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July 13 納本 delivery or deposit [スザンナ周辺]

July 13, 2008 (Sunday)

    昨日、日本の著作権の年表を、中学生の気分でつくっていたのだが、つくってから見つけたサイトに出版年表 ―発禁・わいせつ・知る権利と規制の変遷―という、ちょっと大人っぽいタイトルのページがある。もともと2005年2月に公開されたのが5月に本となり、加筆修正を加えたかたちでネットに載っている。冒頭に次のように説明がある。――

《本書は、若い人向けに、出版を中心に明治以来140年間の日々の出来事を拾った年表で、05年4月出版メディアパルより出版されました。ここでは修正や補遺を施しつつ、その後の動きも追加し、より多くの情報を掲出することができるため、キーワードによる検索を目的に、再編集します。まず、索引(キーワード)から掲出し、徐々に充実させていく所存であります。若者向けとはいえ、YOUNG AT HEARTの方であれば「歴史は繰り返す」のも、よいものです。2007年2月 橋本健午》 

  3章に分かれ、 それぞれ編年体の年表の前時代の状況を概説的に文章で語っている序説がついている。で、著作権関係についての記述でいろいろためになるところがありました。 (もともとは「版権」ということばは福沢諭吉がcopyright の訳語としてこしらえたという話はほんとにほんとだろうかと、気になって検索をかけてひっかかったのですが)。

   そして、そのあとまじなメモでdeposit のことを書きながら、なんかわがくにの国会図書館に一部本を納めなければならないというのと似ているけれど、国会図書館は著作権には関係ないのだろうな、と思い、でもこの制度につながるものが明治時代に起こったというようなことを年表に書いてあるのに気づきました。

   この「出版年表」の1869(明治2)年の項に次のような記載があります。――

 1・27/行政官布告81号「図書開板願並納本之件」の公布(納本制度の始まり…「出版物は、行政官に願い出て官許を受け、できたものを一部納本すべきこと」→出版条例(⇒1948・2・9、国立国会図書館法で現在の納本制度が確立)

   この年表の流れとしては、前年明治元年5月の「太政官布告により、出版、許可制となる(明治政府による最初の出版規制)」、同6月の「許可を受けない新聞の発行禁止」という、政府による出版規制のなかで捉えられており、同じ1869年の2月8日の「新聞紙印行条例の制定(発行許可制・検閲・政法〈政治のやり方〉批評禁止など)」、5月13日の「出版条例・同附録(許可制、政治誹謗・風俗壊乱禁止、版権保護など)公布(⇒75・9・3改正)」とも連動しているものとして捉えられているのだと思われます。

   まあ、ベルヌ条約(1886)のあと日本で版権条令(1887)や版権法(1893)が出て1899年に旧著作権法が出る、その20年、30年前の話なわけですが、「官許」を得るということが、資格なのか義務なのか権利なのか〈最後の線は薄いでしょうが)、どのように意識されていたのか気になるところではあります。少なくとも、本を納めて許可を得る、というのは19世紀アメリカのcopyright 申請のためのdeposit と、形式的には似ているような気もする(まあ似て非なるということなのだろうが、やりようによっちゃあ後者に発展させられうるだろう)。著作権なり版権なり出版権なりの意識との関係でそういう届け出方式がよいかどうかの判断はまた別問題だし、日本では検閲や規制という意識が先行してあったのかもしれないのだけれど。

   国会図書館のページを見ると、「納本制度とは」 と説明があり、戦後の「国立国会図書館法」の制定(昭和23年)により創設されたこと、国の諸機関の出版物は直ちに納入、民間の出版物の場合は、「発行の日から30日以内に、最良版の完全なもの1部を国立国会図書館に納入しなければならないこととされています」などと書かれています。「最良版」とかいうのはアメリカのCopyright Office が "the best edition" を(2部)送れ、というのと似てますね。

   日本版ウィキペディアには「納本制度」という項目があり、目的と仕組みについて最初のところでこう書いています。――

現在、納本制度は、一国の国民の文化的営為を記録した財産である出版物を特定の機関に集積、整理、保存し、国内出版物の書誌情報の総目録である全国書誌を作成することを主たる目的として行われている。さらに国と時代によっては、著作権の登録を行うためであったり、出版物の検閲を行うためであったりしたこともある。

  ああ、やっぱりね。

  つづく歴史のところもイギリス、アメリカ、日本、と興味深いので長めに引用します。――

〔フランスの王立図書館に〕続いて納本制度が誕生したのは17世紀初頭のイングランドである。長らく荒廃していた母校オックスフォード大学の図書館を1602年に再建した元外交官トーマス・ボードリーは、イングランドにおける出版の独占権を持っていた書籍商組合と1610年に契約を結び、契約による納本制度を構築した。これは、印刷業者の出版物に対する複製印刷販売の権利(コピーライト)を保護するために組合で行われていた登録制度に基づき、組合で出版を認証され登記された新刊書を1部づつオックスフォード大学図書館が受け取ることのできるようにしたものである。〔・・・・・・〕。

イングランドではその後、1662年の出版許可法で王室図書館(大英博物館図書館の前身)への納本が定められたのをはじめ、書籍商組合による登記制度を活用した納本図書館が拡大されていった。納本規定は1709年にはじめて制定された著作権法に受け継がれるが、同法で納本図書館に指定された図書館は9館に及び、現在では曲折を経て6館となっている。

続く18世紀から19世紀にかけて、納本制度による収集はヨーロッパ各国に広まっていった。ヨーロッパでは各国それぞれの事情により、王室図書館、国立大学図書館、国立公共図書館へ納本制度が設定されていった。特殊な例としては、アメリカ合衆国では連邦議会に属する議会図書館がイングランド後の連合王国における納本図書館と同様に著作権登録制度を通じて納本を受ける権利を獲得し、国立図書館の機能をもつようになった。

日本においては、1875年出版条例(のち出版法)による検閲の権限が文部省から内務省に移管されたのを機に、検閲のため内務省に提出された出版物のうち1部を東京書籍館帝国図書館の前身)に交付する、という仕組みによる納本制度が実現した。この制度は第二次世界大戦の敗北によって消滅し、かわって1948年に制定された国立国会図書館法により、純粋に図書館資料収集のための納本制度に切り替えられた。

   いやあ、勉強になりました。

  けど、アメリカは議会図書館 (Library of Congress)の前には(おそらく1870年以前は)  "Clerks of U.S. district courts"がdeposit を受け取っていたのですよね。Stephen Foster の歌曲の場合だと、Holt の初版が"Deposited in Clerk's Office So.[uthern] Dist.[rict] of N.[ew York] Feb. 25, 1848" と手書きがあり、別のDitsonの版には"Entered according to Act of Congress AD. 1848 by C. Holt Jr in the Clerks Office of the Dist Court of the Southn Dist of New York." と印刷があり、もう一つ別のHolt 版(Earlier American Musicが採用した版)にも印刷で "Entered according to Act of Congress AD. 1848 by C. Holt Jr in the Clerks Office of the Dist Court of the Southn Dist of New York." と書かれ、これはHolt という音楽出版社がNew York にあったからと思われますが、他の出版社はちがう場合があります。 4番まであるPeters版を出したLee & Walker の場合は "Entered according to act of Congress in the Year 1849 by Lee & Walker in the Clerks Office of the District Court of the Eastern District of Penna" と書かれていました。1848年12月30日のPeters初版は、"Entered according to Act of Congress AD 1848 by W. C. Peters in the Clerks Office of the district Court of KY [Kentucky]" と印刷され、さらに手書きの書き入れのあるものは "Filed[??] in KY Dist Court Clk office / 30 Dec. 1848" と書かれているようで 、1848年のEdward White の編曲した”Oh! Susannah Quick Step"は"Entered according to Act of Congress AD. 1848 by Oliver Ditson in the Clerk's Office of the Disctrict Court of Mass" と印刷されています。

  これらはいずれも Act of Congress に従ってdeposit が行なわれているようですので、当時の法律を調べてみようという気にいちおうモーリちゃんの父はなっています。

  しかし・・・・・・deposit っていう言葉は、電気や電話やら最初に「保証金」みたいなかたちでとられるやつもdeposit だし、家賃の最初の「敷金」もdepositiだし、銀行の預金もdeposit だす。で、みんな戻ってきてもらわないと困るんですけどぉ。

  ウィキペディアの「納本制度」の最初の簡潔な定義は、次のようなもので、法廷納本(legal deposit) というものに触れています。――

納本制度(のうほんせいど)とは、一において、その国で流通された全ての出版物が、図書館などの指定された機関に義務的に納入されることを目的とする制度のことである。納本制度により出版物の納本を受ける権利を有する図書館を納本図書館(のうほんとしょかん)といい、特に法律によって定められた納本制度は法定納本(ほうていのうほん、英語 : legal deposit)あるいは義務納本(ぎむのうほん)と呼ばれる。」

   だけれども、本文のすぐあとのほうで、「しかし、一口に納本制度といっても、その制度化と実質的な運用は、各国の出版業界、国立図書館制度、法制などの事情によって様々である。第二次世界大戦後の日本においては国立図書館が直接に納本を受け、納本された出版物は国有財産となるが、国と時代によっては契約による寄託として所有権は受託者に移転させないもの、国立図書館とは別の機関が受け取って国立図書館に交付あるいは寄託するもの、などさまざまな制度がみられる。」と書かれています。「寄託」という耳慣れないことば、いや目慣れないことばがでてきました。

   きたく、きたく、帰宅、北区、と。和英辞典・・・・・・その前に和英辞典で「納本」を引いたらdeliveryとしかなくてガックリきていたのです。・・・・・・

    ビンゴ!

   きたく〔寄託〕 *deposit  寄託,保管. ¶~する deposit  ・・・を預ける ¶~者 depositor (銀行の)預金者;供託者,寄託者.

