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August 14 偉人の字影 Word Shadows of the Great: The Lure of Autograph Collecting [本・読み物 reading books]

August 14, 2008 (Thursday)

   この日にアマゾンのマーケットプレースを通して、ネブラスカ州東部のミズーリ川沿いのOmaha 市の Friendly Used Books から届いた本。

  Thomas F. Madigan, Word Shadows of the Great.  New York: Frederick A. Stokes, 1930.   xv+300pp.

         現在出ているreprint は2007年3月に Lancour Press という出版社から出たもので 388ページ、$30.95 。しかし・・・・・・原著は多数の図版(独立している場合はページナンバーがない)があり、もしかするとそれをカウントしただけの復刻版かもしれません―ISBN: 978-1406776928; amazon

      本体$6.50と送料&梱包料$3.98、合計$10.49 で購入。

WordShadowsoftheGreat_DSC_1003.jpg

  モーリちゃんの父は、書籍小包(というか今ふうの言い方だと冊子小包)は別にビニール袋に入れたりしないでも紙だけでいいと思う(思っていた)のですが(これはまあ日本での感覚)、この本屋さんからの郵便は、ひさしぶりに心なごんだというか(昔の、別の品物を例に出せば、ただ封筒に入っただけのハサミとかあったものですから――「May 1 かみきりばさみ Scissors」)、ああ、これはいい古本屋さんだなあ、と、アマゾン経由ながら思ったことでした。外側はぴったりとした大きさの段ボール紙で梱包されていたのでした。

  Mary Ann Nyberg & Bart Nyberg / FRIENDLY USED BOOKS / 6601 Maple St. Omaha, NE 68104

    モーリちゃんの父はin person に訪ねる機会があるでしょうか。あるようにここに書きとめておきたい。

   この、2007年に、amazon だとよくわからないリプリント版が出た本(だって、ほんとにわからない・・・cf.  <http://www.amazon.com/gp/product/B000857RTE/ref=olp_product_details?ie=UTF8&me=&seller=>)は、初版が1930年ですから、なかなか古い本です。で、重い。ものすごく重い。いまだったらこの半分の重さだろう、というぐらい重い。送料だけで3ドル数十セントかかっているくらい重い(たしか)――amazon のマーケットプレースは送料&梱包手数料一律3.98とかですけれど、実際の送料はいろいろです。

   autograph というのは自筆、自署、肉筆、サイン、自筆原稿の意味です。ポーに"Autograph" というエッセーのシリーズがあって、それは作家の署名を印刷しながら、この人はautograph にその特徴が現われているように繊細すぎる、とか、autograph 同様に自由奔放とか、まあどれだけサインにそれを書いた人の内面(character) が現われていると信じていたかはわかりませんけれど、autograph をダシというかタテというかにして、言いたい放題を文学者たちについて評論するシリーズです。

   で、ここから数行はまったく個人的な、ブログらしい内容なのですが(w) 、7月のある夜、酒が入った状態で注文した本の一冊です。そのときの気持ちだと、そういうポーについての論考を含むなかばオカルト的な署名研究と思ったのですが(lol)。実際届いた本を開けてみると、ポーとautograph とhieroglyphics について書いてあるかと思ったところは、ただautograph の起源はエジプトの神官の文字のhieroglyph (象形文字; 神聖文字)にまで遡る、みたいな、え、それって書き言葉の起源がhieroglyph にあるっていうのと同じじゃん、という、酒飲みによくある願望充足の非現実の夢想でしかなかったのでした。

   それでも、この本は、楽しい本です。つい著者に興味がわいて、今調べている最中なのですが、そのうちもう1回だけ書きます。

   冒頭のエピソード "A Gift for the Mikado" は、昭和天皇即位のおりに、ニューヨークの在留邦人たちが、お祝いの品を何にしよう、とあれこれ悩んでいたときに、著者のMadigan が、歴代の大統領の直筆の文書のファイルを送ったらどうでしょう、と提案したのが実現して、いま昭和天皇の書斎の棚にアメリカ大統領の肉筆文書があるはずだ、というお話です。――

   When a group of prominent Japanese representing the Japanese residents of New York set out to procure a gift for the Emperor Hirohito on the occasion of his coronation in 1928, they were confronted with a difficult task.  For not only from the millions of his faithful subjects in Nippon itself but from Japanese and friends of Japan the world over, a deluge of gifts of great variety was bound to pour in.  Their problem was to obtain a gift that would be at once appropriate and distinctively American, and one that would not be likely to be duplicated from any other quarter.  Radios were suggested, books were considered, many other ideas proposed, but all were in turn rejected as not fulfilling the requirements.  Being apprized of this situation, I suggested to a member of the committee thata collection of autographs of the Presidents of the United States, apporpriately bound with a series of portraits, might be a happy solution of the problem.  Such a gift would be distinctively American and would not be likely to be duplicated.

