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July 5 "Oh! Susanna" の日本語歌詞をめぐって (1の上篇) [歌・詩]

 July 05, 2008 (Saturday)

 

   なんとなく、日本語で歌われてきた歌詞も気になってきた(これはつまり英語の問題というのじゃなくです。歌われない翻訳はとりあえずおいておきます)。それで、津川主一 (1896-1971) という、明治生まれのクリスチャンで合唱音楽・コーラスを日本に広めた人が「夢地より」や「おおスザンナ」や「なつかしのケンタッキーの我が家」などフォスターの作品もたくさん訳していて(津川は「線路は続くよどこまでも」や「アロハオエ」とかも訳していますが、YMCA・YWCAの合唱運動とかと関係しているのかと推測します)「おおスザンナ」は津川訳を年配の人(モーリちゃんの父は知らない詞だったので、おそらく団塊の世代から上の人たちではないかと推測)は歌ったようなので、そのへんから整理してみることにしました。と言ってはみても私は日本からカリフォルニアへ根性をもって出かけてきたところですから、資料をネット以外であたれないので、ネット限定推測だらけのものになることをお断りしておきます。

 カワイ出版が出している『混声合唱のためのフォスターアルバム』を見ると、全曲津川主一訳で、かつ日本語も旧かなが入っているようです――「懐しの我がケンタッキーの家」「故郷の人々(スワニー河)」「草競馬」「ネリー・ブライ」「おゝレミュエル」「金髪のジェニー」「おゝスザンナ」「オールド・ブラック・ジョー」「夢地より」<http://www.kawai.co.jp/shopping/detail.asp?code=6463>。むろんこの本とかにあたるべきなのでしょうが無理ですから。

 津川主一の著作を検索して調べてみると、『降誕祭独唱聖歌集』(由木康と共編 1937)、『子供の降誕祭――ピアノ・オルガン独奏組曲』(1937)、クルト・ロンドン『映画音楽の美学と科学』(翻訳1944)『アメリカ民謡の父フォスター』(1948)、ベルリオーズ『管弦楽合唱指揮法』(翻訳1948)、『合唱音楽の理論と実際』(1950)、『讃美歌作家の面影』(1955)、『こどもの歌若人の歌』(大中寅二と共編1956)Hymns in English and German(1957)、『音楽とプロテスタンティズム』(1957)、『ジュビリー・シンガーズ――物語と黒人霊歌集』(1960)、『楽しい民謡コーラス』(1960)、『教会音楽5000年史』(1965)、とキリスト者としての姿勢が感じられる仕事が多い。1948年にフォスターの本を出すわけですが、アメリカで1930年代にフォスターの再評価が盛んに行なわれたのを受けてのことだったのでしょうね(といまのモーリちゃんの父には推測されます)。

 

はっきり津川主一訳と記載されていて漢字もちょっと古い感じのがこれです。

おゝスザンナ


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<!--[endif]-->

 

わたしゃアラバマから ルイジアナへ
 バンジョーを持って 出かけた処です
  降るかと思えば 日照りつづき
   旅はつらいけど 泣く[?]じゃない
    おゝスザンナ 泣くのじゃない
     バンジョーを持って 出かけた処です

船に乗り込んで 河をくだり
 さまざまの事に 出あいました
  ときには死ぬような 思いをして
   息をこらしたり 立ちすくんだり
    おゝスザンナ 泣くのじゃない
     バンジョーを持って 出掛けた処です 

<http://www.jttk.zaq.ne.jp/babpa300/aisyou/oosuzanna.html>

そして前に2番を引用したサイトから――


私ゃアラバマから ルイジアナへ
バンジョウを持って 出掛けたところです
降るかと思えば 日照(ひで)り続き
旅はつらいけど 泣くのじゃない
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

船に乗り込んで 川を下り
さまざまなことに 出会いました
ときには死ぬような 思いをして
息をこらしたり 立ちすくんだり
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

けれど静かな夜 夢の中に
幾度(いくたび)スザンナを 見たことだろう
丘をおりて来る あのスザンナに
南から来たと 私は言う
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

やがてルイジアナへ 着く日が来る
そしたらスザンナに すぐに会える
けれどもしかして 会えなかったら
生きてるつもりは 少しもない
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/oh_susanna.html

 津川主一の訳は、「問題」の2番を、あるしゅ意訳して「暴力性」をやわらげて訳しています。とくに「さまざまの事に出あいました〔さまざまなことに出会いました〕」という訳は原詩の意味がとれなかったか、あやまってとってマズイと思ったかして、ごまかしている感じです。けれども、大意として実はあっていると思う。つらつら考えると、モーリちゃんの父の読みが正しければ、この旅は基本的に船旅です。バンジョー肩にかついで歩いて旅しているのではなく、船に乗り込んでバンジョーを膝に乗せて他の黒人たち(500人?)とたぶんアラバマ川を下ってメキシコ湾に出て西へちょっといったらニューオーリンズの港です。そのへんは津川訳は(ちゅうか、他の訳もですが)伝えていないと思います。第1節の「降るかと思えば日照り続き」も原詩では "It rain'd all night the day I left, The weather it was dry, /The sun so hot I frose to death" で、出立した日の(あるいは次の日の)ことをもっぱら言っているので、旅の途中で毎日の天候がそうであったと言っているようには見えません。なぜなら過去形だからで、いまが旅の途中なのだから、旅の天気はこうであった、と過去形になるのはおかしい。いやおかしくはないが違う言い方になるだろう。まあ要するに降ったり照ったりと訳しているわけで、原文のナンセンスなところは第2節ともども読んでいないか読めていないか訳していないと思われます。

    (つづく)
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