 

     なんで英和辞典の方には載っていないのでしょう。

    ちなみに、著作権情報センターの外国著作権法」 < http://www.cric.or.jp/gaikoku/gaikoku.html > 〔「外国著作権法令集」「外国著作権法リンク集」〕にはアメリカ合衆国の著作権法の原文 Copyright Law of the United States and Related Laws Contained in Title 17 of the United States Code へのリンクだけでなくて日本語訳(山本隆司・増田雅子共訳)も載っています。

   そのChapter 4 が "Copyright Notice, Deposit, and Registration" という章なのですが、日本語訳は「著作権表示、納付および登録」となっていました。ベルヌ条約がらみの修正というか言及が目につきます。

   あと、はっきり断言はできませんけれど、パラパラ踊りながら読んでみると、depositしたブツはアメリカ合衆国政府のpropertyになってしまうようです(笑)

   最後にまたウィキペディアの記事を引用――

 

アメリカ合衆国における納本制度

アメリカ合衆国では、著作権法により納本制度が定められている。

著作権法407条により、合衆国国内で発行されるあらゆる著作物は、最良版の完全なコピーを2部、議会図書館の著作権局に無償で納付しなくてはならない。ただし、著作物が5部未満しか発行されていなかったり、各複製物に通し番号が付与されるような貴重なものである場合や、議会図書館著作権局長が特に認めた場合に限り、完全な納付は免除されることができる。納付を怠った者には罰金を科す規定も存在する。

英米法の著作権は、イギリスが印刷出版物の複製の権利(コピーライト)は排他的特権をもつ書籍商組合による登記によってはじめて保護されるとする制度をとっていた歴史から、長らく著作権保護には国家に指定された機関による登録が必要とされる方式主義をとってきた。1870年に制度化されたアメリカの納本制度が当初から有効に機能してきたのは、方式主義のもとで議会図書館著作権局に著作権登録の仕事を担わせ、著作権の保護登録と引き換えに著作権局を通じて議会図書館への無償納本を義務付けてきたことに大きく拠っていると考えられる。ただし、現在では1989年に同国がベルヌ条約に加入し著作権法を改正したため、著作権は著作物の創作時に発生するとする無方式主義に変更されており、登録は著作物保護に必須の要件ではなくなっている。

 

   

 

 

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July 13 「おおスザンナ」のあやふやな歌詞などのいろいろ [スザンナ周辺]

July 13, 2008 (Sunday)

   引用の織物ふうに。

    古いところから並べてみます。代表してJASRAC に訴えられたらどうしょう、と思いつつも、正しい歌詞を探るため、と心に決めてすすんでみます。どなたかが書いているように、世代によって覚えた歌詞が違うようです。NHKの「みんなのうた」で1964年に新しい歌詞がついたのを知りました。それからhttp://www.h5.dion.ne.jp/~gakuyu3/N35.htm に指揮者伊吹新一の編曲に付された歌詞があります〈作詞者不明、もしかするとこのページの制作者?)。モーリちゃんの父が70年代に習ったのは「わたしゃアラバマからバンジョー肩に、はるばるルイジアナへといくところ。どしゃぶりの日には寒さにふるえ、日が照りゃとっても暑くてやりきれない」という歌詞なのですが、WWWには見つかりませんでしたw

 

2004.03.31   Uraxima 「Notes」

おおスザンナ

アラバマからルイジアナへ
バンジョー持って出かけたよ

せっかくリニューアルしたのに
行儀のいいデザインになったせいか
書くほうがうまくいかない
こうなったら
またデタラメやるのか
デタラメやると
人間の軽薄さが丸見えで
いやなんだが

おいらスザンナ男の子
おいらスザンナ男の子

ね、でも書きさえすれば
思いがけないフレーズが
出てくるのだから
書きなさいよ
デタラメでいいから
もとはといえば
もともと詩を書いてるやつが
ネットでも書き始めたんじゃなくて
ネットでほかのことをやってるうちに
詩が出てきたんだから
おいらスザンナ男の子
ネットで書くのが常態なのだ
完成するまで手元において
それからおもむろに発表しなさい
というスタイルではないんだよね

というわけで
ただでさえ少ないビジターを
またあきれさせることになるんだろうが
降るかと思えば日照りつづきだ
船に乗り込んで川を下り
さまざまなことに出会いましたが
おいらスザンナ男の子
ということは、おまえ
スザンナが旅に出たのか  

 

突然ですが、「おおスザンナ」(フォスター)の歌詞を思い出してください。「♪わたしはアラバマからバンジョー肩に はるかなルイジアナまで行くのです 土砂降りかと思えばかんかん照りで 死ぬほどつらい旅をしています」。つまり「わたし」「バンジョー」ひとつを抱えて旅をしている。これがホントの「波乱バンジョー」の旅ってわけです。以上<駄洒落かよ!

下らない話に付き合わせてスミマセンね。ていうか、我がサイトの閲覧者は既に淘汰されていると見た。淘汰しすぎてカウンターの回転が寂しい気がしないでもないですけど。ま、自業自得です。〔イカ略〕

来週までに、今日歌えなかった「Oh, Susanna」を覚えましょう。みんなが覚え次第「Can't You Line It?(ヘイボーイ)」を取り組み始めます。

★「Oh, Susanna」訳
先週のSuper Guyで、課題曲「Oh, Susanna」を取り組み始めました。
歌を完全に理解するのは、まず英語の歌詞を日本語に訳す作業から。
各クラスでも「Oh, Susanna」を随時取り組み始めるので、訳に目を通しておきましょう。

「おお、スザンナ」
私はバンジョーを膝に乗せてアラバマからやって来た
私の真実の愛を見つける為にルイジアナへ行くところ

私が出掛けた日は 大雨なのに天気は晴れだった
太陽が暑すぎたので 私は凍えてしまった

おおスザンナよ 泣かないで
私はバンジョーを膝に乗せてアラバマからやって来た

丘を降りる度に愛するスザンナを何度夢の中で見ただろう
口にはそば粉のパンケーキ 目には涙を浮かべて
’私は南からやって来た’と言う

おおスザンナ 泣かないで
私はバンジョーを膝に乗せてアラバマからやって来た

---------------------------------------------

この曲は、落ち込んだスザンナを、彼が矛盾した言葉を聞かせて元気を出させようとする歌。
この軽快なメロディーには複雑な恋愛模様が描かれていたのですね。
イメージと違う子も、同じ子も、次に聴くのは「Oh, Susanna」フラーッシュ!変わるわよ!

★次回予告
次回は「Oh, Susanna」をもう一度歌います。お家でよく覚えてきてね。〔イカ略〕

    

 
2005.06.26  キューティー*パイ「Musical Baton
あさってから9日間ドイツに行ってきます。
んで、明日の昼から空港近くのホテルに入るので、その間は更新お休み~。
と、そんな時、 おおおおおおおーーーーーーーっと!!!
話題のMusical Batonあれこれメモami*Luwiさんから回ってきました!!!
最近いろんなところで見かけていたのですが、まさか自分の所にも巡って来るとは…。
〔中略〕 ■Song playing right now (今聴いている曲)
Catch the Moon 一年くらい前に買ったCDで、最近よく聞いてます。
CD屋さんで見かけてジャケットが可愛いなあと思って、なんとなく試聴してみたら、
My好みジャストミート!!ってことで即買いしました。
童謡のカバー&オリジナルの子供向けのアルバムらしいのですが、
大人が聞いてもすごく癒されます。(私が大人かどうかさておき) とにかく曲が可愛い。
小学校の時に音楽の時間で習った、私が大好きな曲「おお、スザンナ」が入っています。
この曲知ってる人も多いと思いますが、歌詞がとにかく切ない!
故郷を離れ旅している男が恋人の「スザンナ」を想っている、
という内容ですが、昔習ったのを思い出してちょっと歌ってみましょう。

♪私はアラバマからバンジョー肩に
遙かなルイジアナまで行くのです
どしゃ降りかと思えばかんかん照りで
死ぬほど辛い旅をしています
おお、スザンナ!泣かないでね

楽しいバンジョーの唄思い出して

そらスザンナも泣くわ!と子供心にも突っ込んだ思い出があります。
2題目の歌詞忘れたけど、確か同じような感じだった。
こんな歌詞なのにメロディーめちゃくちゃ明るいんだよね。
おっと、話が長くなってしまった。
とにかく大好きなCDです。 〔イカ略〕
2005.09.01  神戸市演奏協会便り『音楽のまち』113「「楽器博物館より」第43回 バンジョー」

バンジョー (アメリカ) 

 「わたしゃアラバマからルイジアナへ、バンジョーを持って出かけたところです。降るかと思え
ば日照り続き、旅はつらいけど泣くのじゃない…」。アメリカ人フォスター作曲のこの歌は「おー、
スザンナ」。年配の方なら幼稚園や小学校で教わり、さかんに歌ったことだろう。この歌に出て
くるバンジョーは、丸い胴の、はじいて鳴らす弦楽器。ルーツは17世紀にアフリカから連れてこ
られた黒人が使っていた楽器だが、19世紀にアメリカで今の形になり、アメリカを代表する弦
楽器となった。
 フォスターが活躍していたのは19世紀の中ごろで、バンジョーを使ったミンストレル・ショーと
いうジャンルの音楽が大流行していた。ミンストレル・ショーというのは、白人が黒人の格好をして、
歌ったり踊ったり、面白おかしく芸をする音楽ショーである。バンジョー、ヴァイオリン、ギター、打
楽器を使うが、バンジョーは中心となる楽器だ。
 さて、このバンジョーだが、実は幕末に日本で演奏されているのだ。ペリー提督の黒船が
日本に来た時、横浜と函館と下田で、幕府関係者を招いて黒船船内で宴会が催され、余興の
ミンストレル・ショーでバンジョーが演奏されたのだ。おそらく、日本でのバンジョー初演奏だろう。
 ピアノやギター、ヴァイオリンなどと比べるとマイナーなバンジョーだが、日本人の目に触れた
のは案外早い時代だったのだ。
浜松市楽器博物館

 

 ♪わたしは陽気なアラバマ男

ルイジアナ目指してはるばる行くよ

(中略)

