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August 31 バイオリンのおおスザンナ [スザンナ周辺]

August 31, 2008 (Sunday)

    けっきょくのところ、「おおスザンナ」は歌詞がなくても愛されている。というか、タイトルと曲調だけでなんとなく伝わるものでいいのかもしれない。

  今日は~バイオリンの~おけいこですぅ~♪ (ケメかい)

まずはアメリカのエラちゃん。Ella plays Oh, Susana on violin. (2:08)  posted by "simoncarnal100"

つづいて同じくアメリカのブライスくんのピアノとシャロンさんのバイオリン。Bryce and Sharon Duet in Atascadero. (0:49)


"Oh Suzanna" posted by "bobdelfuego"

Atascadelo というのはカリフォルニア州南西部の小さな町です。

しかし、あいかわらずみなタイトルがまちまちで、しかもまちがっておる。それもまたいいのかもしれない(いいんか?)。


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August 31 目に目 An Eye for an Eye [断章 fragments]

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August 31, 2008 (Sunday)

    アメリカでは大都会以外では道を歩いていて知らない人とでも目と目があったら挨拶することになっている、らしい。都会ではすれちがう人が多すぎるからしない(のだろうか)。neighborhood という感覚があるのだろうか。モーリちゃんの父は、とくにアンちゃんやオッサンやお姐さんとはなるたけ目をあわせないようにと思いながら道を歩くのだが、むこうがじっと見ているのが目の端で見えたりすると、つい相手の顔を見てしまう。一瞬。ああ、一瞬、glympse とはこういう意味だったのね。"Hello!"  "Hi.  Good morning!"

    メンチを切る、「おまえメンチ切ったんか」というのは英語で言うと "You cut mincemeat?" という(いわない、いわない)。ただ一語で "Mince?" でOK です (うそうそ)。

   "Open Eyes"  作者不詳 via pixdaus

 OpenEyes_Gif-Ed_1211036640WHpY7IK.jpgOpenEyes_Gif-Ed_1211036640WHpY7IK.jpg///////////////////////

2009年11月16日記

リンクが切れていました。Open Eyes


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September 1 算数の勉強 (1)  Math Practice (1) [小学校と銀行]

September 01, 2008 (Monday)

    モーリちゃんの学校が28日から始まって、数か月ぶりにまた算数の英語、もしくは英語の算数、の世界にモーリちゃんの父もツカリソウな予感の連休です。

   以下、数学が苦手な文系の人は読んだら楽しいかもw。

   Fifth Grade Everyday Mathematics という、シカゴ大学の "Universtiy of Chicago School Mathematics Project" (UCSMP) が開発した教材を使うのだそうだが、それの "Study Link 1-1" の "Unit 1: Family Letter" という、3ページにわたるプリントを金曜日に持ち帰ってきました。 1ページ目の最後のところには太字で "Please keepthis Family Letter for reference as your child works through Unit 1." と書かれており、おいおい、親を巻き込んで勉強かい、やっぱり、という感じなのでした。

   1-2ページの途中まではこの教材のねらいと特長が書かれているのですが、そのあといきなり "Unit 1: Number Theory" の解説に突入。ページ下のコラムには "Building Skills through Game" というのがあり、UNIT 1 では"Factor Bingo" "Factor Captor" "Multiplication Top-It" "Name That Number" という4つのゲームを楽しんで計算を学んだりもするのだそうで、ふたつめの "Factor Captor"――因数捕獲?――の説明は "See Student Reference Book, page 306.  This is a game for 2 players.  Materials needed include a Factor Captor Grid 〔因数捕獲碁盤?〕, 48 counters the size of a penny 〔1仙玉サイズの48個の石というかカウンター〕, scratch paper 〔メモ用紙のことですね〕, and a calculator.  The goal of the game is to strengthen the skill of finding the factors of a number." と書かれていますが、何をどうするのか実はわかりません。Student Reference Book の306ページを見ろ、と書かれてますけれど、教科書は小学校に置いたままです(それに日本と違って自分のものにはならず借りているので・・・・・・あ、いまモーリちゃんたちと話をしたのですが、こちらに前から住んでる人の話だと社会の本を、古いのを家用にくれた先生がいたそうな・・・・・・去年の話だとみんな教室で終わったところはちぎったりしているようで・・・・・・でもモーリちゃんはそんなことはもったいなくてできないから最後にもらってきたとか・・・・・・よくわからんです)。

   あとはVocabulary。composite number A counting number greater than 1 that has more than two factors.  For example, 4 is a composite number because it has three factors: 1, 2, and 4. 〔"composite number" は「合成数」と訳されてますけど、そんな言葉でモーリちゃんの父は習っていない気がする。「2以上」は "more than two" で、「1より大きい」が "greater than 1" ですか。整数の場合だと同じだけれど。"counting number" = 自然数(ゼロ以外の正の整数)〕 divisible by If the larger of two counting numbers can be divided by the smaller with no remainder, then the larger is divisible by the smaller.  For example, 28 is divisible by 7 because 28 / 7 =4 with no remainder. 〔「割り切れる」ということですね。"remainder" = 余り〕 exponent The small, raised number in exponential notation that tells how many times the base is used as a factor. 〔"raise" 自体が累乗するという意味だと思うし"exponential notation" (これ辞書に出てこないのですが「累乗(法)」 =exponentiation という日本語に相当するのでしょうか)というフレーズが説明に入っているのも辞書的には純粋じゃないのですが(辞書じゃないって)、"exponent" は累乗の指数、「ベキ」ですね〕 factor One of two or more numbers that are multiplied to give a product. 〔因数〕  factor rainbow A way to show factor pairs in a list of all the factors of a number.  A factor rainbow can be used to check whether a list of factors is correct. 〔対の約数を結んだ弓形というか虹の形の弧のことらしい。見たような見てないような・・・・・・こんなやつ――factrainbowfor24.jpg〕 number model A number sentence or expression that models a number story or situation.  〔計算式、数式〕 prime number A whole number that has exactly two factors: itself and 1.  For example, 5 is a prime number because its only factors are 5 and 1.  〔素数。 "whole number" = 整数 (integer)、自然数〕 product The result of multiplying two or more numbers, called factors. 〔積〕 rectangular array A rectangular arrangement of objects in rows and columns such that each row has the same number of objects and each column has the same number of objects. 〔これは方陣とか訳すのかしら。単なる行列というのではないような。matrix ですけど。こんなやつ――3x4_rectangulararray_morichan.gif  "row" は「行」で "column" は「列」で〕、そういえばラインダンスのラインをイギリス英語では "row" と呼ぶのだった、と思いだしましたが、数学ではアメリカでもrow なのですね(lineは別に指すものがあるからかなあ)。それでも rowやline はやっぱり本来横並びなのでしょうね。日本語では「行」と「列」という言葉より「横列」「縦列」という呼び方が今は一般的のようですが、そうなると何が行で何が列かわからなくなりますね。でも文章のラインは「行」と訳されているわけで、縦(書き)でも行と呼んでいたのか、それとも訳なのか――うはっ、すごい脱線w〕  square number  A number that is the product of a counting number multiplied by itself.  For example 25 is a square number, because 25 = 5 * 5. 〔乗数〕

    よく、ヨーロッパの言葉では、日常の語彙がそのまま専門的な用語となっている、というようなことが言われますけれど、なんか、そういえばそうかもしれん語とそうではなくてえらく専門的な響きのある語が混然となって、とてもモーリちゃんの父は混乱しています。日本語に直さないでそのまま考えろ、と言われても考えられんよ。なんで exponent がベキ指数なのか、あるいは、ここにはあがってないけれど "mixed number" がなんで帯分数なのか、あるいは "improper fraction" がなんで仮分数なのか、わけがわかりませんわ。こゆうので論理的な思考とやらが育まれるのでしょうか。

  factors はmultiply されると product を生じる。なんで足し算ではproduct でも factor でもないのでしょうか。あるfactor に別のfactor がかけあわさってひとつの情況ができる。あるfactor に別のfactor が加わって別の情況ができる、とはならないのね。英英辞典での日常世界でのfactor の意味―― "one of several things that influence or cause a situation: The rise in crime is mainly due to social and economic factors.  The weather could be a factor in tommorow's game."  ううむ、かけあわさって、というのが英語的意識なのかなあ。Susanna's support was a key factor in Foster's election win.  スザンナの支持はフォスターの選挙の勝利の鍵となるファクター〔因数・要素〕だった。あるいは分数とか小数ではfactor にならないのはなぜだろう。3 is a factor of 15.  3 (factor) x 5 (factor) = 15 (product).  1.5 x 10 = 15 (product?)  Product is "the result of multiplying two or more numbers, called factors."  Then those given "numbers" are already whole numbers?  あるいは、削ったり少なくしたり割ったりすることで生まれるproduct というものはないのでしょうか(算数の世界の話だから、といわれれば、それまでのようでいて、それまでのようではない。だったら算数の世界にふつうの言葉を持ち込むなよ、といいたく(も)なるわけです)。

  いっぽう、じっさいに教室でやらされたらしい "5th Grade Mountain Math" というプリントを見ると、 1. Write this number. / 1. Is this number even or odd? / 1. Round this number to the nearest 10. / 1. Round this number to the nearest 100. / 1. Round this number to the nearest 1,000. / 1. Round this number to the nearest 10,000. / 1. What is 100 less than this number? / 1. What is 100 more than this number? /  1. What is 1000 less than this number? /  1. What is 1000 more than this number? /  1. Write in expanded notation? / 2. Write this number. / 3. What is this numeral? / 4. Write the numbers.  What is the place value of the top digit in each number? . . . . 以下エンエンとw

    はっきり言ってわからんす。たぶん "this number" なるものを黒板に書くなりなんなりして始まると思うのですが、かりに12345という数が提示されたとして、最初の偶数か奇数かはいい。だけどそのつぎからの、"Round" で始まる問い、この「丸める」(という言葉をモーリちゃんの母は知っていたように語っていたがモーリちゃんの父はそんな言葉は聞いたことがなかったですけど)というのは概数を出せということですけど、 "to the nearest 10" というのは「10の桁までであらわすとおよそいくらか」みたいなことですかね。12350。だけどなんで "to the nearest 10" がそういう意味になるのでしょう。"more than" "less than" は慣用句的発想を禁じれば問題ないですが。4番のなんかは、まあ確かに "place value" =けた (これ[=けた]は、いちおうネット上で参考になる "English as a Second Language Programs: Math Vacabulary English--Japanese--" [Ann Arbor Public Schools Instructiona Services] の訳ですが) というより言葉に立ち返って、その桁にあることで持っている価値、という考えでわかるのだけれど、しかし・・・・・・むつかしい。 むつかしすぎる。わしでもついていけないと思います。

  それで、しょうがないから、しかし貧乏根性でネット上でなんか参考になるものを探しました。 探すときに気になっていたのが分数だったので、とりあえず、

   Watch Video on Reducing Fractions - Lowest Terms - 

   これのFree Video はきれいなおねえさんが 30/75 の通分の説明をしてくれます。だけどなあ、common mistake が最大公倍数いや公約数を5と考えることで、ほんとは15、だから15で割ってみたいな説明だけれど、通分の過程としては5で割るのがあるのが自然なような気もしますが・・・・・・。

Students learn that a fraction is in lowest terms if the Greatest Common Factor of the numerator and denominator is 1. For example, 3/5 is in lowest terms, because the Greatest Common Factor of 3 and 5 is 1. However, 3/6 is not in lowest terms, because the Greatest Common Factor of 3 and 6 is 3. Students also learn that a fraction can be rewritten in lowest terms by dividing the numerator and denominator by their Greatest Common Factor. For example, to write 10/15 in lowest terms, divide the numerator and denominator by their Greatest Common Factor of 5, to get 2/3.

  で、あれこれ探しているうちに、Ms. Crawford 先生の部屋(Ms.Crawford's Room) に行きつき、クローフォードさんのブログは文字化けもあったりして消化不能だったけれども、さまざまなリンクがあり、そのなかにちゃんとUCSMP の Everyday Mathematic のページもあったのでした。めでたしめでたし。やっぱりインターネットはリンクですね。そうりんにいたらずとも。クローフォード先生に感謝。

  しかし、モーリちゃんに教えるのに、英語と日本語とどのように概念を整理し用語を整理すればよいのか(実は日本語で整理しようにも整理できないとわかっている、だってちゃんとした訳語がないのだもの) 悩んでいるのでした、あたってくだけろか(と書いたときには既にあたって互いにくだけていたのですけれど・・・・・・ははは)。

  数学は式だけで万国共通の言語と思っていたのは夢なのでしょうか。苦難はつづく。がんばるぞー!

 

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September 1 労働の日のカエル Frogs on the Labor Day [America]

September 01, 2008 (Monday)

    今日はレイバー・デーでモーリちゃんの小学校は休みです。レイバー・デーにルイジアナ州の Rayne という町でカエル祭を行なっているという噂を聞いたことがあるので調べてみたら(人口1万に満たない小さな市でなんかカリフォルニア州Albany よりも小さい感じ)、レイバーデーのある週末に行なうもののようです(まあ、レーバー・デー自体がだ いたいは9月の第一月曜日ということになっているので、翌日に疲れがでないようにでしょうか(笑)。"Frog Capital of the World" というのが町のニックネームだそうです。レインはフランス人子孫のCajun ケージャンの町で、フランス料理のカエルを輸出していたようで(でもポーやフォスターの時代にはまだなく、1880年代から第2次大戦後までのよう)、隆盛期の1946年にFrog Derby という、町の美女たちがカエルのなりをしてカエルを追いかける競技がお祭りに組み入れられたそうです。

   Exploratorium: Frogs: Frog City--Rayne, LA Story and Photos by Amy Snyder (全6ページ)

  上のページは町の紹介としてはよいのですが、町の美女たちについてはよくわからないので、 せっせこ調べると、南部ルイジアナはミスコンについて寛容というよりおそらく賛同的で、"Louisiana Association of Fairs and Festivals" には "Queens" というもろの、いやもろもろの、お祭りミスが写真付きで列挙されているページがあるのでした。"Miss Cajun French Music 〔ミス・ケージャン・フレンチ音楽〕" "Washington Catfish Festival Queen 〔ワシントンなまず祭女王〕" "Louisiana Strawberry Queen 〔ルイジアナいちご女王〕" "Gonzales Jamblaya Festival Queen" "Luisiana Cajun Fest Queen" "Miss Bayou Christma" "Miss French Food Festival" "Breaux Bridge Crawfish Festival Queen 〔crawfish というのはロブスターふうのザリガニですね〕" "International Rice Festival Queen 〔国際お米祭女王〕" "Miss Creole Gumbo Queen" "Cajun Hot Sauce Festival Queen" "LA Crawfish Festival Queen 〔crawfish というのはイセエビふうのザリガニですかね〕" "Miss Boggu Bayou Festival" "Steamboat Days Antique Festival 〔なんだかわからんが蒸気船時代を懐かしむフェスか〕" "LA Cotton Queen" "Lluisiana Shrimp Festival Queen 〔エビっ娘という感じでしょうか〕" "Luisiana Corn Festival Queen" "Luisiana Corn Festival Queen" "Zwolle Loggers and Forestry Festival Quee 〔わけわかめ〕" などなどなど多数並ぶ中に、あります、"Miss Rayne Frog Festival" 、います、 2007年ミス、Amanda Sills

    ううむ、しかしこのひとは2006年のLouisiana Railroad Days Festival のミスと同じ人かしら。まあ、どのクニでもそういうものかもしれません。

  彼女の名前からようやくたどり着いたのですが、お祭りのHP Rayne Frog Festival <http://www.raynefrogfestival.org/photo_gallery.html> にはいろいろな名目でカエル祭のクイーン(ひとり男の子)が掲げられています。モーリちゃんの父的には "Frog Queens kissing a frog" という写真の3人の成人女性の上の空の絵よりも、その左下のAhni Mire ちゃんのカエルおしゃぶり画像、いやいや、キッス画像のほうがいたく心にビビビと感じるところあったのでした(ぜひごらんください、ここまで読んでくださった奇特な方は)。なお、同ページで確定したのですが、今年のレイン市のカエル祭は、September 5, 6 & 7, 2008 at the Frog Festival Pavillion です。

どうもありがとうございました。

あ、なんか書き忘れていたような。あ、そのカエル娘の画像ですね。・・・・・・ではまた にほんブログ村 英語ブログへ


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September 2 ソラノ通りのお祭り Solano Avenue Stroll [Berkeley]

September 02, 2008 (Tuesday)

   ルイジアナでのカエル祭 (Rayne Frog Festival) の話を書いているうちに、あ゛っ、もうすぐわがソラノ(半分はバークレーだけど)のお祭りだったではないか、とあわてて自分が前に書いた記事を見たモーリちゃんの父であったことです(どういう日本語だよ)。

May 22 あたいは直角 ソラノ通り商店街(1) Solano Avenue Shopping District

  まあ、直角の話はどうでもよいのですが、リンク付きでこう書いていました。

  9月に "Solano Avenue Stroll" というお祭りがあって、34回目の今年は14日の日曜日なのですが、30万人の人出が見込まれているのだそうです。お祭りまで、お祭りも含めてちょっとずつ紹介していきます。

  ありゃ、うっかりしてましたの。でも今週末のカエル祭のスケジュールと重なってなくていかった(まあルイジアナまでバンジョーかついではるばる行く気もないのですが)。

    そのときの古い古本屋地図、また貼っときます――

NorthernCalifornia_BookFinder56-57.jpg

  "stroll" というのは「ぶらぶら歩き」「散歩」と辞書に書いてありますけれど、歌でも使われる言葉ですし、古い日本語だと「そぞろ歩き」みたいな(たいして変わらんけど)。

  BGM はこれですかね――「さんぽ-Stroll-(midi)」<http://uk.youtube.com/watch?v=THQRA_QUXnY>、いやmidi よりこっちのほうが――「さんぽ バニラ・ムード」

    さっきから思い出そうとして思い出せないでいたのですが、あの人もこの人もそぞろ歩くって、大阪ラプソディですね、海原千里万里の、がっくし(w)。でも「そぞろ」というのは漢字で書くと「漫ろ」だから漫才のマンと一緒ですか。漫歩なのね。ふたりのザギンのほうが好きかも(ってぼけすぎました)。

  では、ドリス・デイとフランク・シナトラで―― "Let's Take an Old-Fashioned Walk"

   さて、上でもリンクしていた"Solano Stroll street festival & parade | Albany & Berkeley" というソラノ通り商工会議所〈という日本語があっているかどうかわかりませんが)のページに詳細はあるのですけれど、

Second Sunday in September every year

34th Annual, 2008 Solano Stroll    "Stroll for Health"

Sunday, September 14, 10am - 6pm

  ということで、1974年にアルバニーとバークレーの双子都市 (twin cities) が両市にまたがっている空の通り商店街のお祭りをはじめて今年で34回。歩こう歩こうわたしは元気というのが主旨のようです。が、パレードや屋台(ブースか)やパフォーマンスやら催しもたくさんあって、ごったがえすようです。だいたい、だいたい2キロメートルしかないところに、見込まれている人出30万人が、朝から晩まで全員がいないとはいえ、どういうふうにおさまるのかはなはだ疑問ではあります。動けるのでしょうか(笑)

The fun begins at 8 a.m. with the traditional pancake breakfast at Veterans' Memorial Park in Albany, followed by the opening of Solano Avenue businesses and Stroll booths at 10AM. But the real kickoff is the theme parade with about 100 groups at 10AM. After the parade, you can visit one of 75 entertainers, 50 food booths, 120 juried arts and crafters, games, wacky art cars, and 150 community organizations, not to mention the unique and popular shops already here on Solano Avenue.

You will hear the best in local music, dance and other performances and absolutely stunning costumes from all over the globe!
Stop by Environmental Alley at the top of Solano where you can learn all about getting green, and what we can do as a planet to help sustain our environment!

Then, at the very bottom of Solano, 26 blocks down is Kidtown for the youngsters, with giant slides, Dr. Solar and his Traveling Medicine Show, carnival games, stilt walkers, face painters, jugglers, and much, much more.

  なお、"alcohol free" (酒がタダという意味ではなくて、酒ナシ、酒ヌキ)だそうで。だから6時までなのかなあ。それから、ソラノ通りの1ブロック南側を並行して走っているMarin Avenue に無料のシャトルバスが出るそうです(このマリン (eがないんです) 通りは自動車通りなのですけれど、アルバニーの図書館はこの通りにあります)。交通情報――

Fairgoers can Stroll one way and ride the free shuttles the other way on parallel Marin Ave. The shuttles run 10AM-7PM from the North Berkeley BART station to The Alameda and Marin Avenue, one block South of Solano Avenue. There is a second free shuttle along Marin Avenue so you can Stroll one way and ride the other. Just flag it down at any corner between The Alameda, in Berkeley - to Kains Avenue, in Albany 〔"flag" というのは、クルマに合図を送って停止させる、というような意味だと思います。it はバス〕.

Shuttles are wheelchair accessible. Ride your bike and enjoy free valet bicycle parking at Wells Fargo Bank, 1800 Solano Avenue – Berkeley 〔"valet parking" というのは、店とかで客の車を預かって帰りに返すサービスのこと〕.

You can also use AC Transit – bus numbers #18, #72, or #79.

