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August 28-29 ラインダンスとフォークダンス (1)  Line Dances and Folk (1) [スザンナ周辺]

August 28, 2008 (Thursday)

    日本語のウィキペディアの「ラインダンス」は、もっぱら1990年代以降のナウいラインダンスしか眼中にないようでしたが、英語のWikipedia の"line dance" はもっと視野の広い記述になっています。冒頭の記述と、歴史的な記述のところで、示唆的な文章がありました。

   冒頭では簡潔な定義がなされています。――

A line dance is choreographed dance with a repeated sequence of steps in which a group of people dance in one or more lines (British English, "rows") without regard for the gender of the individuals, all facing the same direction, and executing the steps at the same time.  Line dancers are not in physical contact with each other.  Older "line dances" have lines in which the dancers face each other, or the "line" is a circle, or all dancers in the "line" follow a leader around the dance floor; while holding the hand of the dancers beside them.[1]

  ラインダンスとは、反復されるステップ・シークウェンスで踊る、振り付けられたダンスで、一ないし二以上のライン line (英国英語では "row" )を成す集団が、個々人の性差にかかわりなく、同一方向を向き、同時にステップを踏む。ラインダンスは互いに身体的接触がなく踊られる。古い「ラインダンス」においては、ダンスを踊る人が向きあうとか、「ライン」が丸いとか、あるいは「ライン」で踊る人の全員がリーダーのあとに従ってダンスフロア―を移動するとかした。また、横の人同士で手をつなぐというのもあった。

   意訳です。最後の "while holding the hand of the dancers beside them"というのは、文法的にはなんで "hand" が単数形なのか理解に苦しむのですが、これこそ文明堂劇場的なラインダンスを包含する記述と信じて訳しました。

     とここまで書いて文明堂の劇場は何劇場だったかしら、と自分の過去の記事を見に行ったら、ちどりさんからトラックバックとコメントをいただいているのに気付きました。

ラインダンスを語れ!(ちどりん日記〜OSKが好きなのだ〜 2008-08-26 20:12)

          いやー、ラインダンス論議がすごいことになっていますわ。 写真は左:1952年(昭和27年)大劇「秋のおどり 日本一桃太郎」から「鬼のロケット」(1953年発行カバヤスクールグラフ「あこがれの星座」より)…[続く]

まだまだ「レビュー・オブ・ラブ」(ちどりん日記〜OSKが好きなのだ〜 2008-08-26 20:09)

1992年あやめ池春季公演「レビュー・オブ・ラブ」の販売版の映像を見せていただいた。

   ラインダンスについて定義から徹底的に語りあった記事ということで、できるかぎりリンクやコメントを拝読させていただきました。モーリちゃんの父としては「おおスザンナ」からふらふらと舞うようにして東部から南部へ、そしてサザンからウェスタンへとひらひらしたので、さらに西へ海を渡って日本のラインダンスに関して蘊蓄を傾ける知識も、地に足のついた議論の用意も、なにもないのですが、勉強させていただいたのでちょっとだけ紹介がてらに問題点を書かせていただき、辞書的な注釈をつけくわえさせていただきたいと思います。

  日本のラインダンスの起源については、とりあえず、このあいだの記事で「日本におけるラインダンスの歴史を詳しく語っているのですが、冒頭の、ロケット=ラインダンスのところだけ引用します」 と書いた 「All About OSK #01 [ロケット] 基礎知識からマニアネタまでOSKに関するトピックスいろいろ」  〔NewOSK*fan magazine〕のまとまった記述を引用しておきたいと思います。――

ロケットの語源は?