♪おースザンナ、待ってておくれ

聞かせてあげるよ わたしの歌を


〇というフォスターの歌は、今でも小学校の音楽の教科書に出ているのだろうか。もちろんそれが本題ではなくて、何が言いたいかというと、この歌にでてくる2つの州、アラバマルイジアナの間にはミシシッピ州があるので、この歌の主人公はバンジョーひとつをぶら下げて、今回のハリケーン・カトリーナの被害地を、東から西へと旅したことになる。3つの州をあわせると9万平方マイル(23万3099平方キロ)だそうだから、日本の総面積の3分の2くらいに相当する。果たして、スザンナは待っててくれたのかどうか。〔イカ略〕
水曜日。
テレビ埼玉『鍵姫物語~永久アリス輪舞曲~』
第3話「Caucus Race」


新キャラである、
眼鏡っ娘巨乳マッドサイエンティスト、キリカ先輩登場。
しかもアリス能力を開放すると
なぜかロリっ娘になってしまうという、
アーモンドが入ったキャラメルのように一粒で二度おいしい属性。

後半は、ありすときらはが有人を奪い合う話。
エロくないので詳細は割愛。

しかし、有人が興味を持ったオルゴールから
アメリカ民謡の「おお スザンナ」
が流れていたのは、ヨーロッパ風の世界観とミスマッチだった。

以下『鍵姫~』話から脱線。

もうひと昔以上前「おお スザンナ」を音楽の教科書で見たときは
「私はアラバマから バンジョー肩に
 はるかなルイジアナまで 行くのです」
という歌詞だったのだが、
検索してみると教科書とは違う訳 ばかりが 続々出てくる。

一番記憶に近いのがこれだったが、
「死ぬほど辛い旅を~」という箇所がしっくりこない。

謎なのだ。〔イカ略〕
2006.01.31     たった90日で人生が変わった「低リスクからの独立開業」 「あのスザンナ公開!

2006.01.31    美しくキレイにやせるHAPPYメソッド~幸運を呼ぶ力を授けます~ 「あのスザンナ公開!」

 

スザンナ.jpg

前記事で
物議をかもしだしたあのスザンナ!

アラバマ出身の
オー・スザンナ ・ナカナイデネー。

アラバマからルイジアナまでいくんです。
バンジョーを肩にひっさげて、

どしゃぶりかと
思えばカンカン照りで死ぬほどつらい旅だったと彼女を置いていった元旦那はいいました。

あだだだだずじだだだーっ!
(チャンドンゴン)
〔イカ略〕

 

〔前略〕音楽で思い出したんですけど、
「おおスザンナ」って知ってますか??
私が知ってるのは

♪わたしはアラバマからバンジョーを肩に 遥かなルイジアナまで行くのです
 どしゃ降りかと思えば かんかん照りで 死ぬほど辛い旅をしています
  おおスザンナ 泣かないでね ステキなバンジョーの歌 思い出して♪


って歌詞なんですけどね、2番目がわかんないんですよ??ってか、むしろ1番も合ってるかどうか…??

なんせ、お姉ちゃんの歌ってたのを覚えた気がするので…(笑)

どなたか、ご存知でしたらご一報を!!

 〔前略〕皆さんもよく知っていますよね?フォスターの作った名曲です。アラバマの街から、バンジョーひとつ持って旅に出る。開拓史時代の歌です。

 キャンプでは、これもハイキングや移動キャンプなんかの時に歌うのが良いでしょう!!

オー・スザンナ     

1.アラバマの町から バンジョーかついで
遠いあの娘の町へ 行くところ
花も嵐も踏み越えて行く 
スザンナ泣かないで 待ってておくれ
 
※ オー スザンナ 泣かないで
  
 バンジョーかついで 今 旅を行く

2.静かな夜には 夢に見た
 丘を駈けてくる お前の姿を
 はるばるやって来たと おいらが言えば
 スザンナの笑顔に 涙がひかる

※ くりかえし

3.もうすぐあの娘の町だよ ニューオリンズ
 逢えば嬉しくて気も遠くなる
 もしもあの娘に逢えないならば
 死ぬより他には 道はないさ

※ くりかえし

2006.09 頃 屋上者の島へ :おおスザンナ・主人公交替 〔残念ながら全文が見つからず〕
万里の長城を築くような仕事」と言おうとして、いきなり「バンジョー!」と口から出てしまい、そのまま固まっていたら、気のきく友人がすかさず『おおスザンナ』を歌ってくれた。それが、私の記憶している歌詞とまったくちがうのだ。世代によって、習った歌詞がちがうことを初めて知った。   わたしゃ陽気なアラバマおとこ ルイジアナめざしてはるばる行くよ  ...

 

〔前略〕おおスザンナの正確な歌詞を知りたくなったんですよね。
それで 
こちらのページ を拝見してみたら…あら?記憶と違う。

子供の頃に憶えた歌詞は、

♪ わたしは 陽気なアラバマ男 ルイジアナ目指して はるばる行くよ
♪ おお スザンナ 待ってておくれ きかせてあげるよ わたしの歌を

うろおぼえなんですが、こんな感じだったと思うんです。
子供用に歌詞を変えていたんでしょうか。
記憶にあるものの方が好きですが、オリジナルの三番の歌詞は良いですね。〔イカ略〕

2006.10.24  Eternal Music –blog- Mapouka -オカマdeマプーカ- / Yamboo

 

〔前略〕で そんな彼女たちですが 11月1日に日本でデビューアルバムがリリースされます
リードトラックはもちろんMapoukaなのですが 他にもいいネタは多いので 一部を紹介

Oh Suzanna
おそらく誰もが聞いたことあるでしょう
「私はアラバマからバンジョー肩に~ 遥かなルイジアナまで行くのです♪」
「オースザンナ」のダンス・カヴァーです
Rednexの曲のようなポップな仕上がりで とてもキャッチーです〔イカ略〕

 

 

2006.10.31   あびさび跡地「波乱バンジョー」

 

〔前略〕♪学校で習ったバージョン

わたしゃアラバマからバンジョー肩に
はるかなルイジアナまで行くんです
土砂降りかと思えばかんかん照りで
死ぬほどつらい旅をしています
おおスザンナ 泣かないでね
素敵なバンジョーの歌 思い出して



♪ネットで知ったバージョン

わたしゃアラバマからルイジアナへ
バンジョーを持って出かけたところです
降るかと思えば日照り続き
旅は辛いけど泣くんじゃない
おおスザンナ 泣くんじゃない
バンジョーを持って出かけたところです



同じ中学の友人らの間で「おおスザンナのラストってどういう歌詞だっけ?」と切り出すと、みな口を揃えて

「おーすーざんなー なかないでね~♪」
「すーざんなっ♪ すーざんなっ♪ なかないでね~♪」
「…別パートしか思い出せない…」

と言う展開になります。すーざんなっ。
なのでネットで調べてみたところ、訳詞がふたつあるようだったのでまとめてみました。


というのを以前リアル日記ブログに載せていたのですが、ブログまるまる削除しちゃったのでこちらにのっけているのだよ。
絶対「すーざんなっ♪」になっちゃって苦しむ人の助けになるからネットの海に残しておかないと……!! 〔イカ略〕

 

2007.10.18  a-dollの日記「フォスターの難しさ」

月末に公民館祭りが有って、私達はコーラスに出演する。

その為に優しい一般受けする曲を、というので誰もが愛唱している『フォスター・メドレー』を選んだ。

ところが堀先生に掛かったら鼻歌フォスターは歌わしてもらえない。

『おおスザンナ』はアラバマからルイジアナへ行く内容なので、時には死ぬ様な思いをしたり、息を凝らしたり、立ちすくんだり大変な思いで旅をするのである。バンジョーを鳴らして楽しいだけじゃない旅だ。

それを表現させられる。

何遍もやり直してクタクタだ。

草競馬』もそう。帽子をもみくちゃにして、賭けた馬がぬかるみの穴に落ちたので擦ってしまって悔しがったり、♪おお!ドゥダデイ!!♪なのである。 〔イカ略〕

 

2008.03.12  初音ミク Wiki - 嗚呼スザンナ 

作詞:テンネン
作曲:テンネン
編曲:テンネン
唄:鏡音レン


 

曲紹介

 「うたのメリーゴーラウンド」資料集

放送日別の放送曲名・作詞作曲者名・歌手名・1番の歌い出し一覧表

藤崎志和氏調査、2008年4月29日更新

1964年5月23日:みんなのうた+フォスター,,,,,
曲名, 作詞, 作曲, 歌, 1番の歌いだし,
ドミニク, 島恵郎, S・スーリール, 東京放送児童合唱団, ドミニクニクニク心優しく強い人で,
禁じられた遊び, 薩摩忠, スペイン民謡, 東京放送児童合唱団, 川のそばにきょうもたてば青い空がほほえんでいる,
さあ太陽を呼んでこい, 石原慎太郎, 山本直純, 東京放送児童合唱団, 夜明けだ夜が明けていく どこかで誰かが口笛を,
鳴らせバンジョー, , フォスター, 伊津野修/東京マイスタージンガー, 鳴らせバンジョー歌を歌え いとしの人ああ帰れよ,
オールド・ブラック・ジョー, 緒園涼子, フォスター, 世良明芳/東京マイスタージンガー, 若き日はや夢と過ぎわが友皆世を去りて,
おおスザンナ, , フォスター, 伊津野修+渡辺長生/高沢明+柴田昭司/
    東京マイスタージンガー, わたしゃアラバマからバンジョーひざに,
ネリー・ブライ, , フォスター, 板橋勝+宍倉正信/東京マイスタージンガー, ネリー・ブライ、ネリー・ブライ夜が明けた,
大きな栗の木の下で, きたひろし(1番)/阪田寛夫(2,3番), イギリス民謡, , 大きな栗の木の下であなたと私楽しく遊びましょう,歌って遊ぶコーナー
未来が僕らを, 峯陽, 山本直純, , 胸をはって歌おうよランラン、ランラン、ランラーン,歌って遊ぶコーナー
おもちゃのチャチャチャ, 野坂昭如/吉岡治(補作), 越部信義, 今月の歌, おもちゃのチャチャチャ おもちゃのチャチャチャ,歌って遊ぶコーナー

