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April 6 出立 しゅったつ [時間・空間 space]

April 06, 2008 (Sunday)〔日本時間〕

アメリカに向かってTokyo/Narita 17:55 発ユナイテッド航空0852便エコノミーに乗りました。モーリちゃんは飛行機も初めてなら、外国旅行も初めて。ビザがおりるのに時間がかかって、4月3日にチケットを購入したので、並んだ席が取れないどころか3人ともバラバラだったので、旅行会社の「ご集合日時」はこの日の15時55分だったのですが、早く行って交渉しようと、昼前にシャトルバスに乗って、1時前には空港に到着、第1ターミナル南ウイング4階のKカウンターで航空券を受け取って、早々にUAのカウンターに並びました。モーリちゃんの父は切り離せるバッグの付いたバックパックとスーツケース、母は小さめのバックパックとスーツケース、モーリちゃんはリュックサックとカート型のスーツケースが荷物だったのですが、二つのスーツケースと大きいバックパックを預けて、残りの三つを機内に持ち込みました。

パッキングでたいへんだったのは重量制限です。航空会社によって違うようですが、ユナイテッドの場合は日米の国際線だと、「ファーストクラス・ビジネスクラス:2個。ただしそれぞれの手荷物の3辺(縦、横、高さ)の合計が158cm以内、かつ重さが32kgを超えないこと。エコノミークラス:2個。ただしそれぞれの手荷物の3辺(縦、横、高さ)の合計が158cm以内、かつ重さが23kgを超えないこと。23kg~32kgの手荷物には3,000円または25USドルの超過料金がかかります。」とHPに書かれています(旅行会社に電話で問い合わせたとき、同じホームページを見て、1個だけのようです、と言われたのですが2個だいじょうぶです)。それで、モーリちゃんのカートは23キロまでは達しませんが、父のバックパック(パソコンを入れた小さな取り付けバッグは除く本体)、父のスーツケース、母のスーツケースはそれぞれほぼ23キロになるように、お風呂の体重計に乗せて何度も調整したのでした。アメリカにいるマッキーちゃんは留学の旅で、本の入れすぎで荷物の重量制限から10キロもオーバーしていて、そのままだと追加料金8万円と言われたので、その場で新しいカバンを買って詰め替えたりして、相当ドタバタしたそうですし、身長に、いや慎重に体重計で測りました。バックパックが23.2とか表示されたのでびびりましたが、大丈夫でした。もしかすると23キロ台ならだいじょうぶなのかも。

重さに気を取られているあいだにうっかりしていて、座席の変更を聞いてみると、すんなりOKでした。時間があまりにあまったので、空港内のお店をみてまわって、YUIのCDがないか探したり、薬を買い足したり、父はビールとお昼を飲食したりしました。モーリちゃんは機内食を全部食べたいので、お昼はガマン。

スナックのあと、7時過ぎに夕御飯が出て、モーリちゃんと母は鶏ドンみたいなの、父はビーフとポテトのを食べました。片付けたら、急に暗くなって、寝なさい、というサインなのでした。カメラの時刻設定は、サンフランシスコについてからモーリちゃんの父が直したのですが、いま撮影日時の情報を見ると、日本時間の6日の真夜中、4月7日の午前1時から2時過ぎのあいだに撮ったものです。サンフランシスコ国際空港に着いたのが、カリフォルニア時間の4月6日午前11時10分でした。日本とカリフォルニアの時差は16時間だそうです。日本の時間に8時間足して、でも1日引くとカリフォルニアの時間になります。だとすると、4月6日の夕方に飛び立って7時間後の真夜中ごろにとった雲の上の写真は、4月6日の朝に戻った写真だったのでした。なんだか植木算よりややこしい気がします。

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タグ: 時間
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April 6 出立のおまけ写真 [時間・空間 space]

上〔あ、下でした〕のはモーリちゃんもモーリちゃんの父もはじめてのブログのはじめての投稿だったので、画像を載せようとしたときに「ファイルが不正です」と出てビビッて、かつ、ファイアーフォックスだったので削除ができずにアセリました。

 1765673 成田空港ロビー、16:39

1765675 上空、1:09 (日本時間)

 1765711上空、1:58 (日本時間)DSCN0055_1600.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上空、2:18am

 

 

 

 

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タグ:写真 時空間
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April 6 到着 arrival [時間・空間 space]