ショーのなかでダンサーが一列になって脚を上げるダンスがいつごろから始まったのかはさだかではありませんが、それを有名にしたのはニューヨークの ラジオ・シティ・ミュージック・ホールのダンスチーム「ロケッツ(Rockettes)」です。ロケットダンスという言葉はここから生まれました。

1922年、ブロードウェイで大ヒットしたレビュー「ジーグフェルド・フォーリーズ」を見たラッセル・マーカートはジョン・テイラー振付 の「テイラー・ガールズ」のダンスに刺激され、もっとスタイルが揃っていて、複雑なステップと、高い脚上げ(eye-high kicks)ができることを目標に1925年に「セントルイス・ミズーリ・ロケッツ」というダンスチームを作りました。このチームがアメリカで評判にな り、1932年からラジオ・シティ・ミュージック・ホールで公演を行うようになったのです。

セントルイス・ミズーリ・ロケッツはラジオ・シティ・ミュージック・ホールの前にもブロードウェイの様々な劇場で公演を行っていました が、ロキシー劇場のオーナーはことに彼女たちを気に入って、劇場に合わせチーム名を「ロキシエッツ(Roxyette)」と変えました。本拠地をラジオ・ シティ・ミュージック・ホールとしてからも、しばらくはロキシエッツと呼ばれていましたが、やがて女性形の「ロケッツ」に改名し、今に至っています。

日本のラインダンス

高木史朗の『レビューの王様 白井鐵造と宝塚』によると、1927年(昭和2年)に宝塚歌劇団で上演された日本初のレビュー『モン・パリ ~吾が巴 里よ~』のラインダンスではまだ脚上げがなかったそうです。現在のように揃って脚を上げる形になったのは1930年(昭和5年)の『パリゼット』からとの こと。ラインダンスが売り物となったのは1935年(昭和10年)にNDT(日劇ダンシングチーム)が生まれてから、という記述もあります。

NDTは当時の日劇支配人・秦豊吉によってラジオ・シティ・ミュージック・ホールのロケッツをお手本にして結成されました。また、「ライ ンダンス」という言葉そのものも秦豊吉によって作られ、1936年(昭和11年)のNDT第8回公演『日劇秋のおどり』で初めて使われたそうです。NDT 結成以前にもダンサーが列になって踊る場面は珍しくなかったようですが、ロケッツやそれを模したNDTのラインダンスは、脚を上げる回数をはじめとして、 高さやスピード、タイミングの揃い方などが、それまでの「振付の一部としての脚上げ」とは一線を画していたために評判を呼んだのではないでしょうか。

大阪松竹歌劇団の「ロケットガールズ」

さて、OSK関係の資料で最初に「ロケット」の名称が出現するのはまだ大阪松竹少女歌劇団(OSSK)と呼ばれていた時代の1938年(昭和13 年)です。『OSK50年のあゆみ』には1938年の『春のおどり』の説明文に「この公演より新しく“松竹ロケットガールズ”の名称が誕生し、従来のラインダンスより一歩前進した」とあります。この「ロケットガールズ」は、東京の帝国劇場で行なわれた松竹楽劇団の立ち上げ公演に参加しています。他の出演者は秋月恵美子、笠置シヅ子、小倉みね子ら、東西の松竹歌劇のスターや、アメリカ帰りでタップダンスの第一人者の中川三郎などそうそうたる面子です。当時の帝劇は芸術性の高いクラシックやオペラの公演が中心で、レビューやタップダンスなどの上演はそう簡単なことではなく、それだけにこの公演にかける松竹の意気込みは大変なものだったようです。

   ここで、第一に、「ロケット」として知られる日本のラインダンスの「ロケット」のほうの由来はアメリカにあること、第二に、しかし「ラインダンス」は秦豊吉がつくった言葉であることが記されています。それから、第三に、歴史的な流れとしては、(1) 1927(昭和2)年の日本初のレヴュー『モン・パリ』では脚上げがない(が「ラインダンス」の実態はある)、(2) 1930(昭和5)年の『パリゼット』から揃って脚を上げるかたちができる、(3) 1936(昭和11)年の『日劇秋のおどり』で「ラインダンス」ということばが初めて使われたそうだ、(4) 1938(昭和13)年の大阪松竹少女歌劇団の『春のおどり』で松竹ロケットガールズが生まれた。