Special handicapped parking is available on the east and west sides of The Alameda, north of Solano.

strollmap1.gif

<http://www.solanoavenueassn.org/strol/stroll_shuttle.html>


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September 2 ハーフ・プライス・ブックス Half Price Books [本・読み物 reading books]

September 02, 2008 (Tuesday)

   第一にAlbanyのマドさん、いやバークレーの窓さん、いやマドさんの母君の窓@Berkeleyのブログの明日3日の記事に「Half Price Books@Berkeley 」が書かれることを透視し、刺激を受けたのと、第二にさっきアルバニー=バークレーのSolano 通りのお祭りについて書いて前に貼った昔の古本屋地図をまたアップしたらそこにHalf Price Books が載っていたのとで、情報を補足的に書きます(例によって現在役に立たない昔の情報が入るところがはかないのですが、インターネットは情報の墓場でもあるのだろうから、過去の記憶を蘇らせたり不在のモノたちを現前させたりすることは似つかわしいふるまいなのではないか、とそんな気もするモーリちゃんの父です)。

  では地図から(またかよw)――

NorthernCalifornia_BookFinder56-57.jpgNorthernCalifornia_BookFinder58-59.jpg

Northern California Book Finder: A Directory of Used Bookshops in Northern California from San Luis Obispo County to the Oregon Border, 7th ed.  Ed. Jules Greenblatt. (Mountain View: Jules Greenblatt, 1993)  

  Half Price Books は1994年のバークレーではTelegraph 通りに1軒、そしてソラノ通りに1軒ありました。現在はシャタックの店に統合されてしまった(かテレグラフのが移転して、ソラノはつぶれた) ようです。ソラノ通りでいうと、Pegasus Books (1855 Solano Ave., Berkeley, CA 94707――ここも新しい本もおく古本屋です。そしてここも昔はソラノと大学のそば(2349 Shattuck Ave., Berkeley, CA 94704)とふたつ店がありました) しかないです。地図だとさらにアルバニー寄りの Frank Morley の古書店も消えていました。Frank Morley という人は、テレグラフのMoe's の故Moe Moskowitz、消えてしまったCody's の創業者の故Fred Cody と並んで3人の最も尊敬された書店主だったのですが。あ、あとついでに書きますけれど、『地球の歩き方』にはMoe's を「モエ」と表記してることにこのあいだ気づきました。モエはない、と思うのですがモウ。(でも名前の発音はわからんですから断言は控えておいて、今度いったら訊いてみますか、萌え)。

  さて、モーリちゃんの父もたしか5月にシャタックのHalf Price Books に立ち寄り、ついクセで、帰り際にパンフレットとかをもらってきました(確か色違いで何種類かあったような・・・・・・さすがにモーリちゃんのようになんでももらわないと気が済まないということはないので1種しかもらわなかったですが)。

HalfPriceBooks2008_cover.jpgHalfPriceBooks2008_5.jpg

   100MB 中すでに50MBを消費してしまった画像ファイル容量ですので、要領よく小さな画像をと思いながらついサービスしてしまったり、逆に感情で勘定をまちがったりとかしてしまうのですが、これでは読めないでしょうね。下のほうの文章は一部、Half Price のHP <http://www.halfpricebooks.com/> のなかの "Our Story" と重なっています。

In 1972, we opened our first store in a converted laundromat in Dallas, Texas. Co-founders Ken Gjemre and Pat Anderson stocked the store with more than 2,000 books from their personal libraries. Half Price Books was created with the idea of offering a great product at a great price. And it worked! Today, Half Price Books is America's favorite new and used bookstore chain. Our simple philosophy continues under the leadership of Sharon Anderson Wright, daughter of Pat Anderson.

Today Half Price Books has stores in 15 states, with each store carrying a unique variety of new and used books, music, movies and games. The company continues to grow having opened new stores in the Chicago area and Omaha, Nebraska.

  ということで、今年で35周年だそうです。カリフォルニアには現在3店舗あるわけで、それがパンフレットの裏表紙にあがっている。ホームページでは、チェーンのスーパーマーケットとかと同じく "store locator" がついています――"Half Price Books: Store Locator"。ざっと数えて100は超えていますね。

  Charlene Akers という女性の書き手はHeyday Books というバークレーの出版社からカリフォルニア関係の本を何冊か出していて、920 O'Farrell Street のIntroduction を書いているのも彼女だったのですが、Akers が90年代に出した本のなかに First & Foremost: A Guide to Northern California's Independent Bookstores (Berkeley: Heyday Books, 1996) があります。

    で、この本には古本屋があんまり入っていないのが残念みたいなあまぞんのReview を4月に読んだ記憶がありますけれど、モーリちゃんの父は4月に注文して買ってたのですわ、この本も、偶然のように。古本屋情報を得ようと思ったのではなく(そちらは、Charlene Akers, Never Buy Anything New: A Guide to 400 Secondhand, Thrift, and Consignment Stores in the Bay Area (Berkeley: Heyday Books, 1992) のほうに期待してくだけました―参照「April 25 メンフィスの白いバラ The White Rose of Memphis」)、こちらは文字通りに独立独歩の特色のある本屋さんについて知りたかっただけです。しかし、ほんとに古本屋が入っていたのでした。サンフランシスコのGreen Apple Books (506 Clement St., San Francisco, CA94118; Size: 5500 square feet; Focus: General [new, used])とか。まあ確かに新本も置いてあるでかい古本屋ではあったが。そして今も昔も新本を置いている Moe's Books (Size: 13,000 square feet) も入っています。もちろん Cody's (Size: 21,000 square feet) やサンフランシスコの City Lights Bookstore (Focus: General [new]; Size: 2100 square feet) は中核的な存在です。だけど、確かに古本屋としか認識していなかった本屋も入っていたりする―― Forever After (1475 Haight St., San Francisco, CA 94117; Size: 1350 square feet; Focus: General, history, psychology, spirituality [used])。そして、Half Price Books。この、1996年に刊行された、北カリフォルニアのindependent bookstores の本は、ソラノの店とダウンタウン・バークレーの店と、両方をあげています。後者については "Half Price Books, Records & Magazines / 2525 Telegraph Ave., Berkeley, CA 94704; Hours:Daily 10-10; Size: 2500 square feet; Focus: General (new, used); used videos"   そしてHalf Price Books については前項を見よ、と書かれていて、ソラノの店のほう――

Half Price Books, Records & Magazines
1849 Solano Ave., Berkeley, CA 94707
Phone: (510) 426-60xx, fax (510) 526-66xx
Hours: Daily 10-10
Size: 5000 square feet
Focus: General (new, used);software, audio
    Although part of a 52-store chain headquartered in Dallas, Texas, each Half Price store is a unique reflection of the community it serves; because they buy from the public all day long, the stock varies from store to store.  In the Solano Avenue store, 75% of the books are used and the rest are remainders, new discount books, and packager promotion titles (copies of expensive books reproduced in a less expensive format with cheaper paper and/or fewer color illustrations).  Formerly a drugstore, the beautiful, two-story bookstore features fiction, popular art, cooking, home repair, and theatre on the first floor, and nonfiction and academic texts downstairs.  The constantly changing inventory ranges from 1930s Life magazines to current best-selling paperback novels.

   ここでシャーリンさんが述べているリクツはおそらく正しいのでしょう。52店舗のチェーン店のひとつだけれど、それぞれの土地に育まれた独自性があると。その考えは、そっくり反復されるかのように、現在のHalf Price Books の "Different stores. Different stories." という標語にエコーとして響いています。それに、ソラノにあったHalf Price Books をモーリちゃんの父は、バークレーの大学からはるばる北へ歩いて行ってトンネルを抜けてソラノ通りへ出て、 Pegasus、Frank Morley、 Half Price と、見てまわり、さすがに疲れたので帰りはバスに乗って戻って、でも途中で中華料理を食べた遠い夏の日の記憶のなかで懐かしんでいます。もはや存在しないものとして。そして今のシャタックの、若い元気な青年たちが店員のHalf Price もぜんぜん嫌いじゃないです。

  だけど、ともともとヘソマガリのモーリちゃんの父のなかの天邪鬼はちょっと反発する。それってほんとにindependent なの?   

  この本は品切れのようです(まあ、載ってる店の半分が不在となったガイドブックを買う人はあんまりおらんだろう)。冒頭のAcknowledgment (謝辞)のなかで、著者は "I am grateful to all of the independent booksellers of Northern California for their generous cooperation, courtesy, intelligence, humor, and wisdom, which not only made this book possible, but a pleasure to write. I would like to acknowledge in particular the board of directors of the Northern California Independent Booksellers Association, executive director Ginie Thorp, and associate director Hut Landon." と書いています。そして、この本は、"Published in cooperation with the Northern California Independent Booksellers Association" とタイトルページの下に書かれているのでした。

  なんだー。アソシエーションとアソシエートして書かれたのかあ。だとすれば、その北カリフォルニア独立書籍販売業者組合とやらに入っているかいないかがこの本に載る載らないにおおいに関係したのだろうなあ、と想像されるわけです。そしてPegasus Books のAmy Thomas が当時の Northern California Independent Booksellers Association の会長であったことを知って、いささか愕然としたモーリちゃんの父なのでした。まあ、個人の古本屋はインデペンデントだと思いますけどー。

 

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September 3 エディソンズの「おおスザンナ」 "Oh Susanna" by Eddy Nelson and the Eddysons [スザンナ周辺]

September 03, 2008 (Wednesday)

    ジャケットはほんのちょっとサイケである。このジャケットを探して "Hip Tune" で検索したら、「もしかして :"Hip Turn"」? とのサジェスチョンが出た。ヒップである。

eddyson1.jpg

画像元― "Eddysons" 〔オランダ語なのでよくわからず〕

  オランダのマーケットプレース Marktplaats.nl に最近出た商品の説明(拡大できる画像付き)だと――

Hip Tune 67 - 7" inch by Eddy and the Eddysons
Label: Aktie Niet Roken 1967
Record is VG++ ATTENTION! This 45 is made of flexible vinyl. It can not be used for normal spinning.
Side A: Oh, so wrong
Side B: Oh, Suzanne

It's all about the first 5 seconds of Oh, so wrong. In my opinion this is the loudest bboybreak from our lowlands.
When you loop this beat it will blast your speakers!!!<http://www.marktplaats.nl/index.php?url=http%3A//cd-dvd.marktplaats.nl/vinyl-singles/188480874-hip-tune-67-7-inch-huge-dutch-break.html%3Fxref%3D1>

  レコードの仕様についてはよくわかりませが、たぶん日本でソノシートと呼んでいた薄いペラペラのレコードではないかと。曲についての説明はもっぱらA 面の "Oh So Wrong" についてで、最大音量のbboybreakといっているのはなんのことでしょう。bboy ってヒップホップみたいなものですか? break ってダンスじゃないのか。わからないです。lowlands は Netherlands を指して使われているのはわかります。しかし・・・・・・"Suzanne" じゃなくて "Susanna"だるが。

    Alex Gitlin のホームページ内に、Eddysons の系譜とくわしいディスコグラフィーがありました ("EDDYSONS")――

In 1966, a group called Eddy Nelson & Eddysons was formed in Rotterdam. After a few hits on Havoc, Eddy Ouwens left the group to work as a producer.   He produced Teach-In, Bolland & Bolland and The Shoes. He also made records as
Eddy Owens and Danny Mirror.  The other Eddysons were Fred de Groot (dr), Hans Schotel (b), Martin Achterberg (v,g,o) and Kees de Blois (g,v,s, solo by the name of Larry Cotton).  Also, Ed van de Bent and Ludwig Smit (both ex-Midnight Packet and later in Justice and Cosmic Dealer) were part of the group for a short period of time around 1969.
When Eddy Owens left the group in 1969, the name was changed into respectively: Purple Pillow (1969-1970), Jumbo (1970-1973) and Circus (1973-1977).  Kees de Blois was in Cosmic Dealer in 1973/74; Kees and Martin later formed The  Hudsons.

1967 Turn of the year/Love so devine				Action 1008
Oh Susanna/Oh so wrong [anti-smoking record, 400.000 exx] Meinsma
1968 Ups and downs/Our love is slipping away Havoc SH 145
Ups and downs/Sweet memories [England] Olga OLE 010
A face/I protect her from the rain Havoc SH 150
Watching the city/The evening of our date Havoc SH 151
1969 Baby you got to stay/Jenny Artichoke Havoc SH 155
A little miss understood/Spirit don't let me down Havoc SH 162
Cousin Pretty/Sad old song Havoc SH 166 
〔以下グループが変わっていくので略 <http://www.alexgitlin.com/eddysons.htm>〕
 

  ここで、ジャケット左下のバツがついている白いチョークみたいなのがタバコだとわかりました。禁煙レコードだったのね。じゃあんまりサイケじゃないか(笑)。hipのi の点が目玉になっているのくらいですか。ううむ。それにしても、どうしてanti-smoking だったのだろう。ヒップというのはヒッピーの語源になる「トンデル」「進んでる」「ナウい」(みんな日本語として死語か)の意味の俗語でしょうけど、タバコを許容しないのがヒップというメッセージもあるのかしら。ちょっと興味が。"exx" はexamples だから、40万枚つくってたとえばキャンペーン用に配布したというようなことなのでしょうか(ものすごい勝手な推測)。

  英語版のWikipedia では、このオランダの短命のグループ Eddysons を結成した中心メンバーのEddy Ouwens が項目として載っています(グループのほうはなし)。1946年ロッテルダム生まれ、別名Danny Mirror。1977年8月エルヴィス・プレスリーの死を悼んで"I Remember Elvis Presley" を発表、英国シングルチャートで最高4位、オランダ国内で1位。

  我ながらひっぱりました。ほんとうはもっとひっぱって別の曲や別のバンドについても書こうと思っていたのですが場をあらためます。ではYouTubeより、Eddy and the Eddysons で、"Oh Susanna" (1967)―― 


"Hip Tune 67" (2:35) posted by bassilvia (Netherlands) on July 13, 2008

  曲はザ・ナターシャ・セブンふうなのでした(違うか)。

   2分1秒くらいから20秒間、オランダ語で、化学成分その他、喫煙についてなにやら語っていますね。まさか「おおスザンナ」の選曲には、アメリカ南部経済を支えてきたタバコ産業についてのあてこすりがあるのかしら。"Oh S" であわしている A面の "Oh So Wrong" はやっぱりタバコすっちゃダメダメョという歌なのでしょうか。いっぽうオランダは主要生産国のひとつなのですね、量でいうと9位だけど――「主要生産国の国民一人当たりの生産量でみると順位は下記の通りに変わる。オランダが特に多いのは、多くが輸出に向けられるためである。(2004年)

  1. オランダ - 7,059本
  2. ロシア - 2,653本
  3. 大韓民国 - 2,623本
  4. ドイツ - 2,528本
  5. ウクライナ - 2,282本」 (Wikipedia 「喫煙」

   は、はなしが・・・・・・とんちんかんちん一休さん。

 


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September 3 ソラノ通り祭りプロモーション Solano Avenue Stroll Promotional Video  ソラノ通り商店街 (3) [Berkeley]

September03, 2008 (Wednesday)

 

34th Annual, 2008 Solano Stroll  

北加最大のストリート・フェスティヴァル Albany & Berkeley 2都市にまたがる漫歩祭り

Sunday, September 14, 10am - 6pm

strollmap1.gif

 

    情宣活動の続きとして、動画を貼るのはどうかと。

  まず、公式ビデオといいますか、 ソラノ通り商店組合作成の今年のソラノ通り漫歩祭りのプロモーションビデオ――


"2008 Solano Avanue Stroll Promotional Video" (2:30) posted by "SolanoAvenue" (the Solano Avenue Merchants Association in Albany and Berkeley California) on April 10, 2008

"The Solano Avenue Association Presents―The Solano Avenue Stroll 〔ザがつくのね〕―Northern California's Largest Street Festival―300,000 People―Always the Second Sunday in September since 1974―A 26 block long party that spans two Cities―The best part is. . . Admissionis FREE! 〔カストロ通りのお祭りとかはお金を取るみたいですしね〕―Over 75 Entertainers  50 Food Booths―120 Juried Artists and Crafters  Over 150 Non-Profit Organizations―The Solano Avenue Association  Albany and Berkeley, California  USA  SolanoStroll.org  The Solano Avenue Association would like to acknowledge the 2008 Board of Directors: President - Robert Cheasty, Attorney   Vice President - Harry Pruyn, Solano Cleaning Center   Treasurer - Jason Alabanza, Mechanics Bank Albany   Secretary - Virginia Jones, Red Oak Realty   Immediate Past President - Dr. Jay Bunker, Chiropractor   Ray H. Anderson, Estate Liquidation Services   Gay Austin, Berkeley Hills Realty   John Cowee, Architectural Concepts   Debbie Perkins - Kalama, KNA Copy Centre   Jane Snidow, The Powder Box Salon    Janet Snidow, The Powder Box Salon   Sang L. Rowand, Farmers Insurance Albany   Susan Powning, By Hand Apparel   Tom Taylor, Art Thou Graphics   Allen Cain, Executive Director" 

    最後の最後の前Berkeley 市長のShirley Dean の映像はおいて、最後のcredits というか acknowledgment の始まる直前の、左にAlbany という看板が見える映像は、San Pablo に近い、海側からのというか、アルバニ山側からの眺めですね。上から俯瞰している感じがあるので、ソラノ通りをサンパブロを渡ってアルバニ山のはし(というかほとんど山を住宅地と道にしてしまったような感じなのですけれど)を越える坂(ここの坂 = hill がアルバニー市内で一番急なのです)の上から撮ったのではないでしょうか。看板はAlbany Twin という映画館です。 1115 Solano Avenue, Albany CA 94706.  これが大塚名画座に対する大塚キネマ、あるいは飯田橋佳作座と飯田橋くらら、あるいは文芸座に対するシネロマン池袋のような関係をもったものかというと、ちがいます。

    もうひとつ、ちょっと長いですが、実際をたぶんとらえていると思われるなかからひとつだけ――


"Solano Stroll... An annual Berkeley Albany Block Party!" (9:08) posted by "berkeleyblogcast" on September 8, 2007

The 2nd Sunday of September.... and it's time for the Solano Stroll!

This is a mile long block party, attracting over 100,000 friends and neighbors, and we'd like you to join us!

Food, music, dancing, parades, community organizations, and more. It's just one of the reasons we love representing buyers and sellers of Berkeley and Albany Homes!

Parade starts at 10 am. Visit http://www.solanoavenueassn.org/strol... for more details.

   投稿者はBerkeley Homesという不動産屋&建築屋さんのようで(3段落目)。   

   人出が10万超・・・・・・に減ってるw

 

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September 4 2008年レインかえる祭りプロモーション Rayne Frog Festival 2008  [America]

September 04, 2008 (Thursday)

September 1 労働の日のカエル Frogs on the Labor Day

にカエル娘について書くと書いたもので・・・・・・

36th Annual, 2008 Rayne Frog Festival

The Biggest Frog Party in the World 世界最大のカエル祭 ルイジアナ州レインで今週末開催♪

A FUN-FILLED WEEKEND FOR THE ENTIRE FAMILY!!!

Friday, September 5, 9 am - Sunday, September 7, 4 pm

September 5, 6 & 7, 2008
at the Frog Festival Pavillion

    Rayne は rain と同じ音だからカエルと相性がいいのだろうか。ルイジアナのカエル祭を宣伝すべきいわれもすじもないのだけれど、 スザンナに思いを馳せて記しておきます。

  a035ani_reversed.gifカエル祭のホームページ― Rayne Frog Festival <http://www.raynefrogfestival.org/>  〔2009 Schedule(pdf.), Queen 応募など各種 Forms, Photo Gallery のリンク付〕

Every year in Louisiana, the Rayne Chamber of Commerce hosts the biggest frog party in the world, namely the Rayne Frog Festival. Thousands of party-animals from across the country converge at the 20,000 sq. ft. Rayne Frog Festival Pavilion in search of a fun-filled weekend:

  • family entertainment,
  • music,
  • great food,
  • carnival rides,
  • beauty queens,
  • bullfrogs in costume,
  • frog racing,
  • frog jumping
  • and eating fried frog legs and other taste temptations.

Rayne Frog Festival is a celebration of Rayne, Louisiana's heritage as the single largest worldwide shipper of frog legs throughout most of the 20th century.

Live bands perform every afternoon and evening filling the air with toe-tapping music...Cajun, Zydeco, Country, Swamp Pop and Variety. Festival-goers also enjoy the sounds of musicians with local, regional and national acclaim.

  やっぱりここでも商工会みたいなところが後援してます。 ふたつめのセンテンスで「何千というparty-animals がクニじゅうから集結」みたいに書いてある"party animal"というのは、カエルのことではなくてパーティー大好き人間というような意味のスラングです。Solano Stroll のほうでも party ということばが使われていたと思いますが、なんか人が集まる機会(まあ、そこで飲み食いや踊りがあれば)はなんでもパーティーみたいな感覚。

  a035ani_reversed.gifレイン市のページ― City of Rayne, Frog Festival 2008 <http://www.rayne.org/frog_fest.html>

From the opening "fais-do-do," a World Champion Frog Jumping Contest, to incredible entertainment and--of course--those jumping "ouaouarons" we will guarantee that you "pass a good time." 

        地図  Take the Rayne Exit 87 from I-10
                      
Map Quest Directions

 

  "fais-do-do" は『リーダーズ』英和辞典に載ってますしウィキペディアにも 「フェイドードー」として項目がありますが、"ouaouaron" はないみたい。Quebec French で bullfrog (ウシガエル,食用ガエル) (grenouille-taureau)のことのようです。

    さて、カーニヴァルやアート&クラフトショーなどもあるようですが、気になる競技についてです。Festival のHPには次のような記載があります。――

The Rayne Jaycees host a diaper derby where the babies must crawl to the finish line and are disqualified if the little tikes decide to walk.  This is always a crowd-pleaser." 

   diaper derby おむつダービー diaper というのは赤ちゃんのおむつのことです。tike は「ちびちゃん」「ちびっこ」。ゴールまで這い這いしなければならず、もしも小さながきんちょが歩くことに決めたら失格。突如歩き出す「赤ちゃん」がおるのだろうか。もひとつ。――

The Rayne Lion's Club picks its annual Frog Derby Queen in a contest that features young ladies dressed as jockeys showing their costumed live frogs and competing in a frog jumping contest.

  出たな。カエル娘。あれ?  カエルの格好をするのではなくてジョッキーの服装をするだけですか。カエルのほうがコスチュームをつけるちゅーの? で、ジャンプコンテストなの?   mmm.  考えていたより大人しいのね。

   a035ani_reversed.gifそして、結局画像を探しても上のページにあるもの以外はほとんどなく、あとはCentral Acadiana Gateway のページにちょっとだけ― "Rayne" <http://www.lsue.edu/acadgate/rayne.htm>

Rayne, the second largest city in Acadia Parish with 8,700 inhabitants, is known as "The Frog Capital of the World." The annual Frog Festival in September attracts some 50,000 people each year. The town was laid out in 1880 when businesses from the town of Poupeville moved their establishments about a mile to the newly established Rayne railroad station. 

   Acadia Parish の "parish" というのはルイジアナの「郡」で、他の州だと county に相当するものですね。人口8700人で2番目に大きいって、ちっちゃいですね。人出は50000人(ふ、勝ったなw)。町ができたのとカエル産業が始まったのと同時だったのですね。

   あと、 Hanna いや、Hop というカエルが語っているお祭りの様子はきびきびとした文章でおもしろいです。― Rayne Frog Festival <http://library.thinkquest.org/TQ0312542/thinkquest%20site/raynefrogs.htm>

There is a Lion's Club Frog Derby. This is a strange contest because little girls dress up frogs and then sees which frog jumps the farthest. They also have frog eating contests. Can you believe that? There is a queen's contest where they crown a Miss Rayne.