April 06, 2008 (Sunday) 〔カリフォルニア時間〕

 成田空港を予定時刻の17時55分よりちょっと遅れて離陸と思いましたが、ドア・クローズは同時刻だったので、予定通りの出発かもしれません。サンフランシスコには予定時刻の11時10分より早く、10時50分過ぎには到着しました。日本時間だと6日の深夜、7日の午前3時前ですから、フライト時間は約8時間だけだったのですね。その間にスナックは食べる、晩御飯は食べる、眠る、朝食は食べる、という多忙なスケジュールで、ロクに眠れるはずもなく、時差ボケ以前に寝不足でふらふらなのでした。

 非移民ビザの入国審査には手間取りました。モーリちゃんの父への女性担当官の最初の質問が "When did you return to Japan?" で、はぁ? というかあまりの非論理の唐突さに頭がついていかず、一瞬の口を開けた沈黙のあと、「えーと、私らは日本人で、日本から来たわけです。私は日本の大学の・・・・・・」と説明を始めると、"You are not answering my question." ときつく責められ、「はあ、すんません」という感じ。それでもDS-2019その他の文書にちゃんと目を落としたら了解したのか、「外国へ行くときには、ここに大学からサインがいるのよぅ」みたいなことを文書の当該個所を指して説明して終わった。東京のアメリカ大使館同様、指紋の読み取りがなかなかうまくいかず時間をさらに費やしました。モーリちゃんは不要でした。

 大小合計6個の荷物をカート二つに載せ、モーリちゃんの父と母には少し見覚えと記憶のあるサンフランシスコ国際空港の建物内部を歩いて、道を一本渡って(車の向かう方向のせい)タクシー乗り場へ。向かうホテルは3日になって予約した3110 Octavia にある Marina Inn。アパートが決まったらなかなか行けなくなるだろうから、とフィッシャーマンズ・ウォーフに歩いていける北のほうのホテルを選びました。最近はインターネットで割引で予約も支払いもできるので便利ですね。TravelNow.com を使いましたが、知っていたわけではなく、昔2泊ぐらいしたことのある Queen Ann というちょっとケバケバしいホテル(日本町のそば)を最初考えて調べたのがきっかけでした。予約の通知のメールのタイトルが、"TravelNow.com Itinerary" というので、itineraryというのは「旅行案内」とか「旅程」とかいう意味だと思いますが、ホテルへの案内が入っていました。――

 Hotel Directions:
 From San Francisco International Airport:
 Take CA-101 North to Duboce Ave/Mission Street.
 Turn right on Mission Street/CA-101 North.
 Turn left on Van Ness Avenue/CA-101 North.
 Follow Van Ness to Lombard Street, turn left.
 Take Lombard Street to Octavia, turn right.
 Marina Inn is located on the right hand side.

 タクシーはVan Ness大通りは使わずに、かなり下(南)のほうからOctaviaに入ってまっすぐ北上しました。北のほうはだいぶ坂がうねっています。 サンフランシスコの地図

 到着したのは1時ちょっと過ぎ。チェックインタイムが2時だとは知っていたのですが、重い荷物をなんとか預かってもらおうと思ったのです。大きなベッドひとつの部屋を予約していたのですが、同じ値段でクイーンとシングルの部屋も空いていると言われて変更、荷物についても快諾を得て、重い荷物を通路の奥に運んでいる途中で、部屋の準備ができた、と声をかけられました。再び荷物を引きずってエレベーターで2階の218へ。Marina Inn もQueen Ann 同様に(擬似)ヴィクトリア朝の建物のホテルのようです。サンフランシスコの古い家はだいたいそんな感じで、モーリちゃんはたいへん気に入ったのでした。(つづく)

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April 21 Cal 1 Card [Berkeley]

April 21, 2008 (Monday)

 この日モーリちゃんの父がバークレーのテレグラフ通りの古本屋で買った本について。でもその前に身分証明書のこと。

 UCB英文科はWheeler Hall という建物で、L52番バスの終点で降りてSather Gateをくぐってすぐ右手正面にある(最初に学科のオフィスを訪問した11日にはバスが右手のBancroftじゃなくて左に曲がったのであわてて降りたのでキャンパス内をだいぶ横断して、Wheeler Hallには反対側から入ったのだけれど)。モーリちゃんとモーリちゃんの母が8時前に小学校へ行き(この日が3日目)、そのあと父はバスに乗って大学へ出かけた。IDカードをつくるオフィスで、4度目にやっとfeeを納めた確認が取れ、写真を取ってもらった。コートを脱いだほうがいいか、と訊くと、「どちらでも・・・・・・写真は首から上だから」との答え。じゃ、いっか、とセーターに薄手のマフラーにコートのままで写真撮影。2,3分でできるからそっちで待っていて、と入口の外を指していうので、Entranceから出ちゃまずいな、とわざわざExitから出て(幅10メートルほどの小さな建物で、5つくらい身分証撮影用のブースが並んでいるのだが、季節のせいか一人か二人しかカウンター内にはいない)、Entranceのすぐ外でふらふらしながら煙草でも吸おうかな、とふと中をのぞくとさっき写真を撮ってくれた女の子がしきりに手を振っている、カムカムと。1分じゃんかよ。

