SSブログ
150px-Eye.jpg

March 28 2009年3月28日のアルバニ(カリフォルニア)の空 付フライパンの周縁の終焉 [天気 weather]

March 28, 2009 (Saturday)

   朝5時45分の気温は22.0度(湿度55%)、外のベランダは13.5℃。8時に22.0度(56%)で13.1度。14時に24.2度(56%)で18.5度、快晴。16時に内26.1度(52%)、外19.8度、窓を開ける。17時に内24.8度(45%)、外19.9度。18時、内23.4度(46%)、外19.2度(窓を閉める)。18時44分、内24.8度(47%)、外19.5度。19時52分に内25.7度(45%)、外18.0度。22時15分、内25.2度(51%)、外15.6度。

   3月の下旬から晴れた日が続いている。このままほとんど雨は降らずに夏になっていくのだろう、と思う。

March28,2009AlbanyCA1924.14pm.jpg
2009年3月28日(土)19時24分14秒

  この日のサンフランシスコあたりの日の出は7時0分ごろ、日没は19時29分ごろ。

March28,2009AlbanyCA1924.22pm.jpg
2009年3月28日(土)19時24分22秒

March28,2009AlbanyCA1949.18pm.jpg
2009年3月28日(土)19時49分18秒

March28,2009AlbanyCA1949.42pm.jpg
2009年3月28日(土)19時49分42秒のゴールデンゲートブリッジ

  もうすぐ夜8時になっても明るい季節になるのでしょう。



 

 

 

 

⇒このあとの悲惨なフライパンの写真を見る?


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

April 2 歌詞と記憶についてのメモ [歌・詩]

April 02, 2009 (Thursday)

   このあいだ、「March 28-29 短い文 (ポーの『マージナリア』から) 付 ミュージカルの歌詞についての雑感」という大仰なタイトルの記事で書いたことのつづきで、踏み固めのふたつめです。今回のはかなり俗っぽく、そして個人的なのですけれど。

  具体的な例を話します。このあいだ13日の金曜日のフライデーのフライの日に「March 13 2009年3月13日の金曜日のフライとアルバニ(カリフォルニア)の夕方の空」でふれた泰葉の「フライデイ・チャイナタウン」(1981年)。「フライディ・チャイナタウン」とディのィが小さいのが正しいのかもしれませんが、それはともかく、歌詞はタイトルを中にはらんで始まります―― 「It's So FLY-DAY FLY-DAY CHINA TOWN  真夜中の人ごみに It's So FLY-DAY FLY-DAY CHINA TOWN  はじけるネオンサイン」。情報としては、「It's So FLY-DAY FLY-DAY CHINA TOWN 」と、歌の現実(時間・空間)ががとっても「フライデー」のチャイナタウンだということと、その繰り返しによってブツ切れにされた「真夜中の人ごみに・・・・・・はじけるネオンサイン」というより細かい描写です。しかしここでL-R問題がでるとはw。よっぽど耳がよくてかつ"Fly-day" というわけわかめの言葉を自然にインプットした人はどれだけいたのでしょうか?  あんまり英語ふうに発音しているように聞こえないのですが。もっとも、Friday is the Fly Day. 的なノリは、日本では意外と以前からあったみたいなのですけれど(あからさまに日本人的な語呂合わせだけれど)。特にFMラジオはお好きなようで、「FLY!DAY TRIPPER〜FROM SKY GATE〜」(BayFM)とか「Fly-Day Wonder3」(fmnagasaki)とか「WEEKEND FLY! DAY」(広島エフエム)とか。なるほどね。もはや日本語ですね。

  そうなると "So" が不自然だと英語文法を考えてもあまり意味はなくて、いや、"Fly-day" は"China Town" を形容詞的に修飾しているのだから、副詞のso でOKなのでした。

  イッツ・ソー・フライ・ディ・フライ・ディ・チャイナ・タウン

   しかし・・・・・・耳で聞いてわかるんでしょか。

   その次の歌詞は「肩にぶつかるジンガイ ウインクを投げる」です。ジンガイは外人です。まるでわざとあっさり聞き取れないように崩している歌詞です。今回まじで歌詞を眺めたのですが「ジャスミンに接吻を」してなんで「私も異国人ね」というくりかえしが出てくるのかよくわかりませんでした。踊り疲れたディスコの帰り(かなんか知らんが)通りを歩くとジンガイがウィンクをしてくるが、彼は知らない顔をするので戸惑う。けれど、朝まで港を見ながら酒を飲んで遊ぶわ。私もチャイナタウンではストレンジャーよ。というような歌のようなのですが。

