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November 18 リンデンの木から、またはマイアヒー――メイポールを巡って (3) Doragostea din Tea, or Maiahii: About the Maypole (3) [歌・詩]

November 18, 2008 (Tuesday)

November 17 マイアへ~」 [歌・詩]のつづきですが、

October 31, Nov. 3 メイポールを巡って (2)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづきの2)   About the Maypole (2): Renaissance Fair (5)[America]につづいてしまいました。

 

    現在WEBに遺っているさまざまなサイトからわかることだけれど、2005年に邦題「恋のマイアヒ」、原曲名 "Dragostea din Tea" の歌詞についてさまざまな人がさまざまな日本語訳を試みています。前回紹介した、

A) 「Dragonstea Din Tei - Lyric & Listen 日本語訳+読み付き」 <http://fukashigimusic.web.infoseek.co.jp/Dragostea_Din_Tei-Lyric.html

それから、 英訳、英詞ではなくて、ルーマニア語の原詞から直接意味を探ろうとしたさまざまなサイトの中で目にとまったものとして、以下のようなものがあります。――

B) 『Lyrique☆な部屋』の「本当の‘マイヤヒ‘の歌詞の意味O-ZONEを語る♪(64)」」 <http://plaza.rakuten.co.jp/Lyrique/diary/200509040001/> (2005.9.4)

C) 『恋のマイヤヒ~~avexのまネコ問題~』の「恋のマイヤヒ、の歌詞の本当の意味」 <http://blog.livedoor.jp/nomanoma2/archives/50017045.html> (2005.9.15)

D) 『★Dragostea Lingua ルーマニア語学習帳★』の「Dragstea Din Tei」 <http://blog.goo.ne.jp/saemon0114/e/6e10bab1d4e95c88964d2a86f60572fb> (2005.10.1)

E) 『Welcome to the satelliete Phobos』 の「イェイ」 <http://phobos.g.hatena.ne.jp/plank/20051001> (2005. 10.1)

F) 『Do be Ambitious! 別館~MOVE ON HOKKAIDO!~』の「の日記2月8日「野々村的「Dragostea Din Tei」和訳」<http://blog.goo.ne.jp/takeyan85/e/a9970a62c165fc049634a2428028d606> (2006.2.9)

  冒頭のマイアヒーの部分、「意味なし」と注記するものがやはりある(E)一方で、(F) は「ルーマニア語では5月のことを「Mai(マイ)」と言います。5月は夏、すなわち恋の季節の始まりで、この歌詞からは「君」と恋に落ちたときのことを思い出していることが伺えました。」と記しています。しかし、意外だったのは、(C) は(マイアヒ、のMaiは、ルーマニア語で五月(=夏が始まる季節)という意味です。(Mステより))」と記し、(B) は「Ma-I-A Hi, Ma-I-A Hu Ma-I-A Ho, Ma-I-A Ha-Ha ここにある「Ma-I」は「Mai(マイ)」で、5月と云う意味だと、作詞者本人の談。ルーマニアは5月に夏が始まり、夏は恋の季節・・・そして、菩提樹はその季節の代表的な花(一気に咲き乱れサッと散ってしまう夏の花)で夏の恋(パッと燃え上がりすぐに消えてしまう花火のような恋)の象徴。」と記します。(D) のルーマニア語学習帳さん(という呼び方でよいかどうかわかりませんが)は、実際にルーマニア、モルドヴァに旅行し、文字通りルーマニア語を学習しているかたで、他にもたくさん記事を書いています。そして7月18日の「Dragostea Din Tei は奥が深い!」は冒頭にミュージックステーションの話題がありました。――

Mステで「マイアヒーって何なの?」というタモさんの質問に、
待ってましたとばかりに「OK~」と説明を始めたDan。

MAI-A-HI のMAIはルーマニア語の5月、という話は聞いていました。
が、「ルーマニアでは5月から夏が始まって、恋する季節なんだよ」というのは
初めて知ったのです。
なるほど~!
やっぱりどこの国でも夏は解放的で情熱的で、アバンチュールで恋の季節なのね!

けど、恋の季節なのに、どうしてピカソ君は捨てられてしまう歌なの?
そこで、私はココで興味深い記事を発見しました。
http://go2rumania.exblog.jp/586356