  ダービーとクイーンは別の催しなのですね。ダービーのほうは女の子の競技・・・・・・でもこの "little girls" ってフェスティヴァルのHPで "young ladies" って呼ばれているのと同じですか。ああ、南部やね。

  〔細かいことですが、この英文、ふたつめのセンテンスの "then sees" の主語がないですね。「これは奇妙なコンテストで、なぜって小さな女の子たちがカエルたちを着飾って、それからどのカエルがいちばん遠くまで跳べるか見るんです。」〕

   そして、あらためて(もはや画像検索ではだめだと)調べてみると、去年のダービーの写真が見つかりました。―― "35th Annual Rayne Frog Festival: Photo Ops September 2007" はい、ヤングレディ-と呼ぶことになんの異存もないです。

 fallingfrog1.gif2008年1月にHouston Museum of Natural Science における Frogs!の展示にあった古い写真の複製がFlickr にアップされていました。―― "Past Frog Festival Queens of Rayne, Louisiana" posted by vanita <http://www.flickr.com/photos/outerspace/2215917697/>

   あと、アマゾンで調べた、Cheryl McCarty and Tony Olinger, Rayne [Images of America Ser.: Louisiana]  (Arcadia, 2002)表紙の拡大写真。カエルを手にした女王の後ろにはCalifornia Louisianna [2009.8.13訂正] Frog Company: "The Largest Shippers of Frogs in the World" の文字と"RAYNE, LA." の名の入ったカエルの絵の看板が掲げられています。Back Cover もあります。スカートの感じはflickr のと同じ感じミニスカで、60年代後半でしょうか(あてずっぽう)。


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September 4 ケージャンなおおスザンナじゃけん Cajun "Oh! Susanna" [スザンナ周辺]

September 04, 2008 (Thursday)

    ちょっと前に書いたかもしれませんが、カエル祭のレインはケージャンの町です。 Cajun は18世紀後半のフランス=インディアン戦争 the French and Indian War(これは文学作品だとクーパーの『モヒカン族の最後 The Last of the Mochicans 』の活劇の背景になっているし、ブラウンの『ウィーランド』でいろんなアメリカ独立前の戦争として言及される一つです)の結果として、カナダにいたフランス人たちが、フランス領だったルイジアナへ移ってきたことで生まれたエスニックグループです。カエル祭のレインは Acadia Parish のなかで第2の都市という記述があったけれど、Acadian がなまって Cajun になったという説がいちおう有力なのではないかと思われる。そもそもルイジアナとはフランス国王のルイ14世 (1638-1715) にちなむ名前なわけですが、1699年より仏領としてありました。それがフランス=インディアン戦争(って背景は英仏戦争なわけですが)に負けたフランスがまず東側を英国に、西側をスペインに譲渡する羽目になり、でも西側は1800年にフランスに戻るけどナポレオンはアメリカに売っちゃって、結局フランス領ルイジアナ(これは現在のルイジアナ州より広いのですけれど)を1803年に完全に失ないます(このへんの歴史と地図はWikipedia 英語の "Louisiana (New France)" あるいはフランス語の"Louisiane (Nouvelle-France)" 参照)。

    クレオールという、ルイジアナのエスニシティーに関わる概念もあるわけですけれど、クレオールの中の、カナダ系フランス人クレオールがケージャンじゃあないのかと思われますが自信はありません(興味がある方はとりあえずウィキペディアでもおひとつどうぞ「クレオール(ルイジアナ)」 「ケイジャン」)。 そして、「ケイジャン〈音楽)」も参照していただいて、YouTube 画像です。Cajun music は、アコーデオン(とバイオリン)を旋律楽器とするダンス音楽です〈少なくとももともとは)――


"Danse cajun" (3:47) posted by Jukkalex (France) on January 8, 2008

   「おおスザンナ」は1分足らずで別の曲になり、そこでフロアの映像も入ります。"Oh suzanna ! (D.P)
Elle descend de la montagne (D.P)
On danse cajun (P.André / A.Hervé)
"

  ---------------

    カリフォルニア時間9月4日午後10時。 ピート・シーガーの "Rainbow Quest" というテレビシリーズで、伝統的なCajunバンドと一緒に演奏している映像があったので貼ります。――


"Mamou Cajun Band" (1:57) posted by peglegsam on February 20, 2007

"Cyprien Landreneau, Adam Landreneau, and Revon Reed on Rainbow Quest with Pete Seeger (No. 25) "


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May 21 踊り――古いメモから Evening Dance: From an Old Note [断章 fragments]

May 21, 2008 (Wednesday)

   午後5時、父と娘(9歳)の会話  @ home in Albany, California, USA

  チ「いまのなに? なんかの踊り?」

  モ「別に。ただのっていただけ」

 

 

 

看板に偽りあり↓

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August 28 言葉の影、または引用について Word Shadows: On Quotation [ことば Words]

August 28, 2008 (Thursday)

WordShadowsoftheGreat_DSC_1003.jpg

    Thomas F. Madigan のWord Shadow of the Great (1930) という直筆の筆跡のコレクションについての蘊蓄を語った本の、本文のすぐ前のページというかリーフ、つまりローマ数字がふられている序文とアラビア数字のページ番号がふられている本文の境目の紙葉に、ページ番号なしで、エピグラフ epigraph として掲げられているのが、"word shadows" というフレーズを含む引用です。

"These ink-stains, which in the imperfection of language we have called words―these WORD SHADOWS then, are latent living powers, which, could they again be uttered by the lips which perished long ago, would subdue, as eloquence ever does, the hearts of all within their reach, and even in their silence still possess a strange charm to penetrate and stir the deepest feelings of those privileged to read them."     ―CHARLES READE

しかし、この文章はチャールズ・リードの小説の地の文章にでてくる英語とは違うのでした。リードのテキストはGutenberg にもありました。そのグーテンベルグのE-text を使ったArthur's Classic Novels というウェブサイトから前後を合わせて引用します。このサイト、すごくイイ感じです、文学作品のe-text の趣味的なページとして。Winston Churchill (英国首相のいとこのアメリカ作家) とか Marie Corelli とか、Henry Van Dyke とかマイナーな作家をいれ、テーマ別でも "Old Sci-Fi" とか "Gothic Tales" とかだけでなく "Life After Death" とか "For History Lovers" とかあるのがすごい。なにがどこにあるかわからんというキライはあるが。( ..)φメモメモメモ"Peg Woffington" (1852) ――

     Mrs. Bracegirdle now raised her eyes (they had set her in a chair), and looking sweetly, tenderly and earnestly on her old companion, she said to him, slowly, gently, but impressively[:] "Colley, at threescore years and ten this was ill done of us!  You and I are here now―for what? to cheer the young up the hill we mounted years ago.  And, old friend, if we detract from them we discourage them.  A great sin in the old!"
     "Every dog his day."
     "We have had ours."  Here she smiled, then, laying her hand tenderly in the old man's, she added, with calm solemnity: "And now we must go quietly toward our rest, and strut and fret no more the few last minutes of life's fleeting hour."
     How tame my cacotype of these words compared with what they were.  I am ashamed of them and myself, and the human craft of writing, which, though commoner far, is so miserably behind the godlike art of speech: "Si ipsam audivisses!"
     These ink scratches, which, in the imperfection of language, we have called words, till the unthinking actually dream they are words, but which are the shadows of the corpses of words; these word-shadows then were living powers on her lips, and subdued, as eloquence always does, every heart within reach of the imperial tongue.
     The young loved her, and the old man, softened and vanquished, and mindful of his failing life, was silent, and pressed his handkerchief to his eyes a moment; then he said:
     "No, Bracy, no.  Be composed, I pray you.  She is right.  Young people, forgive me that I love the dead too well, and the days when I was what you are now.  Drat the woman," continued he, half ashamed of his emotion; "she makes us laugh, and makes us cry, just as she used."
     "What does he say, young woman?" said the old lady, dryly, to Mrs. Clive.
     "He says you make us laugh, and make us cry, madam; and so you do me, I'm sure."
     "And that's Peg Woffington's notion of an actress!  Better it, Cibber and Bracegirdle, if you can," said the other, rising up like lightning.
     She then threw Colley Cibber a note, and walked coolly and rapidly out of the room, without looking once behind her. (ch. 2)

  太字の赤は変えられているところ、細字の赤は消えているところ。そして、もう一度。

These ink-stains, which in the imperfection of language we have called wordsthese WORD SHADOWS then, are latent living powers, which, could they again be uttered by the lips which perished long ago, would subdue, as eloquence ever does, the hearts of all within their reach, and even in their silence still possess a strange charm to penetrate and stir the deepest feelings of those privileged to read them.

   この19世紀イギリスの中篇小説を読んでから書こうと思ってホッておいたのですが、これだけ読んで書くことにしました。

WordShadowsoftheGreat_Madigan(1930).jpg

 

    これは引用なのでしょうか。

   試訳(マディガンによる「引用」の)――「これらのインクのしみ、それを言語の不完全性ゆえに我々は言葉と呼んできたが――ならば、これらの言葉の影、は、潜在的に生きている力であり、遠い昔に消え去った唇によって再び発せられることが仮にあったならば、雄弁というものがつねにそうであるように、届く範囲のすべての人の心を征服することだろうし、黙していてもなお、読む特権を与えられた者の深奥の感情に浸透して揺さぶる不思議な魅力をもっているのである。」

   盗用ではないです。それはそうだ。しかし・・・・・・変えすぎ。

 

  つづく。

 


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September 6 キャコタイプ cacotype (インターネットと辞書のおはなし) [ことば Words]

September 06, 2008 (Saturday)

August 28 言葉の影、または引用について Word Shadows: On Quotation 

を途中で結局切ったのは、小説に出てくる "cacotype" の正確な意味がわからなかったからでした。caco- という接頭辞は「悪」wrong, evil の意味で、シェークスピアのリチャード3世だったかに出てくるcacodaimon (= "evil spirit" )という言葉は呪文のようにモーリちゃんの父も覚えてましたが、cacotype という語が英和辞典に出てない。で、OED にあたりました。 

    rare. [f. caco- + type: cf.  CALOTYPE]

        A faulty or imperfect description in print.

      1853  READE Peg Woff.  58  How tame my cacotype of these words compared with what they were.

  意味は「印刷における誤った、あるいは不完全な記述」。 語の"label" は「稀rare」で、用例がチャールズ・リードのこの箇所のひとつだけしか挙がってないのでした。語源欄に calotype を参照と書いてある理由がよくわからんのですが、calotype というのは19世紀中葉の、ヨウ化銀を感光剤とした写真(カロタイプ写真)のことです。どういう関係があるというのだろ。類推ということでしょうか。あー、ギリシア語のカロスは「美しい」の意味だから、反対ということかな。calotype は1830年代から40年代にイギリスの科学者が発明したものだから、同じイギリスのチャールズ・リードが、それにかけてこしらえた言葉、もじった言葉という含みでしょうかね。少なくとも、やっぱりOED の記述を信じると、これ以前に用例が見つかっておらんのでしょうから。

  さて、あとからインターネットで調べると、ちゃんと出ているのでした(インターネットおそるべし)。日本語のページをググっても定義らしいものは見つかりませんでしたけど(自分のブログの記事がヒットするw)、中文が中国語で意味を書いているのにちょっとびっくりしました。

标签:<cacotype>

 

英语: cacotype | 搜索 Internet 上的 cacotype | 搜索 cacotype RSS / ATOM Feeds 订阅源

词性:
~

国际音标:
[ 5kAkEtaip ]

中文解释:
[刷]拙劣的翻印或复制

( UPKM.com 「C - Dictionary - 在线词典 - 英汉互译」<http://www.upkm.com/Dictionary/Words/?Words=cacotype>

 

cacotype 
国际音标 [HELP]
[cacotype的音标发音]
 
中文翻译 [HELP]
[刷]拙劣的翻印或复制
用法实战 [HELP]
我要为 cacotype 贡献例句及翻译

用户的贡献(0):

(ZHUANiAO.com <http://dict.zhuaniao.com/en/cacotype>)

    さらに、接頭辞caco に始まるさまざまな語をリストアップしているページもありました。――

caco- || 表示“恶, 不好”之义
cacodaemon || 恶鬼, 恶人
cacodemon || 恶魔
cacodorous || 有恶臭的
cacodoxy || (指宗教上的)错误观念
cacodyl chloride || 卡可基氯 二甲胂基氯
cacodyl || 二甲砷基, 四甲二砷
cacodylate || 甲次砷酸盐
cacodylic || 二甲砷基的, 四甲二砷的
cacodyloxide || 卡可基氧 双二甲胂基氧
cacoepy || 发音不准
cacoethes || 恶癖, 难抑制的欲望
cacogastric || 消化不良的
cacogenesis || 劣生(指发育上缺陷)
cacogenic || 种族退化学, 劣生学
cacogenics || 劣生学(研究杂交造成的种系退化现象等)
cacographer || 拼写错误的人, 书法不佳的人
cacography || 拼写错误, 书法不佳
cacology || 措辞不当, 发音不正
cacomagician || 用妖术害人的巫师
cacomistle || 环尾猫熊(产于美国西南部和墨西哥)
caconym || 不妥的名称, 不雅的名称
cacophonist || 不和谐音乐的作曲家, 喜欢不和谐音乐者
cacophonize || 使声音刺耳或不和谐
cacophonous || 发音不和谐的, 粗腔横调的
cacophony || 刺耳的音调, 不协和音, 杂音
cacorhythmic || 节奏不和谐的
cacosmia || 恶臭
Cacotopia || 想像中之暴政国,与乌托邦(Utopia)相对
cacotrophia || 营养不良
cacotype || 拙劣的翻印或复制
cacoxenite || 黄磷铁矿

(翻譯中國 FanE.cn 「资源共享 - 浏览主题 - 简明英汉词典(17)」<http://www.fane.cn/forum_view.asp?forum_id=18&view_id=18587>)

  中国畏るべし! まあ、意味は、版を、いや判を押したように「拙劣的翻印或复制」ですが。 [刷]と書かれているのはlabel でしょうが、Printer 印刷業関係の専門語という含みでしょうか。

     Google 検索でヒットするcacotype はおよそ500、Yahoo 検索でおよそ600です。さすがにそれほどヒマではないので全部を見ていませんが、いまのところ、実際に cacotype という語が現実の場で使われている例が見つかりません。

     Random image and definition のページ(Cacotype image and cacotype definition)に出てくるイメジはよく見えず、定義はなく。

   お、なんか言ってるぞ、と開いてみた "Uncanonic lipper incopresentable ectocarpaceous anthophile"  というページの"Gilbertian may widehearted either cacotype prejudicialness unless preaccomplishment parastemonal inomyositis becurse oligochylia and magpieish; Scaticook either imputatively." はチンプンカンプン。どう見ても非文法的かつ、意味不明の語の連発なのだが(w)。

   そしてそういう意味不明なものを削っていくと、チャールズ・リードのテクストならびに引用以外は、caco- について蘊蓄を傾けるブログ等の記事、ならびにいくつかの辞典だけが見つかるのでした。

   長年英語の先生をやっていて1994年に退職したというミシガン州のMichael Sheehan さんの "Wordmall: A Blog about the English Language" は蘊蓄タイプの代表です。2008年3月5日の "Bad Donkey!" と題する記事は、Fuseli の有名な夢魔Nightmareの絵の一枚を掲げて、次のようにcaco- で始まる言葉について書いています。――

From the Greek word kakos, bad, we have inherited our combining form caco-, (bad, depraved, evil, putrid, etc. ) I remember chanting kakos onos! in my high school sophomore Greek class. Literally, it meant “bad beast of burden.” But to us, it meant “bad ass.”

Aside from the word cacophony (dissonance, harsh sound), we don’t use many of these words in ordinary conversation, but they can be useful.

• cachomyny: unhealthy state of the humors of the body
• cacodemon: evil spirit; nightmare
• cacodorous: ill-smelling
• cacodoxy: bad doctrine
• cacœconomy: bad management or fiscal policy
• cacoëpy: faulty pronunciation
• cacoethes: bad habit; a compulsive proclivity to do something
• cacography: wretched handwriting
• cacology: vicious pronunciation
• caconym: bad terminology
• cacosphyxy: irregular pulse
• cacotrophy: disordered nutrition
• cacotype: an imperfect description in writing

   "cacophony" 以外は、多くは、日常会話では使わない、と書きながら"they can be useful" と断定するところが国語の先生らしいす。cacotypeは最後にあがっていて、"in print"ではなくて "in writing" と印刷だけに限らずに書き言葉の幅が広がっています(その根拠は不明ですが)。

   古典語がらみの辞典のなかにもcacotype は見つかりました。 "caco-, cac-, kako-, kak- (Greek: bad, harsh, wrong, evil; incorrect; unpleasant; poor; used most of the time as a prefix)."

cacotropia
The condition of having bad habits.
cacotype
A faulty or imperfect description in print.
kakistocracy, kakistocratical
The government of a state by the worst citizens.

Inter-related cross references, directly or indirectly, involving word units meaning "bad, wrong": dys-; mal-; mis-; pessim-; sceler-.

 

    このページは "English-Word Information: Word Info about English Vacabulary" というページのなかの"Latin-Greek Cross References" という辞書検索です。サイトの説明文――

Robertson's Words for a Modern Age:
A Dictionary of English Words Derived from Latin and Greek Sources, Presented Individually and in Family Units with a Variety of Vocabulary Quizzes, All of Which Are Made Available so You Can Enhance Your Modern English Vocabulary!

  ラテン語、ギリシア語に由来する英語の言葉の辞典。個別に、また系統群により提示されるのじゃ。 さまざまなボキャブラ・クイズ付きじゃ。どのクイズも利用できるので、あなたのモダンな英語ボキャブラリーを高めることができるのじゃ!〔いや、イラストを見るとそういう感じのジイサンなんで〕

   これはモリ鴎外先生のウィタ・セクスアリス、あ、ヰタか、の頭のほうで説いていた、語源を知れば言葉は容易に覚えられるというのと同じ考えですね。おお、ちゃんと青空文庫がe-text にしてくれています。<http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/695_22806.html>――

寄宿舎では、その日の講義のうちにあった術語だけを、希臘拉甸(ギリシャラテン)の語原を調べて、赤インキでペエジの縁に注して置く。教場の外での為事は殆どそれ切である。人が術語が覚えにくくて困るというと、僕は可笑しくてたまらない。何故語原を調べずに、器械的に覚えようとするのだと云いたくなる。 〔十五になった。あたり〕

   ところで、このロバートソンさんのcacotype の定義はOED とまったく同じです。そして中国語の辞典みたいなページはどうも横のモノを縦に(ってもう中国は横になってますけど)するものでよかれあしかれ現実世界とは浮遊した本の世界の情報でしかないような気がしました。ほんとうに印刷業で cacotype って使われることがあるのでしょうか。

つづく

 

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英語辞書集 「英語辞書のすべて 英語辞典 オンライン辞書辞典 参考書サイトリンク」  <http://homepage1.nifty.com/samito/dictionaries.htm#Webster%20new%20world>

Random image and definition <http://www.ghettodriveby.com/>

Wordmall: A Blog about the English Language <http://verbmall.blogspot.com/> 〔Sheehan さんのHP はhttp://seniors.tcnet.org/

English-Word Information: Word Info about English Vacabulary <http://www.wordinfo.info/>

森鴎外『ヰタ・セクスアリス』 青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/) 底本新潮文庫 (1949) 入力:真先芳秋 校正:Juki 1999年10月12日公開 2006年4月25日修正 <http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/files/695_22806.html>

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September 7 言葉の影、または引用について (2)  Word Shadows: On Quotation (2) [ことば Words]

September 07, 2008 (Sunday)

   では、cacotype もいちおう調べがついたので、しきりなおします。まったくもって誰が読むのかわかりませんが、とりあえず、わたしのなかのかのへ(←倉橋由美子のパクリ)。

  戦前、署名・直筆文書蒐集の第一人者であったらしいアメリカ人 Thomas F. Madigan の著書Word Shadows of the Great: The Lure of Autograph Collecting (1930) のエピグラフとして冒頭に引かれている19世紀英国の劇作家 Charles Reade (1814 - 84)の中篇小説 "Peg Woffington" (1852) の第2章の地の文からの引用が、原文とだいぶズレているという話の続きです。

  参照のためにあらためて、ちょっと短くして、引用します。――

     "We have had ours."  Here she smiled, then, laying her hand tenderly in the old man's, she added, with calm solemnity: "And now we must go quietly toward our rest, and strut and fret no more the few last minutes of life's fleeting hour."
     How tame my cacotype of these words compared with what they were.  I am ashamed of them and myself, and the human craft of writing, which, though commoner far, is so miserably behind the godlike art of speech: "Si ipsam audivisses!"
     These ink scratches, which, in the imperfection of language, we have called words, till the unthinking actually dream they are words, but which are the shadows of the corpses of words; these word-shadows then were living powers on her lips, and subdued, as eloquence always does, every heart within reach of the imperial tongue.
     The young loved her, and the old man, softened and vanquished, and mindful of his failing life, was silent [. . . .](ch. 2)

  次のがエピグラフの引用。太字の赤は変えられているところ、細字の赤は消えているところ、黒字はないところ、紫はそのままあるところ(適当な区分です、もちろん)。

These ink-stains, which in the imperfection of language we have called wordsthese WORD SHADOWS then, are latent living powers, which, could they again be uttered by the lips which perished long ago, would subdue, as eloquence ever does, the hearts of all within their reach, and even in their silence still possess a strange charm to penetrate and stir the deepest feelings of those privileged to read them.