 Assistantのメーリさんは月曜日は休みかもしれないのだけれど、Wheeler House3階の学科オフィスを訪ねた(3回目)。メーリさんはたぶん電話中、とのことでソファに座って待っているとニコニコ手を振りながらメーリさんが奥から出てきた。カードが今日つくれたことを報告し、activate の処理をしてもらった。 最初の週の金曜日11日にメーリさんを訪ね、その場で200ドルの支払いをネットで試みてくれたのだが、だめで、キャッシュでいいからというので渡し、彼女はメールを打ったりファックスを送ったりして、すぐにCal 1のオフィスに行ってと案内されたのだが、行ってみるとデータがまだ載ってないから月曜日に来るように言われた。月曜日に行くと支払いが行われていない、日をおいて来てと言われた。HPを読み直してみると72時間経ってから、と明記されている。それで、tokenを出すから火曜日に来なさいとメーリさんから言われていたのを、メールを書いて遅らせて、水曜日のSIM (Scholars Information Meeting) の前にしたのだが、その前にカードのオフィスに行ってもやはり支払いがまだなのだった。メーリさんにそれを伝えると、また電話をしたりファックス(金曜日に送ったはずのパテントの署名文書が届いてないとサム?から言われたようで)を送ったりしてくれて、しきりに詫び、今度はいつ来るか、明日には大丈夫というので、たぶん明後日(金曜日)と答えたのだが、あんまり信用できなかったのと、ちょうどその日帰るとモーリちゃんの希望する小学校から留守電が入っていてモーリちゃんの小学校はこちらになったので、明日通常の時間より早めに来てね、とのメッセージだった。Albany の学校センター(?)に最初に行ったのがその週の月曜日14日で、その場でひとつフォームにモーリちゃんの父が署名して提出し、予防接種の記録も含めてさらに3つフォームをもらって帰り、翌日提出していたのだが、これほど早く決まるとは思っておりませんでした(メーリさん、その他大学ののんびりした感じが「カリフォルニア時間」かなあ、と感じていたので)。

 メーリさんが2月下旬から317日まで急に休暇を取ったときにはモーリちゃんの父は呆然とした。


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April 22 雨 rain [天気 weather]

April 22, 2008 (Tuesday)

 この日、夜、はじめて雨が降った。夜といっても7時過ぎでまだ明るいころ。朝の天気予報(サンフランシスコは雨)のとおりだったのでみんなでびっくりした。

 モーリちゃんの父のばあい、カリフォルニアでは雨が降らない、という歌がこの日から頭に響いている。が、ここは北カリフォルニアだから降ってもおかしくないのね。

  It Never Rains in Southern California (1972)   「カリフォルニアの青い空」
   Albert Hammond (1942-  ) 

Got on aboard a westbound seven-forty-seven
Didn't think before deciding what to do
All that talk of opportunities, TV breaks and movies
Rang true, sure rang true.
 
Seems it never rains in Southern California
Seems I've often heard that kind of talk before
It never rains in California
But girl, don't they warn ya
It pours, man, it pours.

Out of work, I'm out of my head
Out of self-respect, I'm out of bread
I'm under-loved, I'm under-fed
I wanna go home
It never rains in California
But girl, don't they warn ya
It pours, man, it pours.

Will you tell the folks back home I nearly made it
Had offers but don't know which one to take
Please don't tell them how you found me
Don't tell them how you found me
Give me a break
Give me a break

Seems it never rains in Southern California
Seems I've often heard that kind of talk before
It never rains in California
But girl, don't they warn ya
It pours, man, it pours

あー、なるほど、It never rains but it pours.  の間にあれこれ入っているわけですね。Californiaに warn ya で韻を踏ませるのはすごいにゃあ(w

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April 23 学力試験 [小学校と銀行]

April 23, 2008 (Wednesday)

 この日、モーリちゃんの小学校で、統一学力試験が始まった。STAR というカリフォルニア州の公立学校のすべてで行なわれるもので、教科によって学年が違ったりするけれど、2年生から11年生ぐらいまで受けるものらしい(カリフォルニア州教育局のページ http://star.cde.ca.gov/)。となると小・中・高みんなですか。