こちらの「ルーマニアへ行こう!」さんによると、
「dragostea din tei」とは、「偽りの愛」のメタファーのこと。〔以下略〕


    まあ、モーリちゃんの父的には、一般的には、作家の発言を信用するな、というのが解釈の前提にあるのだけれど、めぐりあわせのようで興味深いのは、メイポール、メイツリー、マイバウムのイメジを、リンデン(菩提樹)と一緒に読み取れるからにほかなりません。いちおう懐疑的なところから始めれば、マイアヒ~♪の冒頭部分の、少なくともマイに意味があるのならば、ちょっと大事にするよーな気がするが、上の引用の「MAI-A-HI のMAIは」と書いているルーマニアの学習帳さんも先の訳詞記事では「Ma-I-A-Hi Ma-I-A-Hu Ma-I-A-Ho Ma-I-A-Ha-Ha」と書いています。O-Zone のドイツ語のホームページで歌詞のページを見ると、ルーマニア語とドイツ語の歌詞が載っているのですけれど、この冒頭のマイアヒ~の部分はそもそも歌詞に載せられていません、なぜか――<http://artists.universal-music.de/ozone/>。荒木師匠の『arakishishou blog!! 荒木師匠』の2005年7月17日の記事「「恋のマイアヒ~DRAGOSTEA DIN TEI」」に導かれて「O-ZONE OFFICIAL WEB SITE」に行ってみると、日本版のジャケットは「MA-I-A-HA-HA...」みたいに分かち書きされていました。

    まあ、思いついたように言ったか、隠された意味だったか。アメリカでダン自身が出した英語版が"Ma Ya Hi"となったのは "May" を入れるためだったのか? (微笑)。いずれにしても、音の並びが意味をはらんでしまうというはなし・・・・・・うぅ、書いててつまらんw。

  ルーマニア語(ルーマニア語に近いモルドバ語という説もあるけれど、モルドバの人ではないハイドゥッチ(ちなみにこの人の名前は明らかに歌詞のhaiduc を女性名詞化してこしらえられたた芸名ですよね)がそのまま歌っているのだから、少なくとも本文はルーマニア語と思われ)のタイトル "Dragostea din Tei" については、ルーマニア語学習帳さんをはじめ、説明がありますけれど、最後のTei については、Tiliaceae シナノキ科を意味するラテン語のTilia (学名)に相当するルーマニア語ですね。英語だと、あと形容詞のtiliaceous しかなくて、linden (ヨーロッパで)、lime (英国で)、basstree (アメリカの一部の木で)と呼ばれる樹木があてはまる(英語のWikipedia の "Tilia" にはO-Zone やルーマニアの詩人の詩への言及もあります)。

   まあ、いわゆる菩提樹、正確には東洋の、仏教との連想が強い菩提樹とは種類がちがっていてセイヨウボダイジュと呼ばれる木の仲間なのですが、当然、世界樹、宇宙木的な象徴性をもっているだろうな、ということは想像されます。問題は、メイツリー、マイバウムとして際立った意味をもっているかです。

  あ、話が唐突と思われるなら、さかのぼって、「October 31, Nov. 3 メイポールを巡って (2)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづきの2)   About the Maypole (2): Renaissance Fair (5)」 、あるいは中心のシンボリズムについてのメモ「October 31 エリアーデのいう中心のシンボリズム The Symbolism of the Center as Described by Mircea Eliade」、あるいは画像のある「October 29 メイポールを巡って (1) ――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続きのつづき)   About the Maypole (1): Renaissance Fair (4) 」など参照いただけるとありがたいです。あと、「メイポールを巡って(2)」で、ヨーロッパの五月木を記述するブログを紹介しましたが、その後、ありちゅんさんのブログ『それでもドイツ語が好きなんだワン♪』2007年5月1日の記事「Maibaum (五月柱)」」<http://deutschmachtspass.cocolog-nifty.com/blog/2007/05/maibaum_394c.html>を拝読、若い男女のミニチュア版五月柱(つまり五月木ですが)の話(それを注文するサイトのリンクもあり)が丁寧に語られるとともに「Wikipedia の Maibaum (様々なMaibaum の写真が載っていますので、よろしければクリックしてくださいね♪)」とドイツ語のウィキペディアへリンクされていました。目からウロコというか、なるほど、ヨーロッパのメイポールについては、英語の"Maypole" - Wikipedia ("Maytree" という項目は、あるけれど、まったく別の概念)よりもドイツ語のほうが豊富なのでした。いやまったく。

   それから、フレイザーの『金枝篇』を見ようかなあ、と思いつつも、つい忙しくて(またモーリちゃんとバドミントンやサッカーをしに山下公園に暗くなるまで出ていた)、でも出かける直前に検索で探しだした植田重雄「ドイツ・スイスにおける年間民俗行事研究」という日本語の論文から引用しておきたいと思います(典拠として標準的じゃないかもしれないけれど、内容的には完全にビンゴ♪です。植田重雄の本は『神秘の芸術――リーメンシュナイダーの世界』やブーバーの訳書をモーリちゃんの父はもっている、立派な宗教学者です)。