   下の、署名直筆文書研究書のエピグラフとして引用された文章の拙訳を前に出しました――「これらのインクのしみ、それを言語の不完全性ゆえに我々は言葉と呼んできたが――ならば、これらの言葉の影、は、潜在的に生きている力であり、遠い昔に消え去った唇によって再び発せられることが仮にあったならば、雄弁というものがつねにそうであるように、届く範囲のすべ ての人の心を征服することだろうし、黙していてもなお、読む特権を与えられた者の深奥の感情に浸透して揺さぶる不思議な魅力をもっているのである。」

  これは、すげー適当に訳したのですが(笑)、それは代名詞の指示とか、曖昧だったからです。 冒頭の "These" についてはあとで触れます。3行目ぐらいの "within their reach"は、元の小説では "within reach of the imperial tongue" に相当するところです。"the imperial tongue" はだれのものかというと、直接には "her lips" の "her" です。"lips" は上唇と下唇とあわせてふたつで、ひとりの唇でもlips です。 "tongue" は舌だけれど、「ことば」でもあります。「引用」文では、their の指示は、たぶん "could they again be uttered" の "they" と同じで、ということは "these word shadows" ということになりますが、これはちょっと頭の中で思考のピヴォットが――エクリチュールからパロールへみたいな――必要とされる気がするような展開ではあります(もう一つの可能性は"lips" ですけど・・・・・・「唇が届く範囲の」)。

  マディガンさんの気持ちになってみましょう。「偉人の "word shadows"――自筆蒐集の魅力」という本のエピグラフであるだけでなく、 "word shadows" という、そりゃあ "cacotype" よりははるかにやさしいことばの組み合わせですけれども、フツーじゃない言葉をタイトルの一部にしている本の、いわば期待をもたせる役割も兼ねた説明文書みたいなものなわけです。

  で、いちおう単純化して考えて、意訳的に言うとこんな感じです。――亡くなった過去の偉人たちの生きた声をふたたび聞くことはかなわぬかもしれないが、言葉の影である偉人たちの書き残したもの、それは声がなく、沈黙しているけれども、それでもそれを見つけて手に取って読む者(ここで、ぜんぜん原文にないprivileged みたいなのが出てくるのは蒐集の魅力にかかわるわけです)の心を深く揺さぶる、隠れたイノチ、不思議なチカラをもっている。

  原作では、小説の地の文で語り手が、 そのときに語った言葉に比べて、書き記された言葉、不完全な言葉のcacotype がいかに "tame" (迫力がない、生彩がない、要するにイキテない)か、という前段からつながっている話者の思考の一部です。「私はこれらの言葉、そして自分自身を恥じる。人間の書く技は、神聖な話す技に比べると、ずっと公共的ではあるが〔自信はないですが、 "commoner far" は far commoner で、common はpublicity がある、つまりより多くの人に共有されうる、というような意味にとります〕、みじめなほどに及ばない。――「聞くことができるなら!」

このインクの走り書きを、われわれは言語の不完全な使用ゆえに、言葉と呼んだし、無思慮な人は実際に言葉であると夢想するかもしれないが、言葉の屍骸の影である。これらの言葉の影は、彼女の唇に発せられたそのときには生きている力であった。そして、雄弁というものがいつもそうであるように、荘厳な舌の届く範囲のすべての心を征服したのだった。

   以下、夢想です。 

   とりあえず、この語り手の語りへの自意識的な介入と呼んでいいだろう、この一節について、 以下のことを勝手にモーリちゃんの父は言いたいような気になっています。第一に、ここで、語り手は語り手であると同時に文字通り「書いている」人間として姿をあらわしている。"These ink scractches" とは、語り手=書き手が、いま文章を綴りながら、目前にあらわれているものとしてフィクショナルに提示されています(え゛、それってチャールズ・リードの現実の描写じゃないの?という問いに対しては、小説はフィクションだから、という当然の答えをするしかない)。第二に、読むたびに考えがブレたのであんまり自信はないが、いまのブレだと、この"we" というのは結局は著者の「私」であって、 "words" と呼んだのは直前の段落のことだと思います。そして、それが正しいなら、別に西洋の歴史上どうだったとかなんとかなじゃくて、現在想定される読書関係〈筆者対読者)の中で考えているのだろうと思われます。(unthinking と呼ぶのはモーリちゃんの父的には気が引けるので、違うかもしれません。) で、そういうのって読者との距離は変わらないのだけれど、あたかも距離が縮まるように語りかけるように語り手なり作者が読者に語るというのと関わるのだけれど、ここではwe も含めてヨソヨソシイのかなあと。第三に、それでも、ここでいわばメタ的に、語りについて、というより書くことについて書いている書き手の語り手がいます。つまり読者の反応を第二のように想定して親密度を多少は高めながら、自らの書くという行為について書き記しながら書いている語り手がいる。

  マディガンの引用は(それが引用と呼べるなら)、元の文章のコンテクストをずらしたうえで、それを百も承知で、行なわれているものです。 そして、モーリちゃんの父は、引用はコンテクストによって意味を必然的に変容させられる、みたいな命題を思い出します(マディガンのにコンテクストないじゃん、というとさにあらず、本のタイトルや目次を既に読者目にしており、まだ読まぬ本文とともにコンテクストを形成しています)。が、同時に、こりゃあ改竄だよと思うのでした(爆)。

   それでも、この二つの文章の併置から、いろいろと考えさせられるところだったのでした。そして、引用とは、そういうものであれば引用元も引用先も引用者も被引用者も本望というものなのでしょう。

    チャールズ・リードの小説の文章が、書き言葉に対する話し言葉、声の優位を語っているのは明らかです。

    ここで、モーリちゃんの父の記憶は宮川淳の「引用の織物」のプラトンとデリダへ、そしてアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスへ、と向かったのだが、いかんせん記憶力薄弱で20年前に読んだものをいいかんげんにしか思い出すことはできず、家から離れていて参照もできない。しかたなくインターネットで「プラトン、"声の優位"」と入れて検索してみると、グーグルだとたった3件しかヒットしなかった。うちふたつはpdf. 文書でした。html. で開いたら文字化けして意味不明だった、佐々木充「エクリチュールと声」([PDF]エクリチュールと<声>; html)と、もうひとつは加藤彰彦「ジャン=ジャック・ルソーの『エミールまたは教育について』のジャック・デリダ的読解――ルソーにとって教育とは何か」(pdf; html)。もいっこは蓮見重彦を引いてきた映画論でした。しょうがないから、というのでもないが、なんとなく「デリダ "声の優位"」に変えて検索したら、「芦田の毎日」というブログが先頭でヒットして、なんだかんだ読む羽目になってしまった日曜の朝だったのでした(いまここでそれについて書くと大脱線して戻れないので書きません)。

    モーリちゃんの父の声に権威はない(父の権威もない)。引用した人の声に権威があるかどうかはそれぞれです。でも自分よりは権威がありそうだから引用します。 いや、そうじゃない。自分は記憶がないから記憶が確かな人のものを引用します。――

デリダは『グラマトロジーについて』で、ルソーがパロール(話し言葉)とエクリチュール(書き言葉)を対比させ、パロールの優位を説いていることを批判している。ルソーによれば、パロールは眼前において生身の人間によって発せられるが故に自然に近いというわけである。それに反して、エクリチュールはそもそも書いた本人が眼前に存在していなくても成立するものであり、それだけ自然から遠いというわけである。言葉の発信元を探るという意味においてならパロールの優位は揺るぎないものであろうが、そのこと自体が言葉の信用性につながるわけではないとデリダは批判する。つまり人は嘘をつくことができるわけであり、眼前において発せられた言葉が真実を語っているという保証はないのである。またパロールを第一義的なものとして捉え、エクリチュールを二義的なものとして捉える階層秩序的二項対立は成立し得ないとデリダは指摘する。ルソーによれば、パロールは人間が持っている器官から発せられたものであるが故に価値があるのである。このような考え方はルソーに限らず、文字に対する声の優位という形で西洋の思想を支配してきたとデリダは指摘するのである。つまり音声中心主義の存在である。この考え方を突き詰めれば、文字がなくても充分にやっていけるということになる。ルソーが書物を嫌ったのも、このあたりの事情を考えれば符合するだろう。しかし眼前のみが自然であり、自然に反するものは排されるべきであるとしても、果たしてそれは可能なのであろうか。エクリチュールがパロールの二次的存在であるとするなら、あってもいいがなくてもいい存在というわけであり、この考え方が正しいのであれば、エクリチュールの存在はそれ程問題にする意味もないわけである。ところが、現実的な問題として記憶ということが出てくる。人は全てを記憶しているわけではない。そのため自分以外の何かによって思い出すということが必要になり、それがエクリチュールというわけである。ここにおいて、内的記憶(ムネーメー)が外的想起(ヒュポムネーシス)に取って代わられ、つまりパロールの優位は崩れ、エクリチュールがそれに取って代わるわけである。これはただ単に個人の記憶力の有無に帰せられる問題ではない。デリダによれば、パロールとエクリチュールの階層秩序的二項対立は完全に成立することはなく、その境界線自体が明確ではないのである。初めにパロールありきで、その後にパロールの不足分、例えばたまたま忘れてしまったことを思い出すために書かれたものを見るというような補足的なものとしてエクリチュールがあるのではなく、パロールの中にあって既にエクリチュールは存在しているというわけである。ルソーについて言うなら、ルソーはエクリチュールに対するパロールの優位を説くのであるが、パロールを発する人の心の中には神の手によって「書き込み」がなされていると表現するのである。このようにエクリチュールに対するパロールの優位を説くルソーにおいても、パロールとエクリチュールの階層秩序的二項対立は固定的ではないのだ。にも拘わらず、パロールの優位、これは要するに自然の優位ということであるが、このような主張をし続けるルソーの意図は半ば明白であると言うべきだろう。つまり、ルソーによれば自然に反しているとされる社会やその社会によって生み出された制度や価値観に対する批判である。敢えて言うならば、ルソーの自然崇拝もこの批判の反動によって生み出されたと言うことも可能であろう。従ってここにおいて明確にしておくべきは、ルソーに見られる階層秩序的二項対立は固定化されたもではなく、解体されるべきものであるということ、ただしルソーの主張する自然崇拝は、社会もしくは社会が生み出した様々な制度に対する批判の結果生み出されたものであって、ルソーのテキスト分析にあたってはこの認識を出発点にすべきであろうということである。(加藤彰彦「ジャン=ジャック・ルソーの『エミールまたは教育について』のジャック・デリダ的読解――ルソーにとって教育とは何か」[『四天王寺国際仏教大学紀要』第44号(2007年 3 月)], p. 430)

   すいません、つづきます。

bookofshadows_s.jpg

 Book of Shadows - A sterling silver charm.


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September 8 言葉の影、または引用について (3)  Word Shadows: On Quotation (3) [ことば Words]

September 08, 2008 (Monday)

    「はじめにパロールありき」というフレーズが先の引用にあったけれど、Charles Reade の小説の一節における "word" とは、キリスト教的文脈で言うなら、ヨハネ福音書の「はじめに言葉ありき」のWordであったろうと思われます。それは書き言葉ではない。だから語り手(書き手)の、 "I am asshamed of them and myself, and the human craft of writing, which, though commoner far, is so miserably behind the godlike art of speech" というコメントがある。ここで writing と speech が対比されているわけですが、同時に "human" と "godlike" という形容詞を与えられることで、声の、神的なものにまでつながる神聖性、対するに文字(書かれたもの)の低次の卑俗性があるわけです。

  で、歴史的に考えようとするときに、プラトン=デリダ=宮川淳のラインのもういっぽうで、ボルヘスなのです。というか、ボルヘスの『異端審問』におさめられた講演だかの文章に哲学史の本(シュペングラーの『西洋の没落』だったかしら)を引きながら「書物の歴史」について語っている文章があったはずです。うろおぼえですが、口頭による伝承を重んじる文化というのがある。それは一子相伝みたいなのが巻物じゃなくて口伝による、みたいな『北斗の拳』的アニメ的なイメジでいいと思うのですが(いいのか?)、ピタゴラスとかギリシアの伝統もそうだった。ピタゴラスは何も書き残していない。プラトンとかにとって書物は声の代替物、それも声に劣った代替物でしかない。だけど、そこにヘブライから、霊感を受けた書物という観念がはいってきます。つまり神の霊感を受けた者によって書かれた「神聖な書物」。あと何書いていたんだろ。思い出せず。記憶についてかな。人間の発明したものはみな身体の一部の延長であるけれど、書物は異なっていて、記憶と想像力の延長であるみたいな。たぶん。

   ボルヘスがどこまで何を書いていたのか思い出せないのですが、その、神聖な書物という概念の入り込んだあとのヨーロッパの「書かれたもの」についての歴史を考えてみると、やはり「オリエント」からもちこまれる神聖文字の象徴というのがあります。エジプトの神話的なキャラ、ヘルメス・トリスメギストゥスがつくったとも言われるけれど、ヨーロッパの神秘主義の底流となったヘルメス学にへばりつくようにして、一方でユダヤの言語神秘主義カバラと肩を並べてきたのでした(たぶんカバラのほうは数秘学 numerology に特化することによって両者がケンカするのを避けたのではないかと思われるが自信はない)。

Sect. 16.--Thus there are two books from whence I
collect my divinity. Besides that written one of God,
another of his servant, nature, that universal and publick
manuscript, that lies expansed unto the eyes of all.
Those that never saw him in the one have discovered
him in the other; this was the scripture and theology
of the heathens; the natural motion of the sun made
them more admire him than its supernatural station did
the children of Israel. The ordinary effects of nature
wrought more admiration in them than, in the other,
all his miracles. Surely the heathens knew better how
to join and read these mystical letters than we Christians,
who cast a more careless eye on these common hiero-
glyphics, and disdain to suck divinity from the flowers
of nature. 〔Thomas Browne, "Religio Medici"
gutenbergetext96
 

 

トマス・ブラウンが記述するように、一方で世界をhieroglyphics で書かれた本と見る異教徒の伝統、もう一方で聖書が神の霊感によって書かれたと考える伝統。世界なり自然を神の書物と考える伝統はヨーロッパで中世以来あったことは、デリダが『グラマトロジーについて』で依拠しているクルティウスの『ヨーロッパ文学とラテン的中世』(調べて確認しました。なんて直訳的題だ)の付録の topos (コンベンション、常套的概念)のひとつとして記述した「世界としての本」に見られるとおりです。イタリアルネサンスによっておこるエジプト学の高まりのなかで、聖書と自然は神によって書かれた2冊の本で、どちらも神聖文字によって書かれているとかいう考えも出てくる。いっぽうで、エンブレム・ブックとかヒエログリフィカの本とかが17世紀に出て、そのときの「文字」は絵じゃんか! という感じなのですが、まあ、自然なり世界がhieroglyph(ic) なる「文字」によって書かれていると考えること自体、「文字」に関してジャンプがあるわけで、きわめて混沌とした観念ではあるけれども、近代の人間対自然、それと書(物)との関係を考えるときに、公式じゃないところでこの聖なる文字の伝統というのがあるのでしょう。

  ぼーっと考えてみると、写本コピーというようなとろとろゆるゆるの増殖の仕方ではなくて、印刷術によって多数の本がコピーとして生産されるようになっていく近代において、ものを書く人間(欧米の)は、声の優位ということをいちおうタテマエ的に言いながら、どこかホンネがちがうのじゃないかという気もしなくもないですが、もっと積極的に、エクリチュールの優位性というか、超越的なものとつながりうる文字を夢想する作家・詩人たちもいた。

  ジャック・デリダは「préjugé hiéroglyphique 神聖文字の誤謬」という言葉で、それを読むことで超越的なものにつながりうると考える神聖文字的夢想を誤謬として批判することになります。

  チャールズ・リードという人の場合、もともと演劇の人であること(それはト書き的な描写にもあらわれていると思うのですが)も、こういう文章と関係があるのかもしれませんが(実際、舞台だったなら、こんな能書きをタレル語り手は存在しないし、存在する必要もないわけで)。

  リードは書かれているインクの文字が、実は "the shadows of the corpses of words" だと書きます。パロールは生きている。でもエクリチュールは死んでいる。書かれたものはコトバではない。話されるコトバの遺体(corpses = dead bodies)。あるいはその影。"shadow" というのは、死との関係では、死んで「影」になると考える伝統がギリシア・ローマにあるわけです。たとえば死者の国はその古典伝統を受けて the Shades です。そこの住人はshade だし shadow も「亡霊」の意味が辞書にあがっています。そうすると、たぶん正確にとらえると、「生きたコトバの亡骸の亡霊」「言葉の亡霊」なのでしょうかね。 "these word-shadows then were living powers on her lips, and subdued, as eloquence always does, every heart within reach of the imperial tongue."  古典的雄弁術の伝統にも敬意を表するかのようです。

試訳(リードの)――「このインクの走り書きを、われわれは言語の不完全な使用ゆえに、言葉と呼んだし、無思慮な人は実際に言葉であると夢想するかもしれないが、言葉の屍骸の影である。これらの言葉の影は、彼女の唇に発せられたそのときには生きている力であった。そして、雄弁というものがいつもそうであるように、荘厳な舌の届く範囲のすべての心を征服したのだった。」

試訳(マディガンによる「引用」の)――「これらのインクのしみ、それを言語の不完全性ゆえに我々は言葉と呼んできたが――ならば、これらの言葉の影、は、潜在的に生きている力であり、遠い昔に消え去った唇によって再び発せられることが仮にあったならば、雄弁というものがつねにそうであるように、届く範囲のすべての人の心を征服することだろうし、黙していてもなお、読む特権を与えられた者の深奥の感情に浸透して揺さぶる不思議な魅力をもっているのである。」

   だから、マディガンは、チャールズ・リードを誤引用しつつ改竄していることになります。彼に必要だったのはhieroglyphic な次元だったはいわんまでも、せめてポー的に、書いたものが人間のキャラクターをあらわしているという信念であるべきだったのに(たぶん)。

  と書いてからマディガンの本のタイトルをまた見ると、"Word Shadows of the Great" です。これはword shadows of the parole of the great の略ではなくて、段階を一個飛んで人間の「影」としているわけです。そうすると生身の偉人がいて、その霊的なものとして書き遺されたエクリチュールがあるということになるのですか。リードの原文にあった、書き言葉は死んでいるという内容は捨象・改変されたうえでの離れ業だったのでした。でも引用じゃないよ。悪用(笑)

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私的メモ的urls:

Richard L. Goerwitz, "Thoughts on Modern Hieroglyphic Theories and Their Impact on Swedenborg's Intellectual Millieu" <http://www.baysidechurch.org/studia/studia.cfm?ArticleID=61&detail=1&VolumeID=50&AuthorID=> Bayside Swedenborgian ChurchStudia Swedenborgiana, vol. 6, no. 3 (July1988) ロマン主義の時代からよく読まれ、フランスの象徴主義にも直接的影響を与えたスウェデンボルグに対する神聖文字とカバラの影響〕

Discovering Ancient Egypt "The Discoverers, part 1"; "The Discoverers, part 2" 〔"This is a chapter from Rosalie David's Book Discovering Ancient Egypt (Facts on File, 1993). It is an excellent survey of the early explorers and scholars who were the pioneers in the field of Egyptology."―Egyptian Civilization & Mythology

"Bibliography" Gateway to Wisdom: A Gateway to the Western Wisdom Tradition and Its Initiates <http://www.fbrt.org.uk/pages/essays/essay-bibliography.html> 〔本体はよくわからないが文献リスト〕

"Book of Abraham" Mormon Quotes: A Resource for All Those Investigating, Questioning, and Abandoning the Doctrines and Leadership of the LDS Church <http://www.ils.unc.edu/~unsworth/mormon/bookofabraham.html> 〔そういえばモルモン教の創始者もエジプトのパピルスに記された文字を解読して『モルモン経』をあらわしたのだった〕

Mark K. Greer, "Egypt, Tarot and Mystery School Initiations" ATS Newsletter #49 <http://association.tarotstudies.org/newsletters/news49.html> 〔ATS=Association for Tarot Studies〕


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September 8 歌うカウボーイの「おおスザンナ」 (1936)  Oh, Susanna! (1936) by the Singing Cowboy [スザンナ周辺]

September 08, 2008 (Tuesday)

ohsusanna_lobby.jpg

from "Film Info - Oh, Susannna!" GeneAutry.com

  歌うカウボーイといえば、ジーン・オートリーである。英語版Wikipedia の "Singing cowboy" の項目は、歌うカウボーイの系譜の最初に ジョン・ウェインを置いてますけど、Gene Autry (1907-98) と Roy Rogers (1911-98) です。ロイ・ロジャーズはオートリーの映画会社との契約がこじれたときにピンチヒッター的に出て、あとを継ぐかたちで1940年代に人気者になるわけですけど、第一人者はジーン・オートリーだったのだと思います。オートリーの初期の映画に『おおスザンナ Oh, Susanna』 (1936) があって、これがシンギング・カウボーイの一番だと話はたいへん気持ち悪いくらいに美しいわけですけど、そうではありません。1935年の Melody Trail が最初のようです(くわしいフィルモグラフィーは、たとえばInternet Movie Database のGene Autry のページ)。そして、1936年初頭のオートリー主演の映画のタイトルが Singing Cowboy でした。そしてさらにそれから5作目、第1作から勘定すると10作目が(といっても2年目ですけど)Oh, Susanna! でした。

  歌うカウボーイについては、文章の執筆者と典拠が不明ですが、 「カウボーイアーティスト」と題する「goo 音楽」のページの記述をあえて引いておきたいと思います。――

カウボーイとは

19世紀――牛を追って長い道のりを移動しながら生活していたカウボーイは、夜になると牛たちを落ち着かせるかのように 歌っていた。トレイルを進みながら、あるいはキャンプファイアを囲みながら、長い夜の退屈しのぎに自分自身や仲間たちのために歌っていたのだ。 「Streets of Laredo」「The Dying Cowboy」のような定番のカウボーイ・ソングは今世紀に入ってからのものだが、実際は何世紀も前にアングロサクソンが歌っていた民謡の亡霊なのだ。ア メリカ人のカウボーイへの憧れと西部開拓の夢のお陰で、カウボーイたちの歌は1920年、30年代には流行の的となった。Carl Spragueのような初期のアーティストはかなり伝統的なスタイルだが、the Sons of the Pioneers やGene Autryのような後発アーティストは、キャンプファイアでの定番ソングをポップ・ソングに変えたのだ。1930年代に音声映画が始まると、歌うカウボーイたちは銀幕を走り抜けながら、より有名な存在になっていった。その中には女性も数人いて、最も有名なのは「I Want to be a Cowboy's Sweetheart」を歌ったPatsy Montanaであった。しかしながら、現在のカウボーイのトレンドは、Riders in the Skyのようなリバイバル・グループによってかすかに伝承されている、という状況だ。

  英語の記述としては、 Lillian Turner の "The Singing Cowboys: Real to Reel" という文章をいちばん下に引いておきます。

  で、シンギング・カウボーイ映画というのはウェスタンのミュージカル版という言い方もされるかもしれませんけど、それほど不自然に音楽がちりばめられていたりキャラクターが歌にあわせて踊りだすく(田森がいやがるようなかたちで)わけでもなく、わが小林旭のギターを抱いた渡り鳥シリーズの原型といった方がわかりやすいし近いのではないかと思います。

  物語のプロットとしては、あるコミュニティーによそ者としてやってきた主人公が、コミュニティーの人間関係を正し悪を解決してまた旅の空に去っていく、というような水戸黄門、シェーン・カム・バック的なロマンス系のようです。むろんそれ自体が西部劇のプロットであり、原型をたどるとジェームズ・フェニモア・クーパーの『皮脚絆物語 Leatherstocking Tales 』シリーズのナッティー・バンポーという、アメリカ人に訴える男の理想型ということになります。クーパーで考えると、男女のロマンスがメインのプロットだったり、土地争いがプロットだったり、戦争がプロットだったりして、そこにワキからからんでくる比較的マージナルな位置にいるキャラクター。(これは、一度いた土地に戻ってきて新たな問題を解決する、というような変形をすると、モーリちゃんの父の好きな昭和残侠伝などのやくざ映画のパタンになります、たぶん。)

  1936年の『おお、スザンナ!』 は、59分という短い映画で、たいへん凝縮されたかたちで物語が展開します(特に冒頭はすごい濃度。ま、わざわざ帽子をかぶらせて汽車からほっぽるところが不自然ですけどw)。――

"Oh, Susanna! 1/8 (1936)" posted by hollywoodclassics5 on July 29, 2008: "Fleeing the law, Wolf Benson hops on a train, throws Autry off, and assumes Autry's identity. Still posing as Autry he robs and kills Autry's friend Lee. When Autry is jailed, his friends Frog and the Professor break him out and the three head out to clear him of the murder charge."