 

2008.06.06    GIRLS TALK akb48 or die  「『最終ベルが鳴る公演』初見ーギグレポ。」

〔前略〕小林香菜、なっつみー、奥様(Nなっち代役)のユニット。

「私はアラバマからバンジョー肩に遥かなルイジアナまで行くのです♪」

「土砂降りかと思えばかんかん照りで、1番辛い旅をしています~♪」

おお、スザンナから1部抜粋。

開拓時代の西部、カウボーイ、ガンマンそんなイメージのウエスタン調の楽曲。

某夢の国の「ダイヤモンドホースシュー」やオクラホマミキサーなど例えは多数。

長女のメータソから16女の奥様までのパネルを使っての紹介ソング。〔イカ略〕

 

 

 2008.06.07  咄嗟怪事月の輝く夜は淋しくて  7

  切なくなった。
 枝を移った。
 からだを動かしていると気がまぎれる。主婦の習性ね。
 台所は、ゴミの山。カップめん、菓子の袋、脱ぎ捨てた服がテーブルにのり、汚れた食器が流しに積まれ、滴った雫が床に溜まっている。
 これら見慣れないものが占めた位置が、かつてのわたしの場。
 今晩は何を食べたのだろう。
 姉は料理が得意ではない。指を切りそうだとすべてハサミでゴロリと鍋に落とす。帰宅時間も遅いのだろう。
 夫だろうか。
 夫はその気になれば、何でもできる。クリームシチューの隠し味に砂糖をいれる。
 うまいもんだ。ただ、その気にならない。
 聞き覚えのある導入部を姉が弾いた。妹が歌いだした。
 「わたしゃアラバマからバンジョー膝に、はるかルイジアナに帰るところです」
 フォスターの「おお、スザンナ」だった。
 途中から姉の鼻にかかった声が追いかける。
 「月の輝く夜は淋しくて、旅はつらいけど、泣くじゃない」
 妹はブラシをバンジョーに見立て、かき鳴らした。
 姉は楽譜に首を突っ込み、深く背を曲げている。
 近視の度がそうとう進んだにちがいない。小学生からメガネが必要だったのにかけなかった。意固地な娘だった。
 「もっと元気よく」「大きく口を開けて」
 姉が叱咤する。
 「月の輝く夜は淋しくて、旅はつらいけど泣くじゃない」
 もう一度、また一度と娘たちは歌った。姉が妹を見る目は、笑いを含んで限りなく優しい。

 

 

 高校生の頃かな?
英語で「おお、スザンナ」を歌っていたのは。

I come from Alabama with my Banjo on my knee♪
・・・・・・・・・・・・・・・・・
Oh! Susanna,
Oh don't you cry for me,
I've come from Alabama with my Banjo on my knee♪


歌詞はその頃の柔らかい頭にするすると染み込むように入っていったけど
悲しいかな、時代の流れと共に今思い出せるのは上のフレーズだけ。。。

でも、さすがに日本人。
日本語の歌詞ならしっかり覚えている。

私ゃアラバマから ルイジアナへ
バンジョウを持って 出掛けたところです
降るかと思えば 日照(ひで)り続き
旅はつらいけど 泣くのじゃない
おおスザンナ 泣くのじゃない
バンジョウを持って 出掛けたところです


ところがところが!!

この歌を私が歌っていると、若い年代の人間からクレームが入った。
歌詞が違うというのだ。
じゃあ、歌ってみと言うと、まったく別の歌詞のおお、スザンナではないですかぁ!!

わたしはアラバマから バンジョー肩に
はるかなルイジアナまで 行くのです
どしゃぶりかと思えば かんかん照りで
死ぬほど辛い旅を しています
おおスザンナ 泣かないでね
素敵なバンジョーの歌 思い出して


な、なんですかぁ。これは。
しかし考えてみれば、「私ゃ・・・」なんて出だしからして古さぷんぷんですよね。
時代の流れとともに、名曲の歌詞も変わるという現実に
かなり驚きのジェネレーションギャップを味わってしまった。

 

 

 ということで、津川主一訳詞を習ったのちの世代の歌詞にさまざまなヴァージョンがあるらしいこと、そしてその違いにみんな驚いているらしいこと、が大いにわかったのでした。あ、でも最後のまーがれっとさんの覚えていらっしゃるのは津川主一ですね♪ 年齢からしてどういうことに・・・・・・モーリちゃんの父のはなんじゃろ??


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July 20 嗚呼スザンナ―― 「おおスザンナ」のあやふやな歌詞などのいろいろ の続き [スザンナ周辺]

July 20, 2008 (Sunday)

    今日は月に一度の八百屋さんマーケットの前のひまわり会の古本市の日だったのに、気づいたときには2時半近くで、 もはやまにあわない、とあきらめました。

  先日「おおスザンナ」のあやふなや歌詞などのいろいろを、宮川淳の「引用の織物」のなりそこね(だって盗用だと抗議されるのが怖いんですもの)のかたちでつむいで、またいくつか気になったこと(こういうふうに解決を求めてべつの問いが出るというのはよいことなのでしょうが、あんまり問いが増えるのも考えモノで、収支のバランスが必要な気もする今日この頃です)のひとつに鏡音レンと初音ミクというのがありました。

  調べるヒマがなかったのですが、日曜の午後に調べてみるとあっさりわかりました。ヤマハが開発した音声合成〈歌声作成)ソフトのVOCALOID(「歌詞と音符を入力するだけで、人の声による楽曲を作成」) にライセンス契約した別の会社が「歌声ライブラリ」を含むかたちで抱き合わせで商品化している、そのなかのVOCALOID 2 を使ったクリプトン・フューチャー・メディアという会社の「キャラクター・ボーカル・シリーズ」(CVシリーズ) の01 (2007年8月31日発売)が初音ミクで、02が鏡音リン・レンというのでした(2007年12月27日発売)。声優を歌声ライブラリのデータに起用しているのが特徴のようです。で、キャラクターはアニメから来ているのではないのですが、ヴァーチャルアイドル的に設定がなされているようで。初音ミクの公式プロフィールのあるクリプトンのページ。ああ、初音ミクって、検索で出ないとかなんとか騒ぎになったヒトですね。アダルトな女優かと思ってました(笑)。鏡音リン・レンの公式プロフィールのあるページ。リンが女の子(14歳)でレンが男の子(14歳)で声優は下田麻美がひとり二役だそうです。同い年って双子っすか。フレイフレイヤみたいなもんですかの。

こういう関係はWikipedia は詳しいですねー。「初音ミク」.「鏡音リン・レン」

 クリプトンの公式サイトには「ジェンダーファクター機能との相性は最高で、男性的な要素を加える事により、声に太さが加えられたソウルシンガー風になり、逆に女性的な要素を強く加える事により、エレクトリックな質感のチビ声ロボ★ボイスに対応します。」 と書いてありますが、ジェンダーファクター機能ってなんだろと思ったら、Wikipediaの「鏡音リン・レン」には、ソフトウェアの特徴的な機能として、次のような説明があります。

キャラクターイメージが男女のセットという事から、「ジェンダーファクター機能」に力を入れている。

ジェンダーファクター機能とは、声質にある「男性的な声、女性的な声」の要素を調整することで、多彩な声質をもった声を作る事ができる機能である。これはリン・レンそれぞれ性別に関連したものだけでなく、異なる性別のファクターを用いることも可能。もともと同一人物の声をベースにしていることもあり、ファクターの使い方によってはまったく逆の性別の印象を与えることも出来る。

一方、この機能を使いこなすには技術がいるため、DTMマガジンでは初音ミクに比べて癖が強い方であると記している。

   なにやらよくわからないが、おもしろそうであります。

   で、 テンネン(天然)さんがつくった唄:鏡音レンの「嗚呼スザンナ」を聞くために、ただそれを聞きたいために、モーリちゃんの父はニコニコ動画に入会しました。

    【鏡音レン】嗚呼スザンナ 【オリジナル?】 2008年03月12日投稿

    動画ID:2615669

  説明文の見方がよくわからないのですが、次のように書かれてあります。

 

(略)スザンナは女の子なのにレンが歌う → 頭ボツ無しで動画作成 → コメントの反応の良さに何かの罠だと怯える → おっぴろげPというセクシャルな名前をつけられそうになる → 全力で拒否してPVでちょうど出てたし「天然」と名乗る → nm2724056にて続編を作る →現在に至る<br /><br />・・・成仏させてやってください(´し_` )<br />マイリスト: mylist/5545517 <br />こんなアホな曲のmp3ご所望ありがとうございますー<br />http://piapro.jp/a/content/?id=8tbk0wevmdifker9 →ピアプロに上げさせてもらいました<br />sm2642995 ←PVまで作ってもらえるとはビタイチ思いませんでした...人生塞翁が馬ですよね(´し_` )っていうか超ありがとうございますー

 

     ということで、 PIAPRO(ピアプロ)|音楽「【鏡音レン】嗚呼スザンナ」 (テンネンさん)

    歌詞はリフレインが変則的ですが、ちゃんと4番まであるようです。――

 嗚呼スザンナ
         詞曲 天然(テンネン) 歌 鏡音レン

 
私ゃアラバマから 兄の仇を追いかけて
ルイジアナへ向かう バンジョーひとつ携え
どしゃぶりが続いて 日照りの日々が続いたり
旅は辛いけれど 決して泣いてはいけない

