて引いておきます。――

1775年、メスメルはミュンヘン科学アカデミーから、聖職者で信仰療法家のヨハン・ヨーゼフ・ガスナー(Johann Joseph Gassner, 1727年 - 1779年)の行った悪魔払いに関して、意見を求められた。ガスナーが信仰のせいだと言うのに対して、メスメルは、ガスナーの治療は彼が高度な動物磁気を持っていた結果であると答えた。アンリ・エランベルジュ(Henri Ellenberger)によると、メスメルの世俗的概念とガスナーの宗教的信念の対立は、ガスナーの活動の終了と力動精神医学(Dynamic psychiatry)の出現を運命づけたということである。

  で、このクラブツリーという人の本は、一直線にフロイトの力動心理学へむかうのではなくて、さまざまな周縁的ないし(切り捨てられた側から見れば)中心的な問題をとりあげるわけです。Part 1: Magnetic Sleep.  Part 2: Magnetic Medicine.  Part 3: The Magnetic Psyche.  Part 4: Psycholgical Healing.  最終の第4部は、人格乖離や第二の自我や二重意識や多重人格について19世紀末からのさまざまな議論が検討されます。たぶんフロイトにおいては、いろんな分裂やら乖離があってもそれは無意識の領域の問題であって、比喩的に言うと人間の意識という統一的なものがサーチライトをかざしてときおり無意識のさまざまな集合に光を当ててそれが我々の意識にのぼるので、分離したシステムは精神的なものであるにしても意識ではない、というところで落ち着くんじゃないかと思うのですが(比喩自体は359ページ)、多重人格とかってなかなか複雑ですよねえ。

  と世間話のようにして閉じて引っ越し箱にしまいます。

  


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