  最初はオープニングと冒頭近くのBGM だけなのですけれど、「おおスザンナ」を歌うシーンも出てきます。短いですし、オートリーじゃないですけど(2:30ぐらいのところから)――


"Oh, Susanna! 5/8 (1936)"

  で、この映画の最後はけしからんことにキスシーンでフェードアウトするのですが、どうやらその後次第にジーン・オートリーはカウボーイはかくあるべし、というような考えを抱いていくようになったようなのでした。

あと1回だけつづきます。

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参考urls―

"Old Time Country and Western Music Souvenirs and Song Books" the-forum On-Line Antiques Mall <http://www.the-forum.com/EPHEMERA/country1.htm> 〔ソングブックの表紙画とソングナンバー一覧。1930年代に「おおスザンナ」がカントリー&ウェスタンに(も)入っていることがわかります、たぶん〕

Gene Autry Official Website and Centennial 1907-2007 <http://www.geneautry.com/home.php>

Lillian Turner, "The Singing Cowboys: Real to Reel" (Points West Article: 1998 Spring Issue) Points West Online <http://www.bbhc.org/pointswest/PWArticle.cfm?ArticleID=20> :

Cowboys sang songs - popular songs of their day, hymns, and songs that grew out of their own work experiences. As cowboys drifted from one range to another, they picked up and sang songs from all parts of the country. For a time, it seemed that only cowboys were interested in their songs.

By the turn of the century, Wild West shows, western novels, and stage productions had helped to popularize the cowboy. Tin Pan Alley determined to capitalize on this phenomenon with its versions of cowboy music. In 1905 songwriters Egbert Van Alstyne and Harry Hiram Williams, following the success of their "In the Shade of the Old Apple Tree," combined their talents to produce "Cheyenne," hoping to have a cowboy love song moneymaker. When the cylinder recording by Billy Murray was released in 1906, "Cheyenne" became the first "cowboy song" to be a national hit.

Although N. Howard "Jack" Thorp (1908) and John A. Lomax (1910) had both published collections of traditional cowboy songs, what most Americans were familiar with were the songs they purchased as sheet music or heard on vaudeville stages, in music halls, or on recordings. It was not until 1925 that a "real" cowboy recorded a "real" cowboy song. Carl T. Sprague's recording of Montana poet D.J. O'Malley's "When the Work's All Done This Fall" sold 900,000 copies. He was followed soon by Jules Verne Allen, Harry "Haywire Mac" McClintock, Charles Nabell, and Ken Maynard.

By the 1920s the new medium of radio also provided Americans with more music and the opportunity for many of them to perform as well. Singers with a modest degree of talent could often secure a 15-minute slot once a week on a local radio station in need of programming.

America's first "singing cowboy" to broadcast nationally began his singing career on WEAF, an NBC station in New York City, in 1926. John I. White was a Washington, D.C. native who fell in love with cowboy songs when visiting cousins in Arizona. Choosing to sing those songs, he was called "The Lonesome Cowboy" after moving to station WOR. In 1930 he was hired as a singer to appear on NBC's new weekly coast-to-coast radio drama called "Death Valley Days" sponsored by Pacific Coast Borax Company. His published folio of cowboy songs could be obtained by sending in a boxtop from one of his sponsor's products.

Silent western movies had been entertaining the American public for over 25 years. In early 1929 sound came to westerns with the release of In Old Arizona. Shortly after, the "singing cowboy" was born.

Horseman, trick rider, and silent film star Ken Maynard that year added to his silver screen credits his talents as musician and singer in the 1929 release, The Wagon Master. For his first "singing cowboy" role, Maynard chose to sing traditional cowboy songs, "The Lone Star Trail" and "The Cowboy's Lament."

Perhaps Ken Maynard's greatest contribution to the "singing cowboy" movies was his introduction of radio and recording artist Gene Autry to the silver screen in Maynard's In Old Santa Fe (1934).

Gene Autry began performing on radio station KVOO in Tulsa, Oklahoma, and was cutting records for several labels when he was hired by Sears Roebuck in 1931 to appear on their Chicago station WLS. Autry was given his own program as "Oklahoma's Singing Cowboy" and began appearing on the "National Barn Dance." His 1931 recording of "That Silver Haired Daddy of Mine" was the first million-selling record.

Sears, Roebuck and Co. helped build Autry's popularity through the catalog sale of his song folios, records, and a $9.98 Gene Autry Roundup guitar.

When Gene Autry received a call from Hollywood, he took with him his accordionist and friend Smiley Burnette. After his debut in Ken Maynard films, Autry, along with "sidekick" Burnette, starred in a 1935 serial called Phantom Empire before being given the lead in Tumbling Tumbleweeds.

The singing cowboy rage had begun.

Gene Autry's almost overnight success as a singing cowboy star had studios scrambling to find and develop their own singing cowboys: Dick Foran, Fred Scott, Bob Allen, Ray Whitley, Smith Ballew, Bob Baker, Jack Randall, George Houston, Gene Austin, Donald Grayson. [. . .]

 

 


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September 9 へっぽこ探偵事務所とウェブリング Quack Detective Office and Webring [ブログ blog]

September 09, 2008 (Wednesday)

    今日は自分の誕生日であるが、朝からいいことがあった(といちおう書いておこう)。

  ソネットのなぞなぞで数日前に見てそのままわからずほっぽっといたなぞなぞがあったのだが、しゃくにさわったので検索してみた(ズルである。cheat である。)  この大人げのない行為は、「足しても足しても増えない野菜」を「足しても足してもえない」と打ちこんでしまい、大人げなくまあいいや、とクリックしたことから思わぬ展開を見せる。

問題  投稿者:こんべい  投稿日:2004年 8月 3日(火)19時17分14秒    
      大混雑した海水浴場にいる生き物な~んだ!
(無題)  投稿者:マーヴ  投稿日:2004年 8月 4日(水)17時01分50秒    
      ウミヘビ、クラゲ、うみぼうず(ぉ
(無題)  投稿者:迷探偵  投稿日:2004年 8月 4日(水)22時58分16秒    
      コンドル・・・海に住んでる訳ないか・・・
なし  投稿者:こんべい  投稿日:2004年 8月 5日(木)11時16分10秒    
      迷探偵とマーウ゛さんまちがってます・・・こたえはヒトデ!人出でから・・・・

問題  投稿者:こんべい  投稿日:2004年 8月 5日(木)11時17分33秒    
      足しても足してもふえない野菜はな~んだ


やさいのやつのこたえ  投稿者:こんべい  投稿日:2004年 8月18日(水)13時19分33秒    
      答えはレタスです。0たす0たす0たす
    翻訳  →  レタスレタスレタス

 

ううむ。君たちは何者だ?  モーリちゃんの父も知っている無料のフリー掲示板を使った、「問題用掲示板――ここは問題用の掲示板です。問題を出し合ったり答えあったりして下さい。ネタばれはありにします。」という題と説明のある掲示板だった。最近の投稿を見ると、どこかで見たような荒んだものになっていた。おおそうだ、ホームページに移動するボタンがあったはず。クリック、クリック。

  ページは移転していた。が、すぐに新しいページに飛んだ。そして、

へっぽこ探偵事務所

というページが姿をあらわしたのである<http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Ayame/7585/indexnew.html>。説明には「へっぽこ探偵団をリニューアルしました。前と内容は変わってないと思いますが、どうぞ楽しんでいって下さい。」とていねいな言葉で書かれている。前はへっぽこ探偵団だったのかしら。

  そして目次にはゲームコーナー、「へっぽこ事件FILE」〔一個しかないぞ!〕、リンク集〔ポケモン全攻略、「パズルがいっぱい 絶対おすすめ ※激ムズ」などなど〕、Webリング〔リンクの間違いじゃないのか、と思ったモーリちゃんの父の知らない言葉でした*。見たことはあるような。不明を恥じます。〕などが並んでいた。モーリちゃんの父はさっそくゲームコーナーの一番上の「犯人逮捕ゲーム 逮捕しまくって下さい。」をやって記念に名前を打ち込んでおいた。

   大阪の少年で、迷探偵というのがニックネームの13歳のページでした。感心しました。元気だといいのだけれど。

   自分が13歳というと、家ではドアーズやサイモンとガーファンクルを聞きながら、学校では放課後の教室でクラスの女子と男子と数人で歌声喫茶よろしく「別れの朝」や「また逢う日まで」や「おおスザンナ」を歌っていたころだな(遠い目)

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 *Webリング(WEB リング、WebRing、Webring、ウェブリング)とは、「自宅サーバーWebRing (ウェブリング)」というウェブの冒頭の説明を引けば、(このウェブリングは)「[・・・・・・]自宅サーバー(ホームサーバー)に関する情報を提供するホームページを輪(リング)のように相互リンクするものです。ホームページを訪れた方々は、このリングの中をたどっていくことにより、「自宅サーバー」という同じテーマをもったホームページを効率よく次々と訪問することが出来ます。」  それってそうりんとどう違うの?  ああ。相互リンクのリング状のものですか。しょうがないからウィキペディアから引いておきます――ウェブリング(Webring)とは、インターネット上において、特定の定義を持ったウェブサイトを繋ぎ合わせるリンク、またはそのために構築されたシステムのこと。語源は「World Wide Web」+「リング」。  もっともなような、よくわからんような。解説と歴史――

解説

特定の定義を持ったウェブサイトをつなぎ合わせることで、閲覧者は目的の情報にたどり着きやすくなる、また同じテーマのウェブサイトを探しやすくなるなどの利点がある。

システムが構築されている場合、サイトのURLを登録することによってID(識別番号)が割り当てられ、所定のHTMLをサイトに埋め込むことで、登録されたサイトを繋ぐリンクが生成される。 ウェブリングでは基本的に、IDの前後のサイトへ移るリンク、登録されたサイトのいずれかへランダムで移るリンク、ウェブリングの趣旨説明や登録ページへ移るリンクなどが用意されている。

ウェブリングから脱退する場合は、埋め込んでいたHTMLを取り除くだけでなくシステムからも解除する必要があるが、システムの解除を行わずに片方向のみのリンクとなってしまい、リングの役目が果たされず問題となることがある。

歴史

インターネットの黎明期にはコミュニティを発展させるのに一定の役割を果たしたが、近年では利用者が減少している。ブログトラックバックソーシャル・ネットワーキング・サービスなどの機能でコミュニティを広げる手段が普及したためと考えられる[要出典]

日本の大手ウェブリングサービス・ウェブリングJapan(兼松コミュニケーションズが運営)は2007年3月31日をもって新規登録を終了、同年4月30日には全サービスを終了した。

  なんだか、歴史のほうは、相互リンクについての「はてなダイアリー」の記述を思い出させるのですが、解説の「システム」というのはやっぱり謎語のひとつだなあ。


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September 9 ブログの不安 [ブログ blog]

September 09, 2008 (Tuesday)

    今日は自分の誕生日であるが、昼にもいいことがあった(といちおう書いておこう)。

    お米の国のお米だものの國寶ローズを買いに、サンパブロ通りの八百屋さんマーケットまで歩いていって、2時過ぎに帰ってきたら、今日から始まったアルバニーのアダルトスクールの英語の授業から帰ってきたモーリちゃんの母がいて、ハ「ねえ、あなた、ブログやってる?」  チ「(やってるに決まってるだるが、知らんかったんかいのう) うん、やってるよ、もちろん」  ハ「今日ねえ、初めて会った人で、ご主人ブログやっていませんか、って。・・・・・・」  チ「え゛?」  ハ「なんか、話を聞いていると読んだことのあるブログの人じゃないかっていうの。2,3歳の娘さんがいる人なんだけど」  チ「あー、はいはい。知ってる。最近来た人でしょ」  ハ「うん、8月に来たって」  チ「ま・・・・・・まえに上海にいた人でしょ。近所に住んでると思うんだけど」  ハ「ううん。エルセリート。アメリカのどこか別のところにいたって」  チ「え゛・・・・・・・・・・・・(誰やそれ 汗)」 

  そのあと、カエルの話を書いているとか(ハ「いや、それは書いてないと思います」と言ったらしい)、ソラノ・スクロールの話を書いているとか、バークレーまで歩いて通っていてその道中を写真に載せているとか(チ 笑)、バークレーの図書館の古い本の話を書いているとか(チ「おお、それはよく読んでいるなあ」)。  自転車で検索してヒットしたそうで(チ ハハハハ)。

  万一ブログが炎上しても日本からわざわざ凹いや凸撃はなかろうし、日本の関係者だけもや~んとぼかしておけばいいかな、と思いつつ、それでもすぐに固有名詞は適当に改変したりしたのですが、バークレーは狭い。もしかしてモーリちゃんの父は歩いて通う日本人としてこのかいわいで笑い者になっているのかも、と思うと、まあ自分はよいが娘がそれでいじめられたりしたら不憫で(爆)。

  しかし、一番の不安は、モーリちゃんとその鼻いやそのハハに読まれることだな。モーリちゃんにはもう少し大人になって反抗期が過ぎたころに読んでほしい(よくわからん)。

  いま、モーリちゃんがやってきて、今日イチバンカンで買った「花のくちづけ」の袋から「見ないで ひとつとって」というので取ると、「野ばら 花ことば:希望 質素 10月27日」でした。モーリちゃんの母は「生涯を共にする」。 ハ「初めて出た」  チ「なんだよそれ」  ハ「そういう意味じゃない?」  チ「質素って貧乏ってことか」  ハ「ム、胸が痛い」

 

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  ところで、お米の話ですが、他は値上げしている中で、八百屋さんマーケットは値段がそのままみたいらしいです。 玉置米こうじ (なぜーなぜー♪)、じゃなかった田牧米とか高くておいしいコメもあるのでしょうけど、いちおう日本人庶民的にはこのへんかなあと。でも銘柄はともかく、15年前はカリフォルニア米はもっと長い粒だったと思うのですが(なつかしい)。コマーシャルは変わってないのですけれどね。

 

 

カリフォルニア時間9月10日午後4時追加――

「日系人関連史跡訪問記録 国府田農場」 <http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/kodafarm.html> 〔『日系移民の歴史』内〕

"KODA FARMS - History" <http://www.kodafarms.com/hist_about.html> 〔KODA FARMS HP 内〕


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September 9 カリフォルニアワイン 安酒対決 Battle of Cheap Wine [飲み物 drink]

September 09, 2008 (Tuesday)

    カリフォルニアの酒といえばワインである。

  ナパやソノマには、日本にもこのごろ増えてきたけれど、いろいろなワイナリーが、試飲だけじゃなくて、 いろいろと凝った食事をあわせたりしたレストランをこしらえていたりして、おしゃれなツアーもあったりする〔12年前の記憶・・・・・・あー、そのときはツアーじゃなくてサンフランシスコで知り合ったテリー・レイナ――敢えて名前を書き記しますTeri Reina ――のクルマに乗せてもらって行ったのでした。しかし彼女はワインを飲まなかったのかなあ。記憶がない。医者の資格をもちながら違う世界で生きていたた人。日本に帰ってから、彼女が欲しかった庭園術の本をインターネットで見つけて、そのまま送付先をアメリカのサンフランシスコにして送ったら、「誰かに先に買われてしまったと思ったら、その本が新しい家(サンフランシスコから南へ引っ越していたのでした)に転送されてきたのでビックリした、というメールをもらったのがなつかしい思い出です。互いにクリスマス・新年の挨拶とか書かないタイプだったので、いつのまにかメールアドレスもお互いに変わってしまい連絡が取れなくなってしまったのですが。そういえばそのとき買った25ドルくらいしたワインはうちの地下の本棚に眠っています。〕

   で、ワイナリー巡りなど、モーリちゃんという未成年もいるし、ちょっと考えられない現在なのですが、 4月からけっこうワインは飲んでいます。でもいちばん安いのを。どういう理屈があるのかわからないけれど、ワインは生活費から出してもいいというモーリちゃんの裁定があったのです、4月に。あと料理用の日本酒は別として、ほかの酒、ビールとかジンとかはモーリちゃんの父が買っています(涙)。ワインならOKというのは、たぶんワインが安いから、というのがモーリちゃんの頭の中にあったからだと思うのですが。その、最初に買った安いワインはLuckyの1.99ドルのワインでした。証拠を出すか――

receipt 2008July07_LUCKY.jpg

7月のレシートだったんで、証拠になっとりませんでした。 でも一番下の "ALCO BEVERAGE" のところにふたつ並んでいるのがそれです。Fox Brook の赤ワインのカヴェルネ・ソヴィニョンとメルロー、1.99 +Tax。

   それとは別に、渡米時にいろいろたいへん感銘を受けた「TAEKO の OC へいこう!」の、そのなかの記事のひとつ<オレンジカウンティ生活・遊び・留学情報 「スーパーマーケット~トレーダージョーズ」> <http://www.design-penguin.com/OC/eat/market_tj.html> でトレジョの1.99ドルワイン(「おなじみの激安ワイン1本$1.99」)を知り、Trader Joe's へ行くたびに目を皿のようにして探していたのですが、なぜか5月になってから、棚じゃなくて棚のあいだに積みあげるかたちで Charles Shaw の 1.99ドルワインが並んでいるのを見たのでした(今でも不思議。4月にはなかったと思うのですけれど)。

   それ以来、同じエルセリート・プラザ内のラッキーとトレジョ(この呼び方好きなんす。長く言うとトレーダージョーかトレーダージョーズかで悩むし)でせっせこ買っています(最近ラッキーの売り場に移動があったような気がしますが、なくなることはないと信じています)。たまたま両者がうちで顔を合わせていたので、数日前にカリフォルニアの風にあたってみました。

FoxBrook&CharlesShaw.jpg

A Bottle of Cheap Wine and Another Bottle of Cheap Wine

FoxBrook&CharlewShaw_rear.jpg

  肩を並べたBattle of Cheap Wine の後姿

 

Charles Shaw  2006 California Merlot   Cellared & Bottled by Charles Shaw Winery, Sonoma, CA

        Contains Sulfites         750 ml    

Trader Joe's で$1.99 (プラス税)

 

Fox Brook  California Cabernet Sauvignon 2005   "Our Cabernet Sauvigon is rich and full-bodied with smooth tannins giving way to a lengthly finish.  This wine complements a variety of rich flavorful foods such as prime rib, wild game and grilled pork chops."  Cellared & Bottled by Fox Brook Winery, Sonoma, CA

        Contains Sulfites          750 ml

Lucky で$1.99 (プラス税)

 

   「Cabernet Sauvignon、Chardonnay、Merlot、Sauvignon Blancの4種類があります。」 というのがオレンジ・カウンティーのトレジョのチャールズ・ショーでしたが、同じものがフォックス・ブルックにあり、あと赤ワインのShiraz が両方にあります。さらにロゼなのか発泡系なのかわかりませんが、ピンクのがFox Brookのほうにはあります(いま目を閉じるとトレジョのほうにもあったような、ぴんくが・・・・・・)。

   いい勝負です。兄弟姉妹のようです。

   個人的な好みだと、 Fox Brook のメルローがいちばん飲みやすいかなあ。

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September 10 小林旭と歌うカウボーイ Kobayashi Akira and the Singing Cowboy [スザンナ周辺]

September 10, 2008 (Wednesday)

    おとといの「September 8 歌うカウボーイの「おおスザンナ」 (1936)  Oh, Susanna! (1936) by the Singing Cowboy」と題した記事で、「オートリーの初期の映画に『おおスザンナ Oh, Susanna』 (1936) があって、これがシンギング・カウボーイの一番だと話はたいへん気持ち悪いくらいに美しいわけですけど」と書きました。もうひとつ加えると、シンギング・カウボーイの携行する楽器がギターじゃなくてバンジョーだったら、すげー気持ち悪いくらいに美しいわけです。それでも、フォスターのミンストレルの「おおスザンナ」が換骨奪胎、白人化され、同時にカウボーイもスパニッシュ・メキシカンからアングロ・サクソン化されて、ギターを持った渡り鳥カウボーイのイメジに「おおスザンナ」が入り込んでいると夢想するのは楽しいことのような気もしなくもないような気がします。

  それから、 やはりおとといの記事で「シンギング・カウボーイ映画というのはウェスタンのミュージカル版という言い方もされるかもしれませんけど、それほど不自然に音楽がちりばめられていたり キャラクターが歌にあわせて踊りだす[・・・・・・]わけでもなく、わが小林旭のギターを抱いた渡り鳥シリーズの原型といった方がわか りやすいし近いのではないかと思います」と適当なことを調子に乗って書きました。歌うカウボーイはオトリーやロイ・ロジャーズだけではなくてたくさんいるし、そんなに観ているわけではないので、音楽の散らされ方について、断言はできません。小林旭についてはきっと誰かが書いているだろうな、と思って検索しました。次の、『西部劇私的博物館』のなかの「西部劇シネマ館」のなかの「大草原の渡り鳥(1960年・日活)」の記事は、たいへん共感するところ大きかったです。――