嗚呼スザンナ 目的果たすその日まで
おおスザンナ 泣いてはいけない

お船にもぐりこみ 息を潜め川を下る
色んな困難が 私の行く手さえぎる
時にはごろつきが 奇声あげて襲い掛かる
密かに息を止め 立ちすくむ悲しい日々

嗚呼スザンナ 目的果たすその日まで
おおスザンナ 泣いてはいけない
嗚呼スザンナ 仇討ち遂げるその日まで
おおスザンナ 泣いてはいけない

けれど静かな夜 夢の中に兄の姿
何度も何度でも あの笑顔を思い出す
丘を駆け下りてく 優しい兄の面影に
南から来たよと 私は静かに告げる

やがてルイジアナに たどり着く日が来るだろう
兄のお墓の前 私は祈り捧げる
けれどももしかして 志半ばに倒れ
愚かな人生と 笑われるかもしれない

嗚呼スザンナ 目的果たすその日まで
おおスザンナ 泣いてはいけない
嗚呼スザンナ 仇討ち遂げるその日まで
おおスザンナ 泣いてはいけない

私ゃアラバマから 兄の仇を追いかけて
ルイジアナへ向かう バンジョーひとつ携え
どしゃぶりが続いて 日照りの日々が続いたり
旅は辛いけれど 決して泣いてはいけない

 

    さて、何を書こうかしら。JASRAC に登録されるものもあるそうでビビッてますw。ピアプロ版ではタグが「鏡音レン スザンナ 仇討ちソング 民族音楽 名曲」となっておりました。スザンナをクリックしたらテンネンさんの「プロトタイプスザンナ」というのが並んであったのですが、モーリちゃんの父はほとんど聞き取れませんでした(爆)。ニコニコのほうの最後にクレジットみたいのが出て、そこには、  「おおスザンヌ」作者スティーヴン・フォスター /↓/ http://www.worldfolksong.com/foster/song/osuzanna/htm    とあります。おそらくタイトルについている【オリジナル? 】と呼応するのだと思うのですが、ふーん、世界の民謡・童謡ページ参照なのね。しかし・・・・・・おおスザンヌじゃないっちゅうの。(動画中の絵はスザンヌが多いですが)。

    「スザンナは女の子なのにレンが歌う」というのは謎めいた言葉に聞こえました。スザンナに向かって歌っているのだから男でいいと思うのですが・・・・・・。語り手はスザンナ自身で、自分に向ってスザンナ、と呼びかけている、自分に泣くなと言っている、という設定なのかしら。3番で、夢に出てくるのは亡くなった兄、その仇を取ろうとしている兄です(もとのフォスターの詞ではもちろんスザンナです)。そんな気がする。

     そこにさらにジェンダーファクターが機能しちゃってるのでしょうか。あるいはスザンヌとスザンナはイシスとネフティスみたいな関係になるのでしょうか。おもろいです。

      そして、原詞ではイメージとしてあった死が前景化して、夢が死と生を超える空間となる一方で、その死を転覆させるための仇打ちが娘スザンナの男性的意匠となったのでした。ああ、すてきな翻案だわ。

 

 Miss Apperson playing banjo beside statue of Flora in niche of Sen. George Hearst's residence, Washington, D.C. The photograph  in 1895 by Frances Benjamin Johnston.jpg

  Miss Apperson Playing Banjo beside Statue of Flora in Niche of Sen. George Hearst's Residence, Washington D.C.  (1895)  Photo by Frances Benjamin Johnston

 

 

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8月5日追記です。


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August 14 スザンナ・ポルカ Susanna Polka [スザンナ周辺]

August 14, 2008 (Thursday) 

    1847年夏の発表後まもなく注目された「おおスザンナ」は、ミンストレルショーでの人気の演目になっただけでなくて、おそくとも1848年の楽譜の印刷の翌年にはポルカのかたちで劇場内だけでなく外でも人々の演ずるところとなったわけで、ポルカ版のピアノ譜面も各種印刷されました。1849年から1850年にかけて少なくとも3人の手になるアレンジが出版されています。――

[1]   Susanna Polka for the Piano Forte, As Played with Unbounded Applause, by the Steyermark Musical Company.  Composed by Francis Rziha, Leader of the Company.  Baltimore: F. D. Benteen; New Orleans: W. T. Mayo, 1849.  〔表紙に、"Deposited Copyright secured January 11th 1849/Publication deposited sameday." と書かれています〕

[2]   Second Susanna Polka for the Piano Forte, Composed by F. Rziha, Leader of the Steyermarkishe Company.  Charleston:George Oates; Augusta: George A. Oates; Philadelphia: Edward L. Walker、1849.  〔表紙に、"Dep. May 15 1849[. . . .]" と書かれています〕

[3]   Susanna Polka, Arranged for the Piano Forte, and Dedicated to Miss Julia Westlake, by Henry Chadwick.  New York: John O. Fay, 1850.  〔なんか1850の50のところが修正されてますけど、上部余白の書き入れを見ると1850年10月17[11?]日depositでしょうか〕

[4]   Susanna Polka, Composed for the Piano Forte, by J. E. Muller.  Baltimore: G.Willig, Jr., 1849.

[5]   上のと同じようだけれど手書きで "Copyright Secured 6 Jan[uar]y 1849/Publication deposited Feb[ruar]y 1849" と書き入れられている版

[6]   Six Recreations for Young Pianists, Composed for the Piano Forte and Respectfully Dedicated to Miss Catharine Osborne Sargent, by H. Perabeau.  No. 1 Oh Susanna Polka.  No. 2  Gold Fever Gallop.  No. 3  Rocking Chair Waltz.  No. 4  Irish Polka.  No. 5  Janissiar March.  No. 6  Spring Polka.  Boston: Oliver Ditson, 1850. 〔"Deposited May 17. 1850./Recorded Vol. 25. Page 231." とコピーライトに関して書きこまれています〕

 

最後のものは、6曲組の楽譜のなかで1曲目が"Oh Susanna Polka"、2番が "Gold Fever Gallop" (黄金熱ギャロップ)で、おりからのカリフォルニアのゴールド・ラッシュつながりを感じさせる並びになっています。そして「おおスザンナ」は屋内でピアノ演奏されるだけでなく、実際にポルカとして踊られ、もういっぽうでカリフォルニアに向かう人たち、行った人たちの愛唱歌となり、いくつかの替え歌がつくられたわけでした。

  ポルカは、英語版のWikipediaの "Polka" では「ボヘミアで19世紀中葉におこった」("It originated in the middle of the 19th century in Bohemia") と いう書き方ですが、日本語のウィキペディアの「ポルカ」だと、記事はみじかいですが英語版にはない起源についてのことが書かれています(ほんとかどうかは知りません)。――

  ポルカ(英語・チェコ語など polka)は、1830年頃おこったチェコの民俗舞曲である。速い2拍子のリズムに特徴がある。チェコのほか、タトラ山脈近辺のスロヴァキア、ポーランドなどの山岳地帯にも広がりをみせている。
  ポルカは1830年にボヘミアのエルベタイニッツ (Elbeteinitz) あるいはティーネツ (Týnec nad Labem) で、地元のアンナ・スレザク (Anna Slezak) がはじめたと言われる。

   まあ、どっちにしても、アメリカにおいて比較的新しい流行の音楽、流行の踊りだったことは確かでしょう。

   と長い前振りののちに、 時は流れて21世紀のアメリカ。

     ポルカの「おおスザンナ」、踊ってます。


アメリカ合衆国のThe Polka さん投稿の "The International Polka Queen's Suzannah" (0:51)

"The International Polka Queen loves Oh, Suzannah and so did Abraham Lincoln."  というのがコメントです(わけわかめ)。

  フォークダンスやん。15秒くらいのところで2人の野郎が飛び出して陣地を替えるみたいな動きがありますけど、なんかそういうフォークダンスを日本でも小学校のときに踊ったような踊ってないような踊ってないような(どっちなんじゃい)。

--------------------------------------------------------------------------------------------

[1]   Susanna polka / by Rziha, Francis.  Baltimore: F. D. Benteen, 1849.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:1:./temp/~ammem_riwV::> 〔Library of Congress. Music Division. Music for the Nation: American Sheet Music, 1820-1860

[2]   [Second] Susanna polka / by Rziha, Francis.  Philadelphia: Edward L. Walker, 1849. <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:2:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕

[3]   Susanna polka / by Chadwick, Henry.  New York: John O. Fay, 1850.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:3:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕

[4]   Susanna polka / by Müller, J. E.. Baltimore: G. Willig, Jr., 1849.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:4:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕

[6]   Oh Susanna! Polka / by Perabeau, H. Boston: Oliver Ditson, 1850.  <http://memory.loc.gov/cgi-bin/query/D?mussm:6:./temp/~ammem_riwV::> 〔同上〕


Lester S. Levy Collection of Sheet Music at the Johns Hopkins Universityも参照。 <http://levysheetmusic.mse.jhu.edu/otcgi/llscgi60>

YouTube - The International Polka Queen's Suzannah [sic.] <http://uk.youtube.com/watch?v=P28OElc82Nk&NR=1>

『ようつべ民族舞踊研究会』 <http://folkdance.seesaa.net/> 〔ひろみさんの「世界の民族舞踊(フォークダンス)をyoutube等の動画を中心に完全非営利で紹介する民族舞踊研究のためのブログ」

Famous Polka Dancers and Musicians <http://famouspolkadancers.blogspot.com/> 〔Daria さんのブログ。2008年7月10日の "Polka Dance" とかが、曲は違いますけどポルカの楽しさを伝えているかも・・・・・・ま、ようつべですがw〕

 


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August 15 おおスザンナ・ラインダンス Oh! Susanna Line Dance [スザンナ周辺]

August 15, 2008 (Friday)

    だいぶ前のこと、YouTubeで「おおスザンナ」関係の映像を探していたら、 「おおスザンナ」の曲で集団で踊っている画像が多数ありました。聞くとどれも同じ演奏同じ女声ボーカルで、見るとどれも同じ振り付けのようでした。


"Oh Suzannah @ Tamworth 08" と題された、 "footloosetravis" さんの投稿(1:43)。Travis さんはオーストラリアのGunnedah 在住の15歳で趣味がLine dancing と Choreographing などだそうです。最初にクレジットされているChris Watson とBill Larson というのはオーストラリアでは有名な choreographer つまり「振付師」のようなのでした。タムワースというのはオーストラリア南東部の小都市です。

次のは、ちょっと長いですけど(3:28)、冒頭に "OH SUZANNAH / Choreographed by Bill Larson & Chris Watson / 32 counts, 4 walls, easy intermediate level / Music: Oh Suzannah by Rednex" と記されています。