   さて、ちどりんさんの、昨年2007年2月22日の「まだまだ「レビュー・オブ・ラブ」の本文とコメントでは、日本のラインダンスについての検討が行なわれています。そのなかでリンクされているちどりんさん自身の「本格ラインダンスはいつからか?」という2006年9月10日のブログ記事が興味ぶかかったです。また、コメントのひとつでは、昭和12年11月に大型ラインダンス<ロケットガールズ>が誕生した、という、パンフレットからの情報が記載されています。そうすると、OSK 関係としてはロケットガールズは1937年11月に結成され(練習を積み)、翌年の『春のおどり』で公にデヴューしたらしいことが推測されます。

   しかし、コメントでの議論としては、ロケットの始まりではなくてラインダンスの定義から始めないとということになって、(あしをあげない場合もある)レビューの幕間に演じられる、統率の取れた、ラインになったダンス、という定義や、ラインダンスが劇団によって意味づけがちがうことや、ラインダンスに脚上げの意味が付与されてしまっている歴史的文脈やら、さらに欧米の源流を考察する必要性などがあれこれと話しあわれることになります。

   いっぽうやや最後のほうは並立するかたちで、3月3日付の日記(ブログ)「ラインダンスを語れ!」が議論の場を提供するかたちで書かれ、そこでは日本のラインダンスについての話と同時に、夏時雨さんがWikipedia や海外のline dance に触れ、3月6日に「まだまだ「レビュー・オブ・ラブ」」にトラックバックされた夏時雨(裏帳簿)さんの「ラインダンスとLinedance(もしくはLine Dance)にRockettにKickline」 のほうでラインダンスのひろがりというかが英語版Wikipedia の"Line dance" の説明とYouTubeの映像(この最初のオーストラリアの女の子たちのラインダンスは2007年のTamworth の大会ですね――いちおう参照「August 21 オーストラリアのラインダンス事情―― 振り付け (Choreography) について」)とともに提示されて議論されることになるのでした。

   さて、モーリちゃんの父が付け加えられるのは、以下の辞書的情報です。

   最大の英語辞典であり、かつ歴史原則 Historical Principles を採用している『オックスフォード英語大辞典』 (OED)  を調べてみました。歴史原則というのは、かんたんにいうと、言葉の意味や発音や形態を、古いところから記述し、同時にそれにみあうように、見つかった限りで最も古いところから実際の用例を記載して示す、というようなスタイルです。ふつうは話し言葉のほうが書き言葉に先行するわけでしょうけれど、文献に見つかった最初の例が「初例」ということで、言葉のおおまかな誕生や変遷や死滅のあとが看てとれる、ということになります。

   はじめにリストだけ掲げて、記事をあらためて歴史的に検討させてください。n. は noun で名詞、v. は verb で動詞です。冒頭の年号は、OED における初例の年です。

1961     line dance, n.

1990     line dance, v.

1928     line dancer, n.

1930     line dancing, n.

   あ、タイトルのフォークダンスはどこに・・・・・・?   (1) とします。つづく~♪

 

カリフォルニア時間2008年9月10日付記――

「August 29 ラインダンスとフォークダンス (2)  Line Dances and Folk (2)」 〔"line dancer" "line dancing" という英語は1920年代からあったことについて、ジョン・ティラー (ティラーズ)とラッセル・マーカート(ロケッツ)について〕

「August 30 OED のまとめ――ラインダンスとフォークダンス (3)  OED, QED: Line Dances and Folk (3)」 〔英語の "line dancer" "line dancing" "line dance" と日本語の「ラインダンス」の関係について〕

「August 30 性と肉体的接触――ラインダンスとフォークダンス (4)  Gender and Physical Contact: Line Dances and Folk (4)」 〔ラインダンスが身体的接触や性差を避けるようになったことと少女歌劇について〕

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