 渡り鳥シリーズは全部で8作(9作目に『渡り鳥故郷へ帰る』があるが、主人公の名前もキャラクターも、物語の基本構造すら前8作と異なっているので、私としてはシリーズとして認めていない)ありますが、『大草原の渡り鳥』はシリーズ最高傑作であり、西部劇に一番近い構造を持っています。それは、内容だけでなく、北海道を舞台とした環境与件の効果も大きかったと考えています。

 冒頭、主題歌の流れるタイトル画面で、主人公は馬にまたがり、鞍の後に幼い少年を乗せています。岩だらけの山の尾根を馬で行く『口笛の流れる港町』、広大な丘陵地帯を馬車が走る『大海原を行く渡り鳥』でも西部劇タッチはみられましたが、主人公の登場の仕方だけでなく、そのロングショットにみられる空間的スケールの拡がりは、北海道の広大な自然を背景とした効果であり、他の作品には見られないものでした。
   

 湖のほとりにあるアイヌ部落は、一見してインディアン居留地風であり、アイヌの古老が話す言葉はアイヌ語で、字幕が出る凝りようです。同じ時期の西部劇に、インディアン語の会話に英語の字幕が出る作品があったでしょうか? 先住民族に対する表現は、本場西部劇よりすすんでいたと思います。

〔中略〕
 
 渡り鳥シリーズは、西部劇のパロディというより、私はシンギング・カウボーイだと考えています。主人公の格好を見てください。肩にいっぱいフリルのついた皮ジャンパーや、首に巻いた赤いスカーフなんて、ロイ・ロジャースやジーン・オートリーの衣装です。ジョン・ウェインやクリント・イーストウッドは間違ったってこんな格好はしないでしょう。
 主題歌を歌いながら主人公が現れ、劇中でもギターを弾きながら2~3曲歌います。ヒロインや子どもが聴き惚れる。渡り鳥の場合、悪党連中も聴き惚れてましたが。
 この作品でもアキラ(小林旭)は、主題歌の他に「アキラのソーラン節」と「ピリカ、ピリカ」を歌っています。
 主人公は、どんな悪人であっても殺すことはありません。相手の拳銃をハジキ飛ばすか、利き腕を射ち抜くぐらいですね。渡り鳥では、アキラの代わりにジョーさん(宍戸錠)が悪党を射ち殺して、警察に行きます。この作品でも、自分が殺されかけた恨みをはらすため、逃げて行く高堂を呼びとめます。そして「丸腰の相手は射てねえ」と自分の拳銃を高堂に投げてやり、高堂が銃を拾うと、滝が自分の拳銃を政に投げ、それを受け取った政が高堂を倒します。西部劇ではお馴染みのボーダー・シフトというガンプレイで、アキラが投げた銃を、ワン・モーションで発射するジョーのガンさばきは見事でしたよ。

シンギング・カウボーイがキスする相手は愛馬だけなのと同じように、渡り鳥もヒロインに対してキスはおろか、手さえ握らずに別れるんですね。それもキザな言葉を残して……

この作品では、ヒロインの言葉が泣かせます。

順子「あの子(信夫)には何もおっしゃらないの」

滝 「言えばツライこともある」

順子「じゃあ、私にも何もおっしゃらないで。私、このままじっとしています。何かおっしゃられると、私、とってもツライ」

滝は、背中をむけている順子に、何も言わずに去っていくんですよ。

  私もノスタル爺さんのようなこういう文章を書きたい、気もします。

   このページは「小林旭+ジーン・オートリー」の検索で少数ヒットするなかに見つかったのですが、そのまえについ「小林旭+歌うカウボーイ」で検索して、いろいろ読む羽目になったモーリちゃんの父であり、そのこともさっき書こうとしたのですが、火狐が動かなくなって、消えてしまいました(涙)。いずれその小難しい西部劇論の話はどこかでまた(天命だと信じて・・・・・・また動作停止したらやめます)。

   あ、でもコメントなしでただ並べておきます(むつかしくないのを)。

短歌の花だより: 四国、よいとこ 233 高知市 旭さん、ルリ子さんの ...

(カウボーイのような帽子をかぶった長身の青年が、ギターと拳銃を持って馬で旅行しているという設定がすごい) ... 小林旭ののびやかに歌う「赤い夕陽よ…」が流れ、夕焼けに包まれた馬と小林旭の映像が涙が出るほどいいのです). 「赤い夕陽よ

ちあきの掲示板 02年02月

未発売モノが何曲かあって、そのうちの1曲「地底の歌」には、「美空ひばりのうたう 唄」「小林旭うたう唄」なんて ... その主演した映画の主題歌とヒット曲集の3枚目のジャケット写真は、これぞ日本のシンギング・カウボーイと呼ぶに相応しい。 ...

そして、ぜひ紹介したかったのが、今年で創業49年目を迎える札幌市西区のジャズ・バー Rondo の2代目マスターの映画コーナーの鎌田賛太郎の映画コーナー 第7回「永遠のガンマン大連合! これを聴かずに死ねるか!!」 2002/04/30開催です。マスターは次のような文章で、西部劇における音楽を紹介していきます。――

 19世紀、アメリカ西部のカウボーイたちは牛を追い、長い道のりを移動しながら生活した。夜になると牛を落ち着かせるかのように、あるいはキャンプファ イアを囲み、長い夜の退屈しのぎに歌ったものだ。従って開拓時代の西部は実に歌に溢れた世界であり、西部劇というジャンルは歌とかけ離れては成り立ち得な いものだといえるだろう。今日は西部劇の美しい音楽を聴いていただきたい。
 さて、西部劇といえばジョン・フォードに尽きるだろう。今日は何本か紹介したいが、まず騎兵隊3部作といわれる中の一本「リオ・グランデの砦」から聴い てみたい。もちろん主演はジョン・ウエイン、別居中の妻をモーリン・オハラが演じている。横暴なアパッチ族との戦いの中で、ウエインの息子が部隊に入隊し てくる。ウエインの見せる、父親と上官、両面の表情が何とも素晴らしい。歌のシーンが多く、しみじみとした気分が横溢するこの作品には、サンズ・オブ・パ イオニアーズという男性ボーカルグループが連隊歌手として登場している(メンバーの一人がフォードの娘婿だ)。上官に歌を捧げるシーンを聴いてみよう。
1「リオ・グランデの砦」(50年)歌サンズ・オブ・パイオニアーズ 音楽ヴィクター・ヤング

  カウボーイ自身と音楽の親密さはおとといの記事でもふれましたが、それと背景に音楽があるというはいちおう別なのでしょうけれど、マスターは、シンギング・カウボーイというのでなくて、西部劇映画のガンマンと音楽について語り、そのなかでプレスリーや小林旭もあげます――

 エルビス・プレスリーも「燃える平原児」という西部劇に出演している。監督は名手ドン・シーゲル。プレスリー演じるペイサーは牧場主とインディアンの間 に生まれた混血児で、白人とインディアンの戦いに巻き込まれ、どちらにつくべきか激しく揺れ動いていくことになる。原題の「FLAMING STAR」は、燃える星の意。インディアンの言い伝えで、人は死ぬときに激しく燃える星を見るらしい。「燃える星よ、どうか俺に輝かないでくれ」と歌うプ レスリーの主題歌、それに続く歌のシーンをみよう。それにしても、プレスリーはシャツの襟を立て、カウボーイ姿も実に様になっていた。
5「燃える平原児」(60年)歌エルビス・プレスリー

 日本のガンマンも一人紹介しよう。小林旭だ。60年代の日活の渡り鳥シリーズは、ギターをしょった旭演じる滝伸次が日本の各地を訪れ、土地や店を奪おう とする悪漢を倒し、純情な娘の慕情を断ち切って去って行く、というもので、宍戸錠との荒唐無稽な掛け合いも呼び物のひとつだった。渡り鳥シリーズは全部で 9作が作られ、5作目の「大草原の渡り鳥」で、ついに西部劇に到達する。舞台は北海道の釧路、摩周湖。旭が、母を捜す子供を連れ、馬に乗って登場する冒頭 からわくわくしよう。
 ところで、最近大滝詠一監修で旭のCDが4枚発売された。その名も「アキラ1」「アキラ2」「アキラ3」「アキラ4」。どれも傑作だゾ。
6「大草原の渡り鳥」(60年)歌 小林旭

    さて、映像ですけれども、日本語では見つからないページにいちばんきれいなのがありました。――


"Plains Wanderer Trailer (in Japanese)" (3:44) posted by JapanMovies

  "trailer" というのは予告編のことです。投稿者による英語の解説――

1960, 83 min., 35mm, color. Directed by Buichi Saito. With Akira Kobayashi, Ruriko Asaoka, Jo Shishido.

In the nine-part Wanderer series (1959-1962), Akira Kobayashi plays Taki, a man with the looks of a Western hero--from a horse to fringe, a guitar and even a trusty bullwhip--traveling on Japan's back roads. Taki involves himself in a fight alongside the Ainu (Japan's aborigines) against a developer who wants to turn their land into an airstrip. In addition to having the landowner's niece fall in love with him, Taki finds a rival then an ally in Masa (Shishido) as they exchange snappy banter and slick moves throughout the film. 

   次のは短い映像で、『赤い夕日の渡り鳥』 (1960) から、キザになりそこねたセリフ (0:38) ――

「渡り者なんか頼りにしちゃいけねえよ。俺よりほかにもっとまともな男がいるさ。
人に頼られて、それがいやでまた流れる。そこでまた人に頼られる。それが渡り鳥の悲しささ。」

そして、1959年発売の「ギターを持った渡り鳥」――

(3:45) posted by doramogera

 

    燃える男の赤いトラクター♪ というのは、愛馬のかわりなのでしょうね――

「♪燃える男の赤いトラクター♪」 (0:53) posted by gokurakurider

 

風に逆らう俺の気持ちを知っているのか、赤いトラクタ-
燃える男の赤いトラクター それがお前だぜ、いつも仲間だぜ
さあ行こう、さあ行こう
地平線に立つものは 俺たちふたりじゃないか

-----------------------

『西部劇私的博物館』 <http://www2u.biglobe.ne.jp/~kazu60/museum/index.htm> 〔「西部劇好きのノスタル爺が、折に触れて収集した西部劇に関する我楽多で~す」〕


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September 10 日々のジオの勉強 (1) Daily Geography (1) [小学校と銀行]

September 10, 2008 (Wednesday)

    実は9月になるまで知らなかったのですけれど、モーリちゃんの小学校は教科書は2種類しかなくて、マスとジオ。あとは詩とかはどうしてるんだと訊いたらプリント、ということでした。でもこの2冊がくそ重くて、宿題もたくさんあるので持って帰らねばならず、春は手提げバッグ(日本でパスコのリサイクルバッグをもらったのをもってきた)で済んでいたのが9月からバックパックで教科書やノートを背負っていきます。このあいだ学校が終わった時間に小学校の男子がカートを引いているのを道で見かけたので、あとでモーリちゃんたちに話したら、「そうだよ、ふつうだよ。重たいからだよ」といわれました。そうなのかぁ↗? 

  で、先週から週末以外は毎日の宿題を、一緒に考える(説明する)羽目にやっぱりなっているのですが、問題がよくわからないことがあります。どう答えればよいのか首をねじる、いやひねるみたいな。

  で、昨日見て、ああわからん、明日しよう、ということになったのが "Which states of the United States border the largest ocean?  How do people in those states use the ocean?" という地理の問題でした。

  「合衆国〔アメリカとは言っておらんですが、それは問題ではないです〕のどの州が最大の大洋と接していますか?  その州の人々は大洋をどのように利用していますか?」

  太平洋に接するのはわがカリフォルニアと北のオレゴン、ワシントン諸州。そしてアラスカと、ひっかけでハワイ州なのだろうと思いますが、どう使用って、どうよ。どうしよう。重たい Reflections: The United States: Making a New Nation (2007)  という副題が二重にある教科書(500ページ以上ある)を頭からみても、索引からみても、みつかりません。考えろっていうことかな、そういうものなのかなあ、と疑心暗鬼的モリちゃんの父。漁業とか交通とか娯楽とかかな。

ここでまたcheat の欲求がムラムラと腹立ちまぎれに湧いてきて、問題文の後半"How do people in those states use the ocean?" をそのまま打ち込んで検索してみました。クリーンヒット1本。―― 

  
Answer:
Pacific: Alaska, Hawaii, California, Washington and Oregon.

Fishing, a source of recreational waters, a recepient [sic] of waste streams from industry and municipalities.

質問者も回答者も名前も時間も書いてありません。「漁業、リクリエーションの水源、産業や自治体からの汚水の受け皿。」 ひ、ひにくかよ。なんかrecipient のつづりも間違ってるし、ヘンだな。

  質問者の質問はこのようです。――

Help! Please!?

Which states of the United States borders the largest ocean? How do people in those states use the ocean? Please people be serious, I do not want silly answers. Thank You!

  問いに続けて、「みなさん、どうかまじめにお願いします、おバカな答えはほしくないです。サンキュー!」と書かれています。5年生なのだろうなあ。

  しかし、このFunQA.com というページ、曖昧な名前ですが、どのようなものなのか。Home
に行ってもわからないのでした(というか行けないような)。あるいは、"Chemistry, Environment & Ecology, Engineering, Economics, Psychology Q&A" というのがまじなレッテルであり、この質問と問いも "Environment & Ecology" のハンチューで考えられているということでしょうか。皮肉でもなんでもなくて、まじめな答えなのでしょうか。まじっすか。そこから環境・汚染問題を考えるみたいな。え゛ーーーっ。

  よくわからなかったのですが、とりあえず、自分たちで考えた、交通、運輸、娯楽、スポーツ、あと漁業ももちろん入れて、ついでに河川等からの海への汚水の流入のことも書きました(コピペじゃないっすよ)。

  しかし・・・・・・この質問者はマジメにお願いします、と書いているのだから、このページはまじめなQ&Aも当然ありうるページということになりますよね。それともそういうふうに書いておバカな答えを誘っているウソ5年生ないしホント5年生なのでしょうか。

  他のQ&Aを見ると、ぜんぜん子供相談室というのでもなくて、おとなの質問が(質問自体わけわからないのも)けっこうあります。回答は・・・・・・けっこうまじめな気がします、たとえば、28歳の黒人の女の人が、43歳のヒッピー風のなりをした白人の彼氏がいるのだけれど、そういうふたりが街をデートしているのを見たらどう思うかとかなんとかいう質問 "What do you think about interracial dating?" とか、16もAnswer があるのですけど、おおむねまじめというかsympathetic。

    とすると、ほんとに5年生が質問しているなら(そしてある程度そういう問いだとわかっているなら(わかるかしら))、イタイケな子供をからかうようなことはしないでしょうから、まじめな回答なんですかね。そうすると、この不完全な答えをモーリちゃんの父が改善するべく回答を書き込むという暴挙にでるべきなのでしょうか(笑)


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September 11 カエル女王の帰還 Return of the Frog Queen (1996) [歌・詩]

September 11, 2008 (Thursday)

    カエルの女王はどこに。

ThePrincessandtheFrog,1894_byWilliamRobertSymonds.jpg

 The Princess and the Frog (1894) William Robert Symonds

     アメリカのSunny Day Real Estate (シアトルのemo イーモウ のはしり)のリードボーカルだったJeremy Enigk (1974 - ; official HP; mySpace) が1度目のバンド解散後の1996年に発表したソロのアルバム Return of the Frog Queen 〔昔の写真を見るならここにリンクしているArtist Jeremy Enigk 〕から、2曲目の表題曲 "Return of the Frog Queen" に、アメリカの "pfinarffle" さんが映像をつけたものを、レインのカエル祭の映像のかわりといってはなんですが(なんですな)――

    "Return of the Frog Queen" words and music by Jeremy Enigk.

Turn round hi hey
i've heard rumors
turn round again
tongue-tied alarm me
i've shined a smile to
and every time you cry i'll cry for you
then all these fields will turn into mud
and every time you smile i'll smile for you
in my dreams it goes this dubious day
waiting a year hereafter. 

 参照 "Jeremy Enigk - Return Of The Frog Queen Lyrics," lyrics.time


"Return of the Frog Queen" by Jeremy Enigk music video

(3:33) posted by pfinarffle on May 6, 2007.

    pfinarffle さん(Jeremy Enigk の映像をいろいろと貼ってらっしゃります)のメッセージ――

Eleven years too late, an animated music video I created using Array for Mac. 'Tis set to the tune of "Return of the Frog Queen" by Jeremy Enigk. (Sorry for the weird blurriness. Had to compress the original file greatly.) Enjoy!


      flow2.gif


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September 11 イイニク Enigk [名前 names]

September 11,  2008 (Thursday)

    前の記事はやっぱりタイトルを「カエル女王帰る」に変えるべきかどうか悩みながらも、朝に空き缶のリサイクルに行った帰りにラッキーでいい肉(というか安い肉)を買ったので、まあいいか、という気持ちになっていますがみなさんお元気ですか(とまたでだしを変える試み)。

  Jeremy Enigk という名前の発音はどうなんだろう、ジェレミー・エニックとあちこちで書かれているけれど、たぶんジェレミー・イーニックだろうなあ、とは思いましたが自信はなかったので、あえて書きませんでした。スラブ系か、ドイツ系か、ノアのひいじいさんのEnoch と関係があるのかしら、とは思いましたが(これは、彼がキリスト教信仰に惹かれてそれが原因でバンドが解散みたいな話が先入観的に入っていたせいもあります)。前にLeslie の発音(「July 15 ユニセックスな名前と発音の微妙な問題 Pronouncing Leslie, a unisex name」)で見た、VOAのpronunciation guideにはなく、 Pronounce Names: The Dictionary of Name Pronunciationにもなく、Leslie Hope があったFORVO にもなく、しかし、Leslieがなかった inoglo にはあったのでした。

Name: Enigk

Phonetic Pronunciation: EE-nik
Audio Pronunciation:  (link)
Tags: difficult names  

   イイニク。「だんな (Sir.) 、いい肉ありますよ」と今朝言われたような(幻聴か)。
  
   ついでに検索をしたら、CultureCartel.com というところのMusic のarticle (いや、日本語にしてもいいのですけどw)で、2006年9月5日の Dainon Moody という人の "Bumbershoot 2006, Day 2: Sealing Time in a Bottle: A Review" という記事の中につぎのような記述がありました。――
Remember Sunny Day Real Estate? Where was I when they were around? Are they still? The girlfriend with me let on that Jeremy Enigk(that's pronounced Enoch, just like they did in Biblical times of yore) was "pretty much the father of Emo". I'm not certain what that meant, but it translated to most of the people gathered to stand and take attention on songs like "Been Here Before" and "Carnival". This was clearly about respect. Having no real knowledge of him or his songs or even his former mortgage company – er, band – it was time to rest. And there's definitely something to be said for enjoying music you're totally unfamiliar with. It becomes fairly exciting background noise while you treat the grass like a mattress and make shapes out of clouds all the while. Highly recommended.  (my underline)
    Enoch と同じ発音か。発音か?  NoahのひいじいさんのEnoch は日本語表記だと「エノク」ですけど、英語だとイーノックです。まあ、"o" でも "i" でもあいまい母音で、アのようなオのようなイのような(ただし英語の/I/ [Enoch のE はi: で日本語の口を横にしてイーだ、というイーですが、English のE]はそもそもイとエの中間ですが)エのようなあのような音なのでしょうけど。
    やっぱキリスト教圏(ユダヤ教という可能性もあるが)で、旧約聖書に由来する名前なのね。
   カタカナ表記としてはイーニックになるのかな。
--------------------------------------------------
reference URLs:
「イイニク」 Enigk_2226.mp3 (audio/mpegオブジェクト) <http://inogolo.com/audio/Enigk_2226.mp3>
inogolo: Enlgish Pronunciation Guide to the Names of People, Places, and Stuff <http://inogolo.com/>
Pronouncing Names: The Dictionary of Name Pronunciation <http://www.pronouncenames.com/>
  

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September 11 サニー・デイ・リアル・エステイトとジェレミー・イーニック Sunny Day Real Estate and Jeremy Enigk [歌・詩]

September 11, 2008 (Thursday)

   ジェレミー・イイニクでもいいんですけれどー。 いい肉の日になってしまいそうなので。

  ジェレミー・イーニックについて日本語で書いてあるページを探していたら、懐かしい新宿のディスクユニオン(の中古センター)がブログをもっていて、その2006年5月5日の「SUNNY DAY REAL ESTATE その1【USインディー/EMO/グランジ】」、続く6日の「SUNNY DAY REAL ESTATE その2【USインディー/EMO/グランジ】」で文責FHさんが適度な分析と詳しい知識と、そして対象への愛のある、とてもくわしい歴史を書いています。やはり、どういう世界であれ、好んでその中にいると自ずからクリティカルなまなざしは知識とともに出てくるのであって、逆にクリティカルな目をもってよそからやってきて批評ぶるのとはちがって、とても好感がもてます。『西部劇私的博物館』のノスタル爺さんもそうですけど。愛がなくちゃね。

  で、全文引用したいところですが(それは引用とは呼ばん)、アルバム・ジャケットをちりばめた原ブログにあたっていただくことにして、とりあえず、情報的な部分だけ――

サニー・デイ・リアル・エステイトは、ダン・ホーナーネイト・メンデルウィリアム・ゴールドスミスの3人によってシアトルにて結成され、そこにVo:ジェレミー・エニックが加わる形で、92年に結成。

サブポップより94年にアルバム・デビューを果たす。[・・・・・・]

SUNNY DAY REAL ESTATE “DIARY”【日本盤は廃盤。。】

静と動を使い分け、時に激しさを増すサウンド。
で、「シアトル」、「SUB POP」って続けば、ほぼ間違いなくグランジって思われるでしょうし、実際その影響も大きいのだけど、既に独自の世界観を確立している。
アルバム通して傑作。#3“SONG ABOUT AN ANGEL”名曲。[・・・・・・]

SUNNY DAY REAL ESTATE “SUNNY DAY REAL ESTATE”【日本盤は廃盤。。】
ファンの間では、LP2、もしくは“ピンク・アルバム”と呼ばれている。

本作発表時既にこのバンドは無かった。

アルバム完成直後のライヴの最後に突如解散、そして実際に発売されたのは半年近く経ってから。休止ではなく、解散。
理由は本人たちの予想を越えたあまりの人気の高さにジェレミー・エニックが困惑し、キリスト教信仰に強くのめり込み、それに他の3人のメンバーが翻弄されたことにあったと言われている。はっきりした理由は当然判らない。ジェレミーはデビュー当初からあまりインタビューを受けないことで知られ、それがまた神秘的な存在にしている一因だったから。
勿論、彼らの奏でる音がそうした思いに拍車をかける。