 説明を見ると、Star = Standardized Testing and Reporting で、試験結果の「報告」部分が学校評価とかに直結しているようです。

 途中入学して数日で、しかも英語がぜんぜんわからないのだから、モーリちゃんは受けないでいいのかな、と思っていたら、算数だけ受けることになりました。国語も理科も算数もみんな何十問もあるけれども4択式とかみたいです。3時間ぐらいかける長い試験のようなのですが、モーリちゃんは「3分の2ぐらい答えた」と言っていました。まあエライと思いましたw 

 それにしても学校によっては、日本みたいに、できない生徒を意図的に排除して操作するみたいなことも聞くので、受けさせてもらえたのはありがたかったと思いました。できない子を差別していないということですから。

 


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April 25 メンフィスの白いバラ The White Rose of Memphis [本・読み物 reading books]

April 25, 2008 (Friday) 

この日モーリちゃんの父に届いた本(Alibrisから)。

☆William C. Falkner, The White Rose of Memphis: A Novel (1881; rpt. with Introduction by Robert Cantwell, New York: Coley Taylor, 1953) 

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 これは『響きと怒り』などで有名な南部作家William Faulkner のおじいさんWilliam C[lark]. Falkner [Colonel Falkner] の小説。日本で持っていたのは20世紀初めのリプリント版で、版が摩耗したので組みなおした、みたいなことが書かれていたと記憶しています。よく読まれた一種のベストセラーだった。この戦後のリプリント版は初版にのっとって、その後の流布版が改めてしまった綴りや文法のlocalismを保持したというようなことをイントロ(20ページを超す長文、まだちゃんと読んでいない)で語っています。暇と力があったら訳したいのだが。

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☆Charlene Akers, Never Buy Anything New: A Guide to 400 Secondhand, Thrift, and Consignment Stores in the Bay Area (Berkeley: Heyday Books, 1992)

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 このエイカーズというひとは同じ出版社からFirst & Foremost: A Guide to Northern California's Independent Bookstores (1996) という本も出していて、同時に注文したのだけれど、それは1994年に初めてサンフランシスコとベイエリアに来たときに、最初の日にPowellの本屋(当時の『地球の歩きかた』に載っていた、今はない)で小さな古本屋案内書を買って、大いに古本屋めぐりをしたのだが、その本をもってくるのを忘れ、でも新しい版があるかと街の本屋や大学の書籍部をのぞいて見つからず、ネットで調べたときに「Northern California」と「Old Books」みたいな検索でいくつか出てきたなかにこの本があった。AmazonのReviewでは、古書店を扱っていないのが不満、みたいなコメントがあって、あ、じゃあこっちの本が古本を扱っているのかあと同時に注文したのがこの『(この本以外は)何も新しいものを買っちゃダメ』。しかし本屋についてではなくて、服や家具や玩具が主でした。それでも、Albany 近辺のお店やFlea Market (蚤の市)情報も載っているのでよしとします。

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April 26 海 SF Bay [住まい living]

April 26, 2008 (Saturday)

 今日は暑い一日でした。モーリちゃんの父は4時過ぎに目が覚めてしまい、2日続けて暗闇の中で起きだしました。うちのリビングの窓は大小あわせて9個ぐらいあるのですが、半分以上はサンフランシスコ湾に面しています。今日は天気のせいか、朝も夕もきれいな景色でした。

朝方――

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(4月26日6時38分)

夕方(といっても8時過ぎなのですが)――

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 (4月26日20時18分)

 

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(4月26日20時23分)

今気が付いたのですが、カメラの時間が日本時間に戻っていました(6日に直したはずなのに・・・・・・)。ワールドタイムという設定があったので、それを今いじりました。ああ、そっかー。もうサマータイムなんですね。


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April 26 カリフォルニアの古本屋 Old-book shops in California [本・読み物 reading books]

April 26, 2008 (Saturday)

 この日San Jose のBookBuyers Online からAlibrisを通してモーリちゃんの父に届いた本。

Northern California Book Finder: A Directory of Used Bookshops in Northern California from San Luis Obispo County to the Oregon Border, 7th ed.  Ed. Jules Greenblatt. (Mountain View: Jules Greenblatt, 1993)   ISBN 0-9625673-3-7

 これが1994年にサンフランシスコのPowell Streetの本屋で買った、ポケット判の古本屋案内(と同じ本)です。ボロボロというかバラバラになるまで使いました。この1993年のは第7版となっていますが、どうやら、これを最後にして新版はつくられなかったようです。

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April 7 到着2日目 [小学校と銀行]

April 07, 2008 (Monday)