 


"OH SUZANNAH Line Dance"  投稿者のdenisleongさんは SJ LINE DANCER というWebsiteをもっていて、見ると、マレーシアの人のようです。"Description of Steps (Chinese)" というページとかあって、マレーシアの中国系のコミュニティーで教えている人なのかな、と思います。実はこの映像、最初見たときは日本人の集団かと思いましたw。歌詞も「おおスザンナ泣くんじゃない」と聞こえるし。

    同じマレーシアから、職業 "line dance instructor/choreographer" の"Leoboomen"さんも "OH SUZANNAH Line Dance" を投稿しています。

     Rednexというのはスウェーデンのバンドで、eurodance と country music を融合させたカントリーテクノがコンセプトのようです(よくは知りません)―official HP (under construction); "MySpace.com - Rednex - Stockholm, SE - Other / Bluegrass / Pop - www.myspace.com/therednex"。"rednecks" の崩れたかたち、ということなのでしょうが、「赤首」というのはアメリカ南部の田舎の粗野無教養貧乏頑迷固陋な白人を指す言葉です。

  しかし、次の、アメリカ合衆国の、  "We are neither instructors nor professional dancers, just some linedancemaniacs try to document some of the precious memories in our lives" (ダンス教師でもプロのダンサーでもなく、ただのラインダンスファンだけど、私たちの生活の中の貴重な思い出を記録しておきたいの)と書いている "LPVn5678" さんは、"Choreographed by: Bill Larson & Chris Watson (Aug 07)
Music: Oh Suzannah by Southern Culture On The Skids Descriptions: 32 count - 4 wall - Beginner/Intermediate level line dance
" と記述しています。前のマレーシアの映像の最初の "easy intermediate" (簡単な中級)というのはなんかヘンなので、こちらの"Beginner/Intermediate" 〈初級から中級)というのが正確なのだと思われます。Southern Culture on the Skids (SCOTS) というのはテキサスのChapel Hill で1983年に結成されたグループですけど、どうなんですかね――official HP(「SCOTSにとっておそろしいほど大いなる名誉!――スティーヴン・キングが2007年のベスト7アルバムの中に Countrypolitan Favorites を挙げてくれました」とかニュースとして書いてありますね)。


"Oh Suzannah 5/5"  (アメリカの老若男女2名の練習風景)(2:31)

だんだん数が減ってきたので、その流れでたったひとりのさみしい練習風景――

 "oh suzannah line dance"  ひとりでもラインダンス♪  踊っている"rodeocountry" こと Eric さんはフランスのCalaisに住んでいる "vendeur preparateur" (なんでしょう。補助販売員?)の青年だそうですが、 "je pratique la line dance depuis 4 ans c devenu une de mes plus grande passion, et je pratique la natation, shopping, ........" (ぼくは4歳からラインダンスをやっている云々)とか書いています。どうりで流れるような足の運び。・・・・・・しかしドリフの志村けんを思わせる動きがところどころ入っているように思え。

   それと、ゾウの鼻みたいに手を左右に振ってフトモモをパンパンする動きがないのはさみしいところです。

もうひとつ、フランスから、今度は集団の映像――


"Oh suzanna"  フランスのSandraCalais さん投稿。

こう、胸を振りながら前に反りだすジェスチャー、これは上の青年と同じですね。そしてどうやら少なくとも細部はオーストラリアの振り付けとは違っているようです。名前からするとこのひとも「カレーの市民」なのかしら。

  結論。1980年以降の新たなラインダンスの流行のなかで、「おおスザンナ」は、スウェーデンのカントリーテクノグループRednex による演奏の伴奏曲としてラインダンスの初心者・中級者におおいに踊られる曲となった。オーストラリアの振付師クリス・ラーソンとビル・ワトソンによる振り付けは、少なくともオーストラリア、マレーシア、アメリカ合衆国で知られている。Rednex の本拠地スウェーデンに近いヨーロッパでは別の振り付けもあり、とくにフランスのカレーでは上半身の動きに特徴的な振り付けがあるらしい。(そんなまとめでいいんか)。

つづく~

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August 15 テクノ・オースザンナ Techno Oh! Susanna [スザンナ周辺]

August 15, 2008 (Friday)

    前の記事で演奏を担当したRednex はカントリーとテクノポップを融合させたヨーロッパのバンドであったが、あんまりテクノっぽくもなかったような気もします(まあ、一般向けダンスミュージックとしてはメロディアスじゃないとまずいのでしょうが)。

  というわけで(どういうわけだよ)、古いテクノ版の「おおスザンナ」を一曲。

 



"Oh Susannah" (Ted Malave と Rick Jones による "Oh! Susanna")
投稿者の "fromedmond" さんによる説明――"Old school techno using low-tech gear recorded in a one room apartment that was about 15' x 15'. The musicians are Alvaro Ted Malave (Killer Fungo) and Rick Jones (Sheen Dez Coon). Done in about 1987." (ローテク機器を使った昔のテクノ。8畳ひと間くらいのワンルームのアパートで録音された。演奏者はアルヴァロ・テッド・マラーヴ(キラー・ファンゴ)とリック・ジョーンズ(シーン・デズ・クーン)。1987年ごろ。」。

  なんか「おおスザンナ」「マイ・ボニー」が混ざっているような(爆)。"Oh! Susannah, don't you cry for me.  My Bonnie lies over the ocean♪"  最後に h があるのはジェームズ・テイラーのヴァージョン(1970) の影響なんすかね。明るいフォークヴァージョンを陰画的にテクノるみたいな。まあスザンナはいろんな綴り方がされるみたいですが(おそらく編曲したりした場合に意図的にしているのではと思われるフシもあり)。

  サイトウアナのような太った方のひとがテッド・マラーヴで、この人は21世紀になって、

  コンピューター・グラフィックの絵をつくったり―― Ted Malave Painting Collection――、

  ボサノヴァやブラジル・ジャズを演奏して自分でアニメーションをつけたり――"The Girl From Ipanema - Alvaro's Brazilian Jazz - Animation"(有名な曲ですが演奏は自分たちのグループ); "O Pato Rosa Passos Paquito D'Rivera Alvaro Animation"(これはアニメのみ追加のよう)〔以上MySpaceTV Videos〕; SoundClick artist: Alvaro's Brazilian Jazz - Alvaro and Alvaro's Brazilian Jazz are dedicated to providing and maintaining the wonder ful sounds o 〔以下読めず。Q&Aとかあるところを見ると紹介ページ〕――、

   庭木をいじってその形状がけしからんと隣人に市役所に通報されて警察と地元のテレビ局がやってきたり――Malave Net 〔自身のホームページ〕――、

と元気な様子です。どこかのページには47歳と書いてありました。最後の庭木問題についてはこんなふうに書かれています――

In 2001 I started sculpting a bush in my front yard into a dolphin (topiary art). There was a time when I let it grow out a bit to allow the fins to get longer. One of my neighbors decided it was too phallic looking, so they called the City, the Police and local TV station Channel 5. This clip is the news story Channel 5 ran. It is amazing people would make the issue but at the same time it is extremely funny. Enjoy it!  Download and take a look at this movie-clip. (the download could take 20 minutes for dial-up connections).

 (トピアリーtopiary というのは動物とか幾何学形とかにつくる装飾的な刈り込み術のことです。リンクは通じていないような感じですが、20分も待っていられないのでわかりません)。

   "Oklahoma Headlines"をHPに載せているところをみると、オクラホマ在住なのかもしれません。あ、"Family" のページとかある。結婚して大きなお子さんもいるのね。しかし奥さんの銀行がリンクされているのはなんですかねー。"Friends" のオーストラリアのKent Malave さん(って親戚だと思うんですが)もぶっとんでる人のようで。

  なんかー、YouTube の投稿者のfromedmondさんってー、Malaveさんその人のような・・・・・・。

Alvaro's Brazilian Jazz has represented the genre in this part of the world for more than 15 years. Playing, Bossa Novas, Sambas, Boleros, and Ballads, Alvaro and his set of musicians have helped to spread the diversity of music in Oklahoma and surrounding areas.

Formation Date: 02 April 1989
Record Label: compu songs
Label Type: Independent
Band Members: Alvaro "Ted" Malave, Phil Mitchell, Brian Gorrell, Chris Hicks, Freddie Bryant, Armando Rivera, Brent Hawkins, and many others throughout the years
Influences: Antonio Carlos Jobim, Joao Gilberto, Miles Davis, Michael Franks, Ivan Lins, Dori Caymmi, Caetano Veloso, Alvaro Carillo, Chico Buarque, Frank Sinatra, Dean Martin, Karryn Allison, Dianne Schuur, Count Basie, John Coltrane.
Country: United States

   fromedmond のEdmond ってオクラホマ州中部Oklahoma市の北にある5万人くらいの市のことなのですね。

  ふふふ。

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August 16 おおスザンナのおフランスなお遊戯ザンス  [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday) 8:00 am

    YouTube 以外の映像はないのか、と探してヨーロッパのあちこちを旅しているうちに、フランス語のサイトでフランスの子供たちがステージで演じる「おおスザンナ」に出会った。TRUVEO という名前だし、フランスだけのサイトかと思ったら、もともとカリフォルニアでつくられた映像サイトだった(Wikipedia, "Truveo")。 つーかTruveo 自身はサーチエンジンの役をしていて、チャンネルという形で中にあれこれの映像サイトを分類しているようです。で、そのDailymotionというサイトというかチャンネル <http://fr.truveo.com/channel/Dailymotion>の、 "Catégorie:Comédie  Vues:9  〔9回だけかよ!〕  Mots clés:oh, suzanna, kids" に入っている、タイトル "OH SUZANNA" のビデオをどうぞ。ほかに説明らしいものとしては、Truveoは責任を持たないというフランス語の免責の文と、タグの類しかないです。(1:51)――