   Thus it came about that I had the privilege of forming the splendid collection of autographs of the Presidents of the United States which now reposes in the library of the Mikado, the gift of the Japanese of the city of New York. 〔以下ついでに引用を続けます〕 This is but one of many indications of the growing interest in autographs, of the increasing appreciation of their significance.  Ten years ago the use of autographs for such a purpose would not have been considered. Today the whole world know or is rapidly learning the sentimental, cultural and historical import of autographs.

   モーリちゃんの父は、ついでにということで引用した最後の部分、つまり、「これは直筆文書に対する関心の高まり、その意義に対する評価の増大を示す一つの例に過ぎない。 十年前にはこのような目的で直筆文書を用いるというようなことは考え難かっただろう。現在は、直筆文書の情緒的、文化的、歴史的意味を、世界じゅうの人々が知っている、あるいは急速に学びつつある。」という、文章を書く書き手の姿勢というか、つまり、そのときにしか書けない、何年か経ったら、ズレテいる、あるいは心ある人は刊行年にあわせてスライドするのかもしれませんけれど、こういうふうに時代を刻印してしまう書き方、ということが、ちょっと気になったりしています。もちろん、気持ちはわかるし、自然なのだけれど、本を書くということと、思い描く読者の時間というような問題。たとえば、滝沢馬琴が200年後の読者に解読を託すみたいなことを書いたり、アメリカのホーソンが読まれる宛てのない手紙として風のまにまに本のページ(leaf) をまき散らすのだ、みたいに書くような意識(それは読者が現在いないということでは必ずしもない)との違いとか、ブログの読者はどこにいるのかとか(笑)。

  でも、Thomas F. Madigan という、直筆署名文書のコレクションの大家であったらしい人はこのときに書かざるを得ない。そして(因果関係などまったくありようもないですが)1935年にまだ50歳前の若さで亡くなってしまいます。

  この本は、人の書き記す文字(これは英語でcharacter と呼ばれうる――いま思い出しましたがアメリカのゴシック作家の最初に位置するCharles Brockden Brown のArthur Mervyn という長篇小説の最初のほうに、character を人間の性格と文字の両方の意味で考えているか、とれるような一節がありましたねー(って誰も知らんがな)―― )が人の内面のcharacter とcorrespondしているみたいなことを主張するものではなくて、署名・直筆文書の蒐集の楽しみを語る趣味の本です。で、若干の例外はあるがすべて著者のコレクション、といっている、全巻にちりばめられたさまざまな人々のautographが、え、うっそー、これみんなもっているのー、という感じで圧倒される内容なのです。ウンチクもその道の達人の語ることですから、おもしろい。

   出し惜しみする気はまったくないですけれど、もう一回はこの人について調べて書こうと思いますし、スキャンも重たい(来年の3月まで100MB 内でもつのでしょうか)ので、ポピュラーそうなふたつだけ紹介しておきます(こういうとき著作権はかかわるのでしょうか)。

GeorgeWashington_autograph_1024.jpg

George Washington が18歳のときに書いた地図と文章

 

Lincoln_GettysburgAddress_AutographMS.jpg

Abraham Lincoln のGettysburg Address の自筆原稿

付記 (カリフォルニア時間8月28日午前11時)

  記事のタイトルに日本語を加えました。本のタイトルの"Word Shadows" は Charles Reade (1814 - 84) という英国の作家の文章からとられています。―― "These ink scratches, which in the imperfection of language we have called words, till the unthinking actually dream they are words, but which are the shadows of the corpses of words; these word-shadows then were living powers on her lips, and subdued, as eloquence always does, every heart within reach of the imperial tongue." (Peg Woffington, Christie Johnstone, and Other Stories [1869?]) <http://books.google.co.jp/books?id=oZv3TZsVU_sC&pg=PA23&lpg=PA23&dq=Charles+Reade%E3%80%80%22word+shadows%22&source=web&ots=SLmxiQBptL&sig=ctGW3ZvYhkx702wQ3zAdW9fNu8w&hl=ja&sa=X&oi=book_result&resnum=1&ct=result>

   書影ということばはありますが、字影ということばはあるのかしら。中国語にはあるみたいですけど。まいっか。

 

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