 朝10時にホテルまで来てもらった不動産屋さんのクルマに乗って、ふたつ候補のアパートを見てまわりました。一つ目はSunsetという住宅街の東端のLocksley Avenueという行き止まりの道にあるAvalon Sunset Towersというアパート。Avalon Sunset といってもヴァン・モリソンとは関係なく、日本にいる間にサンフランシスコのアパートを調べてわかっていたのは、Avalonグループがいろいろなアパートを買い取って、Avalonの名のもとに高級感を売りにしているらしいこと。マネージャーと一緒に1 bedroomの物件を3つ見せてもらった。十分すぎるくらいに広い。窓からはゴールデンゲート・ブリッジが見える眺めのよい部屋。Golden Gate Parkの東南端の南にSutroという山があり、その北のふもとはUniversity of California, San Franciscoだけれど、西のふもとにあたる。南側のふもとのClarendon Elementary Schoolという小学校との関係でここが候補になった。不動産屋は歩いて0.5マイルくらいとか言ってたけれど、あとでクルマでまわっていった感じでは800メートルどころじゃない、人の歩かないような山道。通学バスはあるんだよねーとか、マネージャーさんと英語で話しているのが聞こえるが、定かでない。自動車の移動だと距離感がつかめないので実際歩いてみないとわからないものだけれど、近所の店とか、小さなドラッグストア以外はJudahという大きな通りまで降りていかなければならない様子。モーリちゃんの父は、サンセットや、公園の北のRichmondは、昔古本屋回りをしたときの印象は悪くないので、まあ、Twin Peaksのこっち側に暮らすのもいいか、と思ったりもしましたが、東側の市の中心部へ出るには何回か乗り換えないと出られなそう。 2件目は、小学校でいうと、1501 O'Farrell Street にあるRosa Parks Elementary School という、やはりクラレンドンと同様に JBBP (Japanese Bilingual Bicultural Program) を実施している学校との位置関係で候補になった、Japan Town の近くの物件で、クラレンドンの小学校を見、近辺の商店街を見てからクルマで移動した。もらった図面でわかったのだけれど、南北でいうとPost StreetSutter Streetのあいだ、東西だとSteinerPierceのあいだの、教会といくつかの店をのぞくと1ブロックにまたがるような広いアパート群のようです。不動産屋同士の会話によると徐々に周囲を買って広げていったもののようです。

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 モーリちゃんの父は、こちらのアパートの玄関ホールや受付のat homeな感じとか好きになったのでした。それでもモーリちゃんは先刻見たクラレンドン小学校の生徒たちの様子が気に入っていましたし、モーリちゃんの母はあいかわらずジャパンタウン南方、Geary Streetの南側が危険という意識が強くて、そこまで降りて行かなければという単純な割り切り方はできません。それと、市街地はやはり空気が悪くて、モリちゃんの咳が心配でもあります。結局どちらと決まらないまま、しかし、最初のアパートについてはすぐにも決まってしまうかもしれないからということで、選ぶなら、walking closetなんか要らないので、1件目のということにして、それを1日おさえてもらうことにしました。 ホテルまで送りますよ、と言われたのを、ちょっとジャパンタウンに寄っていきます、と言って断わって、3人でまたジャパンタウンに行きました。魚喜 Uokiという日系マーケットで、『SF テレフォンガイド』と何種類かの新聞をもらいました。いろいろと日本の食材があるのですが、見るだけです。店を出てすぐにカリフォルニア銀行の看板が目にとまったのでモーリちゃんの父は思い立ったように意を決して中に入って行きました。”I am a university professor coming from Japan.  On my sabbatical year I have been accepted as a visiting scholar at UC Berkeley. . . . Can I open an account without social security number?” とかなんとか適当にカウンター越しにしゃべると、Yesという返事とともに、入口左のデスクの女性のほうを指示された。それがリカさんでした。リカさんは幼いころに一家でサンフランシスコで暮らし、いまも市内のアパートに住んでいる気さくでお茶目ないい人です。偶然同じ便に乗り合わせたこと、日本からサンフランシスコへくる飛行機はからだがヘンになること、小学校のこと、小切手のこと、debit cardのこと(現金がほしいときに少額のものをデビットカードで購入して釣りを手に入れるとか)、などいろいろ話しました。まだ住居も電話番号もないので、仮のものを記入して、決まり次第報告することにして、joint account checking accountを開くことにしました。デビット・カードも頼みました。これ便利ですよ、と『月刊もん別冊 アメリカ生活情報誌―日経職業別電話帳』というのをもらいました。スーパーでもらったSFのと似たようなものですが、サンフランシスコだけでなく北カリフォルニアと範囲が広いところが違うそう。 早めの夕食をジャパンタウンの回転寿司の店で食べました。モーリちゃんは初めてカリフォルニア・ロール系の巻物を食べました。ホテルにはFillmore Streetをミュニバスで北上して、数ブロック東へ歩いて戻りました。水もないし小腹もすいたので、モーリちゃんの父は、ちょっと買い物をしてくる、8時までには帰るから、とひとりで暗くなりかけた街へ出ました。少し南へ歩くと、Union Streetという東西の通りが商店街になっていることがわかりました。酒屋はすぐに見つかったのですが、スーパーはないかとずっと歩いていくともうFillmoreで、北へあがっていくと帰りのバスから見えたスーパーがありました。そこでいろいろ悩んだあげく、パンは堅そうなのでやめて、量り売りのバナナ、ケーキのようなパンのようなものなどを買い、その前に見つけておいた酒屋まで戻ってビールとチョコとポテトチップなどを買ってモーリちゃんの父がホテルに戻ってきたときには、モーリちゃんは疲れて眠っていました。 インターネットで調べてみると、Apartment Ratings には、最初のサンセットの物件については、近所の学生がバカでうるさい、とか書かれていたりします。まあ、学校評価にしてもそうですが、インターネットでのこの種の書き込みは、かなりいい加減なものや感情的なものがあるのでしょうけれど。モーリちゃんの母は、その日途中から加わった女性スタッフから、この話は今日初めて聞いたのだけれど、バークレーだったらもっといい物件がある、と言われたのが気になっていました。クルマがないので、最初の物件だと自然の中に埋もれてしまう気がしますし、二件目は場所としては好きなのだけれど、モーリちゃんのことを考えると危険な気がします。それで、翌日に橋を渡ってサンフランシスコ湾の向こう側を見てみることにしました。