 菩提樹、樅、トネリコ、樫、橅などの巨樹となる樹木は、ゲルマン人にとって生活の中心――柱をなすものであった。彼らの家族、部族、村落の共同体は、自分たちと生活をともにし、祖先から生きつづけてけ〔き〕た巨樹(老樹)のもとに集まり、重要な共通の議題を協議し、生活のあり方を皆の賛否で決めていった。ここで神々に祈った。神々は樹木を伝わって天から降(くだ)ってくると考えられた。樹木はゲルマン人にとって神の降臨の目印であり、神の声を聴く場であった。この樹木の下で神への願い事を祈り、誓いを立て、歌い且つ踊った。〔・・・・・・〕つぎの詩句はチャールズ・ヴァルデマール(Charles Waldemar)の一節である。

マリアよ、甘美な菩提樹よ
喜びの花に満ちた世界樹よ
ああ、わたしを
胸に抱かれるあなたの子供とさせて下さい(*注11)


 ここでは菩提樹を世界樹として表象し、幼児を抱いていつくしむマリアの象徴のごとく歌っている。ドイツ、オーストリア、その他ヨーロッパの人々は菩提樹を庭や街路、公園その他到る処に植え、その樹の蔭で安らぐことを生活の喜びとしている。〔・・・・・・〕
 愛する若者が森にはいって白樺や樅の若木を折り取り、これを思いをよせる相手の娘に贈るものを五月の若枝(マイレーエン Mailehen)と呼んでいる。五月祭に近付くと、贈られた若枝を窓や家の戸口に飾りつける。ところがやや昔に遡ると、結婚した二人にお祝いとして菩提樹や樅などの若木(苗)をプレゼントし、二人がこれを大切に育ててゆくという習俗があった。子供に身の廻りのものを画に描かせると、太陽や家と一しょにかならず樹木と花を描くパターンがある。これは無意識に人間にとって樹木が不可欠な存在であることを暗示している。樹木を愛の祝いに贈るのは、若い人々の間だけではない。新しい市長が選ばれると、その就任式に先立って樅や白樺を一本切り出し、市庁舎、市長となる人の自宅の入口にこれを立てて祝う。この場合他の祝いとちがって枝に緑の布切れを沢山結わえて垂らす慣わしがある。十二月のクリスマスに樅、栂、松などを家の前、戸口、教会などに立てる。中世期ではキリスト教会は、樹木を教会に立てることを禁じた。樹木崇拝をおこなっていたゲルマン人の宗教的習俗を排除するためであった。しかし宗教改革以降樅などの常緑樹を「キリストの樹」(Christusbaum)と呼んで家庭内で飾るようになり、これに星型、日型、月型の装飾をつけ、小さな蝋燭を点したり、パン、菓子、人形などを吊り下げるようになる。暗く厳しい冬でも若々しい緑を保つ針葉樹を喜び、生命の存続や発展を願う気持がこもっている。やがて家庭におけるクリスマスを祝うツリーは、福音派教会の内部で飾るようになり、最後にはカトリック教会でもクリスマスを祝う不可欠の存在となっていった。これは樹木と人間の実存的な深い結びつきをよく示している。〔『早稲田商学』333号(1989):34-36ページ〕

(*11[もとは84ページの尾注]) Maria,Du süße Linde,
   Weltbaum voll blüh’nder Lust,
   Ach,laß mich zu Deinem Kinde
   Werden an Deiner Brust.(An Maria)

   引用箇所の前には、世界樹イグラドシルについて書かれており、そこではトネリコがクローズアップされるわけですけれど、俄然菩提樹が五月祭にもからんで言及されるのでした。最後の、クリスマスツリーに至る、いわば樹木崇拝のキリスト教化のくだりは、ドイツ語版ウィキペディアの十字架を模したように見えるメイポールの説明にもなると思います。

  さて、思わず知らずか知ってか知らずかメイポールの話に戻ってしまったわけですけれど、確認されるのは、第一にリンデンの木はすぐれて中心の象徴性をもちうる樹木のひとつであり、だからそれは信義や信仰や愛情の証人になりこそすれ逆ではないということです。だから、英語のWikipediaの "Tilia" の "German Mythology" の項で(どこが神話かわからんのはともかく)、リンデンの木が真実を掘り起こす空間として裁判や審理の場となったことが書かれるのはうなづけるところです―― "Originally, local communities not only assembled to celebrate and dance under the lime-tree to hold their judicial thing meetings there in order to restore justice and peace. It was believed that the tree would help unearth the truth. Thus the tree became associated with jurisprudence even after Christianization, such as in the case of the Gerichtslinde, and verdicts in rural Germany were frequently returned sub tilia (under the lime-tree) until the Age of Enlightenment." そういう意味で言うと 、英語の"under the rose" が「秘密裏に」というのとは反対の意義だと思われるのですが。

     そしてまた、リンデンは恋人の木というイメジももつことも確かなようです。そうでなければ、マイバウムとして選ばれるはずがない。

   であるならば、ルーマニア語学習帳さんも影響された、 「dragostea din tei」とは「偽りの愛」のメタファーという考えは、どこに由来し、どのような妥当性をもつのでしょうか。