2nd発表時ネイトウィルフー・ファイターズへ加入。
SUNNY DAY REAL ESTATEが有名なのは、これがデカイようですよね。。

ダンは郊外の牧場に引っ込んで半ば隠循。


ジェレミーはソロ活動に入り、96年に「Return Of The Frog Queen」をこれまたSUB POPよりリリース。
21人編成のオーケストラを従えて。
JE.jpg
Jeremy Enigk “Return of the Frog Queen”【輸入盤のみ。。】


短い活動期間だったにもかかわらず、バンドを惜しむ声は多く、一部のファンの間では伝説的な存在にすらなっていたが、やがてウィルフー・ファイターズ脱退を機に、かつてのバンドメイト達は再接近、最終的にフー・ファイターズに残ったネイト以外のメンバーによって作り上げられた。
因みにその時みんなにもう一度SDREをやろうと連絡を取り、音頭を取ったのはジェレミーだったという。

再起を賭けた3rd“How It Feels To Be Something On”はジェレミーの才能が大きく飛翔した凄まじい作品となった。これはどうしたって、「神秘的」とか「美しい」と形容しちゃうしかない。ジェレミー・エニックのエモーショナルなファルセット・ヴォイス、どこか異国風でエキセントリックな研ぎ澄まされた静謐なギターサウンドがどこまでも深く突き刺さる。

しかし、最も暗く、陰鬱な本作は人によっては全く受けつけないのでは。

彼岸の音。アチラ側に行ってしまっている本作は、ある意味において選ばれた人間がある心理状態のとき、つまり一生のうちの一時期にしか創り出せない類のものじゃないかとか思う。[・・・・・・] 〔「SUNNY DAY REAL ESTATE その1【USインディー/EMO/グランジ】」

 

   In the Blue という "An Unofficial Sunny Day Real Estate Fan Site" の「歴史」のページ、"In the Blue - Sunny Day Real Estate fan site - History" で姑息に確認すると、かいつまんでいうと以下のような初期の話です。Dan Hoerner (1969年5月13日生)、Nate Mendel (1968年12月2日生)が1992年に同居してDan がギターを、Nate がベースを弾いてDanが歌も歌っていたのだが、ある夜クラブで演奏していたバンドのドラマーの William Goldsmith (1972年7月4日生) に目がとまり、誘ってEmpty Set を結成、ゴールドスミスがいたバンドのボーカルだったGreg Williamson も "sound tech and manager" として加わった。デモテープをつくったところで "Empty Set" の名前は既に他のバンドに使われていることがわかり、Chewbacca Kaboom に名称変更、さらにデモテープをつくるけれど注目されず。One Day I Stopped Breathing に変更。さらにSunny Day Real Estate に変更。1993年に自費制作でシングル発表。Nate はChrist on a Crutch というバンドのヨーロッパツアーに参加し、そのおりにハイスクール時代にいくつかのバンドで共演したことがあった Jeremy Enigk (1974年7月16日生) と再会、旧交をあたためます。Nateは帰国後にみんなで膝をつきあわせて(かどうかはわからんが)、これからどうするかを相談します。これまでのように Dan のボーカルできっちり3人編成で行くか、新たなボーカル& ギターとして Jeremy を入れるか。Jeremy と一緒に何度かセッションをやって、疑念と不安は払拭されます。

  というところぐらいにして、さて、次のようなのはどこからやってくる日本語でどこからやってくる情報なのかと疑問が起こったのでした。

ジェレミー・エニック【じぇれみー・えにっく】

2007/04/27 00:00更新

概要

別名:Jeremy Enigk 所属:人名 / エンタメ>音楽
概要:アーティスト

イザ語オフィシャル解説

サニー・デイ・リアル・エステイトの創立者でフロントマンのジェレミー・エニックがバンドの絶頂期に脱退すると、多くのファンは落胆した。それは丁度バンドがメインストリームに食い込みはじめている時期だった。音楽業界から離れてしばらく内省した後、エニックは96年にソロ・アルバム『ザ・リターン・オブ・ザ・フロッグ・クィーン』で復活。以前のギター・サウンドと胸を刺すような歌を放棄、新しくストリングスをアレンジして内向的かつ想像性豊かな物語を作り上げる。それはルネッサンス復興愛好家からエモ系、目の肥えたゴスまでがうっとりするような内容だった。エニックはその後、サニー・デイ・リアル・エステイトに戻るが、多くのファンにとってこのアルバムが頂点だったと言える。
解説提供:音楽ダウンロード・配信サイト ListenJapan

Jeremy Enigk

(じぇれみー・えにっく) [ジェレミー・エニック]
サニー・デイ・リアル・エステイトの創立者でフロントマンのジェレミー・エニックがバン ドの絶頂期に脱退すると、多くのファンは落胆した。それは丁度バンドがメインストリームに食い込みはじめている時期だった。音楽業界から離れてしばらく内省した後、エニックは96年にソロ・アルバム『ザ・リターン・オブ・ザ・フロッグ・クィーン』で復活。以前のギター・サウンドと胸を刺すような歌を放棄、 新しくストリングスをアレンジして内向的かつ想像性豊かな物語を作り上げる。それはルネッサンス復興愛好家からエモ系、目の肥えたゴスまでがうっとりするような内容だった。エニックはその後、サニー・デイ・リアル・エステイトに戻るが、多くのファンにとってこのアルバムが頂点だったと言える。
Jeremy Enigkのオフィシャルサイト:http://hubcap.clemson.edu/~bpmccal/hollow.html

音楽最新作品 (音楽ダウンロードタイトル一覧)
作品名 試聴曲数価格購入贈るリリース
ジャケット写真Return Of The Frog Queen   試聴聴く 9曲 単曲販売 詳細 詳細 2006/08/08
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このアーティストで何か問題があればこちらまでご連絡ください

 "Abegail Ann" (3:04)
No time to see where you went Abegail
Moving throughout dallow water to spill
There crash a wave torn apart on its sail
Hope I will see the end one maybe will
Open eyes to see it all
I've known you at six feet tall
No time to see where you'll drift Abegail.
--------------------------------------------------------------------

 


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September 7 ニューヨークタイムズ日曜版 The New York Times, Sunday Edition [本・読み物 reading books]

September 07 (2008), Sunday

    日曜日の朝、廊下でボトンと音がしたというのでモーリちゃんの母が出て行って戻ってくると、「なんか置いてある」と言った。それで、8月末に、つい調子に乗って『ニューヨーク・タイムズ』の日曜版にネットから subscribe したことを思い出したモーリちゃんの父であった。購入すると電子化された過去の記事のArchive を全部見られるそうで。あと Book Review もあるし。

  それで、もう一度廊下に置いて記念写真を撮りました。やることが子供であります。

NewYorkTimes_Sunday.jpg

  はかりがないのでわかりませんが、1ポンドはあると思います。・・・・・・なんかお祝いとかコンペ景品とかで、「誕生日や創立記念日etc…記念日のニューヨークタイムズを一冊の本に」というのがあるのですね(日本で)。「【送料無料】【コンペ景品】メモリアル ニューヨークタイムズ暮らしのイベント館~暮らしの中にあるお祝い琴や行事などに~」 「記念品の123トロフィー メモリアルニューヨークタイムズ278K-1 - Yahoo!ショッピング」 「メモリアル ニューヨークタイムズ 贈り物探検隊」 「ニューヨーク・タイムズ急上昇キーワード」〔このページはヘンなリンクがあっておもしろい〕。日曜版はどないなるんやろ。・・・・・・結局日曜版の重さはわかりませんでした。どうでもいいですね。

 

---------------------------------------

"The New York Times" Wikipedia <https://secure.wikimedia.org/wikipedia/en/wiki/New_York_Times>

ニューヨーク・タイムズ ウィキペディア

The New York Times - Breaking News, World News & Multimedia WEB版Home Page <http://nytimes.com/

 

以下はラインダンス〔Cf. 「August 29 ラインダンスとフォークダンス (2)  Line Dances and Folk (2) [スザンナ周辺]」〕がらみのメモ的に(いずれご報告します)――

"The Sweat-Soaked Life of a Glamorous Rockette" <http://www.nytimes.com/2005/11/20/arts/dance/20domi.html?_r=1&scp=1&sq=rockettes&st=cse&oref=slogin> 〔November 20, 2005〕

"THE DANCE: IN MOTION PICTURE THEATRES; Adapting the Classical Ballet to Suit the Program Needs of Speed and Action Origin of the Form. Adapting the Old Ballet. Starting With Raw Material. Virtuosity Finds Favor" <http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F70B1EFF395E1B728DDDAB0994D0405B888EF1D3&scp=1&sq=%22line%20dancers%20are%20numbered%22&st=cse> 〔August 12, 1928 ⇒ OED の"line dancer" の初例〕

"THE DANCE: ART FORMS INVADE THE REVUE; Welcomed After Adagio and Acrobatic Vogue--Many Concert Programs Praise and Blame. Two Diverse Designs of Dance." <http://select.nytimes.com/gst/abstract.html?res=F10F14F6355A147A93C0A8178AD85F448385F9&scp=2&sq=Mr.Tiller%20of%20Manchester&st=cse> 〔January 12, 1930 ⇒ OED の"line dancing" の初例〕

 


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September 13 べニスの少年  A Boy in Venice [本・読み物 reading books]

September 13, 2008 (Saturday)

    8月に、アメリカからパリに渡った3人のユダヤ系女性のことを書いた

August 22 ハリエットとアリスとガートルード――昔のサンフランシスコのユダヤ人の少女時代 (2)、またはパリのアメリカ娘たち Harriet, Alice, and Gertrude: A Jewish Girlhood in Old San Francisco (2); or, American Girls in Paris 

という記事にアリス・B・トクラスとガートルード・スタインの1908年の写真を1枚はさみました。サンフランシスコのオファレル通りに住んでいたアリス・B・トクラスとハリエット・レイン・レヴィのふたりが1907年9月にパリにやってきて1年後の夏、イタリアの避暑地フィエーゾレではアリスとハリエットがふたりで宿泊し、ガートルードはスタイン家の人たちと一緒の別荘に泊まるのですが、そのあとヴェニスに立ち寄って、サン・マルコ寺院(大聖堂)で、ガートルード・スタインは、アリスとのツーショット写真を撮(らせ)る、その1枚です。

Stein&Alice_1908_1014880.jpg

   スタインはハトを2羽ももっちゃってますが、固まったような二人の背後を、対照的に、動的に流れるようにこちらを見ながら過ぎて行くように見える美少女がいます。 「魔法の輪」のようにハトさんたちがスタインとアリスを囲んでいる中に侵入して、ふたりの永遠の瞬間に参入するこども。手にしているのはやはりハトなのでしょうか。

  と思ったら、その次の写真があって、モーリちゃんの父は愕然としたのでした。

Stein&Alice_1908_Venice.jpg

 

   実はこの美少年がポーランド人のタッジョで、数年後にトマス・マンの『ヴェニスに死す』に登場することになります*(うそです。うそですが偶然に真実でないという証拠もない(微笑))。


"Mahler Adagietto / Björn Andrésen (Death in Venice - 1971)" (5:50) posted by "MahaKrisna" on August 9, 2007

 


"Death in Venice" (4:13) posted by AssimQuePuderes on May 22, 2007 〔ヴィスコンティの映画のラストシーン〕

 

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 *ギルバート・アデア (清水眞理子 訳) 「真実のタジョ――『ヴェニスに死す』を生んだ少年――」 <http://www.geocities.jp/sstst716/translation/the-real-tadzio.html>

 
                        
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September 12 ジェレミー・イーニックの解説文章で英語の勉強をしてみる Jeremy Enigk [メモ personal notes]

September 12, 2008 (Friday)

以下はなかば私的なメモです。

September 11 サニー・デイ・リアル・エステイトとジェレミー・イーニック Sunny Day Real Estate and Jeremy Enigk

のつづき。

  サニー・デイ・リアル・エステイトとジェレミー・イーニックについての話で、 『カエル女王カエル』というアルバムに関してイーニックの解説文章の日本語への違和感という話です。で、英語を適当に(だって抜けてるし)訳しているらしいことがわかりました。

When Sunny Day Real Estate founder and front man Jeremy Enigk left the band at the apparent peak of their power, many fans were inconsolable.  Their shadow had just begun to cross the threshold of mainstream acceptance.  After taking a brief soul-searching hiatus from recording, Enigk returned in 1996 with a brilliant solo album, The Return of the Frog Queen.  On this outing, Enigk traded in sonic cavalcades of guitar for string arrangements and swapped heart-impaling confessional psalms for brooding, imaginative fables.  The album offers a sumptuous repast of orchestral rock and Lewis Caroll-inspired lyrics at which Renaissance Fair enthuasists, Emoids, and discriminating Goths may dine with equal delight.  Though Enigk would subsequently return to the Sunny Day Real Estate fold, for many fans, this will remain his most impressive showing.
                                                                         - Chad Driscoll

サニー・デイ・リアル・エステイトの創立者でフロントマンのジェレミー・エニックがバン ドの絶頂期に脱退すると、多くのファンは落胆した。それは丁度バンドがメインストリームに食い込みはじめている時期だった。音楽業界から離れてしばらく内省した後、エニックは96年にソロ・アルバム『ザ・リターン・オブ・ザ・フロッグ・クィーン』で復活。以前のギター・サウンドと胸を刺すような歌を放棄、 新しくストリングスをアレンジして内向的かつ想像性豊かな物語を作り上げる。それはルネッサンス復興愛好家からエモ系、目の肥えたゴスまでがうっとりする ような内容だった。エニックはその後、サニー・デイ・リアル・エステイトに戻るが、多くのファンにとってこのアルバムが頂点だったと言える。

サニー・デイ・リアル・エステイトというバンドの結成とイーニックの参加の経緯は前に触れました。"front man" というのは、古い日本語でいうと「表看板」ですが、バンドのリードプレーヤー、ふつうはリードボーカルのことです。 "apparent" という形容詞を訳は落としてますが、バンドの精力(古っw)の頂点と「思われた」ということです、この言葉は、のちにバンドが再結成されて新たなパワーを出すことと関係しているでしょう。"inconsolable" というラテン系のむつかしげな単語は文字どおりには「慰めることができない」ということですが、慰めようのない悲しみに沈んだ、打ちひしがれた、ということです。"cross the threshold" は「敷居をまたぐ」の意味ですけれど、メインストリームの玄関口からなかに入ることを許されるところだった、というようななかば比喩的な意味で使われているのだと思います。その次の文の "hiatus" は「休み」「休暇」です。レコーディングから短い休みをとって自分探し、いや魂探しの旅に出て、1996年にすばらしいソロ・アルバム『カエル女王の帰還』をさげて戻ってきた。 "On this outing"の "outing" は "hiatus"とイメジはつながっていて、「そと出, 遠足, 外出」の意味なのか、それとも不在状態からこちらへの「登場, 出ること」なのか、はっきりしません(英語の文章は、構文レヴェルでなくて語彙レヴェルだと、むつかしい抽象的なことばでわかりにくい場合と、やさしい曖昧なことばでわかりにくい場合とありますが、このチャド・ドリスコールという人の文章は両者をまぜあわせたわかりにくさがありますね)。「このときに」と書いてくれたらよいし、いっそのことそれもなくても意味は同じなのに。"Enigk traded in" の "trade in" は「下取りしてもらう」「(引き換えに)手放す」の意のちょっとイロのあるイディオム。でも、次の動詞の "swapped" の swap とまあ同じで、両方とも exchange ということです。"sonic cavalcade" は検索で30件ぐらいヒットするような、あ、複数形の "sonic cavalcades" だと3件しかヒットしないような、気取っておしゃれなフレーズ(「音の騎馬行進」)。こんなのは訳す必要はないと思いますが、それにしてもギター・サウンドそのものは放棄してないと思うのだが。「胸を刺すような歌」の元の英語の "heart-impaling confessional psalms" から落ちている "confessional" 「告白的」、というのはいわゆるEmo の私小説的というか個人的な詩の世界と関係する形容詞です。それにしてもなんd "psalms" 「聖歌」 なのかわからんす。songs でいいじゃんか。で、それが捨てられて代わって出てきたのは "brooding, imaginative fables" だと書いています。fable は「寓話」です。"brooding" はあいまいですが、「思いに沈む」ぐらいの意味でしょうか。「沈思黙考的」かな。物思いに沈む、想像力にみちた寓話かな。ここで "imaginative"は"confessional" と対照的なものです、もちろん。私的な告白詩から想像力による寓話へ転換があったということです。

  そのつぎの文が、問題の「ルネサンス・フェア」を含んでいるのみならず、「ゴス」まで入っちゃっている部分です。

  ちなみに、今日のソネットの横断ビンゴは 「So-net テキスト翻訳」のページを見せられることになり、ふと気がつくと次の日本語があらわれていました。――

サニーDay Real Estate創設者と表看板ジェレミーEnigkが彼らの力の見た目のピークにバンドを去ったとき、多くのファンは悲しみに沈んでいました。彼らの影は、ちょうど今主流受理の出発点を横切り始めました。レコーディングから短い自己分析中断をとった後に、Enigkは素晴らしいソロアルバム(Frog女王のReturn)とともに、1996年に帰りました。この遠出に関して、Enigkはストリング準備のためにギターの音の行列を下取りに出して、心臓を突き刺している告白の聖歌を気味の悪い、想像力に富んだ寓話に換えました。アルバムは、オーケストラ岩の高価な食事とルネッサンスFair enthuasists、Emoidsと識別するためのGothsが等しい喜びと食事をするかもしれないルイスキャロルの感化を受けた歌詞を提供します。EnigkがサニーDay Real Estate折り目にその後戻るけれども、多くのファンにとって、これは彼の最も印象的な展示のままです。-チャドドリスコール

  「オーケストラ岩」はねーよな(プッ)というような誤りはありますが、作為的じゃないからcheat がなくて問題の所在がわかるところが機械翻訳の利点ですか(?)。 あと、誤字がわかるし・・・・・・enthuasists じゃなくて enthusiasts ですね。もいっちょいってみよー。――はい。この語を含むセンテンスは、「アルバムは、オーケストラ岩の高価な食事とルネッサンスFair狂、Emoidsと識別するためのGothsが等しい喜びと食事をするかもしれないルイスキャロルの感化を受けた歌詞を提供します。」に変わりました。

   えーと、「オーケストラ岩の高価な食事と」じゃなくて、「ロック・オーケストラ(的な音楽)とルイス・キャロルにインスピレーションを与えられた歌詞という贅沢なごちそう」ですね。で、そのゴチに対して、ルネサンス・フェア大好き人間も、Emoids (「エモやんたち」と訳したい欲求に駆られますが、この、やぱーり今の英和辞典には載っていない語を、前に参照したことのあるUrban Dictionary の記述を借りると、 "A person or persons that stereotypically fall into the category of being a emo kid" となります。が、"emo" はなんや、ということで、見ると、この辞書は執筆者複数の場合は併記なのね。Wikipedia より民主的ということになるのかしら(ウィキペディアの "Emo"; 「エモ」)もゴス信奉者も等しく喜びを味わう、という、そういう豊かなオイシイものができました、という主旨です。

   "oid" というのはギリシア語の eidos に由来する言葉(接尾辞)ですから 「・・・の形をもっている、・・・状」のというような意味です。Vocaloid の鏡音レンとリンとか。この eidos という言葉がよくわからんのは、『広辞苑』の文章を引くなら、「形相」とは「①かたち。すがた。ぎょうそう ②〔哲〕(idea; eidos (ギリシア)・form (イギリス)) 質料に一定の形を与えて、一個の現実的存在者として成立させる構成原理。これを、プラトンは事物から超越する原理とし、アリストテレスは事物に内在する原理とした。以後現代に至るまで哲学の基本概念の一。⇔質料。」となります。これは若い頃のモーリちゃんの父にはまったくもって不可解な話で、だって、idea があって、 form があるはずなのに、なんでidea と form が一緒なんだよ、という疑問。ま、いまもよくわかってはおらんですが(頭でわかっても感情がウンと言わないw)。

  でもまあ、ぶっちゃけ、英語の接尾辞の使い方としてはもっぱら非哲学的な意味のform ですね、物質的な、つまり形が似ているみたいなぐらいな。そして、よくわからんけど、なんで "emo" に "emoid" という(ちょっとヤユ的な)言葉があるかというと、 emotion というのは内的なものだけれど、それに流行的に乗っかるみたいな感じなのかなあと。ま、型ですね。

   そのつぎのGoths は、"Renaissance Fair enthuasists, Emoids, and discriminating Goths" と3者が並んでいる中で、唯一形容詞をあたえられています。そこがあやしい。「目の肥えたゴス」って、肥えたゴスロリ娘はいるでしょうけど、どういうことでしょう。よくわかりませんけれど、あるいは次のような可能性が考えられます。ひとつは、もともとSDRE のボーカルはゴス的な唸るような低音で歌うDan Hoerner であったこと。もうひとつはゴスのファンは必ずしも "discriminating" ではないが、そのなかで「聴く耳のある」というやや揶揄的・批判的な限定の形容詞(だって、そうでなければ、Goths はみなdiscriminating というワザトラシイ形容になってしまう)。

   最後のセンテンス。Though Enigk would subsequently return to the Sunny Day Real Estate fold, for many fans, this will remain his most impressive showing. would は過去未来。「のちに戻ってくることになる」  だけど、多くのファンにとって、このアルバムがイーニックの最も印象的な "showing" でありつづけるだろう、と〆ています。 "showing" というのも "outing" と同じくことばは優しいのに意味がよくわからないことば。ただ「作品」と言ってくれてもいいと思うのですが。内的なものを示すという含みなのでしょうか。イーニックの人と世界を示す印象的な作品として残るだろう、みたいなのが意訳かなあ。

   ああ、むつかしかった。

   ルネサンス・フェアというのはイタリア・ルネサンスじゃなくて英国のエリザベス朝ルネサンスの、ということはエリザベス女王(一世)の時代のイギリスの風習や衣装を再現して遊ぶおまつり(常設のものもあります)ですが、しばしばユル~く中世まで入れてしまうようです。いっぽうゴスのもとのゴシックが中世のものであると同時に18世紀から19世紀にかけてのゴシック・リヴァイヴァルともかかわっていることを考えると、アメリカの精神史の前史にたぶん深くかかわっていると思われ、ちょっとマジで考えてみたいと思っているモーリちゃんの父でした。