  いらぬ説明が長くなりました。例の2。チャイナつながりで鹿取洋子の「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」(1980年)。「港の灯りキラキラ夢みたいにきれい」「そっと私をつねって好きになった人」。えーと、「私をつねって(そして)好きになった」のだとずっと思っていたのは私だけ? 私だけ~? いや、そりゃあ、考えてみれば、なんで、つねって好きになるのかはよくわからんのですけれど。「わ~夢みたい! ねえ、わたしをつねって、つねってみて~♪」というような女子をイメージできなかった若いころのインプットを引きずったままだったということなのでしょうか。

     例の3。えらくマイナーで古い歌で「雨に咲く花」。「儘(ママ)になるならいま一度 一目だけでも逢いたいの」を「ママになるなら」としばらく思っていた。この歌は1960年にロカビリー歌手の井上ひろしが歌ってヒットしてリバイバル・ブームを生みだすのだが、もとは1935年の関種子の歌でした。

   そして帰国前に書こうと思っている、Reimy の「愛にDESPERATE」 (1984年)のしめくくりの一言。「あなただけしか救えない」。これの主語を「私」だと思っていました。

   あー。なんか笑いのない話でした(笑)。

     要するに歌詞を吟味などしないで――それももしかするとイイナと思うココロに残るフレーズがあるにもかかわらずです――人は歌謡曲を受容しているのではないかということです。仮にカラオケで歌う歌でもナカミはあんまりわかっていなかったりするのではないか。たとえソラで全曲歌えたとしてもその記憶はポー的にいうと「看取」というのからほど遠いのではないか。 

     カリフォルニア時間2日9時40分追記
  もうちょっと書いておきます。音楽を聴くときに、耳に入ってくる歌詞を熱心に頭は注意していないのではないか、ということです。なんとなくこのあいだから気になっている歌を例に出すと、Kとブルンネン(誰やねん、ってヒデとロザンナみたいなデュオです)が1970年に歌って、その後、南沙織、朝倉理恵(1973年)、その後さらに80年代に柏原芳恵がカバーした「あの場所から」という一見というか一聴しみじみした歌があります。冒頭の、誰が歌っても「遊ぶハートをふたりで見てた」に聞こえるフレーズは別に聞き違いの対象ではないです。内容のほうです。Kとブルンネンだと「若いふぅたりからだとからだ」と男のほうが歌って、続けて「求めぇあってぇ生きたぁ」と二人で歌う、その歌詞です。体と体、求めあって生きた、だぜ。すごい歌詞です。ではないで唱歌。それでも、どれもあっさりと聞き流されてしまう。あるいは若い女性が平気で歌う。というか、だからこそかどうか、あっさりと細い声で歌われる。これはどういうことなのでしょう。a) 歌の内容と歌う主体は無関係、だってパフォーマンスだから、仮に感情移入しても恥ずかしくはない。 b) あんまり歌詞は聴く側にも歌う側にも看取されていない。 c) 70年代はそういう歌詞の時代だった。 d) 歌詞と曲には必然的な結びつきがない場合も多くて(いやもしかしたらなくって)、半分以上は曲のほうで脳に受容される(うわ適当)。コトバは断片的に曲にくっついてイメージ化されて雰囲気をつくればよい。

 

 

カリフォルニア時間4月5日朝8時追記

April 4 主体の惑乱、またはの絶望 Confusion of the Subject, or Desperate for Love」を読んでいただけるとギザうれしおす。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:音楽

April 1 戻らない時間――カリフォルニア時間の終わりに (1)  エイプリル・フール的予行的 [カリフォルニア時間の終わり]

April 01, 2009 (Wednesday)