 最初4人の男の子たちがペラペラのバンジョー〈少なくともメガネ君のはネックが折れている)を手に現われます。そして儀礼的な踊り。やがて4人の女の子たちが現われてムフフな展開に・・・・・・。円と中心をめぐる運動が基本で、中心の豊饒性を祝祭的にことほいでいるような気もしますが。まあ、遊戯やダンスは伝統的にそういうのが多いのかも。

  フランスの子供たちはこんな踊りをしているのでしょうか。

   あ、Dailymotion に直接入ればよいのか。適当にdailymotion.comかなー、と入力。ビンゴ! <http://www.dailymotion.com/us>   あら、Dailymotion US という英語のサイトに出ちゃった。検索・・・・・・はい、出ました <http://www.dailymotion.com/relevance/search/OH%2BSUZANNA/video/x5bhsg_oh-suzanna_fun>   jazzbarさんという、やっぱりフランスの人の投稿でした。 jazzbar on Dailymotion というプロフィールページの "Her Featured Video"の "HI AH!" でも「おおスザンナ」が出てきますねー。こちらのサイトで見ると126 views になっていました。

Duration: 01:51  Recorded: 05 May 2008  Location:Mimizan-Plage, Aquitaine, France
 
jazzbarさんが住んでいるSaint germain les corbeil という町とこのlocationはどう関係するのでしょう。深まる謎。
 
つづくかどうか不明。1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif1ec562dc-0f15-4c59-80a8-a2695f6e957e.gif
 
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August 16 アメリカンなおおスザンナ遊戯(爆) An American Oh! Susanna Play Lol [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday)

    アメリカにも儀式的な象徴性をはらんだ「おおスザンナ」 の踊りがあるのかと思って見ていたら、途中からエントロピーが増大してシステムが崩壊していくのでした。ザッツ・アメリカン。


"oh suzanna!!!"  投稿者vivian4o8 performed by Vivian and Rachel -- "us bestbuddy just bein weird lol..."

もうひとり、Nina さんと仲良し3人組のアメリカの20代前半のお嬢さんたち。

"lol" については英語版Wikipedia がくわしいかも(こういうのってどの国でも詳しく書く人がいるのですねw)、いちおうリーダーズ英和には LOL = laughing out loud と書かれてはいますけど。

 


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August 16 クロアチアのおおスザンナとウロボロス Oh! Susanna in Croatia and Ouroboros [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday)

   オリンピックといえばクロアチアである(なんとなく)。 1年前の2007年8月15日から22日には首都ザグレブであ、括弧に入らない

IOI 2007 クロアチア大会

」(lolではない、第19回国際情報オリンピック(IOI) クロアチア大会である)も開かれていた。

  そのクロアチアのそのザグレブでおそらく行なわれた結婚式のビデオが "korgmle" さんによって投稿されている。名前を "band COOL"  として、Website http://www.band-cool.bloger.hr/ がバンドの商業的紹介ページなので、式場内で演奏しているのが COOL という地元のグループであるらしい。メンバー――SINIŠA (ex Plavi kristali, Falset), FISH (ex grupa Gitano), IVICA (ex Boomerang, JackPot), JOSIP (bubanj expert) 。


"OH SUZANNA! - band COOL"  (3:34)

   最初のほうは英語じゃないと思ったのですが、よく聞くと英語でした。2分くらいからRednex 的な掛け声が入り、なんの曲かわからなくなって終わります。

    これは踊りの方向としてはラインだけれど、形状は変形の円環であると思う。自分の尾を食う宇宙蛇ウロボロスのように無限のサイクルを形成しているように思われるが、実際にしっぽを噛んでいるのではなくて、内部と外部がくるくると変転し、胎内めぐりのごとくに食っては食われ、食われては食う、しかし全体はひとつで一体みたいな、まあUFOでいうと円盤型じゃなくて葉巻型かな(笑)。

 ouroboros_image.jpg

有名な宇宙ヘビの絵

     Guide-to-Symbols の Ouroboros <http://www.guide-to-symbols.com/ouroboros/> :

This idea of the life cycle devouring its own tail can seem like a futile process where all that is achieved is ultimately destroyed. But this image of Ouroboros suggests a way to perceive it as an enfolding where the past (the tail) appears to disappear but really moves into an inner domain or reality, vanishing from view but perhaps still existing in some kind of virtual sense. Click here for the source website for this image. 〈自らの尾を食むという生命のサイクルの観念は、成就されたすべては最後には破壊されるという無常の過程に思われる。しかしウロボロスのこのイメジによって示唆されるのは、それを一つの包合として見る見方、つまり、過去(尾)は消失するように見えるが実は内なる領域ないし現実に移るのであり、視界から消え去るけれどもおそらくある種のヴァーチャルな感覚のうちになお存在しているという見方である。このイメジの典拠についてはここをクリック。)

     しかしこのイメジ(クリックするのもたいへんでしょうから小さいのを貼っておきます)を見て大仰に考えなくてもウロボロスは破壊と創造、生々流転を繰り返す宇宙の象徴としてあったわけなのだが・・・・・・なんでそれでいけないのだろう。図式的には、永劫回帰的なニーチェ的ヘレニズム的宇宙観に対して、直線的、一回的、終末論的なヘブライ的歴史観があるわけでしょうけれど・・・・・・宇宙を終わらせたくない思想なのかしら。いや、そうではなくて、死後の霊的な存在を希求する宗教的な姿勢なのかしら。

ouroboros.gif

 

this image  出典(孫引き):Guide-to-Symbols  <http://www.guide-to-symbols.com/ouroboros/>

   知ったことではないのですが、とりあえず単純に考えれば、食ったもの(自分)は外へ出さないと、自分がなくなってしまいます。だから、この映像の遊戯は生命のサイクル、あるいは生と死のサイクルを見事に具現化しているわけですね。

   クロアチアでは「おおスザンナ」にあわせてみんなこんな踊りをしているのでしょうか。つうか、なんで「おおスザンナ」なんでしょう。あるいはひょっとしてもしかすると、天然さんの鏡音レンの「嗚呼スザンナ」の記事で適当に出まかせで書いたように、夢と死と生が回るみたいな感覚を「おおスザンナ」は持っているのでしょうか(、いや持っていない)。そのために、結婚式というもともと通過儀礼における、さらに通過儀礼的な踊りにふさわしい曲とされたのでしょうか(、いやたぶんちがう)。

   "COOL" band のページ "Forum Glazbenog oglasnika :: Pogledaj temu - "COOL" band - 1000 EUR vjenčanja PETKOM!"(なんか料金のことを言っているタイトルのような気がする)には次のような紹介文があります。――

grupa COOL - muzika / glazba

vjenčanja, gaže, krstitke, djevojačke večeri - momačke večeri, promocije i sl.

zabavna, narod Laughing na, turbo, pop-rock, strane, latino, country - sviramo prema želji sa ili bez narodne muzike

zbog velikog interesa - svadbe PETKOM sviramo za 1000 EUR!

091 9344 258; 092 1241 468

band-cool@net.hr

Siniša - klavijature/harmonika, vokal (ex Plavi Kristali, Falset)
Fish - bas, vokal (ex grupa Gitano)
Ivica - gitara, vokal (ex Boomerang, JackPot)
Josip - bubanj expert

poslušajte nas na:

http://www.youtube.com/korgmle


_________________

COOL - your best choice!

 
  メンバーの担当と元いたバンド名以外は意味わかりませんが敬意を表して。Cool!
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August 16 カナダのぼよんぼよんするおおスザンナ Canadian Bouncing Oh! Susanna [スザンナ周辺]

August 16, 2008 (Saturday)

    モーリちゃんたちはふたりでバークレーに遊びに出かけたが、意外に早く帰ってきた。なんか石〈磨いてある貴石風)を袋に詰めて買ってきた。大きいのがひとつ3ドルで小さいのが30セントだが、スウェードの布の袋に詰めると3.25ドルだそうで、当然袋詰めで20個ぐらい買ってきた。まあランチマーケットのセルフの弁当みたいなものだろうか、いやちがう。

   Swedish Canadian family というから、スウェーデン系カナダ人の "sofniu"さんの2007年1月末の投稿。でもスウェーデンのRednex ふうのヴァージョンではないです。 "after skiing a little song and a little dancing " ・・・・・・スキーのあとのささやかな歌とささやかなお遊戯、いやダンス。――


"oh suzanna" (2:01)

ただぼよんぼよんしているだけのようですが、トリオ・ダンス♪
Countryfan1177484593.gif
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August 17 レッド・ネックスの「おおスザンナ」とウェスタン Rednex, "Oh Suzanna" and the Western [スザンナ周辺]

August 17, 2008 (Sunday)

    昨日と同様に、カリフォルニアは曇り空の朝です。 バークレーの気温14度(窓さんとこで見てきました)。カリフォルニアは北緯32°30' - 42°、西経114°8' - 124°24'に入っていて、南北に1240km、東西に402.5kmの長さと幅があるのだそうです(「カリフォルニア州」Wikipedia)が、アラスカとハワイをのぞくと一番西なのだと思います。あれ、オレゴンのほうに西の端があるのかなあ。いやさらに北のワシントン州に西端がありそうですね。でもまあ、プレーリーを突き抜けてまんなかへんの西のはずれというイメジ。

  17世紀の東部への植民以来、西へ西へと進んできた開拓(搾取と人によっては言うのでしょうが)が、1846年から48年の米墨(メキシコ)戦争によるカリフォルニア獲得ととその直後の金発見によるゴールドラッシュで、西の果てへ一気に飛んでしまって、そのあと19世紀後半にホームステッドと鉄道開発による「フロンティア」西漸運動があとから追いかけていってフロンティアがほんとうに消滅するのが19世紀末というのが適当な歴史のおさらいです。ゴールドラッシュのことは前に書きました(「May 2 長い一日(つづき) こどもの劇をみてカリフォルニアの歴史に思いをはせるの巻」参照)。アメリカの「西部」というのはフロンティアの移動とともに拡大していった歴史があります。

 Keaton_GoWest(1925).jpgGo West (1925)