  ・・・・・・と書きましたが、深入りし過ぎておりますね。もともと歌詞の内容を検討するつもりはなく。既に過去においてどこかで議論されているような気もしますし。モーリちゃんの父的には、ここにメイポールないしマイバウムのイメジを見つけただけで満足です。

  が、いちおう( ..)φメモメモ的に書き散らしておきます。dragostea din tei が偽りの愛のメタファーだというのはルーマニアに在住の人による解説です――

『Dragostea Din Tei』 とは 実はこんな意味。
Dragoste(a) = 愛 / Tei = 菩提樹  つまり直訳では「菩提樹の愛」。

 英題では「Words of Love」となっていたり、ヨーロッパでもとりあえず愛に関する色々な題になっているようです。
 でも実はこの言葉、ルーマニアでは『偽の愛』を表すメタファーなのです。
つまりそのまま訳すことはできません。

 ちなみに、このようなルーマニア語のメタファーとして
「Mama dracului (ドラキュラの母)」=『とても悪い奴』 というのもあります。 

  ドラキュラの母がとても悪い奴というのはよくわかるんですけどね(笑)。ルーマニア語のdin は英語のfrom とかフランス語のde に相当するんですかね。out of みたいに落っこったみたいな曖昧な意味になるのかしら。学習帳さん自身は、「「はかない愛」「偽りの愛」などのメタファーだそうです。コチラ トランシルバニア地方出身のルーマニア人男性に聞いてみたところ「う~ん、『片思い』って隠喩に使うかなぁ。でも滅多に聞かないよ。特定の地方で使われるフレーズじゃないかなぁ?」とのこと。」と記しています。わからんですけど、有名ならばウィキペディア等でも注釈が出そうなものだが。ちなみに英語の ウィキペディア"Dragostea din tei" のタイトル解釈の項には "The intended translation is possibly shown in the subtitles of the music video by O-Zone, which translates it as Love of the linden tree. Linden trees have strong lyrical associations in Romanian poetry, tied to the work of the poet Mihai Eminescu. Therefore the expression may be interpreted as romantic, "linden-type" love. " などと描かれています。「リンデン型の恋愛」ってなんや? わけわかめなままにあちことでこの箇所がコピペされており。やれやれ。

  また、このタイトルのフレーズは歌詞にも出てきます。"Chipul tau si dragostea din tei, / Mi-amintesc de ochii tai."  君の顔と "dragostea din tei" (リンデンの木の恋?) は僕に君の眼を思い出させる。

  ところで、上で言及したドイツ語のホームページの歌詞紹介では、ドイツ語のタイトルは "Lindenblüten-Liebe / eine Scheinliebe" と

なっています。・・・・・・ドイツ語よくわかりませんが、スラッシュ(/) で切られた前半のLindenblüten-Liebeは「リンデンの花の恋」(Blüten は木の花というような意味でしょうが、後半のScheinliebeって偽りの恋」という意味なんですかね、それとも「輝く恋」という意味と「見せかけの恋」「うわべの愛」「偽りの愛」という意味と両方あるのかしら。

  わかりません。

 

    〔カリフォルニア時間19日朝7時追記 Scheinliebeは「偽りの愛」と考えましょう。しかし、ルーマニア語とドイツ語ではモノの比喩が異なる可能性がもちろんあるとはいえ、Lindenblüten-Liebe = eine Scheinliebe というのが一般的ならば、わざわざふたつ書く必要はないわけで、Lindenblüten-Liebe であったのにそれは eine Scheinliebe となってしまった、ととるのが妥当な気がします。ちなみにふたつ上のウィキペディアの"Tilia" の引用にあるドイツの"sub tilia"というのはドイツ語ではなくてラテン語だと思われます。たぶんドイツ語なら"Unter der Linde"(Linde はLinden の単数)。なにが言いたいかというと、ラテン的中世というか、言語が違っても、ひとつにはラテン語という共通語による観念の共有、第二に、モノ自体(この場合はヨーロッパの菩提樹)の共有によって、原則的にはメタファーも共有されてきたのではないかなあ、ということ。〕

 

   投稿者の記述欄に歌詞が詳しく記載されている音源を一つ最後に(歌はhaiducii なんですが)――

"THE REAL NUMA NUMA DANCE" (3:33) posted by "GoRiLLaFooTpRiNtS925" on March 15, 2007.

 

November 19-20 メリーマウントのメイポール(五月柱)――ルネサンス・フェアをめぐって (下のはじまり)  Renaissance Fair (6)

 につづきます。

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 植田重雄「ドイツ・スイスにおける年間民俗行事研究『早稲田商学』333号(1989): pp. 1-90 (886-799) pdf. <http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/4940/1/92698_333.pdf>

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