    いまカリフォルニアは2009年4月1日午前6時30分をまわったところです。日本も四月馬鹿の日だし、ウソと真実がまざりあう記念日に別れの挨拶の予行をしておこうかと。それ――あいさつがではなくて、それを何度も演じること――はたいへん下品なことに思えるのですが、下品こそ、日常の上品さを崩してブログで自分が求めた人格の展開ではなかったか(w)。それにいつ消えるかわかりませんし。

SanPabloAvenue, BerkeleyCA.jpg
In Front of a Shop on San Pablo Avenue, Berkeley, California, February 13, 2009, 8:58am

    この写真を撮ったのは2月13日の午前8時58分で、東京魚店が開く前です。Tokyo Fish Market 界隈の、ビンゴ会場のそばのオフィスだか店舗だかわからない間口の狭い建物のウィンドウが、朝日の熱でガラスが少し曇り気味になったところに「時計」は置かれていました。

  "WILL RETURN"  「~時に戻ります」

  けれども、もはや、戻らない時間を示しているように思われ。

  戻らない時間。カリフォルニア時間。

  わっ。くっさ~。

  去年の4月6日にサンフランシスコに到着して、4月23日に始めたブログでした。夏に「カリフォルニアから2009年4月まで1年間だけ書くブログ」と書いた、その1年の終わりが、どういうふうに勘定しても迫っています。あと1週間でこのアルバニの住まいも出ます。もうすぐカリフォルニア時間は過去のものとならざるを得ない。いや、書き留めている(のが見られている)のは既にすべて過去のコトバなのかもしれないのですけれど。

  今までお読みくださったみなさん、そして読んでくださっているあなた、読んでくれるかもしれないずっと未来のかた、ありがとうございますありがとうございました。

  みたいな。

 


タグ:時間
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:日記・雑感

March 31 ウィリアム・シャープとフィオナ・マクラウド(1) William Sharp and Fiona Macleod (1) [本・読み物 reading books]

March 31, 2009 (Tuesday)

March26,2009AlbanyCA1206.10am.jpg

   いまの時期に (1) とか記事につけて書いていいんだろうか、という自問の声がなくはないのだが、書いてみます。

  去年の秋くらいにバラバラに買った本。いちばん下のはウィリアム・シャープの奥さんのエリザベスによる伝記、まんなかはウィリアム・シャープにフィオナ・マクラウドという女性人格が現われだす直前くらいの時期の著作集、上は戦後のFlavia Alaya の研究書(フィオナはイングランド文壇で成功したウィリアム・シャープが抑圧したスコットランド的なるものの回帰だというような考えのようです)。

Elizabeth A. Sharp.  William Sharp (Fiona Macleod): A Memoir.  New York: Duffield, 1910.  433pp.

William Sharp.  Vistas, The Gypsy Christ and Other Prose Imaginings.  New York: Duffield, 1912.  484pp. 

Flavia Alaya.  William Sharp―"Fiona Macleod," 1855-1905.  Cambridge: Harvard University Press, 1970.  261pp.

  フィオナ・マクラウドという女性名義の短篇は、戦前には松村みね子の訳があり、戦後は荒俣宏が訳しています。けれども、日本人でウィリアム・シャープととフィオナ・マクラウドの名を知る経路としては、女性作家の尾崎翠を介してである人が多かったのではなかったかと思われます。とくに「こほろぎ嬢」。

かくて、静かな葬列は、いろんな思ひをのせ、着くべきところへ向つて流れたのである。けれど人々は、ふいおな・まくろおどの居場所について皆思ひ誤ってゐた。嬢はいま、人に知られぬ処、ゐりあむ・しやあぷの骸のなかに、肉身を備へない今一人の死者として横はり、人知れぬ葬送を受けてゐたのである。ふいおな・まくろおどは、まつたく幻の女詩人であつた。詩人しやあぷの分心によって作られた肉体のない女詩人。それゆえ嬢は、よき人しやあぷとともに地上から消えた。けれど生世のうち、二人の艶書のやりとりは、それは間ちがひのない事実であつた。分心詩人ゐりあむ・しやあぷの心が男のときはしやあぷのペンを取ってよき人まくろおどへの艶書をかき、詩人の心が一人の女となったとき、まくろおどのペンを取つてよき人しやあぷへ艶書したのである。かかるやりとりについては、今後時を経て、「どつぺるげんげる」など難かしい呼名のもとにしやあぷの魂をあばく心理医者も現はれるであらう。また、ふとして、東洋の屋根部屋に住む一人の儚い女詩人が、彼女の儚い詩境のために、異国、水晶の女詩人を、粗末なペンにかけぬとも言へないのである。心理医者、そして詩人。何といふ冒涜人種であらう。いつの世にも、彼等は、えろすとみゆうずの神の領土に、まいなすのみを加へる者どもである。彼等が動けば動くだけ、ゐりあむ・しやあぷの住んでゐたみすてりの世界は崩されるであらう。