 


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April 8 到着3日目 [小学校と銀行]

April 08, 2008 (Tuesday)

 朝、前日と同じコンチネンタル・スタイルの朝食を同じ階の食堂で食べました。ゆでたまごと、コーヒーとオレンジジュースとバナナ・マフィンとシリアルと牛乳。ロシア人っぽい男の人が、ゆでたまごを一度に6つとってテーブルにいき、次々と食べだしたのにはビックリしました。それでモーリちゃんたちもいくつかおみやげにもらって帰りました。ふつうのパンがないことにモーリちゃんの父は不満なようです。

 朝食後に電話をして、不動産屋さんの女性スタッフのK子さんとEl Cerrito Plaza駅で待ち合わせることになりました。大学のあるBerkeley駅のふたつ北の鉄道BARTの駅です。Bay Area Rapid Transitの頭文字をとってBART。サンフランシスコのバートの駅はBay Bridgeに近いほうから、EmbarcaderoMontogomeryPowellCivic CenterMarket Street 沿いに並んでいます。マーケットというのは、番地の起点になる大通りです〔昔のマーケット通り〕。Van Nessという縦の大通りも当然バートの駅があると思ってバスでバンネス通りをマーケットまで降りていき、地下へもぐる入口から入ってみると、それはmuni metroという地下鉄の駅なのでしたが、そのことに最初は気が付きませんでした。『地球の歩きかた』にバートもmuniも乗れる一か月のパスが載っていたので、それを買おうと思って駅員さんに聞いて回り、一度地上へ出てチケットを売っているビルまで行って聞いたところ、結局、サンフランシスコのダウンタウンだけの範囲なのでした(後から父が考えてみるに、あたりまえです)。で、また地下に戻って乗って気づいたのがバートではないということ。それでそのままパウエルまで行って、バートにようやく乗り換えました。muniメトロだったら、muniバスのトランスファーが使えたわけで、大損でした。

BART 路線図

 バートの切符を買うのは、モーリちゃんの父は初めてじゃないはずなのに、すっかり忘れています。切符の種類と枚数を選んでから、ピンピンピンと音をたてながら1ドルか5セントを足したり引いたりして料金を設定。

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 電話をかけて待っていると、K子さんは娘のミーナちゃんを連れてやってきました。Albany市の物件を見にいき、そのあと、Ocean ViewCornellという、公立の小学校を回り、Solano通りに行って、ミーナちゃんが食べたいというのでモーリちゃんとふたりで一緒に車を降りてタピオカジュースをいただきました。それからバークレーのほうへ向かって、おなかがすきませんか、ということで一緒に遅めのお昼を食べました。帰りに、ミーナちゃんがモーリちゃんにCar Washを見せたいとせがんで、洗車場へ行きました。それからうちへどうぞ、ということで山の途中にあるお宅までうかがい、いろいろと話をしました。