   "Go West, young man, go West and grow up with the country." とHorace Greeleyがハッパをかけたのは1865年のこと。

405px-California_Gold_Rush_relief_map_2.jpg 前に貼った金鉱地図 (via Wikipedia)

  さてと、「おおスザンナ」の最近のラインダンスの、振り付けはさまざまながらもっぱら使用されているように思われるスウェーデンのカントリーテクノバンドのレッドネックスですが、ダンスなしで聞いてみました。いちばんでまわっているのは、つぎの映像がないといってよいヴァージョンです。――


"Rednex - Oh Suzanna" (3:33)  posted by Baarerboy (Switzerland)

 聴いてみると、でだし(と途中)で "I come from Alabama with my banjo on my knee.  I'm looking for sweet cowboys who can sing this song with me." (わたしゃアラバマからバンジョーひざに、この歌一緒に歌ってくれるかっこいいカウボーイたちを探しているのです)と歌っているのですね。"I've come from Alabama with my banjo on my knee" のリフレインはかろうじて原詩(詞)をとどめているように聞こえますが、え、"Oh Susanna, come and dance with me"?  "my cowboy, don't you cry"?  スザンナに会いにルイジアナ行かないの? また歌い手のアイデンティティー並びにジェンダー惑乱が・・・・・・(笑)。いや、話者のアイデンティティーはともかく、カウボーイ・ソングに変貌しておるのね。ウェスタンな。

  おそらくそれだから、最近(8月15日)YouTubeにつけくわわった同曲の別の投稿に、西部開拓とインディアンとカウボーイの画像が使われているのでした。――


"OH SUZANNA" (3:30) posted by aqualevia1 (Italy)

  イタリアの人の投稿です。マカロニウェスタンなノスタルジアか、政治的・思想的な含みがあるのか不明ですが、 モーリちゃんの父の頭の中では南部が西部へ転換し、黒人がインディアンへ変貌するという、惑乱状態が起こっているのでした。

 

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Rapidshare のRednex, "Oh Suzanna" mp3 file download ― <http://rapidshare.com/files/49453065/Rednex_-_Oh_Suzanna.mp3> 〔Free User 用あり

Keresöm Videó というところのRednex のvideo clip 集のページ― Rednex videók

<http://video.keresom.hu/rednex.html> 〔何語かわかりません。Swedish かしら。下の下の方はYouTube ですが、下の上の方に別のビデオがあります〕


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August 18 イタリア語のおおスザンナ Italian Oh! Susanna (Bobby Solo) [スザンナ周辺]

August 18, 2008 (Monday)

   ここ数日、朝方は曇り空で、昼過ぎから晴れる天気ですが、晴れても遠くの空にはどんよりと雲がかかっているようです。 今朝久しぶりに6時前に起きだしたのですが、まだ真っ暗で、明らかにだんだん日の出が遅くなっていますねえ。だんだん昼が短くなっているようです。それでも夜8時になってもいちおう明るいですが。

  イタリアの歌手ボビー・ソロ Bobby Solo (1945 ―) の本名は Roberto Satti といって、ローマの生まれです。1964年のSanremo Music Festival サンレモ音楽祭 (Festival di Sanremo = Festivaldella canzone italiana) に 自作の "Una lacrima sul viso" をひっさげてデビュー、優勝はやはり新人のジリオラ・チンクウェッテティ Gigliola Cinquetti となりますが、彼の曲も世界的な大ヒットとなります。Lacrima はラクリマ・クリスティ (Lacrima or Lachrima Christi) のラクリマと同じで涙、英語に直訳すると "One Tear(drop) on the Face" でしょうか、邦題は「ほほにかかる涙」。日本語ののウィキペディアにボビー・ソロは載っていないので、あれこれ見ると、なぜかeigo21の「なつめろ英語」の【EUROPEAN POPS SERIES】に「ほほにかかる涙 (ボビー・ソロ) 歌詞・訳詞など」がありました。なぜ~。ただ、英語のWikipedia によると "playback" (録音していた歌唱を生の歌にかぶせること)を使用したために規定により失格となったというのが事実のようです。あと、eigo21の長い解説の中には「マカロニ・ウエスタンのカンツォーネ版がボビー・ソロでしょう。彼は自他ともに認める『イタリアのエルビス』でした。ポマードを塗って前髪を垂らしたヘヤースタイルにギター。 格好はもちろん歌もエルビス調でした。いかにも戦後らしく芸名に Bobby などという英語名を使ったボビー・ソロは本名 Roberto Satti, 1945年3月18日ローマ生まれの生粋のイタリア人です。」と書かれています。m'm マカロニ・ウェスタンという言葉をモーリちゃんの父も2つ前の記事で使いましたが、文字通りに第二次大戦後にイタリアで流行した西部劇のことを言ったのですが、ここではアメリカのものをイタリア的に受容するというような意味で使っているのかしら。あ、よく読んだらその前の部分にこう書かれていました(あ、あと、Bobbyは確かにアングロサクソン的だけど、Robert の愛称はBob, Bobby, Rob, etc. ですね)。――

 日本が60年代半ば高度経済成長の波に乗っていたころ, 同じ敗戦国イタリアは音楽・映画などの分野で世界にその存在をアッピールしていました。 世界へ進出する道は違いながら,両国の復興の背景に戦勝国アメリカの影があったと言っていいでしょう。
 イタリアの場合, もともと南部を中心に新大陸に移住して者が多く その末裔にアメリカで成功した芸能人はたくさんいますし(例:フランク・シナトラ,  ディーン・マーティン,ペリー・コモ, ヘンリー・フォンダ,シルベスタ・スタローン, アル・パシーノ, ロバート・デ・ニーロ,ジョン・トラボル タ), アメリカの芸能文化を同化させるのにさほど抵抗ないどころか, アメリカもどきに仕上げて世界に輸出してしまうことさえしました。 たとえばマカロニ・ウエスタン。 ジュリアーノ・ジェンマなんてなつかしい名前が思い浮かびます。

  なるほど。モーリちゃんの父がむかし習ったところでは、イタリアはアメリカ文学の受容の歴史が長くあり、ウェスタンの源流と考えられるジェイムズ・フェニモア・クーパーのLeather-Stocking Tales とかも日本なんかよりもはるかに読まれていた。そういうアメリカ文化受容の基盤があってマカロニ・ウェスタン――いま適当にまたウィキペディアで見ると、60年代から70年代前半ですか、英語は"spaghetti western" ――が出てくるみたいなことでしたが、第二次大戦を経ていろいろな文化的思惑(なんて言葉あるのだろうか)なり文化的無意識が働いているのでしょうか、いたのでしょうか、いまふうな批評としては。書き手の文章の書き出しは「60年代はじめ,日本では戦後のアメリカ進駐軍の影響を受けた歌手が多く活躍しましたのですが, 彼らの歌った歌はアメリカのものはもちろん, 日本と同 じアメリカ進駐軍の統治の経験のあるかつての同盟国イタリアのカンツォーネ(イタリアン・ポップス)であったのはおもしろいことです。」です。「おもしろいことです」だけで分析しないのはズルイ(ヒトのことは言えませんw)。戦後のロックやフォーク(リバイバル)はアングロサクソンというか英米の音楽シーンがリードして、そのまえのジャズのビート・ジェネレーションにつづくかたちで反体制~オルタナティヴ(とびすぎだが)の流れは世界的な共感を呼んだのだろうから、ただ対アメリカというのではないと思うのだが。むろん音楽的にはエルヴィス・プレスリーだってアル・ジョンソンがいなければ存在してないかもしらんが(言い過ぎかもしらんが)。

  モーリちゃんの父は昭和30年代の生まれですが、戦後20年経たないうちに生まれたとか、ぜんぜん意識しないまま大人になりました。そして、この10年くらいで、いったい日本のアメリカ文学研究者は戦争をどう生きたのだろうか、と気になった(ひとごとだからひとごとのように)。戦前日本とアメリカの文化交流の盛んな時期はあったのですし、明治以来アメリカ文学の受容の歴史もあったし、作家同士の交流もあったりするし、長谷川海太郎みたいな人もいたりする。だから戦後に媚びるようにアメリカへ向かったのではないだろう。・・・・・・

  以上私的メモ・

 


"Italian Music - Bobby Solo - Oh, Susanna!" (1966)  posted by radioitaliano, on 21 July, 2008 (2:35)

   ということで、次の年の1965年のサンレモ音楽祭では優勝して雪辱を果たしたボビー・ソロが1966年に録音した「おおスザンナ」です。

  最初の息の吐き方はもろにプレスリー的だわ♪

  イタリア語の歌詞を探しましたが、見つかっていません。そのかんにカントリーやウェスタンやフォークについてさんざん読むことになり(自分が悪い)、頭が痛いです。ひとことだけ書いておくと、フォーク・リヴァイヴァルの立役者のPete Seeger はスティーヴン・フォスターを否定していないし、自ら「おおスザンナ」も含めて歌っているということです(なにを言っているのかわからなければすいません)。

  Bobby Solo は当然エルヴィスの歌をあれこれイタリア語で歌っていますので一曲――"Te Ne Vai" (Can't Help Falling in Love" 「好きにならずにいられない」 )――

 




もひとつおまけにScott McKenzie (1939 フロリダ生まれ―そのホームページ) の "San Francisco (Be Sure to Wear Flowers in Your Hair)" (1967) のBobby Solo によるイタリア語版 (英語の歌詞はこちらとか)――

 


Bobby Solo, "San Francisco"

    さて、この歌がアメリカなりサンフランシスコなりに対する幻想を抱かせたかというと、どうなのでしょう。モーリちゃんの父は昔の歌として中学生のころに聞きましたが、別にー、という感じ(まあ歌詞がわかっておらなんだからもしらんが、いま読んでも別にー)。まあvibration とかgeneration とかほんとうの意味を知らなかったしw  同じころ(かどうか不明ですが)マンチェスターとリヴァプールとかいろいろ地名の入った唄がありましたが、「煙だらけの町」なのだという知識を得る程度でした(それはメリー・ホプキンの日本語歌詞によるlol)

 


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