 

  尾崎は二重人格・ダブル、それと両性具有に関心を強くもつわけですが、尾崎翠のことばでいうと「分心」の典型的な、それも作家として、ウィリアム・シャープという人がいたわけです。尾崎の書き方だと「ゐりあむ・しやあぷ氏&ふいおな・まくろおど嬢」。フィオナというのは典型的なゲール語で、white とか fair の意味。Macleod の発音は「マクラウド」が正しく、マックというのはゲール語で誰誰の息子 son みたいな意味ですから、ファーストネームとしては男子名ですけれど、ファミリー・ネームとしてもあります。

  はじめてFiona Macleod 名で Pharais を出版した1893年の手紙のなかに見つかる一節――



This rapt sense of oneness with nature, this cosmic ecstasy and elation, this wayfaring along the extreme verges of the common world, all this is so wrought up with the romance of life that I could not bring myself to expression by my outer self, insistent and tyrannical as that need is. . . .  My truest self, the self who is below all other selves, and my most intimate life and joys and sufferings, thoughts, emotions and dreams, must find expression, yet I cannot save in this hidden way.  (Elizabeth Sharp, 227)
(この自然との歓喜にみちた一体感、この宇宙的なエクスタシーと高揚感、この、日常世界の境涯を歩み行くこと、これらはすべて、私の外的自己によっては表現できない生のロマンスによってつくられています。表現の要求は執拗で強制力があるのですが。……私の最も真実の自己、他のすべての自己の下にある自己は、そして私の最も大切な生と喜びと苦しみ、思い、感情と夢は、ぜひとも表現を求めねばなりません。が、この隠れたやりかたでしかできないのです。 save=except〕)

  "Should the secret be found out, Fiona dies." (秘密が見つかったらフィオナは死んでしまう) と何度も言っていたと夫人は回想しています。
 
  その年の暮れにウィリアム・シャープが書き記したことば――



I am tempted to believe I am half a woman, and so far saved as I am by the hazard of chance from what a woman can be made to suffer if one let the light of the common day illuminate the avenues and vistas of her heart. . . .
(228)


 注意しなければならないのは、シャープ自身が語っている見解が真実かどうかはわからない、ということです――もっとも、引用したものだけでもブレているように見えますけれど。

 奥さんの見るところでは、フィオナが高次の自己というのでもなかったようです。両者とも啓示を待つ存在であった。ぶっちゃけていうと、両性具有的な存在というのでもなく、むしろ自己の分離、人格の乖離に苦しむ人でした。いまふうにいうと「解離性同一性障害」と呼ばれるだろうもの。それでも、興味深いのは、シャープがかなり以前からトランスに落ちる人間だったことで、その神秘体験の記述はたいへんおもしろい。

I remember from early days how he would speak of the momentary curious "dazzle in the brain" which preceded the falling away of all material things and preluded some inner visions of Great Beauty, or Great Presences, or of some symbolic import―that would pass as rapidly as it came.  I have been beside him when he has been in trance and I have felt the room throb with heightened vibration.  I regret now that I never wrote down such experiences at the time.  They were not infrequent, and formed a definite feature in our life.  (425)

 

//////////////////////////////////

尾崎翠フォーラム <http://www.osaki-midori.gr.jp/index.htm>

The Letters of William Sharp "Fiona Macleod" <http://ies.sas.ac.uk/cmps/Projects/Sharp/contents.htm>The William Sharp "Fiona Macleod" Archive Edited by William F. Halloran, University of  Wisconsin, Milwaukee Sponsored by the Institute of English Studies