 ミーナちゃんはOcean View小学校の5年生で、モーリちゃんのひとつ上です。モーリちゃんは一日でミーナちゃんと親しくなったし、いろいろと相談して頼れるのはありがたいことだなあ、とモーリちゃんの母も父も感じ始めていました。モーリちゃんの父は、サンフランシスコに住む夢はあきらめて、もう決めてしまえ、という気持ちになり、それなら早く手続きを、ということで、オーナーに電話をして、ちょっと異例のかたちで、明日入居の手続きをとりに夕方5時半に訪問することになりました。それまでの時間を近所のモールでとりあえず寝具の買い物をして、そこへK子さんが迎えに来てくれることになりました。 寝具はあれこれ迷ったあげく、レジに並ぼうとしたら長蛇の列で、時間にまにあいそうもないので、明日買うことにして何も買わずに店を出ることになりました。この店はRossというチェーン店で、テレビでコマーシャルを流していますが、商品が床に散らばっていたり、穴が開いた服とか、割れた食器とかが平気で並んでいる、ヘンな店です。

 アメリカは契約の国だなあ、とモーリちゃんの父も母も、転居の手続きのときに感じました。48日付の “Residential Lease or Month-to-Month Rental Agreement (C.A.R. Form LR, Revised 1/06)”と題するA4判の文書が6ページ。”Addendum (C.A.R> Form ADM, Revised 10/01)”1枚。さらに“Leasing Documents for Bayside Commons Condominiums” と題された55枚の文書が1冊。最後のの半分は「おみやげ」でしたが、重要な箇所を黄色いラインマーカーで示しながら説明したり、署名を求めたりしました。2時間ぐらいかかったのではないでしょうか。 Depositの現金がまにあわないというと、小切手のほうがよいので、何日か待ってくれるということになり、その場で小切手を切って、入金の連絡を後日することになりました。アパートをあとにしたのはもう8時過ぎです。近所のモールの、K子さんが、おいしいのよー、と言っていた中華料理店で食べていくことにしました。結局サンフランシスコのチャイナタウンには行っていないので、はじめての中華。 そのあとSan Pabroの通りをバートの駅と反対の方向に歩きだしてしまい、途中で道を尋ねて引き返します。不安でしたけど、ふと見上げた空には星がいっぱいでみんなで感激しました。バートからミュニメトロに乗り換えてヴァン・ネス通りに出て、ミュニ・メトロのトランスファーを手にしてバスを待ちますが、待っても待っても来ません。30分ぐらいまってようやく47番の連結バスが到着。Chestnut通りあたりでバスを降り、ひとつ下のLombardを西へ歩いてMarina Innに戻りました。長い一日でした。

 テレビをつけるとチベット問題でリチャード・ギアがサンフランシスコに来ているというニュースをやっていました。あー、これで混んでいたのかな、とそのときは疲れた頭でのんびり考えていたのでした。

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BARTのホームページ <http://www.bart.gov/>


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April 9 到着4日目 引っ越し Settling-in [住まい living]

April 09, 2008 (Wednesday)

 朝、前日と同じコンチネンタル・スタイルの朝食を同じ階の食堂で食べました。ゆでたまごと、コーヒーとオレンジジュースとシリアルと牛乳と、そしてバナナではなくてチョコマフィン♪ 引っ越しに備えて、ゆでたまごやオートミールやマフィン、そしてプラスチックのスプーンや紙の皿などをありがたくちょうだいします。

10時にモーリちゃんの父はひとりでバスに乗ります。まずVan Ness StreetCiti Bankでおろせるだけ(1回の最高800ドル、1日計3000ドル)おろし、トランスファーを使ってSutter Streetを西へ向かいジャパン・タウンのカリフォルニア・バンクへ。リカさんに新しい住所を伝えます。そして再びトランスファーを使って、Post Streetを東へ。再びヴァン・ネスをトランスファーを使って今度は北上。計5回バスに乗って戻りました。そういえば昔トランスファーの時間内に何軒も古本屋を回ったことがあったなら、とモーリちゃんの父は思いだしてきました。