2008年10月17日追記 以下の記事でルネサンス・フェアについて書きました(書いています)――

September 24 ルネサンス・フェアをめぐって (上)  Renaissance Fair (1) 

September 30 ルネサンス・フェアをめぐって (中)  Renaissance Fair (2)

October9 メリーマウントのメイポール(五月柱)――ルネサンス・フェアをめぐって (中の続き)  Renaissance Fair (3)

 

 


 

 


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September 14  第34回ソラノ祭 The 34th Solano Stroll (Salano Avenue Stroll) [Berkeley]

September 14, 2008 (Sunday)

   いま日曜日の昼下がりの常時接続です(ずるり)。

  朝からソラノ通りのお祭りに行って、帰ってきてからまったりひさしぶりに画像アップロードをしていたのですが、モーリちゃんがあと8分で替わってー、と言ってきたので、とりあえず、アップロード分のご案内。個人的にはメキシカン・カウボーイとセーラームーンとブラジルサンバが気に入ったのですが、最後のはまだアップロードできてません。

  ―― 「2008 Solano Stroll ソラノ・ストロール: So-net Photo

本日6時までやっていま~す。

昼前から暑くなりました。
ノンアルコールなので、早々に帰ってきて自宅で安いビールを飲んでいいます。

あ、古本屋のペガサスで無料でいろいろカレンダーとかくれますよー。


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Steptember 12-13 ピナクル Pinochle [モノ goods]

September 12-13, 2008 (Friday-Saturday)

    小学校の算数で、ナンバーカードとかが出てくるせいかわからないのですけれど、モーリちゃんが木曜日に突然、トランプがほしいと言いだして、モーリちゃんの母は、じゃあ金曜日にIchiban-Kan で買ってきてあげる、と言ったのですが、なんか体調良くなかったので、モーリちゃんの父が行ってやるよと言って、でも牛乳もなくなったとかいうので、そりゃあいっぺんにいくのはどう考えても無理。ということで、Lucky で牛乳を2ガロン買って(この日初めて目に留まったのですが、州が許可する最低の価格で2ガロン割引販売とかポスターが奥に貼ってあった。1ガロンだけだと割引にならないみたい、この場合)、ついでに安ワインに安豚肉(1ポンド99セントのバックファット――でもこれがうまい)とかも買っちゃって、そのあとLongs Drug Storeで安トランプないかなあ、とひさしぶりに文具・玩具のコーナーを見ました。そして、ポピュラーなBicycle のトランプが3ドルいくら台ぐらいからあって、でも、その上にLongsのマークのついたのが1ドル49セントで売っていた――Longs Royale Pinochle というの。なんかおんなじようなので値段が高いのがあったのだが、それはケースに入っていないからだとモーリちゃんの父は考えた。これならイチバンカンとあんまり変わらないだろうし、Longs で記念になるし、と思って買うことにしました。あと、ブッシュのビール12缶6.49ドルと、ハーゲンダッツのアイスクリーム1パイント(473ml) が2個セールで6ドルというのを初めて買って帰宅。

Pinochle.jpg

   モーリちゃんが学校から帰ってすぐに気がついて、開けて、あれ、ジョーカーがない。でも説明だけの紙のほかに2枚裏がカードと同じのがあったので、これがジョーカーなのかな、安いからかねー、とかなんとか会話をした記憶があります。 

   そして、夕食後、モーリちゃんがカードを配り始めた。「ババ抜きやろー。」  「おかあさんのは、モーリちゃんが見てあげる」とペアを出します。そしてモーリちゃんが3枚、モーリちゃんの母が4枚、モーリちゃんの父が3枚。2回目にはモーリちゃんが0枚。 「なんだよ、それ。」 「だってなくなったんだもん。」 じゃあ、もう一回。というぐあいに4回ぐらいやったのですが、「なんかおかしいんじゃないの」という不吉な言葉が出たものの、そのままにして、各人別のことに取り組んだのでした(たいしたものじゃあないが)。それから、不意にモーリちゃんが、「ない、ない」と言いだして、8までの数字の札がないことがわかりましたとさ。「不良品だよ」という声もあったのですが、ない数が規則的なので、そうではなさそう。調べてみたら、ピナクルというものだった。

  pinoc(h)le  〔ピーナクルという発音のようです〕 《トランプ》ピナクル 各スーツのA, K, Q, J, 10, 9 を2組,計48枚で行なう花札に類似のゲーム。

     並べて記念写真を撮りました。

Pinochle_DSC_0031.jpg

   9以上がそれぞれ2枚ずつ、だから4枚じゃなくて8枚、あるのですね。どーりでババ抜きの手持ちの札が少なくなるわけだ(爆)。モーリちゃんは、48枚で、数が少ない、プンプン、という感じでしたけれど。なんか、画像左下の5枚は裏表でゲームの説明が書いてあるのだけれど、さらっと読んでも頭に入らない内容でした。2から8までのカードのdeck があったりしないかなあ、と夢想しましたが、なさそうです。モーリちゃんはマジックをやるのにいいかも、みたいな発想で、実際にモーリちゃんの父を被験者にしてインチキカードマジックをやりました。

   翌日の土曜日、モーリちゃんの発案で、神経衰弱をやりました。同じマークの同じ数だけペアになり、あと、1枚ジョーカー(ほんとはジョーカーないのだけれどw)を入れて、それをめくったら1回休み、というルールで。これがなかなか神経が衰弱する nerve wreck なゲームになりました。我が子ながらエラいと思いました。

   「花札ってなあに」 と訊かれたのですが、答に窮しました。『関東緋桜一家』とか見せればいいのかしら。一家崩壊したらどうする。

 

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The United States Playing Card Co. <www.USPlayingCard.com>

ピノクル、ウィキペディア

Pinochle, Wikipedia

 


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September 15 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1) [歌・詩]

September 15, 2008 (Monday)

   パリのアメリカ娘についての適当な記事「August 9 パリのアメリカ娘 An American Girl in Paris」において、「ス・ワンダフル」の歌唱について以下のような適当なことを書いたのが気になっていました。――

  Gene Kelly and Georges Guétary, " 'S Wonderful " in An American in Paris <http://www.metacafe.com/watch/yt-_I-_1hyUS8w/swonderful_american_in_paris/> (動画)

    「ス・ワンダフル」はジャズのほうが、それもフランク・シナトラとかじゃなく女性ボーカルのほうが好きかも。

    Diana Kroll, " 'S Wonderful " のjuneseventeen さんによるLesbian version (動画)が映像的に対照的・対蹠的かも。video clip は映画 Kissing Jessica Stein (2002: Jennifer Westfeldt and Heather Juergensen)(もしかしてこれでDiana Krollの曲が使われてましたか?)、Saving Face (2005: Michelle Krusiec and Lynn Chen)、Imagine Me & You (2006: Piper Perabo and Lena Headey)。

  その後、思うところあったので、男声女声と歌詞のジェンダー問題について、ちょっと書いてみます。

200px-Funny_Face_1957.jpgAmericanInParis_1951.jpg

  1951年の映画『巴里のアメリカ人』のなかで、アイラ・ガーシュウィン作詞、ジョージ・ガーシュウィン作曲の歌のひとつである " 'S Wonderful " は、野郎どもふたりによって歌われています。下の trailer (予告篇)でもその部分が挿入されていて、まずジーン・ケリーが " 'S wonderful " と歌い、それに対してジョルジュ・ゲタリが " 'S marvelous " と応じ、ジーン・ケリーが "She should care for me." と続けます(2:13から10秒くらい)。 It's wonderful (,it's marvelous,) (that) she should care for me.  という文意です。原詞では "she" ではなくて "you" なんですが、このシーンでは女に向かって男が歌うかたちになっていないので、かつホモでもないので、she に変わっているのでした(長いヴァージョンは上の動画のリンクをごらんください・・・・・細かいことをいうと "You can't blame" のところはYou のままですが、それは一般的なYou と考えたからでしょう)――


"An American in Paris Trailer (1951)" (3:46) posted by hollywoodclassics on March 31,2008

   その後に思いだしたことのひとつは、『巴里のアメリカ人』同様にガーシュウィンの曲をタイトルにも挿入曲にも大いに利用し、舞台もパリである1957年の映画 Funny Face (邦題『パリの恋人』)のなかで、 オードリ・ヘップバーンがフレッド・アステアとこの曲を歌っていたことでした。しかし探したのですが、そして探しているのですが、ほんの一部しか見つかりませんでした。やはり映画のtrailer です。――


"Funny Face - trailer (1956) AUDREY HEPBURN" (2:14) posted by "xxxSarahxLouisexxx" on December12, 2007

     こういう映像投稿の世界で、オリジナルの(オリジナルの映画会社じゃなくて、投稿者自ら作成の)trailerをつくるというようなヘンな流行がないのであれば、そして1956と書かれているのでこれは1957年2月の映画公開の前の前年から流れた予告篇ということなのでしょうから、ホンモノだと考えていいと思うのですが、ちょっと問題がありますね。オードリ・ヘップバーンとフレッド・アステアの歌にあわせてでかい文字が出ます、 " S'WONDERFUL! " (1:38)  " S'MARVELOUS! " (1:41)。正しくは " 'S Wonderful! " と " 'S Marvelous! " ですね。いや、大文字の問題ではなく、アポストロフィーの位置とスペースです。

   Ella Fitzgerald がLouis Armstrong と(Ella & Louisで) " 'S Wonderful " を遺してくれればよかったのですが、ないようなので、エラ・フィッツジェラルドがひとりで歌っているヴァージョンをお聞きください。(歌詞は、投稿者のdescriptionにあるものを少し直しました)――

Don't mind telling you, in my humble fash
That you thrill me through, with a tender pash,
When you said you care, 'magine my emoshe
I swore then and there, permanent devoshe,
You made all other men seem blah
Just you alone filled me with ahhhhhhhh....

'S wonderful, 's marvellous
You should care for me!
'S awful nice, 's paradise,
'S what I love to see.

You've made my life so glamorous,
You can't blame me for feeling amorous!
Oh 's wonderful, 's marvellous,
That you should care for me!

'S magnifique, 's what I seek
You should care for me.
'S elegant, 's what I want,
'S what I love to see.

My dear, it's four leaved clover time,
From now on my heart's working overtime,
'S exceptional, 's no bagatelle,
That you should care for...
That you should care for...
That you should care for me....


" 'S Wonderful Ella Fitzgerald " (3:31) posted by "acceptantlove" on June 16, 2008

    1行目冒頭に主語 "I" を補います。1行目と2行目の行末の韻を踏んでいる "fash" と "pash" はそれぞれ "fashion" と "passion"。3行目の " 'magine" は"imagine"。3行目行末の "emoshe" は "emotion"、4行目の "devosh" は"devotion"。第3連2行目の "amorous" はエロい、好色な、という意味ですけど、女の人に「わたしアマラスなの」と言われたらモーリちゃんの父はビビります。つーか、あんまり女性がみだら、いやみだりに使う言葉でないような気もしますが、それを女の人が使うところがいいのか(笑)。

   実はこの " 'S Wonderful " という曲は、1927年初演のFunny Faceというミュージカルの挿入歌でした。このミュージカルはガーシュウィン兄弟が音楽を担当しただけでなく、主演はあのフレッド・アステアでした(この歌はフレッド・アステアの姉のアデルと、別の男優のデュエット曲でしたが)。だから、1957年の映画の『ファニー・フェース』は、1951年の映画『巴里のアメリカ人』にたぶん触発されるかたちで、同様にガーシュウィンの音楽をタイトルも含めて大いにとりいれて、同様にパリを舞台にしてアメリカ人と芸術の問題をコメディーふうに扱ったものだった、たぶん。調べてみると、ミュージカルの『ファニー・フェース』と映画の『ファニー・フェース』(『パリの恋人』)はプロットは無関係のようです。と書きながら、映画のほう、よく思い出せないのでこちらも調べたのですが、オードリ・ヘップバーンが演じるJo Stockton という女性はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの本屋にいて、でもフランス哲学にかぶれているのでした(ウィキペディアの「パリの恋人」にはあらすじとして「小さな本屋で働くジョー(オードリー)は、共感主義かぶれ。ひょんな事からファッション雑誌のモデルを依頼される。撮影はパリ。パリには行きたいけれど、モデルなんて……。でも、パリに行けば共感主義の元祖フロストル教授にきっと会える!。雑誌の編集長マギー、カメラマンのディックと共にジョーはパリへ飛び立つ。(「共感主義」は仮想の思想であるが、この元祖フロストル教授は実在の実存主義者ジャン=ポール・サルトルがモデルという。)」と注記がありますけど、たしか "empathy" ということばを使っていたと思います・・・・・・主義としては "empathicalism"だが。それはいわゆる「感情移入」ですが、(美の)対象に全人格を没入させることで、たしかドイツのゴシック美術研究から(いやこれはウソかもしれない)、でもたしか美術の用語として最初にあって、それから心理学に入った言葉だったはずです。あーんと、ヴォリンガーの『抽象と感情移入』・・・・・・あ、これは広辞苑に載っているリップス(の『美学』)のあとですか(『現代美術用語辞典』)。

  ともかく、戦前の国籍離脱型 expatriate のパリのアメリカ人ではないのかもしれないけれど、やっぱりアメリカからパリへアメリカにはないものをめざしていく、パリのアメリカ娘の話ではあるのでしょうかね。ともかく『巴里のアメリカ人』同様にガーシュウィンの音楽をちりばめ、ミュージカルの『ファニー・フェース』からタイトルになった "Funny Face" と " 'S Wonderful" など4曲を、そして、他のガーシュウィンの曲を入れています。

   で、昔のほうの話ですけど、 1927年11月初演のあとあまり時をへずして――(このミュージカルのエピソードについては、ドキュメンタリー"George Gershwin Funny Face" (4:31) by "anniefofannie" がfunnyでためになります) ――"Whispering" Jack Smith によるレコーディングがなされていて、こちらは男性(男声)ひとりのヴァージョンになります。これの歌詞も、映像の投稿者によるものをあわせて引かせていただきます。――

Life has just begun,
Jack has found his Jill ;
Don't konw what you've done
But I'm all a-thrill.
How could words express
Your divine appeal ?
You can never guess
All the love I feel
From now on, Lady, I insist,
For me no other girls exist.

'S wonderful ! 'S marvelous !
That you should care for me !
'S awful nice ! 'S paradise !
'S what I love to see !

You've made my life so glamorous,
You can't blame me for feeling amorous,
'S wonderful ! 'S marvelous !
That you should care for me !

'S wonderful! 'S marvelous
You should care for me!
'S awful nice! 'S Paradise
'S what I love to see! 

My dear, it's four leaf clover time
From now on my heart's working overtime
Oh, 'S wonderful! 'S marvelous
That you should care for me!
 


" "'S Wonderful!" ('Whispering' Jack Smith, 1928) " (2:50) posted by "RReady555" on August 4, 2008

  ジャック・スミスは本名はシュミットで、ドイツ系だと思うのですが、r 音がナマリふうに強い発音ですね。この人は第一次大戦の際に毒ガスでやられて声を出せなくなったので "Whispering" というあだ名をつけられたバリトン歌手です。

   導入のいわゆる "verse"の部分がエラ・フィッツジェラルドと全然ちがっていますが、"chorus" 部、つまり主要部は基本的に同じように見え、ただし短めに終わっています(すいません。聞きなおしたら違っていました。歌詞を書き足しました。あと " 's " じゃなくて途中から "It's" と歌っているところもありますが、めんどくさいのでそのままにしました――カリフォルニア時間9月15日23時)。ちなみに前にあげ上にもあげたDiana Krall の4分以上ある「ス・ワンダフル」はverse なし、chorus のはじめの2連を3回繰り返すねちねちスタイルです。

  さて、だいぶ時間をいただいてしまいました。ジャズのスタンダード曲については、くわしい解説と訳詞・原詞の載った、「阿野音楽教室(Jazz&pops/classic)」というページがあって、以前たいへん感銘を受け、かつ私などわざわざ翻訳で出る幕はないと思ったのですが、この「ス・ワンダフル」についても興味深い解説が訳詞・原詞に添えられています。それをほぼまるごと引かせていただき、補足と理屈は次回ということにしたいと思います。

 '27年のミュージカル『Funny face』に挿入使用された曲である。その中ではアレン・カーンズ Allen Kearns とアーデル・アステアによって歌われた。その後映画では『Rhapsody in blue』(Waner 1945) に使われ、『Starlife』(Warner 1951) ではドリス・デイが、『An American on Paris』(MGM 1951) ではジョルジュ・ゲタリィ Georges Guetary とジーン・ケリーが歌い、このミュージカルの映画化『Funny face パリの恋人』(スタンリー・ドーネン監督 Paramount 1957) ではカメラマンに扮したフレッド・アステアとファッション・モデル役のオードリィ・ヘップバーンが、『Kiss me stupid』(United Artist 1964) ではディーン・マーティンが歌っている。この曲についてもアイラの著書から引用しよう。
この詩を書いた一番の理由は、it'sのitを落として残ったsを延ばして次の第一音節につなげる事によって、歯擦音の効果を強調したかったからだ。だから歌手が"It's wonderful","It's marvelous","It's paradise" などと正しい発音になおして歌うのを耳にすると、彼らの気持ちが判らなくて困惑させられたこともあった。

 ヴァース2では"fish","pash","emosh","devosh" と語尾を省略した。僕は前に『Lady, be good』で、コメディアンのウォルター・キャトレット Walter Catlett がお気に入りの単語から音節を落としてしまうのを聴いていたから、この方法で歌うのは新しくて面白いかなと思ったんだ・・・ところでとりすました'20年代について。『Funny face』の最初のトライアウトはフィラデルフィアでやったんだが、地元の一流の批評家の一人がシューバート劇場(中でリハーサルをやっていた)のロビーで僕に面会を求めてきて、ショウの内容に変更はないかと尋ねたんだ。つまり ['S wonderful] をなんとかしなかったのか、と言うんだよ。よく聞くと、彼はこの曲には猥褻語が含まれていると考えているらしかった。今のような四文字言葉自由化の時代だったら彼はいったいなんて言っただろうね?もちろん僕には判らないけど、その時彼は"feeling amorous" という表現はステージで歌われるよりもチョークでどこかにイタズラ書きされるような、そういう言葉だと感じたんだそうだ。
 この曲は、モダン以後のジャズではあまり演奏されていないが、スィングからバップ前期ぐらいまではインストゥルメンタルとして非常に演奏頻度が高く、ジャズ歌手が歌う素材としても代表的なスタンダード曲となった。なおこの曲のメロディとユダヤ音楽との関連については[研究-ジョージ・ガーシュインとイディッシュ音楽]参照。

ヘレン・メリル/ウイズ・クリフォード・ブラウン (EmArcy)
アニタ・オデイ/アニタ・シングス・ザ・モスト (Verve)
アート・テイタム/グループ・マスターピーセズVol.1 (Pablo)
ズート・シムズ/ズート・シムズ&ザ・ガーシュイン・ブラザーズ (Pablo)
ビル・チャーラップ/ス・ワンダフル (Venus)

Jackie & Roy
後藤芳子 / Because

SONG REAL BOOK  ALL OF THE JAZZ STANDARD 1  COPY  COPY 2

Verse 1 (male)

Life has just begun, Jack has found his Jill
Don't know what you've done, but I'm all athrill
How can words express your divine appeal?
You could never guess all the love I feel
From now on, lady, I insist
For me no other girl exist

Verse 2 (female)

Don't mind telling you in my humble fash
That you thrill me through with a tender pash
When you said you care, 'magine my emosh
I swore, that and there, permanent devosh
You made all other boys seem blah
Just you alone filled me with aah!

Chorus

'S wonderful! 'S marvelous
You should care for me!
'S awful nice! 'S Paradise
'S what I love to see!

You've made my life so glamorous
You can't blame me for feeling amorous
(My dear, it's four leaf clover time
From now on my heart's working overtime)

Oh, 'S wonderful! 'S marvelous
That you should care for me!

 ヴァース1(男性)

人生はたった今始まったんだ、ジャックがジルを見つけたのさ
君が何をしたのか知らないけど、僕は興奮でいっぱいさ
君の素晴らしい魅力は言葉では表現できそうもないな
僕の感じている熱い思いは君には判りっこないさ
ねえ、僕はこう言いたいんだ、いまこの瞬間から
もうほかの女性は僕には存在しないとね

 ヴァース2(女性)

あなたは優しい情熱で私を魅了してしまったって
素直に言わせてもらうわ
私を好きだってあなたが言った時の私の興奮ぶりを想像してみて
そのときそこで私は永久にあなたに尽くそうと決心したの
あなたはほかの男性たちを皆つまらないものにしちゃったわ
わたしにアァって溜め息をあげさせるのはあなただけ

 コーラス

スーばらしいな、なんてスーてきなんだろう!
きみが愛してくれるなんて
スーごくいいな、スーっとして天国にいったみたいさ
見てるだけでもスーきになっちゃうね

きみが僕の生活を輝かせちゃったんだぜ
僕が恋の気分に浮かれたからって責めないでおくれよ
(もう幸せいっぱいの時間ね!
私の心ははしゃぎすぎて、これからはオーバー・タイムよ)

スーばらしいな、なんてスーてきなんだろう!
きみが僕を愛してくれるなんて <http://www.anomusic.com/kashi/body_l.htm>*


   とりあえず verse で男性(男声)と女性(女声)に分かれていることが明示されています。chorusは・・・・・・この日本語訳はもっぱら男性(男声)のもの(括弧の中が女性?)に見えますが、どうなんでしょう。

  では、また。

FunnyFace_AudreyHepburn_Darkroom.JPG

Audre Hepburn's Funny Face

 

*つぎのページと同一人の作成か不明。<http://d0v0b.info/kyoku/s/swonder.html>

 

カリフォルニア時間9月27日午後8時追記――半分続きを書きました。

September 26 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1 1/3)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1 1/3) 

 

カリフォルニア時間10月17日朝――さらに続きを書きました。

September 27 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (1 2/3)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (1 2/3) [2008/10/03 00:14]
October 3, September 30 アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (2)  " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (2) [2008/10/04 23:37]
October 4 ミュージカルの歌詞というもの(上)――アイラ・ガーシュウィンの「ス・ワンダフル」 (3)  On Musical Lyrics: " 'S Wonderful" by Ira Gershwin (3) [2008/10/05 23:37]
(2) と (3) を 見ていただけるとうれしいです。
 
 

 

 


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