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(1) 
共通テーマ:学問

March 27 2009年3月27日のアルバニ(カリフォルニア)の空と紅焼鰻丼と焼豚、そしてスナッパーのムニエル [天気 weather]

March 27, 2009 (Friday)

    この日でモーリちゃんは小学校の通学をやめる。もうひとり先に日本に帰る女の子がいて、一緒にお別れの挨拶をすることにしたのでした。ほんとうはぎりぎりまで通ったら6日か7日までということになるのですが。

  それで、午後までは一人だったので、夏ごろに買って、食べないまま放置されていたウナギの缶詰を昼に食べることにした。ちょっと怖かったのだが。99 Ranch Market で若い女の人がいくつも買っているのを見てついフラフラ~と買ってしまい、ずっと隠しておいたのでした。何言われるかわからんし。

March27,2009AlbanyCA1110.06am.jpg
March 27, 11:10am

March27,2009AlbanyCA1110.36am.jpg

  なんか骨がついてるようで。でも缶詰だからやらかくなってるみたいな。

March27,2009AlbanyCA1115.30am.jpg

  ウナギというより干したタラみたいな食感でした。甘草的に甘い。山椒などないので、七味唐辛子をかけたら、けっこう合いました。

  そして夕方。スナッパーの残りの2枚を料理することにして、ひとつはパセリガーリックという、なんというか出来合いの調味料コンビ(Lemon Pepper とかトレーダージョーズにも売っています)を99セントショップで買ったものを使って味付けしてみた。

March27,2009AlbanyCA1801.44pm.jpg
18時1分44秒のスナッパー

  それからたぶんアメリカで最後だろうな、としみじみしつつ焼き豚さんをつくりました。

March27,2009AlbanyCA1808.18pm.jpg
18時8分18秒の豚

March27,2009AlbanyCA1821.38pm.jpg
18時21分38秒の焼き豚

  焼くだけで中まで火を通すのはなかなかたいへんです。

March27,2009AlbanyCA1822.00pm.jpg

のゴールデンゲートブリッジとまぶしい太陽

  ちょっとフライングでした。われながら無茶な写真だと思います。

March27,2009AlbanyCA1833.58pm.jpg
18時33分58秒  

  結局煮豚にすることにしました。

March27,2009AlbanyCA1921.06pm.jpg
2009年3月27日19時21分6秒の沈む夕日とひこうき雲

March27,2009AlbanyCA1921.40pm.jpg
2009年3月27日19時21分40秒

March27,2009AlbanyCA1922.16pm.jpg
2009年3月27日19時22分16秒

March27,2009AlbanyCA1942.22pm.jpg
2009年3月27日19時42分22秒

  北のほう。

March27,2009AlbanyCA1957.38pm.jpg
2009年3月27日19時57分38秒

  月の上の白い点は次の写真の飛行物体ではないかと思われ。

March27,2009AlbanyCA1957.50pm.jpg
2009年3月27日19時57分50秒

  夕焼けとシスコムーン。
 

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

March 31 不思議な箱の発見 パート5 Wonder Box [時間・空間 space]

March 31, 2009 (Tuesday)

   いまカリフォルニア時間は3月31日(火)午前1時になるところで、日本は同日の16時59分です。

  眠る前にもう一度箱を探してみようとして、でもぜんぜん出てこないのでトップページ <http://www.so-net.ne.jp/>の鍵key.gifをクリックしたら、お休みの掲示がでてきました。

WS001061.JPG
<http://www.so-net.ne.jp/event/hako/>

   しかし・・・・・・わざわざ鍵をクリックしてから箱を探す人などおらんのだから、トップページの表面で掲示をしていただきたいものです。

  しかし・・・・・・これで時間が奪われなくなるかと思うと少しホッとするような気もする自分もいます。

November 9 不思議な箱の発見 Wonder Box」「November 12 不思議な箱の発見 パート2 Wonder Box」「December 11 不思議な箱の発見 パート3  Wonder Box」「December 14 不思議な箱の発見 パート4  Wonder Box

   ちなみにその後はタブを18個くらい並べてで32~29%に画面縮小してゲトしていたのですが。大の大人がマジで。

  もう卒業かw


タグ:不思議な箱
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。