12時ちょうどがチェックアウトの時間です。ギリギリに部屋を後にします。初日に、あなた(たち)を相手に日本語の勉強しようかしら、とか言っていた女の子は日曜と月曜しか姿を見せず、今日も別の人でした。タクシーを呼んでくれるように頼みます。モーリちゃんの父が外に出てタバコを吸っていると、知らない男が「あなたはタクシーを呼んだか?」と訊いてきます。「呼んだ。」 「どこまで行くのか。」 「Albany。」 男はホテルの中に入っていきます。あとからモーリちゃんの母に聞いた話だと、この男は、どうして自分を使ってくれないんだ、とホテルのフロントにアピールしていたそうです。白タクみたいな人なのでしょうか。タクシーがやってきて、荷物を積みいれ、出発。「どこまで?」 「アルバニー。ホテルのフロントに電話で伝えてもらったと思っていたけど。Pierce Street。駅で言うとEl Cerrito Plaza、バートの。」  運ちゃんはタクシー会社に無線を入れます。「道路状況を聞くんだ。」 道を知らないのではありませんでした。「オリンピックの聖火リレーで橋が渡れないそうだ。これで1日仕事をつぶすわけにはいかんからね。ベルクリィまでバートで行ってそこからタクシーで行ったらいいよ。」  ガーン。昨日のリチャード・ギアは今日の聖火リレーがらみでサンフランシスコに来ていたのね。どうしよう。「バートの駅まで乗せてってもらえますか?」 「いいですよ。どちらへ?」 「Embarcadero。」  「エンバーカデロね。」 車は東へ向かった。運ちゃんは再び連絡を入れる。「エンバーカデロは混んでて行けないらしい。」 「じゃあ・・・・・・Civic Center。」 「了解。」 駅の手前で降ろしてもらい、舗道わきにスーツケース大小3個、バックパック大小3個を積み上げる。一番大きな23kgのバックパックにパソコンの入った小バッグをジッパーで装着して、モーリちゃんの父がかつぎ、さあ行こう、とスーツケースを転がしだす。バートの駅構内にElevatorと書いてあるのはEscalatorのことである。下りのエスカレーターで大きなスーツケースを運ぶのはなかなかしんどいものがあります。いちおう脇を人が通れるようにあけてあげたりしちゃうので。折よく運よくRichmond行きが来て、乗り換えなしでEl Cerrito Plazaに向かいました。ベイ・ブリッジを渡ったところでいくつかの方向に分かれるので、うっかりしているととんでもないほうへ行ったりします。駅のホームから改札へ降りて、出たところで一休み。反対側でタクシーが2台、人を待っていましたが、モーリちゃんの母は、人相が悪い運転手を敬遠します。「よし、じゃ、歩いていくか。」 「うん。」 Kコさんは10分ちょっと、と言っていましたが、前の日は暗がりで迷った道を、反対方向に進んでいきます。しかし、重い。特に父のスーツケースには重いものを詰め替えて入れられているような気がする。しかし母もへばっています。「おれが二つ運ぶから」とスーツケースを右手と左手で転がす。ああ、昔ロンドンを去るときもこうだったなあ、と思いだすモリちゃんの父。前の夜ごはんを食べたモールの奥の入口でカートを借りて、バックパックを積み、母に運ばせ、スーツケース2個を駐車場を横切って運びます。アパートまで100メートルというモールの入口のところで、荷物をまとめ、小さいバックパックをもって先にモーリちゃんと母がアパートに行くように父は指示します。そしてタバコを吸いました。何本も。そして写真を撮りました。

☆カリフォルニアの青い空・・・・・・下の写真と色が違い過ぎ(笑

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Albany Hill を背にしたcondominium

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April 29 ポーの全集 [本・読み物 reading books]

April 29, 2008 (Tuesday) 

 モーリちゃんの父がUCBに行って帰ってきたら届いていた本。二つ箱で届いていました。実はインターネットが14日につながって最初のころに頼んだ注文で、なかなかこないので心配していたのでした。

The complete works of Edgar Allan Poe (10 volumes set)  Ships from Stamford Estate Books

$250.00

Collected Works of Edgar Allan Poe (3 Volume Set); Vol I: Poems; Vol II: Tales & Sketches 1831-1842 from Black Swan Books  $150.00     

 

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 上のは1902年の17巻本Harrison版を11巻(ハリソン版の1巻目の伝記と17巻目の書簡が第11巻になっているはず)に同年に編みなおしたもの。ハリソン編と言いながら、なかなかオリジナル、あるいは完全リプリントのAMS Press版、はなかなか見つからないです。昔学生のころに本郷通りの赤門前の古本屋の棚の上に3万円ぐらいであったときに買っておけばよかった。下のは現在の「定本」のマボット版。Thomas Ollive Mabbottはハリソンの10巻本に書き込みやメモはさみをしたそうで、だから、まあ、いっかみたいな。 "Media Mail" というのは聞いたことがなかったので調べてみると、USPSのサービスなのですね。"M Bag" とどう違うのだろうか。調べて報告します。

 

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